カンバンの手帖ブログ版0319

2015年11月30日
 先日、とある取材で三河の旧東海道を部分的にめぐり(車で)、その途上で7、8年ぶりに本宿の法蔵寺に寄ってみました。家康ゆかりの寺です。どうゆかりがあるかは各自お調べください。
 今年は家康没後400年ですが(→●□)、特に観光PR的な何かをしているふうではなく、至って平穏。

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 法蔵寺はこのように、ちょっと間延びした参道の風景が「昔のデカイ寺」な風情を醸し出していて、味わい深いようなそうでないような、ちょっとモヤっとした気持ちにさせてくれます。赤い橋の手前のボテっとした燈籠がまたなんとも安穏というか。江戸時代後期に尾張藩士の高力猿猴庵が著した「東街便覧図略」という東海道スケッチ紀行のような書物にも、法蔵寺の絵の中に同形状の「ぼってり燈籠」が描かれており、安穏感は昔からのようです。
 彫刻とか建造物とか近藤勇の首塚と伝わる塚とかいろいろ見どころが多いですがそこらへんは各自調べていただくとしまして、境内で僕の目を引いたのはこちら。

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 有名社寺でよく見かける火気厳禁カンバンだ!禁止と言いながらこの控えめな書体が実にいい。背後の壁と同化しつつある色もまたいい感じだ。
 文化財を有する社寺の火気厳禁カンバンもちょくちょく撮っているので、一度をまとめてみると、もしかしたら何か見えてくるかもしれません(何も見えてこないかもしれません)。

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 ところで法蔵寺は三河新四国の35番札所になっており(御朱印もらうのが立ち寄った理由)、一昨年の再興50周年の幟がまだ出ていた。社寺幟に緑を使うとは、スポンサーの愛知屋(知立の仏壇屋)も思い切ったが、イタリア国旗みたいな並びになってて案外悪くないですね。

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 あとオマケ。寺から旧東海道を西へ少し行くと、例によってHINOMIが!最近、岡崎市内のHINOMIも少しずつ撤去の動きがあるようですが、本宿の火の見櫓(→●□)は健在でなにより。
(まさ)
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問屋団地トモオ

2015年11月29日
 戸崎公園に行ったついでに、公園の北東200mのところにある岡崎問屋団地に行ってみました。地元の人に聞いた情報では、問屋団地だったけれどすでに体をなしておらず宅地化が進んでいるとか。もと問屋団地が宅地に転用されるという例は他に聞いたことがなく、どんなものかいなと思って。



 場所は東岡崎駅の南に広がる丘陵地「竜美丘」の一角になります。竜美丘というと、文教地区とか比較的富裕層の住む地区とかいうイメージが漠然とありますが、問屋団地なんて郊外に置かれそうなものがこんなところにあるとは。開発当時は郊外だったということか。なお、問屋団地の開設は昭和48年。

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 行ってみると、問屋団地機能が完全に廃止されたわけではなく、まだやってる企業もけっこうありました。空き室を利用したレストランもあったりします。岡崎に限らずどこでも問屋団地の建造物は地味ですが、40年くらいの時を経て渋味が出つつあるようです。そろそろ要チェック対象に格上げか!

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 回ってみると、敷地の三分の二くらがマンションや戸建住宅になっている模様。もと問屋団地だけあって道幅が広く、住宅地としてはどことなく落ち着かない雰囲気のような気も…。
(まさ)
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壁画鑑賞の手引0008

2015年11月26日
 先日所用があって岡崎市の羽根あたり(JR岡崎駅の北東一帯)をウロウロ。緩い傾斜地を宅地開発した地域で、幹線道路から少し中に入ると溜め池が点々とあります。

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 溜め池というと知多半島は「溜め池密度」が異様に高いですが、あちらとはまた違った風情があっていいもんですね(そうか?)。まあ、誰かにこの写真だけ見せて「大府です」と言っても、誰も疑問に思わないでしょうが…。
 写真は中池ですが、このそばに割と大きい「戸崎公園」というのがありまして、ここのトイレに壁画を発見。

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 ほう。

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 ふむ。illustratorでちゃっちゃとデザインしたような、ライトな絵である。まあ、なんというか、割と嫌いではないです。
 こういう公共施設の、誰も顧みないような部分のデザインって、いったいどういうプロセスで制作されるんだろうか。デザインが決まったら市の担当部署に稟議が回ったりするのか?いや、この絵にケチを付けているわけではなく(嫌いじゃないし)、単純な疑問です。

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 あと、この公園には大正7年に建立された「岡崎電燈株式会社社長田中君紀功碑」というのもあった。さすが石都、みごとな重厚感!そして、墓でも忠魂碑でもなく個人の顕彰碑なのに、燈籠まで据えられている!なぜ?
(まさ)

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0187暇なマンガ家が「マンガの描き方本」を読んで考えた「俺がベストセラーを出せない理由」(上野賢太郎)→●□
0188花のズボラ飯 3(久住昌之原作、水沢悦子漫画)→●□
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HEY ! SHU ! CITY

2015年11月24日
 前回の続き。
 大池公園の歴史をまとめたオフィシャルな発行物はないのですが、東海市中央図書館に東海市関連の新聞記事を独自にまとめた「新聞集録 東海編年史」という面白い資料がありまして、その中から大池公園関連の記事だけを抜き出して原稿を作成しました。
 この資料の中に、上野町と横須賀町の合併記事もあります。両町は昭和44年2月に合併して東海市となるのですが、昭和43年付9月19日付中日新聞によると、新市名は合併協議会が多数の公募の中から5つを選び出し、桑原知事に「どれかに決めてくださいマセ」と依頼、知事は「『東海市』か『平洲市』のどっちかがエエんちゃう?」と回答したという。

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(平洲さん)

 平洲は江戸時代後期の学者、細井平洲のこと。偉人が市名なんて斬新ではないか!
 しかし、回答を受けて開かれた協議会では平洲市案が一蹴され、満場一致で東海市に決まったという。まあ、たぶん、東海市が既定路線のデキレースだったんじゃないでしょうか。
 東海市というと「新日鉄の前身である東海製鉄が市名の由来」という説があります。しかしこれは一種の都市伝説とされています。市の公式サイトには「『東海地方を代表するようなスケールの大きい名前である。全国的によく知られ知名度が高い。中部圏の中心となるにふさわしい名称である。』という理由で選ばれた」と書かれていますし。

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(へいしゅうくん)

 この名称について当時の中日新聞は「東海地方のどこかにある都市だということが全国的に理解できる」と書いており、市名決定を受けて桑原知事は「どこにあるかがよくわかる市名で結構だと思う」と中日にコメントしています。東海地方の「どこか」って大雑把すぎ!それに「どこにあるかよくわかる」って、普通わからないでしょう!
 しかし知事の「どこにあるかよくわかる」発言は、東海製鉄の存在が前提ならば理解できます。そもそも合併話は「上野町と横須賀町の境界にまたがっており、固定資産税の課税問題などが解決しないことがきっかけで、合併の機運が盛り上がった」と中日の記事にあります。
 東海製鉄は「中部財界の要請に応じて」昭和33年に設立(新日鉄HPより)。昭和42年に富士製鉄に合併されたものの、名古屋臨海工業地帯と愛知県の自動車産業にとっては象徴的存在であり、これによって人口が激増しひいては市制施行に結びついたことは確か。
 つまり東海市という市名は決して都市伝説ではなく、やはり東海製鉄があってこその名としか思えないのです。財界の無言の意向もあった…かどうかはわかりませんが(ありそうだけど)、製鉄所の象徴性を踏まえていたからこそ、協議会で満場一致だったのではないのか。

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(知多四国82番観音寺より新日鉄を望む 2010.02.05)

 とはいえ僕は東海市の名を否定しているわけではありませんので念のため。市域を表わす伝統的通称地名があればそれを採用すべきですが、そんなものはないのでこれでも別にいいかな、と。
 でも平洲市も、どこか大陸的なおもむきがあって捨てがたいなあ。
(まさ)
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OH ! GO ! 40年代

2015年11月22日
 先日、知多半島のローカル媒体用の取材で三年弱ぶりに東海市の大池公園(→●□●□)へ行ってみました。半島一の「公園シティ」として名高い東海市の顔とも言えるデカい公園です。
 大池公園はまだ知多郡上野町だった昭和41年から建設が始められ、ちょこちょこ部分開園しながら、東海市発足後の昭和48年にグランドオープンしています。昭和40年代は臨海工業地帯の大気汚染公害のピークであり、工業地と住宅地を隔てる「緩衝緑地」の役割を担ったとのこと。
 原稿を書くために公園内にある東海市立中央図書館で建設当時の資料を漁っていたら、中日新聞に「鉄鋼コンビナートから吐き出されるばい煙を食い止め、新鮮な空気を作り出すための“緑の壁”づくり」云々という記事を発見しました。本当に効果があったんだろうか?

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 それはさておき、前回は1歳児(当時)と北半分しか回っていなかったので、今回は森が広がる南半分も回ってみたところ、遊歩道の途中にこのような案内板を発見。

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 二人の広場だ!なんだそりゃ!周囲がこんな雰囲気だし、デートスポットというより秘め事スポットという感じだぞ。

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 階段を登り行ってみたら、ネーミングから連想されるプライベート感は皆無で、どことなく廃れた感が漂っておりました。だいたいベンチやテーブルがいくつも置いてあって、どこが「二人の」なんだ。

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 そしてベンチのかたわらには、ドラえもんの「のび太の恐竜」に出てきたキャンピングカプセルみたいな謎の物体が!何かと思えば吸い殻入れだった。公害は社会問題になっても煙草の健康被害は一顧だにされなかった昭和後期の遺産と言えましょう。
(まさ)
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8番、6番

2015年11月18日
 先日、所用があって電車で岡崎に行き、久しぶりに岡崎公園前駅で下車。

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 この駅はホームに覆いかぶさるような桜が名物ですが、秋もなかなかいいもんですナ。
 で、地下道に降りたら衝撃的ともいえるドぎつい色が目に飛び込んできて、思わずのけぞった。

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 ええっ、こんな塗装だったっけ!?

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(2011.04.05撮影、以下も)

 春に岡崎公園で売られる花見だんごのイメージなのだろうか!?

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 いやもう、そうとしか思えないのであった。
(まさ)

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Yo!Lucky

2015年11月16日
 三河川合や東栄町南部で不審者みたいに時間を潰しているうちに霧も晴れたので、目的地へ。どこかというと、与良木峠です。奥三河には伊那街道(旧鳳来~設楽界)と別所街道に与良木峠がありますが、今回行ったのは別所街道のほう。

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 といっても日常的にまったく使われることのない「ほぼ廃峠」なので、一部マニアをのぞいてどこだか分からない人がほとんどだと思いますが。場所は新本郷トンネルの上。明治時代に開かれ、旧本郷トンネルが開通する大正10年までの幹線線道路として利用されました。つまり国道151号の先々代ということになります。

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 本郷トンネルの東側に登り口があり、こんな道が峠まで2キロほど続きます。こんな道が幹線道路だった時代があるとは到底思えないような、完全なる林道。カーブには明治時代の石積み土留めも残っててぞくぞくします。

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 木立のわずかな隙間から見える本郷の町並み。通常、この角度から町を眺めることはないので、ぞくぞくします(ほぼ変態)。

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 細々とした道をおそるおそる登って、やってきました与良木峠。拙著「国道151号。151話」の取材で来て以来、12年ぶり。なんというか、一人で来て気持ちのいいところではありません。
 ちなみに峠から奈根側に降りる旧街道は未舗装の林道になっています。

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 で、何しにこんなところに来たかというと、とある書籍の参考図版用として峠に立つ「よらき地蔵」や石碑を撮りに来たのでした。車道の峠のすぐ近くなのだけれど12年ぶりなのでどのあたりにあったか全く覚えておらず、山の中を15分くらい探し回って迷子寸前になったのであった。
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0318

2015年11月13日
 10日ほど前、東栄町での取材のため早朝出掛けたところ、時間が早すぎて濃霧が立ち込めており、目的の写真が撮れない状態に。仕方ないので東栄町の手前の三河川合で時間調整。

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 いいタイミングで上り二番電車がやって来た。 霧の飯田線というのもいいもんですネ!こういう朝景色に遭遇すると久し振りに駅ネしたくなります。
 ついでに町も撮ってみました。

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 いや~、霧に包まれる川合の町並みもいいもんですネ!もっとも、こんな写真じゃ良さは伝わりませんが…。
 で、通りの右側に木造平屋の好建築、川合第一公民館があるのだが、その玄関の軒先にこんなものがぶら下がっているのに気が付いた。

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 公衆電話の案内板だ!道路を挟んだJA支所の一角に公衆電話があり、それを指し示しているらしい。公衆電話もそろそろレアアイテムになりつつあるので、こういうのともども押さえ始めていいかもしれません(別に押さえなくていいかもしれません)。
(まさ)
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神社フロント踏切

2015年11月08日
 久々に踏切の話題。
 その上地八幡宮の参道に、実に味わい深い踏切があります。

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 その名も「上地宮前踏切」だ!人専用で、この車止めと道幅が何とも言えませんネ!
 上地八幡宮の表参道は、福岡(土呂)と上地の集落を結ぶ旧道から真っ直ぐに伸びていたのですが、東海道線の開通によって寸断されてしまい、このような形状の踏切が誕生しました。旧道から踏切までの参道には古木が生い茂っており、これまたいい雰囲気になっております。

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 ひっきりなしに列車が通過するので、子供たちもハイテンションだ。

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 祭り見物の4歳児も警報機が鳴ると電車を見に猛ダッシュ。

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 通過後には、踏切を渡る婆さんたちを不安げに見送るのであった。どうやら自分も渡りたいのだが、ちょっと怖いらしい。

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 踏切上から眺めると、このあたりの地形・線形がよく分かります。こちらは岡崎方面の眺め。相見の先から緩やかな上りが続いており、上地付近では丘を切り通しで突っ切っています。神社の脇を通り抜けたところがサミット。明治の鉄道技師が、多少の標高は強引に突破して直線で線路を通そうとしたことがよく分かる場所といえましょう。

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 こちらは幸田方面。手前の陸橋は、福岡(土呂)から上地を経て美合・東海道方面結ぶ古い道筋になります。陸橋は明治20年代の地図には既に載っており、東海道本線開通と同時に設置されたと思われます。
(まさ)

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上地ミステリアスドールズ

2015年11月07日
 続いて日曜日には、岡崎南部の上地八幡宮例大祭に行ってみました。上地は幸田町と境界を接する地区で、東海道本線の線路際に神社があります。少し前に仕事の関係で上地界隈をウロウロしたとき初めて参拝し、境内に掲示されていた祭りのポスターを見て来てみた次第。
 何が目玉の祭りなのか、予備知識がまったくない状態での見物ですが、上地地区は大規模な区画整理による新興住宅地も含んでいるためか、参加者も参拝者もけっこう多くて驚いた。

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 祭神は弓の神様ということで、境内には「福弓」コーナーが設けられており、子供たちの注目の的に(4歳児含む)。三回射り当たった回数によってもらえるお守りのグレードが変わるという趣向で、試しにやってみたら一回も当たらず、小さな小判状のお守りをいただいた。
 氏子の和太鼓チームの奉納演奏を見たり、通過する列車を眺めたりしていると、4時ごろに参道のほうが騒がしくなってきた。

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 何かと思えば、太鼓を担いでドンドコ打ち鳴らしならの練り込みだった。しかも櫓の上には指揮者?先頭誘導員?なんというのかわからないけれど二人の女性が立っている!東京の御輿みたいで、このあたりでは他に見た記憶がありません。威勢がいいねェ。

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 若い衆による担ぎ太鼓が境内を一回りして盛り上がった後、境内に入ってきたのは提灯をぶら下げた屋台、宝船、そして御所車。こちらは年齢の髙い氏子らに曳かれております。聞けばまだ歴史が浅く、20年前に提灯屋台の奉納から始まって、それだけでは寂しいからと後に宝船、御所車が加わったとのこと。
 提灯屋台の中をのぞいてみると、不思議な人形が鎮座していて、のけぞった。

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 ええッ!?だ、誰!?

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 そして御所車の中には手作り感あふれる姫が!
 なんだかよくわからないけれど、担ぎ太鼓のハイテンションと人形が醸し出す不思議な雰囲気とがあいまって、なかなか面白かったです。
(まさ)
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矢作サウス、ウェスト岡崎

2015年11月04日
 土曜日、岡崎市の矢作南地区で催されたイベントを子連れで見物に行きまして、その際、最寄りの西岡崎駅に27年ぶりに下車しました。27年ぶりとはつまり、開業初日以来の下車ということです。昭和63年3月13日に三河安城、逢妻とともに開業し、当時高校生だったわたくしは三駅の初日下車を敢行したのでした。そのときもらったグッズはこちら→●□

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 うーむ、27年ぶりとはいえ駅の近くはしょっちゅう通るので、特に感慨はない。
 これはいちおう「開駅記念碑」のようで、石感あふれる造形なのは近くに石工団地があるからでしょう。背面には設置経緯が記してあり「昭和26年 日本国有鉄道に駅設置の陳情」とあります。そんな昔から運動していたのか。
 写真は南口ですが、北口にも同様の石碑が設置されています。

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 南口ロータリーには時計塔も。何のデザインかと思えば、矢作の「矢」をモチーフにしているのでした。

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 北口に行くと、こちらにはペンギン小学生の石像が。これはおそらく北口側に矢作南小学校があり、北口前の道路が通学路だからでしょう。ちなみに、このようなカワイイ系の石像といえば、近くの岡崎大和郵便局に昔の郵便局キャラ「ユウちゃん」が設置されているので、マニアは要チェックだ!

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 こっそりこんなプレートも設置されてた。地元産「あらめ石」?ネットで調べたら御影石の一種らしく、あまり一般に流布してない石材業界用語らしい。マニアックすぎる!そしてどの部分があらめ石なんだ?

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 この駅については疑問がひとつ。ホームの壁がこのように数メートルおきに空いており、吹きさらしになっているのはなぜ?当時の新設駅はこういう規格だったのか?こんど逢妻駅に行ってチェックしてこねば。
 それにしても完成当初は「安普請で地味な駅だなあ」と思っていたのが、開駅30年近くを経てどことなく味わいが出てまいりました。そして、こういうものに味わいを見出せるようになった自分も、それなりに大人になったのであろう(テキトー)。
(まさ)

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家から車で1分のキャンプ場

2015年11月02日
 先週の日月、友人家族と揖斐川町の実家至近の「粕川オートキャンプ場」(→●□)でキャンプしてみました。地元にキャンプ場なんぞができて確か20年ちょっと、昔は「いらんもん作りよって」と思っていたのに、まさかここでキャンプを楽しむ日が来ようとは…。
 夏場は大混雑しているので近付いたことがないですが、さすがに秋も深まってくるとガラガラでした。

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 しかしこの日は、天が「今日から晩秋になりました」と宣言したかのような寒さ。粕川上流からは強い風が吹き下ろしてテントやタープをバザバサ揺らす。あまりに寒いので実家に追加の毛布を取りに行ったところ、父に「もうみんな引き上げて家で寝たらどうや」と言われた。苦労してテントを立たのにそんな間抜けなことはしません。
 うちの村は南側に池田山がそびえていることもあって日照時間が短く、町内の平野部より通年寒いのだが、なんというか、我が地元の実力(負の)をまざまざと見せつけられた気分です。そして、碧海台地の温暖な気候に感謝したのであった。

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 しかし、夜が明けて7時半を過ぎたら、日が照ってきて風もやみ、だんだん暑くなってきた。この寒暖差は高冷地野菜の栽培に最適なのでは。誰も作ってませんが。
 それにしてもなかなか新鮮な体験でした。
(まさ)
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