豊橋に一番近い廃集落

2010年12月13日
 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」29号が発売中です。

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 今号のキーワードは「野」。わたくし(まさ)は毎号同じで地名&小学校、嫁(まり)は、2月に体験取材した新城(旧鳳来町)でのトレイルランニング(→●□)と、体験取材ではないけど早朝の演習に従軍(?)した豊川の陸上自衛隊の記事を書いてております。興味のある方は書店で。三遠南信エリア以外でも、ちくさ正文館本支店、名古屋タカシマヤ三省堂、カルコス各店などで販売しております。
 え~、「野」の付く地名はアホほどありまして、三河・遠州の野地名を全部挙げていったら、このブログが2ヶ月くらいそれで持ってしまうほど。今号では4ページもらったので、前半は東三河に三つある「野田」を、後半はネタのあるところ、もしくは気に入った写真が撮れたところから幾つかピックアップして紹介しました。
 そんな数ある東三河の野地名には、廃集落になってしまったところもあります。それは豊川市御津町金野(かねの)にあった、灰野(はいの)集落。
 灰野の前に金野じたいがマイナーでどこにあるのか知ってる人は少ないと思われるので、地図を貼っておきます。


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 金野は御津川上流部の山あいに、東西に長く伸びる農村集落。端と端の民家はかなり離れており、地元では「西金野」「東金野」と通称されます。でもって、それぞれに火の見櫓が現存しています(→●□●□)。昭和末期までは、金野簡易郵便局があり、豊鉄バスも走ってました。

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 こんな感じで、のどかな山村です。写真は西金野を走る「御津地区福祉乗合タクシー」。
 もともとの村名は、西金野が「金割」、東金野が「灰野」。つまり金野は、両村から一字づつ取った合成地名。ただ、旧金割は西金野とイコールなのだが、旧灰野の本集落は現在の東金野とは違う位置になります。昭和30年代に全戸移転してしまいました。
 灰野はまったくの未訪。ここで行かなきゃいつ行くんだってんで、クソ暑かった九月のアタマに行くことに。
 東金野のHINOMIのあたりから県道をはずれ、少し行くと車が通行禁止というので途中に放置しておいて10分ほど歩き、やって来ました灰野集落跡。

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 集落の入口には八柱神社の鳥居がお出迎え。肝心の集落跡は、門前の道を右手に入っていったところ。この道はすぐ木立に覆われて薄暗くなり、いささか気味の悪い雰囲気に。お構いなしに突入すると、やがて住居の土台だった石積みが!

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 家があったとは思えないこの有様。雑木や竹が勝手気ままに伸びまくり、荒れた里山ジャングルの様相を呈しております。奥三河や北遠ではこういう家の跡にちょくちょく遭遇するけど、豊橋からわずか10kmほどのところにこんなところがあろうとは…。

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 集落跡の真ん中にはヤブニッケイの巨木が。なんで名前がわかったかと言うと、根本に旧御津町教育委員が建てた標柱があったから。こんなところに建てて、誰が見に来るというのか。
 来た道を引き返して、今度は鳥居をくぐって神社のほうへ。と思ったら神社の手前に脇へそれる階段があり、登ってみたら今度は朽ち果てる寸前の寺が!

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 これで住職がいたら怖いけど、さすがに無住です。この寺は円蔵寺といい、ヨッ橘家!てなもんでエバラ焼肉のタレのCMを思い出す(古すぎ)。隣接する墓地には意外と新しい墓石が多く、もと住民は今も頻繁にお参りに来ているものと思われます。話を聞きたかったけど、この日は誰にも遭遇しなかった。
 なお、旧町が平成12年に作った「みと歴史散歩」によると、宝飯新四国71番札所だそうな。ほかの札所はどこやねん。
 あと、八柱神社じたいはけっこう普通でした。
(まさ)
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東三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)
Comment
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息子が行きたがってまして明後日向かいます。楽しみです。
No title
それは素晴らしい、目の付け所がいいお子さんですね!お気を付けて。

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