中山太鼓と4歳児

2015年10月30日
 もう二週間前になりますが、恵那市串原の中山神社の祭礼に、三年ぶりに行ってみました。山奥にある神社の境内で、大勢のひとが代わる代わる太鼓を打ち続けるという、ひたすらアッパーな祭りです。詳しくは6年前のこちらこちらの記事→●□
 三年前には、当時1歳児を連れていったところかなり楽しんでおり(→●□)、すっかり太鼓好きに成長した今回はどこまで盛り上がってくれるかと期待していたのだが…。

151030-2.jpg

 大人数と大音量にすっかり気圧されて、まるでノリが悪いではないか。

151030-1.jpg

 母はドコドコ打ってるのに、服の裾にしがみついてバチを持とうともしないのである。

151030-3.jpg

 最後は太鼓の輪に近付かず、遠巻きに眺めるのみであった。うーむ。
 今のところ中山太鼓には三年周期で来ているので、小学生になる三年後に連れてきて、ボウズがどう出るか確かめたいと思います。
(まさ)

------------------------------------
◎マルカドブックス
2冊更新しました。
0177 鉄道忌避伝説の謎(青木栄一)→●□
0178 池上彰・森達也のこれだけは知っておきたいマスコミの大問題→●□
スポンサーサイト
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ワールズエンド・スーパー野場

2015年10月25日
 またまた幸田町ですが、昨日の写真の三枚目、新幹線の向こうに見える家並は野場集落です。

151026-1.jpg

 ここは、昭和29年に幸田町と合併するまで幡豆郡豊坂村の役場があった集落。すぐ西にデンソー西尾製作所があり、地域を東西に貫く県道43号はけっこう交通量が多いのですが、集落内に一歩入れば静かなもんで、西三河の農村らしい雰囲気でたいへん好もしいです。
 写真奥に見えるのは熊野神社。これまた西三河らしい風情の神社ですが(どこかどう西三河らしいのかと聞かれるとうまく答えられないけど)、マニアックな見どころがいくつかあってなかなか面白い。

151026-12.jpg

 まずは玉垣っぽくない玉垣。昔のコンクリート製で、正式にどういう種類なのか知らないけれど、撫でると細かい石粒の感触がなんか気持ちいいヤツ。銘板が取り付けられてて、昭和23年に厄年会かなにかが寄進したものでした。

151026-13.jpg

 境内には古びた鉄製の遊具が。掴むと錆のざらつきとひんやり加減がなんか気持ちいいヤツ。最近は小公園でもどんどんプラ製遊具に置き換えられているので、あと10年ばかりしたら価値が見いだされるかもしれません。

151026-4.jpg

 その傍らには、セットで製造されたっぽい鉄製ベンチがあります。背もたれ部分の円盤が実に味わい深い。
 このベンチ、幸田町内でちょくちょく見かけるのだが、菱池探索していたとき、幸田消防署北西の踏切近くにある観音堂で劣化していないものを発見。

151026-5.jpg

 シブい、シブすぎる!さすが農業の町。あと10年ばかりしたら価値は…どうでもいいか。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

新幹線見物名所0002

2015年10月24日
 まだ続く幸田ばなし。
 昨日の記事で「もともとこのあたり(幸田町中北部)は『菱池』という巨大な池の一部だった」と書きましたが、江戸時代初期から新田開発が盛んに行われてどんどん小さくなり、最終的には明治17年の広田川改修事業で完全消滅しています(神野金之助の干拓事業はこれを受けてのもの)。この時期にはまだ愛知県内で地形図が作成されておらず、最後の菱池の形がわかりません。昭和49年発行の「幸田町史」でも、池の範囲を示す地図や記述はありません。
 しかし、現代の地図を見るとおおよの範囲の見当がつきます。幸田町大字菱池のうち「字菱池」がたぶんそれ。



 ただ、これについても確証はないので、誰か菱池のことを知っている人がいたら教えてください。
 実際に現地に行ってみると、人家が一軒もない見事な田園地帯で気分爽快です。

151025-3.jpg

 おお、爽快!って、この写真では爽快さがまったく伝わりませんが。正直なところ、幸田にこんな心地のよい場所があるとは思っていなかった。田園風景だけなら碧海台地でも楽しめるけど、山が近いぶんより落ち着いた景観になっている。すごいぞ幸田!(そうか?)
 ちなみにこの道路が大字菱池と大字野場の境界で、僅かな段差は菱池の堤防だった名残と思われます。

151025-1.jpg

 大字菱池の北東端には、幸田の郷土本に「池神社」と紹介されている祠があり(川の合流点あたり)、その傍らに明治の干拓記念碑と、昭和7年の耕地整理記念碑が建っています。未舗装農道未舗装堤防しか通じていないので普通車で近づくのは困難で、こんな見通しのよい平坦な土地なのに隔絶感が漂っているという不思議な場所。
 でもってこの田園地帯の真ん中から南西方向を見ると、新幹線がビュンビュン行き交い、これまた眺めが楽しい。

151025-2.jpg

 美しい…。野焼きの煙が…秋風に揺らぐ釜の湯気のようだ…。
(茶の湯マンガ「へうげもの」の第四巻で、比叡山で負傷した明智光秀が焼け落ちる坂本城を見てのつぶやきより)
 知立の上重原とならぶ(→●□)西三河の新幹線ビュースポットではないかと思うが、どうか?どうかと言われても?
(まさ)
西三河雑 | Comments(1) | Trackback(0)

幸田維新

2015年10月23日
 さらに幸田の話ですが、マニアックすぎてどこなのかわからないと思いますので(いつもか)、まずは地図をご覧ください。スマホだと標示が異常ですが直し方が分からないのでスイマセン。



 昨日アップした相見駅南西のコスモス畑が、紫色で囲ったところになります。ここから西へ少し行くと、田園地帯の真ん中を流れる広田川に小ぶりな橋が架かっておりました(赤太ライン)。

151024-1.jpg

 昭和三十二年架橋の特にどうということのない橋ですが、名前が凄かった。

151024-2.jpg

 その名も維新橋!なぜこのような大仰な名前に?
 大正時代の地図を見るとすでに同位置に橋があり、現在は橋より東の道筋が消滅していますが、もとは菱池の新田集落(水色の枠)と東部集落とを結ぶルートだったようです(赤細ライン)。
 もともとこのあたりは「菱池」という巨大な池の一部だったのですが、江戸時代の早い頃に新田開発されており、新田集落は江戸時代初期に今の大字菱池の「鷲田」「岩堀」集落などの人が開墾のために住みついたのが創始とされています。つまり維新橋は、新田集落の居住者が親村へ行くための道筋に架けられた橋ということ。
 しかっりした道と橋がいつできたのかわかりませんが、明治19年、菱池一帯の大規模な干拓事業を実業家の神野金之助が行っており、たぶんそのタイミングあたりで整備されたんじゃないかと推察します。維新橋という名は、開発されたのが明治時代だったので、明治の象徴として命名された…んじゃないかなあと思うのですが、詳しいことが書かれた資料は未見なので本当かどうかわかりません。

151024-3.jpg

 橋より東の古い道筋は消えましたが、辿ってみると菱池東部集落の外れに古道の名残の踏切跡を発見(赤細ラインと東海道線の交点)。

151024-5.jpg

 それから、コスモス畑の脇の東海道線築堤には、古い石組の架道橋もありました(緑ライン)。大正時代の地図だとこの筋は道ではなく、排水路らしきラインが描かれています。後年の耕地整理で排水路を埋めて道にしたんじゃないかと思いますが、これも確信はない。
 確かでないことばかり書き連ねておりますが、なにしろ話が細かすぎるので、どこかに資料があるのかもしれないけれど単なるマニアには調べるのに限界が…。しかしいずれも、菱池の田園の開発のかすかな名残ということです。
 ちなみに神野金之助は、豊橋の神野新田の開発者として豊橋では偉人として名の知られた人で、その子孫がサーラグループを経営しています。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

新しい駅のその後のブルース

2015年10月22日
 幸田町の休耕田コスモスといえば、3年前に開業した相見駅の南西にもあり、電車とセットで撮ることができます。

151023-1.jpg

 ちょっと背景がごちゃごちゃしておりますが、この写真には幸田町の今が凝縮されています。手前は休耕田のコスモス、その向こうの黄色いのは西三河で生産奨励している大豆、そして施設園芸の町らしいハウスと続いて、その奥には発展著しい相見駅界隈、と。ザ・幸田である。
 角度によってはコスモスと大豆畑だけが写り込んだ抒情的な鉄道写真が撮れると思うので、撮り鉄の方に一度お試しいただきたいところ。幸田に限らず西三河で印象的な東海道本線の写真てほとんど見たことがないので、誰かお願いします。
 で、3年ぶりに相見駅前にも行ってみました。3年前はこちら→●□

151023-2.jpg

 何もなかった駅前にマンション、ヤマダ電機、JAあいち三河の支所、アパートなんかがドカドカ建ち並び、現在もマンションが建築中。目にもとまらぬ早業で投げる手裏剣ストライクな感じで、急発展中なのであった。にんともかんともニンニンでござる。いや発展してくれて全然いいんですけど。
 古い地図を見るとこの辺りは水田で、さらにさかのぼって江戸時代の半ばには巨大な「菱池」の中だったといいます。幸田駅から相見駅までの東海道本線はほとんど築堤ですが、それは菱池の名残り。低地に広がっていた池を干拓したところに、明治時代に鉄道を一直線に敷設したので、このようなロング築堤ができたわけです。なんて書き方をすると重要な鉄道遺産ぽく思えるけど、地味すぎてわざわざ見に行くようなものでもないので念のため…。

151023-3.jpg

 ちなみに、一枚目の撮影場所からほんの少し西に行き、ほんの少し角度を変えるだけで、相見駅の隣接地とは思えないようなド農村の光景になり、築堤が低地に伸びる様子もよく分かります。電車の後ろのこんもりした森は鷲田神明宮。
(ます)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0317

2015年10月21日
 先日、資料漁りのため10年ぶりくらいに幸田町図書館へ行ってみたところ、すぐそばにコスモス畑が広がっておりなかなか壮観でした。

151021-3.jpg

 休耕田をコスモス畑にするという、西三河ではこの時期よく見かける光景ですね。
 小学生がコスモスの花束を掲げて畑の中を走り回っているので、一瞬「いいのか!?」と思ったら、こんなカンバンが立てられていた。

151021-2.jpg

 いやー、いい取り組みですね。
 ここに書かれている事業団体のひとつの「幸田町4Hクラブ」というのは、アメリカに起源を持ち昭和20年代に全国的に組織された若い農業従事者によるグループのことで、Hands・Head・Heart・Healthの頭文字で4H。古写真収集取材をしていると、結成間もないころの活動風景の写真がちょくちょく出てくるので存在は知っていましたが、このように名前をアピールする活動事例はほとんど見た覚えがありません。幸田は筆柿や梨やイチゴが有名な農業の町だし、活発なんでしょうか。

151021-1.jpg

 コスモス畑の向こうはボン、ボン、ボン!と文化会館&図書館&プールが建ち並ぶ「ハッピネス・ヒル」(擬音は特に意味ナシ)。90年代の公共施設らしいネーミングで、なんというか、経済力のある町らしい景観です。
 それにしてもなんでハッピネス?と思ってよくよく考えると、幸田の幸なのね…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

墓地ビュー0002

2015年10月19日
 まだまだ引っ張る浦川ばなし。
 浦川キャンプ場泊の翌朝は5時すぎに目が覚めてしまったので、朝っぱらから浦川の町の中を徘徊。

151018-1.jpg

 こんな朝早くに浦川にいるのは初めてなので、見慣れた町並みも新鮮です。
 うろうろしていたら、町並の背後の小山のてっぺんに墓が何基か立っているのに初めて気が付いた。これはもしかして、けっこう眺めがいいんでは?

151018-5.jpg

 神社の脇から山道を少し登ると山頂に出て、そこに墓園が広がっておりました。年寄りは墓参りがけっこう大変そうで、参拝者用の休憩小屋もあったりします。墓地の一隅に、10年前に車で登れる参道を開いた旨の記念碑があり、楽にはなったらしい。
 墓地からの眺めはというと、浦川駅の方向に、写真に見える木立が繁っていたのでちょっと惜しかったものの、なかなかシブい風景が楽しめました。

151018-3.jpg

 東側の町を望む。「町」は浦川市街の地区名です。後ろの形のいい山は地形図に記されている「菖蒲根山」でしょうか。

151018-4.jpg

 北側の柏古瀬を望む。斜め上へ伸びるのは、東栄町方面へ通じる道。偶然、浦川駅6時14分発の上り二番電車がやってきて、儲けた気分。
(まさ)

------------------------------------
◎マルカドブックス
4冊更新しました。
0173 商店街はいま必要なのか(満薗勇)→●□
0174 旅するように読んだ本(宮田珠己)→●□
0175 世界の辺境とハードボイルド室町時代(高野秀行、清水克行)→●□
0176 ザ・ロード(コーマック・マッカーシー)→●□
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0316

2015年10月16日
 その浦川キャンプ場と周辺で発見したカンバンをいくつか。

151012-3.jpg

 関係者の連名による手書きの注意喚起カンバン。まあ一般常識ですが、一点「みだりに水着で町に出ないでください」というのはなんか笑える。昔は水着のまま浦川の町を歩き回る人がけっこういたのでしょう。今の静かな町の雰囲気だと、水着姿の人がわらわら町を歩いていた方が賑わってるように見えていいような気もするが。

151012-1.jpg

 中央構造線を紹介する絵入りカンバン。旧佐久間町観光協会が設置したものだが、また渋いネタを取り上げたものだ。その隣に立つ、啓蒙なのか自戒なのかよくわからない川柳カンバンもいい味出しております。

151012-2.jpg

 ちなみにイラストと同じ風景。右が浦川キャンプ場にわたる吊り橋で、大千瀬川の向こうは島中集落。正面の鞍部に国道473号が通じております。

151012-4.jpg

 新豊根ダムからの放流の警戒を呼びかける「とよねロボ」。このキャラ、必要?
(まさ)

------------------------------------
◎マルカドブックス
2冊更新しました
0171 隣のアボリジニ(上橋菜穂子/ちくま文庫)→●□
0172 天下り酒場(原宏一/祥伝社文庫)→●□
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

お宿はリバーサイド

2015年10月15日
 その浦川キャンプ場は、キャンプサイトとバンガローエリアの二つが用意されています。

151011-6.jpg

 木立に包まれたキャンプサイト。まあ、普通です。

151011-4.jpg

 いっぽう、木立に包まれたバンガローエリア。いやー、昭和!典型的バンガローらしい急傾斜の三角屋根が、無計画な感じで建ち並んでいます。中には引き戸の和風バンガローもあって、不思議な風情を醸し出しております。

151011-5.jpg

 浦川キャンプ場は大千瀬川と相川の合流点にあり、水が透き通っていて流れが緩くて小さな砂浜もある相川のほうでは、夏場には大勢の人が泳いでいます。この時期はさすがに…と思ったけど、夏はアホほど暑い佐久間町はシルバーウィークの日中,でもまだけっこう暑く、友人の息子はキャッキャ言って泳いでござった。

151011-7.jpg

 でもって、キャンプ場のすぐ北には飯田線の鉄橋が。電車が通過すると驚くような轟音が鳴り響き、特に夜なんかはたまらない風情です。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

THE 軽車両

2015年10月14日
 少し前になりますが、シルバーウィークに友人家族と佐久間の浦川キャンプへ行ってきました。飯田線の下り列車に乗ると浦川駅を出てすぐ鉄橋を渡りますが、そのとき右側に木立に覆われた中洲が見えます。そこが浦川キャンプ場です。あまりにマニアックな立地!三遠マニアとして、いっぺんここでキャンプしてみたかったのだ。

151011-1.jpg

 中洲だけに、このキャンプ場へ行くには吊り橋を渡らねばなりません。オートキャンプ全盛のこの時代に貴重な存在といえましょう。しかし、車で近づけないとなるとテントや荷物はどうするんだ?

151011-2.jpg

 と思ったら、このキャンプ場にはリヤカーが常備されおり、それで運ぶのだった。標識に「軽車両を除く」とありますが、その軽車両こそまさにこのリヤカーにほかならない。
 それにしてもリヤカーなんて何十年ぶりに使ったことか。むかし実家にもあって、じいちゃんに乗せて引っ張ってもらったっけなあ。当然この日も、子供たちを乗せて吊り橋を二往復ぐらいしました。

151011-3.jpg

 管理棟前には10台近いリヤカーが!一か所でこんなにものリヤカーを見るのは初めて。
(まさ)

------------------------------------
◎マルカドブックス
4冊更新しました

じみへん→●□
アメリカ球場物語→●□
昭和なつかし台所図鑑→●□
世界の鉄道→●□
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

爆竹オンザ旧東海道

2015年10月11日
 先週の日曜日、嫁の取材に同行して豊橋の岩屋・飯村方面の祭礼へ。

151010-4.jpg

 自分の取材じゃないので詳しいことはわかりませんが「座布団みこし」なる祭礼だそうです。これをかついで旧東海道を練り歩いてました。
 豊橋の祭りといえばやたらと爆竹を鳴らしまくるという風習がありまして、久しぶりに間近でそれを味わいました。

151010-1.jpg

 この地区では爆竹担当は小学生の女の子。さすが豊橋っ子、鍛えられております。また、後始末担当の女性がおり、ほうきとちりとりを持ってはぜた爆竹を回収しておられた。

151010-3.jpg

 旧東海道と東三河環状線の交差点の真ん中で、神輿が躍るわ爆竹は破裂するわで、実に豊橋らしい光景である。
 四歳児は、神輿と笛太鼓にはノリノリだったが、やはり爆竹にはびびりまくりで「意味わからん」てな表情で呆然としていた。息子よ、おとうさんも東三河のこの奇習は意味わからんのだよ…。
 去年、小坂井の菟足神社で手筒花火を見たときは怖くて泣いていたけど、泣かなかった分だけ成長したのかな?
(まさ)
東三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

開拓地と絶景

2015年10月09日
 一週間前、取材先の南知多町大井へ向かうため南知多道路の馬道交差点で左折してみたところ、その農道がなかなかの絶景ロードで驚いた。

151009-1.jpg

 バーンと、碧南~東浦方面。右端は碧南火力発電所。

151009-2.jpg

 ドーンと、東三河方面。海の向こうの三角の山は、たぶん田原の衣笠山。
 仕事でさんざん南知多道路を走っていますが、馬道交差点で曲がったのは初めて。まだまだ未見の風景があるもんである。
 この景観が拝めるのは、愛知用水の通水後に丘陵地が農地として開かれたおかげで、半島南部にはこういう開拓ビュースポットがけっこうあります。標題のテーマで知多半島のローカル媒体の記事を作ってみたいと常々思っているのだが、そもそも南知多の開拓農地からの眺望の素晴らしさに同意してくれる人がいるんだろうか?と思って、二の足を踏んでいる次第です。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0315

2015年10月06日
 その輪之内町里集落には昭和40年代製と思われるブリキカンバンがやたらと残っており、久しぶりに楽しませてもらいました。

151006-1.jpg

 肝心の社名は退色しているのに、高級既製服を身につけた男女の絵だけがくっきりと!男性の顔がいやに写実的。カンバン絵師が実在の人物をモデルにしたと見た。

151005-8.jpg

 信じ合える店である。信じてみたい。

151005-7.jpg

 ライトをいくつも当て、肘掛椅子に座らせての仰々しい撮影風景。被写体はおそらく織物工場の社長であろう。羽島だけに…。

151006-4.jpg

 こんな集落にも、例によってHINOMIが!里集落にはこれだけでなく、小学校前の消防団車庫の一角にもう一基、高層の火の見櫓があります。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0314

2015年10月05日
 先日、自分の仕事歴で初めて輪之内町での取材がありまして、そのついでに取材先近くの里集落を7年ぶりくらいにウロウロしていたところ、福束小学校前でこのような卵の自販機を発見。

151005-4.jpg

 見事なものである。以前、知多半島の養鶏農家に聞いた話では、卵の自販機は意外と売れ行きがいいらしいので、これも地元で人気のキャラと思われます。いや知らんけど。

151005-5.jpg

 景観的にもなかなか見事だ。なんというか、実に西濃らしい。

151005-6.jpg

 見事といえば、このニワトリの近所に見事な公共建築があります。「明治戊申館」という公民館的施設で、案内板によると明治41年に福束小の隣の校区である仁木小学校の西舎として建てられ、昭和51年に仁木小校舎の改築に伴いこの地に移設されたとのこと。明治天皇の戊申詔書(日露戦争後の混乱期に国民に向けて道徳規範を示したもの)を受け、質実剛健の気風を村に育てるべく、その象徴として武家屋敷風の玄関を有する校舎を建てて武士道精神教育の拠点とした…と。

151005-9.jpg

 建築年が戊申の年にあたることが館名の由来ということはすぐに分かるのだが、案内板を見て驚いた。移築のネタを朝日、中日、岐阜日日の三紙がこぞって記事にし、そのとき西濃地区新聞記者クラブが「明治戊申館」の名を贈ったという。うーむ、何か腑に落ちないものがあるぞ。

151006-3.jpg

 あと利用案内もあって、そこには「酒食は原則禁止、ただしクラス会や懇親会はその限りでない」と。実際に同窓会の開催実績があるかどうかはわかりませんが、こういうところでの集まりなら参加してみたい。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0313

2015年10月04日
 その釜戸駅前の民家の軒下に掲げてあったカンバン。

151005-1.jpg

 釜戸市街の一角にある、現役の温泉旅館のもの。ここで表現されているすべての要素が凄い。特に距離を「丁」表示している点!久しぶりに見ました(以前発見したもの→●□)。
 2丁=約218mです。

151005-2.jpg

 ちなみに、駅から上のカンバンの旅館へ至る道。釜戸はけっこう町場の雰囲気で、東濃における市街地規模の指標となる東濃信金の支店もあります。

151005-3.jpg

 釜戸の市街地を抜けて下街道を瑞浪方面へ少し行くと、こういう驚くようなカンバンも立っていた。食用菌て何!?と思ったら、キノコでした。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

TAKE & KAMA

2015年10月03日
 一週間ほど前、恵那市の外れのほうで取材があり、そのついででかなり久しぶりに武並駅に行ってみたところ、駅舎が建て替えられていて愕然。

151004-1.jpg

 うーん、しょうもない!平成20年に改築とのこと。武並には特に思い入れはないし、古いものを大切にしないJR東海のことなので、愕然というほどでもないですが…。
 それにしてもこの駅舎デザインはいかがなものか。玄関の左側が駅事務スペースなのですが、建物下部が透けて見えるようになっており、発券機の配線とか荷物とかが見えて、いささか見苦しい。これは駅舎の使い手の問題ではなく、そこまで頭が回らなかった建築デザイナーの不手際でしょう。町の玄関口をなんと心得る。
 このあと、けっこう雰囲気がよくて歩きたくなる旧下街道(中山道の脇往還)をタラタラ車で走り、瑞浪市の東端に位置する釜戸駅も見に行ってみました。

151004-2.jpg

 こちらは開通時の明治35年築の駅舎が健在で何より。どうせそのうち建て替えるんだろうけど…。

151004-3.jpg

 あと、駅前の歓迎アーチ(あまり「ようこそ」感はないけど)の協賛店ごとのカンバンが新しくなっていました。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)
 | HOME |