廃岬0002

2015年12月31日
 今年の競輪グランプリは豊橋の星・深谷知広が不在で食指が動かん…などと言いつつ20.年ぶり2度目の現場観戦が叶い調布市の京王閣競輪場に行きました。いつも閑古鳥の鳴く場ばかりで、久々に大混雑、大歓声の公営レース場に行くとテンション上がりますなァ。レースも素晴らしい結末に終わり(→●□)、よき遠征であった。はっはっは。

 で、今年の最後も恒例、地味なところで締めくくり。
 衣浦湾にはかつて6本の渡船がありました。うち5航路は昭和31年の衣浦大橋架橋時まで、最後に残った半田-大浜航路は昭和44年の衣浦海底トンネル開通時まで運航されていたものです。
 先日、とある書籍の企画のためにそれらの三河側の渡船場跡を現況をチェックに回ったところ、高浜の田戸町で立派な記念碑を発見。

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 「田戸渡船番所蹟」碑だ!田戸と亀崎を結ぶ渡船は江戸時代からあり、その記念碑です。建立年は未刻ですが、昭和30年代のものと推察されます。
 ただし船着場跡はここではありません。高浜の海岸線は衣浦湾の開発により原型を留めておらず、碑も移設されたもの。もとは下図の青ラインが海岸線で、尖がった岬状のところから船が出ていました。古い地図を見ると、かわら美術館のあたりから弓なりの砂浜が続いていたようで、さぞ風光明媚だったことでしょう。



 田戸の岬跡の現況はこのとおり。

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 うーむ、つまらん。衣浦湾ほど景観的な面白味に欠く湾は他にないんじゃなかろうか。
 それはさておき、田戸渡船番所蹟碑の背後には「洲崎公園」という昔の地理的形状をよく表した名称の児童公園があります(地図の緑の部分)。

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 瓦の通路やモニュメントがいかにも高浜らしい、ということはさておきまして、公園の奥の方に鎮座する滑り台の形が前衛的すぎてなかなか凄い。以下、Eテレ「デザインあ」のデッサンあ風に角度を変えて見てみましょう。

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 その一。

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 その二。

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 その三。
 こういうわけのわからない遊具がいつ、どこの業者が、どういう意図でデザインして造ったのかという案内板を設置しておいてほしい…と思うのは僕だけでしょうか。
 そんなわけで、まったくもってどうでもいい話題で西三河のカテゴリが300に達したところで、今年もオシマ~イ。
(まさ)

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5冊更新しました。
0195色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(村上春樹)→●□
0196ヤッさんⅡ 神楽坂のマリエ(原宏一)→●□
0197ジヴェルニーの食卓(原田マハ)→●□
0198風と共に去りぬ 第1巻、第2巻(マーガレット・ミッチェル)→●□
0199現在落語論(立川吉笑)→●□
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西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ダンキチfeaturing金次郎

2015年12月30日
 日光東照宮の石灯籠を手がけたうちの一軒である石松石材工業さんは、JR西岡崎駅の南に位置する石工団地内にあります。岡崎の石造物製作会社の団地は、稲熊町の「石の公園団地」(→●□)とここの二ヶ所に分かれております。ともに高度成長期に造成・設立されていますが、まあ、当時いろいろあったんでしょう。

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 石工団地のほうにはキャラクターがおり、その名も「石丸団吉」。名前に団地の「団」を入れているところが高ポイント。しかも石屋ばかりなのでキャラモニュメントはお手の物という。
 昨冬見た公園団地同様、エリア内は石モノがわんさかあって楽しすぎます。

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 灯籠が専門の石松石材さんでは燈籠の数に圧倒!カタログ製作してみたい~。こちらには日光の350年祭灯籠のプロトタイプもあり。

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 他の石屋さんには金次郎像も!

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 ちなみにお膝元の矢作南小の金次郎像は、老朽化に伴い何年か前に石工団地協同組合で再建したものとのことです。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

石モノJAPAN

2015年12月29日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」49号の連動ネタ。
 地元産品の行方をわざわざ遠くまで行って探るという珍企画「三遠南信産××育」では岡崎の石モノ第二弾として、昭和43年に日光東照宮に寄進された岡崎産石灯籠を取り上げてみました。5月下旬に日光へ行ったことをここに書きましたが(→●□)、これの取材です。
 取材というか、実は本当にこのネタで書けるかどうか半信半疑でした。存在を知ったのは、第一弾の二見興玉神社の鳥居(→●□)を書くにあたって岡崎りぶらで資料を探していたとき、石の組合の記念誌にほんの一行その記述があったから。とりあえずどんなものか見てから記事化するかどうか考えようと、首都圏方面に取材3割遊び7割で出掛けたついでに日光まで足を伸ばしてみました。足を伸ばしすぎじゃないか暇人め、などと思われる方もありましょうが、まったくそのとおりで返す言葉もございません。
 で、行ってみたら実在してて、日光の雰囲気はいいし、家康400年で岡崎が盛り上がっているタイミングだし、岡崎・日光双方の地元民も知らない完全に埋もれたネタだし(誰も知らないことを書くのが本業のライターとして何よりの悦び)、帰ってから日光くんだりまで行った元を取りたい気持ちがフツフツと沸いてきて、記事化した次第。

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 その灯籠は東照宮と二荒山神社を結ぶ「上新道」沿いにずらっと並んでて、なかなか壮観。目を留める参拝者もけっこう多い。けど、基壇に「奉献三百五十年祭」と刻まれているだけで来歴はどこにも書いていないという。由来を誰も気にならないのだろうか?まあ、気になるのはわたくしのようなマニアだけでしょう…。
 なお三百五十年祭というのは、東照宮の創建三百五十年祭のこと。

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 基壇には寄進者名。ぜんぶメモしてきたので、時間ができて書く気力が沸いたらたらここにアップします。

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 本誌には建設当時の写真が小さく掲載されていますが、その拡大がこちら。岡崎から来たことをアピールする幕を掲げたトラックを連ね、夜を徹して東海道をひた走り、家康出生地から眠る地へ馳せ参じたと。
 この写真は、製造に携わった数少ない存命者である石松石材工業の原田さん所蔵。原田さんは平成26年に黄綬褒章を授与された灯籠の名工です。

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 一時間くらい撮ったりメモしたりしたのち、ついでに東照宮にある灯籠をチェック。年代物がわんさかあって面白い。しかし灯籠についての案内板等は皆無であった。日光東照宮創建400年が二年後の平成30年なんで、記念事業として日光と岡崎の教委が共同で完全調査でもしたらどうかな?
(まさ)

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東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0322

2015年12月28日
 昨日の続き。
 昨日の一枚目の松飾りの斜め向かい、本町四丁目の端に小さな稲荷社がありまして、その申し訳程度の境内にベンチの逸品を発見。

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 下伊那唯一の酒、喜久水(→●□)のベンチだ!ホーローカンバンのサイズに合わせてベンチを作ったのか、背もたれに広告を取り付けたのかどちらかよくわからないけれど、こんなドハデなベンチはなかなかなかろう。向かいがもと酒蔵と思しき酒屋さんなので、そこの寄進かもしれません。

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 しかも二つも!おまけに年代物の滑り台まで!ベンチも滑り台も使う人がいなそうな風情の境内ではありますが…。

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 稲荷社の隣には昭和な感じのケーキ屋さんがあり、歩道のビニール屋根の脚にも松飾りが括りつけられておりました。飯田はこうしたハイレベルの小アイテムが三河遠州に比べて多く、たまに行くとアガる。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

街灯に松飾り

2015年12月27日
 いやー、今年も残りあと4日ですね。困る。終わってない仕事があるのであと4、5日ほしい…。
 年の瀬といえば以前、年末の飯田市街でこんな風景を見かけました。

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 街灯に松飾り。ナゼ?しかも界隈の街灯ぜんぶに丁寧に括りつけられています。

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 市街地を徘徊していたら、松飾りを付けて回っている爺さんに遭遇。話を聞くと、飯田市街の正月には当たり前の風景らしい。

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 このあとも延々作業が続いて忙しそうだったので、詳しい話は聞けなかった…。心残りなのでいつか取材してみたいものです。そして、すべての街灯に取り付けが完了した、壮観な風景を拝んでみたい。さすがに正月に飯田に行く機会はそうそうないのだけれど。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(2) | Trackback(0)

船越マンタ探偵事務所

2015年12月26日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」49号の連動ネタ。
 「地名探訪」で豊橋の船渡町をやろうと思って行ってみたはいいものの、記事にできるかどうか怪しそうだったので、後日押さえで浜松を代表する船地名(代表?)、船越町に行ってみました。浜松駅の北東約1キロに位置する馬込川沿いの町で、日本形染という繊維製品染色の老舗企業があります。

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 シブい、シブすぎる!そしてここもこれといった切り口が見当たらない感じ。
 ひとつ言えるのは、ここだけ切り取ってみても浜松っぽい感じがするなあ、ということ。豊橋の町とは明らかに違う空気感があります。それが何に起因するのかはよくわからないのだが…。道幅と商店密度かな?

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 馬込川である。かつてこの川の流域に「染め屋」が集まっていたという。風情は微妙だが、なんとなく浜松らしくはあります。撮影場所は昭和橋。

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 昭和橋の上流、日本形染の工場の際には、このような味わい深い橋も。昨日アップした船渡町の大崎橋より形状のシブさがワンランク上だな、と思って銘板を見ると、昭和10年架橋だった。納得である。

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 そして名前は「富士見橋」。いやーシブい。
 こんな具合に、歩いてもシブいという言葉以上の話は膨らまず、ここも記事にすることは断念したのであった。
(まさ)

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遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

豊橋の漁村の残り香

2015年12月25日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」49号の連動ネタ。
 今回の地名探訪では船町駅を取り上げましたが、当初は同じ豊橋市内の船渡町を取り上げようと思ってて、今年の二月、久し振りにひと歩きしてみました。

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 船渡町は梅田川河口の左岸にあり、豊橋市内で漁村風情が残る二つの集落のうちのひとつです(もうひとつは前芝)。かなり地味ながら、海辺らしい明るさと寂れ感があいまって味わい深く、実にわたくし好み。しかしどうにもうまく紹介できる切り口が思いつかず、あえなく没にした次第。

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 三河湾に面しているはずなのに、三河港大橋と埋立地に遮られイマイチ開放感がないという…。

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 今号では形原・稲生港の土木遺産「繋船柱(けいせんちゅう)」が紹介されていますが、記事を読むと今では利用されていないとの。船渡ではこのようにまだ使われておりました。ただし土木遺産というほどのものではなく、たぶん伊勢湾台風後のものではなかろうか。

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 大崎校区のライフライン、大崎橋である。橋といい防波堤といい、ざらついたコンクリートが実にこう昭和な感じがして、僕は好きな集落なんですけどね。書きようがないけど…。
(まさ)

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東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

おやおや親柱0003

2015年12月19日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」49号の連動ネタ。
 今回の「地名探訪」のテーマは船町駅であって町としての船町のことにはまったく触れていませんが、どんな町かというとこんな感じです。

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 Google Mapのストリートビュー的な写真だと、特にどうということはないですね。実際に歩いてみると川べりの町らしい空気は感じられますが…。
 豊川の堤防にあがると、船町と下地を結ぶ豊橋(とよばし)の際に小公園があり、ここに旧豊橋の親柱が移築保存されています。

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 大正5年から昭和61年まで使用されていたもの。旧字の「豊」(→●□)がものすごくパンチが効いてて、まさに親柱の逸品。親柱のサイドの板状の部分には卍を組み合わせたような柄があしらわれており、これも見事。
 どうして昔の親柱はこんなに威厳と気品があるんだろうか。現在の親柱デザインの主流は、今風の平たい墓石か田舎によくある横長の「土地改良記念碑」を小さくしたようなもので、どうにも興をそそられません。

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 この小公園には何の意味があるのかよくわからない築山があり、そこに登ると親柱の全容を見ることができます。保存親柱はどこにでもあるけど、このように配した例は珍しい。こんなことができるのは元の形状が美しいからこそ。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

狭隘偏愛

2015年12月18日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」49号の連動ネタ。
 船町駅の楽しさは、なんと言ってもその狭さにあります。隣接してコンテナヤードがあるのでだだっ広く殺風景に感じるのですが、施設はすべて狭い。以下、google mapのストリートビュー風に狭さを体感していただきましょう。

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 まずは間口の狭い駅舎。架道橋の低さ&狭さも凄い。こういうところ走ると、ハンドルを握りながら意味もないのについ背をかがめてしまう。

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 駅舎から線路をくぐって狭い階段へ。この階段は夜の雰囲気が味わい深いのでオススメ。三河大野駅、知立駅とともに「新三大・味わい深い三河の駅の階段通路」に認定だ。
 申し訳程度の屋根がまたなんとも。

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 階段を登るとホームまでの通路が狭くて長い。電車が通過する時はまるで検車場のような迫力が!

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 ホームも狭い。船町駅のホームは、点字ブロックが占める割合が日本一高いと言われております(テキトー)。

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 用地的にも予算的にもJRのヤル気的にもこの駅の改修がなされることはないと思われますが、面白いので現状を維持してほしいところ。
(まさ)

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東三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

つれない船町

2015年12月15日
  三遠南信の地域雑誌、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」49号が発売中です。

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 今号のキーワードは「船」ということで、女性取材記者(まり)が西尾・伊文神社で元旦に配布される「宝船」を、わたくし(まさ)は毎回やってる地名探訪と三遠南信産××育を担当しております。
 今回の地名で取り上げたのは豊橋の船町。と言っても旧城下町の船町ではなく、飯田線船町駅について。

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 言わずと知れた飯田線で一つ目の駅です。この駅は魅力的すぎて、個人的には三河の駅の最高峰と思っております。春夏秋冬叢書の最寄駅なので来豊の際はちょくちょく利用していますが、むしろこの駅を利用したいがために電車を使って事務所に行くと言っても過言ではない。
 この駅の歴史を簡単に記しておくと以下のとおり。
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明治30年 豊川鉄道支線船町貨物駅開業(今のコンテナヤード)
昭和2年 愛電(今の名鉄)豊橋乗り入れ&豊川鉄道との共用化と同時に新船町停留所開業
昭和18年 飯田線の国有化に伴い新船町停留所を船町駅に改称

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 新船町停留所が開設された時の様子が記事になっていないものかと、豊橋市中央図書館でデータ化された新聞を漁ってみたところ、開業当日の昭和2年6月1日付豊橋日日新聞に小さく取り上げられておりました。

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 以下、その全文(読みやすいように一部修正)。
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新船町停留所 開通のお祝い
 市外北島、野田、三ツ相区民有志発起となり、今一日から開始する豊鉄(ほうてつ)新船町停留所祝賀のため、午後四時から数発の煙火(はなび)を合図に、同停留所で投げ餅を行い、新船町より吉田駅までの乗車券を多数撒布するとのことである。開駅と共に定めし多数の乗降客があるであろう。

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 なぜ祝賀行事を午後4時という中途半端な時間から始めたかというと、同じ日、愛電豊橋乗り入れ記念式典が午前11時半から午後3時まで行われたからと思われます。
 ここで興味深いのは、船町の名を冠した駅が誕生したというのに、当の船町は祝賀行事に協賛していないことだ!船町の人は船町駅まで歩く時間で豊橋駅まで行けちゃうし、名古屋方面の電車は通過するしでメリットがないから仕方ないけど、最初ぐらいイベントに乗っかってやりゃあいいのに…。
 あと、無料乗車券を大量にばらまいたってのがすごい。開駅早々「乗って残そう」運動的な!?

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 でも、ご覧のとおり利用者はけっこう多いです。
(まさ)
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観察図の観察

2015年12月14日
 出し忘れていたネタ。先月上旬、鳳来寺山の参道にある旧門谷小学校でマーケットイベント「イ・マエストリ」というのが開催されまして、友人が出店するというのもあって見物に行ってみました。

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 山間部の廃小学校の運動場はイベントスペースとして実に手頃。なお、ここに金次郎像はありません。
 校舎内にもブースがあったので覗いてみると、玄関で逸品を発見。

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 門谷校区観察図だ! 
 小学校の授業用なので地質、植生、名所旧跡が網羅されており、丁寧な字で手書きされています。道路や民家の配置などもかなりきめ細かく描かれており、美しくかつ資料性が高い。こういうイベントは、こういうブツを誰に咎められることなくじっくり眺められるのがいいですね。

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 よく見ると田口線も描かれているではないか。ということは、これが作られてから50年近くたっているわけで、よくまあこのような良好な状態を保っているものだ。こりゃもう校舎ともどもすぐにでも市指定文化財に!
(まさ)

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0192誘拐(本田靖春)→●□
0193日本全国津々うりゃうりゃ 仕事逃亡編(宮田珠己)→●□
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カンバンの手帖ブログ版0321

2015年12月11日
 東紀州シリーズの最後に、例によってカンバンネタ。

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 紀北町島原。倉庫に貼り付けられたシブいカンバン群だけど、右端のメナードふれ愛ステーションのものが、なぜここにあるのか謎。「ご用命承ります。お気軽に当取次店へ」って、どこに気軽に言えばいいんだ?

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 紀伊長島の干物屋さん。発泡スチロールを見事に有効活用!この地方独特の立派な注連飾りとの対比がまたなんとも。

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 これも紀伊長島にて。まだ生きておったか、松阪競輪の旧キャラ!今の牛のキャラ「マック」ももう登場から20年近く経つと思うが、僕が競輪に手を染めた時はまだ彼(名前は知らん)がかろうじて現役だったので、松阪から遠く離れたこんなところで再会できるとは実に感慨深い。ふと、高岸豊治さん(三重・28期)を思い出した。

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 尾鷲の三木里の海岸にて。「2.大声で応援を呼ぶ」ときの明るい表情が気になるぞ!あと人工呼吸のところに「30:2」とだけ書かれても何のことだかわからんぞ!

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 尾鷲市街にて。雰囲気は軽いけど入りにくそう…。
(まさ)
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墓地ビュー0003

2015年12月10日
 今回の東紀州行では、ちょこっとだけ熊野古道を辿りました。熊野古道というと、一般的にはこんなイメージではないかと思います。

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 熊野市の波田須駅から徒歩30分くらいで登り口まで行ける「大泊峠コース」。大定番の杉木立と石畳道です。
 大泊峠はいちおう取材のプチ散策だったのですが、こことは別に、空き時間の暇つぶしに尾鷲市街地にちかい「馬越峠コース」の南口にも行ってみました。

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 暇つぶしといってもガッツリ歩く時間も気力もないので、車で通れるところをサーッと通っただけですが。この道も、宅地整備される以前は上の写真みたいな雰囲気だったんじゃないかなと想像します。
 で、この道を軽自動車でノロノロ下って行ったら、自動的に墓地の中に入って行くので驚いた。

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 見晴らしのよい高台に開かれた墓地の真ん中を、熊野古道が突っ切っているのである!なんという味わい深い街道!ここにこそ熊野古道の神髄があるのではないだろうか(オオゲサ)。
 この坂を下りきると、右手に尾鷲神社をかすめ、渋いけどこれといったポイントがない上級者向けの市街地に突入します(→●□)。

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 渋いけどこれといったポイントがなくて観光系媒体向けの写真を撮るのに難儀する、尾鷲市街の全貌。二枚目の写真の近くから撮影。ここからだと、深い入り江と高い山に挟まれたわずかの平地に家が密集しておる様がよくわかります。やっと山を越えたと思ったら目の前にはまた険しい山がでーんと立ちはだかっており、昔の旅人はげんなりしたんじゃないだろうか。「今日はもうヤメ!」ってな感じで逗留した人で尾鷲の町が賑わった、と。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

東紀州二大港

2015年12月09日
 前回記事の食事&購入したマンボウは、東紀州二大港である尾鷲港と紀伊長島港に水揚げされたものです。今回は珍しく時間にゆとりのある取材行程だったので、初日の夕方に尾鷲港を満喫すべく市街北西部の天満浦集落へ。

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 多い!多すぎる!ここまでおびただしい数の漁船が停泊している風景は見たことがないぞ!写真だとよくわからないですがとにかく凄かった。

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 ものすごく高い竹竿に赤地に白文字で「大漁」染め抜かれた旗を掲げている漁船もあった。何か意味があるのか知りたいところだけど、火曜午後遅い時間、この船溜まりに漁師はおらず…。

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 紀北町の古里に泊まった翌朝は、うっかり早朝に目が覚めてしまったので、時間つぶしに紀伊長島港へひとっ走り。港に架かる橋の上から見下ろすと、岸には煌々と明かりが。

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 何かと思えば水揚げはとっくに終わり、漁師の皆さんが網を干しているのであった。漁港の荷捌所は閑散としており、実に中途半端な港見物になってしまった。

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 トリも阿呆と啼いている…。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

スーパーマンボウ

2015年12月08日
 前回の続きで東紀州。

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 紀伊長島はマンボウが町のシンボルになっており(→●□)、今ごろからシーズンになります。
 シーズンと言ってもマンボウ漁というものはなく、網にたまたま引っ掛かったものがたまに水揚げされ、足が非常に速いのでほとんど地元でしか出回らないとか。味はほぼないと言っていいほど超淡白で、決して「激ウマ!」というものでもないので、名物を謳う地元以外ではおそらく需要もないでしょう。味よりも、クニュコリサクッ、とした食感を楽しむ魚です。ライターとは思えない食表現しかできなくてどうもスイマセン。
 で、時期的にもうそろそろあるんじゃないかなと思って取材依頼のとき何軒かに聞いてみたところ、「今年はまだですね」という返事の連発。ところが現地に行ってみたところ前日くらいに水揚げがあったそうで、幸運なことに尾鷲の飲食店でも紀北町の宿でも出してもらえました。

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 もっともスタンダードらしい食べ方、酢味噌あえである。イカっぽいけどマンボウ。

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 宿ではしゃぶしゃぶ風に湯がいてポン酢で。イカっぽいけどマンボウなのである。食感重視のわたくしには大変美味でございました。
 聞けばスーパーにも並ぶってんで仕事の合間に尾鷲のチェーンに行ってみたところ、鮮魚コーナーにコワタ(内臓)がどっさり置いてあって驚いた。

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 鶏のささみか豚肉っぽいけどマンボウなのである。珍魚が普通に売っているとは、さすが地元。
 買って帰り家でさっそく湯引き&焼いてポン酢で食べると、クニュコリサクッとした食感がまたなんとも。自分が東紀州在住だったら頻繁に買いそう。

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 ところでこの店の名前が凄い。紀伊長島や海山にもあった。ネットでちょいと検索したところ店名に歴史的背景が有る模様。
(まさ)

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0190ネットと愛国(安田浩一)→●□
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タウンアーチの先へ0050

2015年12月06日
 前回出した佐久島の民宿カンバンの関連ネタ。
 先月半ば、とある取材で東紀州に行きまして、紀伊長島の古里(ふるさと)という海辺の集落の民宿に泊まったのですが、この集落がいわゆる「民宿村」で、集落入口にこのような歓迎アーチが建てられていました。

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 高度成長期、海水浴場やスキー場、温泉地なんかに民宿がどかどかオープンするブームがあり、そういう集落を「民宿村」と呼んだようです。たとえば、愛知県だと日間賀島とか。むかしの昭文社の道路地図には民宿村の表示があったのを覚えていますが、今もこの呼称が使われているとは驚いた。

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 泊まった宿の女将によると、古里は東紀州で最も早くに開かれた海水浴場のひとつだそうで、かつて30軒以上もの民宿があり、夏にはたいそう賑わったとか。30軒以上って、集落の全戸に迫る数ではないのか?
 それが今では7軒になってしまったものの、残った宿のいくつかは料理の質で勝負するようになり、旅行雑誌でも取り上げられる人気宿もあります。この日泊まった民宿はそんなに媒体への露出が多いわけではなさそうだけれど、料理は質、量ともに凄くて、東紀州の海の幸を堪能させてもらいました。

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 ここを民宿村にさせた古里海水浴場は、鄙びた感がハンパなくて最高。数年のうちに一泊海水浴旅行を絶対に決行しようと、強く決意させるほど激シブでありました。

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 朝も散策してみたら海水浴場の端に小さな船溜まりがあり、老父が出漁の準備をしているところに遭遇。海辺の集落だけど漁村と呼べるほどの漁師はいないらしく、どちらかというとみかん栽培を中心とした農村のようです。

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 この船溜まりからは海岸線ギリギリを走る紀勢線が眺められます。古里は紀伊長島駅から約5キロ、三野瀬駅から約2キロとそこそこ距離があるのに駅がない。常設駅は人口規模的にも難しかったかもしれないけど、海水浴シーズンの臨時駅でもあれば便利だったろうに。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0320

2015年12月04日
 さらに旧東海道ネタ。本宿、山中の翌日、知立の牛田へ。地元なのに牛田の旧東海道を通るのは2年ぶりくらいではないか。

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 特に変化もないようで…。
 旧東海道沿いにある納屋に掲げられたこのカンバンも健在でした。

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 佐久島民宿の案内板だ!イヨダ家具(→□)と並ぶ牛田の二大カンバンである!電話の形が秀逸で、市外局番6ケタに(呼)の記載も資料性が高い一級品。
 そういえば佐久島にも10年くらい行ってないなあ。ここ数年は篠島と日間賀島ばかりで。
(まさ)

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石巻昇竜

2015年12月03日
 本宿に続いて旧東海道沿道のネタ。本宿と藤川の間にある山中地区の舞木町に山中八幡宮という古社があり、取材で旧東海道を辿ったついでに立ち寄ってみました。ここも家康ゆかりの地で、三河一向一揆のとき逃げ隠れて難を逃れたとか。で、ここでも家康400年祭関連のアピール等はありません。

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 国道1号を東から西へ走ると、名電山中駅の先で右手の山の中腹に名鉄の検車場が見えますが、左の山の中に舞木八幡宮があります。国道脇の田んぼの中に、参道兼農道が伸びています。
 国1はしょっちゅう通るのに、山中では交差点角のローソンに寄る以外で立ち止まることはまずなく、写真の大きな常夜燈も目についていながらいつもスルーでした。こうして間近で見るとなかなか立派なものである。
 そして鳥居をくぐると、石都岡崎ならではの逸品が。

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 竿に竜が巻き付いた石灯籠だ!
 銘を見ると、昭和10年に岡崎の石工「野村嶋次郎」が手掛けたもの。これだけのものを作った人なので、りぶらで石関係の資料を漁ればどこかに書いてあるはず。今日は多忙ですんで(そうは思えないゆとりの行程)いずれまた…。

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 横から見るとその造形のもの凄さがわかる。おそらく寄進した地元の衆のオーダーによるものでしょうが、職人の気合の入れようが伺えます。

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 昨日、本宿の旧東海道を出したので、今日は山中の旧東海道を。シブい。地元、丸石醸造の酒「三河武士」のカンバンがまたなんとも。
 写ってませんがこの手前に山中簡易郵便局があり、なんとセコムに業務委託されていて驚いた。25年前、農協内簡易局だった時代に行ったことがありましたが、数年前にJAの撤退に伴って移転・委託者変更したとのこと。
(まさ)
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