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西三の弘法

 弘法大師といえば、今年に入ってから西三河と豊川・蒲郡にまたがる霊場、三河新四国も回っています。いったい何をやっているのかという感じだが、直伝も三河新四国も、通りがかりに寺があったら寄る、という程度の熱です。
 愛知札所めぐりという素晴らしいサイトによると、三河新四国の開創は寛永2年(1625)とチョー古い。一時期途絶え、昭和39年に再興されたそうです。特徴は、一か寺で二つの札所を受け持っている例が、半分くらいあること。つまり、範囲は広いが手間は半分。事情は調べてませんが、無住になった寺が多かったか、小さな御堂をルーツとする札所が多かったか、そんなところでしょう。

 三河も回ってみようと思い立ったのは、知多四国のように「弘法道」(→●□●□)が存在したかどうか、証拠となる道標がどこかにないか調べたかったからです。こちらの方は、10ちょっと回って早くも感触がつかめました。三河新四国の弘法道は、たぶん、ない。

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(碧南市大浜、三河新四国79・80番清浄院/明治37年)

 そのかわり、こちらでも「碧海郡新四国」なんてマイナー霊場の存在を証明する標柱が出てきてしまった。う~ん、もう知らん。どうせ「額田郡新四国」や「幡豆郡新四国」も出てくるんだろう。
 さて、これまで地元・西三河の寺というと、知立の遍照院(→●□●□)をはじめ岡崎の大樹寺、滝山寺、足助の香積寺、吉良の小山田観音、幡豆のカボチャ寺など、メジャーどころしか行ったことがなかったのですが、三河新四国を回るおかげで、地味だけどナイスな寺に出会え、地元再発見!てな感じです。

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 そのひとつ、碧南市天王町の87・88番札所法城寺。碧南中央駅南西の古い集落の中にあり、小さいながらもあふれんばかりの緑に包まれた、実に心地のよい寺です。
 こちらでは、こんな石造物を発見しました。

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 明治44年に、名古屋の旭廓にあった「長寿楼」の林長十郎と妻らくが寄進した、天水桶です。天水桶とは、屋根を流れて雨樋を伝ってきた雨水を溜めておくもので、寺の本堂や神社の拝殿前の両脇によくあるヤツ。そして旭廓とは、明治初年から大正時代まで大須にあった遊廓のことです。
 実は、旭廓の妓楼経営者が寄進した石造物は、知多四国の寺や弘法道でけっこう頻繁に見かけます。そういう商売を営んでいたことへの罪滅ぼしか、あるいは娼妓の健康や幸福を願ったのか、こうして仏にすがっていたらしい。
 お庫裏さんに聞くと、法城寺は明治時代初期に尼寺として開創されたそうで(現在は男性住職)、女性の信仰も厚かったのでしょう。当時の時代状況がおぼろげに見えてくるようです。

 そういう話も大いに興をそそられますが、今のところ僕が解明したいのは、巡拝者の辿った道筋。今ふと思いついたが、「女性のみの弘法道」ってのもあったのではないか?
 知多四国で女性の信仰が篤い寺といえば、共和の円通寺、荒尾の清水寺、阿久比の洞雲院、内海の大宝寺。これらを回ったあと、半田か亀崎から船で西三河に渡り、法城寺へ…。おお、ルートができた!(できません)

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 なお、天水桶の後ろに見える壷みたいなヤツは、例によって近代名古屋の代表的奇人・伊藤萬蔵の寄進物(→●□●□)。この人もあっちこっちで何をやっているんだか…。
(まさ)

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執筆・撮影・地図ディレクションを担当した「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎/1500円)。知多四国八十八ヶ所めぐりに好適の一冊。ぜひ書店や札所寺院でお求めください。
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MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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