ホースぶら下がり健康法

2016年06月25日
 和山間のような山の集落に行くと、軒先や玄関先にいろんなものが吊り下げられているのを目撃します。野菜類はまあどこにでもありますが、これには驚いた。

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 獣の皮かと一瞬思いましたが、棕櫚の皮をほぐしたもの…?いったい何に使うのだろうか。ほうきにでもするのか?田舎ではよく民家の敷地に棕櫚が一、二本植えられているのを目にするけど、実際に活用(?)されているところを見るのは初めて。などと言って棕櫚じゃなかったらスイマセン。
 実はこの時は珍しく人に出会えたのですが、話を聞いて別れた後にこれを発見したので、用途を聞き洩らした。これが何かを聞きに行くためだけに、いずれ和山間を再訪する所存である。

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 もうひとつよく分からないのが、消防ホースが二重巻で軒下に吊り下げられていること。

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 ひとつだけだったらスルーするところですが、和山間には他にもあったので(しかもここは二本)、意味があるのでしょう。

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 もちろんホース格納ボックスもあります。とはいえ、このような杣道に置かれているのも北遠らしくてなかなか凄い(ちなみに廃集落の針間野にもありました)。おそらく、人口減で建物も少なくなった今、こんなところにホース格納ボックスがあっても一刻を争う際に不便なので、多少でも使いやすいよう軒下に吊り下げてあるんじゃないかと思いますが…。

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 最後に、話の流れとは関係ないけどカモシカに出くわした。
(まさ)
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わさわさモノラック

2016年06月24日
 春夏秋冬叢書「そう」51号連動ネタ、というかボツネタ。旧佐久間町からもうひとつ間地名で、浦川地区にある和山間(わさんま)。



 浦川市街から沢づたいの林道を車で10分ほど、ぐいぐい登ったところにこの集落があります。地図には民家の印がけっこうたくさん描かれていますが、地元の人によると現在は三軒ほどらしい。

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 急傾斜地なのは北遠の他の集落と同じなのですが、天竜川の支流の支流沿いであることと、植林された杉が育ち過ぎているため、視界はさほどよくありません。
 先の間庄では階段にグッときましたが、こちらでは茶の搬送に使われたモノラック(運搬専用モノレール)の遺物がグッとくるアイテムです。

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 車道に面した起点に上屋が設えてあり、雰囲気は完全に駅!この奥に住むお年寄りが木立の奥から自分で運転するトロッコに乗って現れても、おそらく違和感はまったくないでしょう。

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 舗装された杣道を横切る高架線!小牧のピーチライナー廃線跡を彷彿させます。
 そして、こんな和山間にも例によってHINOMIが!

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 昭和32年に地元の浦川鉄工所が製造したもの。
(まさ)

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秋葉街道の弘法

2016年06月23日
 使うか使わないかわからないながら間庄の写真をいちおう押さえたついでに、北隣りの立原(たっぱら)集落も少し歩いてみました。地図は昨日の記事をご覧ください。

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 秋葉街道沿いの高所にあり、茶畑に囲まれた民家が崖にへばりつく景観は北遠の集落の典型といったところ…と、昨日とまったく同じ説明をするしかありません。
 こちらの民家、庭先に勝手に立ち入っていいんだろうか?と思いましたが、この庭じたいが旧秋葉街道になり、下の車道から街道筋を示す案内板も立てられおり自動的に入ってしまいます。街道ウォーカー向けと思われるベンチもあるし、まあいいか…。

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 この民家の脇に、味わい深い御堂を発見。

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 覗いてみたら、弘法さんがおられました。軒下には「八十二番」の文字。ということは、エリアが旧佐久間町だけなのか北遠広域なのかわからないけれど、この地域に八十八ヶ所めぐりが存在したらしい。
 梁には寄付者とともに御堂の建立年と思しき「昭和二年」の文字が墨書されています。これまで度々ここに書いてきたとおり、大正から昭和初期にかけて全国的に「ミニ弘法霊場」ブームがあり、この年号は時期的にぴったり。弘法像もその頃に製造されたっぽい木像でした。
 ぜひともこの知られざる八十八ヶ所の由来や全札所を解明したいところでしたが、昨日の記事同様、話を聞こうにもなかなか人が見当たらないのであった。調査はまたいずれ…。
(まさ)

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魔性の階段

2016年06月22日
 春夏秋冬叢書「そう」51号連動ネタ、というかボツネタ。
 三遠南信には「間」の付く地名が山ほどありまして、当初は廃集落の針間野ではなく、別のところにしようと思ってました。しかし到達困難と想像していた針間野へ予想外にも容易に行けたので、結局ここを取り上げることにした次第。
 候補地だったひとつが、旧佐久間町の間庄です。



 秋葉街道沿いの高所にあり、茶畑に囲まれた民家が崖にへばりつく景観は北遠の集落の典型といったところ。

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 このようにとんでもない足場の車庫も見られます。
 間庄のような急傾斜集落では、階段の味わい深さが最大の見どころだったりします。

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 自然石とコンクリートのハイブリッド(?)階段とか。

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 美しすぎる石積みの間をヘロヘロと蛇行するコンクリート階段とか。いやー味わい深い。味わい深いがこれで話を広げるのは困難の極みなのであった。話を聞こうにもなかなか人が見当たらないし…。

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 ちなみに二枚目の写真の階段を登ってゆくと、これまた味わい深い公民館に出くわします。狭隘な広場があり、災害時の避難場所を示すカンバンが立っているのも凄い。
(まさ)

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ああハリマノだ

2016年06月18日
 春夏秋冬叢書「そう」51号が発売されております。今号のキーワードは「間」ということで、毎回やってる地名探訪では水窪の針間野を取り上げてみました。本企画ではかつて人口ゼロの小字をやったことがありますが(上津具の冬ヶ洞→●□)、完全な廃集落を出すのは12年やってて初めてです。



 そもそも針間野がどこにあるのかというと、水窪のほぼ最北端(すなわち浜松市の最北端)、長野県の県境近くになります。地形図を見ただけでとんでもない場所にあることがお分かりいただけるかと。
 地形図には、集落へ通じる道路が点線しか描かれていませんが、実は車で近くまで行くことが可能です。

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 三遠南信道の草木トンネルを抜け、ヒョー越の方向に2キロほど進んだところで分岐する「林道針間野線」に入ります。この林道は途中から未舗装。

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 地形図では途中で道が途切れていますが、実際はその先約1キロ、民家の真上まで作業道が伸びています。ただしこんな道なので、よっぽどの物好きでなければ行かない方がいいでしょう。クマとか出そうな雰囲気だし。
 作業道の終点から集落へ下りてゆく道はちょっとわかりにくく、なんとかルートを探し出してようやく到達。

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 針間野の半分は林の中。家の土台跡や崩れた家屋が見られ、かなり早くから転居が進んでいたことが窺えます。

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 もう半分は開けており、畑の跡と、転居から二十数年~数年前を経過したと思しき廃屋が何軒か。
 でもって、集落の中には例によってHINOMIが!

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 森林鉄道の廃レールを転用した、小ぶりな火の見櫓でした。拙著「火の見櫓暮情」から七年経ちましが、未だに三遠で未見のHINOMIがあるとは、地理的にもテーマ的にもなんと奥深いことか…。
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0333

2016年06月13日
 僕がチェックを欠かさない日本郵便のサイト内の「開局情報(開局・一時閉鎖等)」に、緑区にある名古屋螺貝(ほらがい)局が「6/6移転」とあったので、その直前に行ってみました。

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 旧東海郵政局管内では、このタイプの局舎はもはや絶滅寸前ではないでしょうか。で、螺貝局へ行ったついでに、前から気になっていたこの建物もチェック。

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 ほら貝東交差点角にあるアパート「シャトレほら貝」です。坂道沿いにあるので階段状になっており、窓の形や一階部分にずらっと並ぶ瓦の庇が、ややブルジョアっぽい感じ。
 一階には一部歯抜け状態ながら商店が入っており、このような共通カンバンが。

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 ほ、ほ、ほ、と昭和40年代のレタリングっぽいサインが、これまたオシャレでありました。
 郵便局舎だけでなく、この時代のこの手の建物やアイテムもそろそろアレかもしれないので、然るべき研究者に調査してほしいところ。

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 さらについでに、すぐ近くに聳え立つ鳴海配水場も見物。登ったらさぞかし眺めがよかろう。
(まさ)
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ふなっホー

2016年06月12日
 まだ千葉ばなし。
 僕がチェックを欠かさない日本郵便のサイト内の「開局情報(開局・一時閉鎖等)」に、昨夏訪問した印西市の船穂郵便局が「4/29廃止」とあったので、今回の滞在中に見に行ってみました。

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 昭和50年代ぽい局舎には「閉店のお知らせ」が掲示され、ついでに局前ポストも廃止され黒いビニールシートが被せられております。
 張り紙を見ると、ここからわずか2キロちょっとのところに2局もあるので、利用者の便から見るとさほど影響はないかもしれません。しかし「船穂」という局名は明治22年から昭和29年まで存在した印旛郡船穂村の名に基づくものであり、印西町への合併・印西市制施行を経ても「印西」を冠することなく伝統局名を維持してきた貴重な存在でした。地名マニアとしては実に惜しい。

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 局のすぐそばには船穂小学校と「船穂村道路元標」もあり、ここあたりがまさしく村の中心地。

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 中心地なんですが、広大な林の中に人家がボソボソっと集まる北総台地の典型的な小集落で、町場的な風情はありません。ああシブい。

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 で、そんな船穂村の中心部からほんの数キロ行くと、千葉ニュータウンが広がっているわけです。写真は印西牧の原駅前のショッピングモールBIG HOPの観覧車から見た旧船穂村の一部。

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◎マルカドブックス
2冊更新しました。

0239不思議の国のバード(佐々大河)→●□
0240僕たちのヒーローはみんな在日だった(朴一)→●□
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空港の秘境

2016年06月11日
 芝山千代田駅から車で成田市街方面へ戻る途中、「東成田駅」の案内表示があったので寄ってみました。

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 ここは京成と芝鉄の接続駅で、かつてはここが成田空港駅でした。しかし、1991年にJRと京成が共同利用する現・成田空港駅が開業すると、東成田駅に改称して空港玄関口の地位を追われたという。今では空港の谷間のような場所にあって、閑散としております。
 しかしこの駅舎、「成田空港駅」を名乗るには小さすぎるような。

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 旧成田空港駅は1978年で、建物の素材や空間の雰囲気が昭和50年代ぽい。エスカレータ下り口の注意書きは空港駅時代のまま。

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 階段を下りると誰一人いないだだっ広い待合室が。怖い!状態はいいけど廃墟の趣きで、ここにいてもいいものか不安な心持にさせられます。

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 廃墟感を醸し出す、忘れ去られた陶壁。タイトルは「曲水の宴」。 
 どうでもいいですが駅や公共施設でよく見かけるこの手の陶壁、顧みられているようなそうでないような曖昧な存在感が興味深くてよく観察しているのですが、作品として見たとき「スゲエ!」と言いたくなるほどインパクトを与えられるものにはなかなか出会いません。

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 誰もいないかと思ったら巡回中の警察官がいて、久々に職質か!?と焦った。
(まさ)
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シバヤマニアック

2016年06月10日
 成田空港近辺徘徊のもうひとつの目的は、芝山鉄道。正月の千葉滞在の時、4歳児(当時)と一緒に乗りに行こうと思ったのに拒否され、仕方なく改めて一人で乗りに来た次第です。

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 芝山鉄道は東成田駅と芝山千代田駅を結ぶわずか数キロの鉄道で(列車は東成田駅を越えて京成成田駅まで運行)、駅の案内板によると「日本一短い鉄道」らしい。たぶん成田空港の建設と引き換えに敷設されたんだと思います。
 終点の芝山千代田駅前にあるパークアンドライド用の広い有料駐車場に車を停め、駅のホームにあがると、GW只中の真昼間とあって閑散。それでも数人の乗客があったけれど、全員がマニアという有様です。

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 芝山千代田駅は、東は空港用地、西はド農村という素晴らしい立地。ホームや車窓からも飛行機が眺められてなかなか面白い。しかし京成成田までわずか10分弱、路線の半分は地下で、旅行気分を味わう間もなく往復してあっけなく終了。

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 芝山町は埴輪が出土した古墳が売りらしく、駅前には「離陸」と名付けられたこのようなシュールなモニュメントが。三頭の馬に飛行機の翼と列車の車輪が付いており、埴輪なのかトロイの木馬なのよくわからない。

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 駅の近くには昨年廃校になった小学校があり、そこには金次郎像の代わりに埴輪が置かれておりました。
(まさ)
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下総一鍬田

2016年06月07日
 GWに例によって千葉県北総へ家族で行きまして、暇つぶしに成田空港の東から南あたり、芝山町や多古町を車で徘徊してみました。目的のひとつはこちらです。

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 芝山町の工業団地にある競輪の場外車券売り場、サテライト成田。船橋競馬場場外も併設されております。なお、結果につきましては、特に発表することはございません。
 そんなことはどうでもよくて、この周辺も農村レベルが非常に高くて大変気に入った。来るたびに千葉の農村景観の美しさに痺れております。

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 多古町一鍬田。競馬ファンには有名なシンボリ牧場のそばです。新城にも一鍬田がありますが、こんな特異そうな地名が千葉にもあるなんて。親近感が湧きますなあ(新城出身でも東三河在住でもないのに)。

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 その一鍬田には、例によってHINOMIが!度々お伝えしているとおり(→●□●□)、千葉には火の見櫓が多い印象。

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 成田市大栄十余三。落花生の畑だろうか。地元の人に話を聞きたいところですが、誰もおらず。

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 芝山町菱田。一帯はのどかすぎるほどの農村ですが成田空港はすぐ近くにあり、飛行機の大きな離陸音がけっこう頻繁に聞こえて、異世界感を醸し出しています。
 そういばブラックジャックに、成田空港周辺に住む農民が騒音ノイローゼで耳に熱湯をぶっかけるという話があったのを思い出した(「消えさった音」)。その問題は、今はどうなっているんだろうか。
(まさ)

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8冊更新しました。

0231すし 天ぷら 蕎麦 うなぎ(飯野亮一)→●□
0232謎のアジア納豆(高野秀行)→●□
0233僕の名はアラム(ウィリアム・サローヤン)→●□
0234闇の女たち 消えゆく日本人街娼の記録(松沢呉一)→●□
0235闇経済の怪物たち(溝口敦)→●□
0236世界八番目の不思議 1(宇島葉)→●□
0237さよならの手口(若竹七海)→●□
0238日本の路地を旅する(上原善広)→●□
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渡船場ロード

2016年06月02日
 ここでの告知を忘れていましたが、少しだけ関わらせてもらった風媒社の単行本「古地図で楽しむ三河」(→●□)が4月下旬に刊行され、その連動ネタ。
 本書では「衣浦湾の渡船」という項目を担当しまして、古い地形図の渡船場の地図記号をつなぎ、明治以降の衣浦湾にあった6つの渡船を紹介してみました。で、そのうちもっとも北にあった「藤江の渡し」の現況を。
 この渡船は東浦町藤江と高浜市吉浜を結ぶもので、衣浦大橋が架橋された昭和31年まで運航されていました。この藤江側の渡船場の所在地は、大変わかりやすくなっております。

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 目印は国道366号沿いにある知多バス&町営バス「渡船場口」バス停。実にそそる!渡船廃止から60年も経つというのにずっとこの停留所名で、しかも新設の町営バスまで踏襲するとは!
 どうでもいいですが、僕の地元の西濃を網羅する名阪近鉄バスにも、かつて大垣市南端の揖斐川堤防に「渡船場口」というバス停がありましたが、いつの間にか「川並今福」に改称されております。

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 バス停のすぐ南で交わる細い道が、渡船場へのアクセス道路。いやー、この感じだけでそそられる(ほぼ変態)。

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 国道から300mほどで、武豊線の柳丑東踏切を跨ぎます。東浦駅の少し南で、ちょうどこの踏切で衣浦臨海鉄道が分岐するという、実にマニアックなポイント。踏切より東は新田&新田を潰した工業団地で、干拓前はおそらく線路あたりが海岸線だったのでしょう。
 踏切からおよそ500m、国道366号バイパスの少し先あたりが、だいたいの渡船場跡になります。

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 そこには図ったように廃船が!

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 防波堤の向こうの吉浜には、渡船場跡の記念碑と文化財案内板が立っています。向こうも見に行ってみたけど風情はイマイチで、藤江側のほうが断然盛り上がります。と言ってもマニア限定で、普通の人にはどちら側も特に面白味を感じないでしょうが…。
(まさ)

◎実は本書連動ネタ
別所街道与良木峠→●□
幸田菱池→●□
舞木八幡宮→●□
田戸渡船場跡→●□
知多雑 | Comments(3) | Trackback(0)
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