ちびっこ相撲市場場所

2017年08月30日
 ウチの6歳児は相撲が大好き。毎場所相撲中継を熱心に見続け、親や祖父母に取り組みをせがみ、白鵬の土俵入りを完コピする昭和の保育園児なのですが、先日、実家の近所で子供相撲大会が開催されたので、保育園を休んで参加させてみました。

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 これは、揖斐川町市場区(→●□)の氏神・稲荷神社に奉納される夏の恒例行事で、毎年8月23日に行われています(いまどき曜日無関係の固定日開催)。市場区の小中学生男児は全員参加が義務付けられており、本割の「一番相撲」にはその子たちのみの参加ですが、小学生未満と二回目以降はオープン参加になっています。6歳児は昨年に続いて二度目の参戦。
 なお、僕の実家は粕川の対岸にある瑞岩寺区(→●□)ゆえ、子供の時に出場した記憶はない…。

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 さすが「イメトレを日課とする相撲マニア」だけあって、保育園児らしからぬ構え方、当たり方、攻め方で、相手のお子さんを力ではなく技で圧倒しました。最後は引き落としと下手投げをミックスしたようなよくわからない決まり手で勝ち名乗り!このわずか30秒ほどのためだけに帰省した甲斐はあった(親バカ)。

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 どうでもいいですが先月、名古屋場所3日目で大相撲の本場所を初めて観戦した6歳児であった。
(まさ)
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富士山で迷子はヤバイ

2017年08月25日
 久しぶりに知多四国がらみの話題。
 知多半島の神社仏閣を巡っていると、巨大な奉納絵馬にやたらと遭遇します。どれもこれもたいへん興味深く面白いのですが、僕がこれまで見て回ったなかで一番好きなのが、常滑市西阿野の知多四国第61番札所・高讃寺の絵馬群です。少し前に知多半島南部のローカル媒体で絵馬特集を組み、その中で高讃寺も取り上げたのですが当ブログには出しそびれてしまい、時期的になんの脈絡もありませんがせっかくなので出しておきます。

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 知多四国の寺院の中でもっとも鬱蒼としている高讃寺。

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 この寺の弘法堂に、このように絵馬がずらっと奉納されています。そのほとんどは「富士登山記念」と記されたもの。地元の人が講を作って富士登山に出掛け、無事に帰ってきたのを記念して奉納したものです。
 常滑市南部の西浦地区では明治から昭和にかけて富士山の団体登山が流行したらしく、他の社寺でも富士登山記念絵馬をよく見かけます。隣りの苅屋の人に聞いた話では、昭和30年頃までやっていた青年団もあるそうです(ただし戦後はツアーの慰安旅行みたいな感じとか…)。
 高讃寺の富士登山記念絵馬の凄いところは時代が追えること。装束に注目してご覧ください。

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 明治30年代。菅笠に白装束。

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 明治45年(描かれたのは昭和10年)。股引をはき、菰を背負った姿。

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 昭和11年。白い登山帽にリュックサック。

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 大正6年の一行の絵もあります。これを描いたのはなんと、戦前から戦後にかけて活躍した常滑焼の陶彫家、片岡武正。神明社の狛犬も手掛けた人物です(→●□)。
 ただし制作されたのは昭和38年。なぜ登山から27年も経って絵馬を作り、しかも名工に作画を依頼したのだろうか?誌面に限りがありその謎に迫るまでは行きませんでしたが、気になって仕方がないので、もし情報をお持ちの方がいれば教えてください。
(まさ)

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盆の墓 & HINOMI

2017年08月24日
 でもって翌15日は、碧南市棚尾の毘沙門さん境内で開催されるという盆踊り大会へ。ここでは、矢作出身の農学者で民謡制作家の岩槻三江(→●□)が手掛けた棚尾音頭と棚尾小唄が今も踊られていると聞き、三江さんの曲調を確かめたくて。

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 ところが、少し前まで降っていた雨の影響で中止になっていた。う~ん。
 寺の境内にしつらえられた櫓や提灯飾りを見ただけで、ここの盆踊りの風情は西三河屈指だろうと想像され、残念。来年、できれば必ず再訪したいものだと思います。(どっちだ!?)

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 そのまま帰るのは悔しいので、境内の墓地をチェック。多くの墓に、岐阜の定番の紅白タテ縞(→●□)とは違うカラフル提灯が吊り下げられていて驚いた。岐阜の提灯だと「ご陽気に参りましょ~」的な感じですが、こちらの提灯は仏前に置く回転式の提灯を彷彿させるデザインで、ちょっと風流な感じ。
 来年は売っているところを見つけて一個購入し、実家の墓で試し点灯して岐阜のヤツと比較分析してみたいと思います。

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 でもって、墓地の向こうには例によってHINOMIが!
 盆踊りは中止でしたが、和尚さんの読経で墓参する新盆の家も何軒かありました。こんな夜に賑わう墓も見たことがないので、提灯ともども驚いた。
(まさ)
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先端音頭

2017年08月19日
 昨年の盆は南知多町豊浜の須佐踊り(→●□)を見物に行ったので、今年は南知多町師崎の盆踊りに行ってみました。先日、ローカル媒体で師崎の長老に話を聞く機会があり「ウチ(師崎)でも豊浜と同じように独自の盆踊りを踊っている」と聞いたので。
 以前、河和の古老に聞いたところによると、豊浜と師崎の盆踊りは近隣でもその名を轟かせており、その方は友人たちとともに自転車で二地区をハシゴしたこともあるとか。

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 会場は師崎小学校。いちおう7時開始ですが、本チャンめいてくるのは8時から。まず30分間、仮想踊りコンテストが実施され、8時40分から9時までは「師崎ばやし」、9時から10時までは「かけ踊り・まむけ踊り」という師崎独自の踊りだけを踊ります。子供や余所者も気軽に踊れる定番の曲はやりませんが、両曲ともゆったりしたグルーヴで、振りもさほど複雑ではなさそう。
 昨年行った豊浜のほうは、いつ終わるとも知れず延々と踊り続け、仮装大会もかなりクレージーでぶったまげましたが、それに比べれば師崎は開催時間的にも仮装大会もおとなしめで、ゆったり・まったりという感じ。同じ南知多の漁師町でも微妙に雰囲気が違うところが興味深い(ただし師崎にも「左義長」という漁師町らしいチョー荒っぽい行事があります→●□)。

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 豊浜と同じく歌は生、伴奏は太鼓のみで、実に情緒があります。
 歌い手と奏者が陣取る櫓には謎の暗号が。何かと思ったら踊り手が途中で入れる合の手でした。「ノハハアハウ」って…。

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 あと師崎のオマケネタ。羽豆岬の西側に「なぜこんな場所にこんなものを?」と疑問を抱かずにいられないプールの廃墟があります(過去にも少し触れた→●□)。戦前に刊行された師崎の郷土誌によると、建造はなんと昭和5年!そんな古いものとは。
 盆踊り情報をくれた長老いわく、「このプールは、アマチュア土建屋(?)の鈴木兵松という人がすべて自分で作ったものなのじゃ。何かで金を儲けて、その罪滅ぼしで村人のためになるものを…と思い立って作ったという話じゃ。わしらが小学生の時分(戦前)はたいてい浜で泳いだのでプールはたまにしか使わなかったのう」。(※語尾は創作)
 兵松サンが寄贈して師崎区有となり、師崎小学校にプールが建設されるまで(平成初期?)使用されたとのことです。
(まさ)

◎お知らせ
地元ケーブルテレビのウェブサイトにローカルネタの記事を書きました→●□●□
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ため池のベルが鳴るとき

2017年08月16日
 奥山田池、大谷下・上池とマイナーな溜め池を出してみましたが、岡崎市南部の上地・岡崎・羽根・小豆坂学区にはやたらと溜め池がありまして、「岡崎まちものがたり」の地図ページに溜め池の名称を入れるべく編集サポート作業中にできるだけ見に行ってみました。
 わたくしは職業柄、あらゆる景観を注意深く観察する癖が付いておりますが、溜め池というのはどうもこう、なんというか、景観的にいまいち興をそそらないことが多い。なんとも批評のしようがなく、どう表現したもんかと眺めながら考えあぐねてしまうことがしばしばです。ただ、いちおう写真は撮っており、ここでバーンと出しておきます。
 地図で場所を確認しながらご覧ください→●□

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 まずは割と有名どころ「柱大池」。昭和初期から戦後にかけて、ここはボート遊びのできる遊興地「東楽園(とうらくえん)」として知られていました。

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 ここも一部マニアにはそこそこ知られている「長池」。この周囲に昭和6年から28年まで岡崎競馬場があり、今もコースの一部が生活道路として残っています。

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 このへんからだんだん地味に。戸崎公園の南にある三連池のうち西にある「雨池」。

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 真ん中の「中池」。池のほとりに畑や古いアパートがあったりして、まあまあ趣きがある。

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 東の「ガン池」。希少な湿原植物が見られるそうで、小豆坂小学校の自然観察学習がちょくちょく行われています。一度、取材で同行させてもらいましたが、こんな池でも子供たちがワラワラしているとそれなりにいい雰囲気になります。

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 このレベルまでくるといよいよ怪しい感じに。ウィングタウンの南西にある「双子池」。道路で分断され南北に分かれています。

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 そして極めつけは鰻池。もう池だかなんだか…。
(まさ)
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のび太の上地開拓史

2017年08月13日
 岡崎の上地には奥山田池のほかにもうひとつ、大きい溜め池があります。

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 大谷上池と大谷下池です。二つの池の間に岡崎環状線が通じており、市街地方面から南下するとパチンコ屋のZENTの先で左に見えるのが上池、そのすぐ先の橋から右に見えるのが下池。住宅地に面しているとはいえ山の際にあるので、岡崎南部の溜め池群のなかではいちばん雰囲気がいいかも。
 池の周囲には、昭和50年代から平成初年にかけて行われた区画整理事業で緑地帯として保存された山があります。ドラえもんやのび太が住む町にある裏山みたいな感じでしょうか。大谷公園として整備され、当時の地域住民の意見を取り入れて遊具やキャンプ場が設置されています。新興住宅地のすぐそばにキャンプ場があるとは…。

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 公園の目玉施設は山頂にある展望台。この山で古窯跡が発掘されたので、古代のイメージで銅鐸型にしたとか。

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 展望台は私の大好物なので嬉々として登ってみたところ、木が育ちすぎてほとんどなにも見えないのであった。公園整備から30年、時の流れを感じる…。

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 オマケ。「上地八景」絵はがきの大谷公園。
(まさ)


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おじゃまんが奥山田君

2017年08月11日
 話題が前後しますが、岡崎市のシティプロモーションサイト「岡崎ルネサンス」内のコンテンツ「“〇にナる”岡崎まちものがたり」の記事の続き。
 女性取材記者は桑谷キャンプ場(→●□)と岩槻信治(→●□)を書きましたが、僕は「岡崎まちものがたり」で受け持った上地学区より、上地八景&新上地八景をピックアップして記事を書きました(→●□)。
 上地は岡崎市の南部に位置し、国道248号と岡崎環状線が交わるあたりの地域です。大規模な区画整理事業により昭和58年に誕生した新しい学区で、その草創期、郷土意識を育てようと地元の人たちが制定したのが上地八景です。
 その八景のなかに「奥山田池」という溜め池が選ばれています。ここです。



 名所でもなんでもないただの溜め池で、上地学区の住民以外はほとんど知らないんじゃないかと思います。自分も上地に関わるまでは気に留まったことがありませんでしたが、上地八景を紹介するにあたり取材に行ってみました。

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 シブい、シブすぎる!

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 池の形はほぼ長方形。そのうち北面にのみ遊歩道が整備されており、見事な松林の下を歩けるようになっています。溜め池のほとりでこれだけの松の群生が見られるところもなかなかないのでは。溜め池と松が好きな人は絶対に見に行くベき!(そんな人いる?)

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 池は明治20年に砂防用に築造され、戦後ほどなくして現在の形に改修されました。池の北西角には昭和30年に建立された改修記念碑が建っており、これまたドシンプルでシブすぎる。

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 奥山田池は砂川(上地および福岡学区を貫流し広田川に注ぎ込む地味リバー)の水源になっており、池の南西角に水門が設けられています。その水門が閉じられているので、ご覧のとおり最上流部は涸れています。ここに水がダーダー流れている風景を見たいものですが、いつ水門が開くかわからず、もし水流を見られたら超レア!
 というわけで、ここ数年でもっともシブい場所の取材だったのでした。

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(1:50000地形図「岡崎」/大日本帝国陸地測量部/昭和7年発行)

 オマケ。戦前の上地学区あたりの地図。
(まさ)
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ミドルセコ

2017年08月08日
 春夏秋冬叢書「そう55号」連動ネタ。もう一つセコ話。
 東三河のセコで唯一町名になっているのが、豊橋市の中世古町。ここです。



 本来はもっと大きく取り上げたいところでしたが、ごくありふれた住宅地なので絵になる写真が撮れそうになく、また、全域が区画整理されてて味のあるセコ道も残っていなので、今回はさらっと本文で触れた程度にとどめました。

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 中世古は豊橋の市街中心部の一角にありますが、東海道吉田宿の24町には含まれていません。「角川日本地名大辞典23愛知県」によると、この地名が登場するのは明治28年。もともとは東海道筋の曲尺手町から南に伸びる「猿屋セコ」沿いに家々が集まった地域で、明治後期に町名を整理した際に中世古と命名されたようです。
 ならば「猿屋世古町」や「猿屋町」にすればよさそうなものですが、なぜか伝統地名は採用されませんでした。サルじゃイメージ的にちょっとどうか…という意見が地元から出たのかも。では、なぜ「中」世古なのか?

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 中央図書館で「吉田宿東海道筋町別地図」を見て、ひとつの説が思い浮かびました。
 吉田宿には何本ものセコ道があり、それぞれに名が記されているのでですが、宿場町東部の三つのセコ「龍拈寺セコ」「猿屋セコ」「談合宮セコ」は、セコといいながらいずれも一間(=1.18m)以上あってけっこう広く、宿場町の中で存在感が際立っています。で、その「吉田宿の三大セコ道」の真ん中に猿屋セコがあることから、「中世古」と名付けたのではないかと…。
 由来を書いてある資料を見たことがないので正しいかどうか不明ですが、もし理由を知っている人がいたらぜひご教示ください。

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 かつての猿屋セコに相当する道は区画整理で消滅してしまいましたが、町内に一ヵ所、このような不自然な鉤型の細道が残されています(地図の「中世古公園」のところ)。なにかいわくがありそうですが…。

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 中世古町内の見どころは並んで建つ二つの寺。そのうちのひとつ、真言宗の清宝寺には四国八十八ヶ所霊場の写しがあり、弘法大師&各寺本尊像が雛壇にずらっと安置されてて圧巻です。
(まさ)

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なつのおやこたんけんたい

2017年08月05日
 桑谷キャンプ場の取材兼レジャーでは、桑谷山のほかにもうひとつオプショナルレジャーを入れたいという女性取材記者の企画により、近くにある三丈ヶ滝にも行ってみましした。ここにあります。



 この滝のことは先のブログ(→●□)で触れているほか、同じく「岡崎ルネサンス<“〇にナる”岡崎まちものがたり」に8/1にアップされた女性取材記者の担当記事「岩槻信治と岡崎の盆踊り唄」(→●□)にも書かれています。この滝は地元でも長く忘れ去られていたのですが、昭和6年に矢作出身の岩槻三江が作った「龍ヶ谷音頭」の歌詞に出てくる三丈ヶ滝は今どうなっているのか?と「岡崎まちものがたり」の龍谷学区の編集委員の皆さんが探しに行き、“再発見”したものです。
 桑谷キャンプ場から歩くと30分以上かかりそうなので、車でぴゃーっと滝の入口へ。林道沿いに立つ導入カンバンが目印です。

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 おーっと、いきなり川口浩探検隊の様相だ!この奥に本当に滝なんてあるのか?それ以前に、こんなところに突入して大丈夫なのか?

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 と思ったら草ボウボウなのは最初だけで、やがてチョロチョロ流れる沢に沿っていちおう道らしいものが現れました。進むほどに勾配が急になり道も悪くなりますが、かまわずどんどん歩くこと10数分、突如、眼前に滝が姿を現した!

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 シブい、シブすぎる!

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 剝き出しになった垂直の岩盤の上を一筋の水がチョロチョロと流れ落ちています。実に味わい深い。雨が降った後はもう少し水量も多いかもしれませんが…。

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 滝の上に頑張って登ってみるとけっこう迫力があって驚き。探検気分で高揚しているためか、6歳児もビビリを克服だ!

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 ただし、滝への登り道はこのようにかなりワイルドですので、子連れで行こうという酔狂な方はほどほどのところで…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

新幹線見物名所0004

2017年08月01日
 もう二ヶ月もたってしまいましたが、6月アタマに取材&家族レジャーで、岡崎市南東部にある桑谷(くわがい)キャンプ場にて二泊三日のキャンプをしてきました。何の取材かというと、岡崎市のシティプロモーションサイト「岡崎ルネサンス」内のコンテンツ「“〇にナる”岡崎まちものがたり」といブログ用の記事です。
 「岡崎まちものがたり」というのは、2015~16年度にかけて岡崎市制100周年記念として作成された全学区の紹介冊子集でして、これに編集・進行管理スタッフとして携わったメンバー(ウチら夫婦もその一員)が取材執筆するスピンオフが「〇にナる」です。
 ブログの立ち上げが夏休み目前の7月1日で、竜谷学区の担当だった女性取材記者(まり)が学区内にある桑谷キャンプ場レポを企画・執筆した次第。その記事はこちら→●□

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 で、「桑谷キャンプ場滞在者におすすめするレクリエーション」を記事に盛り込みたいという女性取材記者の意向により、キャンプ場の背後にそびえる桑谷山に登るハメになりました。桑谷山は三河湾スカイラインを使えば割と簡単に頂上に達することができ、登山には特に興味のない私には車で行けるところをわざわざ歩いて登る意味がよくわからないのですが、取材とあっては仕方ない…。ちなみに女性取材記者はもとワンゲル。

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 息絶え絶え、汗ダラダラで1時間かけて山頂に到達すると、そこには昭和な風情の簡素な展望台が。

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 展望台からは蒲郡方面の絶景が!この桑谷山は岡崎と蒲郡の市境にあり、桑谷は岡崎側の山麓にある集落なのですが、残念なことに岡崎側はまったく見えません。

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 でもって遥か下の方には、蒲郡市街を疾走する新幹線が見えるのでした。この時の記事(→●□)の場所より、もっと上の方から見る形になります。我が家は新幹線の近くにあるためビュンビュンすっ飛ばしていく様は見飽きており(→●□)、高い所から見る新幹線はなんというか、下界の民のためのセカセカした乗り物という感じに見えていいものですネ!

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 キャンプを打ち上げた翌日の午後遅く、桑谷山の西に連なる遠望峰山にある「天の丸」の風呂に入りに行きまして、その駐車場からの眺めもよかった。写真は幸田町の中央部を見下ろしたもので、水が張られた水田がちょうど、明治初期まであった菱池(→●□)のようになっています。

 「〇にナる”岡崎まちものがたり」で僕が書いた記事はこちら→●□
(まさ)
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