河野っち

2017年10月31日
 もう一つ安城の神社系ネタ。
 安城徘徊の途上、県道幸田安城線沿いの河野町を通りかかったので、何とはなしに神明宮に立ち寄ってみました。河野町は矢作川の美矢井橋近くにある農村集落で、もとは碧海郡矢作町だったのですが、岡崎市にくっついた矢作町から離脱して安城市に入った地域になります。
 その神明宮で、なかなか凄い石モノを発見。

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 参拝前に手を清めるための「水盤」です。なんと豪快な造形!水の溜まる場所の面積は狭く、使い勝手より形重視なのが凄い。寄進者が石工に「凄いの頼むぜ」と発注したのでしょう。


(高棚町・神明神社)

 スタンダードな水盤はこういう箱型です。これはこれで好きだけど…。



 あまりに凄いので、違う角度からも。船みたいな形をしており、舳先にあたる部分に「御大典記念」の文字。建造は昭和3年です。



 凄い凄いと連呼したところで誰からも共感を得られなさそうなので、隣りの村高町にある大クスの写真でも…。矢作川の堤防際に聳え立っています。
(まさ)
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のぎやん0011

2017年10月30日
 そんなわけで、とある取材で安城市内の集落を久々にきめ細かく回ってみたところ、あちこちで乃木希典像に遭遇しました。乃木希典は日露戦争の英雄とされる人物で、戦前に軍神として崇拝され、方々に像が建立されています。特に三河ではやたらと乃木像に出会っており(金次郎石像を全国に普及させた岡崎の石材業界によるものか?)、安城市内ではこれまでに高棚町の神明神社(→●□)で見つけていました。

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 古井町、古井神社境内の乃木像である。

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 城ヶ入町、白山神社境内の乃木像である。

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 福釜町、神明神社門前の乃木像である。これは昭和11年に建造されたもの。
 こんなに頻繁に見つかると、安城市内であと数体はありそうな感じです。まあ、今回の三体はいずれも偶然の出会いで、熱心に探そうという気はありませんが…。

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 ちなみに福釜神明神社門前の乃木像は、ものすごく立派な忠魂碑の敷地内に立っています。大正9年の建立で、おそらく岡崎の石材業者が建立した物と思われますが、銘はなし。

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 しかし、右寄り政権の御時勢に軍国主義を象徴する人物像に注目しているとそっちのシンパと思われそうですが、ただの石造物調査なので誤解なきよう。僕が知りたいのは、これらを作ったのが本当に岡崎の石材業者なのかということと、造形から何か傾向が見出せないかということです。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0358

2017年10月28日
 ここのところ、とある取材で安城市内を頻繁にうろつきまわっておりまして、徘徊中に見つけたカンバンをいくつか。

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 箕輪で遭遇したカンバン群。木造倉庫にブリキカンバンがベタベタ貼りまくられている光景も少しづつ減っていますが、安城の農村はまだけっこう健在です。ここは、仏壇、薬局、小山田地蔵と、生き死にや身体に関わるモノばかりで構成されているのが見事。

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 この中の一枚「桜町動物病院」のカンバンは、碧海エリアでよく見かける一品。病院は森永工場の近くで今もやっておられます。

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 記載されている地図がたぶん40年くらい前のもの。40代以上のネイティブ安城市民なら懐かしいのではないでしょうか。わたくしは岐阜出身なので別に…。
 安城公園の一角に図書館が記されていますが、ここにあったのは昭和60年(1985)まで。このあと市街南部の城南町に移り、さらに今年6月、安城駅近くの「アンフォーレ」に移転し、碧海のナンバー1図書館に踊り出ました。この図書館の来歴は、なぜかwikiにチョー詳しく書いてあります。ヒマな人がいるものだ(人のことは言えない)。

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 こちらは市内某所で発見(ホーローカンバンは持っていく奴がいるので内緒)。地図に載っている森永製菓の工場では、むかしケチャップやスープが作られていたらしいです。
(まさ)
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SENBEI & ショーケース

2017年10月27日
 その磯部温泉の名物は「磯部せんべい」で、市街中心部を中心に14軒ものメーカーがあるそうな。かんぽの宿でお茶請けに出た磯部せんべいがとても美味しかったので、翌朝、買いに行ってみました。

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 温泉街に軒を連ねる煎餅屋で、我々が選んだのは「栄泉堂」というお店。決め手は言うまでもなく、味わいのあるカンバンです。

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 磯部せんべいは、小麦粉と砂糖が原料の甘い煎餅です。素朴な甘さと適度な硬さで、老人から幼児まで幅広い層が楽しめる銘菓。愛知県の人には、高浜の岩月製菓の「カルルス」(→●□)とだいたい同じと思ってもらえればいいでしょう(知らない人はスーパーへ)。

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 こちらの店では店先で手焼きしているところを通りから眺めるとができます。見せていただいた型が超絶シブい。

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 磯部せんべいの最大の特徴は、磯部温泉の鉱泉水を使っていることらしい。試食にいただいた割れせんべいを店の間で一気に貪り食った6歳児も興味津々。
 で、本来なら焼いているところも6歳児に見せてやるべきですが、行った時間が早かったのでまだ作業は始まらず、お土産だけ買い込んで磯部をあとにしたのでした。

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 で、その店内には曲面が美しすぎる見事なショーケースが。しかも下部をよく見ると、これ、常滑製のタイルではないか?以前、INAXライブミュージアムの方にタイルの歴史を伺った際、このようなマーブル模様は伊奈製陶が開発したという話を聞いたような覚えがあります。
 地元に帰ったら探ってみたいので、と撮影を願い出たところ、「店内を撮らせてという人は多いけど、ショーケースのタイルを撮らせてという人は初めて」と言われたのであった。
(まさ)
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タウンアーチの先へ0054

2017年10月25日
 今回の群馬遠征の宿泊地は、安中市の磯部温泉のかんぽの宿にしてみました。群馬で温泉といえば伊香保、草津、四万あたりが超メジャーで、東海地方の人に磯部温泉はほとんど馴染みがないかと思います。私らも行くまで存在を知りませんでした。
 信越本線で高崎から四駅目の磯部駅前にある温泉街で、信越本線が軽井沢まで延長されるまでは避暑地として文人墨客に人気だった…とかなんとかいう説明をパンフか案内板で読みましたがうろ覚え。

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 宿に入ったのが暗くなってからだったので、翌朝、温泉街を散策してみると、磯部駅前で歓迎アーチに遭遇。この昭和テイストな一品だけで、この温泉の好感度はグンとアップです(泉質とかには特に興味がないもんで…)。
 気になるのは「愛妻 湯の町」のキャッツフレーズ。

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 駅前ロータリーには偉い人の文字っぽい「恐妻碑」なる石碑も。うーむ、なんとなく元ネタがくだらなさそうな香りが…。なので深く調べずスルーすることにいたします。

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 あと、この磯部温泉は♨の発祥地としても有名らしく、こちらは地図マニアとして見逃せません。万治4年(1661)に起きた土地争いの関連文書にこのマークが書かれていたとのこと。逆さにしたエノキダケや撃ち落とされて落下する火星人の絵ではありません。

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 ♨街は、中心に巨大ホテルがどかんとそびえ立ち、その周囲に5軒の中規模ホテルと小さい旅館が並ぶという陣容。駅と旅館密集地の間に♨名物のせんべい店やスナック・飲み屋・食料品店が軒を連ねており、小ぢんまりしながらも昭和の♨街ぽいシブい風情をとどめています。川のほとりの♨ですし「1/80スケールの下呂♨」といえば東海地方の人には♨分かりやすい♨かもしれ♨ません♨♨♨♨♨

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 そんなの♨街の片隅に、例によってHINOMIが!
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0357

2017年10月22日
 もうひとつ群馬の鉄道ネタ。
 翌日は午前中かけて富岡製糸場を見物したあと、富岡市内を走る上信電鉄に親子で乗りたかったのだけれど、時間の制約もありやむなく一駅だけチェックしてみました。
 上信電鉄は、ダルマで有名な高崎とコンニャクで有名な下仁田を結ぶローカル私鉄で、5年前に初めて乗りました(→●□●□●□)。そのとき車窓から眺めた駅舎はどれこれも激シブ物件で、次に来る時は駅をめぐってみたいと思っていたのです。
 昼飯を食べる場所を探しつつテキトーに寄ってみたのは、富岡の中心部から西へ車で10分ほどのところに位置する上州一ノ宮駅。

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 シブい、シブすぎる!卒倒!これも世界遺産に登録したらどうなんだ!

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 6歳児も興奮…するわけはなく、駅に来たのに肝心の電車に乗せてくれないとはどうゆう事?と父を見る目つきが厳しいのであった。なお、母は興味がないので車の中で待機しておられます。
 駅舎の中には、実に群馬らしい味わいのあるカンバンも。

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 群馬名物「上毛かるた」の札をあしらった、上野国一宮である貫前(ぬきさき)神社の案内板です。上毛かるたは、群馬の歴史・名所・名物などを盛り込んだ昭和22年誕生の教育的玩具で、今も盛んに活用されており群馬県民でこれを知らない人はいないとか。
 神社は駅からすぐだというので、ついでに行ってみました。

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 これがなかなか凄い立地で、駅の北にある山の上にあるのですが、山門をくぐると社殿への長い階段が下に伸びています。こんな神社も珍しいのでは。似たような例を地元の愛知・岐阜で挙げると、岡崎の福岡にある土呂八幡宮くらいでは。

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 いちおうは親の趣味に付き合ってくれる6歳児ですが、おみくじ引いただけですぐに帰りたがった。仕方ないので、隅々までじっくり拝観する母を残して上に戻り、門前の公園で要望どおりキャッチボールをして差し上げました。
 何しろ6歳児の最近の口癖は「いっつもおとうさんとおかあさんのいきたいところばっかり!」なので…。
(まさ)

上州ネタ関連→●□●□●□
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鉄道名所の町

2017年10月21日
 先月半ば、取材&家族レジャーで五年ぶりに群馬県へ。取材の目的地は、安中市の旧松井田町にある現役製糸工場と世界遺産の富岡製糸場だったのですが、旧松井田町に来たついでに横川にも行ってみました。横川は鉄道難所として知られた信越本線碓氷峠越えの基地だったところです。

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 横川に来るのは、甲子園の出場回数風にいうと20年ぶり三度目。前回は職場の先輩と共に来て、まず廃止直前の横川-軽井沢に乗り、そのあと高崎競馬(平成16年に廃止)に行くという、暇人の極みみたいな旅だった…。

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 信越本線は横川止まりになってしまったのに、有名な「峠の釜めし」がまだ駅弁として販売されていたのには驚いた。過去に二度むさぼり食った峠の釜めしを、時を経て息子もがっついて食べたのには思わず感涙(オオゲサ)。
 なお、釜めしの陶製容器は、美濃焼(高田焼→●□)かと思っていたら、底の裏に「益子焼」と書いてありました。

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 駅の先にあった横川運転区の跡地には「碓氷峠鉄道文化村」というミュージアムが整備されていました。かつて中部天竜にあった「佐久間レールパーク(→●□)」を5倍くらいの規模にした施設です。
 午前中は製糸工場の取材に付き合わせた6歳児を遊ばせるにはもってこい。展示車両が多くて、6歳児も大興奮だ!ただ、テンションがあがりすぎて立ち去り難く、想定より一時間以上も余分に滞在するハメに…。ちなみに、6歳児の興味をいちばん引いていたのは、お座敷列車の畳敷きの車内。

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 かつての運転区の建物を活用した鉄道資料館内にも興味深い資料が数多く展示されていましたが、特に気に留まったのは「日本国有鉄道案内図」。遠江二俣から水窪に通じる天竜本線の末端区間、水窪-池島間が愛知県に入っている!あと、二俣線宮口駅と飯田線三河大野駅を結ぶ遠三線が、本長篠駅接続になっている!
 う~ん、細かすぎて実にどうでもいい。

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 横川見物の締めは、信越本線旧線のレンガ造り橋梁「碓氷第三アーチ」。あと、旧熊ノ平駅跡にも寄ってみました。マニアな親子らしく鉄道名所ばかり…。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

ため池のベルが鳴るとき0002

2017年10月20日
 先日、友人家族とはじめて南知多グリーンバレイに行ってみました。アスレチックやバンジージャンプやボールプールやバーベキュー場がある家族向けレジャー施設で、子供がいなかったら一生行くこともなかったようなところです。
 内海の奥地に広がる里山の地形を活用してアスレチックコースが整備されているのですが、コースの後半がこれまた実に知多半島らしくて驚いた。

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 なんと、灌漑用の溜め池の中にコースが設けられていた!しかもこの溜め池、地形を最大限利用するため二段構えに築造されており(つまり上下に二つの池がある)、堰堤の斜面や堰堤上がルートになっています。

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 わざわざ溜め池の上に組み立てられた遊具を楽しむ一児の父(わたくし)。6歳児は一部の遊具で「おちちゃうヨ~!もうヤダー!もどる~!」とマジ泣きしていた。臆病な幼児には難易度が高いかもしれません。

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 景観的にもなかなかのもの。この味わいがわかるようになれば立派な知多半島マニア。知多半島で美しいのは海だけではないのである(わかりにくい)。

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 そして、知多半島の溜め池でよく見かける農業基盤整備事業の表示板もありました。今池というらしい。
 どうでもいいですが、「グリーンバレイ」とむかし内海の礫浦の上にあった「フォレストパーク」がごっちゃになって、たまに言い間違えてしまうのは僕だけではないはず。僕だけ?
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

熊野市内の国道42号の現在

2017年10月19日
 そんなわけで一泊二日の熊野奥地めぐりを終えて三重県熊野市に戻りまして、帰りのルートは国道42号の矢ノ川峠(やのことうげ)を久し振りに越えて尾鷲まで行くことにしました。熊野市から尾鷲市までは、2013年に国道42号バイパスの自動車専用道路「熊野尾鷲道路」が開通して大変便利になったのですが、地位を追われたもとの国道42号はどうなったかなと思って。

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 何年かぶりに走ってみて愕然。あれほど交通量の多かった道なのに、稀にしか対向車に行き合わない!

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 沿道にあった道の駅「熊野きのくに」は閉鎖!先日ちらっと触れた、某省の地方局が発行していた広報誌にここの紹介記事を書いた覚えがあるのだが…。取材した店が潰れることはちょくちょくありますが、道の駅が営業をやめた例に遭遇するのは初めて。

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 こんな状態ですが、三重交通の路線バスはまだ生き残っていてやれやれ。終点の大又大久保バス停です。
 国道42号を走るこの路線はのルーツは、紀勢本線開通以前に熊野と尾鷲を結んでいた国鉄バス紀南線の一部。小学生のころ、家族旅行の海水浴でこちら方面に初めて来たときはまだ国鉄バスが運行しており、車窓にこのバス停を見て興奮した記憶があります。これ以後、鉄道路線だけでなく国鉄バス~JRバスにも執着するように…って、それはどうもでいい。

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 夏の終わりの山里の、夕暮れ時の寂しさにしんみりしたところで、熊野シリーズはオシマイ。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

熊野古道大日越における道路としての見どころ

2017年10月18日
 前回最後のカンバンで触れた熊野古道の「大日越」は、メジャーな道だけあってさすがに雰囲気がよく歩いてて心地よかったですが、マニアとして道そのものも楽しめました。というのはこのルート、大自然の中のトレッキングコースというわけでは全然なく、旅行者が歩きやすいよう人の手が入っている(もちろん昔の人の)ことがところどころでわかるからです。

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 年季の入った階段である。

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 美しいつづら折れである。

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 豪快な掘り割りである。

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 尾根近くの斜面に開かれた、安心感のある平坦な道である。右は磨崖仏。
 こうした昔の道路建設の痕跡は他の古街道でも見られますが、往来が盛んで整備も行き届いている熊野古道では元の形状がよくわかるので、観察に適しているといえます。などと言いつつ、僕が大日越の他にまともに歩いた熊野古道の区間は熊野市街近くの松本峠くらいなので、全体的にどれほどのものかはよく知りませんが…。

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 ちなみに西側の登り口の起点の湯峰温泉は、狭い谷あいに宿が連なるシブい温泉。湯の温度が高く、散歩しているだけで熱気がまとわりついてくるほど。わたくし、実は温泉にさほど興味はないのですが(汗が流せりゃ湯なんざなんでもいいというタイプ)、この温泉は雰囲気込みでなかなかの好印象でした。
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0356

2017年10月14日
 その旧本宮町、旧熊野川町で発見したカンバンをいくつか。

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 瀞郵便局付近から北山川を2キロほど下った下地集落(旧熊野川町)の、国道169号旧道沿いに残るバイパス建設促進アピールカンバン、の残骸。バイパスが開通したので不要になったものだが、なぜ全部撤去しないのか?

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 このカンバンが残されている場所。下のトラス橋が旧道、上の高架橋が新道になります。

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 旧熊野川町の役場があった日足集落で発見したカンバン。熊野川流域でいくつか見かけたが、道路標識まがいの形状、アピール文言の内容、誰に対しての訴えかけなのか、そしてVマークを背景にしたウサギ、すべてが謎。

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 雄大な熊野川と日足集落を眺めながらこのカンバンの意味を考えてみたが、何も思い浮かばないのであった。

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 旧本宮町の湯峰温泉近くで見つけた熊野古道の色褪せた案内板。日本最古の温泉ともいわれ湯垢離の参詣者でにぎわった湯峰温泉から熊野本宮大社に続く「大日越」の登り口にあります。昭和57年に文化庁の助成金で本宮町が設置したもののようですが、この時は熊野古道ではなく「熊野道」という呼称だったらしい。いつから熊野古道になったんだろう?
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

Nikkei ポスタルアーキテクチュア

2017年10月13日
 今回の一泊二日の熊野取材では仕事の前後に郵便局をいくつか回ることができたのですが、先の瀞局のみならず和歌山県内はナイスな局舎のオンパレードで感涙ものでありました。
 旧東海郵政局管内では90年代初頭からも局舎の建て替えがものすごい勢いで進み、今や見るべき局舎建築はほとんど残っていない有様ですが(三河で見るべき局舎はもはや段嶺郵便局と作手大和田郵便局ぐらい)、旧近畿郵政局は東海ほど徹底しなかったのでしょうか?それとも奥地すぎて中央の目が行き届かなかった?

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 九重局(新宮市熊野川町)。高床の上に切妻と寄棟のハイブリッド木造建築。この局の近くには、廃校になった木造校舎を活用したブックカフェもあります(→●□)。

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 請川局(田辺市本宮町)。こちらはダブル切妻の二階建て。子亀オン親亀のよう。

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 湯峰局(田辺市本宮町)。横長の建物に傾斜の緩い屋根という取り合わせが、昭和40年代のモダンという感じ。壁にびっしり蔓草が這っているのも味わい深い。

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 敷屋簡易郵便局(新宮市熊野川町)。もと特定局。石積みの上に左右非対称な平屋建築。シブい、シブすぎる!
 こんなにいい局舎ばかりに遭遇すると、温泉とか熊野古道とか渓谷とかは二の次で郵便局だけをめぐっていたくなったのでした(仕事はどうした)。
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

ポスタルモンキー

2017年10月12日
 旧紀和町からこの日の目的地である熊野本宮大社へは、国道311号→169号→168号を乗り継げばすんなり行けるところでしたが、せっかくこんな奥地まで来たことだし、往復10kmほど寄り道して瀞八丁に行ってみました。



 このあたりは三重・和歌山・奈良の県境が錯綜しているうえに和歌山県の飛び地もあるところで、紀和から瀞八丁に行くには三重→和歌山→奈良→和歌山→奈良と4回も県境を越えなくてはなりません。悪路で容易に行けない場所かと思っていましたが、いつのまにかトンネルと高架橋の連続するバイパスが完成しており、紀和町板屋から20分くらいで到着。

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 現地には、もと旅館を改装したという飲食店(この日はやっていなかった)と、

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 反転スペースのあるバス停と、あと駐在所しかないのに、

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 郵便局があって驚いた。局名は「瀞郵便局」。こんな場所によくもまあ特定局が簡易局化もされずに残っていたものだと感心しきり。僕がこれまで行った郵便局では五指に入る秘境度です。
 で、貯金して風景印を押してもらって局を出てくると、局舎の裏でギャッギャッと猿の声が!

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 猿に遭遇した郵便局は31年間回っててさすがに初めて。「マニアは帰れコノヤロー」とでも言われているようで、とっとと退散したのでした。
(まさ)
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丸山VS四谷、千枚田対決

2017年10月11日
 尾呂志の集落を眺めた後は、風伝峠を越えて旧紀和町(現熊野市)へ。和歌山県・奈良県と境界を接する奥深い土地で、丸山千枚田が有名です。

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 山道を抜けると、目の前にどーんと広がる丸山千枚田である。ここも13年前の某誌の取材以来。前回は同行者が多くて落ち着かなかったので、ようやく自分のペースでゆっくり見物できて嬉しい。

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 ちょうど今日(か昨日)から稲刈りが始まったようで、千枚田の下の方では黄金色の稲がザクザクと刈られておりました。

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 千枚田の真ん中あたりには巨石もデンと剥き出しになっていたりして、いいアクセントになっています。写真は、その巨石の少し上にある展望休憩所から撮ったもの。本日はお日柄もよく、数人の老アマチュアカメラマンがおりました。

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(新城市四谷 2017.05.07)

 さて、千枚田といえば三河の人間にとっては「四谷千枚田」。比較してみて気が付いたことは

・丸山は比較的斜面がなだらかで、その気になればもっと横に田んぼを広げられそう。対して四谷は山に挟まれて狭く、上に向かってすぼんでいる。
・丸山は畔が土で草に覆われている。対して四谷は石垣。
・丸山の方が田んぼ一枚の面積が小さい(もしくは幅が狭く横に長い)
・全体的に見ると、四谷は荒々しく、丸山はゆったりした印象

といったところでしょうか。まあ、どちらも美しいのは同じで、比較しても何の意味もありませんが…。

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 千枚田から4キロほど下ると、旧紀和町の中心地区、板屋。ここはかつての鉱山町で、整然とした街区になっており、町はずれにの山腹には選鉱場の遺構があります。「紀和町鉱山資料館」もあるのですが、13年前は来る時間が遅すぎて見学できなかったので、念願かなってリベンジだ!

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 ところが、その日は月曜で休館日だったのでした。う~ん、また来ないといかん…。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0355

2017年10月07日
 その取材の目的地は和歌山県の熊野本宮大社だったので、阿田和駅から山へと分け入り、丸山千枚田と瀞峡を経由して現地へ向かうことに。阿田和から県道62号御浜紀和線をぐいぐい走り、20分ほどで尾呂志という集落へ。

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 熊野古道伊勢路のルート上にある「風伝峠」の東側にある集落です。尾呂志はおそらく「颪」の意味。秋から春の寒い時期に山に巨大な朝霧がかかる「風伝颪」という現象がが見られる…と熊野古道関連の資料やサイトで必ず紹介されています。
 実は13年前、某省の地方局が発行していた広報誌の取材で(などと書くと大きい仕事のように思えるけど、実際は「玄孫受け」仕事という最下層ランク)、東紀州の熊野古道沿道を大雑把に車で回った際にこの集落をかすめたことがあります。地形的に地名的にも絶対にいい集落ではあることは間違いなく、その取材の時にぜひ寄ってみたいと思っていたのですが、一緒に行った人たちから「ハァ?」ってな感じでスルーされ泣く泣く通過したという悲しい思い出があります。

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 その尾呂志をようやく歩くことができ、感慨無量。坂道に連なる家並のこの味わい深さはどうだ、当時の関係者たちよ!まあ、一般的にはわかりにくい味わいなので、寄ってもらわなくてよかったかもしれません…。

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 ただ、当時立ち寄っていればもう少し営業している店に遭遇できたかも。橋の向こうに見える農協の支店も廃止されて久しい模様。

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 壁にはこのようなカンバンが。葬祭は農協の主力事業のひとつですが、仏壇販売の仲介をアピールするカンバンは初めて見た。右のかすれた方は津の一身田にあったらしいAコープ家具センター・呉服センターのもの。
(まさ)
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戦前築の駅舎に見られるタイルの脚絆的装飾法

2017年10月06日
 8月末にとある取材で熊野方面に行きまして、ゆとりのあるスケジュールだったので紀勢本線の熊野市~新宮間の駅舎チェックができました。JR東海管内の辺境なのでまだ古い駅舎がいくつか健在だったのは何より。
 そのひとつ、御浜町の中心部に位置する阿田和駅。

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 昭和14年築の駅舎です(開業は昭和15年)。紀勢本線の他の途中駅よりも一回り大きく、利用客が多い準主要駅的な扱いだったことが伺えます。

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 注目したのは建物の下部。味わいのあるスクラッチタイル(→●□)が施されており、靴下か脚絆のよう。この装飾があるだけで駅舎の重厚感がぐっと増す感じです。ついでに言うと、玄関に取り付けられた2号ポストもいい。

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 この装飾は建物の外周りに施されているのですが、付属の便所を覗いてみたら手洗いのところにだけタイルがありました。

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 もうひとつ、御浜町の北端に位置する神志山駅。珍しい入母屋造りの駅舎。

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 ここの下部装飾はスクラッチタイルではなく、異様に横長で土管みたいな風合のタイル。入母屋じゃスクラッチタイルが合わないと考えての採用かもしれません
 これらを見て、天浜線の気賀駅の駅舎下部に施されたタイル装飾を思い出しました(→●□)。あちらは昭和13年の築。この時代の駅舎建築の流行りだったのでしょうか?
 で、これらの駅舎タイルが常滑製であると証明できれば、知多半島のローカル媒体用に記事が一本できるのだが…。
(まさ)

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(2017.10.07追記)
 13年前に撮影した阿田和駅の写真を見たところ、駅舎の前に植樹があって建物左半分の殺風景な部分がうまい具合に隠されていました。

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(2004.09.17)

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カンバンの手帖ブログ版0354

2017年10月04日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタで、茨城から無地名に戻ります。
 無の付く小字はなぜか旧足助町にやたらと多く、おかげで久しぶりに足助の山間部をあちこち徘徊することができました。そのうちのひとつ、「影無」のある小町。



 「こまち」と読むと山下久美子の「赤道小町ドキッ」を思い出してしまう世代ですが、「こちょう」と読みます。
 矢作川支流の阿摺川沿いにあり、なんでこんな山の中の小さな集落が「町」なのか疑問を抱かずにいられません(古城の転じゃないかと思いますが由来不詳)。一部マニアの間では、旧旭町の万町(まんじょう)、旧額田町の千万町(ぜまんじょう)とともに「新三大・町場でもないのに町が付く西三河山間部の小集落」と称されております(ウソ)。

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 メジャーな見どころは特にありませんが、とりあえず例によってHINOMIが!細身で先細りのいささか軟弱そうな造りで、旧足助町でよく見かける形状なので一部マニアの間では「足助型」と呼ばれております(テキトー)。

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 で、豊田市山間部の旧町村でお馴染み、集落ごとに設置されている駅名標型キャッチコピーカンバン(→●□)。ローマ字表記すると、なんだか中国の地名っぽい。
 キャッチコピーの「明るい元気な 山里」とは、シンプルというかかえって大胆ですが、行政から「豊田市合併にあたって村ごとにカンバンを作ことになったから何か考えてネ!」と言われた地域の皆さんが、これといったネタもなく困った挙句に出したような…。もっともこの駅名標型カンバンの文言は、半分以上はそういうのですが。

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 あと、字影無。木製の電柱がシブすぎる。

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 よく見るとこんなプレートが取り付けてあった。昔、テレビの難視聴地域にNHKの関連会社が設置した共同受信施設の専用電柱なのでした。
(まさ)

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稀勢の里の故郷にある常滑の陶製品

2017年10月03日
 シャトー牛久の展示品にはこんなものもありました。

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 旧醸造場の発掘調査で出土した焼酎瓶で、案内によると常滑製とのこと。なぜ常滑産と判明したかというと、上部に「𠆢き(ヤマキ)」の刻印があるから。これは常滑にあった柿田製陶所の屋号です。おお、またも自分の本拠地のネタが!
 と一瞬色めき立ったものの、この形状の焼酎瓶は常滑で擁壁や土留めとしてあまりに見慣れ過ぎているので、岡崎産狛犬ほどの衝撃は正直ありませんでした。ここではケースに収められているけど、常滑に行きゃ現物を好きなだけ触れるし(個人の感想ですが、常滑の土管や焼酎瓶の特色のひとつは触った時の心地よさだと思います)。
 ところが先月、知多半島南部のローカル媒体のマニアックな取材で擁壁や土留めに転用された陶製品の刻印を片っ端からチェックしていたら、柿田製糖所の焼酎瓶が集中している場所を発見。

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 場所は山方町二丁目。リクシル常滑東工場(INAXライブミュージアムの向かい)の南西あたり。

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 「𠆢き」の刻印のオンパレードで驚いた。文字入力してみると

きききさききききききききききききききき
きききききききききさききききききききき
きききききさききききききききききききき
きききききききききききききききさききき

という感じ(オオゲサ)。
 調べてみると柿田製陶所は、江戸時代初期の創業とされる常滑屈指の古い窯屋で、焼酎瓶の大手メーカーでした。工場もこのあたりにあったようです。そんな常滑陶業史に燦然と輝く超老舗の製品が、日本のアルコール史における超重要醸造元で使われていたというのは、やはりすごいことです。

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 ついでながら焼酎瓶の擁壁といえば、やきもの散歩道の「土管坂」の南面がもっとも知られていると思います。この擁壁は、すぐ上に住んでいた大工さんが拵えたものだとか。

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 ここは、最後まで焼酎瓶を作っていたという「𠆢文(ヤマブン)」の密集地帯。土管坂のやや南にある山文製陶所という窯屋の製品です。文字入力してみると

文文文文文文文文文又文文文文文文文文文
文文文文文文文文文文文文又文文文文文文
文文文文文文又文文文文文文文文文文文文
文文文文文文文文文文文文又文文文文文文
(まさ)
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稀勢の里の故郷にある三河の石モノ

2017年10月02日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタ。
 他地方に行った三河遠州の産物や人物の来歴と変貌をわざわざ現地に出向いて探るという珍企画「三遠南信産××育」は、今回、稀勢の里の出身地として有名になった茨城県牛久市にある「牛久シャトー」を訪ねてみました。上野から常磐線で一時間ほどのところです。

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 牛久シャトーは、茨城では水戸偕楽園、筑波山、袋田の滝に次ぐメジャーな観光物件ですが(個人の見解)、愛知県の人はあまり知らないんじゃないかと思います。明治36年に開設された日本初の本格的ワイン醸造場の建造物がそのまま残っており、酒造会社のオエノングループの経営です。
 創設者は、西尾市松木島(旧一色町)出身の神谷傳兵衛。「電気ブラン」で知られる浅草の「神谷バー」を創業した人物でもあります。

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 これらの生みの親です。
 傳兵衛はワインで成功した後、三河鉄道(名鉄三河線の前身)の経営にも参画するなど故郷に恩返しをしています。日本のアルコール史および愛知県の鉄道史を語る時に欠かせない、偉大な三河人の築いた「城」とはいったいどんなものか昔から気になっておりまして、GWに女性取材記者の両親が住む千葉県北総地方を訪ねた際、足を伸ばして夫婦で行ってみたのでした(取材というかほぼ観光)。

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 牛久シャトーは単なるミュージアムではなく、飲食や物販もあるいわゆる“産業観光”施設で、愛知県で言えばノリタケの森に近い雰囲気。煉瓦造りの建物内の面白い展示を見学したあと、園内で製造されているビールを一杯やっていい気分に…。いや、最初はこのネタで記事にできるかどうかわからなかったので、アポを取って訪問したわけではなく本当に観光気分だったのです。
 しかし、飲んだあといい心持で園内を歩いていたら見過ごせない一品に遭遇。

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 一対の狛犬です。

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 なんと、三河鉄道が昭和2年に寄贈したもので、狛犬の第一人者として知られる岡崎の名工、成瀬大吉の作ではないか!これを見て俄然、牛久シャトーの記事を書かねばという使命感が湧き上がってきたのでした。なので、シャトーには地元に帰ってから事後承諾で掲載許可をいただいた次第です。オエノンのご担当者様、ありがとうございました。
 なお、園内にはこのほか三河鉄道が寄贈した常夜燈一対があり、それも石の風合からして岡崎産と思われます。
(まさ)

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◎関東の岡崎産石モノの話題
日光で見つけた成瀬大吉の狛犬→●□
日光東照宮境内の岡崎製常夜燈→●□ ※詳細は「そう49号」を買って読んでください

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山里の水路のブルース0002

2017年10月01日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタ。
 無の付く小字は奥三河には意外と少なく、鳳来の余無行、津具の水無、東栄町振草古戸の無双礼の三か所だけです。その無双礼は、花祭で知られる古戸の中心部から県道80号東栄稲武線を津具方面へ2kmほど進んだところになります。

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 こういうところ。地味すぎてどうしたもんかと…。無双礼の文字だけ見ると「国士無双」とか「池上無双」といった派手な言葉が思い起こされますが、おそらく無+双礼(崩落地を意味するゾレの当て字)と思われます。
 こんなところでも何かしらはあるもんで、無双礼では山の中に伸びる水路に目を奪われました。また例によって共感を得られにくそうな話ですが…。

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 シブい、シブすぎる!以前、同じ東栄町内の川角でも水路に惹かれたことを書きましたが(→●□)、こういう味わい深い水路を見ると源流まで辿ってみたくなりますよネ!ならない?
 その水路脇には、またなんとも味わい深い巨石があり、その上に石塔も見えます。

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 何かと思えばこの水路の竣工記念碑なのでした。遠目には墓石かと思った。形といいサイズといい、こんな墓っぽい記念碑にはあまりお目にかかったことがありません。台座部分には関係者の名前がズラっと書き連ねられており、また側面には開削年も刻まれているのですが、コケがびっしり映えてて明治時代の「明」という文字しか判読できず。
(まさ)

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