ニューこうや

2015年05月30日
 直伝さんネタの続き。
 そんなわけで10年ちょっと前に再興された「知多半島もう一つの弘法霊場」直伝弘法ですが、長い空白期間に廃寺になった寺もいくつかあったため、札所寺院を整理しています。廃寺等による札所の移転は12か寺。まったく新たに札所を引き受けた寺院もあれば、もともと札所だったところがもうひとつ受け持った場合もあります。移転先は、親寺末寺の繋がりがあるところや、集落内の別の寺院など。知多四国の札所寺院からも3か寺が引き受けました。
 そのうちのひとつに、知多四国第48番札所良参寺があります。野間灯台や「食と健康の館」の近所です。

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 良参寺は美浜町小野浦にある曹洞宗寺院。境内には巨大なイブキやヤシがどどーんと生えており、なかなか心地よい。江戸時代に乗っていた船が漂流してアメリカに流され、いろいろあって日本に帰れなかった小野浦出身の岩吉・久吉・乙吉、あわせて「三吉」の墓がある事でも有名です。
 この良参寺は直伝59番を引き受けたのですが、古い納経帳を見たところ、もとの59番は「小野浦 新高野山」とある。なんじゃそりゃ?山号なのか?山なのか?
 寺の方や村の年寄に聞いても知らないというから、ずいぶん早くになくなったものと思われます。で、小野浦のどこかに新高野山の遺構でもないかと歩き回ったところ、国道247号の沿いにこんな場所が見つかった。

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 名前は「ねあがり弘法大師」。この前をしょっちゅう走っているのにちっとも気が付かなかった。

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 たぶん、松の根元が盛り上がったところに祀った弘法さんのこと…なのかな?大正10年に作られた石の厨子付き弘法石像と、「熱田 米万」とだけ記された標柱が建っています。謎。

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 そのすぐ裏には、なんだかよくわからない御堂らしき建物も。梵鐘が吊り下げられているので御堂だとは思うけど、ねあがり弘法との関連は不明。敷地内になにかの頌徳碑も建っているが、碑文は判読困難。うーん、謎だ。
 そんなわけで、謎が謎を呼ぶ小野浦なのでした。情報求む。
(まさ)

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◎長くてうっとおしいですが、直伝札所の新旧対応表を載せておきますので、興味のあるかたはご活用ください。
アンダーラインは知多四国の札所でもある寺、太字は旧直伝札所

01 瑞泉寺(鳴海)
02 誓願寺(鳴海)
03 如意寺(鳴海)
04 明忠院(大高)
05 東昌寺(大高)
06 春江院(大高)
07 東光寺(八ツ屋)
08 一如寺(大府原)
09 浄通院(大府追分)
10 地蔵院(大府)※旧称地蔵庵
11 専唱院内(大府)←専唱院(大府)
12 海印寺(森岡)
13 東光寺(緒川)
14 善導寺(緒川)
15 乾坤院(緒川)
16 増福寺(石浜)
17 明光寺(石浜)
18 常照寺(生路)※旧称常照庵
19 神後院(生路)※旧称神後庵
20 法蔵院内圓通山(乙川)←圓通山(亀崎向山)
21 法蔵院(乙川)
22 海蔵寺(乙川)←清光庵(横松)
23 常福院(岩滑)
24 攝取院(半田)
25 善芳寺(武豊山起)←金剛院(成岩)
26 法蔵寺北薬師(成岩)←北薬師(成岩) ※法蔵寺管理になったが場所は同じ
27 大昌寺(成岩)
28 長養寺(武豊)※旧称長養庵
29 眞樂寺(東大高)
30 正覺寺(冨貴)
31 教福寺(冨貴)
32 清應院(富貴市場)
33 心月斎(布土)
34 寶林寺(布土)
35 安養寺(布土)
36 影現寺(時志)
37 甘露寺(河和)
38 慶樹院(河和)
39 全忠寺(河和)
40 法華寺(矢梨)
41 長福寺(乙方)
42 長壽寺(山田)
43 新蔵寺(片名)
44 延命寺内豊泉寺(師崎)←豊泉寺(師崎)
45 延命寺(師崎)
46 宗真寺(師崎)
47 松寿寺(篠島)※旧称松寿院
48 呑海院(日間賀島)
49 正衆寺(豊浜)←智宅坊(豊浜初神) ※智宅坊は現在、初神公民館内にある
奥 圓増寺(豊浜)
50 寶珠寺(大泊)
51 西岸寺(内海)
52 寳樹院(内海)
53 良参寺(小野浦)←新高野山(小野浦)
54 正蔵寺(野間)
55 善法寺(奥田)
56 瑞延寺(奥田)
57 大仙寺内唯心寺(上野間)←唯心寺(上野間)
58 大仙寺(上野間)
59 東光寺内良雲寺(坂井)←了雲寺(半田)
60 東光寺(坂井)
61 廣目寺(広目)
62 寶珠院(小鈴谷)
63 曹源寺(大谷)
64 稱名寺(西阿野)
65 微笑寺(西之口)←天澤院(常滑)
66 西用寺(西之口)←正住院(常滑)
67 寶樹院(常滑)
68 桂岩寺(多屋)
69 影向寺(豊浜中須)←海徳寺(榎戸)
70 龍雲寺(榎戸)
71 松仙寺(蒲池)
72 齊年寺(大野)
73 東龍寺(大野)
74 海音寺(大野)
75 妙音院(新舞子)←法喜院(新舞子)
76 瑞光寺(日長)
77 龍雲院(古見)
78 慈眼院(朝倉)
79 吉祥院(八幡)
80 常光院(八幡)
81 大乗院(八幡)
82 光明寺(八幡)
83 妙乗院(養父)
84 玉泉寺(養父)※旧称玉泉院
85 玉林寺(横須賀)※旧称玉林斎
86 長源寺(高横須賀)
87 常蓮寺(大田)
88 龍雲院(大田)
奥 覚王山(名古屋)
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知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ジキジキでんでん

2015年05月29日
 と言っても大須演芸場によく出ていためおと楽団ではありません。
 知多半島全域をめぐる「もうひとつの弘法霊場」こと直伝弘法が今年開創90周年を迎えまして、知多半島のローカル媒体に記事を書いたのですが、それに先立って先日ようやく全札所を回ってきました。
 平成22年に納経帳を購入してスタートし(→●□)、知多半島での仕事の合間にちょこちょこ回って、五年かかってやっとこさ終了。いやー長かった。いくつかの寺院は無住で、100円置いて自分で御朱印を押したりしました。また、留守で出直した寺も二、三あります。文句を言う野暮な人もいるらしいけど、僕としては、なんか呑気でこういうのもいいよな、と思いますが。

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(8番浄通院/大府市追分 シンボルカラーは紫)

 直伝弘法は大正14年の開創。鳴海の1番瑞泉寺から東海市大田の88番龍雲寺に奥之院を加えた89寺で構成されており、離島を含めて知多半島を一周できるよう札所が置かれています。
 この霊場は開創時に、当時の四国八十八ヶ所霊場会会長だった善通寺誕生院の貫主(とっても偉いお坊さん)から開創のお墨付きをもらっていることがポイント。その証書が残っているいくつかの寺院では、弘法大師像とともに掲示してあったりします。
 また全札所の弘法大師像は、常滑の坂井出身で、東京に出て株取引で莫大な財をなし証券業界のリーダーとして活躍した片岡辰次郎が寄進しました。そのため「片岡家先祖累代之霊」と記された位牌が像とともに置かれているのが定番です(なくしたところもあるみたいだが)。

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 ただ、札所のお寺さんに開創当時の新聞など資料を見せてもらったのですが、誰の発案で開創されたのかが全然わかりません。
 明治末から昭和初期にかけて、全国各地に「ミニ八十八ヶ所」がぼこぼこできまくる弘法霊場ブームがあり、その流れのなかで誕生したことは間違いありません。しかし、ミニと八十八ヶ所というには範囲が広く、しかも知多四国が成立して既に100年経っているわけで、なぜ新たに同規模の弘法霊場を開いたのか疑問。
 これまで知多四国の取材で聞いた話も総合すると推察はできるのですが、長くなるしとりあえずここではしれっとスルーしておきます。またいずれ…。

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(6番春江院/大高 建物が登録文化財という巨刹)

 直伝弘法は、札所の置き方や寺院のセレクトに興味深い点があります。
 ひとつは、1から3までが鳴海にあること。そもそも知多半島全域を網羅する弘法霊場が置かれる根拠は、弘仁5年(814)に弘法大師が知多半島に上陸した際、知多半島が故郷の四国に似ていることに感銘をうけた、とされていることにあります。知多半島はイコール知多郡。なのに、知多郡でなく愛知郡の鳴海に三つも札所があるのはなぜなんだ、と。
 見せていただいた資料で分かったのですが、おそらくこれは愛知電鉄(名鉄の前身)が直伝弘法を後援していたことと関係があるのではないか。愛電は観光の乗客誘致にきわめて熱心な会社で、開創時の約三ヶ月間、愛電は納経帳に電車の三割引券を付けた、という広告が載っていました。最終札所も太田川駅のすぐ近くだし、愛電でのアクセスはきわめて至便。
 ちなみに知多四国の場合、1番は愛電前後駅が、最後の87番長寿寺は省線大高駅が最寄りになります。

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(35番安養寺/美浜町布土 裏山からの絶景)

 二つめは、知多四国の札所が手薄な地域をフォローしていること。河和、上野間、坂井、小鈴谷、西之口、新舞子、日長といった知多四国の札所がない大きい村にも直伝の札所があります。逆に知多四国でこれら大きい村に札所がないのはなぜなのかという話だが、まあ、いろいろあったんでしょうなあ。
 三つめは、けっこう大きい寺院が札所になっていること。鳴海の瑞泉寺、緒川の乾坤院、河和の全忠寺、大野の斎年寺あたりはなかなかの規模です。見せていただいた開創時の資料にも「御大山が多い」とひとつのセールスポイントにしています。

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(68番桂岩寺/常滑市多屋 見事な天水桶)

 直伝弘法は戦時中に廃れたようで、以後ながらく忘れ去られていました。そんな直伝さんを大府の豊田自動織機の社員サークルが見出して昭和50年代にグループで巡拝するようになり、その話が次第に広まって注目されたのを機に、平成15年に霊場会を組織して再興されたのでした。再興されてまだ10年ちょっとだったとは少し意外だった。
 いやしかし、愛知県にはいろんな霊場があって面白いですナムダイシ。
(まさ)
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道路元標の迷宮0007

2015年05月28日
 先日、足助への取材帰りに巴川沿いを南下して九久平(くぎゅうだいら)を通ったところ、国道301号の拡張工事のため新双竜橋のたもとにあった建物が一掃されていた。

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 九久平町簗場交差点から下山方面を望む。拡幅に先立って何年か前から滝川(巴川の支流)の流路を変える工事が行われていましたが、年度が変わっていよいよ本格工事に入った模様です。
 よく見ると建物とともに、旧道の隻龍橋のたもとにあった松平村道路元標と電話ボックスもなくなっているではないか。

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(2006.05.30撮影)

 支所に行ってどうなったか聞いてみたところ、工事は県の土木事務所の管轄なので支所では関知していないとのこと。そこでさっそく土木事務所へ、ってのは面倒なので、そのうち確認しようと思います。あるいは、誰か確認して教えてくださいませ。
 まあ、まさかそのまま行方知れずということはなかろう。工事完了までどこぞに仮置きしてあるか、挙母町道路元標が移設されている豊田市郷土資料館に行ったか、どっちか…だといいけど。車がぶつかって折れたあとどこに行ったか不明という例が西三河はあるので(額田郡豊富村と幡豆郡上横須賀村)、楽観しているけど不安だ。

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(2006.05.30撮影)

 ちなみに、拡幅工事前の旧橋の右岸(北)からの眺め。さらにちなみに、旧松平村(晩年の10年弱は松平町)役場は旧橋右岸側の一段高いところにあり、06年に確認したときには門柱が残っていました。

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 おまけに、九久平の市街地の現在。九久平は巴川水運の中継地として、あるいは足助街道と作手街道の交差点に位置する東加茂郡南部の商業中心地として発展し、古くから町場が形成されていました。20年チョイ前に初めて来て以来、店は徐々に減っている感じですが、往年の商店街の雰囲気はまだ残っています。
(まさ)

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◎道路元標の迷宮シリーズ
0001南設楽郡山吉田村→●□
0002北設楽郡下川村→●□
0003浜名郡中ノ町村→●□
0004西加茂郡保見村→●□
0005南設楽郡東郷村→●□
0006知多郡西浦町→●□
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

池上さんの石モノが一宮にも

2015年05月25日
 岡崎城の東照公遺訓碑を久しぶりに見たら、そういえば尾張一宮にも似たような記念碑があるのを思い出した。2年前に行った九品地公園(→●□)の片隅に建っているものです。

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 昭和15年に建立された「一宮耕地整理記念碑」だ!
 碑文によると、耕地整理事業が始まったのは中島郡一宮町時代の大正元年。町域を越えて西成、丹陽、葉栗、大和の各村の一部も含むかなり広範囲にわたるものだった。事業途中の大正10年に市制施行され、昭和7年から始まった都市計画事業とも連動。30年かけて昭和15年に事業が完成し、碑文曰く「大一宮建設の基礎を確立」した、と。
 これが愛知県知事より表彰され、記念に建立されたのがこの碑だそうです。

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 肝心の上部の龍は、似ているようでチョイと違う。そもそも一宮でも龍なのか不明だし。
 でも、精緻で美しいことに変わりはありません。脚立でも持ってきて登って撫でさすってみてぇ~。
(まさ)

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さらに岡崎城石モノもう一題

2015年05月24日
 石造物がわんさかある岡崎公園の中で、僕が一番好きな石モノは天守閣の前にあるこれです。

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 昭和10年に建立された「東照公遺訓碑」だ!
 東照公は家康のことで、遺訓とは「人の一生は 重荷を負うて遠き道を行くが如し  急ぐべからず  不自由を常と思えば不足なし…」という有名なフレーズの一文です。
 台座の巨大な亀が見ものですが、僕はそこよりも上のほうが好き。

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 実に精緻、美しすぎる。
 しかしこれは何なのか?鳳凰的な何か?疑問に思ってりぶらで資料を探したところ、「石都岡崎」というむかし地元新聞に連載された記事をまとめた冊子に碑が紹介されており、これは龍とのこと。つまり龍城(岡崎城の別名)を意味している、と。
 冊子には、作者である池上年(いけがみ ねん)の経歴や他の作品も紹介されています。この人は石工・石造物設計者・石造物研究者で、岡崎産品の品質向上に尽力した岡崎石業界の功労者。石工というより美術家あるいはプロデューサーと見たたほうがよさそうです。
 以下、冊子記事から作成した年譜。

明治23年 広島県福山生まれ、京都工芸学校図案科卒。
大正6年  岡崎市立商業学校に美術教師として赴任
大正12年 皇太子御成婚記念として献上する石燈籠のデザインを岡崎市より依頼される。
       以後、燈籠をはじめさまざまな石造物の製作に携わる。
大正15年 教職を辞し岡崎石工芸術研究所を設立。池上&研究所の作品を全国に残す
昭和53年 没

 城内にはこのほか、胎児の家康をくるんでいた膜を埋めたという(なんでそんなものを…)「えな塚」や、産湯湯の水を汲んだ井戸の傍らに建つ記念碑も池上年の作品とのこと。これらもなかなか味わいのある作品なのですが、案内板には作者について触れられていません。家康云々もさることながらこれほどの石造物の作者ももっと顕彰されていいと思うのだが、岡崎では忘れ去られた人なのだろうか?
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

岡崎城石モノ二題

2015年05月19日
 先月末、何年かぶりかで岡崎公園内をウロウロしまして、今更ながら見つけたもの。

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 大手門のすぐ南に、けっこうでかい花時計を発見。動物園のシロクマコーナーみたいな穴の中に、角度的に見づらい花時計が設置されております。これ自体は特にどうということはないが、穴の壁面に五つ取り付けられた吐水口がなかなか味わい深い。

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 ローマの神殿的な!?

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 気に入ったのでもう一発。二枚も載せることはないか。

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 その近くには、単に「公園」とだけ大書された巨大な石碑が。裏を見たら明治12年と、公園草創期のもの。しかし、なんでまた「公」と「園」の字の大きさがこんなアンバランスなのか?
 ほかにも大小様々な石造物がけっこうあって(こんなのも→●□)、さすが石都と感心します。家康没後400年で注目を集める岡崎城を訪れる方は、石造物チェックをおすすめします。

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 オマケ。五万石藤がちょうど盛りでした。これも今更ですが、見るの初めて。
(まさ)

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いつの間にか消えていたTOU

2015年05月16日
 熱田神宮のあとは「花のとう」をやっている半田市乙川の海蔵寺へ行きました。知多四国と直伝弘法のダブル札所です。
 海蔵寺の花のとうは乙川の新居地区の人が100年ちょっと前から行っているもので、海蔵寺の境内で3日間披露されます。同時に釈迦の生誕日を祝う「花まつり」も行われ(一般的には4/8だけど知多半島では一ヶ月遅れで実施するところがある)、境内には市が立ち、結構にぎわいます。

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 この日も、平日午前ながらボチボチの人出です。ところが、肝心の花のとうの飾りが見当たらないではないか。確か本堂の両脇にあったと思ったのだが。
 本堂で甘茶の番(花まつりの定番)をしていた方に聞いてみると、やってた人たちが高齢化して、5、6年前に大変だから中止になったとのこと。うーん。それを機に、花のとう+花まつり+市をひっくるめて「花のとう」と呼んでいた行事を、「花まつり」に変更したとも。

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(2009.05.08撮影)

 ということは、6年前に見たこの光景がおそらく最後の開催だったのか…。

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(2009.05.08撮影)

 この妙に色っぽい農婦がもう見られないのは、実に残念である。

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 しかたないので甘茶だけいただいて帰ったのでした。ちょっとほろ苦い甘茶であった…なわけはなく、普通に甘かった。
 なお、阿久比町宮津の熱田神社の花のとうは、今年は5/10(日)の開催でした。8日にやるものだとばかり思っていて、現地に行き貼り紙を見て初めて当日ではないことを知った次第。うーん。10日は蒲郡のフェス「森道市場」のチケットを買っているので来られない。来年、ローカル媒体で記事にしようと思っていたのに…。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

優しい森の神話

2015年05月14日
 8日(金)の朝、豊年祭を見物すべく久しぶりに新緑瑞々しい熱田神宮に行きました。

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 熱田神宮と聞くと、どうしても熱田神宮会館のCMソング「やぁさしいぃぃ~、もぉりにぃはぁぁ~、しんわがぁぁ~」ってのが頭のなかに流れてきますよネ!(僕だけ?)いったいあの曲はなんなのか、宇崎竜堂と熱田神宮にどういう関係があるのか、聴いた瞬間は気になるけど突っ込んで調べてみるほどでもないし…という。
 そんなことはどうでもよくて、豊年祭とは今年の農作物の出来を占う神事で、「花の撓(とう)」とも呼ばれています。詳しい段取や歴史等はあとで調べるとしまして、とりあえず見たままに流れだけ説明しますと…。

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 8時少し前、斎館・勅使館から神職たちが出てきて、ぞろぞろと本宮へ。

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 本宮での神事ののち、8時20分ごろ西楽所が開かれ、集まっていた人たちがわらわらとその前へ。

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 西楽所の中にはこのような手作り感あふれる農作業風景のジオラマが!

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 ジオラマの基本デザインは毎回同じようですが、置かれた作物の様相が占いによって変わります。ただ、その解釈について神宮サイドからの説明はなく、見に来た人が「今年はこれがいいみたいだからこれを植えよう」などと判断してたようです。
 主に誰が見に来るのかというと、県内各地の小さい神社の氏子や地域の代表者など。100円で頒布される白図にこれを描き取り、地元に帰って神社や寺の境内でジオラマを再現します。実にアナログな伝達方法!娯楽の少ない昔は待ちわびた村人で盛り上がったことでしょう。
 僕が知っている限りでは、豊田の挙母神社、岡崎市矢作のお寺さん、阿久比町宮津の熱田神社で行われています。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(2) | Trackback(0)

長い連絡通路のブルース

2015年05月12日
 GW谷間に静岡方面へ取材に行きまして、帰りは新幹線に乗って三河安城で在来線に乗り継いでみました。三河安城の新幹線駅はお迎えやドクターイエロー見物等(→●□)で2年に1度くらい行きますが、在来線駅に行くのは昭和63年の開業日に来て以来。
 新幹線から在来線に乗り継ぐにはいったん改札を出て、閑散とした構内を通り抜けた後、延々スロープの長すぎる連絡通路を歩かねばなりません。

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 長い、長すぎる!疲労困憊の中年にはこたえるぞ。

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 なので、途中には退屈がしのげるよう碧海五市の観光案内カンバンや(ある意味、貴重では)、このように休憩場所も設置されているのであった。しかしなんでまたこんな不便な構造の駅になったのだろう。

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 駅じたいが昭和の遺物みたいなもので、方面表示板のサインも0系なのでした。
(まさ)

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恋のアーケード0033

2015年05月03日
 木曜日、取材リサーチでかなり久しぶりに豊田市駅前に行ったところ、駅前通り商店街の入口にこのような告知が。

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 何と、喜多町二丁目交差点から三丁目交差点まで駅前通り北側に続いていた歩道アーケードが、明日から撤去工事に入るという。

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 アーケード撤去というか、ブッロク一帯の建物を一掃しての再開発(豊田市駅前通り北地区市街地再開発)ということのようで、近隣の商店主に聞いたところ、キャッスルホテルやコモスクエアが連なる通りの南側のような感じになるそうな。
 この通りでの思い出というと、2年くらい前に当時2歳児と二人で三河線に意味もなく豊田市まで乗り、スーパーやまのぶで昼飯を買ってGAZAの前で食べたくらいで、まあ、特に思い入れはないです。

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 ただ、参合館向かいのUFJ銀行のあるブロックは再開発の対象外らしい。UFJ前の40mほどのアーケードは中途半端に残るということか?

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 この通りの店みせは、移転するところもあれば再開発を期に廃業するところもあり、昔の写真入りで告知と感謝を記した貼り紙が何軒かのシャッターに貼られておりました。特に思い入れのある町ではないけど、もの寂しいものです。

150503-7.jpg ※クリックで拡大します

 オマケ。2006年に「西三河今昔写真集」を作ったとき入手した「挙母町名所絵はがき」の中の一枚で、昭和初期の挙母駅前通り。HINOMIの全容がきれいに写り込んだ絵葉書も珍しい。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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