ニニンが三蔵子

2017年03月21日
 春夏秋冬叢書「そう」54号連動ボツネタ。
 豊川には、蔵子によく似た名の「三蔵子(さんぞうご)」という町があります。海軍工廠跡の工場地帯の北東に位置し、三蔵子小学校があるので蔵子よりは知られている地名ではないでしょうか。なお6年ほど前の「そう」30号では、三蔵子小学校の御殿万歳部を取り上げたことがあります。



 蔵子と関係がありそうに思いきや実はぜんぜん無関係のようで、地名の由来は「行基が作った“三尊の霊仏”にちなんで三尊郷と呼ばれていたのが、転じて三蔵子になった」とかなんとか…。

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 語感がいいので当初はこちらを取り上げたいと思っていたのですが、行基作の三尊霊仏がどこにあってどうなったのかまったく分からないし、ありふれた住宅地で写真的にもチョイと難しかったので、今回は見送ることになった次第です。

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 家並が尽きたところから本宮山麓に向かって畑が広がっており、これはこれで味わい深いのだが…。

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 三蔵子には、2008年に拙著「火の見櫓暮情」を作った時点では大小二つのHINOMIがありましたが、大きい方はいつの間にか撤去されておりました。こちらはまだ生き永らえている、三蔵子公民館横の中型半鐘台。秋葉山常夜燈とセットになった意味深い一基。先の広報掲示板や高札型史蹟案内板とともに、ぜひとも後世に残していきたい一品ですネ!←こればっか
 なお標題の元ネタは、70年代後半に放映されていたドリフの西遊記人形劇のエンディングテーマの一節でございます。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0346

2017年03月20日
 春夏秋冬叢書「そう」54号連動ネタ。
 もうひとつ白鳥から。白鳥神社の東側に、法雲寺という寺があります。

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 小さい寺ですが、豊川市教委が設置した立派な文化財案内板が設置されており歴史があるらしい。案内板の要点は以下のとおり。

・本尊の木造阿弥陀如来立像(市指定文化財)は鎌倉時代初期の作
・地蔵堂の延命地蔵は(市指定文化財)は鎌倉時代後期の作。寺伝では「日本に三体しかない弘法大師の作」とも
・山門は「薬医門」と呼ばれ、赤坂陣屋から移築したものという

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 境内には、寺が独自に建てたと思われ昔ながらの案内板が二つもありました。ひとつはこの木造タイプ。

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 そしてもう一つがブリキタイプ。どらも高札風で、だんだんこういうものも少なくなってきているのではないでしょうか。先の広報掲示板とともに、ぜひとも後世に残していきたい一品ですネ!

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 ここは「白鳥地蔵尊」と呼ばれ、かつては多くの参拝者があったようです。往時の繁栄を示す道標がふたつ、境内に転がっておりました。ひとつは自然石の大きなもの。

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 もうひとつは折れてしまったもの。おそらくもとは姫街道沿いに立てられていたと思われます。引っくり返して建立年をチェックしたい…。
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0345

2017年03月18日
 春夏秋冬叢書「そう」54号連動ネタ。
 前回の2枚目の写真、白鳥神社の鳥居前の常夜燈の脇には、このような味わい深いものが建てられております。

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 豊川市の広報掲示板です。木製、屋根付きの立派なもので、しかもお知らせが全面に掲示され「生きて」いるうえ、立地場所も素晴らしい。シブい広報掲示板はまだ各地でけっこう見られますが、豊川のものはその際たるところでしょう。
 この掲示板に、左右の柱に色違いの標語プレートが貼られているのも注目ポイント。

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 家庭の日は、昭和40年頃に制定されたらしい。ということは、この掲示板もそのころに建てられたもの。

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 かつて隆盛を極めた三河ヤンキーたちへのメッセージである。いや、こんなところでもこういうエラソーなことを上から言うもんだから、反発して三河にヤンキーが増えたのか。

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 白鳥ではこのほか、総社近くの白鳥公会堂にも同タイプの広報掲示板があります。数年前まではここに火の見櫓もあり、シブい公民館建築も含めて「昭和アイテム揃い踏み」の様相を呈していました。
(まさ)

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三遊亭三河白鳥

2017年03月17日
 春夏秋冬叢書「そう」54号連動ネタ。
 今回の徘徊いや取材では、せっかくなので蔵子と桜町の親村である白鳥も歩いてみました。白鳥は名鉄国府駅南東の集落です。

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 白鳥の集落は、財賀方面から伸びてきた山裾がちょうど尽きるところに開かれています。この写真ではよくわからないと思うので、興味のある人はGoogleMapの3D機能でこのあたりを見てみてください。奈良・平安時代には三河国の行政庁舎である三河国府がここに置かれていたと言われていますが、東に広がる豊橋平野に睨みを利かすには好適地のように思えます。
 写真に見えるモコモコっとした森は、村の鎮守である白鳥神社と、国府跡の隣にある「総社」の社叢。原野の真ん中にポツンとあった蔵子や桜町からも、社叢に包まれ威厳をたたえた親村はよく見えたことでしょう。

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 白鳥神社である。

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 総社である。総社は、国司(役人)が三河国内の神社を巡拝する手間を省くため各所の神社を集めたところ。

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 国府跡はその総社の隣にあったと言われており、その場所には無住の曹源寺があります。参道の雰囲気が東三河らしい味わいで、実に好もしい。白鳥にはこのようなシブい道が何本もあります。

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 シブい、シブすぎる! 
 ここ、NHKの「ブラタモリ」のロケ地にいいんではないでしょうか。ただし10分くらいで終わっちゃいそうだけど…。
(まさ)

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弟と幼馴染と

2017年03月15日
 春夏秋冬叢書「そう」54号連動ネタ。



 蔵子に隣接して「桜町」という町があります。地内を国道1号が縦貫し、桜町小学校や豊川桜町郵便局があるので蔵子より知名度は高いかもしれません。広く知られているものといえば、国道1号の桜町交差点でしょうか。

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 別に知られてないですかね…。国1だったらここから1キロほど岡崎寄りにある京次西交差点のほうが、渋滞多発地帯として有名かもしれません。
 町名だけ聞くと区画整理がらみでできた新しい町のようにも思えるのですが、歴史は意外と古く、江戸時代初期の正保3年(1645)に白鳥の人によって開かれたといいます。
 蔵子と同じく白鳥チルドレンなわけですが、蔵子を開いた林次郎兵衛家次はもともと御油の人で、しかも蔵子は訳あって(水利の関係)白鳥の子になった「継子」です。言ってみれば蔵子と桜町は「異母兄弟」。なんだかどこかの国のロイヤルファミリーみたいな関係ですが…。
 資料を見ると、長男と親(白鳥)の関係は悪く、いっぽう実子である次男と親の関係は良好だったようです。兄弟仲については不明。仲良しであったと信じたい。

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 その桜町は、国道1号によって地区が二分された格好になっています。村の鎮守である若宮白鳥神社の参道は国1でぶった切られてしまい、旧東海道沿いの桜町1丁目の氏子のために共同浴場跡地の公園の一隅に「若宮白鳥神社遥拝所」の石柱が建立されています。
 遥拝所は、遥か遠くにある神社や宮城(今の皇居)へ向かって礼拝するための場所のこと。これはもしかして「拝む対象まで日本一近い遥拝所」かも。

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 で、その旧東海道は桜町と小田渕の境界になっています。右側の家並が桜町、左側が小田渕。
 小田渕の起源はよく分かりませんが、蔵子や桜町と違って最初から独立した村だったので、複雑な兄弟関係をすぐそばで見守る「幼馴染」のような感じ?
 その小田渕も、もとを辿ると名鉄の西側にある小田渕7丁目界隈が「本郷」で、旧東海道に面したあたりは桜町の成立とともに新しく開かれた村のように思えます。探ればこちらでも複雑な関係が浮かび上がってきそうだけど、今回は小田渕まで追求する余力はなかったので、またいずれ。

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 とりあえず小田渕駅近くにある稲荷神社の写真でも…。
 どうでもいいですが、語感がどこか泥臭い小田渕も、「おだぷち」と呼んでみるとなんかカワイイですヨ!(←何を言ってるんだ)
(まさ)

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On zou-shi

2017年03月14日
 春夏秋冬叢書「そう」54号が発売されております。今号のキーワードは「子」。私は例によって「地名探訪」「三遠南信産××育」、あと子供の祭りということで遠山郷上町の御祝棒(→●□)を、女性取材記者(まり)は岡崎市立竜美丘小学校の子供相撲をやっております。
 さて地名探訪。今回は豊川市の蔵子(ぞうし)を取り上げてみました。どこかというと、ここです。



 豊川市街地の外縁部に位置する、ごくありふれた住宅地です。一般的な蔵子のイメージはこんな感じではないでしょうか。

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 蔵子二丁目の、国道1号桜町交差点から姫街道の諏訪橋西交差点に通じる県道とか。

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 あるいは蔵子三丁目の、整然とした街路とか。なんというか、実に豊川っぽい感じ。
 一見、これと言った特徴もないような町に思えるのですが、調べてみると意外に面白い歴史がありました。蔵子は戦国時代に林次郎兵衛家次という人が開いたのですが、西に2kmほど離れた白鳥(国府駅東の高台にある集落)の「子供」の村として扱われ、長いあいだ不遇をかこってきた…というのです。詳しくは本書をご覧ください。
 蔵子には一から七丁目まであり、そのうち一・二丁目が古くからの村、三~七丁目が高度成長期に区画整理された地域になります。上の写真の場所はいまひとつパッとしませんが、地図で狭い道がグチャグチャっとなっているあたり、一・二丁目の中心部に入り込むと、古い村らしく神社や寺や農協があったりしてなかなか味わい深い風景が見られます。

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 宗心寺である。

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 JAひまわり蔵子支店横の古い農業倉庫である。

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 果樹園である。
 うーん、この町の味わい深さは僕の写真ではなかなか伝わらないのであった。
(まさ)

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