さらば伊良湖師崎フェリー

2014年09月30日
 今日、知多奥田の中華料理屋に昼食で入って中日の知多版を読んでいたら、伊良湖と師崎を結ぶ名鉄海上観光船のフェリーが本日限りで廃止との記事が出ていました。そうか、今日だったか…。

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(2012.09.12撮影。下も)

 ちょうど2年前、知多半島南部限定のローカル媒体でフェリーに同乗取材させてもらったことがあります(→●□)。いずれ廃止になるだろうから取材しておこうか…ということは当時まったく思っておらず(廃止になるとしても伊勢湾フェリーより早いとは思わなかった)、この媒体、毎回けっこう綿密に資料調査や聞き取りなどで手間をかけているので、「たまにはのんびり船に乗って、紀行文風にしてみようか」と企画したのでした。

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 実際はクルーに密着ドキュメントみたいな展開になり、ぜんぜんのんびりできなかったのであった…。

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 このフェリーに乗ったのは、この取材で往復したのと、大学時代に一回、あと今年2月に2歳児(当時)と二人で渥美半島へ取材3割遊び7割で行ったときの、計2往復分のみ。もう少し乗りたかったけれど、車だとけっこう高かったし、バスでのアクセスだと面倒だし、なかなか機会がなかったのが残念でした。
 まあ、息子に乗船したという歴史を作ってやれたのでよしとする(マニアな親の自己満足)。

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 ちなみにこの冊子では、津なぎさまちとセントレアを結ぶ「エアポートライン」の乗船記とセットになっております。まず三重県の人しか利用しないであろう、「こちら側」の人間にとってはレアな航路。そうえいば師崎-鳥羽航路も消えて久しいなあ。
(まさ)
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恋のアーケード0027/タウンサインの研究0053

2014年09月28日
 話は飯田に戻りまして、飯田は伝馬町以外にも歩道アーケードが充実しています。どちらかというと撤去が進む昨今、総延長を出したら三遠南信でトップになるのではないでしょうか。
 伝馬町のほうはかなり商店も減っていますが、中央通りこと国道151号を挟んだ「銀座通り」は店もまだまだ多く、たぶん10年ちょっと前に改装されたきれいなアーケード。

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 シブくはないけれど、新しめのガラス張りアーケードはどことなく活気を感じさせます。ここでは二種類のサインに遭遇。

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 ひとつはその店の業種にまつわるデザインを木の板にあしらった絵本チックなもの。伊那谷の豊富な森林資源を活用およびアピールしたもの…かどうかは知らん。このキング堂は老舗の文房具店で、右の柱に見える会社のロゴもいい。

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 もうひとつは、なんというか…。「ルンルン」なんて久しぶりに聞いたぞ!

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 1丁目から4丁目までのアーケードは改装されているのだが、5丁目だけ半分ほど撤去されて旧型アーケードが一部残存しています。商店街組織が別なのか、それともなんらかの事情があったのか?写真は、銀河@銀座。
(まさ)
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失われた陶彫

2014年09月26日
 前回の続き。
 常滑陶彫の取材では、昭和の名工・柴山清風の作品を展示するギャラリー「清風の陶房」にも行ったのですが、その時「清風作の観音像が本宮山にあったのだけれど、戦後間もないころ何者かに壊されてしまったようで…」という噺を清風のお孫さんから聞きました。
 ここでいう本宮山は、三河のあの山ではなく、常滑南部の山のこと。

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 この写真でどこかわかる人はよほどの知多マニア、あるいは完全に地元の人。山というか、半島脊梁部の丘の出っ張りみたいな感じですが…。常滑のピアゴからR247を2キロほど南下して、武豊方面にちょこっと入ったあたりで、地名では樽水になります。
 数年前に「知多半島の昭和」という古写真集を作ったとき(→●□)、戦前この山頂に建てられていた「航空灯台」(夜間飛行用の電光標識のようなものらしい)の写真を何枚か見かけました。鄙には珍しい大型構造物だったので、地元では名所的な扱いをされていたらしい。また、山頂には樽水の人の信仰を集める本宮神社もあり、この地域のシンボリックな山です。
 で、その古写真集取材のときに初めて本宮山の存在に気が留まり、いったいどんな山かいなと行ってみました。車道が通じてラクに山頂まで行けるので(徒歩だったら登らなかったかもしれない)。その時、境内地の入口でこのような石碑を見かけました。

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 大きな板碑に「護国観音」とだけ刻まれている。なんじゃこりゃ?と疑問に思いながらそのときはスルーしてしまったのだけれど、清風の陶房で話を聞いて「ああ、あれのことか!」とようやくわかった次第…って、前振りが長いね。

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 せっかく話をうかがったので改めて見に行ってみると、石碑の傍らに小さい観音像を発見。て言うか、前来た時に気付けよって話だが。ここにあった観音像の縮小モデルらしい。
 護国観音は昭和14年に製作で、誰がなぜ壊したのかは定かではないらしい。「護国なのに戦争に負けるってどういうこったい」と、敗戦の腹いせにぶっ壊した罰当たりな阿呆いたのだろうか…。なお、戦時中に壊されたという説もあるようで、詳細は不明。

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 なんともシブいネタ…というか少し残念な話なので、参道の途中から伊勢湾の眺望を楽しんで心を慰めたのであった。なお、山頂からの眺めは、生い茂る樹木のせいであまりよくないです。
(まさ)
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掻き分けて、陶彫

2014年09月25日
 前回の続き。常滑陶像を探訪する取材では、半島屈指の名刹として知られる天澤院にも名品があることを資料で知ったので、行ってみました。わたくし知多四国、知多西国、直伝弘法等の札所寺院は取材(&趣味)でよく行っているのですが、こちらはメジャーな霊場の札所にはなっておらず、たしか二回しか参詣したことがありません。

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 市街南部の丘の上にあり、見事な山門とゆったりした境内を持つ、雰囲気のいい寺です。資料によると、明治時代に富本梅月という名工が手掛けた像があるという…が、見当たらない。庫裏へ行き、御住職に伺ってみると、本堂前の築庭にあるとのこと。

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 ここ?すいません、ないっす!
 すると御住職、おもむろに鎌を持ってきて、生い茂った植え込みの一部を刈り取ってくれた。

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 すると、茂みの中から柿本人麻呂像が!シブい、シブすぎる!

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 そして観音像も!このほか、茂みの中から一対の鹿像も現れました。観音像はともかく、柿本人麻呂に鹿とはなんとも風流で、さすが古刹だ。なお、なぜ柿本人麻呂像があるのかは、よくわからないとのこと。
 このように陶彫はメジャーでないぶんだけ「発見」の楽しみもあったりするので、「やきもの散歩道」のルートに組み込むよりもパンフ等でほのめかすにとどめておき、観光客には自力で探してもらうというのも手かもしれません。
(まさ)
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陶彫オンパレード

2014年09月24日
 前回のつながりで像といえば、ここに書く機を逸していたけれど先月、知多半島南部の月刊ローカル媒体で常滑の陶像をを取り上げました。陶像というのは字のとおり、陶製の像です。石製品産地の岡崎で石像が数多く作られたように(金坊や「のぎやん」等)、陶器産地の常滑では陶像が数多く作られました。そのなかで、職人や作家による型起こしでない一品モノは、陶による彫刻の意味で「陶彫」と呼ばれています。
 以前から取材(&趣味)で知多四国の寺を回っていて方々で遭遇するので、調べてみたところ、常滑はかつて日本屈指の陶像産地であり、多くの名工を輩出し、半島には作品も多く残されていることが判明。しかし、地元ですらいまひとつ顧みられていないというのが現状です。そして需要および職人の減少で、今ではほとんど作られる機会もないという。
 で、最近は常滑陶像をクローズアップした媒体も見当たらず、これはってんで企画した次第です。
 取材に出かけたのは7月中旬の酷暑のさなか。まずは常滑陶像の代表的作品、鯉江方寿像を見物。常滑西小の東側の丘にあります。

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 鯉江方寿は近代常滑焼の礎を築いた常滑の偉人。像は常滑陶器同業組合の要請で大正初期に平野六郎が手掛けたものです。像の高さは2メートル超、台座も含めて見事な一品。
 それにしても、周囲の草の繁りっぷりがすごい。「陶祖」を偲ぶべく整備されたはずのメモリアルな場所なのだけれど、普段は人が来ることもなく、手入れが行き届かないのでしょう…。常滑西小の児童に、授業の一環としてここを整備清掃してもらえばいいんではないかと。

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 続いて、町の中央にある神明社の狛犬。阿は片岡武正、吽は柴山清風の同級生コンビによる競作(?)で、昭和17年のもの。シブい、シブすぎる!

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 常滑市街の東外れにある知多四国第65番札所の相持院は、さながら陶像エクスポの様相。これはそのうちのひとつで、片岡静観が昭和38年に製作した辻喜代一像。いやー、実にシブい。
 片岡静観は戦前~戦後の常滑陶彫をリードした第一人者です。そもそも僕が陶彫に興味を覚えたのは、野間の瑞境寺(知多四国第56番)で、鐘つき堂の跡に安置された静観作の観音像を見たのがきっかけ。なお、モデルの辻サンは多額の寄進で境内整備などに尽力された功労者だそうです。
 こんな具合に挙げてゆけばキリがないけれど、シブすぎるせいか地元でもスルーされがち。「やきもの散歩道」のコースにも組み込まれていないのは実に惜しい。
 どうでもいいけど、真夏にこの取材を敢行したのは失敗だった。なぜなら、陶像の所在地がどこもヤブ蚊だらけで、手足がひどいことに…。陶像探訪はこれからのシーズンがよいでしょう。

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 この冊子はCATV加入者向けですが、常滑駅構内の観光案内所と常滑市役所ロビーで常置配布しています(先月号はもうないかも。なお、今月号は競艇ネタです)。
(まさ)
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飯田におけるセメント像の名作

2014年09月22日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」44号連動ネタ。飯田伝馬町の続き。
 伝馬町を歩いていたら、店と店の間に路地を発見。

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 路地の奥には小ぶりな鐘楼門が建ち、それをくぐると専照寺の本堂があります。いい雰囲気だったのでついフラフラと寺へ行ってみると、そこにはセンメト製のお釈迦さんが!

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 枝垂桜の古木を背後に従えた、面長で実に味わい深い像。前芝小や牛久保小のセメント金次郎像のような親しみやすい雰囲気をたたえていますネ!この質感が、石やブロンズに比べるとなんだか身近に感じられるのがセメント像の特製だと思うが、どうか。
 台座の銘板によると、飯田市内の今泉さんという人が昭和36年に奉納したもので、製作者はなぜか豊田市の高見彰七という人。

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 伝馬町をさらに徘徊しまして、並木通りに面した善勝寺へ。こちらにも見事なセメント製の観音さんが!

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 こちらも面長の柔和な顔で、腰をややくねらせている立ち姿がなんともいえず、いい。専照寺の釈迦像と似ているなと思ったら、同じ人の寄進による同じ人の作品だった。いったい誰?歴史に埋もれた名工か!?
 銘板によると、寄進者は幼少のころ病弱で、母に連れられてこの寺の観音にお参りを重ねたところ健康になり、観音様の恩に報いるため、この像を寄進したという。高見彰七のセメント像、飯田の他の寺にもありそうなので、いずれ探してみたいものです。

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 あと、町内の中央公園には対照的なヨーロッパ風の噴水台とライオン像もあります。飯田の自然界の代表が背景の風越山なら、人工物の代表はこれ…かどうかは知らん。
(まさ)

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恋のアーケード0027/タウンサインの研究0052

2014年09月21日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」44号連動ネタ。浜松の伝馬に続いて、飯田の伝馬。
 飯田市の伝馬町は、飯田駅から東へ700mほどの一帯になります。飯田城下町の北口にあたり、伊那谷を北上する街道(諏訪で中山道と接続して江戸に至る)沿いの町です。

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 ここも飯田の中心市街地の一角で、緩やかな坂の両側に店が連なり、商店街を形成しています。伝馬町一丁目から桜町二丁目(飯田線桜町駅付近)まで約600mのシブい歩道アーケードが両側に続く景観はたぶん三遠南信最長で、なかなかのもの…だと思うんだけど、どうか?(誰に同意を求めているのか)

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 南入口の片側にのみ歓迎カンバンが残っています。長年風雪にさらされた文字の掠れようが実に味わい深い。「お買い物は伝馬町通り商店街で」と書かれております。

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 商店街加盟店の店舗サインは、青・黄・橙の5本線に矢羽を付けた昭和テイストな一品。これももはや三遠南信では珍しく(たぶん)、文化財級といえましょう。

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 でもってこの商店街のマスコットキャラは、松野屋陶器店提供、信楽焼のタヌキ一家なのであった。
(まさ)

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(2014.09.28追記)
  10年前には東側の入り口にも歓迎カンバンがありました。写真を見ると、西側ともども文字はまだしっかり読めました。それにしても「買」の字の略し方がインベーダーみたいで凄い。

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(2003.06.03撮影)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0279

2014年09月20日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」44号連動ネタ。浜松伝馬の続き。
 遠州を代表する交差点の「伝馬交差点」には横断歩道も歩道橋もなく、地下道が交差点の四隅を結んでいます。浜松市役所角にある連尺町地下道とともに、三遠南信を代表する地下道です。代表?
 学生時代から何度も潜ってるけど、この適度に薄暗く、なんの飾り気もない浜松式地下道が、実に好もしいのである。アレですよ、母親の胎内的な感じですよ(テキトー)。

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 これが冥界への入口である。3歳児も「はやくいこうよ、おとうさん!」と行く気マンマンだ。

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 シブい、シブすぎる!タイルを貼りめぐらした実に見事な昭和40~50年代スタイル。常滑産タイルを使用か!?←前々回と同じフレーズ

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 広告スペースは、多くが紙のポスターを貼るようになっているのだが、浜松オートとかんざんじ温泉は長期掲示対応の電光ポスター。色褪せていい塩梅になってきております。どこまでいくのか、ぜひ永年掲示をしてほしい。
 どうでもいいけど、オートのキャッチコピーが「The Dynamite」って…。
(まさ)

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遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

壁画鑑賞の手引0006

2014年09月19日
  三遠南信エリアの地域雑誌、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」44号が発売中です。

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 今号のキーワードは「馬」ということで、女性取材記者(まり)は、西尾市中畑のずり馬(おまんと)、三河一宮の馬飼いの方の記事を、わたくし(まさ)は毎回やってる地名探訪と「三遠南信産××育」を担当しました。
 地名探訪で取り上げたのは、伝馬です。この地名は、本誌エリアの主要四市(豊橋・岡崎・浜松・飯田)に存在するという希少事例。江戸時代の伝馬制度(公用馬の中継システム)に由来するものですが、豊橋にだけ不可解なことがある、というネタです。詳細を知りたい奇特な方は買って読んでくださいませ。

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 締め切り迫る五月末、写真を撮るべく3歳児を連れて浜松の伝馬町へ。大雑把にいうと、ザザシティの西あたりになります。その名もズバリ「伝馬町交差点」は、道幅は広く交通量も多く、まさしく浜松を代表する交差点である。代表?

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 ザザシティ側から西を眺めると、アルゼンチンを代表する英雄、チェ・ゲバラとマラドーナの巨大壁画が!なぜ?なぜこの二人?サッカー王国静岡県なのでマラドーナはともかく、浜松の街角にゲバラはシュールすぎるぞ。

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 父が革命家に気を取られているあいだ、3歳児はザザシティ前の花壇の縁に腰かけて、おにぎりをむさぼり食っておりました。こっちもシュールだな…。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

壁画鑑賞の手引0005

2014年09月18日
 千葉滞在中にヒマを持て余した我々一家は、利根川を越えてふらーっと茨城県取手市に行ってみました。取手は19年前に取手競輪場へ行って以来。この日は開催がなかったので行きません(やってても3歳児連れではちょっと…)。目的地は、取手市の西端に位置する公団戸頭団地です。

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 茨城くんだりまで来てなんでまた公団団地なんぞに行かなきゃらなんのか?という話だが、暇つぶしネタがないかとネットを見てたら、ここで「取手アートプロジェクト」なる活動が行われているという情報を拾ったからです。これは公営団地マニアとしてこれは見逃せない!わざわざ東海地方から見に行くべきかと言われるとアレですが…。

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 おお。

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 おおお。
 建物自体のデザインや棟番号のフォントがなかなか味わい深いところに、このようなアートが乗っかって、なかなかいい塩梅です。知立団地でもやってほしいところ。
 なぜ取手でこのような取り組みが行われているのかと思ったら、市域東端の利根川のほとりにある東京芸大取手キャンパスの関係らしい。詳しくは取手アートプロジェクトのHPをご覧ください。今、サイトを見たら、競輪場でも年に一回これ絡みのイベントをやってるではないか。この日なら3歳児連れでも堂々と競輪場に行けるなあ。

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 ついでに、最寄りの関東鉄道常総線戸頭駅も見に行ってみました。シブい、シブすぎる!駅舎にタイルを貼りめぐらした、実に見事な昭和40~50年代建築。常滑産タイルを使用か!?

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 でもって、団地を存分に徘徊してダラダラと千葉県へ帰る途上、利根川の堤防で見つけた小さな展望台に登ってみた。江南あたりではないので念のため…。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

北総の利根川を満喫する

2014年09月17日
 昨年末から数えて五回目になる今回の千葉滞在では、ちょいと足を伸ばして利根川を眺めに行ったりしてみました。言うまでもなく日本屈指の大河川ですが、東海地方の人間にはまったく馴染みがなく、いったいどんな川かいなと。

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 印旛郡栄町の利根川である。大雑把にいうとJR成田線安食駅の北西2キロあたり。

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 印西市木下(きおろし)の利根川である。大雑把にいうとJR成田線木下駅の北東0.5キロあたり。あー、なんかだらけるぅ~。
 このように、まったくもって地味なのであった。理由は明らかで、背後に山も町も見えないから。利根川と比べると、東海地方の川はどこをとっても景観的に美しいことがよくわかります。

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 空気が澄んでいれば、筑波山も見えるには見えます。場所は一枚目の写真と同じ。こうして見ると、北総から筑波山ってけっこう近いのだなあ。2年前にケーブルカーで登ったとき「もう一生登ることはないだろう」などと書いたけど(→●□)、案外また近いうちに行ったりして。

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 ところで印西市といえば千葉ニュータウンのイメージがあるけれど、本来の中心部は成田線の木下駅北口の一帯。木下と大森の二つの古い町が連なり、横に長い町場を形成しています。東三河でいえば二川と大岩みたいなもんですかね。
 駅に掲示されていた案内によると、木下は利根川舟運の「河岸」があり、江戸へ通じる木下街道と舟運の接点として、たいへん栄えたそうな。街並みはいずこも同じでシブさ極まってますが、佐屋や祖父江あたりと通じる「外縁の地」的な風情があって、なんとなく好もしい。

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 あとHINOMISTの皆さん向けにオマケ。栄町布鎌酒直の、利根川の古い川筋(たぶん)の堤防上に立つ火の見櫓。信州っぽい末広がりな形状です。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0051

2014年09月16日
 今回の東京遠征では、今まで柴又帝釈天しか行ったことのなかった葛飾区も散策してみました。京成本線の四つ木駅でテキトーに下車して商店街へ向かうと、さすが東京(?)、夥しい数のフラッグがはためいておりました。

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 しかも描かれているのはキャプテン翼である!
 この町となんの関係がと思ったら、作者が葛飾区の生まれなんだそうな。えっ?てことは「南葛」って「南葛飾」の意味だったの!?わたしゃずっと静岡県中東遠地方の架空の町で、あのへんの特産の「葛布」に絡めてのネーミングかと思ってただヨ(遠州弁)。
 界隈には町おこしで建立されたキャプテン翼のキャラ銅像があちこちにあるというので、見に行ってみることに。

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 住宅地のただ中の「四つ木つばさ公園」には、ボールと友達の男の子の像が!銅像じたいは普通で特にどうということはないですが(なのでアップ写真は割愛)、公園全体がネットで囲われていることに驚いた。蚊帳か。さすが東京、住民配慮がハンパねえ。

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 葛飾郵便局の前には、バットを振る女の子の像が。サッカーマンガなのに?と思ったら、背後の鉄板に「翼くん」の旗が描かれており、バットのようなものは旗竿なのでした。
 葛飾といえば「こち亀」の舞台でもあり、亀有方面に行けばおそらく町おこしネタになっているものと思われます。しかしわたくし、世代的にはジャンプ黄金期にドンピシャではあるものの、生まれてこのかた一度も少年ジャンプを買ったことがないので、これらのキャラにはなんの興味も感慨もないのであった。

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 なお、四つ木商店街の愛称は「まいろーど」ということで、従来のキャラはカタツムリだそうです。
(まさ)
東京雑 | Comments(0) | Trackback(0)

江戸石船

2014年09月12日
 吉良邸跡を後にしてさらに界隈を徘徊していたところ、大きい通り沿いで回向院という寺に遭遇。

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 東京に暗い僕でもこの寺の名前は小説か時代劇で聞いたことがあります。明暦の大火の死者を供養する御堂が起源で、江戸時代の相撲興業の会場になったという寺…と、カンバンに書いてあった。ビルの谷間に現代建築な本堂がデーンと建つという東京らしい風情。ちょっとだけ参拝しようと境内へ入ってみると、奥の方に災害犠牲者の供養塔が集まっており、その中に三河がらみのものをまた発見した。

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 寛政元年(1789)に平坂の人が建立した、帆掛け船型の供養塔です。
 三河高浜と伊勢白子の難破船の犠牲者7人を供養するもので、台座に「三河平坂」の文字が見えます。平坂といえば昔は西三河を代表する湊だが、そこの人がなぜ高浜と白子の人を供養したのか、案内板には書かれていない。気になる!
 ついでにいうと、これの素材も気になるところ。岡崎産の御影石だったら面白いけど、風合いが違うかな…。石造物好きとしては、石を見てどこ産かわかるようになりたい(何を目指しているのか)。

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 東京だかなんだかよくわからない写真が続いたので、最後は見るからに東京な一枚を。回向院すぐ近くの両国橋から眺める隅田川。
(まさ)
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吉良吉良ネーム

2014年09月10日
 吉良氏といえば、先週の首都圏遠征の際に両国界隈をフラフラしていたら、JR両国駅南の住宅地で「吉良邸跡」を発見。

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 こちらは三河本家の吉良氏のほうで、吉良上野介の屋敷跡になります(ただし当時の86分の1の敷地)。赤穂浪士に討ち入られたのがここ。東京都指定の旧跡になっており、現在は「本所松坂町公園」として整備・公開されていました。

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 海鼠壁の内側の小広場には、上野介が鎮座ましましていた。吉良の華蔵寺蔵の座像を参考に、平成22年に製作されたもの。
 ここに置いてあったパンフよると、昭和9年という早い時期に、地元の町内会有志が土地を購入、旧東京市に寄付して旧跡を保全してきたとのこと。討ち入りの日である12月14日には赤穂四十七士および吉良家サイドで討ち死にした二十士を供養する「義士祭」が、前後して「吉良祭」や「元禄市」が行われているという。さすが江戸っ子のやることは粋ですネ!(そうか?)
 また、そのパンフには上野介の地元吉良における善政についてもつらつら紹介されています。長年悪役扱いしてきた吉良氏に対する、江戸っ子なりの罪滅ぼしといったところでしょうか(そうか?)。東京の発行物で「黄金堤」や「吉良の赤馬」の文字を見るとは思いもよらなかった。

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 ところで両国なんぞへなんの用事だったかというと、江戸東京博物館の図書室へ資料を探しに行ったのでした。すごい建物。ネタ元不明のインパクトありすぎな外観は、さすが江戸という感じである(どこが)。
(まさ)
東京雑 | Comments(0) | Trackback(0)

キラキラ一族

2014年09月08日
 前回のような「三河と絡む遠隔地のネタ」といえば、先週またまた首都圏方面に車で行った際、横浜市歴史博物館で三河の人にはお馴染みの吉良氏に関する企画展が開催されているのをたまたま知り、寄ってみました。

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 横浜歴博は東名の横浜青葉インターから15分ほどのところにあります。都築区の巨大ニュータウンの商業施設集積エリアの片隅で、おおよそ「横浜」の「歴史」とはまったく無関係に思える場所。
 その企画展は「蒔田(まいた)の吉良氏」というタイトル。赤レンガ倉庫のある港湾地帯から2~3キロ内陸の蒔田に城を構えた(でもその城は資料がほとんどない「幻の城」)、三河本家の「分家」である吉良氏について紹介するもの。鎌倉時代に分かれ、その家柄は高く、北条氏とつながり、蒔田城を築いて云々…といった具合にあまりにマニアックすぎる内容で、要するに三河の話題はこれっぽっちも登場しないのであった。なんじゃそりゃ。
 とりあえず常設展は面白かったのでよしとしまして、入場券に「モザイクモールの観覧車がこの券で無料」とあったので、3歳児対策として行くことに。

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 モザイクモール港北は、博物館から徒歩10分、横浜市営地下鉄センター北駅前にあります。まあ、ただのショッピングモールですが、わが地元のイオンと比べると若干高級な感じが。

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 6階から乗り込んだ観覧車からは、東京方面が一望できます。東京だ!大東京だ!スカイツリーも見えるぞ!と田舎者丸出しではしゃいだのは言うまでもありません。反対方向には横浜市街や横浜市北西部の丘陵地帯も見渡せますが、地元民じゃないし、別に感動はないっす。

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 こんな巨大ショッピングモールとマンションだらけのところなのに、駅前の一角にはJA横浜の支所があって驚いた。しかも1階には農産物直売所「ハマっ子」まで!そして目玉の特産品は「浜なし」!もはやどこが横浜なのかよくわかりません。
 名古屋だと、旧城下も天白や名東もひとくくりに「名古屋」と称しても違和感ないけれど、横浜は港のイメージが強いから、こんな内陸の新興地帯を横浜と呼ぶのはどうにも変な感じがします。地元の人はそのあたり、どう感じているのだろうか。

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 で、直売所では「花オクラ」という聞いたことのない食用花を買い、嫁の在所に土産として持参した次第です。これ、横浜の特産品という感じではないようだが…って、結局今回なんの話なんだ。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

北総 de 三河発見DEN

2014年09月04日
 先日、岡崎市中央図書館の郷土資料コーナーで「印旛沼開発史」という本を見つけました。千葉県の印旛沼(→●□)は5月に行ったばかり。なんでまた、岡崎とまるで関係のなさそうな印旛沼の資料が置いてあるんだ?と思ってパラパラめくってみると、明治時代、高須(福岡町)出身の織田完之(おだかんし)という内務省の官吏で農政研究者が、印旛沼の干拓事業に関係したという。
 開発史によると、昭和45年に本書編纂のため千葉県佐倉市在住の編集委員が来岡し、織田完之の実家で資料調査をした際、その敷地内に完之の顕彰碑が建立されているのを「発見」。進言して、翌年、人目に触れやすい高須の神明宮に移設されたんだそうな。なんともマニアックな話である。
 今年初めて印旛沼と干拓地を目にし、字面や「沼」のイメージとは裏腹に意外と美しいことに感銘を受けたわたくしは、さっそく高須の神明宮に行ってみました。

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 高須は福岡町のなかほどに位置しています。大雑把にいうと、県道43号と78号が交差するあたり。さらに最近、R23西尾東インターとR248を直結するバイパスが、高須地内をぶち抜いて全線開通しました。
 神明宮は新旧43号が交わるあたりに鎮座しています。ご覧の通り、ごく普通の小さい神社。

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 その一隅に、生家より移設された件の顕彰碑が!

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 難しくて読む気にならない漢文調の碑文に、印旛沼の文字が!いやー、なんというか、マニアックすぎて「へぇ~」くらいしか言葉が出てきませんが…。
 なお、完之は干拓事業の再興(江戸時代にも計画があったが完成せず)を目指して、明治21年に「印旛沼開削発起人会・大明会」を結成し実地測量に奔走、そして明治32年には調査報告書を上梓。しかし「干拓しよまい!(三河弁)」の気概もむなしく、その計画は頓挫したそうな。うーむ。 



 でもって、やっとこさ工事が行われたのは、戦後だそうです。写真は印西市の「山田干拓一区」というところ。
 完之と印旛沼については、暇ができたらいずれ調べてみるかもしれません(みないかもしれません)。
(まさ)
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市役所の裏に動物が集結

2014年09月02日
 3歳児とさまよう公園シリーズ。
 先週、ちょいと時間が空いたときにフラーっと安城へ行きまして、前から気になっていた安城公園に行ってみました。

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 安城市役所~市民会館の裏にある公園で、薮蚊の多そうなうっそうとした森と、亀が好みそうなよどんだ池があります。公園、市役所、文化センターの一帯にはかつて広いグラウンドがあったという話で、昭和40年ごろに一帯を公共施設エリアとして整備した際、この公園も造成されたと思われます。樹林舎の「西三河今昔写真集」を作ったときにそういう話を聞いたような気がする(違ってたらスイマセン)。
 この公園の見ものは、動物舎。

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 ポニーと鹿と孔雀がいました。3歳児は、まあまあ楽しんでいた。
 高度成長期に整備された公園には、時を経てなんか物悲しさが漂う動物舎が多いけれど、今の時代、存在意義はどうなんですかね。たんなる寂れた建造物ならいいけど、生き物だし、なんだかなあ…。高浜の大山公園や刈谷の亀城公園にも動物がいるが、いっそ碧南の水族館あたりに一か所にまとめて「碧海郡立動物園」でも造ったほうがいいのではないか。マスコットは「ヘッキー」ってことで。

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 帰りには区画整理事業の進む市街地を歩いてみた。花の木通りもだいぶサッパリしてきました。
(まさ)

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市役所の裏に市民が集結

2014年09月01日
 でもって8月23日には、地元のイベント「知立よいとこ祭り」にも行ってみました。なんだかんだでけっこう夏の思い出づくりしてるみたいですが…。
 本当はこの日は、内海の「知多半島太鼓祭り」を目指してい現地まで行ったのですが、天候が悪くて開園直前に中止の報。中止決定のお触れが回って少したつと晴れ間も見えてきたのですが、この後まだ崩れるかもしれず、これは仕方ない。太鼓は雨に弱いからね…。
 帰る道すがら、女性取材記者が「今日って一色の大提灯じゃない?」ってんで、じゃあそっちへ行ってみようと、衣浦海底トンネルをくぐって一色へ。ところが、現地へ着いてから今日でないことが判明。土日開催と思い込んでいたゆえのミスであった。愚かなり。
 夕闇迫る諏訪神社の隅で途方にくれつつ、このまますんなり帰るのはアホらしいからとスマホで調べたところ(我ながらなぜ内海を出る時点で検索しないのか)、今日は一色ではなく三好で大提灯祭りということが判明。じゃあそっち行く?って、今さら三好まで行くのはさすがに面倒くさい。そのとき、ふと思い出した。そういえば今日は地元があるやんけ、と。
 地元イベントなのに代替の代替で行くというのもどうかというところですが、よそもんだし、地元意識低いんで…。

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 そんなわけで、知立在住10年にして初めてやってきましたFES de YOITOKO(ポルトガル語風に)。メイン会場は市役所裏の駐車場。そういえば去年までは知立駅あたりでやってたような気がするが、なんでまたこんなシブい場所に変更を?
 ちょうど、知立在住のプロ「和太鼓ユニット光」のステージが始まるところ(夫婦でやっておられます)。内海の中止に呆然とした太鼓好きの三歳児も親も大満足であった。
 このあと、メインイベントの総踊りが行われましたが、まあ、特に感想はない。

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 あと、翌日の日曜夕方には、知立団地で行われた盆踊りにも行ってみました。ロケーションといい、日伯混在の様相といい、実にシブかった。
(まさ)
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