3番4番たちの沈黙

2014年12月30日
 本日は年末恒例のケイリングランプリが岸和田競輪場で開催されまして、深谷(96期・豊橋)-浅井(90期・四日市)の中部コンビに期待をかけて見ておりましたが、まあ、特に語ることはない…。
 そんなことはどうでもよくて、先の土曜日、訳あって北区のあたりをウロウロしていたところ、三階橋からちょっと西に入ったあたりで「羊神社」と書かれたカンバンを偶然発見。目的地へ行く時間が迫っていたが、名前に惹かれてちょっと寄ってみました。

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 住宅地の中にある小ぶりで地味な神社です。なのになぜか、境内に人がわらわら。どうやら来年は未年ということで、そのものズバリの名を持つこの神社も注目を集めているらしい。正月休みに入ってヒマな人や、年賀状用の写真を撮る家族連れが来ているのでした。

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 さすが羊神社、手水舎で水を吐き出すのは、龍ではなく羊である。

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 眷属はもちろん羊である。家族連れはこれを囲んで撮っていた。北区の住民のうち50世帯ほどは、これを年賀状に使っているものと思われます(根拠ナシ)。

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 拝殿のすぐ前に見事な石造りの「蕃塀(ばんぺい)」があり、下部の中央にも羊が彫り込まれておりました。背面の銘を見ると、昭和35年に岡崎の加納石材店が製造したもの。
 羊の石造物もたぶん岡崎産と思います。いつもなら羊の台座をしっかりチェックするところだけど、この日は若夫婦が家族写真の撮影に苦労していたので、邪魔しちゃ悪いと思って(というか、怪しい人と思われたくないので)スルーしたのでした。

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 神社の所在地は「辻町」で、境内のカンバンによると「『ひつじ』が転じたものと思われる」とあるが、それはちょっとどうかな…。
 なんにせよ、正月前後にはおそらく名古屋ローカルのテレビにもバンバン出てくるだろうし、十二年に一度の大混雑は必至でありましょう。
(まさ)
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タウンアーチの先へ0046

2014年12月29日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」45号連動ネタで、もう一回、三河屋ばなし。
 今回取り上げた銀座三河屋は洗練された店だったので、原稿には書かないだろうけれど昔ながらの三河屋はどんなもんかいなと、見に行ってみました。電話帳で調べてテキトーに選んだ先は、山手線駒込駅近くにある三河屋さん。
 駒込の地名は聞いたとこがあるけれど、東海地方の人間からすると都内ではマイナーな存在。名古屋で言えば杁中あたりの位置づけか?

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 駒込駅の東口に降り立つと、狭い商店街通りが伸びており、さすが東京、けっこうにぎわっております。横断幕には「駒込さつき通り」とあるが、アーチをよく見ると「GINZA」の文字が!23区内にもパチもんの銀座があるのか。

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 三河屋さんはこの通りの中ほどにありました。カンバンこそローマ字表記だけれど、サブちゃん(北島ではなくサザエさんの御用聞きのほう)が働いていそうな昔ながらの雰囲気の酒屋だ。
 サブちゃん気分で「ちわ~」てな感じで店に入って御主人に話を聞いてみると、祖先は豊橋の人で、現文京区にあった三河屋へ奉公に入り、大正時代にここから暖簾分けして独立したのが店名の由来とのこと。
 奉公先の三河屋も、元を辿ると暖簾分けという。その大元は、本郷森川町(東大の南あたり)の「○西三河屋」。ここは都内にたくさんある三河屋の「本店」のひとつだそうで、どうやら三河屋にはいくつかの系統があるらしい。○西(マルニシ)系統の店は「○西会」という親睦団体もあったとか。
 そんなレア情報を聞いた以上、三河からやってきた人間としては本店を探さねばなるまい。が、今回の取材はちょうどお時間となったようです。続きはいずれまたということで、これにて笑点、じゃない商店話はおひらき~。

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 全然関係ないけど、ウチの3歳児がさいきん笑点にはまってて、春風亭昇太と座布団運びの山田隆夫がツボなのであった。
 とりあえず三河屋探訪は、原稿にする予定はないけれど細々と続けてみようかと思います。
(まさ)
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銀座の本家

2014年12月27日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」45号連動ネタ。
 三遠南信で作られたさまざまな特産品が他の地域でどのように扱われ、評価されているかを、わざわざ現地に行って探るという前例のない壮大な企画「三遠南信産××育ち」を、2014年冬号からひっそりとやっておりますが、今回は前からやってみたかった「東京の三河屋」をテーマにしました。三河の出版社がやらずして誰がやる!ってなもんで。まあ、関東の研究者や新聞記者が書いた既出の記事がいつくかあるんですが…。
 東京の三河屋は、三河出身者が開いた店だったり、三河ルーツではないけれど家康生誕地にあやかって命名したりしたもので、最新の電話帳で調べてみたら23区に70軒ほど載ってました。全国では…って、調べ始めてみたけど関東だけでくたびれ果てたのでやめた。ヒマで何もすることがない方はぜひやってみてください。
 単に三河がルーツの三河屋を取材しても原稿ができるかどうか怪しかったので、三河の桝塚味噌(豊田市の蔵元。愛環北野桝塚駅の近く)を使ってオリジナル商品を作っているスローフードのセレクトショップ「銀座三河屋」に取材させてもらいました。所在地は店の名前のとおり、銀座のど真ん中。

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 GINZAである。これぞ本家本元である。刈谷だの(→●□)、蒲郡だの(→●□)、豊橋だの(→●□)、浜松だの(→●□)、飯田だの(→●□)、これまでさんざんニセモノ銀座を渡り歩いてきたわたくしも、いよいよホンモノの銀座に進出である。
  東京で仕事の取材をするのは今年の6月、当シリーズのために行った江東区深川の料理屋(深川めしの店。三河湾産のアサリを使っている)に次いで二度目。ただ、客として行きその場で取材交渉したもので、事前にアポ取って行ったのはこちらが初めてになります。おのぼりさんなので、立地だけで緊張する。

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 店での撮影前に、御当主に話を伺ったのだが、インタビュー場所は御当主の馴染みで銀座三河屋のかつての所在地にある資生堂パーラー銀座本店。完全に気おくれ、超アウェー感!一人では絶対に入れない。

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 取材前後に歩いた銀座は、やはり本物の輝きであった。思い出づくりに店に入るような度胸はありませんので、和光近くの書店で資生堂の歴史を書いた本とサザエさんかるた(サブちゃんの「ちわー、三河屋です」のフレーズが三河屋を国民的屋号にした)をお土産に買って帰ったのでした。
(まさ)
東京雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0288

2014年12月26日
 昨日の続き。その下平山下村集落では、古びた製茶工場を発見。

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 壁も屋根もトタンという、見事な建築物である。簡素な製茶工場は静岡県の産業遺産ですネ!

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 カンバンではないけれど、トビラのガラス窓には「平山茶」という超ローカルブランドのシールが。聞いたことがないが、まだ使われているのだろうか?
 よく考えると、お茶のシーズンに天竜川流域に来たことが一度もない。今年は結局、五回しか遠州をウロウロしなかったので、来年はお茶シーズンを狙って行きたいもんですが…。
(まさ)

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(2014.12.30追記)
 その製茶工場の上にはかつて龍山村立下平山小学校があり、長らく放置されていた廃校舎の写真があったので載せておきます。

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(1995.12.04撮影)

 この古びた鉄筋校舎は確か秋葉ダムの補償で建設されたもので、静岡県の農山村ではかなり早い時期の鉄筋コンクリート校舎だったという話。
 2008年1月の時点では取り壊されており、現在は下の写真のように「下平山農村公園」として整備されています。

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遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

CHIYO大会

2014年12月25日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」45号連動ネタ。
 話は千代に戻りますが、三遠南信には飯田のほかにもうひとつ、千代という集落があります。それは天竜区龍山町下平山(旧龍山村)。天竜川左岸の高所にある集落です。

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(2008.01.06撮影)

 このあたり、旧峰之沢鉱山や(→●□)、国鉄バス峰之沢線のバス停跡や(→●□)、山上に切り拓かれた小集落ごとに火の見櫓が点々とあって(→●□)、一部好事家にはたまらない地域になっております。
 景観的には飯田の千代よりこっちの千代のほうが好きなのですが、地名の由来はまったくわからず、話が展開できなさそうだったので諦めた次第。って、もはや連動ネタでもなんでもない。
 でも、今年の2月にいちおうこのあたりを子連れで数年ぶりに再訪してみました。情操教育の一環ですネ!

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 国土地理院の地形図にも名称が載っている、千代沢。巨石が転がってて水など一滴もない。

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 隣の下村という集落になりますが、旧秋葉街道を歩かせてみました。2歳児(当時)は側溝(というか道の真ん中だけど)の蓋を線路に見立てて、ひとり電車ごっこに興じております。

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 秋葉街道を辿ってゆくと、例によってHINOMIが!2歳児(当時)はまだひとり電車ごっこをやっている。

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 そして最後は茶畑に入って茶ボボ(茶のみ)投げを満喫したのであった。情操教育というか、父が写真撮ったりしている間どこだかよくわからないようなところで一人遊びをさせられて、我ながらどうなのかと。
 同年代の子で同行させたい人がいたら「幼児に山村でテキトーに遊ばせようツアー」を実施してみたいのですが、そもそもこんな北遠の集落探索なんぞに行きたがる親がいないであろう。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

過去の豊鉄バスにおけるバス停のバリエーションの件

2014年12月22日
 信南交通のバス停の書体が味わい深いということを書いたついでに、昔は味わい深かったトヨテツのバス停のバリエーションを紹介します。
 90年代前半まで、トヨテツバスでは3種類のバス停を使用していました。

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(1995.03.22撮影)

 豊橋、豊川の市街地の主要路線に多かった電光式四角柱のタイプ。実に味わい深いデザインと手書き文字。名古屋市バスでも使われていましたが(今もあるのか?)、市バスと違ってトヨテツは手書きだったのがポイント高いです。
 写真は二川・新居町行きのJR東海バスと並んで立っていた前田橋バス停。

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(1995.05.11撮影)

 運転本数の多い主要路線で使われていた、赤白青の大型円板タイプ。配色から俗に「フランス型」と呼ばれていました。手書きタイプは青の部分に次の停留所名が記されることが、フォントタイプは広告として近所の店が入ることが多かったように思います。
 写真は春夏秋冬叢書最寄の菰口町バス停。吉田方小前の通りだが、こんな街路樹あったっけ?全然記憶にない。

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(1993.10.22撮影)

 トヨテツでは、平成5年から主要路線でバスロケーションシステム対応のバス停に置き換えられました。こう言ってはなんだが、あまりデザインに気を使ってない…。ところが、後年導入されたバスやバス停の色はすべて緑が基調になった。ナゼ?名鉄と距離を置きたかったのだろうか?
 写真は、愛大在学中のアパート最寄だった小松原街道沿いの西の原バス停で、切り替わる直前に撮ったもの。以前、ここから北山交差点までは、交通量が非常に多い県道なのに歩道がきわめて狭く、北山交差点は渋滞名所でした。たしかこの年の春に第一期拡幅工事が完了しています。

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(1993.12.03撮影)

 運転本数の少ない系統や、主要路線でも辺境区間で使われていたのは、赤白赤の小型円板タイプ。こちらは「オーストリア型」と呼ばれていました。
 写真は、豊川駅前と和田辻を結ぶ豊川和田辻線の当古バス停。たしか撮影した少し後に廃止されました。晩年はほとんど回送系統みたいな路線で、乗ったことはもちろん、走行風景も見た記憶がありません。そして背後には例によってHINOMIが!。この頃、火の見櫓にはほとんど興味がなかったので、このような中途半端な撮り方になってしまった。

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(1993.12.03撮影)

 このオーストリア型バス停は、90年代前半から老朽化したものをフォント使用タイプに置き換えています。やはり丸ゴシックよりも手書きのほうが断然いい。写真は、これも廃止になった西郷線の小野田口バス停。

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(1994.12.22撮影)

 最後にイレギュラーをひとつ。牟呂循環線の往完町バス停は、なぜか電話ボックスに「豊鉄バス」のサインが!どうゆう事?豊鉄の依頼で設置された電話ボックスなのか?そもそも、公衆電話のあるバス停というのも珍しいが…。
 なお、文中の「フランス型」「オーストリア型」と呼ばれていた、というのはウソです。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

信南交通のバス停の書体が味わい深いの件

2014年12月20日
 昨日に続いて春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」45号連動ネタ。
 今号ではライターF君が「千代の板碑」という文化財について書いていますが、その発掘場所が旧千代村役場跡地になります。現在は公民館になっています。

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 商店街の中心部から旧役場へ伸びる、駅前通りならぬ役場前通りである。

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 旧役場跡地である。建物は中途半端な風情で特にどうということはありませんが、石積みの土台がまだ生きています。千代の板碑は旧役場庁舎をこれに建て替えるときに出土したとか。

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 その前に支所前バス停がありまして、手書きのなかなか味わい深い一品です。
 これは飯田拠点のバス会社、信南交通のスタンダードなバス停板。路線廃止や自治体移管、老朽化による取り替えなどでこの書体のものもかなり少なくなってきましたが、下伊那をうろついているとたまに生き残りに遭遇します。昔から全国各地のバス停をチェックしている僕の知る限り、信南のこのタイプが最高峰だと思うが、どうか。どうでもいいか。
 最近、駅名標キーホルダーを販売している鉄道会社が多いですが、信南交通でもこの書体ごと再現したグッズを作ってほしいところ。絶対売れ…ないわな。
(まさ)

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伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0287

2014年12月19日
 発刊から少し日が経ってしまいましたが、三遠南信エリアの地域雑誌、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」45号が発売中です。

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 今号のキーワードは「千」ということで、女性取材記者(まり)は千歯扱(せんばこき=稲穂をこぎ落すのに使われた昔の農具)の製造者の謎を探るべく探偵みたいに西三河各地の資料館をうろつきまわり、わたくし(まさ)は毎回やってる地名探訪と「三遠南信産××育」を担当しました。
 で、今回取り上げた千の付く地名は、飯田市の南東端に位置する千代地区。飯田市民以外は「どこそれ?」って感じでしょう。天竜峡駅のひとつ豊橋寄りの千代駅の(→●□)東一帯になります…って、ぜんぜんわからんと思いますが。ヒマな人は各自ネット地図で調べてくださいませ。

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 千代の中心集落は米川といい、商店が連なりちょっとした町場が形成されています(→●□)。天竜峡方面からダラダラ続く坂道をぐいぐい登ってゆくと、唐突に「町」が出現するから驚かされる…のは僕だけ?たとえて言うなら天龍村平岡や、阿南町新野や、南信濃村遠山なんかと同じ雰囲気…と言って分かってくれる人も少ないか。
 なにしろ、これといった名所も特異な民俗芸能もないので、一般の人の興をそそることはまずないと思います。そんなところをなぜ取り上げたかというと、僕はこういう町に興をそそられるからである。
 そんな米川に一軒ある床屋さんが、なかなか目立つビニール製ポスターを掲げていました。

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 古い家族写真をこのように使うとは斬新なアイデア。「これは誰それだに」「これは××ちゃんのおじさんだら」等、地元の人の話題が弾むこと必至だ。

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 そして店のマーク(?)もかなり斬新なのであった。
(まさ)

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(2014.12.30追記)
 学生時代、千代駅~米川~時又駅と歩いたときのアルバムから、建て替え前の千代郵便局の写真があったのでアップしておきます。昭和後期のスタンダードな特定集配局舎です。

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(1995.01.20撮影)
伊那谷雑 | Comments(2) | Trackback(0)

雪の151

2014年12月18日
 昨日、取材で豊根村に行ったらけっこう雪があり、さすが三信国境地帯だなと思っていたら、なんのことはない今日は西三河平野部でもどっさり積もったではないか。
 昨日の国道151号沿線の積雪状況は以下のとおり。

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 電車を見たがった3歳児のために立ち寄った東栄駅には、まったく雪はナシ。東栄駅は花祭りの鬼をイメージした奇抜な駅舎なのだが、幼児は特に感想はないようであった。

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 昼食は豊根村坂宇場の「道の駅グリーンポート宮嶋」でと思っていたら、なんと全面改修工事中で来年4月まで休館!これには参った。東栄、豊根にある数少ない飲食店は軒並み水曜休だし…。

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 なお、道の駅は1キロほど北の民家(もと商店)を仮店舗として観光案内業務だけ行っておりました。

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 しかたないので、峠を越えて阿南町新野の「道の駅 新野千石平」へ向かうことに。しかし、豊根村最北の中村集落あたりから次第に雪が増えてきた。

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 そして新野峠はこんな具合に!国道151号は何度も通っているけどこんな状態を見るのは初めて。いや~、レアだなあ、などと言ってる場合ではなく、来なければよかった…。
 このあと新野の道の駅でソバ食って、もう一回おそるおそる峠越えをして、村内の取材先に向かった次第。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

一斉スタート

2014年12月15日
 先日、ハマグリの水揚げ港として有名な桑名の赤須賀漁港(→●□)へ早朝に行ったら、まさに出漁するところに出くわした。

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 港というか川岸を続々と出航する漁船。ところが、漁場は河口の先の海だと聞いていたのに、岸を離れた漁船はどういうわけか写真のように、防波堤の向こうに回って留まっている。季節によって漁場が違うのだろうか?

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 と思ったら、7時になった時点で全艇が一斉にスタート!名四国道揖斐長良大橋を超えて沖へとどんどん走り去ってしまった。河岸のピットを離れて、防波堤の向こうで待機行動、そして橋がスタートライン、その光景はまさしく競艇なのであった。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

織部通

2014年12月09日
 先月の多治見行ではホワイトタウンのほかに、市の北東部に位置する高田にも行ってみました。こちらは10年前にとある媒体の取材で行って以来。
 ここも陶磁器産地の一角ですが、町が小規模ということもあってかちょいとマイナーです。しかし久しぶりに来てみたら、市之倉オリベストリート(幸兵衛窯とさかづき美術館で有名)、本町オリベストリート(陶器商家群とたじみ創造館で有名)に次ぐ第三のスポット「たかた・おなだオリベストリート」の名がついていた。売り出そうという機運が?

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 う~ん…。まあ、東濃っぽい雰囲気の町並みで好もしいですけどね。かつての陶磁器工業協同組合を活用したカフェ&ギャラリーもできてたけれど、この日は閉まってた。
 メインストリートはなかなか玄人好みな感じですが、ちょっと奥に入り込むとこういう光景が見られます。

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 徳利の素地の天日干し風景。シブい。

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 釜飯釜の不良品山積み風景。シブい、シブすぎる!奥に入り込んでも玄人好みな地区なのであった。
 東濃の美濃焼産地は、市之倉はさかづき、駄知はどんぶり、笠原はタイルなど地区ごとに生産品が異なっているのが特徴で、高田は徳利と釜飯釜が特産なのでした。

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 あまりにシブすぎる風景なので、ベタですがメジャーな永保寺の紅葉風景でも…。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

白い居棟

2014年12月06日
 先月はめずらしく東濃行きが多く、久しぶりに多治見も徘徊してきました。先週後半には仕事の合間に時間ができたので、未訪だった「ホワイトタウン」へ。市街地から車で南西へ10分ほどの高台に切り拓かれた巨大戸建団地です。
 R248の旧道からぐいぐい山を登ると、唐突に視界が開けて団地へ突入。地形的に周囲と完全に隔絶しています。

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 ここは、中心に片側二車線の道路があり、その南北に楕円形の街区が形成されている構造。言ってみれば肺みたいな形の町。
 正式な住所は「多治見市脇之島町3~8丁目」で、ホワイトタウンは愛称になります。なぜホワイト?小学校と市役所の出先機関は「脇之島」を使用していますが、郵便局は「多治見ホワイトタウン局」JAとうとは「ホワイト支店」。すごい支店名だ。

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 両方の肺をぐるっと回ってみたところ、北側の脇之島3丁目からは多治見市街と御岳山が眺められました。有名な多治見修道院も見えて、なかなか見事な眺望。

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 そこには「平安台」というバス停があり、バスを待つ間に絶景を楽しんでネ!という東鉄の粋な計らいでありましょう。いや知らんけど。
 路線バスは両肺の外縁を走行しているのだが、走りながらバス停を見ていて妙なことに気が付きました。平安台のほかは白鳳台や天平台など、日本史の時代区分になっているのです。

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 去り際、自治会事務所に掲示されていた地図を見て驚いた。この町の細かい区分は、すべて日本史なのである!古い順にいうと、飛鳥台、白鳳台、天平台、平安代、鎌倉台、室町台、桃山台、慶長台。意味は分からんが斬新すぎるぞ。
 思い当るのは、多治見で発掘された陶磁器の時代…かなあ。ということは、「ホワイト」は絵付け前の素地の意味なのか?う~ん、深い、ようなそうでないような…。
 ただこの地図をみると、各エリアの集会所は第1~第6まで番号のみの名称となっており、この「時代台」がどこまで浸透しているかは不明。
(まさ)
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

のぎやん0009

2014年12月05日
 先日奥三河方面へ出向いた帰り、数年ぶりに旧額田町の桜形を通りまして、クルマの方向転換のため形埜学区市民ホームの駐車場に入ったところ、久しぶりに忠魂庭に遭遇。

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 そしてそこでは、これまた久しぶりに乃木希典像にお目通りかなった!いや~、こんなところで車の方向転換をしようと思うなんて、のぎやんに呼ばれているとしか思えませんネ!

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 近づいてみると、乃木像の後ろには二宮金次郎像も立っておられた。見事なツーショットである。東栄町の旧中設楽小では二体が仲良く並んでおりましたが(→●□)、こちらは忠魂庭ということもあってか、金チャンが後ろに控えているという構図です。
 なお、お世話になっているSさんの金次郎研究サイトによると、この場所は形埜中学校の跡地とのこと。

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 あと、近くの廣祥院というお寺にも味わい深い石仏がたくさんありました。実は、桜形は知られざる「像の里」なのかも知れない。
 話を聞こうにも誰もいなかったので、いずれまた調査に来たいと思います。

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 これが「像の里」の風景である。実にシブい。ここは旧形埜村の中心部で、極小ながら町場が形成されています。10年前には、この写真の真ん中あたりにHINOMIがありました(→●□)。
(まさ)

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◎のぎやんシリーズ 
0001豊田市林添町→●□
0002豊田市(旧旭町)杉本→●□
0003東栄町中設楽→●□
0004蒲郡市三谷→●□
0005名古屋市中村区名駅5→●□
0006常滑市古場→●□
0007安城市高棚→●□
0008高浜市大山公園→●□
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

さらば尾三国境三連橋

2014年12月02日
 もうひとつ、県道刈谷大府線の市境に架かる刈谷橋、境橋、あと一本名称不明の小さい橋(→●□)が、11/15の16時限りで新線に切り替えのため廃止となり、撤去工事が始まりました。

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 開通した刈谷境橋から刈谷橋(右)と境橋を望む。コンクリート製の、あの見事な欄干と親柱、刈谷市郷土館あたりに移設保存すればいいと思うが…。

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 僕の渡り納めは15日の昼過ぎ。すでに重機が入っており、壊す気マンマンだ。

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 その時間はちょうど開通式典の準備の真っ最中であった。せっかくなので「旧橋の最後の通過者」になりたい気もあったけれど、16時まで待っていられないのでさっさと帰ったのでした。

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 まあ、この橋を渡ったという歴史を3歳児に作ってやったのでよしとする。地元民でもないし、中途半端なルートだったので滅多に通りもしなかったけどね…。
(まさ)

◎さらば知立&刈谷の昭和遺産シリーズ
さらば麗人街→●□
さらばいとう温泉→●□
さらば第一劇場→●□
さらば知立庵→●□
さらば日出屋酒店→●□
さらば三河線連絡線→●□
さらば旧知立駅の遺構→●□
さらば銀座センター→●□
さらば名店街ビル→●□
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

さらば名店街ビル

2014年12月01日
 刈谷の昭和遺産として一部マニアにのみ注目を集めていた二つの物件が取り壊し真っ最中ですので、お知らせいたします。

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 ひとつは市街中心部の東陽町にあった住商複合ビル「刈谷名店街ビル」(→●□)。サヨウナラ。
 4月に見に行った時すでに居住者の移転は完了しており、その時、裏側を少し撮ってきました。取り壊されちゃったのでもう差し障りはないでしょうから、出しておきます。

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 通路である。

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 店舗の共同手洗い場?だと思われる。

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 むかし刈谷にあったらしい「オリオン牛乳」の牛乳箱である…って、刈谷牛乳(→□)以外にもメーカーがあったのか!さる研究者に問い合わせたところ、チチ広乳業というメーカーのブランドだったとのこと。
(まさ)

(2015.11.07追記)
コメントいただきましたので、私が所蔵している名店街ビル建築前の刈谷市鳥瞰図を上げておきます。昭和27年の刈谷市勢要覧の折込付録です。
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※クリックで拡大します
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
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