アウトオブ絶景本0015

2011年12月31日
 そんなこんなで今年も残すところあと数時間ですが、それにしても昨日の競輪グランプリ、本線で買ってた豊橋の星・深谷が死ぬつもりで駆けてBS番手捲りとは…。GPだけは全員が1着取る気で走らんかい、と言ったところでこの心の叫びはあのヤローにゃ届くまい…。

 そんな心と懐の傷はさておき、ここ数年、仕事面で知多半島への依存度がどんどん高くなっていったのですが、今年はまさにマックス。レギュラー仕事に加えて単発モノもいくつかあって、実は今も実家のPCで「知多半島の昭和」という本の編集作業をやっております。ひ~ん。
 この本は名古屋の樹林舎という出版社の企画になります。もし、知多半島5市5町で撮影された昭和の写真(モノクロでもカラーでも、プリントでもネガでもOK)を持っている方がいらっしゃいましたら、まだ間に合いますので、コメント欄にでも御一報くださいませ。

 そんなわけで今年の最後も知多半島ネタ。
 美浜町時志というところに、知多四国の番外札所/南知多三十三観音の1番札所になっている、時志観音影現寺という寺があります。尾張徳川家に庇護された由緒ある寺院で、高台にあるので眺めがいいことで有名です。

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(2008.05.22撮影)

 これは3年前の早朝に撮影したもの。こんな具合に境内から三河湾が一望できます。以前作った拙著「鉄道で行く絶景の旅」(→●□)にも取り上げました。
 で、この9月、地元媒体の取材で久しぶりに時志観音に行ったところ、住職から「この裏の山頂に展望台があるよ」という情報を教えてもらった。え、そうだったの?樹林舎の「知多巡礼紀行」(→●□)のときはそんな話出なかったけど…。
 その日は他に予定があったので話を聞いただけで帰り、11月に再訪した際、寺の裏へ行ってみました。
 墓場の脇を抜け、木立の中を1分も登ると、すぐに山頂に到達。そこには廃墟チックな展望台が!

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 おお、なんというか…地味?設置年を記したと思われる鉄製の銘板が付いていましたが、肝心の部分が腐食して読み取れません。住職もいつ作ったか知らないとのこと。戦後とは思いますが…。

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 登ってみようと背後に回ると、なぜか滑り台が!

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 そして展望台からは、絶景というにはちょいと微妙な景観が!見えるのは河和南部の海岸線で、煙を上げているのは加藤化学(水飴の製造会社)の工場。木が生い茂っていなければ、もう少し眺めがよかっただろう。

 この展望台のルーツをさぐると、昭和10年代に寺が愛知電鉄(今の名鉄)と共同で行った、観光開発に行き当たります。
 今の河和線が河和まで延伸された際、乗客誘致と参拝客誘致の目論見が一致して、ここに奈良の信貴山より毘沙門天を勧請して「名古屋信貴山」を開き、名所として大きくPRしました。境内の山一帯は白山公園として整備され、東屋も設置。また、名鉄発行のパンフには、犬山や聚楽園大仏などと並んで時志観音も紹介されています。さらに最寄駅として、河和口から南へ数百メートルのところに時志駅も設置されました(→●□)。
 ところが名古屋信貴山の毘沙門堂は、昭和19年の東南海地震で倒壊してしまいます。戦後、これが再建されることはなく、遠方からの毘沙門さん目当ての参拝客は少なくなったようです。
 ちなみに時志駅は昭和19年に休止されていますが、ウィキの記述にあるように「河和口駅に近いため、戦時中の休止後、廃止されている。」という単純な話ではなく、戦時下で観光客誘致どころでなくなったうえ、地震による倒壊で追い打ちをかけられて人が来なくなり、存在意義がなくなった、というところでしょう。

 そうして「東海信貴山」の名はほとんど使われることがなくなりましたが、その後も時志観音と白山公園は、地元の遠足スポットとして定着しました。「知多半島の昭和」の取材では、この展望台の下で弁当を食べたり遊んだりしている昭和30~40年代の古写真を2枚ほど見つけています。

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 森の中には昭和初期に建てられた東屋の残骸も。住職によると、わりと最近まで旧状を保っていたそうな。

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 でもって、時志観音影現寺の境内。左に立つ大きな観音像のところに、東海信貴山毘沙門堂が建っていたそうです。
 そんなこんなで、知多半島のマニアックなネタで2011年を締めくくってみました。来年は、知多半島もマニアックに追究しつつ、ちっとは三河回帰・岐阜回帰もしたいものです。
 そして、陽太郎が生まれた良き一年でした。来年もなにかこう、どか~んと一発、がんばりたいです。
(まさ)

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(2013.05.30付記)
 知多半島の無料雑誌「Step」13年6月号の「知多遺産」という連載企画で、時志観音と時志駅について書きましたので(無署名原稿ですが)興味のある方はご覧ください。
 なお、上記の「名古屋信貴山」勧請にあたり、名鉄の初代社長、藍川清成が尽力しました。自ら信徒総代となって名古屋の財界人から寄付金を募り、その浄財で本堂の横に信貴山本殿を建設。単なる乗客誘致ではなく、本尊の毘沙門天は商売繁盛の神なので信仰心も篤かったと思われます。

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 河和線全通間もないころに発行された名鉄のパンフ。

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 裏面には豊川稲荷、聚楽園大仏、熱田神宮、岡崎公園、鳴海球場など沿線の名だたる名所とともに「時志観音と名古屋信貴山」も紹介されています。
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知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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