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  •  常滑駅の北西にある常滑市民病院が、明日から常滑インター南の飛香台に移転します。 さすがのわたくしも公立病院までは守備範囲じゃなかったのですが、知多半島のローカル媒体で取材する機会があり、先の三月に初めて行きました。 オープンは昭和34年で、建物も完成から55年も経つとさすがに古びている。狭くていささか薄暗いので、患者として来ていたらちょっとダークになったかもしれないけれど、マニア的にはなかなかいい味... 続きを読む
  •  日曜日は好天のもと、地元の上重原町の古刹、萬福寺にて開創1200年&本堂再建落慶法要の稚児行列が執り行われまして、ウチの4歳児も参列してきました。 稚児行列は昨日今日の二日間に分けて行われ、二日あわせてなんと800人もの稚児が参集。一日400人に親や祖父母なども加わって、上重原開闢以来の大行列が出現したのであった! かつてこれほどの行列が上重原にできたことがあっただろうか!って、随伴の大人が多すぎてどこに... 続きを読む
  •  西尾に続いてこれまた三月アタマの話ですが、久しぶりに長野県最南端駅の所在地として知られる天龍村の中井侍へ行き、取材先の製茶組合の方から聞いた情報。 中井侍では昭和40年代後半から茶の産地となり、生産量が増えたのを受けて昭和50年頃に自前の製茶工場を区内に設けたのですが、その建物がなんと国鉄の施設を転用したものという。 中井侍-伊那小沢間の観音山トンネル付け替え工事(昭和49年)のとき、現場の工事事務所... 続きを読む
  •  寺津橋へ行った日には旧一色町の西部をウロウロしており、国道247号からもよく見える巨大な楼門なんぞを見物したりしていました。 どどーんとそびえる赤羽別院親宣寺 の楼門です。見事。見事だけどここに書くような話は特にない。 ついでにあたりも徘徊してみたら、すぐ東に赤羽別院とは好対照の小さな寺がありました。 あったのだけど、寺号がどこにも書いてない。門柱は皇紀2600年(昭和15年)記念に作られたもので、弘法霊... 続きを読む
  •  3月アタマ、久しぶりに西尾方面に行って出し忘れていたネタ。 寺津の中心部の寺津町交差点(西尾寺津郵便局のところ)から東へ600mほど行くと、平坂入江に架かる寺津橋があります。現行の橋は昭和50年の架橋で、そのすぐ下流に、使われなくなりながら放置されて久しい旧寺津橋が残っています。 橋の東詰に建っていた記念碑によると昭和24年の架橋。ぜんぶ壊せばよさそうなもんだが、なぜか真ん中の道路部分だけ撤去されていま... 続きを読む
  •  土曜日は東浦町で開催された「於大まつり」を、いちおう取材で見物に。於大は家康の母で、町内にあった緒川城の生まれ。そのゆかりで「於大のみち」という明徳寺川沿いの遊歩道や「於大公園」が整備されております。 このイベントのメインは、遊歩道から乾坤院を経て公園までの行列です。 幼少時の於大の方を中心に、武将や雑兵のコスプレ軍団、地元キャラのハリボテ、和太鼓グループ、ご当地音頭を踊るおばさま方、鼓笛隊、保... 続きを読む
  •  千葉県北総滞在中の暇つぶしシリーズ、今回は鎌ヶ谷という町に行ってみました。大雑把にいうと、寅さんの柴又帝釈天から真東へ10kmほどのところに位置する古いベッドタウンです。東海地方の人にとっては「どこそれ?」という感じのマイナーシティですが、日ハムの2軍が本拠を置いていることで野球好きには有名。あと鉄道マニアには、北総鉄道と新京成電鉄と東武野田線の3路線が交差していることで有名。 滞在先から北総鉄道... 続きを読む
  •  吉原や日本堤を歩いた翌日も滞在先の千葉から東京に出まして、墨田区や葛飾区あたりをウロチョロしましたが、メジャーな下町のことは様々な媒体に出ており、イナカから来たわたくしが今更書くようなこともない。なので、気になったカンバンだけ出しておきます。 東京のカンバンといえば、変体仮名カンバンに遭遇する確率が地方より高いような気がします。これは台東区日本堤一丁目にて見つけたもの。読めん!たぶん「そば處」と... 続きを読む
  •  そんなわけで吉原の店をちょいと冷やかしてみたり…はせず、大門跡からそのまま東へ進んで台東区日本堤一丁目へ。日本堤は別名「吉原土手」で、浅草から吉原へ行くルートだったとか。 非常にマニアックな話ですが(いつもか)、戦前まで亀崎の酒蔵が「日本堤」という酒を造っており、その後、成岩の知多酒造(→●□)に銘柄が譲渡され、80年代前半まで販売されていたようです。なんで知多半島の蔵元が江戸の地名を酒の名前にしたの... 続きを読む
  •  三月末は数日間、例によって「Iターン里帰り」で千葉県北総へ。今回は妻子が先行し、僕は仕事を片付けてから一日遅れで追っかけ。単独行動だったので千葉入りするまえに東京をフラフラしてみようってんで、上野あたりから吉原まで歩いてみました。 吉原は、言わずと知れた日本最大の遊廓があった場所。現行地名としては残っておらず、現在は台東区千束四丁目の一帯になります。浅草寺から北へ1キロのところ。 西外れから吉原... 続きを読む
  •  先月半ば、子連れで北遠と東栄町をウロウロと調査徘徊に行きまして、3歳児対策として中部天竜と水窪の間を飯田線で往復してみました。中部天竜駅に立ち寄るのは二年ぶり(→●□)。 寄るのは2年ぶりだが、この区間を乗るのはいったい何年ぶりか…。 前回、跡地が一部工事中だった旧佐久間レールパーク(現役時代→●□)の展示室でもと中部天竜機関区の建物は、写真左に見えるとおり健在です。 入り口に掲げられた古車輛パネルも... 続きを読む
  •  そういえば3月1日に武豊線が電化されていました。(電化前最後に撮った武豊線の気動車・東成岩-武豊間の衣浦踏切 2015.02.18) 沿線自治体の長年の悲願がかない、ようございました(JRは、請願が要因ではなく車輛運用上の有利さから電化を決めたという話だが…)。 電化にあわせてローカル媒体でも武豊線の特集を組んだのですが、なんせその媒体の配布エリアが武豊・常滑以南で、武豊線といっても武豊町内の2キロ弱しか... 続きを読む
  •  揖斐川町の実家に帰った土曜日、用事があってたまたま隣町(大野町)の旧黒野駅跡前を通りかかったら、公園化された駅跡で式典が催され人がわらわら集まっていた。何事かと思って見に行ったら、むかし揖斐線を走っていたモ512が来年3月まで期間限定展示され、その「おかえりなさい式典」なのでした。 どこにあったのかと思ったら、旧美濃駅で保存展示されていたのをレンタルしたとのこと。うーむ、この車両が美濃市に行ってい... 続きを読む
  •  二見浦の続き、というか岡崎産石造物の話の続き。 一月下旬、とある取材で岐南町の八剣神社に行ったところ、岡崎産品を大量に発見。どこそれ?というようなマイナー神社ですが、参道が東海道線で分断されている神社、といえば分かる人もいるのでは。 これです。80年代末から90年代初頭にかけて路上観察がはやった頃に雑誌か書籍で取り上げられていましたが、それ以外では媒体に登場したのを見たことがありません。そんな神社で... 続きを読む
  •  間が空きましたが二見浦の続き。 前回、海辺の園地に埋まるカバの写真を載せましたが、明治42年、ここで海に放された巨カバならぬ巨カメが、対岸の知多半島に打ち上げられたという記録が残っています。そして、昭和初期に造られたそのカメの等身大セメント像が南知多町豊浜小佐の浄土寺(知多四国番外札所)にあります。 かわいい、かわいすぎる! このカメのいわくは以下のとおり。 カメを放したのは谷村佐助という伊賀上野... 続きを読む

MARUKADO

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東海地方を縦横無尽、全国各地に神出鬼没の取材・執筆・編集事務所。
ライター/編集者/媒体によっては撮影も。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住
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