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のぎやん0005

 その、開府300年記念の常夜燈が建てられている名駅5丁目の神明社では、こんな石像にも遭遇。

100916-1.jpg

 社名標柱の横に、なんと乃木将軍像が!今まで三河でしか見たことがなく、尾張では初めて。各地で見ているのと同じ立ち姿です。
 なお、岡崎の石材業者が二宮金次郎に次いで普及させた、というのが僕の説。

100916-2.jpg

 建立年は不明ですが、台座の背面には「昭和50年12月修復」の文字が刻まれていました。それまでどうなっていたのか?そして「還らざる社頭の雄姿を偲びて」とはいったいどういう意味か?
(まさ)

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◎のぎやんシリーズ 
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0004蒲郡市三谷→●□

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またまたアイツアーズのブログを更新しました→●□
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コメント

すぎやま

No title
江戸時代にはあのあたりは旧広井村と言って城下からははずれの地区でした。
この神社は花車神明社という粋な名前の神社で、「名古屋開府400年大山車まつり」
にも参加する下花車町二福神車の山車蔵がすぐ隣にあります。
なぜかあの一角だけ戦争での戦災を免れ昔の町並みが残っています。
名古屋駅に近い街中に奇跡的に残った所ですね。
乃木将軍像については、私も以前から疑問に思っていましたが詳細はよくわかりません。
もう余程高齢の方に聞かないと分からなくなってるかも。
そういうことはあちこちにありますけどね。

まさ

No title
神社の横で山車蔵を見ましたよ。
ここから円頓寺にかけてはいいですね。ここ数年、飲食店やカフェや雑貨屋がどんどんできてて面白いです。もっとも、あの界隈で一番気になる店は、神明社の前にある「お城めん本舗」ですが。

nao

No title
戦後の占領政策のなかで、GHQに葬り去られた軍神像は、数知れずあります。
乃木大将像もそのひとつとして、
境内の片隅にでも転がっていたんでしょうね。

中支那方面軍司令官だった松井石根大将は名古屋出身のエリートで、
彼が記した石碑が、中村区の名駅西の椿神明社にあります。
南京虐殺の罪に問われ、あのいい加減な極東軍事裁判でA級戦犯にでっち上げられ、
死刑に処せられた人ですが、
その前後に、あの石碑は近くの池に放り投げられ、沈められてしまったんですね。
ところがほとぼりがさめると、また池から引き上げられ、
元の場所に戻されて、今見る状態になっています。

これと同様な例話は、各地にありますから、
乃木大将の像も似たような経緯で顕揚されるようになったのでしょうね。
泥江村界隈に住み、戦争で肉親を失った遺族が中心になって、再建立したのでしょう。
こうした像を再建立する例は、昭和50年代の戦後30年ブームのなかで湧き起こりました。
何を隠そう、この私も、父を連れて昭和55年、フィリッピンのレイテ島へ赴き、
父の実兄つまり私の叔父がレイテ海戦で戦艦「扶桑」に乗り込んで轟沈させられた海域まで行き、
追悼の花束を海中に投げてきた…という思い出とも重なり、
昭和50年代の戦争回顧大ブームの記憶を手繰り寄せたというワケですね。

いよいよ私も、各時代を語る時代の記憶指標のような役割を演じざるを得ない
年寄りになってきたことを痛感しています。

くじら山こうじ

No title
この像って乃木さんだったの?

まさ

No title
たぶん…。違ってたらスイマセン。
非公開コメント

MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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