三河一色大提灯まつり

2014年08月31日
 刈谷の万燈祭に続いて祭り連発。26日の夜は「三河一色大提灯まつり」を、またまた取材抜きで見物してきました。こちらも10年ぶりとなります。諏訪神社の祭礼で、名前のとおり境内に出現する巨大提灯がみもの。

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 デカい、デカすぎる!そのデカさはガンダムの胴体クラスである。いや知らんけど。
 この中には火をともした巨大な和蝋燭を入れるのですが、提灯の紙が厚いせいか一般的な提灯みたいにほのかな灯りが揺らめくような感じにはならず、外から見ている分にはロウソクが入っているかどうかよくわかりません。

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 中には大人が10人くらいは入れそう。祭礼の若衆は時々提灯の中に入って、たまった蝋を掻き出していました。その作業の最中は、入口が閉じられ密封状態になります。怖ぇ~。閉所恐怖症のわたくし、ここの氏子じゃなくて本当によかった。

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 祭好きの3歳児も祭りを堪能したようで、芋洗い状態の人混みの中を駆け出して自ら迷子になろうとしてみたり、多くの見物人が提灯を見上げている足元にうずくまり砂地に電車の線路を描く遊びを敢行してみたり、ハーメルンの笛吹きのごとく屋台で買った水笛を吹きながら無軌道に行進してみたり、チョコバナナにまぶされた仁丹みたいなヤツだけをちまちまつまんで食べてみたり、まったくもって落ち着いて見物させてくれないのであった。
(まさ)
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西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

刈谷の万燈祭

2014年08月30日
 いろいろモタモタしているちに夏が終わってしまうようです。うーむ、困った。困ることはないか。
 出し漏らしていたネタですが、先月下旬、久しぶりに刈谷の万燈祭を見物しに行ってみました。近所の祭りだというのに、見に行くのは10年ぶり。取材じゃないので祭礼の流れを追うなどということはせず、ぶらぶら見て回るだけだから気楽です。

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 万燈祭は銀座通りに鎮座する秋葉社の祭礼で、でっかい張子人形の「万燈(マンド)」が目玉。見事なもんだ。

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 で、この万燈を若い衆が一人で担いでブンブン回すのが見ものなのだが、祭の雰囲気にテンションマックスの3歳児は、万燈がぶん回されるのと一緒に、自分もぐるぐる回ってござった。目はあまり回らないらしい。

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 この日は刈谷市駅まで電車で行ったので、これまた久しぶりに駅前通りを歩きました。中心市街地の銀座(→●□)や東陽町(→●□)と同様、見事な閑散っぷりである。駅から続いていた両側の歩道アーケードも、今では写真に見える箇所を残すのみ。商店街はこんな有様だけど、祭礼に参加している若衆はわんさかいて、そのギャップもすごい。

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 刈谷市駅の「サンリバー」は完全閉鎖されたのか(?)中に入れないようになっていた。いっぽう駅前の「愛三ビル」は、ネオンを灯して元気に営業中。シネコン全盛の今や地方小都市には超貴重な映画館が入っており、一度くらいは行ってみたいと思っているのだがいまだ果たしていない。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

富士乃国

2014年08月29日
 しみじみと味わい深い入出を去って豊橋方面へと向かう途上、ふと思い立って多米トンネルの湖西側にある休憩所の跡をチェックしてみました。

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 これですね。いつからあるのだろうか?この道を初めて通った90年ごろにはすでにあったような気もするが、詳細は不明。
 閉鎖状態なので出口脇の林道入り口に車を停めるしかなく、敷地内も草ボーボーで荒れるにまかせ、いずれこの富士山も崩壊するものと思われます。
 どうでもいいけど、遠州の入り口、しかも多米峠ごときに富士山とは、ちょいと違和感があります。ふじの「くに」は駿河と甲斐で、遠江のものじゃないじゃん!それに「ようこそ静岡へ」って、静岡「県」には入ったけどここは本来の意味での「静岡」ではないじゃん!そもそもわたくしは静岡県全体を「静岡」、岐阜県全体を「岐阜」などとひととくりに「県」を略して称するのも嫌いで、ひいてはこういう地名崩壊のきっかけとなった明治政府の施策も気に入らないのである。

140828-5.jpg「どうでもいいですよ、おとうさん」

 いやホント、どうでもいいことでした…。

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 車からは気が付かなかったけど、園地の隅にはトイレもありました。当初はそれなりに気合を入れた施設だったようです。
 そういえば豊橋側にも駐車場があって、大学生のころ一度だけ人の車に同乗した際、寄ったことがあったなあ。坂を下りると湖西側にも豊橋側にもいまだにラブホが生きながらえており、20年前の多米峠は立派に地元のアミューズメントロードだった…のかな?
(まさ)
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

入ったり出たり

2014年08月28日
 女河浦海水浴場で3時間半も遊んだら、さすがの3歳児も車に乗せた瞬間に爆睡してしまった。こっちもくたびれ果てたので、海水浴場に隣接する集落、入出でひと休み。「いりで」と読みます。

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 ここへ来るのは5年ぶりくらいか。浜名湖の西岸に位置し、小さいながらも漁港があって、浜名湖でもっとも漁村風情を留めている集落です。わたくし、遠州の全集落でここが一番好き。大学2年だったかに初めて訪れたとき、あまりの雰囲気のよさに痺れてからというもの、痺れっぱなしで何度も来ております。

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 集落のどん詰まりに遠鉄バスの終点「正太寺バス停」があります(むかしは「入出バス停」だったが、いつのまにか改称)。久しぶりに時刻表を見たら、本数がえらい減っていて驚いた。20年前は1時間に1本はあったと思ったが…。まあでも、 この時代にこの規模の集落で遠鉄名義の路線が残っていることが凄いとも言えます。
 他にも、当時はまだ旧入出小の校舎があり、公衆浴場の跡があり、商店ももう少しありました。例に漏れずじわじわと衰退しているのかもしれないけど、他の農山漁村と比べるとなんとなく踏みとどまっているように見えるのが、入出の不思議なところ。

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 むかしは終点のバス停前のこの浜にもよく来たもんだ。17、8年前、無職状態で鬱々していたとき、ひとり湖を見つめてさらに悶々…って、暗いねどうも。
 子供なんて持てると思っていなかった往時を思い返していると、なんだか景色が染み入ってくるようです。そんな浜名湖は清々しくもあり、重くもあり、いまひとつパッとしない昨今、こうしてしみじみとした気分で眺めるのもいいものである。

140827-8.jpg「どうでもいいですよ、おとうさん」

 あと、HINOMISTの皆さん向けに最新の現況を。入出中バス停前にあった火の見櫓(→●□)は、背後の建物ごとなくなっておりました。

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 いっぽう、内陸側の火の見櫓(→●□)は健在。かつ、サビ止め塗装が施されキレイになってた。

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 このほか、太田のHINOMIも残ってました。
(まさ)
遠州雑 | Comments(6) | Trackback(0)

女だらけの海水浴場

2014年08月27日
 天候不順のこの夏は、これまで海水浴の機会を逸してきました。これじゃいかってんで、先週ようやく湖西市で海水浴を敢行。母は仕事で不在だったので、父子二人で。

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 ただし、海水浴といっても浜名湖です。湖西市新所にある「女河浦海水浴場」。メガウラです。汽水だけど水が塩っ辛いので、おおむね「海水」ってことでしょうか。
 ここへは10年前、拙著「浜道紀行」の取材で、というか挿入する写真が一枚だけ欲しかったので撮りに来て以来です。使われなかったけど。ご覧のとおりあまりに味わい深すぎる風情に、いつか子供ができたら行こうと心に固く誓ったのですが(オオゲサ)、念願かなって嬉しい限り。

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 対岸にパルパル、南のほうに浜名湖大橋、そして奥の方には遠州の山並みが見えるという、遠州マニアとっては最高のロケーション!しかし、ここで泳いでいた人は最大10人がいいところ。遠州の人たちはいったいどこへ泳ぎに行っておるのか。まあ、平日のど真ん中でしたが…。
 この日の水温はぬるま湯のようで、沖をジェットスキーが通過したあとしか波がなく、遊泳禁止ラインまで小学校高学年なら立って行けるという安心の水深、そして意外に水が澄んでいるのでアサリ、魚、ワタリガニなども観察でき、実に味わい深い海水浴が楽しめたのであった。
 皮肉でもなんでもなく、3歳児も波や深みにビビることなく本当に楽しめましたよ。だだっ広い天然プールと思えばいいのです。

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 こんなシブいところに「海の家」いや「湖の家(?)」が健在だったのには驚いた。カキ氷も食べることができ、大満足の3歳児であった。また家族で来ますよ、たぶん。いや、来年は対岸の村櫛海水浴場かな。
 なお、標題のようなことはありえませんので念のため…。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

夏は団地

2014年08月26日
 豊明で通りすがりに入道雲を撮った日には、天白区の平針南を小一時間ほどウロチョロしてみました。古い団地はやはり夏がよく似合うってことで。そういえば去年の夏も名古屋東部郊外の団地を回ったりしてたな…。
 平針南といえば運転免許試験場の所在地として知られています。その北側に県営住宅があります。わたくしは昔、平針駅近くに事務所を構えていた出版社に勤務していましたが、こちらのほうへは二、三回ほど同僚と昼飯を食いに行ったぐらいしかありません。

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 県営住宅の中央に位置する公園である。草むし加減もほどよく、やはり夏がよく似合うのである。

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 その北にある細口池は、水面を覆い隠して蒲が生い茂っており、やはり夏がよく似合う…のか?手前に見える銅像は、平成二年の「名古屋市平針中央土地区画整理組合完工記念碑」の上に建っているもの。父の帰りを待つ母と二人の子でしょうか。なお、タイトルは「黎明」。

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 団地の棟の表示は、ちょっと洒落たデザインであった。

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 そして郵便局、交番、団地の事務所が入る建物は、ちょっと体育館風のデザインであった。このような施設は、県営団地よりも公団住宅の方が造りがしっかりしている…気がする。なお、住所は天白区平針南ですが、局名は「南平針」。

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 あと、郵便局の西隣にあるコミュニティーセンターでは移動図書館に遭遇!古い写真では見たことがあったけど、現物は初めてお目にかかった。覗かしてもらったけど、図書館好きとしてはなんかわくわくしました。これのトミカのミニカーってないかなあ。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

夏は豊明

2014年08月24日
 今年の夏は天候不順でどうもいけません。家族キャンプを中止にしただけでなく、12日に取材半分遊び半分で行く予定だった「日間賀島たこ祭り」はやってたかもしれないけど行くのをとりやめ、昨日の内海の「知多半島太鼓祭」は、会場に着いたとたんに中止の報。う~ん。災害も多いし…。
 先週、一瞬だけ「ザ・真夏」だった日に、たまたま通りがかった豊明消防署近くの沓掛町で入道雲を撮ってみた。

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 どかーんと、入道雲である。
 豊明はなぜか夏が最良の季節というイメージがある。どういうわけか他の季節だと豊明はパッとしない…と感じるのは僕だけでしょうか。
(まさ)
尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0278

2014年08月20日
 そんなこんなで盆中に実家の近所を散歩しておったのですが、その途中、むかし毎日歩いていた市場の裏通りの通学路で、通学路を示すカンバンを発見。

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 たしか僕が小学生の低学年(昭和50年代前半)に設置されたものですが、まだ残っていたのか。なつかしい…というほどのもんでもないですね。簡素なブリキカンバンが30年経つとこういう状態になるという見本。
 通学路沿いにはこういうものもあります。記憶が曖昧だけど、たしか同じような時期に設置されたと思います。

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 岐阜県の県道では定番の、起点を示す三角標柱。これは、瑞岩寺橋の新丁側の親柱の脇にあるもの。僕が路傍の道標等に目を向けるようになったのは、小学生のときこれを目にしたことがきっかけだったかもしれません。

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 瑞岩寺橋を渡りった先に立つ県道標識も、昭和50年代モノ。大垣から揖斐に通じる県道が国道417号に昇格したのが昭和57年で、たしかその頃に出現したんじゃなかったかな?国道417号といえば「祝・国道417号昇格」の横断幕が、脛永橋たもとのグラウンドのバックネットに掲げられていたのを覚えています。
 僕が道路の「路線」に目を向けるようになったのは、この県道標識や国道昇格の慶事(?)が間違いなくきっかけになりました。小学生のころからどうしようもないマニア気質だったのである。

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 旧揖斐川町内の全区に設置されている地名表示板は、県道標識よりもう少しあとだったような気がします。岐南町が町制30周年記念でストリート名表示板を設置していますが(→●□)、これも町制30周年のタイミング(昭和60年)で設置されたんじゃなかろうか。
 う~ん、どうでもいい。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ザ・マーケットプレイス

2014年08月18日
 前回登場した粕川オートキャンプ場の所在地は瑞岩寺になりますが、その対岸の集落は「市場」といいます。今でこそアレですが(純地元なんで婉曲的に…)、僕が小学生だったころは集落の名のごとく商店が何軒もあり、なかなか活気のあるところでした。
 思い出してみると、菓子屋×2、酒屋、八百屋×2、仏壇屋兼玩具屋、豆腐屋、蒟蒻屋、電機屋、床屋&パーマ屋×4、自転車屋、時計眼鏡屋、旅館兼食堂…と、なかなかの商業地っぷり。とりわけ2軒ある菓子屋、杉山商店と伊吹堂にはしょっちゅう出入りし、杉山さんではチョコバット、ヨーグル、パンチコーラ、3個つなぎのチロルチョコ、マルカワのフーセンガム等を、伊吹堂では瓶の7upやコーラをよく買ったものです。

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 この集落はR417から旧春日村へ通じる街道(県道32号春日揖斐川線)沿いの商業地として栄えました。役場はないものの旧揖斐郡小島村の中心地の役割を担った集落でもあり、小島郵便局、小島駐在所、消防団小島分団の中核車庫もあります。いずれも村外れに移転しましたが、20年ほど前にはこの写真の三差路あたりに3つとも集まっていました。
 なお、写真の道は県道32号ですが、戦前の郷土資料を見ると「西山街道」と書いてあります。古くは、揖斐から見て粕川流域を西山、揖斐川流域を北山と呼んでいたらしいのですが、今では全く通用しない呼び方で、西山街道も5年前に死んだ大正生まれのウチの爺さんですら「そんな名前は知らん」と言ってござった。

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 市場の集落規模の大きさは、地元でしか通用しない通称地名が物語っています。僕が子供のころには小島小学校の通学分団として、街道筋の上・上中・中・下の各市場に加えて「裏町」がありました。上の写真は裏町。今から考えると、的を射ちゃいるけどなかなかの名前だ。

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 そして、もっとも春日寄りの地区は「新丁」といいます。すなわち、ニュータウンである。 
 ここはかつて春日村に属し、昭和の大合併のすこし後だったかに揖斐川町に編入されました。対岸の瑞岩寺には、かなりの数の従業員を抱える日東あられ本社工場(平成3年に倒産)があり、新丁にあった油屋商店は終業時間頃などけっこう繁昌していたものです。

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 新丁と瑞岩寺は瑞岩寺橋が結んでおり、橋のたもとには新丁バス停があります。35年前には、近鉄バスの揖斐駅前発春日方面行きのうちたしか朝夕1本、ここ止まりの便がありました。さらに時代を遡ると、橋を渡って瑞岩寺へ行き、沓井を経て揖斐駅前に戻る循環系統もあったとか(高校のときバスの営業所に行って調べたけど、うろ覚え)。そして、バス停の脇には鉄製の火の見梯子もあったなあ。
 新丁と瑞岩寺の子らには校区の最果てという仲間意識があり、よくつるんだものです。今は子供が少なくなり、悲しいことに分団も統合されてしまったという。
 え~、以上、キャンプに来られた方にはぜひ知っておいてほしい、ということはまったくない地元情報でした。 
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

キャンプ場の近所に暮らして

2014年08月16日
 雨ばかりの盆ですなあ~。本当は今日明日と信州へキャンプに行こうと準備していたのだが、こんな天候にテント張るほどアウトドア派ではないので、やめた。
 ところが、揖斐川町の実家のすぐそばにある「粕川オートキャンプ場」は、こんな不安定な天気にも関わらず連日ヒマを持て余した庶民らで賑わっております。



 ようこそこんな町へ!といいたいところだが、このキャンプ場はなんと利用料金がタダ。町内でこの人たちが金を落とせそうなところといえば、サークルKと春日モリモリ村(日帰り入浴施設)ぐらいで、地元への経済波及効果はほぼゼロなのである。
 ここができたのは20年ほど前の前町長時代。なぜ作ったのかはよく知らんが、ふるさと創生一億円の残預金でもあったんじゃないでしょうか。町が整備したのに利用料を徴収できないのは、河川敷で管理者が県だから、という話。
 タダだからそれなりに人気はあるけど、設備的には堤外にトイレと湧き水汲み場がある程度。常駐の管理人もいないので、阿呆な方々がけっこうゴミを残していくらしい。で、清掃と処理は税金で行なわれる、と。
  トータルで見れば町にとってなに一ついいことがないように思える。しかし、そこは鷹揚な気質の揖斐人、タダで遊んだ人たちが「揖斐川町っていいところだよね」と思ってくれるだけで望外の喜びであり、イメージアップになったとみなしているのだ。
 ひいては将来、町内の別のところで金を落としてくれるかもしれないし、移住者も現れるかもしれない。まさしく町政100年の計。超長期視点を持った凄い町なのである。



 …という町だったらいいんだけどなあ。
 この写真はキャンプ場のすぐ上に残る旧瑞岩寺橋の吊橋の遺構。見えにくい場所にあり、ウチら地元の者しか知らない文化財。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

BONダンサーズ(成岩組)

2014年08月15日
 盆ですなあ~。盆といえば盆踊りってことで、いつもは近所の上重原公民館の盆踊り(→●□)に行くのだが、今年は残念ながら開催日に不在。そこで、先日たまたま参拝した半田市成岩の知多四国第21番常楽寺で開催の貼り紙を見つけたので、12日の晩に行ってみました。
 自宅からわざわざ40分もかけて、文化財等に指定されているわけでもない超ローカルな盆踊りに行くというのも我ながら訳が分からないが、寺の境内で行われる盆踊りって見たことがないし、知多四国取材の一環ってことで…。

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 シブい、シブすぎる!
 7時に始まるというのでその時間に行ってみると、広い境内に提灯が揺らめくのみで、誰一人いない。亡者だけが参加するのか!?と思ったら、7時半ごろようやく人が集まってきて、最終的には30人ほどの参加者が。「昔はもっと盛大だったけどね…」と地元の人は言っていたが、これはこれで、味わい深くてよいです。
 打ち手は寺の方と思うのだが、太鼓がとてもうまかった。

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 夜に常楽寺の仁王門をくぐるのは初めて。大きい寺は夜の風情もたいへんよろしいのである。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

津島の天王祭

2014年08月13日
 トーマスに乗った翌日には、10年ぶりに津島の天王祭を見物してきました。10年前は嫁と義父母の四人で何の予備知識もなく思いつきで行き、混雑でロクに見れないまま帰ってきたのですが、今回は友人Sさんのツテで桟敷席から観覧させていただきました。

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 「蟄居閉門」「幽閉」等の言葉が思い浮かぶ柵で仕切られたその桟敷は、会場で一番見やすいんじゃないかというほどのベストポイント。

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 巻藁舟が水上を悠然と進み、どんどんこちらに迫ってっくる!そして間近で見る巻藁舟は、さすが津島の総本社の祭礼だけあって半端でない大きさ。いやもう素晴らしい眺め。シビれました。
 しかしこの形、頭部の大きな宇宙人が襲来してきたかのようにも見える。って、いい席で見させてもらったのにこんなこと言ってちゃ怒られるか。

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 ほかに凄かったのは、オープニングアクト的に演奏を披露した「大治太鼓保存会」。演奏力の高さもさることながら、漕ぎ進む船の上で組太鼓演奏するって…。
(まさ)
尾張雑 | Comments(7) | Trackback(0)

みんな頑張れ機関車たち

2014年08月12日
 20日ほど前になりますが7月後半、久々に大井川鉄道に行ってきました。この夏の大井川鉄道は機関車トーマス一色ですね。なんと、高倍率のチケットを友人が取ってくれたので、乗ることができたのです。
 間近で見るリアルトーマスは、もう圧倒的な存在感を川根路に放ち続け、爆笑せずにはいられなかった。

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 新金谷駅で発車を待つトーマス。大爆笑!

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 千頭駅でヒロと近鉄特急と顔を並べるトーマス。勇壮なる三役揃い踏みにまたまた大爆笑!

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 3歳児も大興奮!と思ったら意外とそうでもなく、ちょっと怯えていたのであった。予想以上に顔がデカいからね…。それに、テレビでいつも見ているあのトーマスがこんな風に現実世界に現れたら、混乱もするだろう。あと、トップハムハット卿が来ていなかったので残念がってました。
 当然だけど、乗っているとトーマスだか通常のSLだかわからないので、今度は走っているところを見に行かねば。抜里の茶畑や塩郷の吊り橋で大爆笑したいぜ。
(まさ)
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

お灸 on the head~大人編

2014年08月11日
 内海の如意輪寺で3歳児に焙烙灸をさせた2日のち、今度は豊橋で親二人が焙烙灸をやってみました。今から考えると、子供に先にやらせておいて後から親がやってみるなんて、順番が間違っているな。

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 まずは僕が、多米の赤岩寺でやってみた。最初は熱くもなんともなく、腕を上げ続けている疲れのほうが気になっていたのだが、般若心経の2周目(祈祷では三回唱える)が半ばにさしかかるころから次第に「あれ?じわっと熱がきてる?」という感じになり、そのうち「熱っちっち!」。脳天にチンチンくるこの熱さ!なかなかのものであった。

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 女性取材記者は、仁連木の競輪場前にある観心寺で焙烙灸。こちらでは、如意輪寺、赤岩寺と焙烙の被り方が逆だった。3歳児は、御接待のお菓子を図々しくむさぼり食いながら、謎の行為にふける親たちを待っていた。素敵な夏の思い出だネ!
 そんなわけで、家族三人とも暑気払いの御祈祷のおかげで、11日現在は健やかに過ごしております。しかし焙烙灸だけで三か寺も回るって…。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

お灸 on the head~子供編

2014年08月10日
 もう2週間も前ですが、7/27に南知多町内海の如意輪寺(知多四国第46番札所)で「焙烙(ほうろく)灸」という行事が行われるという情報を嫁が仕入れたので、行ってみました。
 焙烙灸は、土用の丑あたりに真言宗寺院でよく行われる暑気払いの祈祷。頭に焙烙(底の浅い素焼きの鍋)を被り、その上に灸をすえ、頭にじんわりくる熱さに耐えながら加持祈祷をしてもらうものです。
 
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 とりあえず3歳児にやらせてみました。最初は一人で座らせたのだが、頭にわけのわからないものを乗っけられそうになると「何すんじゃワレ!」と、さすがの寺好きぼっちゃんも暴れ出した。先に焙烙灸を経験した友人のカメラマンの同い年の息子は、おとなしくやらせたと聞いていたのに、ウチの子は…。
 仕方ないので女性取材記者が抱っこして、寺の方にサポートしてもらってようやく焙烙を頭に乗せたけど、必死で耐えていたのであった。熱さにではなく、理解できないこの状況に。

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 同時に、弘法大師の秘法とされる、きゅうりを身代りにした病気平癒の祈祷「きゅうり封じ」もしていただいた。大好物のきゅうりに何事かされて、頭の中に「?」が浮かぶ3歳児でありました。
 大人編に続く。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0277

2014年08月09日
 岳見町のあと、弥富通りの南を並走する通りもウロウロしてみたのだが、仁所町から丸根町にかけての坂もハデさはないがなかなか味わい深かった。

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 蜜柑山~岳見町ではけっこう標高のある丘が、天白川に近づくとだんだん低くなって、この辺までくるとこのくらいの傾斜の坂になるわけです。地図で見ると丘の尽きるところ(丸根町~軍水町~片坂町)が半円状の道路になっており、地形がわかります。もう少し歩いてみたいところだけど、暑すぎるのでまた季節のよいときにでも…。
 この道をどんどん東へ進み、弥富通五丁目交差点の角で発見したカンバン。謎かけ?

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 う~む、味わい深いとしかいいようがない。

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 何のカンバンかというと、弥富通り沿いにある和風レストランのものでした。凡庸な土地に唐突に現れるこの建物もすごい。あと50年もてば登録文化財でしょう。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

マウンテンビュータウン

2014年08月06日
 先月半ばの話ですが、少し時間が空いたので意味もなく瑞穂区の南東部あたりをウロチョロしてみました。その際、弥富通りと八勝通りに挟まれた岳見町(たけみちょう)というところを通ってみたら、なかなかワイルドな地形で面白かった。

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 このあたり(弥富公園のあたり)だけ見ると平坦で特にどうということもない。

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 しかし左右の枝道を見ると、こんな感じのギュワーンとした急坂が何本も伸びている!って、この写真では急坂のように見えないけど。ワイルドな坂をワイルドに撮る術を知らないもんで…。

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 坂を登って下を見ると、このように「おわっとっと」と言いたくなるような怖い急坂!って、この写真ではまるで怖さを感じないが…。
 角川の地名辞典によると、この岳見町、および隣接する弥富ケ丘町は昭和18年に町名が設定されているようで、つまり戦前からの由緒ある区画整理エリア。岳見の名は、高台から御嶽山がよく見えることが由来だそうな。
 面白いのでもう少し徘徊したいところだったけど、暑いのでさっさと撤退した次第。やっぱり坂のある町の探索は秋冬に限るね。かと言って、もう一度来るかといえば、それほどのもんでもないか…。
(まさ)

◎名古屋の坂シリーズ
高針の坂→●□
鳴海の坂→●□
守山市場の坂→●□
守山翠松園の坂→●□
植田の坂→●□
名古屋雑 | Comments(2) | Trackback(0)

ななつ星 in 尾州

2014年08月03日
 その戸塚ニュータウンの一角にある一宮戸塚郵便局に行き、風景印を押印してもらったところ、聞いたことのないものが図柄になっていた。

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 七つ石?なんじゃそりゃ。局長さんに聞くと、日本武尊にまつわる史跡とのこと。風景印だけ見ると一宮市博物(うしろの建物)館の庭石みたいだが、別のところにあるらしい。
 ちょうど、ローカル媒体の史跡散歩的な記事用にネタがほしかったので、場所を聞いて行ってみました。戸塚ニュータウンの500mほど北、名神高速の北側に位置する戸塚の“本村”(つまり戸塚オールドタウン)にあるという。

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 これ!?家が密集する古い集落のド真ん中に、唐突に出現する地味な石、石、石!しかも七つじゃないじゃん。一瞬、庭石屋の石置場かと思った。
 案内碑によると
「日本武尊が伊吹征伐の途次、七つ石で剣を研がれたとの伝説から剣研石とも呼ばれる。『尾張名所図会』に『剣研石』の標題で大小十八個の岩石が描かれている。この岩石群は六~七世紀代の古墳の横穴式石室の遺構であろう」
(昭和六十三年 一宮市観光協会)
 祠を建てるなどしてわかりやすい聖地化をせずに、よくまあ1000年以上もこの状態で保持されてきたものです。石そのものより、戸塚の人々の意識に価値がある…かな?(←※書いた直後にご指摘いただきましたが、移設モノだそうです。案内碑に書いておいてよ…)
 あと、こんなシブいネタを風景印の図柄にした郵便局のセンスも素晴らしい。こういうマニアックなブツの顕彰こそ、風景印の真骨頂…かな?
(まさ)
尾張雑 | Comments(2) | Trackback(0)

TNT

2014年08月02日
 巨大公団団地の江南団地を出したのでもうひとつ、尾張北部を代表する(?)一宮の団地も出しておきます。それは戸塚団地。一宮JCTのすぐ南東にあります。

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 うーむ、普通の団地である。
 しかし、ここは通称「戸塚ニュータウン」というらしく、案内板やバス停にもその名が見える。高蔵寺や桃花台とは比較の対象にならない規模と雰囲気で、そもそも「ニュータウンの定義とはなんぞや?」ということを改めて考えさせられます。

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 団地の東端に行くとロータリーがあり、それを囲むようにして商業棟が建っています。ここだけ切り取ると、まあニュータウンっぽくなくはない。ただし、商業棟は円の三分の一相当しかないうえ、やっている店は数軒だけ。キーテナントの「戸塚ショッピングセンター」は廃業しているし。

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 ロータリーのすぐ先に建てられている案内板を見ると、団地の真ん中あたりで道が20度ほど折れていて、なんだか妙である。なんか発掘された巨大遺跡の部分のような…。もしかするとこの団地、巨大ニュータウンにする構想で建設しはじめて、四分の一まで完成したところで頓挫したのではなかろうか?

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 南側の水田からニュータウンを望む。想像するに、周囲には優良農地や古い集落があって思うように用地買収が進まず、もたもたしている間に他の開発業者が進出して小団地や分譲地を作ったりして、最終的にこういう中途半端な形状の団地になったのではないでしょうか。
 地図サイトのMapionを見ると、整然とした街路なのに町名整理がなされておらず、ニュータウンの区画内に小字が六つもあります。おそらく、ニュータウンの全貌が明らかになった時点で町名整理するはずが、途中で中断したためその機会を逸したのでしょう。
 まあでも、結果的に小ぢんまりした閑静な団地に落ち着いて、住民にはよかったのではないかな(テキトーな見解)。高蔵寺や桃花台を見ていると、なんでもデカけりゃいいってもんでもないって思うし。
 この団地について詳しい経緯を知っている人がいたら教えてください。
(まさ)
尾張雑 | Comments(2) | Trackback(0)
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