THE 分断

2017年05月05日
 少し前、とある取材で何年かぶりに清洲城の界隈をウロチョロしてみました。

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 城の最上階から眺める濃尾平野。新幹線の見物スポットとしては最上級ではないでしょうか。
 清洲城の遺構はほとんど残っていないということですが、そもそも清洲城は、いま天主閣が建つ場所ではなく五条川の右岸にあったといい、東海道本線と新幹線で分断されています。今回初めて気が付いたのですが、城跡に整備された公園は線路を挟んで南北で名称が異なり、公式には別モノ扱いになっています。

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 線路北側(朱塗りの大手橋の正面)は「清洲古城跡公園」。清洲城址碑、祠、土産販売&休憩施設があります。

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 線路南側は「清洲公園」。昭和11年に建てられた.“26歳信長・桶狭間へ出陣するの像”があります。左は濃姫像。石柵付きの信長像と違ってなんか取って付けた感があると思ったら、平成24年に移設されたらしい。清須市HPの清洲公園の項には「桜の名所としても知られ、市民に親しまれているこの公園は、『始まりの地~二人の愛と希望の丘』と称し、夫婦円満、恋愛、立身出世、必勝祈願のパワースポットとなっています」とある。いやはや、どうも…。
 案内板によると、清洲公園は大正11年の開園。信長への贈位(正一位)の記念に旧清洲町により建設されたとのこと。

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 園内を歩いていたら、第二次大戦、日露戦争、西南戦争の忠魂碑など、戦争関係の石碑がずらっと並べられた一角があって驚いた。旧新川町役場、旧春日村役場にあった忠魂碑も、合併後の平成17年にここに移転されています。案内板に「清須市の一体感の醸成にも資することから、旧町の碑を清洲公園に移設し…」とあるのが引っ掛かります。マニアとしては、石碑は最初建てた場所にないと意味がない、と思うのですが。

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 オマケ。天主閣から名古屋方面を望む。ディーゼル機関車が一両でモタモタ走っているのが見えます。
(まさ)
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