小松原街道をゆく

2011年10月04日
 春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」32号の連動ネタ。少し前に「浜道町を載せてくれてうれしい」という稀有なコメントをいただいたので、もう少し浜道町界隈の写真など…。

110914-5.jpg

 浜道町の真ん中を貫く「小松原街道」こと県道405号(小松原小池線)は、その名のとおり国道259号の小池町と国道42号の小松原町を結ぶ、豊橋ではソコソコ重要な幹線道路です。「街道」といっても古くから主要道だったわけではなく、この道が初めて注目されるのは、明治41年に陸軍第15師団が豊橋に来てから。広大な不毛の地だった高師原・天伯原が演習場になったため、師団司令部や市街からのアクセス道路として、ヘロヘロの田舎道が急遽整備されたのです。
 現在の道筋はおそらく、軍用道路として整備される以前の道筋をほぼ踏襲していると思われますが(違ってたらスイマセン)、今回の取材で浜道町の裏道や路地を不審者のようにウロウロしていたら、なんと!小松原街道の旧道が残っていることに初めて気が付きました。なんと!と言うほどのことではぜんぜんないけど。

111003-1.jpg

 現街道からの分岐点は、9/22日の記事(→●□)に書いた、浜道町公民館の前。

111003-2.jpg

 車で突っ込んでいくにはちょっと厳しい狭隘道路が、ヒョロっと伸びています。槙の生垣がいかにも東三河な感じでいいですね。

111003-3.jpg

 どこまでの続くのかな、と思ったら、250メートルほどで県道31号(東三河環状線)の旧道にぶつかって、あっさり終了。この道はかつて「二川道」「奥郡道」などと呼ばれたようで、二川宿から田原方面へ行く脇往還として、ビミョーに重要な道だったらしい。

111003-4.jpg

 上の写真で左下に見える横長の建物は、三十三観音。シブい。この裏には「正面南・小松原道/東・二川/西・田原」と刻まれた道標地蔵などもあります。

111003-5.jpg

 さらに南へ300メートルほど進むと梅田川の土手があり、そこには庚申塔と思しき2体の石仏(右)と、昭和48年に建立された「養鰻供養碑」(左)がひっそりと建っています。シブい。ていうか、なんで養殖ウナギの供養碑がこんなところに?

111003-8.jpg

 でもって、梅田川を渡った天伯町にも250メートルばかり旧道が残っています。槙の生垣がいかにも東三河な感じでいいですね…って、こういうことを言っても東三河の誰も同調してくれたことがない。なんでこのよさがわからねえんだ!いや、別にどうでもいいんですけど。
 以上、豊橋市民ですら誰も興味がないであろう地味なレポートでした(いつもか)。
(まさ)
スポンサーサイト
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
Comment

管理者のみに表示