道路元標の迷宮0005

2011年06月17日
 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」31号が発売中です。

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 今号のキーワードは「海」。わたくし(まさ)は毎号同じで地名&小学校、嫁(まり)は、妊婦にも関わらずガンガン歩いた東海自然歩道の記事を書いています。興味のある方は書店でお買い求めください。三遠南信エリア以外でも、ちくさ正文館本支店、名古屋タカシマヤ三省堂、カルコス各店などで販売しております。

 さて、今回の「地名探訪」で取り上げた「海」のつく地名は、新城市の有海(あるみ)。長篠城址の対岸に位置する小さい集落ですが、現在、新東名の建設工事が進んでいるため、騒々しいことになっている地域です。

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 有海と聞いても地元以外では知らない人がほとんどでしょうが、飯田線の鳥居駅がある集落、と言えばピンと来る鉄道マニア、歴史マニアも多いのではないでしょうか。長篠の合戦で鳥居強右衛門が、包囲された城から抜け出して援軍を要請に行った帰り、とっつかまって磔にされて死んだのがここ。強右衛門の墓も当地にあります。
 鳥居駅は一般的に「鳥居強右衛門史跡の最寄り駅であることが由来」とされていますが、実はそんなに単純な話ではなく、軍国主義国家の形成過程という時代背景が下敷きになっている…ということを記事にしています。これ以上書くとネタバレになるので、買って読んでくださいませ。

 軍国主義といえば、有海や設楽原古戦場を含む「旧東郷村」も実は軍国的な名称だということを、今回の記事のために資料を漁ってて初めて知りました。
 もともとは、新城の北西に連なる雁峰山(がんぽうさん)の入会権を持つ村を東西に大別して称した「東郷」「西郷」という広域通称名です(西郷は新城駅の北西部あたり)。明治39年の村政施行に際してこれを村名に採用したのですが、本来は「ひがしごう」「にしごう」の読みが正。しかし時代は日露戦争の直後。日本海海戦で活躍した東郷平八郎にあやかって「とうごう」の読みにしたんだそうな。
 その東郷村の道路元標が、鳥居駅のひとつ手前の大海にあります。道路元標については、2009.12.17の記事を参照してください→●□

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 場所は、国道151号旧道の北を並走する大海の裏通りで、大海公民館の前。ここにあることは、少し前にネット情報で知りました。
 が、僕の記憶では、平成1ケタの前半には、確か国道151号旧道沿いの駐在所前にあったような…。

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 この写真の左角あたりに立ってた覚えがあります。元標にサビの筋みたいな汚れが見えるが、それは角を曲がる車がこすった跡ではないかと。
 いつしか消えてて「ああ、もったいない」と思っていたのだが、安全な場所に移設されていたようで、とりあえずはよかった。消息不明だった古い友人に再会した気分だよ。
 大学時代に写真も撮っているはずなので(20年も前からマニアックなことを)、実家から発掘されたらそのうちここで紹介します。まあ、そんなものの今昔対比にほとんど意味はありませんが…。
(まさ)

◎道路元標の迷宮シリーズ
0001南設楽郡山吉田村→●□
0002北設楽郡下川村→●□
0003浜名郡中ノ町村→●□
0004西加茂郡保見村→●□
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東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
新東名の工事で大きく景色が変わりますね。鳥居駅界隈。

私も昨年9月にこの元標を見に行きました。倒置されていた伊那街道の道標等も含めて整備されるのでしょうか…
No title
こういうモノは地元住民の意識ひとつですからね。東郷地区は設楽原もあるので、史跡や遺物の保存意識は高い印象があります。

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