カンバンの手帖ブログ版0338

2016年08月30日
 八月アタマ、とある取材で二年ぶりに郡上八幡へ行ったついでに、時間調整で久々に市街地を徘徊。町歩き取材ではないのに酷暑の中を徘徊するなんて、我ながらマゾっぽい。

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 折しも郡上踊りシーズンで観光客もわんさか。自分だけでなく多くの人が、まるで亡者の集会のごとく炎天下をフラフラさまよっておりました。
 それにしても郡上八幡、来るたびにイイ感じの店が増えているような気がします。10年ちょっと前に岐阜や飛騨の観光ガイドブック制作に携わっていた頃は、掲載物件選定にも苦労すような有様だったのだが。昔ならば町歩きついでに新規店チェックをしたものだが、暑いのでそんな気力が湧きません。
 で、代わりにカンバンのチェックでも…。

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 新町にあったもと肉桂玉(ニッキ味の飴玉)製造元のカンバン。郡上八幡の肉桂玉といえば宗祇水近くの桜間見屋が有名ですが、かつては他にも何軒かあって郡上名物だった…のだろうか?
 その肉桂玉、一度だけ買ったことがありますが、なかなかどうも玄人好みの味で、お子様舌のわたくしにはにんともかんとも、という感じでした。それを「一粒心気清浄」とは、うまいことを言う。

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 新町の料理屋。裏口なのに立派すぎるカンバンが!

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 本町。食堂カンバンの見本のような一品。しかし、このラインナップでコーヒーとは!

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 旧庁舎記念館前の新橋に掲げられた、実に郡上らしい大会の告知横断幕。大会が開催できるほど青少年に友釣りが浸透しているというのが凄い。

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 そして釣りをする健全な青少年は、こんな遊びはしないでしょう。使われなくなったホース収納箱に貼られており、昭和50年代の遺物と思われます。
(まさ)
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中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

あやかしの隣人

2016年08月28日
 翌15日は南知多町豊浜の「須佐踊り」へ、来年取材するかもしれないのでそのためのプレ取材に行きました(ただの見物)。須佐は豊浜の旧名。踊りは江戸時代中期の元禄期創始といわれ、豊浜の東、西、中洲の三ヶ所で行われています。

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 一般的な盆踊りとは全く異なり、会場に響くのは生歌と太鼓だけで、曲はスローテンポのものが一つだけ。それを、数人の歌い手が交代しながら延々歌い継ぎ、踊り手たちも延々踊り続けます。僕が聴いていた限りでは曲の切れ目はなく、数時間にわたりループ状態。見ているだけで緩いトランスに陥り、たいへん情緒があります。
 歴史もあり雰囲気も素晴らしいのに文化財としては町指定にとどまり、地元もこの行事を宣伝しているようには見えないのが不思議です。
 まず、豊浜交差点すぐ南の豊浜西部の踊りを小一時間見物し、それから豊浜さかな広場近くの豊浜東部へ。 西も東も(あとで見に行った中洲も)、歌と踊りは傍から見ている分には差異はない感じです。
 ところが東部では、9時をすぎると風情ある雰囲気が一変。

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 奇妙な姿の物の怪たちが踊りの輪に続々と加わってきたのである!ここでも曲は途切れることなく、物の怪と言えどもゆったりした踊り方は同じ。恐ろしくシュールな光景に唖然、そして爆笑!まさしく亡者はクレイジー、電気グルーヴ「モノノケダンス」PVの実写版だ!
 地元の人に聞くと、恒例の仮装大会とのことでした。なるほど、こりゃ県クラス以上の文化財に指定している場合ではない。外向けに宣伝していないのは、おそらく7月の鯛まつり(→●□)に観光PRのすべてを傾注し、須佐おどりのほうは「観光客は呼ばずに地元だけで楽しもうゼ」ということではないかと推察されます。いやホント、楽しそう。

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 ところで、地元の人たちは、送り火の一種らしきことをしてから踊りに臨みます。
 西には二か所に祭壇が設けられており(二つの集落がある関係か)、うちひとつは喧騒から少し離れた船溜まり前に設えられた祭壇にお参り。実に漁師町らしい。

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 もうひとつの祭壇は踊り会場前。線香を立て、阿弥陀さんと「三界萬霊」の位牌に水を掛けて手を合わせます。ふたつとも、ラジカセから坊さんの読経テープがずーっと流れてて、踊りとはまた違った味わい深さ。

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 いっぽう東では、会場わきの水路のほとりで家族ごとに火を焚いておりました。
(まさ)

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6冊更新しました。

0253ニック・メイソンの第二の人生(スティーブ・ハミルトン)→●□
0254日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか(矢部宏治)→●□
0256日本会議 戦前回帰への情念(山崎雅弘)→●□
0257旅人の表現術(角幡唯介)→●□
0258親なるもの 断崖(曽根富美子)→●□
0259おそ松さん(シタラマサコ)→●□
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ある東西問題

2016年08月27日
 矢作南のあと、北へ3キロちょいのところに位置する東大友町の盆踊りへ。

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 こちらは大規模な矢作南とは違って町内の盆踊り大会で、こじんまりとしています。当地に民謡の作詞作曲家として有名な方がおられ、その方が昨年発表された「岡崎まつり音頭」も披露されておりました。
 会場は県道26号の一本東の通り沿いにある神明社。小さな村の氏神さんの境内で盆踊りを開催するのは意外に珍しいのではないか(公園や公民館駐車場での盆踊りが多い気がする)。雰囲気の味わい深さも倍加しております。
 小さい神社ながら由緒はなかなかのもの。壬申の乱で敗れた大友皇子は、自害したと見せかけてこの地に逃れ、村人は皇子のために館を建ててここに住まい、皇子は天照大神を祀る祠を建てた。その祠がこの神明社のルーツで地名も皇子が由来…という社伝が境内の案内板に記されています。没後、皇子を祀る大友神社も近くに創建されたとか。

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 神明社から少し南に行くと、住宅地の一隅に「大友皇子御陵」という碑もあります。大友神社は明治41年に神明社に合祀されましたが、この碑はその大友神社跡地に建てられていたものを、宅地か農地の造成に際して移設したらしい。

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 いっぽう、東大友町に隣接する西大友町には、大友天神社という神社があります。こちらの社伝では、大友皇子は没後、小針(西大友の北西)に葬られ、皇子の従者の長谷部信次が皇子を弔うためにこの神社を創建したという。皇子の墓は小針にある古墳群のひとつと伝わり、大友天神社の秋の例大祭に先だって代表者がそちらにも参拝するそうな。
 角川地名辞典によると、江戸時代の初期には既に大友は東西に分かれていました。もしかして東西分断は、大友皇子伝説の本流論争が遠因か!?

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 ちなみに東西のほぼ境界にある郵便局は、東西統合が実現した局名になっております。
(まさ)
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BON ダンサーズ & HINOMI

2016年08月23日
 14日はいちおう取材で、岡崎市西部の矢作南小学校で開催された「矢作南学区夏祭り」に行ってきました。
 内容は、バザー+地元のダンスチームによるショー+盆踊り。地域の盆踊り行事を、エリアを広げて大々的にやるというイベントで、人口が多いのでもうたいへんな人。
 
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 YOSAKOI的な踊りの向こうに、例によってHINOMIが!

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 盆踊りの舞台の向こうに、例によってHINOMIが!
 矢作南小学校の東側のJA敷地内に、岡崎市内でもっとも立派な火の見櫓がそびえており、このようなマニア垂涎の写真が撮れるという、おいしい取材なのでした。

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 おまけに、来場者の誘導・安全のため校門を強力なライトで照らしており、おかげで校門脇でライトアップされる金次郎&HINOMIのツーショットまで。この学校の先代金次郎はこちら→●□
(まさ)
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O・S・O

2016年08月22日
 盆前に友人家族とキャンプしてきました。場所は常滑市の大曽公園というところ。どこかといいますと、知多半島道路の半田インターからおよそ5分、知多半島の丘陵地のど真ん中になります。
 公園といっても野球場・競技場・テニスコート・プールなどを集めた「運動公園」で、その片隅に「まァ予算もあるしついにで作っとく?」てな感じで造成されたんじゃないかという風情です。昔の常滑市は陶業と競艇で財政が豊かだったから。
 しかもその時代の名残りなのか、一泊一張り100円という平成20年代後半とは思えない価格設定。すごいぞ常滑。

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 この晩の客はわれわれ二家族とバイクツーリングの一人だけ。広い敷地をほぼ独占できました。環境は思った以上によく、半島脊梁部らしく自然が豊か。ただし、樹木の向こうに民家が何軒かあり、朝は何人かの住民が雑木林の隙間から園内に入り犬と散歩してござった。のどかだ…。

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 キャンプサイトは快適なのですが、周辺設備が謎というか味わい深いというか…。
 芝生敷きのキャンプエリアの上段にアスファルト敷きの広場が二つありました。ラジオ体操や集会用のスペース?あるいはゴーカート広場とか?
 広場のひとつは三角形で、その中央にオブジェが。「大きな青い花/杉本準一郎」の銘板あり。wikiで検索したところ、常滑高校に勤務していた滋賀県出身の彫刻家という。

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 それから、廃止された交通遊園?的な施設が草に埋もれておりました。

 蛇足ですが、とある取材で聞いた常滑の公園ネタ。大曽公園から南へ2キロほどのところにある桧原公園は、当初は「陶芸村」にする計画だったそうな。陶芸作家をここに集めようという構想だったのだが、不便な場所なので頓挫したとか…。
(まさ)
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ユニチカ岡崎工場専用線の今昔

2016年08月16日
 トリエンナーレに行く前にサーティワンアイスクリームに寄るべく下車した北岡崎駅は、駅前の道は時々通るけれど下車するのはたぶん国鉄岡多線時代以来約30年ぶりと思います。

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 ホームも改札まわりも国鉄の匂いを感じさせます。どこが?と言われると、ベンチとか建材とか便所とかですかね…。
 地方都市の郊外と市街地の境目に位置する地味な地区の地味な高架駅の味わいがわかるようになったとき、息子よ、君も大人になったと認めよう。しかし、そんな大人にはならなくていいです。

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 外に出ると、かつてこの駅から分岐していたユニチカ専用線の高架橋の残骸がありました。
 実は一か月ほど前、たまたまユニチカ専用線廃線跡のそばを車で通りがかって工場付近を撮影しております。

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 いかにも廃線跡な感じでカーブを描く路盤の跡と、工場入口の川に架かっていた橋梁の跡が残存しています。周辺の地味な景観に溶け込み、なんとも地味、としか言いようがない。

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 しかし工場は配管剥き出しで、工場マニアならずともアガります。
 ここまでは前振り。わたくし、大学時代にこの界隈を自転車で徘徊した際、専用線を走る貨物列車にたまたま遭遇してたまたま撮影しておりました。以下、その時の写真。

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(1993.10.20撮影。以下同じ)

 愛環と並走する築堤区間を走る貨物列車。

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 橋の手前にはなんと人力で操作する踏切が!手動踏切の操作風景なんて後にも先にもここでしか見たことがない。

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 そして工場内に吸い込まれていった貨物列車。ホームと上屋、それに小型の黄色い機関車も見えます。
 いつかどこかで自慢しようと思っていたのだが、23年の時を経てようやく機会が訪れた。あースッキリ。
(まさ)
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ART & SUGAKIYA

2016年08月15日
 11日から始まった「あいちトリエンナーレ2016」の初日に、5歳児連れでさっそく行ってみました。まずは近場で、岡崎会場から。

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 前回の2013年当時は、親の行くところにはどこにでもついてくる素直な3歳児でしたが、5歳児ともなると「いきたくない。おうちであそんでいたい」などとぬかしやがる。そこで当世の甘い父親らしさを発揮し「サーティーワンアイスクリームを食べようゼ!」と誘ったらすんなりついてきよった。まだまだ単純である。
 そのサーティーワンは258号沿いの井田西町にありまして、名鉄で岡崎公園前、愛環に乗り換えて北岡崎で下車、徒歩3分の店でアイスを堪能したあと、北岡崎駅前から名鉄バスに乗り図書館交流プラザで下車、ようやく会場のシビコに辿り着く…というアホみたいな経路で行ってみました。

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 作品世界にどっぷり浸る5歳児。というかほぼ廃墟探索の様相である。
 前回の岡ビル&シビコもそうでしたが、このボロビルの廃墟感を活かし、空間とうまく融合していない作品はなんかピンときませんでした。そういう意味ではこの写真の作品(作家名忘れた)はよかった。5歳児はこのフロアの、名鉄が出てくる映像作品に唯一食いついてござった。
 で、5歳児が飽きるギリギリまで粘ってから会場を後にし、外に出ようとエレベーターに乗ったら間違えて地階まで行ってしまった。するとそこには、先程までのアート空間とは真逆の昭和空間で驚いた。

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 食品売り場の奥に広がる薄暗いフードコートだ。シブい、シブすぎる!

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 しかもやっている店は寿がきやのみ!少し前に全国に話題を提供した例の「♪店でも食べてみや~ち」が突如5歳児の頭に鳴り響いたらしく「ラーメン!ラーメン!」と騒ぎ始めたので食べていくことになったのでした。

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 作品世界にどっぷり浸ったあと、名古屋の伝統の味を心ゆくまで堪能する5歳児、の背後の張り紙もほぼアートなのであった。
(まさ)
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ののチャン

2016年08月12日
 先日、とある取材で岡崎駅の近隣の方に「針崎に“をかざきすてんしょ”(=岡崎駅)と記された貴重な道標がある」と聞いたので、近代石造物マニアとしては捨て置けないとさっそく見に行ってみました。

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 どこかと思ってその場所へ行ってみると、例によってHINOMIが!場所は三河一向一揆の拠点として有名な勝鬘寺から線路のほうへ少し入ったところ、針崎公民館の前。火の見櫓天国の岡崎でもじわじわと撤去の足音が聞こえていますが、とりあえず健在でなにより。
 件の道標は、火の見櫓の下に見える地蔵堂の傍らに建っており、この延命地蔵の標石と道標を兼ねたもの。2007年にHINOMIチェックに来たとき見たような気もしますが、当時はHINOMIしか目に入ってなかったので印象に薄い。
 建立年は明治33年。一面に確かに「をかざきすてんしょ」の文字がはっきりと見え「おおっ!」と感嘆したのですが、それよりももう一面に刻まれた地名に驚いた。

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 文字は「左 ふくをか とろ 中しま かたのはら 西のこおり みや」。漢字に変換すると福岡・土呂・中島・形原・西郡・三谷。
 西(ノ)郡は今の蒲郡の中心地区のこと。明治8年に西郡村と蒲形村が合併して「蒲郡」の地名が生まれてからはあまり使われなくなったと思っていましたが、この時点ではまだ通用していたことがわかります。
 形原は蒲郡西部に位置する名鉄蒲郡線沿線の地区で、現在は「かたはら」の読みが一般的ですが、かつては「の」を入れることも多かったようです。一例を挙げると、形原郵便局はいまだに正式な読みが「かたのはらゆうびんきょく」。…このムダ知識、豊橋南郵便局のバイト中に知った25年前から披露する機会を窺っておりました。いやー、まったくもってどうでもいい。
 福岡は、明治22年に土呂を中心に誕生した自治体名。併記は土呂のネームバリューゆえか。なお、この年にはまだ六ツ美村が誕生しておらず、その中心地区の中島が記されています。

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 ちなみに肝心のお地蔵さんはこちら。かわいいぞ。

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 さらにちなみに、ここから少し北に位置する柱の綿積神社の角に明治44年建立の常夜燈道標があり、こちらには「左 音野橋 西尾 大浜/右 福岡 幸田 蒲郡」と刻まれています。
(まさ)

(2017.01.21追記)
 日本郵便のサイトの「開局情報(開局・一時閉鎖等)」によると、形原郵便局の読みが1月30日付で「かたのはら」から「かたはら」に改称されるとのこと。

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夏場所の竿灯賞

2016年08月11日
 先月末、嫁の取材に父子もくっついて、岡崎市羽栗町の天王祭を見物してきました。国道1号の山中交差点から南へ3分ほど入ったところにある地区で、「竿灯祭り」とも呼ばれています。

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 竿灯といえば秋田が有名ですが、羽栗はそのミニ版という感じの小ぶりな竿灯が13本(台?)登場します。秋田の提灯が最大46個なのに対し、こちらは12個。異なるのは、このあたりの祭礼によくある「花笠」を先端に取り付けていることと、肩に担いだりせず台車で運ぶこと。少し前までは担いでいたらしい。
 嫁の取材なので詳しいことは頭に入っておりませんが、江戸時代初期に羽栗へ尾張津島から牛頭天王が勧請されており、祭礼も本家の巻藁舟に倣ったんじゃないかと推察します(違ってたらスイマセン)。
 流れは以下のとおり。

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 夕方、町はずれの御旅所(と言っても農道)に町内13自治会の竿灯が集合。日没するかしないかの7時20分頃に神社から神輿がやって来て、神火から各竿灯の提灯に点火します。
 点灯が終了すると7時40分すぎに神社へ向けて行列が出発。竿灯の行列は、真ん中に神輿を挟んで、前に7本、後ろに6本の態勢で、農道の中を進みます。

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 山中の城山を背にした真っ暗の田んぼの中を、まるで亡者のように進む竿灯行列。シブい、シブすぎる!しかし、暗すぎ&速度がそこそこあるので、僕の腕ではうまく撮れないのであった。

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 離れて見ていると味わいがありますが、暗すぎて田んぼの中に落ちそうなので、町民ヅラして行列に随行しました。 
 かなり風情のある祭りなので(僕の写真では風情が伝わらないが)アマチュアカメラマンが撮りに来ていてもよさそうなものですが、ビジターはわれわれ家族だけだったのは意外。

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 30分ほど進んだところで、県道脇にて中休み。ここで打ち上げ花火がドカドカ上がり、疲れて盛り下がりかけていた5歳児のテンションも回復。花火見物の合間に、町の人たちは停車中の神輿に賽銭をあげにきます。なお、神輿はオンザ軽トラ。
 花火が終わるとさらに10分ほど行列が進んで、8時40分ごろ熊野神社に到着。神事ののち赤飯の握り飯が振る舞われて終了。
(まさ)
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中学生が夢の跡

2016年08月07日
 その関ケ原古戦場の主だった史跡を巡っていたら、ちょくちょくこんなものに出くわした。

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 オリエンテーリングのポストです。写真は大谷義継の墓の脇。ここは昼でも薄暗い山の中にあり、近くの道路から10分ほど森林トレッキングをして辿り着きます。
 それにしても、人里離れたこんな薄気味悪い場所でオリエンテーリングなんてやるヤツいるのか!?と呆れたが、不意に記憶がよみがった。そういう自分が遥か昔、ここでオリエンテーリングをしたことを。

 かつてこの近くに「関ヶ原青少年自然の家」という子供向けの県営合宿施設がありました。揖斐川町では中学2年生のときここで2泊3日の合宿を行うのが通例で、たぶん岐阜県西部の小中学生はほぼ全員ここへ来たことがあるのではないかと思います。愛知県でいえば、稲武にある野外教育センターと同様の施設。
 うちの中学の合宿が行われたのは冬でした。で、そのカリキュラムのひとつに、自然の家が起終点のオリエンテーリングがあったのです。雪が降るクソ寒い日で、ほとんどの生徒がやる気を見せない中、なぜか自分のいた班は「優勝するぜ!」と異様に燃え、コースをほとんど走り通して本当にぶっちぎりで優勝してしまったのでした。愚か!

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 こちらは宇喜多秀家陣跡のポスト。
 道中、ものすごい山の中に突入して「道一本間違えたらマジ遭難?」てな心持ちで走り続け、オリエンテーリングというよりほぼトレイルランニング。しかも途中から吹雪いてくるし。阿呆な男子に付き合わされた班の女子二人のうんざりした顔が思い返されます。

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 そんな懐かしのオリエンテーリングコースに挑む父子に遭遇!なわけはなく、単なる史跡めぐりのようでした。
 今も地図が入手できるのか不明ですが、うちの5歳児がもう少し大きくなったら父子で挑戦したいと思います。

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「おことわりです、おとうさん」

(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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