盆の皿の上のもの

2015年08月30日
 今年の盆は義両親が移住した千葉県北総に行っておりまして、せっかくお盆にいるんだからと、墓地を少しチェックしてみました。ほとんど見知らぬ土地で見知らぬ人の墓参りをしてどうするんだという話ですが、ウチの地元とは何か違う風習が垣間見えるんじゃないかと思って。

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 例によって印旛沼の周囲をウロウロしまして、入り込んだのは印西市の大廻という集落。北総鉄道印西牧の原駅の南東3キロ程のところです。前にも書きましたが、北総線沿線は鉄道近くの巨大ニュータウン地区を少し離れるだけで、真逆の風情の純農村が出現し、あまりのギャップに集落景観マニアとしてはクラクラします。
 で、この集落の隅のほうに墓地があったので覗いてみたところ、本当にウチの地元とは違う風習があって驚いた。

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 それは墓前や地蔵などへのお供え物。濃い緑の葉の上に、細かく刻んだ茄子と胡瓜に米粒を散りばめたものを載せ、供えているのである。

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 中にはこのように、草で編んだ四角い皿に竹の足を付けた台を作り、その上に載せているところも。
 うーむ、どういうものなのか誰かに聞いてみたいけれど、例によって誰かに出会うことはなく…。

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 気になったのであちこち回ってみたところ、印西市の有名な古刹、松虫寺では宝篋印塔に供えてあるのを目撃。

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 また旧本埜村(→●□)では、印旛沼古堤防道路の路傍に建つ三界萬霊塔に、プラスチックトレーや小皿に盛られて供えてあるのを目撃。他にも方々で、路傍の石仏や石塔に供えらえたコレを発見しました。
 いっぽうで、このような供え物がまったくない石仏や墓地も見られました。宗派や石仏の種類の違いなのだろうか?千葉県の方で、だれかこの供え物について、名称、意味、供える/供えないの基準、分布など知っている人がいたら教えてください。こんなブログを読んでいる千葉の人がいるとも思えないが…。
(まさ)
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さらば旧大嵐分校

2015年08月29日
 水窪市街からさらに北上しまして、HINOMI調査以来8年ぶりに大嵐に行ってみました。
 水窪には二つの大嵐があります。飯田線大嵐駅があるほうが有名ですが今回行ったのはそちらではなく、水窪市街から水窪川を12,3km遡ったところに位置する有名でない方の大嵐です。
 ここへは学生時代の20数年前、同好の友人と水窪の廃校や廃集落を徒歩でめぐったときに初めて訪れたのですが、あまりの僻地っぷりに愕然としたものです。しかし初訪当時には、まだ数軒の民家がありました。集落の中ほどにあった水窪小大嵐分校も、当時はまだ休校状態ながら存続していた覚えがあります。
 8年前にはまだ大嵐分校の建物がありましたが、今回行ったところ、取り壊されて更地になっていた。

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 以前はこういう建物がありました。

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(2007.08.31撮影)

 今度、実家の資料小屋から現役時代(休校だけど)の写真をひっぱり出してきて、ここにアップしようと思います…って、児童がいなくなって以降の変遷をたどることに意味があるのか。

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 ちなみに学校跡地の入り口には、HINOMIではないですが水窪型ホース乾燥塔が残っております。
 大嵐集落の人家跡や畑跡には夏草がオバケみたいに生い茂り、このホース乾燥塔のごとく撮ってもなんなのかよくわかりません。そこで対岸の時原集落(ここは1、2軒が現存)に向かい、その途上の林道から集落の全景を眺めてみました。

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 うーむ、消えた廃校校舎といいこの景観といい、思うところはいろいろあるけれど、この時はあまりの暑さに朦朧とするばかりであった。水窪に行くならやはり春か秋だなあ…。
(まさ)

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カンバンの手帖ブログ版0310

2015年08月28日
 夏の北遠徘徊の途上、水窪に寄って食料品店の方と喋っていたところ、「すぐそこに昔、国鉄バスの切符売り場があったよ」と教えてくれて驚いた。

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 消火栓の箱が掛かっている建物がそれです。場所はこちら→●□
 うーん、幾度となく通っている道なのに、不覚にもちっとも気が付かなかった。 

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 剥げすぎててもはやほとんど判読不能ですが、かろうじて「国鉄」「方面」の文字だけ見えます。「食堂」の文字も見えるけど、バス停移転後に食堂になったんでしょうか(そこまで聞いてこなかった)。
 手持ちの水窪町年表によると、現在の国道152号が開通したのは昭和42年で、それ以前は商店街(小畑~大里~本町)を貫く旧道がバス通りだったということになります。

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 ちなみに、旧国鉄バス=JRバスの旧水窪町バス停の諸施設は現存。このほかの天竜本線の遺構は、西渡駅舎が健在で、瀬尻の乗務員休憩所が撤去されておりました。
(まさ)
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真夏のHINOMIST

2015年08月25日
 この夏は二度、北遠を徘徊しまして、新たにいくつかの火の見櫓・半鐘台を確認してきました。拙著「火の見櫓暮情」の取材開始から8年、何をまだやっておるのか。
 これで主だった集落(国土地理院の地形図に地名が載っていて、ある程度まとまった民家が描かれている集落)はだいだい押さえたのですが、二回も確認に行ってようやく発見したHINOMIもいくつかあり、完全制覇とは言いきれないのがつらいところ。

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 例えばこちら、旧JRバス西渡駅の天竜川対岸に位置する戸口集落の半鐘台。
 戸口は、浦川地区と山香地区を結ぶ幹線林道沿いに人家が集まっており、一度林道沿いを走ったのだが発見できませんでした。そこで今回、地形図には記載されていない幹線林道の支線みたいな道に入ってみたところ、その道のどん詰まりに三軒ほどの民家があり、見晴らしのよい高台にこれが建っているのを発見。

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 集落の要部からずいぶん離れたこんな場所に半鐘台なんか建てても、実際に鳴らしたとき効果あるのだろうか?と思うが、しかしここは戸口の人家の最高所になり、杉が植林されていなかった昔は山の斜面がほぼ畑で見通しも良好だったそうで、半鐘もよく響いたのでしょう。

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 こちらは西渡の大井橋のすぐ南で国道152号から分岐する山道を2キロ弱登ったところに位置する、大滝集落。浄土さながら。蓮ではなく南瓜の花だけど。
 ここは今回が初訪。大きな集落ではないのにこれ以外にもう一基、半鐘台があって驚いた。ひとつ発見したところで安心はできません。

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 そして、飯田線城西駅南西に位置する切開(きいなま)集落。最低所と最高所の民家の高低差が250mもあるとんでもないところで、上から下まで目を凝らして車道を走ってもHINOMIは発見できませんでした。しかし、ないとはどうしても思えない。これまでにも木立に同化していたり、草が絡みついて忍者のごとく姿を隠したりという例もいくつかあったし。
 ここは草木を掻き分けて徹底的に探したいところですが、酷暑のさなかにそんな愚行をする気にはさすがになれず、いずれまたということで。いずれがいつかはわかりませんが。
 あと、佐久間には未見の廃集落も二つほどあるし、どうするか…。

 なお、三遠の火の見櫓のHP(→●□)は2年半前にPC変えてからソフトが作動しなくなったので、ほったらかしてあります。
(まさ)
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トタン小屋のブルース

2015年08月23日
 笠置、飯地、八百津町篠原を経て峠越えし、盆地状の中野方(なかのほう)へ。ここは美濃地方で唯一、足を踏み入れていなかった地区。かねてより地図を見て、ここは間違いなく美しい景観だと確信していましたが、予想通りでやはり美しかった。

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 坂折棚田。美しい。

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 盆地の底のほうの水田。いやー、美しい。
 ところで最近、アレックス・カーという東洋文化研究家が書いた「ニッポン景観論」(集英社新書ビジュアル版)という本を読みました。電線、カンバン、巨大建造物、砂防ダム、護岸工事、杉植林など醜悪な日本の景観を斬りまくる内容で、読書ブログのほうに(→●□)「ほぼ同意」と書きましたが、一点、同意できない箇所がありました。
 筆者はどうやら、日本の農村の必須アイテムであるトタン構造物も嫌いらしいのだけど、僕は全然アリだと思っています。特に、古びたトタン小屋はむしろ景観にアクセントを与えている。

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 これとか。

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 これとか。
 あと、例によってHINOMIなんかを、カー氏はどう感じておられるのか知りたい。

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 中野方町坂折の半鐘台。微妙に惜しい立地ではありますが…。

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0151 ジハーディストのベールをかぶった私 →●□
0152 日本ザンテイ世界遺産に行ってみた。 →●□
0153 世界遺産ビジネス →●□
0154 ニッポン景観論→●□
0155 カラー版 スキマの植物図鑑→●□
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カンバンの手帖ブログ版0309

2015年08月19日
 飯地からさらに北上すると八百津町潮見の篠原(すずはら)という集落に出まして、中野方への道の分岐点にまたも立派な公民館が建っておりました。

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 正面のチープなトタン張りが若干気になりますが、飯地の五毛座がそうならこれも登録文化財であってもおかしくない建物。中を見てみたい!
 この建物の角には、これまた貴重なカンバンが残っておりました。

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 カエルコール、久しぶりに聞いたぞ。公衆電話自体はとっくの昔に撤去されたようですが…。
(まさ)
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飯地の古建築群

2015年08月17日
 先の案内板のところから北へ少し進むと、農協・郵便局・小学校が集まる飯地地区の中心部、五明集落に出ます。ここには見事な建築物が集まっていて驚いた。

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 まずは民俗資料館の看板が掲げられたこの建物。事前予約の曜日限定開館なので中は見られず、登録文化財のプレートがあったので文化庁のサイト「文化遺産オンライン」で調べたところ、昭和29年に建てられた「旧恵那市役所飯地事務所庁舎」だった。
 昭和の合併で成立した恵那市に飯地村が参加した際、支所として建設されたものだそうです。市役所からあまりに離れた地域で独立心も高かったので、こういうシンボリックな建物で納得してもらったというところでしょうか。

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 見どころは、メーカーの建築見本のごとく建物に貼りまくられたタイルだ!

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 ぞくぞくするようなタイルの使いっぷりに、嘆息するばかりである(オオゲサ)。笠原産とのこと。

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 続いてはこちらも登録文化財、昭和26年に建てられた「旧飯地公民館」。現在も地芝居小屋「五毛座」として現役のようで、見事なものです。
 文化遺産オンラインによると、このほか旧飯地事務所の裏に建つ火の見櫓も登録文化財という(登録名は「旧恵那市役所飯地事務所サイレン塔」)。うーむ、存在に気がつかなかった。
 それにしても、先のオリジナリティあふれるカンバン群といい、登録文化材群といい、飯地は地域活動がかなり盛んなようです。 

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 あともうひとつ、旧農協飯地支所&倉庫。上の二つに比べると地味なれど、こっちも登録文化財にすれば完璧ではないかと…。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0308

2015年08月14日
 今週アタマ、恵那の未訪地域に行ってみようと急に思い立ち、木曽川の北側の笠置、飯地、中野方を徘徊してみました。笠置だけは仕事で少しかすめたことはありましたが(→●□)、主要街道筋から外れていることもあって通る機会もありません。
 地形的な特徴を大雑把にいうと、笠置は河岸段丘、飯地は開けていない高原、中野方は盆地状の高原といったところ。

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 笠置をさらっと見たあと、急坂続きの県道412号恵那八百津線をぐんぐん登って、飯地へ。三河でたとえるなら、旧旭町のうち矢作川に面していない地区といった感じでしょうか。伊那谷でたとえるなら泰阜村。どっちもたとえが分かりにくいか。「外界」へ通じる道がいずれも改良されているとは言いがたく、隔絶感はなかなかのものがあります。
 町の南入口にあたる沢尻地区では、味わい深い手書きの案内地図がお出迎え。

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 昔は駅前や村の中心部の交差点角なんかによくあったものですが、このような場所で生き残っているとは素晴らしい。
 このような逸品が健在の飯地には、県道沿いに点々と地元団体の設置したハイレベルなカンバンがありました。

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 椰子か?それとも 新種の生物?

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 手作り感あふれるモニュメントで、上の絵はどうやらトンボであることが判明。

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 山の中に、あまりに唐突なコピー&雄大すぎるイラストが!

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 終わりなき不幸…。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(4) | Trackback(0)

タウンサインの研究0062

2015年08月11日
 先日、とある仕事のリサーチで岡崎の矢作地区(旧碧海郡矢作町)を徘徊しまして、前から気になっていた矢作橋駅と東レの間のある碁盤目状に区画された地区に行ってみました。



 ここですね。この地区は通称「矢作五区」と呼ばれています。
 昨年年発行された「矢作町五区創立60周年記念誌」という冊子に町の歴史が詳しく書かれており、それによると、ここは戦前に建設が計画された東洋紡の工場予定地だったのですが、戦時中に計画が頓挫。戦後、民間に払い下げられ宅地開発されました。もとは「矢作四区」に属し、人口増加に伴い昭和 28年に分離独立。

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 外郭道路はこのようにある程度の道幅があるものの、戦後間もないころに整備されただけあって、中に入るとけっこう狭い。注目したいのは、外郭道路から中への入口に設置された街灯です。

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 北海道か!
 記念誌によると、昭和57年に五区創立30周年を記念して設置し、当初は路線名下の空白部分に協賛企業の名が入っていたという。そして、50周年の平成15年に改修されたとのこと。ということは、次にこの街灯に動きがあるのは70周年の平成36年と思われます。

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 東レ側の外郭道路にも街灯がありますが、こちらはいくつか歯抜け状態。

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 あと、五区の東側の通りは、矢作橋駅から東レへの通勤路で、かつては商店が建ち並び「東レ通り」と呼ばれけっこうにぎわっていたそうな。今は数軒しかありません。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

足助のゆるい宵2015

2015年08月10日
 珍しく時事ネタ、じゃなくて開催中の話題。
 先程、7年ぶりに足助の「たんころりん」を見に行ってきました。いちおう取材ですが没になる可能性が大という…。

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 二週間もやってて(8/15まで)観光客が分散するせいか混んでおらず、店は町の商店がチラホラ開けているだけ、アコースティック系のライブを一か所でやってる以外にBGMもなく、けっこう静かで好もしい雰囲気です。
 ただ、妻子が僕を残して千葉の親元へ行ってしまったので(数日後に仕事を終えたら追っかけるのですが)、本日は一人。なんというか、一人で見物しててもぜんぜん盛り上がりませんナ。

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 たんころりんに混じって闇に浮かび上がる足助町道路元標。たまたま向こうから車がやって来て、ヘッドライトに照らされたのだった。これだけの市街地イベントなのに車両通行止めにはなっておらず、時々地元の人と思われる車が入って来ていた。そういうのもこのイベント自体のゆるさゆえという感じで、いいですね。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

加賀の飲食物デザインを渉猟する

2015年08月08日
 石川県の続き。北陸には味わい深いデザインのローカル商品が異様に多く、毎年なんやかやと収穫があります。今回はその収穫物をまとめ出し。

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 などと言いつつ石川でなく富山ですが、地鉄沿線の町、上市の「日本海みそ」。なんというか、北陸の原風景な感じのパッケージ。

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 以降は石川県。野々市の舘製菓所の「すはま」。煎って挽いた大豆に砂糖を混ぜ水飴で練り込んだ、素朴な駄菓子。上の味噌と同じく、ここにも茅葺屋根の家が!でもこの絵、別の袋菓子でも見たような気がするのだが…。菓子パッケージ専門メーカーのフォーマットかもしれません。

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 裏の但し書きにもグッとくるのである。

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 金沢の食品メーカーふくら屋の「味付たらの子」の缶詰。風合的にも盛り付け的にも昭和40年代の本を思わせる写真が見事じゃございませんか。

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 能美市の田中屋製菓の「手取川昭和九年」。衝撃のモナカ皮デザイン!記念碑の建立年の文字のようだ。ていうか、おそらく記念碑か慰霊碑が実在するのだろう。 
 これを見つけたのは偶然で、能美市の旧辰口町を車で走っていたら「昭和九年」と書かれた電柱カンバンが延々続いており、気まぐれにそれをたどってみたところ、農村集落の中にある製造元に遭遇したのでした。店の創業年かと思ったらそうではなく、昭和9年は手取川が最後に氾濫した年で、その悲劇を後世に伝えるために先々代が命名したんだそうな。

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 白山市の吉市醤油店のスタンダード「朝日」。ザ・ライジングサン!

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 蔵元の建物も見事。所在地は松任市街地から車で10分ちょっと南に位置する安吉町。ここは典型的な加賀平野の農村ですが、町内には日本酒の「手取川正宗」の蔵元、吉田酒造店もあり、景観的にも産業的にもレベルの高い集落になっております。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

ザ・メダリスト・クラブ

2015年08月02日
 わざわざ白山麓に分け入って重伝建の町並みや日帰り温泉だけでは4歳児に申し訳ないんで、「白山恐竜パーク白峰」なる施設に寄ってみました。

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 白峰の中心部から車で4キロほど下流方面に進み、国道157号からぐいっと山道を登った山の中腹の鉱山跡みたいなところにあります。
 なぜこの地で恐竜パークなのかというと、近くに恐竜の化石が発見された「桑島化石壁」というところがあるからとのこと。園内では化石掘り体験もできるそうな。

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 ところが、恐竜どころか生き物全般にほとんど興味がない4歳児はさしてテンションがあがらず、かといっておびえて泣き出すこともなく、来るのが4、5年早かったかなといった感じでありました。うーん。
 ところが一品、目を引くブツを発見。

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 観光地の定番、メダル刻印機だ!
 4歳児がしきりに「なにこれ?ねえ、これなんなの?」と聞くので、なんだいやってみたいのかい?やいやい、しょうがねえなあ、特別だぞ、てなことで購入することに。なんのことはない、前からやってみたかったのだが、一人でやるのは気恥ずかしいから躊躇していたのでした。子供って便利ですネ!

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 機械のフォルムやイラストが文化財級。側面には大阪の茶平工業株式会社の銘板が取り付けられておりました。
 使い方は、左の機械で恐竜パークのオリジナルデザインメダルを購入し(500円くらいだったと思う)、右のダイヤルでアルファベットと数字を刻んでゆきます。刻印代は20円。いまどき20円で何かできるというのがすごい。メダルじたいも意外に重厚感あって、集めてみてもいいかななんて思わされてしまいます。
 実は小学生の時にどこかの家族旅行先で一回だけやったことがあるのだが、ダイヤルの穴が浅くてイマイチ回しづらい感覚は昔のままでした。そして、そのとき父親が刻印ミスをして微妙な気持ちになったことも思い出した。なので慎重に回して、旅のステキな記念品になった次第です。
 で、まだ2週間しかたっていないのに、そのメダルをどこにしまったのかすでに把握していないのであった…。
(まさ)
北信越 | Comments(2) | Trackback(0)

重伝建への階段

2015年08月01日
 東海北陸地方の梅雨明けを挟んだ先月19日から21日まで、一年ぶりに石川県白山麓へ。この地域は、嫁のかつての仕事の関係で縁が深く、白山国際太鼓エクスタジアという和太鼓イベントの開催に併せて毎年行っております。
 で、今回は4年ぶりに、白山麓エリアの最奥に位置する旧白峰村に行ってみました。数年おきに行っている割に、いつも嫁の知り合いのところに寄ったり日帰り温泉に入ったりするくらいで町をロクに歩いておりません。今回は妻子を温泉にブチ込んでおいて、うろちょろしてみました。

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 白峰はかつて秘境と呼ばれたほどのハイレベルな山村です。古い民家が密集する中心集落は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されております。

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 もっとも、わたくしの写真では重伝建ぽさがあまり伝わってきませんが…。一枚目の写真はメインストリート(前日が祭礼だったので提灯がまだ残っている)、二枚目は独立した蔵が集まるエリア。このように蔵単体を集めた町は見た記憶がなく、重伝建らしいレアさです。
 で、観光客か不審者かよくわからない風体でじっくり町を見物していると、どの建物に共通するアイテムがあることに気が付いた。

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 それは屋根に上がるための梯子である!

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 どこの梯子も常設である。豪雪地帯なので、たぶん雪下ろしで屋根に登る用と思われます。

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 集落の中心にある林西寺に行ってみると、巨大な木製梯子が本堂と庫裏に架けられていて驚いた(庫裏の巨大さも凄い)。元気のよいガキなら思わず登ってみたくなる風情ですが、勝手に登られちゃさすがに困るので、下部には登れないように板が嵌め込んであります。
 そんなわけで、さすが重伝建、細かいアイテムも一味違うなと感心した次第。
 なお、白峰のあと国道157号を北上しながら観察したところ、白峰の北に隣接する旧尾口村までは常設梯子の民家が見られました。
(まさ)
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