井戸に秘められた碧知の裏面史

2012年10月30日
 さらに春日神社境内を1歳児とともに徘徊すると、見事な形状の手水舎を発見。

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 かなり豪壮な、T字型の建物です。超有名社寺ならともかく、ここまで立派な手水舎ってのもそんなにはないんじゃなかろうか。
 なぜT字型なのかと思ったら、参道に面した「―」の部分に手水鉢があり、背後の「|」の部分は井戸なのでした。で、この井戸を観察したら、またなかなかのシロモノ。

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 大きな陶製の円筒に鹿とモミジ、それに日章旗と旭日旗があしらわれております。

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 背後に回り込むと寄付者と製造者の名前が。

寄付人 当町 森千代吉 明治34年8月吉日
製造人 常滑町北條 早川寺安


 窯業地だから地元産かと思いきや、常滑で作られたものとは。高浜も土管の産地だったのに、なぜわざわざ常滑に発注を?当時はまだ高浜で土管が作られていなかったのか、それとも早川寺安という方が衣浦湾を超えて名をとどろかせていた腕利きだったのか。
 今、僕は碧海エリアに居住しながら仕事の多くを知多半島でやっているんで、碧海も知多も観察しているのですが、この両者の関係が深いのか浅いのか、いまひとつ見えてきていません。この井戸はもしかしたら、両者の見えざる関係性を解き明かすヒントなのではないか?国境を越えた連携の秘められた歴史を語る重要なブツなのか!

121030-5.jpg 「どうでもいいですよ、おとうさん」
このあと水びたしになる1歳児

 いや、まあ、碧海と知多の関係性なんざどうでもいいんですけどね…。
(まさ)
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西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
境川をはさんで、まさに尾張と三河の国境いですよね。
当時は衣浦大橋も海底トンネルなんてのも無かったわけで、まさにお国が違ってたという、、、。
あの川が、碧南と半田とを隔てていたわけで、まして常滑との流通が有ったとはとても思えないのですけど。

そりゃぁ常滑には陶彫家のすごい人達がいたらしいのですけど、高浜・碧南にもきっとそういう人達もいたと思います。
これは面白いですね。(と、個人的に)知ってる年寄りに早く聞いておかないと手遅れになりそうで妙に気があせっております。
ま、知ってどうこうってことは特に無いんですけどね。
No title
昭和46年まで半田-大浜航路があり、それ以前には高浜-藤江や新川-亀崎に渡船があったりして、それなりに碧海と知多の間で人の行き来はあったみたいですけど、具体的な交流がどうも見えてきません。そもそも知多半島内でも、西海岸側と東海岸側は疎遠っぽいし…。
ぜひ、調べてください!

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