道路元標の迷宮0004

2010年08月07日
 昨日、右耳にできた水ぶくれを潰してもらいに近所の耳鼻科に行ったという話を書いたが、医師の指示で今日もまた診てもらいに行ってきた。昨日同様、テンションが高いそのお医者さん、耳を見せると「ありゃー!たった一日でもう水がたまったかー!」って、治ってないのかよ!
 彼が続けた言葉に卒倒しそうになった。「うーん、こりゃもう、切っちゃうか!メスで!」って、こっちがうーんだ。
 またまた痛い麻酔注射を打たれ、メスを一振り。そしてまたも卒倒しそうな一言が。「今ね、軟骨むき出しになっちゃってるからね、軟骨が」。軟骨むき出しって!さらに術後30分間、化膿止めの点滴を打つことになり、診察台の裏にあるベッドへ。たかが水ぶくれのはずが、なんでこんなおおごとになっちゃったのか…。
 しかおおごとはこれだけで終わらなかった。家に帰って本を読んでいると、ガーゼを当ててカイジ状態の耳が、なんか冷たい。指で触ってみると、ん?血!?嫁がやってきて「ちょっと、血だらけだよ!」と絶叫して、惨状にようやく気付く。おおごとに拍車がかかっとるっちゅうねん。
 あわてて医者に戻るとすでに血は止まっていたみたいだが、よりきつく耳をガーゼで覆われることになってしまった。うーん。
 僕の姿を見た嫁いわく「ゴッホみたいだね」。おお、それはよいたとえだ。漫画のカイジは、バクチ狂いのクズだからなあ。これからは自称ゴッホでいきます。
 あ、でも、ゴッホが耳を切ったのって精神病になったからだっけ。ゴッホ状態の筆者(精神状態のことではありません)の今後に、乞うご期待!

 そんな話はどうでもよくて、昨日、道路元標のことを書いたついでにネットで検索してみたら、僕がここに書いた文章(→●□●□)を参考にして探しに行ったという奇特な方のブログを発見した。僕が制作に関わり、半分趣味で道路元標を地図にプロットした「島根県の歴史街道」(樹林舎刊/2006年)もチェックしておられるようで、ありがたいことです。
 その方のホームページも見ていたら、三河で僕が見落としていたのもいくつか載っていた。うーん、僕もまだまだですなあ。
 で、そのうちのひとつ、豊田市の西外れにある保見町の「保見村道路元標」を、今日の夕方たまたま保見に行く用事があったついでにチェックしてきました。

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 保見村道路元標は、愛環保見駅近くに3年前に開館した「豊田市保見出張所/交流館」の敷地内にありました。しかし、5年ほど前に地区内を探し回ったときには確かになかった。旧支所敷地内にも置いてなかったのに、なぜ急に出現したのか?
 と思ったら、傍らに経緯を記した紙が貼ってあった。それによると「平成17年に伊保川に架かる大井橋の下流約100mの川底に埋もれていたものを、子どもたちが川遊びをしていて、偶然見つけたものである」。
 こいつは驚いた!よくやった小学生!見つけたのもすごいし、それを然るべき大人に報告したのもすごい。そして関係者も、価値を見極めてよくぞ保存を決めてくれた。豊田市は、市役所内某部署の対応は最悪だったけど(2005年の話)、教委はしっかりしていて、本当にいい仕事をしてくれます。豊田市郷土資料館にも挙母町道路元標を移設保存してるし。
 それにしてもなぜ、川底にあったのか?解説文によると「伊勢湾台風の洪水で流された」らしい。本当かな?地表に見えている部分は1メートルにも満たないけれど、実は埋まっている部分も含めるとかなりの丈があります。折れて流れていったのだろうか。にしても、流れていってしまうほどの洪水が発生したのだろうか。
 まあなんにしても、保存されてめでたしめでたし。

100809-2.jpg

 ちなみに当初建っていたのはこのあたり。県道58号から北へ100mほど入ったところで、旧保見村役場のあった場所です。
(まさ)
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西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
保見村道路元標
時期や場所はわかりませんが、一時期この様な状態で倒置されていた様です。
http://turkey.6.pro.tok2.com/genpyo-a.html
No title
私は私で、また、奇妙なものを大阪にて発見。以下に詳報!

http://photozou.jp/photo/show/359431/47080256

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