ミラクルしおりん

2015年03月27日
 話は二見浦に戻りまして、二見興玉神社で石造物チェックをしたついでに、門前町の旅館街を久々に歩いてみました。

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 豪壮な木造旅館建築が何軒か残り、昭和な土産物店もちらほら見られ、特異な景観を作り出しています。
 土産物店の一軒にふらっと入ってみたところ、そこは戦前からやっているという老舗。ここで売られている土産のなかに、凄いものがありました。

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 なんと戦前に作られた古写真入りのしおり!さすがに価格が戦前から据え置きということはなく、ちょっとだけプレミアがついていましたが(といっても古書店でこの手のものを買うより全然安い)。店主曰く「在庫がたくさんあるから…」と。

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 そのうち何枚かは、杉田石材店製の鳥居がまだ建っていなかった頃の風景が使われていました。つまり昭和5年以前に作られた栞ということになります。

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 さらに歩いていると、観光客も地元の人も見当たらない静かな通りに、右に写っている移動販売車が音楽をガンガン鳴らしてやって来ました。この移動販売のテーマソングなのか「♪ブタの、赤ちゃん、かわい~いあ~か~ちゃん」という歌にときどきオモチャのラッパで「ブーブー」と合いの手が入るアッパーな曲調の童謡で、あまりのシュールさに唖然。伊勢志摩限定の歌なのか?この移動販売と歌について知っている人がいたら、ぜひ教えてください。

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 そして海岸沿いには、「名勝二見浦」の標柱や年季の入った歌碑・記念碑に混じって、大きく口を開けたカバが埋もれていたのであった。栞といい移動販売といいカバといい、不思議すぎるぞ二見。
(まさ)
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三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

金次郎メーカー

2015年03月26日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」46号の連動ネタ。
 二見興玉神社の鳥居を製造した杉田石材店は、柱の銘では所在地が「花崗町」になっていますが、現在は稲熊町に造成された「石の公園団地」にあります。ここは高度成長期、江戸時代以来の石屋街だった花崗町で粉塵が問題になったことから市内二か所に造成された業者団地のひとつ。上佐々木町の「石工団地」の横は車でよく通るのだが、山の中のどん詰まりにあるこちらはには、今まで一度も来たことがありません。

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 石だらけ!なんか楽しいぞ。

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 杉田石材店では、二見興玉神社の話を聞いたあとにプチ工場見学をさせてもらいました。いやー、石マニアにはたまらない光景ですネ!
 会長の奥さんに案内してもらいがてら、あれは蛭川石、これは××石などといろいろ教えてもらったのですが、製品が多すぎて忘れてしまった。やはり、石だけ見てどこの産地かわかるようにならなけばいけない(何を目指しているのか)。
 事務所では昭和初期に制作されたカタログも見せてもらったのですが、製品ラインナップにぶったまげた。

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 なんと、主力製品として二宮金次郎がどーんと1ページ大で掲載されているのである!
 東三河の金次郎像を一挙に載せて読者を唖然とさせた「そう」43号(→●□)に書きましたが、全国に二宮金次郎像が置かれるようになったのは、昭和初期の不況打開策として岡崎の業界団体が金次郎の石像を企画販売したことがきっかけとされています。その一翼を担ったのがこちらだったわけです。
 杉田石材店では戦後も金次郎像を手掛けたそうで、会長さんの話では昭和30年前後に需要がものすごくあったとのこと。

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 さらには弘法さんも!大正から昭和初期にかけて四国八十八ヶ所の写し(ローカル八十八ヶ所→例●□、ミニミニ八十八ヶ所→例●□など)が全国的に流行しており、発行時期とぴったり重なる。
 そんなわけで今後の金次郎像&弘法像調査は、このカタログと同じ形の像を探すことに精力を傾けなければならなくなったのである。
(まさ)

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西三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)

石の来歴

2015年03月25日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」46号の連動ネタ。
 三遠南信うまれの特産品が他の地域でどのように扱われているかわざわざ遠くまで行って探るという珍企画「三遠南信産××育」では、今回、伊勢の二見興玉神社に行ってきました。
 二見興玉神社とは、これです。

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 でもって、全く知られていないと思いますが(というか気にする人なんかいないと思いますが)、ここの鳥居のひとつが岡崎で作られたものなのです。

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 門前町が尽きていよいよ境内に入るというところに建つこの鳥居が岡崎産。建造は昭和5年。
 6年前、何かの取材で伊勢の名所をいくつか回ったとき、この鳥居の台座に岡崎の文字を発見し、いつか使ってやろうと温存しておいたネタです。数年来の念願がかなったというのに、よりによって再取材の日の天気がイマイチだったのは、まあ、日頃の行いのせいですな。
 本誌では台座の銘の写真がスペースの都合上使われておりませんので、ご紹介します。

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 「岡崎市花崗町三 〇菊 杉田石材店」の文字がくっきりと!岡の字がなんかオカザエモンぽいし!
 記事を作るにあたって調べてみたところ、なんとこの杉田石材店さんは現役バリバリで、岡崎を代表する老舗の石工業者でした。店に話を聞きに行くと建設中&完工記念写真まで保管しておられ、石造物マニアのもと古写真集編集者としては感激に打ち震えるばかり。

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 寄進者は大阪の講社。「せんば」は大阪の商業地として名高い船場のことで、おそらく旦那衆の集まりでしょう。このまま大阪まで調査に行きたいところだったけど、さすがにそこまでやっている時間と金はないので、またいずれ。
 ついでに、参道に置かれた他の石造物も調べてみました。こういうことは地元の教育委員会と文化財調査委員でやっておいてほしいものです…って、そんな酔狂な教委はないか。

150325-6.jpg ※クリックで拡大します

 しかし我ながら何をやっておるのか…。
(まさ)

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三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0298

2015年03月19日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」46号の連動ネタ。
 今号では「真っ二つ」のタイトルで取り上げた飯田市切石の「七妙石」を、諸般の事情で初めて写真だけ担当しました。七妙石とは、切石地区に点在する珍妙な七つの石の総称で、そのうちのひとつ「切石」が地名の由来になっているという話。切石は、飯田線飯田駅のひとつ手前にある無人駅で、ホームのカーブのきつさで一部マニアに有名です。どれくらいの急カーブかというと、これくらい。

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 うーむ、何もわざわざこのドアを選んで乗らなくても…。
 でもって本編のメインである「切石」は、切石駅から西へ約1kmのところにあります。

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 美しい山並みを背にした河岸段丘上の好ロケーションなのに、よりによって真後ろに生コン工場が!おまけに石の前にどーんと案内板が!地元の人が郷土愛から製作したものにケチをつけたくはないが、できればもう少し脇に立てるとかさあ。単に見物に来ただけなら、これはこれとして楽しめたのだが…。

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 ついでに他の七妙石も探してみました。こちらは中央道の下にある「蔦石」。角のような出っ張りと上半分を覆う枯れた蔓草が味わい深い。よく見ると、ハザ用杭かリンゴ畑の添え木のような棒を収納しておく小屋の壁として活用されており、地域柄がうかがえます。

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 こちらは「太鼓石」。枯れ木や腐った標柱、オイル缶などが乗っかり、いい風合になっております。
 それぞれいわくはあるものの特に神聖視されているというわけではない点が、切石の七妙石の妙味と言えましょう。
(まさ)

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伊那谷雑 | Comments(2) | Trackback(0)

シャドウズ・オン・ザ・廃校グラウンド

2015年03月17日
 三遠南信エリアの地域雑誌、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」46号が発売中です。

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 今号のキーワードは「真」ということで巻頭特集が「真言秘法」。ここでは女性取材記者(まり)が新居・応賀寺の胡瓜封じ、蒲郡相楽・不動院の火渡りという真言宗寺院のシブい行事を取材し、わたくし(まさ)は毎回やってる地名探訪と三遠南信産××育、あと「真っ二つ」というタイトルが付けられた飯田市の切石七妙石の写真だけ担当しております。
 で、今回取り上げた真の付く地名は、豊根村の古真立(こまだて)。拙著「火の見櫓暮情」でここのHINOMIを取り上げており、二度目の登場になります。
 どんなところか大雑把に言うと、チョー山奥。大雑把すぎるか。

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 大入川の「みどり湖」の湖畔および支流の古真立川流域に点在する3集落(小谷下・大立・間袋)からなり、旧宝飯郡一宮町ほどの面積に17人しか住んでいないという過疎地域。当然むかしはもっと人がいましたが、佐久間ダム、豊根ダムで5集落が水没、このような状態になってしまいました。
 上の写真は、田鹿(たしか)集落跡地からみどり湖越しに眺める小谷下(こやげ)集落。その高台に昭和45年までは古真立小学校がありました。HINOMI取材の際に地元の人に聞いた話によると、ここの半鐘台(→●□)は、水没前はもっと下を通っていた県道から、集落最高所にある小学校まで給食運搬用に敷設されていた索道の支柱を転用したものとのこと。
 HINOMI本でも今回の記事でも学校跡の写真は使われていませんので、出しておきます。

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 これが古真立小学校跡地。山奥すぎて平地などないので、村人の勤労奉仕で斜面をならして校地を作ったのでありましょう。

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 校舎は取り壊されて公共施設が建てられていますが(それももう使われていない様子)、なぜか宿直室だけ残っています。

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 その中にはなぜか、壊れた理科室の器具棚が残されていたのであった…。なお、ガラスに写っているのはホラー的な何かではなく、ただのマニアでございます。
(まさ)
東三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)

三枚目好き

2015年03月16日
 三歳児の憧れの人。
 昇太さん(春風亭昇太)にはじまり、座布団運びの山田降夫、よしひさくん(体操のおにいさんの小林よしひさ)、田中くんこと日本百名山を全行程、歩く漕ぐの人力のみで達成した田中陽希。
 おいおい、全員三枚目じゃないか!
 
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 ふかぶか~とお辞儀。着物を着て、落語家気取りのボウズ。

いつから笑点が好きになったのかは分からない。
私もダンナも落語は好きだけど笑点は見なかった。日曜の夕方五時半にテレビを付ける習慣がなかったから。
ボウズが一番はまったのは笑点のテーマソング。次にリズミカルな言葉。
とくに、「この顔にオンナが惚れんのよ」の小遊三のモノマネがうまいんだ(ハハは絶賛)。

 ついでに、ボウズの欲しいもの。
笑点用の座布団と道路工事用のカラーコーン。
カラーコーンはヒマラヤにミニサイズが売ってて、泣いてねだられた。そんなに高くないし、買っちゃおうかと思ったが、ダンナに相談したら「必要ない」と一喝され、目が覚めた。で、購入せず。
座布団くらいなら買ってあげてもいいかなぁ。来月、誕生日だしね~。
 
そのほか | Comments(0) | Trackback(0)

ヤング・サン

2015年03月15日
 モニュメントといえば1月上旬、犬山にある愛知県下最強のモニュメントも取材で見物してきました。

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 モンキーパークに立つ「若い太陽の塔」だ!
 若い太陽の塔は、大阪万博の前年にプレイベント「万国博と世界お国めぐり」がモンキーパークで開催され、そのシンボルとして岡本太郎に製作依頼したもの。老朽化て放置状態だったところを、平成23年が開園50周年&岡本太郎生誕100年ということで修復したとのこと。
 3歳児も仰ぎ見て、その圧倒的存在感におののくばかり。展望台(腰あたりの円形部分)に登らせて某媒体用にモデル撮影を試みたのだが、おののきすぎて「もういやだ~」と叫びながらさっさと降りてきてしまった。う~ん。
 そういえばむかし、友達が幼児連れで川崎市にある岡本太郎美術館に行ったところ、子供が作品群を見て大泣きして逃げ出したとか言っていたのを思い出した。恐るべしTARO。3歳児も小さいうちに連れて行ってビビらせてやりたい。

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 逃走した幼児は、モンキーパークの観覧車に一目散。仕方なく乗ったのだけど(乗りたかったけどネ)、同行した両親に聞くと僕が園の担当者に話を聞いている間に2回も乗っており、これで3周目という。ウチの子、大丈夫か!?
 でもって観覧車から眺める逆光の若い太陽の塔は、朝焼けの光の中に立つミラーマンさながらであった。
(まさ)
尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ザ・モニュメンタブル・シティ

2015年03月14日
 先日、とあるローカル媒体の取材で稲沢操車場の跡地をウロチョロしてきました。といっても大規模な再開発事業が行われたため往時の遺構はありません。
 東口の駅前広場の片隅には、このようなモニュメントが置かれています。

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 D51の動輪をモチーフにしたモニュメントだ!って、パッと見なんなのかよくわからず、なかなか地味である。
 銘板によると設置は2002年で、「稲沢ライオンズクラブは創設40周年を記念事業として、本事業の成功を祈念して稲沢操車場の最盛期に活躍した、蒸気機関車D51の動輪をモチーフとしたモニュメントを贈ります」とのこと。事業の成功とは、再開発事業のことなのか、40周年記念事業のことなのか?駅前や公共施設ではよく、ライオンズクラブ寄贈の置物を見かけますが、この団体はどうしてこのような類のものを寄贈するのが好きなのだろうか…。

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 動輪モニュメントはそんな感じでちょいと微妙なのだが、東口ロータリーに隣接する広大な緑地の片隅には動輪型の石製台座と、稲沢操車場の歴史を紹介する案内板も設置されています。古写真もプリントされたなかなかマニアックな内容で、都市計画課か教委かわからないけれどいい仕事をしておられる。

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 さらに、東口から少し歩いたところにあるユニー系の大規模SC「リーフウォーク稲沢」には、モニュメントとして車掌車が2台も!歴史を大事にしておられるというか、実にマニアックなショッピングセンターである。

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 ついでに他の駅前モニュメントもチェックしたところ、稲沢駅西口には稲沢土地区画整理事業完工記念の時計台が設置されていました。名称は「みのりの塔」。なんじゃそりゃと思ったが、稲沢の稲と掛けたのであろう。それよりも、背景のJR貨物東海支社の建物が味わい深すぎて、こっちのほうがモニュメント性が高い。

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 そして、国府宮駅前の枯れ噴水の中に建っているこれは、なんなのかよくわからなかった…。
(まさ)
尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0062

2015年03月12日
 御前崎に行った後はさらに東へ進みまして、遠州を越えて清水の話。3か月ぶりに清水に行き(前回こちら→●□)、港の近くで午後遅くまで仕事した後、帰る前に清水の市街地を少し徘徊してみました。
 巴川河口付近の右岸に本町や清水町の地名があり、このあたりが本来の中心部だろうと目星を付けていってみたところ、本町はただの住宅地だったが、清水町から美濃輪町にかけては歩道アーケードの古い商店街になっており、なかなかの味わい。

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 その名も次郎長商店街。この通りに清水の次郎長の生家があるのが商店街名の由来のようです。
 清水の次郎長は知多半島にも来ていて、乙川で決闘したり光照寺(知多四国18番)に「次郎長地蔵」があったりするので、親近感がないことはない。時間が遅く、生家が空いていなかったのが惜しい。
 で、アーケードの軒下にずらーっと連なる商店街のサインがこちら。

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 任侠のイメージとはかけ離れ、かわいらしくなっております。

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 店舗サインはけっこう古びているので、次郎長通り商店街の名称もそこそこ歴史はあるのでしょう。

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 で、このはんぺん屋さんではんぺんを購入したところ、戸棚のなかにこのような激シブ次郎長グッズが!戦前からやっている「次郎長道中」というイベントのものらしいが、このタイプの肖像画をうちわにあしらうとは、この町の人の次郎長に対する敬愛がうかがえます。達筆の町内会長が書いたような見事な文字も効いている。次郎長にはこの書体しかないという感じ。
 どうでもいいけど、サインも団扇も黄色ということは、次郎長のイメージカラーは黄色ということか?

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 ここのはんぺんはとても美味しかった。静岡のはんぺんは黒が定番かと思っていたが、御当主の好みではないので昔から白を作っているとのこと。次郎長スピリットを感じさせる、粋な老大将でした。
 あ、清水の話や戦争話をいろいろ聞いたのに、肝心の商店街名とマークについて聞き忘れたことに今気が付いた…。

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 あともう一点、街灯フラッグ用のサイン。富士山?
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

ZANDO山

2015年03月10日
 遠州ばなしはどんどん東へ行きまして(2月は静岡県強化月間の様相)、先月なかば、とある取材で20年ぶりくらいに御前崎へ。御前崎港のあたりうろうろしていたら、御前崎マリンパークという人工海浜公園の一角に小山がポコっとあるのを発見しました。

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 「ナントカと煙は高いところが好き」の言葉どおりの人間である私は、迷わず登ってみました。

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 角度によっては古墳のようにも見えたけれど、頂に立つと断崖の岬のように先へと伸びており、なかなか爽快な景観です。静岡県だし、きっとこれは津波避難用の山なんだな、と勝手に得心。

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 なのに、滑り台があるのはナゼ?しかもけっこう長くて、すごい楽しそうではないか。通常は遊び場、緊急時は避難場所ということだろうか。だとしたらさすが防災先進県。で、下山のときはここを滑り降りたのは言うまでもありません。今回は子連れじゃないのに、40すぎて我ながら何をやっているのか。
 しかし、あとで行政関係者に聞いたところ、この海岸の山は浜岡原発の建設の際に出た残土で「純レジャー用」に築いた山とのことでした。うーむ、由来を知ってしまったら、このご時勢ではなんとなく楽しみにくい…。

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 オマケ。残土山から見えるガントリークレーン(船にコンテナを積み下ろしする巨大クレーン)に、かなり近づけた。形が動物みたいで好もしい。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0297

2015年03月08日
 さらに遠州ばなしは東へと移りまして、先月上旬、仕事の一環で「遠州のパワースポット系名所を遠鉄の観光バスでめぐる」というツアーに参加しまして、途中、東名袋井インターの近くの「袋井観光センター」に立ち寄りました。

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 これぞ昔ながらのドライブイン!何度も横の道を通っているのに、存在に全然気が付かなかった。
 そもそも「袋井」と「観光」が結びつきません。市内には遠州三山と呼ばれる可睡斎(→●□)、法多山、油山寺の三大古刹があるけれど、地元以外でメジャーという感じはないし…。北にある森町の小國神社か、あるいは逆方向の御前崎方面へ向かうドライブ客または観光バスをターゲットにオープンしたのでしょうか。
 いずれにしても、こういう機会でもないと寄ることはないような施設なので、貴重な経験ではありました。なお館内は、まあ、ひとむかし前の普通の土産物屋という感じ。
 この建物の北側に、このようなカンバンが立っていました。

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 袋井はそういえば茶の産地でもあったか。中東遠で茶といえばなんとなく掛川・森・菊川の印象。袋井はメロンのイメージが強烈過ぎて盲点でした(あとフクロイ乳業のイメージも)。

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 カンバン上部には、袋井茶商組合のものと思われる味わい深いロゴが!これは旧袋井市章をアレンジしたもので、矢印のような図案はフクロイの「フ」。合併後もこうして旧市の遺物がひっそりと残っているのは嬉しく、末永く残してほしいところでありまフ。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0049

2015年03月07日
 まだまだ引っ張る遠州ばなし。
 その奥山半僧坊の門前町には、このようなアーチがあります。

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 団扇の下に「開帳門」とあります。シンプルで昔は興をそそらなかったけど、いい感じに古びてきて味わいが出てまいりました。

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 アーチの向こうは数軒の飲食店や土産物店が連なっており、シブい。

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 奥山半僧坊の門前町は、山門前と遠鉄奥山バス停付近の二段構えになっています。こっちはあまりシブくはないが、山あいの村にいきなり町場が現れるので、インパクトはあります。しかも50年前にはこの下に遠鉄奥山線の駅があったのだから凄い。
 バス停の向かいの店には「大あんまき」のカンバンが見えます。知立市民としては捨て置けず購入してみたところ、小さい枕ほどのサイズで驚いた。しかも包装紙には「登録商標」の文字が!知立が本家ではないのか!?まあ、知立在住といっても純地元民ではないので、どっちが本家でも別にいいですが。

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 ところで奥山半僧坊には、東京の人が奉納した江戸文字の額がいくつもありました。改めて考えてみると、境内の風情はなんとなく関東圏チック(そうか?)。江戸とのつながりを突っ込んで調べて、いずれネタにしたいと思います。
(まさ)
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

たぶん流行らないであろうローカル食0005

2015年03月06日
 舘山寺からさらについでに、引佐町の奥山半僧坊こと方広寺にも久しぶりに行ってみたところ、大庫裡で「浜納豆」が売られていたので、これまた久しぶりに購入してみました。納豆といっても糸を引くアレではなく、西遠(&豊橋)の特産品であるコレです。

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 要は、豆味噌を粒状にしたようなもの。三ヶ日の大福寺で作られているものが有名で、もしや方広寺でも作っているのかと思ったら、売っていたのは浜松市街に近い富塚の法林寺で作られたものだった。
 個人的には大好きで、普段はお茶漬けに十粒ほどまぶして食べているのですが、浜松と豊橋以外でのウケはいまひとつ。浜松の衆は酒のつまみにすると聞いて、地元揖斐川町の消防団の年末夜警のとき持って行ったところ、ほぼ全部残ったという悲しい思い出があります。
 まあ、有名な特産品とはいえ、他地域で敬遠されるのはわからないでもありません。辛いし、見た目がこんなだし。そもそも地元でもどれだけ親しまれているのかいまひとつわからない。
 そんな浜納豆、そのまま食べるかお茶漬けにする以外に何か手はないかと以前から考えていたのですが、先日、こういうふうに食べてみたらけっこう美味かった。

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 茹でたパスタにバターと浜納豆を絡めただけというシンプルな一皿。適度な辛さ、ショウガの香り、バターのコクが相まった味わいは、精進料理を思わせる潔さである…って、何を言っているのかよくわからない(食の原稿は不得手でして…)。

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 先にとある取材で「家康出世城御前」というのをいただいたら、鯛の刺身に浜納豆を一粒乗せた一品が出てきました。醤油はついつい漬けすぎて素材の味を覆い隠してしまうことがよくあるが、これはまず辛味がピンポイントで舌を突いたのち香りが鼻腔に広がるという感じで(これも何を言っているのかよくわからないが)、なかなか美味かったです。

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 ちなみにこちらは、浜納豆を買った方広寺の大庫裡。本堂もいいが、こちらの建築も見事。
(まさ)

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◎たぶん流行らないであろうローカル食シリーズ
0001 伊那谷の塩イカ→●□
0002 信州平谷のぴりぴり芋→●□
0003 白川郷のフキとニシンを一緒に煮たヤツ→●□
0004 知多半島のブンドと岡ヒジキ→●□
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

HINOMIC親子

2015年03月05日
 舘山寺に行ったついでに、大草山の入り口に位置する呉松に寄ってHINOMIチェックをしてきたところ、上部が撤去されてさびしい姿になっていた。

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 以前はこのような姿でした(→●□)。

150305-6.jpg(2007.07.24撮影)

 かつて西遠でよく見られた屋根付きタイプ。たいへん美しい造形だったので惜しい。一部を除いて西遠の火の見櫓撤去の勢いはもう止まらず、部外者にはどうすることもできません。
 かと思えば、引佐町的場(新東名浜松いなさJCTの大ループに囲まれた集落)にある国重文鈴木家住宅を見物に行った際、今更ながら未見の半鐘台を初確認してしまった。

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 前にHINOMI本を作ったとき参考にさせてもらったサイトによると、以前は木製電柱を切断してポールにしていた模様。高速の工事に伴い御堂ごと移転したと思われますが、例によって周囲に人がいなかったので確認できず。

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 本を作っていた時はまだこの世にいなかった3歳児も、今ではこうしてHINOMIに反応するマニアックな幼児に育ちました。たいへん感慨深く、そして将来が不安である。
(まさ)
遠州雑 | Comments(4) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0048

2015年03月04日
 ついでに舘山寺の温泉街もこれまた久しぶりに歩いてみたら、以前はなかった歓迎塔のようなものが立っていた。

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 うーむ、パステルカラーはあまり舘山寺っぽくないが…。じゃあ何色なら舘山寺っぽいのか、と聞かれても返答に窮しますが。
 かつてここにはこのようなアーチがありました。

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(2004.12.03撮影)

 シブい、シブすぎる!僕の中では、舘山寺温泉といえばこの書体のイメージということになっております。そういえば20年くらい前には、この近くにストリップ小屋の建物もあったなあ。

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 漁港ではないですが、舘山寺にはわずかですが漁業者もおられます。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0296

2015年03月03日
 2月上旬、久しぶりに舘山寺へ行きまして、温泉街の最奥にポコンとそびえる舘山に初めて登ってみました。

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 登るといってもこんな程度の山なので、5分もあれば山頂に到達できます。この山頂に最近話題の観音像があるというので、それを拝むのが目的。

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 昭和12年に建立された舘山寺大観音こと「舘山寺聖観音菩薩」です。なぜかABE首相に似ているという話で、パッと見、確かにそっくり。でも、ここに顔アップを載せたくないので、興味のある方は検索してみてくださいませ。なお、観音像の左に見える建物は、守堂兼土産物売り場です。
 で、帰りに中腹にある愛宕神社に寄ったら、拝殿にこのような案内板が掲示されているのを発見。

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 山麓のサゴーロイヤルホテル(といっても最上階は山の高さの半分くらいある)が寄進?した、手描きイラスト入り舘山全図だ!これにより、神社のTINZAがSEIREKI727NENであることがわかります。

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 そして観音さんは独自のキャラに昇華していたのであった。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

さらば知立駅地下道の一部

2015年03月01日
 ずんずん高架化準備が進む知立駅で、三河線猿投方面ホームの2・3番線が移設され、2/28に地下道が閉鎖されました。 

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 こうなるといよいよ「シブい知立駅」消滅のカウントダウンという感じです。

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 やがて4・5番線も移設され、階段のガシャガシャいう音が楽しめなくなるのももうすぐか…。いや、旧2・3番線が仮4・5番線にスライドするのか?となるとまだ地下通路は数年は大丈夫?てことはさすがになくて旧施設の撤去は進むでしょうが、今後の工事がどう展開するのかよくわかりません

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 灯りの消えたホームは、実にわびしい。だけどコーラの自販機の電気はまだ切られていない…。

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 ついでに南口もできました。知立の歴史において画期的なできごとと思いますが、そもそも巨費を投じて高架化しなくても南口だけ作ればよかったような気も。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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