THE 高分子

2010年09月25日
 9/10に発売された春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」28号連動ネタ。岡崎のネタばかり続きますが…。
 巻頭特集の「明治維新」で、嫁は官営愛知紡績所の記事を書いています。明治政府が殖産興業政策の一環として、大平に造った紡績工場で、明治14年から19年まで操業していました。
 写真担当は豊橋のカメラマンS君なのですが、わたくし「跡」だの「旧」だのには目がないので、必要はなかったんだけど嫁の探索に同行した次第。
 そんなわけで国道1号大平町東交差点からチョイと旧東海道に入りまして、やって来ました官営愛知紡績所跡。

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 跡地に建っているのは旧日本高分子岡崎工場。こっちも既に「旧」が付いております。今年の3月に移転したとのこと。
 明治初期の工場の遺構なんてなにかあるのだろうか、と思っていたが、産業遺産関係の本によると、水路が残っているという。

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 これか!?

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 これもか!?って、難易度高すぎるわ!シブいとかどうとかいうようなものじゃない。
 地味だけど、これらは行けば割と見つけやすい。ほかに何かないかと水路周りをウロチョロしていたら、こんな境界票を発見しました。

100925-4.jpg

 刻まれているのは「日清紡」の文字。つまりここは、高分子の工場ができる前は日清紡の土地だったらしい。
 りぶらで郷土資料を漁って調べたところ、この土地は下のような変遷を辿った模様です。

明治14~19 官営愛知紡績所
明治19~? 元西大平藩士篠田直方に払い下げられ、私営の紡績工場が営まれる
(途中の経緯は不詳。「その後、所有者が目まぐるしく入れ替わる」と男川学区の郷土史に記載あり)
昭和20年~? 空地
?~昭和34頃 日清紡大平工場
昭和34~平成22 日本高分子(管)岡崎工場

 岡崎市史によると、日本高分子(管)は昭和33年12月、日清紡の直系関連会社として創立。紡績用プラスチックボビンを製造開発…ってなんじゃそりゃ。
 さらに記述を探してみたところ、日本高分子(管)は世界で始めて紡績用の樹脂管(プラスチックボビン)を開発。岡崎に拠点を置いていた日清紡が技術協力して工業化。元日清紡美合工場長を社長に、製品の開発研究を進めてきた東京容器社長を常務に日本高分子(管)を設立…という会社だそうで、単に書き写してきただけだから全然頭に入っておりません。結局なんだよ、プラスチックボビンって。そもそも高分子ってナニ?
 ところで高分子といえば、むかし稲武町役場から国道257を北へ少し行ったところに高分子の工場と名鉄バスの「高分子前」というバス停がありました。稲武の高分子と岡崎の高分子は関係があったんだろうか?そしていつの間になくなったのか?知ってる人がいたら教えてください(知ったところで何の役にも立たないけど)。

100925-5.jpg

 そんなこんなで何の話かさっぱりわからなくなったので、最後に国道1号大平橋を旧東海道から眺めた写真を載せてオシマイにいたします。
(まさ)
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西三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)
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2km男川上流取水口と写真の石段付き排水口が繋がりました
本日写真の高分子管(株)の石段付き排水口の遺構を散歩中に発見し何とも言えないノスタルジーに頭がクラーとしました。今はレッドバロンの敷地ようですが、日本高分子(株)は今はどこに移転したかご存知なら教えてく。2km男川上流の竜宮近くにも日清紡績の水道取り入れ口があり(遺跡)多分旧日本高分子管(株)への給水路であり、今の日清紡工場への水路でないことがこのブログを見てやっと理解できました。ブログ写真の排水口に石段があるのは2km上流から来た水の工場排水口だと思います。
別の話ですがホタル橋のすぐの下流に馬が3頭、白い子馬が1頭いました。草をやってみましたが何でも食べるわけでないようです。赤まんまの草は美味そうに食べていました。西の空は夕焼けで澄んだ空気が冬の到来を感じさせます。
No title
マニアックな記事にマニアックなコメントをありがとうございます。高分子の行く末は存じません…。

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