タンパチさん

2010年05月24日
 以前、笠寺のことを書いたら「石川丹八という人が作った丹八山公園が面白いですよ」とコメントをいただいたことがあります(→●□)。土曜日、出版社の I さんとカメラマンさんとで名古屋市内の辺地を闇雲に徘徊していた途上、その丹八山公園を知ってる I さんが「これは見とくべき!」と言って、連れてってくれました。
 丹八山公園があるのは南区鳥山町2丁目。名鉄本線の本星崎-本笠寺間のちょうど中間あたりの西側になります(YAHOO地図だと「善東寺」左上の緑のところ)。
 とりたてて特徴のない南区的な住宅地の中へと入り込んでゆくと、ポコンとした小さな山が唐突に現れました。その山ぜんたいが丹八山公園になっています。

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 公園の登り口には「完平泰社」と大書された板碑がデン!どういう意味かと考えたら「官幣大社」(神社の位のひとつ)の当て字…なの?いきなり妙な空気が漂い始めます。
 階段の途中にいくつも石碑が建ってて、あやしい雰囲気がプンプン。平たくなった山頂まで登ると…

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 そこにはおびただしい数の石碑が!こ、これは凄い。凄すぎる。石碑マニアの僕も、この量にはただただ唖然とするばかり。
 そしてまた、どれもこれも奇妙としかいいようがない代物。記念碑ではなく歌碑の類でもなく、なんというのか、この山がいかに凄いかをアピールする広告宣伝的な感じ?

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 一例を挙げると、例えば上の碑文は「丹八山とハワイ真珠湾は同土なれば、ハワイ国王の娘の養子に日本皇系を奉迎せんと、明治14年使節が丹八山の加具土社を念じ、東京に参願、不調となった」…???
 下は「尾張三名山/犬山 桃太郎鬼が島より宝引く/小牧山 伊勢の海曳馬山見て帆巻山/丹八山 浦島太郎蓋を開けない玉手箱」…???
 この公園を整備したのは麓に住む石川丹八郎なる人物で、石碑はすべて石川丹八郎が建立したものとのこと。いったい何なのかこれは…。

 で今日、たまたま岡崎のりぶら(図書館)に行く用事があり、何の気なしに名古屋関係の郷土本コーナーを眺めていたら、なんと石川丹八郎が書いた笠寺の郷土史を発見しました。タイトルはそのまんま「郷土史」で、昭和58年の発行(しかしなぜ岡崎の図書館に?)。
 本書によると丹八郎は明治26年生まれ、昭和54年没で、刊行前に丹八郎が死んでしまい、息子の石川来民造という人が書いた序文に、丹八郎がどういう人だったか記されていました。

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生涯易を趣味として観るかたわら郷土の文化・教育を重んじ、郷土に伝わる「伝説」「昔話」や「歴史上の人物」「功績を残された人々」等を調べた。
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 ああ、なるほど。なお、翁の子孫と思われる方が「石川丹八郎」の名を受け継ぎ、この近くで易者をやっておられるようです(HPあり)。
 石碑の乱立ぶりからもかなりぶっ飛んだ人だったことが窺えますが、この「郷土史」もまったく同じで、内容に取り止めがなさすぎて読むのに一苦労でした。難儀して読み解いてようやくわかったことは、以下のとおり。

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・丹八山はもともと、鳥居山という名前だった
・太古よりたびたび歴史的出来事の舞台になった、笠寺村史上、いや日本史上とても重要な場所
・戦前、戦後を通じて丹八郎翁が顕彰活動に励む
・昭和26年、「丹八山」と名付ける
・丹八郎翁が桜を植樹し、観光名所になる
・近所の菓子屋が「丹八最中」を販売、名物になる(なんと写真も掲載)
・昭和29年、市バスが丹八山まで延長される
・昭和31年、名古屋市によって正式に「丹八山公園」となる

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 丹八郎翁は土地の有力者や名古屋の政界にもパイプがあったらしく、ここの観光地化や市バスの運行もそうした人の働きかけによるものらしい。
 それにしても、自分の名前を付けてしまうなんてどういう事?「丹八」という名前自体になにか意味があるのか?そこらへんの経緯を本書では説明してないのがもどかしいし、それがわからないと、郷土の偉人なのか単なる奇人なのか、どうにも判断しかねますが…。
 ただ、本人に変わり者としての自覚はあったようで、「星崎の三奇人はあいつとあいつと丹八郎なんて言われているけど、俺が一番さ!」なんて一文も出てきます。
 
 また、多芸多才な丹八郎翁は作詞作曲もやっており、「郷土史」の巻末には笠寺節、笠寺おけさ、笠寺甚句、笠寺小唄、本星音頭など翁作の歌が楽譜付きで一挙掲載されています。凄い、凄すぎるよ郷土愛!
 そして自己愛も相当なものだったんでしょうか、きわめつけは「丹八節」。

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丹八節 作詞・作曲/石川丹八郎

ヤミノテンチヲアカルクテラス(闇の天地を明るく照らす)
テラスアサヒニカガヤクハ(照らす朝日に輝くは)
ヒノモトノキクノゴモンニヒノミハタ(日の本の菊の御紋に日の御旗)
ナゴヤオシロノキンノシャチ(名古屋お城の金の鯱)
タンパ タンパ アンケラケンノ パンパ マタパンパン
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♪はぁ~、またパンパン、ってなところで、この人物を研究するのはかなり骨が折れそうなので、誰かお願いします。
(まさ)
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名古屋雑 | Comments(3) | Trackback(0)
Comment
丹八山
丹八山、ついに行かれましたか。まぁちょっと歴史の知識のある方はおどろきますよね。
名古屋市には各区に「生涯学習センター」というのがありまして、そこの講座で名古屋の歴史を研究されてる方の講座を受講したことがあります。
最後に実地見学が市バスを貸し切ってあったんですが、その講師の方が笠寺観音の説明をされ、丹八山の件にも触れられたんですが、
例の石碑に関して「大変困っている、何度も抗議をしたけど言う事を聞いてもらえなかった」と言っておられました。
そりゃそうでしょ。なんの根拠もない言ってみればとんでもない石碑ばっかりなんですからねー。

春には桜の名所で、満開の時期には場所取りで大変なんですが、普段はだーれも行かない山ではあるんですが、近くの小学校が校外学習で行ったりすることもあるようで、やはりコレは問題ですよね。
昨今の冷めた小学生が信じてしまうようなことは無いとも思いますがねー。

他に余談ですが、笠寺からちょっと北になるんですが「長楽寺」というお寺も注目スポットです。
旧東海道から狭い道を入るんですが「伊藤萬蔵」の石碑が建っております。
内容についてはコメントを控えます。
もう、嫌…
岡崎図書館で発掘ですか…
また、凄いもんが出てきましたね。
おそらく丹八郎氏が寄贈されたに違いありません。
参りました。
でも、その奇人のエネルギーがどこから湧いたか…
それだけは知りたいものです。
No title
すぎやまさん→
「何度も抗議をしたけど言う事を聞いてもらえなかった」っていううのは最高ですね。やっぱりただの奇人でしたか…。
長楽寺は、半年ほど前旧東海道をブラブラ歩いたとき、マンゾーの標柱に釣られて行ったことがあります。確か、観音堂まではまあよくある雰囲気だったのが、奥へ進むと中国風の珍妙な石仏がゴロゴロしてて、珍スポットな雰囲気を漂わせてました。
住んでる人にはアレですが、南区、なんかあやしいっす…。

naoさん→
そう!奥付に「丹八」のハンコが付いてありましたわ。本人は発刊前に亡くなったので、息子が寄贈したんでしょうね。

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