大海駅裏の今昔

2011年06月21日
 引き続き、春夏秋冬叢書刊「そう」31号連動ネタ。
 昨日の記事で出した新城市有海・新昌寺の「鳥居権現碑」が、昭和49年まで建ってたのが大海駅。

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 平たい鉄筋駅舎がいかんともしがたい地味さ。あまり撮影意欲が掻き立てられず、過去2回ぐらいしか撮った記憶がない。いや、2回も撮ればじゅうぶんか。
 大海は豊川鉄道の終点として開業した駅で、開通3年後の明治36年から国有化される昭和18年までは「長篠駅」を名乗っていました。対岸の長篠村、というか長篠古戦場の玄関駅と位置づけられていたわけで、乗客誘致にチョー熱心だった豊川鉄道らしい命名。おかげで本来の長篠村の中心駅は、私鉄時代は「鳳来寺口駅」、国有化後は「本長篠駅」と名乗らせられ、なんともややこしい。

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(2003.08.28撮影)

 そんなわけで、大海駅の豊橋方にある踏切の名称も「長篠踏切」という名です。このような旧駅名に即した踏切名称の例に、東海道本線愛知御津駅(旧名・御油駅)の蒲郡方の「御油踏切」があります。いやはや、実にどうでもいい。踏切名称を探る本など作ってみたいけど、どうっすかね?どうでもいいっすね。
 で、大海駅のホームに久々に行ってみたら、あれ?なんか殺風景になっている。

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 以前はこんな感じでした。

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(2003.08.15撮影)

 右にあった「アサノセメント」と書かれたセメントサイロがいつの間にかなくなっているではないか!う~む、地味さに拍車がかかっとるがね。

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(2003.08.28撮影)

 最終的には「太平洋セメント大海サービスセンター」という名称で、トラックの出入りも多かったようですが、あまり気に留めたこともないし、施設の歴史もよく知らんです。以上、広げてみたけどイマイチまとまらないネタでした。
 ちなみに大海という集落名は、西尾の巨海(こみ)から移住した人が開いたというのが由来らしい。ホンマかいな。
(まさ)
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東三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)
Comment
期待してます
>踏切名称を探る本
良いですねぇ~待ってます。
出来れば、西三河からお願いします。
No title
最近、僕の思いつく企画の賛同者が十指に満たないことに気付き始めております…。
No title
踏切名称は、かつての地名等が残っているので、貴重な記録にもなりますね。
No title
そもそも僕が踏切名称に興味を持ったのは、豊橋の「田原街道踏切」が最初でした。そういえば昔、愛知御津の近くに「第一玉袋踏切」「第二玉袋踏切」という強烈なのがあったんですが、廃止されちゃいまいた。

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