第三の弘法

2010年06月08日
 弘法大師といえば、今年に入ってから知多半島のもう一つの霊場、直伝弘法を回っています。知多四国の公式本に関わった人間が直伝さんを回ってていいのかと思わなくもないが、研究のためだからご勘弁ください。

100608-5.jpg (東海市養父町 直伝85番玉林寺)
 
 直伝弘法は大正14年(1925)、当時の四国八十八か所霊場の会長だった75番善通寺貫主から「四国直伝証」を拝受して発足。基本的には知多四国とダブらないように札所が置かれています(ただし3寺院だけかぶってる)。
 大正時代は、全国各地に××八十八ヶ所や△△三十三観音が誕生し、いわば霊場ブームの時代。直伝さんはその流れの中で成立した霊場で、その中で最大規模のひとつです。文化6年(1809)に開創した知多四国のフォロワーとはいえ、すでに日本有数の霊場が確固たる地位を築いていた地に、もうひとつ霊場ができてしまうというのが知多半島の奥深いところ。

 そんな直伝さんをなぜ回ってみようと思い立ったかといえば、ひとえに知多四国の巡拝路“弘法道”(→●□●□)の調査を完璧にしたいからです。
 徒歩時代の知多四国の巡拝者は、正規の札所寺院でなくても、弘法さんを祀る寺や御堂に立ち寄ってゆく慣習があったといいます。実際、知多四国と無関係の寺院の門柱に「ウチへ寄ってって」と誘導する文言が刻まれている例もあります(これもそのひとつ→●□)。
 となると、今までノーマークだった直伝さんの札所寺院に、もしかすると“弘法道”に関連するような未発掘の道標があるかもしれない!

 まあ、要はつまり、マニアックな石造物を求めてという、実に研究者魂あふれる動機なのであります(いったい何者?)。

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 ここからが本題。
 少し前、常滑市の榎戸にある直伝70番龍雲寺に行ってみました。知多半島で唯一の黄檗宗(おうばくしゅう)寺院です。宇治にある黄檗宗本山の萬福寺へは4年ほど前、嫁の取材に同行したことがあり、中国語読みのお経が大変印象深いお寺でした。
 こちらでは、弘法大師像が参道脇の別堂に安置されています。

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 中を覗くと、いや拝むと、大師像が二体。複数の大師像を安置している寺は珍しくなく、それどころか千体弘法ってのもあるくらいなんで、最初は特に何も疑問に思いませんでした。
 しかし、納経所で御朱印をいただきながらお庫裏さんと話が盛りあがったところで、衝撃の発言が。

「2体あったでしょ?ひとつは直伝さん、もうひとつは本四国写しの弘法さんで…」

ちょっと待った、本四国写しって何それ?
 僕の食いつきが異常にいいことに驚いたお庫裏さん、詳しいのが奥にいるからと、住職を引っ張り出してきました。住職いわくこれは知多四国、直伝弘法と並存していた、知多半島全域の霊場とのこと。2つあるだけでも凄いのに、なんと知多半島には「第三の弘法霊場」が存在したのだった!

「いや~、私もいろいろ調べたんだが資料が全然なくてね…」

 ということでちっとも詳しくなくて開創年すら不詳だったものの、昭和54年に阿久比の人が調査したリストをコピーしていただきました。
 そのリストによると、1番が南知多町の岩屋寺奥之院から始まって、2番が河和の全忠寺、3番が乙川の法蔵寺…という具合に道筋など無視して半島のあっちこっちに飛びまくり、86番の大高の明忠院のあと、87番が八事の高照寺、そして打ち止め88番が八事興正寺。
 知多四国では、88か寺すべて回ったら、四国八十八ヶ所にに対する高野山に見たて八事興正寺へ「お礼参り」をするというのが定番とされてきたのですが、この「本四国写し」とやらは、最初から八事興正寺を札所に組み込んでいるという点で画期的です。いや、画期的かどうかはわからんが。
 「本四国写し」は、多くの直伝さんの札所とかぶっており、知多四国の札所も5か寺が参加しています。また、これにだけ加わっている大寺院もあり、3つの霊場を回れば知多半島の主だった寺院がすべて押さえられるという按配。う~ん、凄いというか、そこまで八十八ヶ所めぐりで盛り上がる知多半島って、いったいなんなんだ。

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 帰りにもう一度拝んでゆくと、「本四国写し三十四番」(左)と、「直伝弘法七十番」(右)と記された木札が添えてありました。当然ながら顔つきも違ってて、本四国写しのほうがやや柔和な感じ。
 
 のちに、本作りで世話になった先生や知多四国の住職に聞くと、当然ながら「本四国写し」の存在は知っておられました。ただ、やはり資料をほとんど見かけたことがなく、霊場に活動実態もないことから、誰もそんなに調査研究していない模様。
 いつも世話になっているご住職には「知られざる霊場なんてもっともっとあるし、手を出すと収拾がつかなくなるから、あんまり深く追求しないほうがいいよ」とのアドバイスをいただいた。まあ、確かに、調べ尽くしたところで何か重大なことが明らかになるとも思えません。けど、一度知ってしまったものをそのまま放り投げてしまうのは、マニアとしてのプライドが許さないのである。

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(東浦町緒川の直伝13番東光寺で発見した「東浦二十一大師13番札所」の標柱/明治37年)

 しかしさらに調査を進めると、各地の寺や参道で「東浦二十一大師」とか「知多西浦二十一弘法」とか「高野山御分身弘法大師御母公奉安霊場」とか、わけのわからない標柱や道標がどんどん出てきてしまった。そんなわけで、研究は早くも混迷状態に陥っております。う~ん。
(まさ)

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執筆・撮影・地図ディレクションを担当した「2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎/1500円)。知多四国八十八ヶ所めぐりに好適の一冊。ぜひ書店や札所寺院でお求めください。
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知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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