アイ門柱ベイビー

2012年02月10日
 こういう場合、妻への反論を書いてブログ上でガチ夫婦喧嘩したりすると、ウケますかね。

 そういうマジで面倒なことはやめておきまして、先日、東栄と津具に行った際、ついでに佐久間町の浦川あたりにも久々に寄ってみました。
 とりあえず某企画の現地調査で、以前「花の舞」を見に行った川合へ(→●□)。飯田線下川合駅の対岸にある集落で、10年ぐらいのちには三遠南信道の佐久間インターがこのあたりにできるらしいです。どんなところかと言うと、こんなところ。

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 シブい、シブすぎる!
 大千瀬川沿いの街道筋の家並は数軒の商店&廃商店がある極小町場になっており、この右手の山の斜面上に民家が点在するという、北遠の典型的な集落形態になっております。
 で、その山の斜面にある川合院(せんごういん)という寺に行ったところ、本堂脇の墓地の入口に、こんなモノを見つけた。

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 だ、誰やねん!
 台座を見ると建造は1977年と意外に新しい。むかし死んでしまった友達を懐かしみ、霊を慰めるために建てたんでしょうか。
 そして、ふと像の後ろに目をやると、こんな銘板が!

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 なんと川合尋常小学校の門柱とは。戦前の学校の門柱は前に旧下山村で見つけたことがあるので(→●□)、これで二例目となります。

120208-4.jpg

 これが「川合尋常小学校」の跡地。下は運動場。高台に門柱があり、墓地のところが校舎の跡 !? だとしたら凄い土地の転用だ。
 今度この寺をちゃんと取材する予定なので、詳細はその時に聞いてきます。
(まさ)

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(2015.02.22追記)
 2週間ほど前に聞いたところ、卒業生が建立した記念碑的な像ということでした。廃村となった東栄町(旧下川村)の大入集落の子供も、山越え越県通学していたらしい。
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遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
私も閉校小学校めぐり?をしていますが、コレは珍しいですねぇ。
尋常小学校に通っていた児童はまさにこんな格好だったんでしょうね。
昭和30年代以降は金次郎像に替わり男女の児童がかなたを指差す像、、
なんてのが流行ったようですが、コノ像とはまったくその建立動機が違いますよね。
どいういきさつで建てられたのかとても気になります。個人的に。
No title
北遠は廃校が非常に多いので、訪ね甲斐がありますね。大嵐駅から林道を車で20分ばかり上った廃集落にある「門谷分校」跡なんかはオススメです。

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