虹&HINOMI

2016年12月31日
 昨日の記事の二枚目の写真にちらっと写りこんでいる火の見櫓の全貌はこちら。

161230-2.jpg

 見事な二層のHINOMIだ!立っている場所がまた絶妙で、右が古くからの谷汲巡礼街道、左が明治に開かれた揖斐への新道。脚元には道標もあります。所在地は本町で、地名とこのHINOMIの存在が示すように本来の池野の中心ということになるのでしょうが、このあたりは市街地の南端にあたり、商店も少なく町外れの雰囲気です。
 下段に見える半鐘に屋根が付いていますが、そのデザインが珍品。

161230-3.jpg

 なんと火事除けの「水」の文字が!火の見櫓なのに!この洒落のセンスは素晴らしい。
 でもってこの日、実家により近い沓井のHINOMIの後ろに、見事な虹がかかっておりました。

161230-1.jpg

 わたくしにしては珍しく吉兆な感じの写真が出たところで、今年もオシマイ。
(まさ)
スポンサーサイト
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0073/カンバンの手帖ブログ版0344

2016年12月30日
 先日、実家滞在中に隣町の池田町図書館へ調べものに行ったついでに、久々に池野の市街地を歩いてみました。

161231-1.jpg

 池野は揖斐、黒野と並ぶ「揖斐郡三市街」のひとつ。もとは中山道赤坂宿から西国霊場最終札所の谷汲山へ通じる巡礼街道沿いの小村だったのですが、明治に入って揖斐へ通じる新道が開かれたのきっかけに商業地化した…という歴史だったかと思います(手元に資料がないので違ってたらスイマセン)。
 国道417号に並走する旧道沿いに、当然ながら昔に比べると減ったもののそこそこの数の商店が並び、田舎にしてはまあまあの規模の商店街を保持しています。写真奥のほうには「年末年始大感謝祭」の横断幕も掲げられ、それなりに活気があるように見えます(ただし池野地区単体の商店街組織ではなく池田町商工会のもの)。

161231-6.jpg

 池野市街地の商店街は南から順に本町、栄町、天神町、三和町、上町、緑町、北池野となっていますが、ここの街灯用カンバンは基本的に、達筆の人が書いたような楷書体。90年代のCI導入以前の名鉄の駅名標を彷彿させます。
 昔は特になんとも思わなかったのだが、最近こういう書体がどこの町からも少なくなったせいか、はたまた単純にトシをとったせいか、味わい深いと思うようになってきました。

161231-5.jpg

 町ごとに少しずつデザインが異なるのは、かつてそれぞれに商店街組織があった名残でしょうか。当ブログの三河の読者諸兄は店名にも要注目。

161231-7.jpg

 なぜか天神町だけ楷書体ではありませんが、これも町単位の商店街組織による差別化策の一環でしょうか。
 あと、池田町商工会に倣って年末感謝ということで(誰に対する?)、池野で発見したカンバンをいくつか。

161231-4.jpg

 早すぎたローカルキャラ。このカンバン屋さんはかつて数々の名品を生み出したに違いない。

161231-3.jpg

 珍品にして70年代的な名デザインである。

161231-2.jpg

 なんかカッコイイ!けど、どこかで見たことあるような…。たぶん発注者である店主かカンバンデザイナーが鉄道マニアで、昔の寝台特急やL特急のヘッドマークの書体やデザインに影響を受けたのでしょう。
(まさ)

---------------------------------------
◎マルカドブックス
2冊更新しました。
0286素晴らしいアメリカ野球(フィリップ・ロス)→●□
0287されど鉄道文字 駅名標から広がる世界(中西あきこ)→●□
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

可児エ・ウェスト

2016年12月29日
 2週間ほど前、およそ3年ぶりに可児市方面へ行ったついでに可児駅に立ち寄ってみたら、何やら駅で工事が行われており唖然。

161229-1.jpg

 おお、ここの駅舎もJR東海お得意のどうでもいい橋上駅に建て替えか…。

161229-2.jpg

 と思ったら早とちりで、なんと古い駅舎はそのままで東西自由通路を作るらしい!JR東海の意向ではなく市の独自事業と思うが(違ったらスイマセン)、こういう形で駅舎が存続するのはJR東海の駅では初めてではないだろうか(あったらスイマセン)。供用開始は平成29年度末予定とのこと。

161229-3.jpg

 大正7年築の地味な駅舎で微妙にパッとしない感もありますが、とりあえず生き永らえたことを喜びたい。

161229-4.jpg

 ついでに可児市の中心地区である広見の市街地も初めて歩いてみました。昔ながらの商店が連なってはいるけれど比較的と小規模で、近隣の御嵩、八百津、川辺などと似たり寄ったりな感じ。可児というと、昭和57年に市制施行したころ名古屋のベッドタウンとして県内一の人口急増を誇ったことを思い出しますが、玄関駅や中心市街地は可児郡可児町時代の風情で好もしく思えます。
(まさ)

---------------------------------------
◎マルカドブックス
2冊更新しました。
0284立川志らく まくらコレクション(立川志らく)→●□
0285駆け込み寺の男-玄秀盛-(佐々涼子)→●□
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

山里の水路のブルース

2016年12月28日
 上川角では旧橋の親柱が収穫でしたが、大千瀬川を挟んだ下川角のほうでは、山際に伸びる水路に目を奪われました。さんざん共感を得られないネタをアップしているけれど、これはもう最果てでありましょうか。

161228-1.jpg

 ナイス蛇行!

161228-2.jpg

 シブい、シブすぎる!
 僕の実家のある揖斐川町の集落にこれと同じような水路がありまして(ウチのほうでは“イスイ”と呼んでいる)、子供の頃から馴染んでいることもあって大小関わらず水路には目がないのである。源流目指して遡ってみたり、木端を流して競走する「船流し」遊びに興じていたので、水路を見るとついどこまで辿っていきたくなります。普通、なるよネ!ならない?

161228-3.jpg

 自然石の「疎水開削記念碑」も発見。こんなものを作ってしまうほど、開通の喜びはひとしおだったのでしょう。できれば水が流れているところを見てみたい。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

おやおや親柱0004

2016年12月25日
 春夏秋冬叢書「そう」53号連動ボツネタ。
 地名探訪の「角の付く地名」の候補には、気賀四ツ角の他に東栄町の川角(かわかど)も挙がっていました。国道473号沿いの、本郷と浦川のちょうど中間に位置する集落です。



 ご覧のとおり、大千瀬川を挟んで上川角と下川角に分かれています。地名の由来は見たまんま、地形以外のなにものでもなく、特に話が広がらずネタも見つけられなかったので、あえなくボツにした次第。この雑誌でなけりゃ取り上げられることもまずなさそうな集落で(いつもそんなところばかりですが)、雰囲気もよかったので惜しいのだが…。

161225-1.jpg

 上と下を結ぶ川角橋。昭和59年に架橋された、特にどうということもない橋ですが、すぐ下流に昭和6年架橋の旧橋の土台が残っています。この橋を通るたびに気になっていたものの地味すぎていつもスルーしていたので、この機会に見物することに。

161225-5pg.jpg

 現在は導水管の土台として活用されており、取り付け部分のみ欄干が残存。薄汚れた通行止標識と色あせた県の一級河川標識も残っています。何と言うか、じっくり見たところで特にどうということもありませんが…。
 橋のすぐ近くに川角集会所があるのですが、その敷地内に旧橋の親柱が保存されていたのには、今回初めて気が付いた。

161225-4.jpg

 その並べ方がなんか墓っぽいのであった。

161225-3.jpg

 ちなみにその川角集会所。この写真のポイントは、やたらとデカい集会所名と(こんなにも存在を主張する集落の公民館も珍しい)、生きている公衆電話ボックス。
(まさ)

161215-4.jpg

---------------------------------------
◎マルカドブックス
2冊更新しました。
0282探検家、40歳の事情(角幡唯介)→●□
0283崇徳院を追いかけて(鯨統一郎)→●□
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

気賀の90年代雑写真

2016年12月24日
 三ヶ日の消えた名建築を出したついでに、気賀で消えたものもいくつか。古写真は例によってテキトー接写につき若干ボケてますのでご容赦ください。
 「そう」の取材のために夏場に気賀へ行ったところ、片町バス停前にあった建物が取り壊され、更地になっていた。

161224-11.jpg
(2016.09.07)

 昨年はここにこんな建物がありました。

161224-7.jpg
(2015.06.19)

 張り出した庇に書かれていた文字が消されているので何だったのかわかりませんが、さらに遡ると…。

161224-1.jpg
(1997.04.27)

 遠鉄観光タクシーの車庫だったのでした。ここにタクシーが停まっている場面には遭遇したことがなく、97年の時点でこの建物がタクシー車庫として機能していたかどうかは不明。
 続きまして気賀四ツ角交差点。

161224-12.jpg
(2015.06.19)

 清水通りからの眺めで、左が落合通り(浜松方面)、正面が曳舟通り(舘山寺方面)、コメリのカンバンの脇が要害堀跡の生活道路、右が中央商店街(三ヶ日方面)。曳舟通りと要害堀の間に見える狭い空き地には、かつてこのようなものがありました。

161224-2.jpg
(1992.10.09)

 気賀魚市場です。確か「日本一小さい魚市場」と呼ばれ、この少しあとに廃業された際には静岡新聞でけっこう大きく報じられた記憶があります。
 それから、登録文化財になった気賀駅のホーム。 

161224-9.jpg
(2015.06.19)

 現況もじゅうぶん風情がありますが、かつてはもうひとつアイテムがありました。

161224-10.jpg
(1992.04)

 上屋の下の待合室です。手書きで板製の乗り場案内がまたなんとも。どこかに保管されているのだろうか。

161224-6.jpg(1992.10.21)

 あと気賀四ツ角バス停は、かつては天浜線ガードの下にはなくもう少し交差点寄りに立っていました。撮ったけどぜんぜん覚えていない…。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

四辻JINSEI

2016年12月23日
 春夏秋冬叢書「そう」53号連動ネタ。
 交差点の地名表現には、遠州では四ツ角や十字路のほかに「四辻」というのもあります。僕が知る限りでは、三ヶ日と宇布見西ヶ崎の中心部にある交差点がそう呼ばれています。

161223-1.jpg

 三ヶ日四辻である。地元の商店主に聞いたところ「ヨツジ」と発音するとのこと。姫街道に新城および新居への街道が十字に交わる地点で、気賀と同じくまさしく交通の要衝。名実ともに三ヶ日の中心点です。

161223-4.jpg
(2003.12.19)

 ちなみに13年前はこんな状態。信号には「三ヶ日四辻」の交差点名表示板があり、北東角にはガソリンスタンドがありました。

161223-2.jpg

 ここの北西角には「四辻坂」と称するコンクリート打ちっぱなしの集合店舗兼住宅があり、田舎の商店街で異彩を放っています。このロゴは「そう」編集長のデザイン。
 久しぶりに来てみたら、道路の反対側が空地になっていて驚いた。かつてここには見事な二階建てがありました。

161223-3.jpg
(2003.12.19)

 撮影当時は旅館みたいな建物の一階部分に「赤壁薬局」「三ヶ日無線」という商店が入っていました。地元の方のブログによると2013年11月に取り壊されたようで、古くは「厚生会館」という名称だったらしい。昔から気になっていた建物だったのだけれど、取材の機を逸した…。
(まさ)

---------------------------------------
◎マルカドブックス
4冊更新しました。
0278最後の冒険家(石川直樹)→●□
0279漂うままに島に着き(内澤旬子)→●□
0280静かな炎天(若竹七海)→●□
0281よるのふくらみ(窪美澄)→●□

遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ザ・クロスロード

2016年12月18日
 春夏秋冬叢書「そう」53号連動ネタ。
 気賀四ツ角の通称は考えてみるとそのまんまで安直ですが、遠鉄バスには四ツ角とは別の表現を採用したバス停があります。

161218-1.jpg

 天竜川駅の南約1キロ、南区飯田町にある鶴見富塚じゅんかん線の「飯田十字路バス停」です。この十字路は、東海道線の南を並走する「飯田街道」と県道315号(五島天竜川停車場線)の交差点のこと。

161218-3.jpg

 ただ、交差点名称は「飯田中」ですが。そしてバス停のある場所は気賀四ツ角と違って飯田地区中心部の端のほうで、一つ手前の「飯田バス停」の付近に小学校、郵便局、JAが集まっています。
 本来なら飯田町西バス停とかにしてもおかしくないところですが(それどころか隣まで距離も近いし停留所を設置しなくてもいいような気も)、あえて十字路というマニアックな名称を採用するところが、遠鉄の遠鉄たる所以。遠鉄精神の真髄を見る思いです。

161218-4.jpg
「どうでもいいですよ、おとうさん」

(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

観光之気賀

2016年12月17日
 春夏秋冬叢書「そう」53号連動ネタ。
 気賀を玄関口とする旧引佐郡を一言で表現すると「全国区になれるほどのパンチはないけれど、まあまあ好物件が揃った観光地」というところ(個人の感想)。しかし、来年のNHK大河ドラマがご当地ネタの井伊直虎とあって、一気にブレイクするのでしょうか。天浜線の気賀駅(→●□●□)は、10月末からこのような飾り付けで観光客をお迎えしております。

161216-2.jpg

 まあ、特にコメントはないですが…。
 直虎関連史跡をはじめとする旧引佐郡の有名物件はこれから頻繁に取り上げられるだろうから、当方はどこにも取り上げられなさそうな気賀の地味な名所をいくつか。

161216-1.jpg

 細江神社の脇にある「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」には、気賀四ツ角が描かれたもっとも古い地図(安政の地震による津波の図)があると聞いたので、子連れで行ってみました。ここには写真のような「ボタンを押すと電球が光る昭和チックな地図&ジオラマ」がなぜか三つもあり、お子様も楽しめるようになっております。
 順調に地図マニアに育っているウチの5歳児も、15分くらいあっちこっち押しまくっておりました。

161217-4.jpg

 北区役所から西へ500mほどのところには、「伝堀川城跡」という史跡があります。井伊家ゆかりの地ということで真新しい案内板も設置されていましたが、行った時(9月)は草ぼうぼうで、「首塚」とだけ書かれた表札を嵌めこんだ門柱がなんともいえない薄気味悪さを演出。

161217-2.jpg

 町の北側にそびえる山の上に整備されている「細江公園」には、昭和38年に建設された展望台があり、町並みや浜名湖が一望できます。ここから気賀四ツ角の俯瞰写真が撮れるんじゃないかと思って、行ってみました。

161217-5.jpg

 行ってみましたが、ただのゴチャッとした町並みにしか見えないのであった。
 展望台以外の見ものは、公園入口に設置された昭和48年製の「青春像」。タイトルとポージングの一致を見出すのが難しい、昭和のパブリックアートの典型というような一品です。

161217-1.jpg

 「気賀に光を!」「大河キター!」等のセリフを自由に入れてお楽しみください。
(まさ)

161215-4.jpg
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

キングオブ四つ角

2016年12月15日
 春夏秋冬叢書「そう」53号が発売されております。今号のキーワードは「角」。私は例によって地名探訪と三遠南信産××育を、女性取材記者(まり)は「二角式製蔟器(にかくしきせいそくき)」という、豊川の農機具メーカー・共栄社が明治時代に開発した養蚕道具をやっております。
 さて地名探訪。今回は「四つ角の中の四つ角」と誉れ高い(個人の感想)、浜松市北区細江町の気賀四ツ角を取り上げてみました。

161215-1.jpg

 気賀四ツ角は江戸時代に気賀関所があった場所であり、当時から幹線道路が交わる気賀の中心部でした。
 交差点形状は写真のとおりいびつで、正面左が浜松方面の県道261号(落合通り)、正面右が舘山寺方面の県道49号(曳舟通り)、手前左が金指方面の国道362号(清水通り)、バイクが進入していく方向が三ヶ日方面の国道362号(中央商店街→●□)。これに加えてもう一本、コメリの看板の脇から、堀に蓋をした生活道路が伸びており、厳密には四つ角ではなく五差路になります。

161215-5.jpg

 通称地名ながら地元住民以外でもけっこう通用するんじゃないかと思いますが、それはひとえに交差点名と遠鉄バスの停留所名に採用されているから。わたくし、遠鉄の全バス停で「気賀四ツ角」は五指に入るナイス停留所名称だと昔から思っており、本誌で取り上げる機会をずっと窺っておりました。
 ちなみにどうでもいいですが、残りの四つは「貝まぐり」「ちんだ峠」「汽船場」、そして今は下気賀に改称されてしまった「下気賀ガード下」。ヒマで何もすることがない人は遠鉄HPの路線図で探してみてネ!

161215-3.jpg

 名前がいいだけでなく、主用系統である気賀三ヶ日線の乗り場は、好ロケーションが多い遠鉄のバス停で最高峰の風情と言い切っていいでしょう。ご覧のとおり、天浜の高架をそのまま屋根にしているのである!上り線には天竜森林組合製の木製ベンチ、下り線には富士フィルムの広告入りプラスチック製ベンチが計5台も置かれており、主要バス停らしい雰囲気をたたえているのもいい。

161215-2.jpg

 で、ここで天浜と遠鉄バスが交差する写真が撮れれば完璧な取材だったけれど、4本ほど列車を待っても同タイミングの通過はなかった。誰か本職のカメラマンに挑戦してほしいものです。発表できる媒体はないだろうけれど…。
(まさ)

161215-4.jpg
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

情緒ユニオン

2016年12月14日
 もう一発、東濃西部ネタ。
 陶と土岐市に行った日には、多治見の市之倉にもおりました。市之倉といえばさかづき美術館と幸兵衛窯(人間国宝加藤卓男の生家)で知られていますが、今回はそれら有名施設には目もくれず、こちらの物件を仕事の合間にチェック。

161214-1.jpg

 市之倉陶磁器会館です。「鄙には稀な」と形容したくなるモダンな現代建築。丹下健三とか有名な建築家の影響を受けてそうなデザインですが(あるいは本当に有名建築家の作品だったりして?)、誰か解説してくれないだろうか。
 それにしても、陶磁器産地なのに外壁にタイルを使わないとは!

161214-2.jpg

 と思ったら、玄関のドアの押し手部分が織部(?)でした。 
 考えてみると、昭和に建てられた同業組合系の建造物にはなかなか味わい深いものが多いように思います。多治見だと他にはこんな施設が。

161214-3.jpg

 徳利産地の高田にある「旧高田陶磁器工業組合」は、外壁に複数の種類のタイルをまとい、ショーウィンドウも備えた好物件。現在はギャラリー・喫茶・駄菓子屋が入り、たかた・おなだオリベストリート(→●□)の散策拠点として活用されています。

161214-4.jpg

 多治見市北部の丘陵地を切り開いた旭ヶ丘地区にある「多治見美濃焼卸センター協同組合」。昭和50年の築で、いかにも卸団地にありそうな風情の建物にさほど妙味はありませんが、外壁はにシブい風合いのタイルがびっしり。そして、エントランスロビーにはこんな名品が。

161214-5.jpg

 人間国宝加藤卓男作の陶壁です。タイトルは「陶燿の譜」。ちなみに我が地元の知立市役所にも加藤卓男の陶壁があります(→●□)。
 西濃とは違ってイケイケ気質の多治見なら、こういった地味ネタをピックアップする地域おこし事業をやってくれそうであります。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

THE 停車場

2016年12月13日
 陶に行った日には、久し振りに土岐市駅にも立ち寄ってみました。

161213-1.jpg

 土岐市駅は、東濃5市の玄関駅でいちばんサッパリした雰囲気の駅&駅前です(個人の感想)。ここに初めて降り立った昭和末期はもう少しゴチャッと賑わった風情だったように覚えているのだが…。
 ちなみに昭和末期になぜ土岐市駅に降り立ったかというと、鉄道ジャーナル社時代の「旅と鉄道」誌への投稿ネタにしようと東濃鉄道の廃線跡を探索しにやってきたのでした。そしてそれは見事に掲載された。

161213-2.jpg

 南に伸びる「駅前中央通り」である。

161213-3.jpg

 東に伸びる「共栄会通り」である。うーむ、特に書くことがない。
 こんな感じでサッパリした駅前界隈をひととおりチェックできて気持ちがサッパリし、駅前から立ち去って国道19号方面に行こうとすると、駅のすぐ東側でこのような踏切名称に遭遇。 

161213-4.jpg

 その名も停車場踏切だ!なんと大雑把な。東濃鉄道駄知線が走っていたころには側線が何本も伸びており、この踏切あたりも駅構内ぽい感じだった名残りであろうか。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

昭和陶

2016年12月12日
 11月中旬以降の超多忙とその反動によるPC拒絶で、当ブログ開設以来もっとも長い空白ができてしまいました(2011年の網膜剥離手術の時もこんなには空かなかったのに)。ぼちぼち復活を…。
 先月半ば、とある取材でまた東濃方面に行きまして、久し振りに瑞浪市南部の陶(すえ)地区の中心部、猿爪(ましづめ)に足を踏み入れました。

161212-1.jpg

 旧愛知県小原村と境界を接する山あいの地に忽然と現れる町場です。陶という地名が示すとおり美濃焼エリアの一角を占める窯業の町なのですが、取材先の地元の人に聞いたところによると、最盛期に56軒あった業者が今では8軒しかないとのこと。僕がここに初めて来たのは20年前ですが、そのころと比べと確かにちょっとアレな感じで…。

161212-3.jpg

 しかし現役商店はまだまだ多く、ストリートも上の写真の新町と、この本町の二本あり。特に本町にはシブい食料品店やシブい金物屋などが軒を連ね、なかなかの風情です。
 この新町と本町の間に「洞川」という小さな川が流れているのだが、この川に架かる小さな橋に窯業地らしい逸品を発見。

161212-4.jpg

 昭和橋の親柱に取り付けられた陶製銘板だ!下流側の親柱には「昭和十三年九月竣工」の銘板もありました。なんというか、字の上手な窯元の人がササッと走り書きしたような字が味わい深い。

161212-5.jpg

 あと昭和といえば、陶を含む瑞浪南部でやたらとこの昭和チックな「挙手人形」に遭遇した。しかもキレイに塗装されてて…。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)
 | HOME |