カンバンの手帖ブログ版0295

2015年02月28日
 3歳児とさまよう公園シリーズ。 
 2月アタマ、取材リサーチと称して佐久間町方面に行きまして、3歳児対策として飯田線の下川合駅前にある名称不明の小公園で遊ばせてみました。

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 滑り台、鉄棒、ブランコしかないささやかすぎる公園ですが、こういうところでも幼児はほっとくと飽きるまで遊び続けます。
 で、この公園の片隅にこのようなカンバンを発見。

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 レタリングの見本帳のように様々な風合いの文字が駆使されております。下に描かれた女の子(?)も実に味わい深い。なにか手本が?それともオリジナル?

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 それにしても、こんなところでキャンプするヤツなんかいるのか!と突っ込みを入れかけて、ふと思い出した。そういえばわたくし、大学時代にここではないが奥三河のこんなような路傍の小空地でテント張って一夜を過ごしたことがあったなあ…。作手の川合バス停の脇とか、設楽の旧三河海老駅前とか。通報やクレームが怖いのでいちおう近所の人に断りを入れたのだけれど、大学生らしい愚行に皆さん半ば呆れて「勝手にやりな」と。

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 オマケ。下川合駅付近から川合集落を望む。三遠南信道佐久間道路がかなりできてきました。
(まさ)
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遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0294

2015年02月27日
 ドクターイエロー見物のあと有松へ買い物に行きまして、時間つぶしに有松駅前から北のほうを散策してみました。

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 名前は分からないが小高い山があり(字名からすると姥子山か?)、その周囲をぐるっとひとまわり。西から北にかけては古い戸建の住宅地、東が鳴海団地、南が最近開発された新しいマンション&戸建団地という様相になっております。たいして気分が盛り上がらない地味な景観ですが、適度に起伏があるので歩きではあります。
 歩きながらiPhoneに搭載されている地図アプリをチェックすると、山の北辺に「細根公園」と記されていました。そこで3歳児を少し遊ばせられるかなと思い、抱っこを拒絶し頑張って歩かせたのだが、プロットされた場所に辿り付いてみるとこのようなカンバンが。

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 「この付近は細根公園として都市計画決定されており、将来は公園になります」って、なんじゃそりゃ!
 地図サイトでは、このようなテキトー調査やカン違いによる誤表示がときどき見られますが、こういうのに遭遇するたび「僕に調査させてくれ」と思ってしまう地図マニアなのであった。



 いくつかのネット地図では、公園名こそ記載はないけれど、この場所は三角形に仕切られ公園カラーに塗られております。
 それにしても、カンバンの地図では山全体が公園になる計画みたいだけど、この広い範囲が「細根公園」になる日はいったいいつのことだろう…。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(4) | Trackback(0)

西三河にスイッチ・オン

2015年02月26日
 2月8日(日)の午後13時40分ごろ、三河安城駅にドクターイエローが停車するという情報をママ友からいただき、3歳児と二人で見物に行ってみました。
 われら親子は昨年3回、新幹線高架脇にある近所の公園で遊んでいる時に走行風景を目撃しているのですが、いずれも突然すぎてアワ食って写真を撮り損ねたという苦い経験(?)があります。今回は間近でちゃん撮れるぞ、と思っていったのだが…。

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 駅には親子連れを中心とした200人以上の見物客が!3歳児は人の多さに気圧されて、停車時間中ずっと半泣き状態のしかめっ面で抱っこを要求。抱えっぱなしだったおかげでまともな写真が一枚も撮れなかった。う~ん。

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 肩を落としながら帰ろうとしたそのとき、人影まばらなコンコースの隅に3歳児が遊べるモノを発見。

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 何かと思えば、ボタンを押すと鉄道ルートや町の位置をランプが示すという、資料館などによくある「三河全図」なのであった。
 こういうのは幼児の大好物。ドクターイエローを間近で見たことよりもこっちのほうが楽しそうで、喜々としてボタンを押しまくっていました。最初はウチ一人だったのだが、やがて見物帰りの親子がわらわら集まってきて、一時はボタンの奪い合い状態に…。
 おそらく開業時の1988年に設置されたのでしょう。27年もたてばさすがに老朽化は否めず、高速道路の追加や廃止路線(三河線)の削除などアップデートはいちおう部分的になされているものの、ボタンを押しても光らないところがありました。金持ちの地元企業が直してやりゃいいのに。

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 西三河のみ主だった名所旧跡がプロットされているが、セレクトがかなりマニアック。亀城公園はいいけど、椎の木屋敷跡に秋葉神社て!

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 西三河以外は修正も雑で、三河安城駅の開業2年前に廃止された日本油脂専用線(→●□)は現役のようにくっきりラインが描かれておりました。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

北総あたりの道端の信仰

2015年02月24日
 北総シリーズの最後に、滞在中各所で見つけた民間信仰的なものを。

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 成田湯川駅付近に立つ地蔵の足元に置かれた何か。ドラえもん史上屈指の社会派ひみつ道具「Yロウ」を彷彿させる形状である。

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 成田市松崎の雑木林で、一本の木の根元に挿された御守護符。いわくのあるような木には見えないが、地元の人だけが知る何かがあるのだろう。

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 印西市滝の集落中心にある祠の前に供えられた、藁で編まれた鍋のフタか「いじわるばあさん」の髪型みたいな何か。正月の供え物の一種?

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 表題からはずれますが、印西と龍ケ崎の間にある茨城県利根町の「蛟蝄(こうもう)神社」には、暖簾のような注連縄が飾られていた。名古屋近郊で言えば蕃塀(ばんぺい→●□)的なものか?
 いずれも、話を聞こうにも周囲に人がおらず、どのような意味があるのかまったくわからないのであった。いずれ地元の図書館で郷土史を漁りたいと思っていますが、詳しくなってどうするという気も…。

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 あと、上記の神社から竜ヶ崎駅へ向かう途上、回転塔のある山田うどん(→●□)を発見して、ここで昼食。だだっ広い関東平野の只中、黄色と赤の看板が青空に映え、それはまさしく関東のイナカな風景の一典型なのであった。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0293

2015年02月22日
 関東鉄道竜ヶ崎線を往復した後は、龍ケ崎市街をうろうろ。

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 この町はとにかく長い。竜ヶ崎駅前を起点に商店街が東へと延々伸びており、東西の距離はおよそ2キロ。ダラダラと町が続いているという感じです。
 商店街といっても店がぎっしり建て込んでいるわけではなく、かといって廃れきっているわけでもない。市街地を縦貫する道はそこそこ交通量のある旧街道でところどころに風情はあるけど、歩道が狭いので歩きやすいというわけでもない。
 東海地方でいうなら、新城がここに近い雰囲気でしょうか。「地形的にメリハリがない新城」「雑居ビルとマンションのある新城」といったところ。町の中央に桝形(曲尺手)もあったり、市街地にインパクトのある見どころがないのも同じ。
 えー、こういう町は、たいへん好みです。

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 佐貫駅にあった観光案内所でもらった資料によると、名物は「龍ケ崎コロッケ」。市街地の精肉店などで購入できるというので、この店で買い食いしてみたところ、たいへんうまかった。龍ケ崎コロッケの歴史は浅いようだけど、こういう地元民しか利用しないような店で買うというのはうれしい。
 で、こちらの店内に掲げられていた、購買意欲を刺激するプレート。昭和の食卓が思い浮かび、グッとくる秀逸なコピー!

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 ついでに、龍ケ崎市街で遭遇した昭和なカンバンを2点。

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 マンガの中で事故を引き起こしてまくっていたキャラによる注意喚起である。

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 This is 昭和。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

ドラゴン・ザ・屁捨張

2015年02月21日
 北総シリーズの続き。
 滞在中の最終日前日、暇つぶしに利根川を越えて龍ケ崎市に行ってみました。龍ケ崎は茨城県の南部に位置し、印西市中心部(木下)から車で15分ほどと、けっこう近い。
 第一の目的は関東鉄道竜ヶ崎線。常磐線の佐貫駅から終点の竜ヶ崎まで全長わずか5キロ弱、途中には一駅のみ。メディアに出てくるのをあまり見た記憶がない、関東きってのマイナー路線です。こういう短距離の盲腸線(この言葉も懐かしい)は、今となってはチョー貴重。西の紀州鉄道、東の竜ヶ崎線が双璧ではなかろうか。

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 とりあえず終点から攻めることにして、市街地の駐車場に車を停めて竜ヶ崎駅へ。地味な駅舎だけど、広くてさっぱりした駅前がいかにも「昔ながらのローカル線」風情で、高揚せずにおれません。

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 ホームに上がると3歳児も「あまちゃんでんしゃだ!」とテンションが上がってまいりました。三陸鉄道が登場したあまちゃんオープニング映像を見て以来、彼は一両編成をこう呼んでおります。

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 ところが、電車好きの幼児らしく「先頭カブリツキ」を強く要求したため、走行中の10分弱ずっとだっこして前を見せるハメに。しかも帰りの電車も!おかげで車窓風景をほとんど楽しめないまま、初乗り路線の列車旅が終わってしまった。う~ん。

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 起点の佐貫駅と駅前一帯は、風情も見るべきものも特になく、高架駅入り口の階段に掲げられたモザイクタイルの壁画だけ鑑賞してすぐに帰りの電車に乗ったのであった。
 なお、この壁画、よく見ると例によってHINOMIが!
(まさ)
東日本 | Comments(2) | Trackback(0)

浜松からやって来た衆ら

2015年02月20日
 成田湯川駅から下総松崎駅まで歩いた後は、一駅だけ成田線に乗って成田駅へ。

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 成田市街は過去の北総滞在の折にも訪れており(→●□●□)、4回目になります。せっかく来たので参道を散策しようとしたところ、駅前交差点を曲がってすぐのところで大師堂に遭遇。

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 由来の案内板などが見当たらなかったのでどういう位置付けの御堂かよくわかりません。門柱に刻まれているのは「安心立命 転迷開悟」。玉垣は成田山新勝寺のそれと同じような寄進者銘がつらつら。なんとなく全体的に関東チックな風情を醸しだしております。
 いちおう拝んでおこうと敷地に入ると、隅の方にこのような石碑が。

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 「浜松市向上講」なる講社が昭和2年に建立した「石門敷石寄付芳名碑」だ。細かい文字を子細に眺めると、見知った浜松の町名がびっしり。なぜか名古屋、岐阜、大垣の人の名も少しだけ混じっていますが、ほとんどが旧城下町の人。なんの団体なんだ?浜松の郷土史家に、この碑に記された面々がどういった人なのか調査してほしいところ。
 それにしても、成田山詣では関東ローカルのレジャーかと思っていたが、成田山の影響力は浜松にまで及んでいたということだろうか。三河以西では聞かない気がするが…。

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 大師堂の先に続く成田山新勝寺の参道にはウナギ屋が軒を連ねています。毎年土用の丑の日には「成田うなぎ祭り」なるイベントも開催されているほど、成田=ウナギのイメージが関東では根付いているらしい。

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 もしかしたら「浜名湖産ウナギ使用」を謳うウナギ屋が一軒くらいあるんじゃないか?と思って一軒一軒ショーケースを覗いてみたのだが、せいぜい「国産うなぎ使用」程度で、残念ながら浜名湖産の文字は見当たらず。
 店先に人だかりができているこの店は「川豊本店」。なぬ、三河の豊川がらみ!?って、そんなわけないか。「そう」で「三遠南信産××育ち」という企画をやっているので(→●□)、このところなんでもかんでも三河遠州に関連付けようとしてしまう癖がついているのであった。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0292

2015年02月19日
 北総シリーズの続き。
 白井駅や千葉ニュータウン中央駅などを通る北総鉄道は、長らく旧印旛村(現印西市)の印旛日本医大駅が終点でしたが、平成22年に成田空港まで延伸し「成田スカイアクセス線」として京成電鉄のスカイライナーが通るようになりました。その際、印旛日本医大駅と空港第2ビル駅の間に「成田湯川駅」が開業しています。
 成田湯川駅はJR成田線と立体交差する地点に設けられたのですが、成田線には駅が新設されず、お互いに存在を完全無視の状態となっています。一番近い下総松崎駅までは3キロ弱。



 このような「接続していない近隣の別路線の駅を歩いて連絡する」というのは、わたくしたいへん好物でして(鉄道好きにはこの気持ちは分かってもらえると思う)、滞在中の空いた時間に、北総鉄道の高い運賃を払って成田湯川に行ってみました。

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 丘の狭間にある成田湯川駅はさすがにまだ新しく、どこか校舎めいた雰囲気。いちおう成田市郊外の巨大団地に近いのだが、駅周辺は開発途上でいささか殺風景。成田線に駅が新設されても乗り継ぎ客はなさそう。

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 団地の一角をかすめて坂を上り線路をまたぐと、そこはザ・北総な感じの松崎(まんざき)集落が広がっていた。集落中心部の三差路には八生村道路元標と、千葉県北部でよく見かける道路通称のカンバンが!梅の形をしたこのカンバン、3種類ほどのカラーバリエーションを見ているのだが、色分けの基準は不明。

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 三差路の一角には、むき出しの時計と「時は金なり」の標語カンバンが!高度成長期チックな標語と集落のゆるい空気のミスマッチが、実にこう、味わい深い。きっとむかしは時計台があったのでしょう(こんな感じの→●□●□)。

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 さらにはこのような手書きの標識まで!「ニユータウン」のユが、キヤノンやキユーピーのように大文字なのが高ポイントである。なお「栄・安食」は「栄にある安食堂」ではなく、印旛郡栄町とその中心地区・安食(あじき)のこと。

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 松崎集落は丘の上に広がっており、藪の間からは崖下に広がる印旛沼の干拓地と下総松崎駅が眺められました。大昔はおそらく湿地帯だった湖畔の低地を避け、丘の上に集落が作られたのではないだろうか(違ってたらスイマセン)。

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 こうして北総らしい集落景観とカンバン群を存分に堪能し、一年ぶりとなる下総松崎駅に出たのでした(→●□)。ホームの向こうに見える高架橋が成田スカイアクセス線。
(まさ)
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白井恋人

2015年02月17日
 その白井市で唯一の観光的施設である「白井そろばん博物館」へ、滞在中に行ってみました。昨秋、白井駅で下車したらカンバンがあって、気になっていたので。

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 博物館は、昨日アップした3枚目の写真のあたり(白井市復)にあります。それにしても白井とそろばん、いったい何の関係が?と思ったら、業界では名のある先生が主宰する珠算塾が運営しており、建物は塾と一体化していたのであった。訪問した日も何かの試験が行われており、見学の応対をしてくれたのは塾生OBで現役のプレイヤーという若者たち。

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 1階には国内外のそろばんがずらり。しかも展示品の多くはさわれるってんで、3歳児も意外に盛り上がっている!
 そういえば小学生の頃は、ウチの地元(揖斐川町の一部地域)ではほとんどの子どもがそろばん塾に通っていたなあ。確か土曜の夕方と日曜の午後がそろばんの日で、立木珠算学校がお寺の本堂を借りて開講していたのだった。今から考えるとめちゃくちゃシブい。

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 2階には雲州、芸州、播州などアンティーク(?)がずらり。シブい、シブすぎる!10年ほど前「島根県の歴史街道」という本の取材で、島根県奥出雲町の「亀嵩そろばん」のメーカーに行ったこともあり、思わずじっくり見物してしまった。

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 展示品の中には珍品も。なんと「名古屋市末廣町 森岡屋山本商店」が製作していたもので、ブランド名はなぜか「トヨタソロバン」。名古屋でそろばんが生産されていたなんて聞いたことがない。解説によると、昭和初期~中期に作られていたとのこと。

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 せっかくなのでそろばん作り体験もしてみました。できあがった時はテンション上がっていたけれど、家では現時点で見向きもしていません。さすがに3歳児にゃまだ早いか。いずれ覚えさせようと思います。

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 ちらっと覗くだけのつもりが、そんなこんなで1時間以上滞在。満足して外に出たら、駐車場の片隅にそろばんを弾く金次郎が!オーダーメイドとのことだが、珍品すぎる…。
 なお、いつものことですが標題に意味はありません。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0061

2015年02月15日
 野田に続きまして千葉県北総地方滞在ネタ。
 北総鉄道の沿線に白井市という小さい町があります(県のキャラ「チーバくん」鼻と目の間あたり。Let's 検索!)。地元の人には申し訳ないが、ここは「関東きってのマイナーシティ」と言って差し支えないような地味な町。東海地方の人間で知っているヤツは、千葉県出身者かよほどの千葉マニアでしょう。白井姓が多い東三河の人ならば「しらい」と呼んでしまいそうですが、読みは「しろい」。
 もともとは丘陵地のド農村だったのが、北総鉄道の開通と千葉ニュータウンの開発により人口が急増し、平成13年に市制施行。明治22年の白井村成立以来、町村合併を一度もすることなく市に成り上がったので、一部マニアの間では「千葉の日進」とも言われております(ウソ)。

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 昨年9月、暇つぶしに北総鉄道の白井駅になんの予備知識もなく降りてみました。整然かつ閑散とした駅前や周辺に林立するマンション群は、まさに北総を象徴する景観。盛り上がりには欠けるけど東海地方にこういうところはないので、たいへん物珍しい。

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 そして駅前にある白井郵便局に行ってみたら、ポストが白かった。この局でしか成立しないギャグである。 

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 でもって今回は、旧来の集落部にも少し回ってみました。なんというか「これぞ本来の北総」という景観です。写真は復(ふく)という変わった名を持つ集落。このあたりに本白井(ほんしろい)郵便局があり、もともと白井の中心部だったところと思われます。
 で、この道を走るローカル路線バスのバス停がこちら。

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 どうやら白井は梨の産地らしい。しかも県内一位の大産地!船橋じゃなかったの?
 このキャラは市の公式キャラクター「なし坊」で、市制施行以前の平成7年に制定されてるらしい。何もかも「ふなっしー」に持っていかれとるがね。なんだか気の毒な町なので、白井を贔屓にしたくなってきた。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

亀甲マングローブ

2015年02月13日
 先月末、3か月ぶりに嫁の両親の移住先である千葉県北総に行きまして、滞在中の暇つぶしに野田に行ってみました。野田は千葉県の北西端に位置し(県のキャラ「チーバくん」の鼻のところ。Let's 検索!)、キッコーマンの本社があることで有名です。

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 どどーんと、キッコーマンである。予約をすれば工場見学ができるというので、当日電話予約してから訪問しました。3歳児にとっては初の産業観光(死語か?)。楽しめるかどうか一抹の不安を抱えての訪問だったけれど、最初に見たガイダンスビデオ「しょうゆができるまで」が子供心をぐっとつかんだようで、ヨソのお子様ともども喜んでござった。

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 キッコーマンといえばこの卓上瓶ですね。記念撮影用の等身大サイズ、あると思ったらやっぱりあって嬉しい。並ばせて撮りたかったのに、後ろに見える醤油クイズが気になってこっちを向きゃしねえ。
 そういえばつい数日前、これをデザインした工業デザイナーの栄久庵憲司氏が死去したとのニュースがりありました。

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 野田にはもうひとつ、キノエネ醤油という大きいメーカーがあります。東海地方の人間にはあまり馴染みがない。
 野田の主だったメーカーはこの二社で、あとは醤油漬けの漬物屋が自家製醤油を売っているくらいだった。かつての半田・武豊みたいに小さい醸造元がたくさんあると思っていたので、いささか肩透かしであった。

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 そんな野田のメインストリート。まあ、適度に渋くて若干歯抜けが目立つ、ごく普通の地方都市といった風情である。えー、こういう町は、好みです。

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 もう一本かつての繁華街、ザ・ナンバーワン・ストリート。英訳することはないか。昔は醤油工場の従業員がそぞろ歩いたのでありましょう。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0291

2015年02月12日
 先週、3歳児と二人で引佐から佐久間にかけてを徘徊しまして、その途上、鳳来の名号にあるサークルKで昼食をとったついでに、石雲寺の節分草を10年ぶりくらいに見てきた。

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 節分草はこういう小さい花です。鳳来の季節の風物詩のひとつで、毎年のようにどこかの新聞かテレビで紹介されていると思います。この日もアマチュアカメラマンや見物人が十数人おりました。

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 寺の脇の山の斜面、ミニ梅林の中に散策路が設けられており、3歳児は花にはまったく興味を示さず、この迷路感を楽しんでおられた。
 で、その石雲寺の境内の入り口で、某宗教団体の有名な標語標柱を発見。

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 スチール製のはそこらじゅうで見かけるけど、木製に遭遇するのは初めて。これは貴重…か?
(まさ)
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温泉裏の弘法

2015年02月11日
 間が空きましたが豊根の続き。
 ゆーらんどパルとよねの向かいにある熊野神社の鳥居をくぐったところで振り返ると、温泉施設の背後にある小山(城跡)の木立の中に、建物が見えましま。もうひとつ神社があるのか?と思い行ってみると、建物にたどり着くまでに祠が点々と続いていた。

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 中をのぞくと弘法さんが。

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 どうやら「ミニ八十八ヶ所」のようです。
 ほうぼうで見るので珍しくはないですが、このような人口の少ない山奥で遭遇すると驚かされます。しかも、参道は歩きやすく整備されているようだし、正月飾りや花を供えている「札所」もあるし、まだ生きているっぽい雰囲気。
 あとで近所の人に聞いたところ、一昨年くらいまで春に寄進者・信者の有志が集まって「祭り」(弘法大師命日の法要)が執り行われており、信者でない地区の人も呼びかけに応じて清掃に参加していたそうな。また弘法像は、どこかから石工が招かれ、当地に泊まり込んで彫ったと伝わっているとのこと。

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 山裾を一周する参道を歩いてから一段高いところに登ると、寺務所か御堂かよくわからないけれどミニ八十八ヶ所に関連すると思われる建物があり、その裏にはさらに、忠魂碑の築山がどーんとあって、これまた驚いた。見事なものである。
 で、さらにその裏には「三弘法」をはじめとする石仏群が。

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 この御堂を建て直したときの寄付者一覧が掲げられており、そこに書いてあった解説によると、大正12年に八十八ヶ所と三弘法を勧請したとのこと。大正時代はミニ八十八ヶ所を作ることが全国的ブームになったといわれているが、その流行が豊根にまで及んでいたわけです。

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 三弘法のそばには、剣を持った石仏も祀られていた。あとで聞いたり調べたりしたら、これは「秘剣大師」というらしい。おまけにもうひとつ「厄除大師」もあり、発願者や信者の凝りよう…いや、信心深さがうかがえます。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

豊根クラ紀行

2015年02月03日
 熊谷家住宅訪問のあと、背後の山の裏側にある「ゆ~らんどパルとよね」のほうへも久々に行ってみまして、これまた10年ぶりくらいに熊野神社にも参拝しました。

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 上黒川の花祭が行われる神社ですので、祭り好きにはよく知られていると思います。
 ここの石造物はあまり観察したことがなかったのでじっくり拝ませてもらっていたところ、拝殿の後方にまわるとこのような小ぶりな蔵を発見。

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 これはもしかして奉安殿か!?
 奉安殿とは、戦前の学校に必ずあったもので、中に御真影と教育勅語が収められていました。子供は朝学校に来たら一礼して教室に入ったそうです。その多くは戦後に取り壊されたようですが、ごくわずかながら生き長らえて、神社などに移設された例が愛知県にもあります(大高のこれ→●□とか。他に碧南にもある)。
 形からして奉安殿のようだし、よく考えてみると、上の写真右のある大きな建物(花祭の会所)も小学校の施設っぽい。これは熊谷家住宅に戻って聞いてみるべきか…と思ったけど、このあと豊橋に急ぎ帰らねばならない用事があったので、いずれまた聞きに行きます。

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 なお、豊根小学校の前身である黒川小学校の跡地は、神社裏に通じるこの道を少し登ったどん詰まりになります。
(まさ)
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職人技 on the 壁0005

2015年02月02日
 先月半ば、とある取材で約10年ぶりに豊根村の「熊谷家住宅」へ。江戸時代中期に建てられた庄屋の家で、国の重要文化財に指定されています。

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 戦時中までは造り酒屋も営んでおり(銘柄は「老平」=ロウヘイ)、その流れで今も酒の小売をやっておられます。どこにも酒屋のカンバンは出していませんが…。
 久しぶりにじっくり見学させてもらったところ、門の横の土蔵に、以前見落としていた見事な鏝絵があるのに気が付いた。 

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 酒の入った壺を囲む翁と嫗…かな?醸造元であった証でしょうか。この場面のいわく等を知っている人が教えてください。

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 反対側は、六つ矢車を二頭の龍が囲んでいるもの。家紋?
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
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