FC2ブログ

フナのギラギラ0003

 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」28号が発売中です。今号のキーワードは「明」。わたくし(まさ)はいつもどおり地名&小学校、嫁(まり)は明治維新特集の「官営愛知紡績所」と、発明家の「三河のエジソン」こと加藤源重さんを取材しております。興味のある方は書店で。三遠南信以外でも、ちくさ正文館本支店、名古屋タカシマヤ三省堂、カルコス各店などで販売しているようです。

 で、今回取り上げた地名は、天竜区にある珍地名「船明(ふなぎら)」。船明ダム、国道152号沿いの二本杉(下の写真)、建設途中で放棄された国鉄佐久間線の路盤跡、光明電鉄予定線の廃トンネル…などなど、なんとも地味な名所が揃った集落です。いや、雰囲気のいいところですけどね…。

100920-3.jpg

 ところで今回、船明の対岸に「日明(ひあり)」という集落があったことを初めて知りました。
 道路地図には載ってるし、県道標識にも書いてあるので存在は知っていたのだが、どこか山の上の方に1、2軒あるんだろうと勝手に思ってた。そしたら、昭和52年の船明ダムの建設で天竜川の流路が変わったので全戸移転した、という話を地元の爺さんが教えてくれたのです。うーむ不覚。

100920-1.jpg

 堰堤の真下の砂地が日明集落のあった場所。家が並んでいた山の斜面を削って流路にしたようです。そして、削った土砂で左岸を埋め立て「船明ダム運動公園」が建設されました。ダム湖に沈むのも嫌だが、こういう形で集落が消えるのもむなしい。
 昭和47年から52年までの「広報てんりゅう」に工事の進捗状況がときおり掲載されていますが、風景が劇的に変貌する様には唖然とさせられます。

100920-2.jpg

 ダムの右岸に「日明の里」の記念碑も発見。今まで何度も通っているのに一度も気付かなかった。裏にはこんな碑文が。

--------------------------------------------
「日明の里」の由来

日明部落十七戸八十五名は昭和四十七年二月全員離村を決議して新生の道を選んだ。
元より公共の切なる要請に依るとは云へ星霜七百年連綿護り来りし伝統を今にして断つは情に於て洵に忍び難い。
誰か故郷を慕はざる者あらんや乃ち住民相謀り愛郷の赤心をこの青き巌に罩めて茲に記念の碑を建立した。
今日より後はこの地を「日明の里」と呼び永く吾等が由縁の象徴とする。

昭和五十一年夏日 旧日明部落住民一同

--------------------------------------------

 いやほんと、高度成長期に主役だった世代ってのはロクなことをしませんね。
 こういう悲しい事例を近くでいくらでも見てきているはずなのに、まだ設楽ダムを引きずっている政治と行政の愚かさったらない。
(まさ)

◎フナのギラギラシリーズ
0001→●□
0002→●□
スポンサーサイト



コメント

nao

No title
確かにそうなのでありますが、開発の勢いには逆らいがたかったのでしょう。遠州北部の仕事をしていますが、船明、日明、米沢、伊砂…まったく読めない難読地名が天竜区には固め打ちのようにありますね。どうしてなんでしょうね。平家の落人伝説なんぞと関係があるんでしょうかね? 「そう」でそういう特集をやってませんでしたか?

まさ

No title
確かに北遠は珍地名が多いですね。なんで米沢で「ミナザワ」なのかと。このあたりの話題は「そう」では散発的に出ています。
北遠の仕事、何か分かりませんがうらやましい…。
非公開コメント

MARUKA-DO

----------------------
東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
----------------------
まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

カレンダー

09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月別アーカイブ

全記事表示リンク