ある大仏の故郷

2013年04月21日
 寄進された大きなモノといえば、年頭にとあるローカル媒体の取材で犬山の新生大仏というのを見てきました。成田山にあります。

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 江南の布袋大仏(→●□)、羽島の佐吉大仏(→●□)と並ぶ「木曽川中流域三大仏」…とは言われておりません。先の二仏はけっこうメジャーですが、こちらはあまり知られていないと思います。僕も企画の打ち合わせで聞くまで知らなかった。
 安置場所が本堂裏の駐車場の片隅なので、大仏と言いながらもあまり目立ちません。先に布袋と羽島を見ちゃうと、正直インパクトも弱い。大きさ的には佐吉大仏と変わらないらしいんだけど…。
 ところがいわくがけっこう面白い。もとは戦前に一宮の鋳物工場の経営者が、病死した息子の供養のため一宮市街近くの九品寺(くほんじ)公園に建立したもの。戦時中の金属回収令のため供出されてしまったのだが、戦後、鶴舞公園で頭部が発見されたので、胴体を造り直して昭和30年に戦没者供養の「新生大仏」として復活。
 大仏さんの頭部だけを残したのは、溶かして武器にするにはバチがあたる…と関係も思ったのだろう、たぶん。意外なところにある戦争遺産、成田山に参拝の際はこちらも拝まれることをオススメします。

 で、新生大仏がもとあった一宮の九品地公園へ、先週所用で一宮に行った際に立ち寄ってみました。一宮競輪近くの幹線道路沿いにあります。

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 現在は公園というか競技場になっているのだが、これがまたなかなか味わい深くて驚いた。ホームとバック側は古いコンクリート製の階段式スタンド、コーナー部分は石の土台に芝生(ただの雑草?)席。昭和20年代の競輪場か競馬場かといった趣きじゃないか、と思ったら、昭和25年の国体に際して造られたのこと。古びているわけです。

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 バック側の裏には小公園が設けられていた。その名も「機能回復訓練公園 希望の丘」。何かと思えば、よく公園の隅のほうにとんがった石の上を歩いたりストレッチ用具が設置されている、あれと同じですね。△の頂点やデコボコの通路を歩き、階段を上り下りせよ、と。標柱によると昭和51年に寄贈…って、けっこう古い!
 公園のこういうのを真面目に使っている人って実際に見たことないけど、活用されてるのか?ご覧のように、1歳児や自転車に乗ったお子様たちの遊び場と化しております。
(まさ)
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尾張雑 | Comments(3) | Trackback(0)
Comment
No title
五色園のコンクリート像で有名?な浅野祥雲が造った
「五大明王・八大童子」像を見に成田さんに行った時、奥の山の上に見つけました。
大仏”と呼ぶのは微妙ですが。
頭部が供出をのがれたという話は興味深いですね。
前出の前田栄次郎翁が、故郷の山に作った「前田公園」に建てた
「聖徳太子銅像」は金属供出からまぬかれました。聖徳大使を鋳潰しちゃ
マズいってことだったようです。金次郎さんはほとんどが「出征」されたのに。
No title
前田様の寄進物を供出とはけしからん!というような話が地元から出たんだったりして…。
No title
「聖徳太子銅像」は、言わば皇祖なわけで、戦中の時代背景から
そんなモノ溶かしちゃマズいってことでしょうね。
前田公園にあった乃木・大山元帥銅像やでっかい福槌も供出
されちゃったようですから、どっかに判断の境界はあったようです。
豊田市平芝の霊岩寺の梵鐘も、金属供出で出したのが、鐘の表面に
菊の紋章があったため戻ってきたという、いかにも、、というエピソードもありますから。

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