ザ・ミュージックシティ

2012年06月14日
 今日も春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」35号の連動ネタ。

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 今回のテーマは「楽」ってことで、「音楽の町」を標榜する浜松の、割とオーソドックスな紹介記事(6ページ)を僕が担当しました。
 なぜ浜松が音楽の町なのかというと、次のような理由が挙げられます。

1、楽器生産が盛ん…3大メーカーをはじめ多くの小メーカーが立地
2、ハコ&施設が充実…アクトホール、楽器博物館、各種ライブハウスなど多数
3、フェスやコンテストが多い…国際ピアノコンクール、ジャズフェス、やらフェスなど

 では、いったいいつから「音楽の町」と言い出したのか。気になったので、本格的な取材に入る前に中央図書館で広報のバックナンバーを徹底的に調べたところ(我ながらヒマだね)、どうやら昭和58年ということが判明しました。

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(駅南の砂山町から見たアクトタワー)

 音楽の町を目指したのは栗原勝市長(S54~H11)の時代。市の職員時代にはずっと建築畑を歩き、ハコモノ大好き首長として知られる人です。アクトをはじめ、浜松の主だったハコモノはだいたいこの人の時代に作られています。
 先代の平山博三市政のときは、音楽に限らずカルチャー系のことは重要視されていなかったようですが、まあ、高度成長期でノリノリの地方工業都市だし、当たり前といえば当たり前。栗原市政のときには市民生活にゆとりも出て、町おこしなんかもボチボチ芽生え始めていた頃なので、「いっちょ前の市長とは違うところを見せるだよ」てな感じだったのではないか、と。
 広報を追ってみると、栗原市政が「音楽の町」を打ち出そうとする流れが見えてきます。

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S54.5.20号
栗原新市長インタビューで「文化振興のための、例えば音楽堂の建設」と発言

S55.1発行の'80冬総合版
市民による80年代の夢を語ろうという特集で、法枝町のMさんが「楽器の町といわれるよりは、音楽の町といわれるような浜松にしたいですね」「国際音楽祭を開くというプランはどうですか」と発言

S57.4.5号
浜松市民吹奏楽団の紹介記事で「楽器のまち浜松を、自分たちの手で音楽のまちに…と大きな夢を抱いた若者が、昭和50年に小さな市民バンドを結成しました」の文章

S57.11.30号
中学生と市長の座談会で、丸塚中学校のK君が「浜松音楽祭が成長して、日本音楽祭・世界音楽祭になれば最高!」と発言
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 ここらへんまでは、主に市民に「音楽の町」への希望を語らせることで、市長の漠然とした構想と市民意識が一致していることをさりげなくアピールし、徐々に盛り上げています。戦略的ですなあ。
 そして、昭和58年(1983)の広報はままつ春の号(年度あたまの特別号)では、予算の使い方を示した特集において「音楽のまちづくりの推進」という項目が登場。行政がオフィシャルな発言として「音楽のまち」というフレーズを使ったのはこれが初出のようで、以後、広報にはバンバン「音楽のまち」が出てきて、現在に至るわけです。

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(鍛冶町から見たアクトタワー)

…というようなことは、本誌には書いておりませんので念のため。せっかく調べたのに書かないのはもったいないので、ここで紹介しました。
 まあ、キレイごとだけではないんだけど、浜松はいろいろな意味で「上手いこと持ちネタを活かしている地方都市」といえましょう。上手いこと持ちネタを活かしきれていない地方都市のほうが多いから。例えば(以下自粛)
(まさ)
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遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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