カンバンの手帖ブログ版0343

2016年11月27日
 湯屋温泉に泊まった翌日は、飛騨小坂の中心部から北へ15分ほどのところに位置する高山市久々野町阿多粕へ。母の友人のりんご農園があり、りんご狩りをさせてもらいに来たのだ。

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 サルのごとく脚立の最上段に登り、たわわに実ったりんごを片っ端から収穫する5歳児。美濃の山里の出自だが、飛騨のド山奥にもよく馴染む子供なのである。
 で、収穫後に村をフラフラしていたら、公民館の窓ガラスにこんなものが貼られていて驚いた。

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 1988年に開催された飛騨・高山博のステッカーだ!
 岐阜県民以外でこれを知っている人はかなりの地方マニア。この年の夏、岐阜市の現メモリアルセンター一帯で「ぎふ中部未来博」という、今から考えると趣旨不明の地方博覧会があり、その終了後、続けざまに高山で開催されたのが「飛騨・高山博」。多分、県内バランスを取るためだけにやったんじゃないかと思います。
 県民としてこれは見ておかねばならん!と思った当時の高校生の僕も、高山線の鈍行に乗って行ったのですが、どんな博覧会だったか全く覚えておりません。飛騨の特性を思い切り無視した「美しく、あたたかく、そして面白く 」というあまりにテキトーなキャッチコピーが、内容のすべてを物語っているようです。どこの広告代理店に乗せられたのか知らんが、バブリーな古き悪しき時代だった…。

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 剥がし忘れたステッカー一枚で県政をくさした後は、こういう和み系(?)の標語カンバンがなぜか心に沁みるのである。
(まさ)
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観光之下呂

2016年11月26日
 10月に取材で行ったばかりだというのに、2週間ほど前にまた下呂へ。今回は家族旅行です。下呂には仕事で年に一度くらいは来るけれど(今年はなぜか4度も仕事で…)、純然たる旅行で温泉街に来るのは生まれて初めて。

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 先月も来た温泉寺、今回は紅葉の真っ盛りでした。観光媒体で仕事していても取材スケジュールが観光のハイシーズンに重なることはめったになく、紅葉のタイミングで温泉寺に来るのも初めてです。

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 境内には紅葉期間だけの足湯も設置してありました。おお、いつか原稿書きの資料で読んだことがあるヤツだ!ということで、もしかしたらどこかで写真を使う機会があるかもと思い、嫁をモデルに撮影。嫁も心得たもんで、こういうとき夫婦で同業だと話が早いのである。

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 宿泊は下呂ではなく、炭酸泉で知られる飛騨小坂の湯屋温泉にしたので、その近くの名所の巌立峡にも数年ぶりに行ってみました。
 こちらでは「ワイルドな渓谷を気軽に楽しめる散策コースが整備されています」みたいなキャプションを付けられる写真を撮ろうかと思ったのに、親の意向を汲み取らない5歳児は祖父と二人でずんずん歩いて行ってしまった。

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 でもって、宿泊した湯屋温泉「泉岳館」の炭酸泉大浴場。心身ともに弛緩しまくった旅行中の温泉撮影は、私の腕ではさすがに難易度が高く、どこかに使えそうなものは撮れなかった…。
(まさ)
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岡崎におけるストリート名称の件0004

2016年11月22日
 ここまで商店街組織名としての「××通」と、行政主導によるストリート名称としての「××通」を見てきましたが、さらに別のパターンもあります。

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 この石碑は美合町の県道48号(竜南メーンロード)沿いで発見したもの。平成5年に建立された「美合大通発足十周年記念碑」です。

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 竜南メーンロードのうちこの区間だけ「美合大通」と呼ばれている…ということではなく、この場合はこの界隈の自治会組織名になります。
 国道1号ほたる橋南交差点から小豆坂・国道248号・渡橋を経て安城に通じる県道48号は、昭和40~50年代の土地区画整理事業にあわせて作られた道で、人口の急増に伴い新たに設けられた自治会組織に、ストリート名称のようなこの名が付けられたようです。

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 そんなわけで、大通りからはずれた住宅地の一角にも「美合大通」の名を記した掲示板が。って、銀座研究に端を発したストリート名称調査も、ここまでくるともはや本来の意図がなんだったのかよくわからなくなってきた…。

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 ちなみに、このガードをくぐると畑が広がり、名鉄撮影の好適地(?)になっております。背景は美合大通地区ではなく、隣接する大西町南ヶ丘地区。
(まさ)
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岡崎におけるストリート名称の件0003

2016年11月19日
 商店街組織としての「××通」はさておき、純粋なストリート名称を示すオフィシャルな標識が岡崎には大変多く設置されています。オフィシャルというのは、国交省が定める「道路の通称名」の道路標識を使っているという意味。これほど設置されている自治体は愛知県では他にないんじゃないか、というくらい頻繁に見かけます。
 その標識にも3パターンあって、古い順に見ていくと以下のとおり。

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 国交省のHPによると、昭和37年1月の「総理府・建設省令『道路標識区画線及び道路標示に関する命令』の第一回改正」により「街路の名称」として定められたタイプ。
 この「木まち通り」は市街中心部の材木町を東西に貫く通りですが、なぜ「まち」が小さいのかは謎。

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 そのアレンジでアクリル板による立体バージョン。
 ここはなぜか「八幡通り」と「二七市通」の二つの呼称があります。市としては「八幡通り」だが、この界隈で構成する商店街組織の八幡町発展会としては「二七市通」推し、ということじゃないかと思います。ややこしい。

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 そして昭和61年10月の「第13回改正」で「道路の通称名」として制定されたタイプ。写真の標識は、たぶんトラックか何かがぶつかって曲がってしまい、本来の「本町通り」とは異なる道筋を指しています。早く直しゃいいのに、と前から思っているのだが。

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 市街地の「××通り」だけでなく、古くからの街道名称である「土呂西尾道」や、区画整理に伴って命名したと思われる「竜南メーンロード」などイマイチ浸透していなさそうな距離の長いストリート名称もあったりして、なんというか、マニアの収集意欲をそそります。いずれ全区間調査をしてみようと思いますので、請うご期待!(誰が期待を?)

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 前にも載せたような気がしますが、オマケ。西康生に設置されている市街地のストリート名称を記した石製案内板。
(まさ)
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岡崎におけるストリート名称の件0002

2016年11月16日
 トリエンナーレも閉幕間近になって、岡崎市内の会場のひとつになっていた国道1号沿い・康生町の表屋ビルへようやく足を運んでみました。

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 岡崎城前から康生通南交差点(国1と電車通りが交わるところ)までは、チョー頻繁に車で走るのに歩道を歩く機会は滅多になく、たいへん新鮮…というほど気分が盛り上がることもなかったですが。
 しかし、歩いていたらこのようなものを発見して驚いた。

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 「殿橋通発展会」の街灯カンバンだ!
 殿橋通というのはストリート名称というか、康生通南交差点を中心としたごく狭いエリアにある商店組織の名称です。市の公式HP内の「商店街組織の現況」に出ているので現存のようですが、実態はどうなのか?とりあえず、ストリート名称としては定着していない(しなかった)ようです。
 ちなみに、電車通りにあった昔の街灯カンバンはこちら→●□

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 名称が生きているかどうかよくわからない岡崎のストリートといえば、東康生の東端から連尺通りまで約100mの「八千代通」もそう。中華料理の萬珍軒や煎餅の一隆堂など地元民には知られた店もあり、いちおう「八千代通コミュニティー道路発展会」という組織もあるようです。

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 ストリート名称を示すものとしては、岡崎電報電話局が「加入電話10万突破記念」として昭和59年に寄贈したこのプレートと…

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 そして松栄鮨の行灯カンバンだけであった。
 以上、突っ込んで調べてみるべきか否かちょいと悩むような微妙なネタでした(いつもか)。
(まさ)

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掘って飾って

2016年11月09日
 でもって、せっかく来たので神岡市街地にも久々に一回りしてゆくことに。

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 高原川の河畔に町が広がる神岡は、県内の他の市街地にはない独特の雰囲気があります。どこらへんが独特なのかう表現しがたいのですが、なんとなく東海圏ではなく北陸圏の風情というか、岐阜県の配下から逃れた「独立都市」の風情というか。どんな風情だ。
 鉱山町というのも、独自の空気を作り出すポイントになっているのは間違いない。

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 中心部はなかなか賑わってるふうに見え、西里通り(左)、大津通り(右)、本町通りの三本の幹線筋を軸に、大小の街路が入り組んで町並みを形成しています。
 そんな町の辻辻で、このような方向表示塔を発見。

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 最近設置したもののようです。近付いてさらによく見てみると、ポールの中に驚くべきものが。

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 おお、鉱石とはなんと神岡らしい。他にも「杢地鉱」とか「方鉛鉱」とかあって、マニアックにもほどがある!
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0342

2016年11月03日
 上宝からさらに進み、かなり久しぶりに神岡へ。しっかり町を歩いたのは神岡鉄道に乗りに来た1996年が最後なので20年ぶりになります。
 適当に車を走らせていたら旧奥飛騨温泉口駅の前に出たので、見物していくことに。

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 しかしこんな駅舎には見覚えがない。どういうことかと早速スマホで調べたところ(神岡鉄道があった頃には考えられない便利な時代になったものだ)、2002年に建てられて廃止までの4年間だけ使われた駅舎とのこと。なんとまあ。
 しかし建物は現役で、廃線跡をマウンテンバイクで走れるようになっててその拠点施設として活用されている模様。それ、めちゃくちゃ楽しそうじゃないか!2、3年のうちに子連れで再訪しようと思います。
 その旧駅舎の入口にはこんなカンバンが。「おめでとうございます!!」の下に添えられた一文に注目(クリックで拡大します)。
 
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 感動が突き抜けたらしい…。
 で、ホームに行ってみると現役当時の雰囲気が保持されており、しかもこんなモノまで置いてあって、自分も感動が突き抜けた。

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 道路の案内標識だ!廃線跡の活用といい、これを保存しておこうというセンスといい、素晴らしいぞ神岡。

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 こうなると廃線跡チェックをしないわけにはいかない。隣の神岡大橋駅跡にも、ホームの片隅に駅名標が残存。

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 いかにも鉄建公団仕様といった飛騨神岡駅(国鉄時代は飛騨船津)も壊されずに残っておりました。
(まさ)

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新・蔵の町0002

2016年11月02日
 奥飛騨温泉郷からの帰路は、時間に余裕があったので高原川沿いを下って上宝経由で行くことにしました。奥飛騨温泉郷を含む旧吉城郡上宝村は、地理的にも経済的にも本来は神岡と結び付きが強いはずですが、平成の大合併時に飛騨市ではなく高山市にくっついています。

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 旧上宝村の中心地区、本郷へは来るのがほぼ初めて。高台の平地を開拓して人が住みついたような土地で、三河の人には「田んぼを増やし、商店を減らし、川へ下りてゆくつづら折れの坂道をもっと急にした、東栄町の本郷」を想像してもらえればイメージできるのではないかと思います(たとえがマニアックすぎ)。

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 この地域では板壁・切妻の瓦屋根の蔵が目につきます。調べる時間も話を聞けそうな人も見当たらなかったので詳しいことはわかりませんが、飛騨北部特有のものではないかと思います。
 立ち止まって鑑賞していたら、鍵穴部分のデザインが凄いものをいくつか発見。

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 アフロ姫!?

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 怪獣!?
 どちらも縁起物的な何かがモチーフと思います。探せばもっと見つかりそうだが、天気も悪いし時間も遅くなってきたのでまたいずれ…。

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 ほかには、本体に比してトタン屋根がやたらと大きい土蔵なんかもありました。そのうち蔵の調査のために再訪したいものです。
 読者(観光客)の興味を引くとは思えないけれど、どこかの雑誌で砂防や蔵を取り上げるマニアックな企画をやらせてくれないだろうか。
(まさ)
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SABOさん~後編

2016年11月01日
 新平湯には、タルマの滝とは別の谷筋にこのような砂防ダムもあります。

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 「日影第一号砂防堰堤」です。案内板によると昭和27年の完成で、「流下してくる土砂の調整効果を増大するため、大きな暗渠トンネルを設けている(中略)全国でも珍しい砂防堰堤」とのこと。これを含む新平湯の四つの砂防ダムが国の登録文化財になっており、なんというか、マニアックすぎて素人には価値がよくわからない…。

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 新平湯の北に位置する栃尾温泉には「流路工」と呼ばれるものすごい砂防施設があります。これは昭和54年に発生した、死者が三人も出た大規模な土石流災害を受けて整備されたもの。必要性とか景観とか頭をよぎるけれど、構造物に圧倒されて何と言っていいのか…。

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 でもって新穂高温泉の中尾高原入口には「奥飛騨砂防資料館」なるミュージアムが。建物外壁の横断幕に「砂防の情報がいっぱい」という惹句が書かれているけれど、誰に対するアピールなのか?マニア向け?
 昔からある施設ですが温泉地の取材には関係ないので、これまで一度も立ち寄ったことがありません。初めて見学してみたところ、昔の土木工事用具や災害史のパネル展示があって、けっこう面白かった。

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 資料館を見物したついでに、対岸にある無人の露天風呂「新穂高の湯」にも初入浴(温泉地を取材していながら温泉そのものにはさほど興味がなく…)。蒲田川河畔の巨石で囲ったワイルドな温泉で、ガイド本によく出てくる有名物件です。
 天候不順のせいなのか観光シーズンの谷間のせいなのかわからないけれど、底に砂がたまって海水浴場的な感触になっており、湯が予想以上にぬるかったこともあっていささか微妙な入り心地であった。
(まさ)
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