恋のアーケード0033/タウンサインの研究0015-2

2015年06月30日
 先日、やきものイベントを見物すべく一年ぶりに瀬戸に行ったところ、二つの商店街ともアーケードが改装されていました。まずは尾張瀬戸駅に近い銀座商店街(→●□)。

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 以前はこんな感じでした。

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(2009.03.21撮影)

 屋根の材質が変わったためか街灯がなくなったためか自然光のような明るさになったことと、 耐震補強されたことが改修のポイントのようです。地方都市のアーケード商店街は減少傾向のように思いますが、改修してまで生き永らえさせる瀬戸は素晴らしい。
 ただ惜しむらくは、統一サイン入り行灯カンバンが全撤去されていたこと。

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 何を表現したいのか分からなかった点も含めて、わたくし好みの昭和アイテムだったのだが…。瀬戸蔵ミュージアムあたりで保管、展示していることに期待。

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 もうひとつの末広商店街も新しくなって、明るくなりました。暖簾的な青ツートンのフラッグ、町おこし系プランナーか若手デザイナーの仕事らしいオレンジ+クリーム色の幟、昔あったアイスの三色トリノみたいなプレミアム商品券の青・桃・黄の幟と、三種がかち合ってなかなか面白い景観になっております。

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 いっぽう、末広アーケードにある共同店舗「スエヒロ横丁」は我が道を行っておりました。
(まさ)
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カナダからの手紙0002

2015年06月27日
 先日、用事があって春日井に行ったついでに市内西部を徘徊しまして、県営朝宮公園のあたりに行ってみたところ、公園正面入口から伸びる遊歩道の真ん中で牛の骨のモニュメントを発見。

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 銘板を読むと、牛の骨ではなく「ヨットの帆」といこうとであった。前衛すぎてよくわかりません。
 この遊歩道のある通りを「ケローナ通り」といい、昭和56年にカナダのケローナ市と姉妹都市提携した記念にストリートとモニュメントを作ったらしい。ケローナはカナダ西部の山あいにある町で、オカナガン湖という湖のほとりにこれの元ネタとなったモニュメントが建っているという。
 例によってGoogle Mapでケローナ市を見てみるととても美しい町で、春日井市とは一片の共通点も見当たらない感じです。そんなところとなぜ姉妹都市に?と思って春日井市のHPを検索したところ、「姉妹都市交流」の項に以下の経緯が記されていました。

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昭和52年からケローナ市との間で、青少年を中心とした民間交流が始まり、翌53年、ケローナ市長から姉妹都市提携を希望するメッセージが託されてきました。さらに、55年には、ケローナ市長を始めとする訪問団が春日井市を訪れ、春日井市長に対し、重ねて姉妹都市提携の強い要望がありました。これを受けケローナ市の調査を行い、昭和56年2月5日に、ケローナ市役所において姉妹都市提携の調印式が行われました。
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 向こうからラブコール!?どうゆう事?蓼食う虫も好き好き?
 ここでふと思い出したのが、刈谷市の姉妹都市であるカナダのミササガ市だ(→●□)。こちらも春日井と同じく、向こうからアプローチされて付き合い始めたと、刈谷市のHPに書いてあります。しかも提携年も同じで、昭和56年!
 もしかすると、この時期にカナダのマイナー地方都市と姉妹都市提携を結んでいるところが他にもたくさんあるんじゃないか。昭和50年代半ば、カナダの地方自治業界にいったい何があったんだろうか。

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 県営朝宮公園に行くと、ケローナ市のオカナガン湖に生息する珍鳥をモデルにした珍モニュメントも発見(ウソ)。どうでもいいけど、なぜこの場所に県営公園があるのだろうか?大正時代の地図を見ると一面が桑畑になっています。

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 あとオマケ。ケローナ通りから500mほど南にある春日井市立中央公民館が、高度成長期チックな公共建築でなかなか味わい深かった。建物側面にパタリロの口みたいなのが二つ取り付けられているのがまたなんとも。

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 トイレを借りに入ったら、なんと館内に民俗資料展示室が!しかも展示物がけっこうマニアックで意外に面白いという。団地の町だけに「高度成長期の団地のキッチン」が再現されていて、ウケました。
(まさ)
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傷だらけの柱

2015年06月25日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」47号連動ネタ。
 巻頭で「目」に関連する童謡が特集されており、そのうちのひとつ「刻み目」を受け持ちました。刻み目とは木に刻んだ目盛のことで、「柱の傷はおととしの五月五日の背比べ」で唄われる柱の傷がそれです。
 本編では日色野の古いお宅の柱の傷を取材させてもらいましたが、「こんなところに背比べの傷があったらウケるなあ」と思って、奥三河の有名民家を訪ねてみたりしました。

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 豊根村にある有名民家、熊谷家住宅である(→●□)。もし国指定重文にあったら、それこそ文化財級の背比べの傷じゃないかと思って。
 で、お願いして家屋内にある柱を見せてもらったら、そのうち一本に無数の傷がついていて、ぶったまげた。

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 おお、文化財級の傷である!って、どうみても背比べの傷ではない。
 当主によると、これらは鎌の刃の先端を柱にぶっ刺してできた傷とのこと。鎌を使い終わったらブスっと刺して収納(?)し、鎌を使うときはスポッと抜けばすぐ使えるので、あ、こりゃ便利。

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 さすがに直接刺すのはどうよ、と思ったのか知らんけど、このような「鎌の引っ掛け場所」も設えられていました。ううむ、文化財級である。
 当主に聞いたところ「この家で子供の背を計って柱に傷を付けたことはない」と断言されたのでした。このほか同じ国重文で、引佐の鈴木家住宅も見せてもらったけど、こちらにもなかった。う~ん、連続流局。
 ちなみに「子供の日に身長を測って柱に傷を付ける」という風習は全国どこにもなく、大正時代に作られたこの歌によって広まったと考えた方がいいようです。
(まさ)

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本当に壊れかけのレイディオ

2015年06月19日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」47号連動ネタ。
 地名探訪のネタ探しのため東薗目を徘徊していたとき、東薗目の入口に位置する東開橋バス停で珍品を発見。

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 平成2年の町営化後に建設されたと思われるけっこう立派な待合室にスチール棚が据えられており、上段に40冊ほどの本が、下段になぜかソニー製のラジカセが置いてあるのである。

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 おお、貴重!かどうかはよくわからん。
 僕の場合ラジカセは、中学生のときSANYO「おしゃれなテレコ WU4」というのを買ってもらい、大学に入るまで6年間使い倒しました。どんだけFMをエアチェックし、どんだけ友達とテープを貸し借りしてダビングしまくったことか。
 当時のFMは一曲まるごとノーカットで流すことが多く、FMステーション(→●□)などのFM雑誌にはご丁寧に放送予定の曲が掲載されている番組表がついてて、狙って録音することができたものでした。「日清パワーステーション」などのライブ番組も多かったなあ。NHK-FMのサウンドストリートなんかもよく聴いていたなあ…などと思い出していると止まらないですねどうも。書くの中断してついyou tubeで80年代音楽を聴いてしまった。

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 東開橋バス停あたりから別れる道を少し登ると、上赤羽根、下赤羽根という数戸の集落に出ます。渥美半島の「海の赤羽根」に対して、こちらは「山の赤羽根」と勝手に呼んでおります。あと、作手のも(→●□)あわせて「東三河の三赤羽根」とも。
(まさ)

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点々と

2015年06月18日
 三遠南信エリアの地域雑誌、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」47号が発売中です。

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 今号のキーワードは「目」ということで、女性取材記者(まり)が舘山寺の「目の大師」、わたくし(まさ)は毎回やってる地名探訪と三遠南信産××育、あと民家の柱に刻まれた背比べの「刻み目」を担当しております。
 今回取り上げた目の付く地名は、東栄町の東薗目と西薗目。どこかというと東栄町の東の端っこ、静岡県と県境を接する一帯です。西薗目については以前ここに書きました(→●□)。



 大雑把にいうと、とにかく山深いところです。大雑把すぎるか。
 特徴は、飛行機にでも乗らないと全貌を見渡せないことでしょうか。東西あわせて数軒~十数軒しかない小集落が十ちょっと、広い範囲に点々とあるのですが、いずれも「地域の核」と呼べるほどの様相ではないため、どうにも全体像を掴みにくい印象。掴んだ砂が指の間からさらさら零れ落ちていくという感じというか…。隠れ里というか、隠れ家だけで構成されている地域というか…。何かにたとえにくい地域だ。

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 東薗目の向平集落。

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 西薗目の小田敷集落。まあだいたいこんな感じ。
 また、いくつかは廃集落になっています。

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 西薗目の平瀬から御園(スターフォレストと蕎麦屋の茶膳一がある集落)まで林道が続いており、その途上に立つこの標識に従って悪路を入って行きます。

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 すると、分岐点から500mほどのところに「霜栗(しもぐり)」という廃集落が!一面、草が生い茂り、建物はたったの一軒きり。そもそも一軒しかないのに「集落」と呼んでいいのかよくわからないが、いちおう国土地理院の地図にはまだ地名が記載されています。上に貼った地図を拡大してご覧ください。
 このほか、県境で国道473号から分岐する県道429号古真立佐久間線沿いにも「大入(おおにゅう)」という集落が昭和40年代までありました。大字東薗目になりますが、ここの子供たちは県境の山を越えて下川合の小学校に通っていたとのこと(→●□)。
 大入にも行ってみたいけど、かなり昔から県道429号が通行止めになっているので、幻の廃集落なのでありました。廃集落で幻ってのもヘンですが。
(まさ)

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東照宮所在5市、のぼり対決

2015年06月14日
 家康と言えば、GWの真ん中にとある取材で静岡市に行きまして、家康ゆかりの駿府城公園と静岡浅間神社を見物してきました。
 駿府城公園はひたすらだだっ広く、浅間神社は建物群の装飾が日光ほどではないけどなかなかすごかった、とまあそんな程度の感想で特に書くほどのことはございません。今年が家康没後400年ということで、ゆかりの地ではそれぞれイベントをやるようですが、5月初旬の時点では、静岡市はまだ特に何も盛り上がってない感じでした。
 駿府城公園から静岡浅間神社までは、「浅間通り」という歩道アーケードのある商店街を歩きました。

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 いちおうこのようにアーチに「家康公が愛したまち静岡」という惹句入りの横断幕が掲げられているけれど、この商店街じたい観光要素はほぼゼロで、静岡土産になるようなものを扱っている店も煎餅屋さん一軒きり。「400年?別に…」という風情が漂っていて、それはそれで好もしいです。もっとも、岡崎も浜松も商店街のムードは大差ないですが。
 ところで奇しくも5月のあいだに、家康を祭神とする東照宮のある町に5つも行きまして、気が付いたら5市ののぼりや街灯フラッグをひととおり押さえていたので、まとめて上げておきます。

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 静岡市。「二〇十五年」という表記が引っ掛かるが…。

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 浜松市。ローカルキャラ「家康くん」が、広大な市域に配慮してネタを詰め込みすぎているのが笑えますネ!

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 岡崎市。この町は、街灯フラッグに関してはおそらく東海地方でもっとも力を入れています。康生通りと本町通りにこの顔がずらっと並んでいると、一瞬ギョッとするが。

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 豊田市松平地区。のぼりはともかく、松平村道路元標はどこへ行ったんだろう(→●□)。

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 そして日光市。正直なところ僕はこれが一番好み。さて大御所様はいずれがお好みでしょうか。

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「どうでもええわ」(浜松城「戦国時代の大名」より)

 う~ん、どうでもいい。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

職人技 on the 壁0006

2015年06月13日
 東照宮といえば、2月に浜松城を見物したときガイドボランティアの人に案内されて、浜松の東照宮に行きました。

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 所在地は元城町。国道152号を挟んでホテルコンコルドの対面になります。連れて来られるまで存在を知らなかった。
 案内板によると明治17年に旧浜松藩士が創建し、昭和11年までは大日本報徳社(二宮金次郎の思想を継承する社会活動団体)が管理しており、正面の鳥居も大日本報徳社の寄進です。戦災で旧社殿が焼失し、現在の社殿、手水舎などは昭和34年に再建されたコンクリート製。
 日光東照宮は華美な装飾に目が眩みましたが、さすがにここはそんなことはない。しかし、漆喰による見事な職人技の装飾が随所に施されております。

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 拝殿脇の鏝絵。何を意味するのか、滝に打たれる獅子である。

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 手水舎の梁に佇む「眠り猫」である、たぶん…。眠り猫は日光東照宮の代表的彫刻ですが、知ったのはついこの間で、2月の時点ではなんでここに猫なのかわからなかったのだが。
 このほかにも、拝殿の梁に絡みつく龍や、手水舎天井を飛ぶ養命酒のマークみたいな龍など、日光と違って彫刻の数が程良いので、じっくり鑑賞できます。
 なお、この漆喰装飾群について手持ちの資料によると、そんなことが書いてある資料は手元にないのであった。誰か教えて。

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 あとオマケ。浜松城内に展示されている「戦国時代の大名~今から四五百年前の日本」より、筒井氏。ここに描かれた武将たちのマンガ絵もある意味、職人技の名品だと思う。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

日光市街の構造

2015年06月12日
 中禅寺湖から下ってきたバスを東照宮最寄りバス停で下車し、東照宮の見物前にその南西に位置する本町(ほんちょう)界隈を歩いてみました。来る前は、日光駅から東照宮方面まで真っ直ぐ伸びる門前町ストリートが中心市街地だと思っていたのですが、地図を見たら東照宮南西に本町があることに気付き、いちおうこっちも押えておこうと思って。

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 行ってみたら、もぉのすごぉい(桂歌丸from笑点)地味な本町だった。整然とした区画の中にパラパラと笑点、じゃない商店と郵便局が散在する程度。本町を名乗りながらここまで地味なところも珍しいのではないか。
 あとで宇都宮の書店で購入した「日光パーフェクトガイド」(日光市観光協会監修・1500円)によると、この町の歴史は…書いてない。書いておいてよ。
 仕方ないのでネットで検索したところ、東照宮・輪王寺・二荒山神社を中心とした「日光山内」が整備された際、山内にあった家々が東と西に移住させられたらしく、本町界隈の「日光西町」、駅前からの通り沿い界隈の「日光東町」が形成されたらしい。おそらくそれ以前から住居の密集地があったので「本町」の名が付いたんじゃないかと思いますが、あとで図書館に行って地名辞典を参照することにします。あとがいつかはわからない。

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 東照宮見物のあと歩いた「日光東町」は、本町にくらべるともぉのすごぉい派手だった。この写真だと単なる地方都市のさびれかけた商店街にしか見えませんが、新旧の土産物屋、羊羹屋、湯葉屋などが連なり、観光客もけっこう歩いていてそれなりの賑わしさ。詳しくはGoogle Mapのストリートビューででもご確認ください。

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 東町地区も、日光駅に近いところは電線地中化されてサッパリ。山内入口まで全部いっぺんにやりゃいいのにと思うが、まあいろいろ地域の事情があるのでしょう。

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 でもって東照宮ですが、さすが世界遺産だけあってなかなかの混雑っぷり。建築物の装飾がどこを取ってももぉのすごぉい(しつこい)ことになっていて、さすがのマニアもその物量攻撃に脳がオーバーフロー状態になり、あまり写真を撮る気にもならなかったのでした。これは家光廟の夜叉門。

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 修学旅行生の多さにもたまげた。30年前に中学校の修学旅行でひととおり見ているはずなんだけど、ここを見物した記憶が全くよみがえってこなかった…。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0301

2015年06月11日
 今回の首都圏遠征の最終日には、東武鉄道に乗って日光まで行ってみました。日光は中学校の修学旅行以来、約30年ぶりになります。
 6時すぎに浅草を発車する列車に乗ったら日光には8時半に着いてしまい、時間が余りすぎなのでさらに足を伸ばしてバスで中禅寺湖へ。東三河の人から「関東の国道301号和田峠」とも称されるいろは坂をぐいぐい登り、中禅寺温泉バス停で下車。

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 男体山である。

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 中禅寺湖である。
 修学旅行では、中禅寺湖からさらに奥に分け入った湯元温泉というところに泊まったので、男体山も中禅寺湖も見ているはずなのだが全く覚えていない。当時のことで覚えているのは、華厳ノ滝を覗きこんで「怖ぇ~」と思ったことと、宿の消灯時間後にたまたま放映されていた「エマニエル夫人」をみんなで見ていたら野暮な先生に踏み込まれて怒られたことぐらいですな。放映時間帯を分かったうえで見回りにきやがったあの先生は、今もお元気なのでしょうか。
 その中禅寺湖畔では、このような昭和40年代チックなカンバンに遭遇。

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 このような明朝を斜ややめに傾けたような書体をあしらっあ木製カンバンって、国定公園や国立公園なんかでよく見かけるような気がするのだが(どこでと言われるとすぐに思い浮かびませんが…)、公式に使用を定められた書体なんでしょうか。誰か知っている人がいたら教えてください。

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 以下はオマケ。中禅寺湖のほとりにある二荒山神社中宮祠には、岡崎の名工、成瀬大吉の銘が刻まれた狛犬があります。成瀬大吉は「三州型狛犬の元祖」と言われている人で、その筋(岡崎の石材業者筋および狛犬マニア筋)では有名…と思う。まだ狛犬マニア筋には足を踏み入れていないので、詳しいことまでわかりませんで…。

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 でもって裏通りにある市役所の支所の車庫には、例によってHINOMIが!火の見櫓ではなく、火の見塔。
 そんなわけでほぼ狛犬とHINOMIを見ただけで引き返し、我ながらいったい何しに中禅寺湖まで行ったんだろうか。
(まさ)

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重石責め&塩責め

2015年06月09日
 今回の首都圏遠征では浦和に行く用事がありまして、その際中途半端に時間があったので、暇つぶしに前から気になっていた東武鉄道大師線に乗りに行ってみました。
 東武鉄道大師線は、23区の北辺に位置する足立区の真ん中あたりを走っている路線で、東武鉄道スカイツリーラインの西新井駅から大師前駅までわずか1キロしかない盲腸線です。名前からしてまさしく参拝客輸送のための路線。西新井大師とやらが東京でどれくらい知名度があるのかいまひとつわかりませんが、弘法霊場マニアとしては行かないわけにはいきません。ついでじゃないのか。

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 西新井で乗り換えて、やってきました大師前駅。車窓風景を楽しむ間もなくあっという間に終点に着き、降りたら異様に幅広いホームと大きな屋根がお出迎え。いやー、まさか足立区なんぞにヨーロッパのような駅があるとは。片面ホームの上に無人駅だったけど。
 こういう大屋根を見ると、地元にあった本揖斐駅を思い出します。

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 駅前から寺にかけてはそこそこ門前町の風情。東海地方だったらこの規模以下の門前町でも「おおっ」と思うが、商店街の質が違う東京では驚くほどではないような。

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 門前町の奥には、ドカンと西新井大師の山門が。建物も見事だけど、春から夏にかけて境内で見られる花が墨書されたでかい案内板がまた凄いインパクト。

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 でもって境内に入り、手水舎で手を洗おうと思ったら、禿頭の小人たちが何かの罰を受けていた。一見、苦痛に顔を歪めているようだけど、実際は皆ニヤリと笑っており、「これぐらいなんてことねえでがす」と言っておられます。

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 でもって手水舎の対面には、雪国の冬の墓地にたたずむ地蔵が!よく見たら、何かの罰として塩漬けにされているのであった。「塩地蔵」といい、イボ取りに霊験があるとのこと。次に来る時は「食と健康の館」で美浜の塩を買って持って行こうと思います。まあ、さすがに再訪はしないと思うし取ってもらいたいイボもないけど。
 最後になりましたが、こちらの正式な名前は真言宗豊山派の五智山遍照院總持寺でございました。
(まさ)
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タウンサインの研究0061/カンバンの手帖ブログ版0300

2015年06月07日
 5/23~26と例によって千葉の義両親宅を足場に関東方面に取材&遊び行きまして、かなり久しぶりに神田神保町にも行ってみました。言わずと知れた日本最大の古書店街ですね。

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 本好きとしては眩暈がしそうな町です。歩道を歩いているだけで古書の匂いが漂ってくる。今、ふと思いついてネットで検索してみたら、環境省の「かおり風景100選」に神田古書店街が選定されていた。なにそれ?

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 神保町の東西を走る靖国通りの歩道の車止めには、本がデザインされていました。

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 神保町の車止めは特にどうということはないのだが、東隣の小川町では、ひとむかしまえのオリンピックのピクトグラムのような味わい深いデザインになっていました。なんで?と思ってあたりを見回してみると、靖国通り沿いにスポーツ用品店がずらりと並んでいる。なるほど、神保町と小川町を合わせて「文武両道」ということか。
 界隈ではこのような案内板も。

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 シブい、シブすぎる!こんな都心でよくこんな逸品が残っているものだ。さすがに名古屋の地下鉄では、このような古いブツは見かけないような気がする。

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 で、この案内板に従って神保町駅A1出入口に行くと、このような実に味わい深いロケーションでした。まあでも、これくらいなら名古屋の地下鉄でも一つや二つありそうかな?そのうち名古屋の地下鉄全出入口チェックをしてみる、かもしれません(しないかもしれません)。
(まさ)

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31年ぶりに地元の山登り

2015年06月05日
 地元の話が続きますが、先の日曜日、揖斐川町中心部にある三輪神社(→●□)の周辺で「揖斐川ワンダーピクニック」というイベントが行われたので、見に行きました。オシャレマーケットと音楽フェスが一緒になったもので、愛知方面の人には「森道市場のコンパクト版」を想像していただければいいかと思います。

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 マーケットは古い商店が連なる国道303号旧道から三輪神社参道で。わが町でオシャレさんが大挙押し寄せる大型イベントが開催される時代がこようとは…。初夏の揖斐川ワンダーピクニック、秋のいびがわマラソンというパターンが定着するといいですね。
 ところで、この近くにライブなんかできるような場所があったっけ?と疑問に思っていたのですが、案内板に従って歩いてゆくと、なんと三輪神社裏の城台山(城ヶ峰とも)に続くプチ登山道に突入!なんで!?ピクニックだから?

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 といっても10分くらい登るだけでたいしたことはないですが。
 この道は、小学生のころ何度か登っています。
 山の中腹に一心寺というお寺があり、開山した播隆上人(北アルプスの槍ヶ岳を開いたことで知られる江戸時代の高僧)にちなんで地元では「播隆さん」と呼ばれています。この播隆さんで春分の日と秋分の日に地獄絵図の御開帳があり、友達とこぞって参拝したのでした。
 播隆さんがあるのは僕の地元の「小島校区」ではなく隣の「揖斐校区」。30年前の小島小学校では「親の同伴なしで校区の外に出てはいけない」というルールがありましたが、唯一、播隆さんの御開帳のときだけは子供だけで揖斐校区へ行くことが許され、ここぞとばかりに出掛けたものです。もちろん地獄絵図は口実で、みんなで「町」に遊びに行くのが目的です。旧小島「村」の子にとっては揖斐程度でもじゅうぶん「町」だったのです。
 でも、いちおう毎回登って見に行き、それなりにビビッて帰ってくるという、律儀な小島の子たちでした。

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 そんなわけで、たぶん小6以来、なんと31年ぶりに播隆さんに登った。ひー。寺ではイベントにあわせて地獄絵図の特別開帳をやっており、せっかくなので31年ぶりに拝観してきました。いやー懐かしい。

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 でもってライブは、播隆さんから少し下ったところに造成された広場が会場なのでした。もと町民なのにこんなところにこんな場所があるなんて、ぜんぜん知らなかった。山に囲まれてフェス環境としては最高だけど、しかしなんでまた町はこんな妙なところに広場を造成したのだろうか?このイベント以外に使い道が思い浮かばないぞ。
(まさ)
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たぶん旧揖斐郡小島村役場

2015年06月03日
 先日コメント欄に「揖斐郡小島(おじま)村役場はどこにあった?」という質問をいただきましたので、所在地の写真を出しておきます。小島村は旧揖斐川町の南西部を占める地域で、わたくしの出身地です。

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(2014.03.31撮影)

 正確な敷地はわかりませんが、いび川農協小島支店の場所に役場があったような話を聞いています。田舎は役場・小学校・農協の三点セットが固まってあることが多いですが、小島もその典型でした。



 小島は核となる集落・町場がなく、三点セットは公平に村のちょうど真ん中、どの集落からも離れた田んぼの中に置かれました。大雑把にいうと小島は村域の中央部に田んぼが広がっており、集落は主に小島山の山麓か揖斐川・粕川の近く、つまり外縁部に散在しています。要はドーナッツみたいに真ん中がぽっかり空いており、その空いたところに役小農の三点セットがあるという具合。ちなみに小島の名は、二つの川と小島山に囲まれて島みたいになっているから、というのが定説です。
 写真の真ん中ににょきっと建っているのは、砲弾を使った忠魂碑。日清・日露戦争後の明治42年に建立され、昭和27年に再建されたもの。小学生のころから見慣れており、わたくしのマニアック記念碑探索の原点みたいなもんですね。

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 上の写真の道路左には、母校の小島小学校。金次郎にまとわりついて遊んだ記憶もあるなあ…。
 ところで校区の上野・川原集落には旧小島村役場と思われる建物が移築されて残っています。揖斐川に架かる井ノ口橋のチョイ西あたり、県道254号の旧道沿いです。地図でいうと「みかどや」と「朝鳥公園」を結ぶラインの途上。 

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(2013.06.22撮影)

 おお、見事なむかしの役所建築!登録文化財級の逸品だ!「川原会館」の表札が掲げられており、集会所として使用されている模様です。

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 とかいいつつ詳しいことを調べていないので絶対とは言えないのですが、鬼瓦に「役場」の文字があしらわれていることと、川原が木造二階建ての集会所を建てるほどの集落規模ではないことから、たぶんそうなのではないかと(違ってたらスイマセン)。
(まさ)

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