天空&HINOMI

2017年05月30日
 四日市の茶畑を出したので、ついでに実家から車で10分ほどの場所にある茶畑も。

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 揖斐川町(旧春日村)上ヶ流(かみがれ)の茶畑です。最近は「天空の茶畑」「日本のマチュピチュ」などと呼ばれて人気スポットになっているようです。
 旧春日村時代にアピールしていた記憶はなく、急浮上したのはここ何年かのこと。マチュピチュとはさすがにちょっと言い過ぎな感もありますが、確かに見事な景観だと人気になる以前から思っていました。しかし、地元住民が遊歩道を自力で開削したり、養老鉄道のウォーキングイベントが開かれたり、この写真を撮った5/21の昼にもどこかのテレビ番組で紹介されるなど、まさかここまで注目を集めるようになろうとは近隣住民として意外…。

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 このような山上に開かれた集落は、実は美濃地方ではほとんど例がありません。
 高所集落の多い三遠南信の山間部にはこれに近い雰囲気の集落はけっこう見られます(比較して優劣を言いたいわけではないので念のため)。しかし美濃の山間部では、三遠南信のように耕地と集落が「上へ上へ」と切り開かれていくことは少なく、基本的に川の流れに近い場所に形成された集落が多いのです。そういう意味で上ヶ流の景観はかなり希少と言えます。
 で、こんな素敵な絶景集落にも、例によってHINOMIが!

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 ちなみに旧春日村の火の見櫓は、僕が知る限りこれを含めて2基です(もう一つは中山)。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0351

2017年05月27日
 そんな水沢で発見したカンバンをいくつか。

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 右に見える二枚の「トミナガ」の琺瑯看板。所在地表記が「スワ新道」「スワ国道」とカタカナになっている点がポイントが高い。地名がカタカナ変換されているとぐっと昭和臭くなってイイ、と思うのは私だけでしょうか。諏訪新道は四日市中心市街地の一角に位置する商店街。

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 三重県北部や海津あたりでよく見かける「宝石・結納品 羽田」の畳サイズのカンバン。お茶作り関係用具をしまっておくと思われる小屋に貼ってある点がポイントが高い。

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 畳サイズのカンバンの別店舗バージョン。同じカンバンメーカーが手掛けたものでしょうか。

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 Here is 銀座。こういう田舎で遭遇する銀座は、どこか愛おしいのである。
(まさ)
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黒一色0002

2017年05月26日
 先の四日市駅途中下車の翌日にも四日市で取材があり、終わってから鈴鹿山麓の水沢(すいざわ)地区に行ってみました。水沢は伊勢茶の最大産地のひとつ。二年前の夏にとある取材で来たことがあるのですが、一度シーズンに来てみたかったので。

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 などと言いつつ訪れたのはGW前で、収穫にはまだかなり早いのですが。美しい山容を背景に広がる広大な茶畑の清々しい緑は、実に結構なものです。
 しかし水沢の景観的ハイライトは、実はこれではありません。

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 このような、なんかチョイ暑苦しさを覚える黒一色こそザ・水沢な景観だ!ということを二年前の取材先の人が言っていた、ような気がします(部分的に誇張)。
 水沢では、茶樹に黒い覆いを被せて栽培する方法が主流で、これにより「味はまろやかで緑色が普通の製茶に比較して濃い」(三重茶農業協同組合HPの「伊勢本かぶせ茶」の説明文より)茶ができるとのこと。行った時、覆いを被せる作業をしている茶園もありました。
 黒い覆いは西尾でも見られますが(→●□)、西尾では茶園全体を小屋掛けするように覆うことが多いので、水沢の景観とは趣きが異なります(あっちはあっちで好き)。

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 茶畑を堪能しつつウロチョロしていたら、信州の高原のような場所に遭遇して驚いた。地図を見ると水沢にはため池が多いようで、水沢小学校の脇にあるこの池はけっこうデカい。

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 ちなみに、三重茶農業協同組合や郵便局がある水沢の中心部はこんな感じ。商店は何軒かあるものの町場というほどでもなく、集落と町の中間という風情がなかなか味わい深い…と思うのは私だけでしょうか。今度は新茶のシーズンに再訪して茶を飲みたいものです。
 しかし黒一色と書くと、大学時代、先輩に緑一色を振り込んだことを思い出す。
(まさ)

◎一色シリーズ
紅一色2008.10.01→●□
白一色2010.10.08→●□
黒一色2012.10.16→●□
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タウンサインの研究0074

2017年05月22日
 四日市のあと、亀山を経て松阪へ。四日市駅同様、松阪駅も国鉄チックな駅舎が健在です。ここはキヨスクと駅弁屋もまだ生き残っており、四日市以上に国鉄臭が強くていいですね。

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 駅前に建っているモニュメントは「駅鈴」。松阪出身の国学者で鈴マニアの本居宣長が浜田藩主の松平康定から贈られたものを模しており、松阪のシンボルとなっています。
 松阪人にとってどれほど鈴がシンボリックな存在かというと、中心商店街名称からも窺えます。

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 松阪駅から伊勢街道の日野町交差点に通じる商店街組織「松阪市駅前通り商店街振興組合」の愛称が「ベルタウン」なのである!駅鈴の存在を知らない人には、なんのことだかわからないという…。
 ただ、詳しくは調べていないけれど愛称の歴史はけっこう古いようで、昭和的な語感と商店街の風情に齟齬感がないというか、チャラチャラした感じがしないように思います。
 そう肯定的に捉えられるのは、公式ロゴの味わいによるところも大きいのではないか。

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 シブい、シブすぎる!

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 ベルタウンには個別店舗のほかに集合店舗もあります。 定礎石などをチェックしてこなかったので正確な築年はわかりませんが、昭和50年代モノと見た。

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 シブすぎて、ため息のベルが鳴るのであった(古い)。
 他にもアイテムが豊富な松阪は、東海地方最強の極渋シティじゃないかと個人的には思っています。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0350

2017年05月16日
 その閑散としたJR四日市駅前には、いったい誰が見るのか、市街地地図があります。

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 パッと見た感じけっこう古いもののようです。いまどきこういうタイプの駅前地図も珍しいですが、人通りの極端に少ない駅前広場なので、撤去を免れて残っちゃったのでしょうか。
 近付いてじっくり見ると、昭和40、50年代風情の明朝体が使用されていました。

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 なんだか中国っぽい書体だな…と思ったら、枠の下のほうに中国語が書いてあります。ナゼ?クリックで拡大してご覧ください。

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 また、地図上に記された施設名等にも中国語表記が併記されています。国鉄四日市駅は「国家鉄路四日市站」、四日市市役所は「四日市市政府」とあり、なんだか大陸的な香りが…。
 四日市市のHPを見ると、昭和55年に天津市と姉妹都市提携を結んでおり、その記念で設置したのではないかと推測しますが、どうか。

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 あと四日市といえば、JRと近鉄を一直線で結ぶ無駄にだだっ広い「中央通り」も旧社会主義国的な風情でいいですね(行ったことないけど)。

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 地味な写真が連続したので、アーケード商店街(→●□)の中に突如現れて通行人を驚かせる大入道&こにゅうどうくんの写真でも。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

国鉄の匂い~四日市駅編

2017年05月15日
 GW前、久し振りに三重県方面で取材がありまして、JRで西進する途上、時間調整も兼ねて四日市駅で途中下車してみました。四日市市街には2~3年に一度くらい来ていますが、JR四日市駅は23年ぶりになります。

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 23年前の記憶そのまんま、国鉄臭がプンプン漂う駅舎が健在でなにより。この愛想のかけらもない駅舎といい、閑散とした駅前の雰囲気といい、旧社会主義国の地方駅のような雰囲気が漂っています(行ったことないけど)。
 平成も間もなく終わろうとしているこの時代にこの風情は極めて貴重と思い、この機会にじっくり見物。

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 駅舎に面するホームはありませんが、改札前スペースのムダな広さの殺風景さかげんがたまらない!

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 天井が高くてムダに開放的なコンコース!そびえ立つ二本の柱はシックな風合いのタイル貼り!

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 二階には喫茶店の跡が!

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 レンタサイクル置き場兼受付になっている一階の奥の待合所は、木張りのベンチとステンレスの荷物置台が今も現役!
 四日市の鉄道遺産といえば、四日市駅から港へ伸びている専用線の末広橋梁(可動橋)が国の重要文化財に指定されていますが、この駅舎なんぞは登録文化財級と言ってもいいでしょう。祈・永年保存。JR東海がひょんな気を起こしませんように…。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

スーパービュー桶り子

2017年05月14日
 では、肝心の桶狭間の戦いの舞台の眺望はどうか?ってんで、緑区と豊明の境にある「おけはざま山」にも行ってみました。

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 これが「おけはざま山」である。義元はこのへんで休んでいる時、信長に急襲されたとか。麓には市が整備した「桶狭間古戦場公園」があり、意外にもこの日は自分以外にも観光客が二組ほどいました。

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 その頂上からの眺めである。This is ザ・緑区、といった感じで実に味わい深い。この味わいがわかるようになれば大人である。

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 消化不良なので、おけはざま山の北西にある周辺の最高峰、標高54mの高根山にも行ってみました。今川方の松井宗信が陣を構えた場所とか。山頂には日清・日露の戦没者慰霊のために創建された有松神社があります。

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 まあまあ絶景で、とりあえず満足したのであった。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

砦ビュー比較論

2017年05月12日
 わざわざ登った鷲津砦からは眺望がまったく楽しめなかったので、他の桶狭間の戦い関連史跡からの眺望はどんなものかと思い、ついでに回ってみました。

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 鷲津砦から南東へ700mほどのところにある丸根砦。ここも鷲津砦と同じく、今川方の鳴海城-大高城のラインを分断するため信長が築いたもの。住宅地の中にポッコリと丸い小山がそびえており、素人目には鷲津砦よりもわかりやすい。入口に「!」マークの標識があるのもそそります。

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 頂上は広場になっており、丸根砦慰霊奉仕会なる団体が建立した「丸根砦殉難烈士之碑」が建っています。周囲はが木が生い茂り眺望がきかず、木立の隙間から南西方向がかろうじて見えるのみ。

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 といっても森の里団地しか見えないのですが。
 わたくし、分厚く切ったカステラのような森の里団地は異形感が強くてけっこう好きで、東海道本線で大高付近を通過する時はつい眺めてしまいます。

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 砦の中腹を一周する遊歩道(?)からの眺めはもう少しいい。けどなんか地味。正面は南生協病院。

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 大高の二つの砦に続いては、鳴海駅の北東にある善照寺砦跡へ。これも信長により築かれた砦で、桶狭間の戦いの前に信長方の兵が集結したとかなんとか。
 自然あふれる先の二つの砦とは全く異なり完全に住宅地で、砦跡も子供が遊べる公園に整備されています。隅には昭和9年に建立されたかなり立派な「鳴海絞開祖三浦之碑」が建っており、石モノマニアとしては砦どうこうよりもそっちのほうが気になるところ。

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 公園の隅には小さい展望台が設けられており、いちおう有松・桶狭間方面が眺められます。名古屋郊なので景観が地味なのは致し方ない…。近隣だと、千句塚公園(→●□)や滝の水公園(→●□)からの眺望のほうがいい。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0349

2017年05月10日
 信長取材がらみで、清洲城のほかに大高駅のすぐ東にある鷲津砦跡にも久々に行ってみました。今川方だった鳴海城-大高城のラインを分断するため信長が丸根砦とともに築いたもので、桶狭間の合戦の前哨戦が行われたとかいう話です。

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 木立の生い茂る小山の中に史跡碑や大正4年建立の「表忠碑」がひっそり立つのみ。眺めも悪く、というか木ばかりで何も見えず、戦国マニアでもない人には面白さがわからないようなところです。わたくしは戦国マニアではないので、特に面白いとは思えず…。

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 いちおう「鷲津砦公園」となっており、不等辺三角形の凝った(ようなそうでないような)案内板が設置されております。この案内板の現在地表示がちょっと面白かった。

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 ゲームウォッチのような人型が描かれているのであった。
(まさ) 
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

THE 分断

2017年05月05日
 少し前、とある取材で何年かぶりに清洲城の界隈をウロチョロしてみました。

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 城の最上階から眺める濃尾平野。新幹線の見物スポットとしては最上級ではないでしょうか。
 清洲城の遺構はほとんど残っていないということですが、そもそも清洲城は、いま天主閣が建つ場所ではなく五条川の右岸にあったといい、東海道本線と新幹線で分断されています。今回初めて気が付いたのですが、城跡に整備された公園は線路を挟んで南北で名称が異なり、公式には別モノ扱いになっています。

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 線路北側(朱塗りの大手橋の正面)は「清洲古城跡公園」。清洲城址碑、祠、土産販売&休憩施設があります。

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 線路南側は「清洲公園」。昭和11年に建てられた.“26歳信長・桶狭間へ出陣するの像”があります。左は濃姫像。石柵付きの信長像と違ってなんか取って付けた感があると思ったら、平成24年に移設されたらしい。清須市HPの清洲公園の項には「桜の名所としても知られ、市民に親しまれているこの公園は、『始まりの地~二人の愛と希望の丘』と称し、夫婦円満、恋愛、立身出世、必勝祈願のパワースポットとなっています」とある。いやはや、どうも…。
 案内板によると、清洲公園は大正11年の開園。信長への贈位(正一位)の記念に旧清洲町により建設されたとのこと。

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 園内を歩いていたら、第二次大戦、日露戦争、西南戦争の忠魂碑など、戦争関係の石碑がずらっと並べられた一角があって驚いた。旧新川町役場、旧春日村役場にあった忠魂碑も、合併後の平成17年にここに移転されています。案内板に「清須市の一体感の醸成にも資することから、旧町の碑を清洲公園に移設し…」とあるのが引っ掛かります。マニアとしては、石碑は最初建てた場所にないと意味がない、と思うのですが。

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 オマケ。天主閣から名古屋方面を望む。ディーゼル機関車が一両でモタモタ走っているのが見えます。
(まさ)
尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

押忍!摩崖仏

2017年05月04日
 大鷲院のあと旧東加茂郡の山の中をフラフラしていたら、旧旭町の押井でも摩崖仏に遭遇しました。

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 県道490号沿いに樹齢三百年超という欅の巨木がそびえており、その根元の石に彫られています。

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 二体あり、手前は地蔵、奥は俱利伽羅明王。文久3年(1863)の造立で、大鷲院と比べるとなかなかの大モノ。
 案内板によると愛知県に摩崖仏は大鷲院と押井の二か所にしかないとのことで、数時間のうちにたまたま二つとも拝むことができたので、特に話題は広がりませんがアップしてみました。

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 ちなみに押井はこんなところ。実に東加茂郡らしい雰囲気の小集落です。このあたりを車で走り回っていると、似たような風情のところばかりでどこを走っているのかわからなくなります。
(まさ)


所在地はこの地図の中心
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0348

2017年05月02日
 その大鷲院は旧足助町も推していた観光名所だったようで、旧町時代の名残のカンバンがいくつも残っておりました。

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 文化財保護委員会による案内板である。

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 観光協会による案内板である。書体が微妙に異なっていますが、細い字が昭和らしくていいですね。あと、カンバンじたいの材質(アクリル?)と色も昭和らしい。

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 このような啓発カンバンを出すほど、昔は観光客が多かったということでしょうか。

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 中学生が美術の授業でポスターに描きそうな木の表現。

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 これは大鷲院でなく、近隣の玉野町で発見。手書きっぽい文字、ワイルドな矢印、取ってつけたような標語、そして足助町章と、すべてにおいて味わい深い逸品である。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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