さらば旧知立駅の遺構

2014年05月29日
 別の日に旧知立駅(三河線三河知立駅あたり)も見に行ってみたところ本線の陸橋前後で仮線工事が始まっており、駅舎跡地だった空地に柵が設けられていました。

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 以前ここにはこのようなものがありました。

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(2006.05.25撮影)

 陸橋上にあった本線ホームへの連絡通路の遺構です。この部分だけ切り取って、図書館前の新地公園に移設するとか…ムリでしょうねやっぱり。
 この写真のすぐ右には「歩行者に注意」と書かれた(歩道が狭いので)ガードがありますが、これも近いうち見納めでしょう。

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 ここはやがてこうなるようです。

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 なんか広すぎる気もします。
 この予想図に載っている善良な市民の皆さん、よく見ると実写真で、何人かは顔がはっきりわかります。この個人情報過剰保護の時代に都市開発課も思い切ったことを…。批判ではないので念のため。むしろ好もしく、こういうところに載せてもらえるのならわれわれ親子も手を挙げたかったよ(顔が写っている全員が市職員関係者だったりして)。

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 本線ガード&三河線踏切北側の「新地通り」では、すでに拡幅工事が進行中。この通りこそ本来の「知立駅前通り」に相当し、旧東海道と弘法さんを結ぶ知立の古いメインストリートなのでした。
 踏切の手前に見えるもわっとした白いものは、ウナギ屋さんの煙。一度だけ蒲焼を買ってきて家で鰻丼にして食べたことがあります。美味いのだが、いい値段なので二度目がない…。
(まさ)
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恋のアーケード0024/カンバンの手帖ブログ版0273

2014年05月27日
 アーケードといえば地元では、知立駅から東へ伸びる「中央通り」の歩道アーケードが、いつの間にかなくなっていたうえ、街灯が一新されていました。

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 少し前まではこんな感じ。

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(2013.08.27撮影)

 うーむ、刈谷消え、知立消え、碧海に残るまともなアーケードはついに安城だけになってしまった。
 中央通りの歩道アーケードは、ビニール製の初代が昭和47年に設置され、その数年後に2代目の鉄製に変わったようです(詳細年未調査)。見た目にも老朽化していたので、致し方なし。ほっといたら、いつぞやの豊橋広小路みたいに鳩の糞の重みで屋根が落ちちゃうかもしれないからねえ(→●□)。
 この通り、知立駅が現在地に移転した昭和34年以後に開かれた道で、旧東海道の「銀座通り」(リリオとホテルクラウンパレスの間の道)からメインストリートの地位を奪ったのですが、まさに盛者必衰。近年は店の閉店や移転が目立ち、さらにマンションができて、おまけに風俗店もあったりなんかして「地方都市の商店街の衰退の典型」のような様相を呈しておりました。近年と言っても、僕が知立に移住した10年前にはすでにそういう状態でしたが。
 では、現在今の知立のメインストリートはどこか。それは…ない。

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 ついでにいうと、知立には「駅前通り」という名のストリートも存在しません。実質的に「中央通り」が駅前通りですが、上記のとおり新興のストリートなんで、遠慮して駅前通りとはつけなかったのかも。
 上の写真は、知立駅前交差点角から東を見たもので、右が「中央通り」になります。
 左は、往時は中央通りとダブルメインストリートを形成していた「知立新駅通り」。新駅開業後に商店街化したのでこの名が付きました。こちらにも店が点在していますが、今では商店街と呼べるような体ではありません。なお、私が編集した「西三河今昔写真集」(樹林舎)のP29ページに、新駅通りのアーチがあった頃の写真を掲載しておりますので、ヒマな方は図書館にでも見に行ってみてくださいませ。
 ついでにもこの通りも久しぶりに歩いてみたら、風化したストリート名を記したカンバンを発見。

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 文字が消えないうちに民俗資料館への収蔵を希望。

 ちなみに、知立駅南交差点(ピアゴの北)から三河線と並走して上重原・刈谷駅方面に通じる道も「中央通」といいます(正確には都市計画道路知立中央通線)。この名称は地元ではまったく定着しておらず、コミュニティバスに「中央通バス停」があるので名前が知られている程度。
(まさ)

◎知立におけるストリート名称の件
新駅通三丁目→●□
劇場通り→●□
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恋のアーケード0023/タウンサインの研究0050

2014年05月26日
 久しぶりの新宮、この町は何回来ても、日本の他の町にあまりない独特の空気を感じます。山ばかりの熊野地方にあって、この町だけがパーッと開けていて、なんとなくいつも陽射しが降り注いでいるようで、どこかダラーっとした感じ。その開けた感も、地形的に閉ざされた異界の熊野地方にあって「ここだけが外界と接続する地点」的な開け方というか。
 僕の知る限り似たような雰囲気の町は島根県益田市くらいでしょうか。あちらも「日本の端っこの石見地方の、一番果てにある開けた町」だった。新宮には熊野三山の一社があり、益田には石見神楽がある。神に近い空気もよく似ているのである。

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 というわけで、取材までの時間潰しで熊野三山のひとつ、熊野速玉大社へ10年ぶりに参拝してみました。朱い!

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 市街地も徘徊。新宮駅の海側には、伝統地名か新興地名かわからないけれど、蓬莱、徐福、阿須賀、熊野地、王子といった異界を思わせる(?)地名があります。写真は蓬莱~阿須賀のあたり。この絵だけ見ると、単に「地方都市のメインストリートから少し奥に入ったあたり」にしか見えないが、異界なのである。

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 床屋だけど乙女。異界である…。
 そんな新宮には、アーケード商店街もありました。

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 国道42号からTSUTAYA新宮店前まで約400mの仲之町商店街です。異界とうか、関西圏っぽいアーケード商店街ですが。東海地方のアーケード商店街と何が違うのか、というと、まあ、空気感とかですかね…(テキトー)。

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 商店街の入口や(反対側も)アーケード内の商店列挙カンバンには、地元の名所の美しい写真が多用されていました。観光客があまり来ないような通りにこういう写真をバーンと使うのは、外向けのアピールというより郷土意識の涵養や啓発が目的でしょうか。それにしても「みなさまの仲之町二丁目」や各店の書体、右の柱の盃型行灯カンバンがなかなか味わい深い。
 取材のあとは、新宮から大阪までほぼ鈍行(と快速)に乗りっぱなしでした。いちおう乗るのも取材で…。
(まさ)
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国鉄の匂い~新宮駅編

2014年05月25日
 紀勢本線の続き。
 紀伊長島、尾鷲と回って熊野市に泊まった翌朝、列車でさらに南下して10年ぶりの新宮。ここは5、6回来ており、最初は中学生のときだった。30年前か…。そのときは友人とともに18きっぷで紀勢本線を一周したのだが、新宮から天王寺行きの夜行鈍行列車に乗ったのだった。
 新宮駅は、そんな時代の雰囲気をいまだに残していて感涙でありました。 JR東海の主要駅では国鉄の香りがする駅などもはや壊滅状態だからなあ…。

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 主要駅の必須アイテム、タイル張り洗面台はまだ現役。夜行に乗る前、ここで歯を磨いたような記憶がうすぼんやりと残っています。

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 地下道くぐって改札に行くと、ふたむかし前っぽいデザインの歓迎カンバンがお出迎え。駅舎に直結した1番線ホームが広いのも、国鉄チックでいい。だいたいにおいて、今の改札はどこも(主にJR東海管内)狭すぎる。

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 駅舎も変わっていなかった。これで、過去に何回か購入した駅弁の「めはり寿司」「さんま寿司」が売ってればいうことはないが、残念ながら廃業?撤退?した模様。
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0049

2014年05月22日
 紀伊長島に続いては尾鷲。5年前に泊まったものの、その時は尾鷲から熊野市まで海岸沿いを辿るのが目的だったので市街地はあっさりスルーしており、ここもまともに歩くのは紀伊長島と同じく21年ぶりとなります。

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 この町のメインストリートは熊野古道である。

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 なかなかシブいのである。シブくはあるが、いまひとつ宿場町っぽさも港町っぽさも薄く、観光の核になるような老舗も見当たらず、上級マニア向けの感じ。紀伊半島屈指の漁港があるのに港町らしい雰囲気がないのはちょっと意外だった。深い入り江の最奥にある港湾施設や火力発電所がちょうど海に蓋をする形になっており、町と海が遮断されているからではないかと見たが、どうか(いいとか悪いとかの話ではないので念のため)。
 しかし、熊野古道と尾鷲駅を結ぶ「尾鷲一番街」という通りに入り込むと、ここが海辺の町であることを否が応でも思い出させる商店街フラッグがはためいていて、驚愕。

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 「津波は逃げるが勝ち!」「ここの海抜は4.7メートル」と注意喚起するフレーズがズラリ!これまでたくさんの商店街フラッグをチェックしてきましたが、ここまで強烈なインパクトを与えるものは見たことがない。地形的には三陸沿岸と同じなので、尾鷲の人にとっては他人事ではないでしょう。

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 あとオマケ。夜の熊野市駅で、上のフラッグの色を思わせる復刻カラーリングの気動車に遭遇。なんの記念での復刻なのか?それにしても、非電化区間の紀勢本線とこっちの女子高生によく馴染むね。
 この塗装、僕が小学校高学年のころ(昭和50年代後半)にはすでに東海地方にはなかったもの。僕が懐かしいと思うのはクリームの地に朱色の帯のヤツなんで、ついでにそいつも復刻してほしいものです。「間もなく到着」のオルゴール音とともに…。
(まさ)
三重雑 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンサインの研究0048

2014年05月21日
 先日、とある取材で久しぶりに東紀州(三重県南部)方面に行き、紀伊長島、尾鷲、熊野市あたりをウロチョロしてきました。多気より南へ行くのは5年ぶり。この春、高速道路が尾鷲南ICまでつながったので昔と比べたらずいぶん行きやすくなったもんだ…と言いたいところだけど、全行程、鈍行列車での移動なのであった。この時代になんと優雅な…。

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 行き違い、通過待ちの連続で、名古屋から紀伊長島まで4時間もかかった。おかげで本が読み進められました。
 紀伊長島では次の列車まで3時間近くあったので、紀伊長島の市街地を徘徊。5年前は国道を車で通っただけで、市街地を歩くのは自分の記録を調べてみるとなんと21年ぶり。

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 市街地は紀伊長島駅の周辺ではなく、駅から15~20分ほど歩きます。入り江に沿った狭い平地に住宅が密集し、港町らしく狭い道が入り組んだ素晴らしくそそる町。ぶらぶら歩いているだけでも面白いですが、町には地名マニアの心をくすぐるアイテムがあって、アガります。

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 それは、通りごとに掲示された町名表示板だ!モチーフは町のシンボル的存在であるマンボウ。手書きの古い表示板も残してあるのがいいですね。
 熊野灘沿岸では五指に入る規模の町なので、細かい区割りも「××町」になっているようです。現在の住所表記では「紀北町紀伊長島区長島」までなので、これらはいずれも通称。 地名を大事にしようという気概が感じられて、実にいいです。

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 時間があれば全部の町名をチェックし、地図に書き込んだりして遊ぶところですが(暗い?)、列車の時間があるのでまたいずれ…。

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 町中で、南知多町師崎から流れてきた箱を発見(このサイズは知多半島では「セイロ」というらしい)。大きい鮮魚商さんのものではないか。知多と紀州は海でつながっているのだなあと実感します。
 これで、なにか人的交流や歴史的なつなありでもあれば、毎月作っている知多半島のローカル媒体のネタになるんだけど。
(まさ)
三重雑 | Comments(0) | Trackback(0)

東海サファリパーク

2014年05月20日
 3歳児とさまよう公園シリーズ。
 先週末、未知の公園に行ってみたかったのでテキトーに車を走らせて、地図で見つけた東海市の中ノ池公園に行ってみました。名鉄河和線の高横須賀-南加木屋間の線路際の、昭和50年代半ばに造成されたと思われる住宅地の真ん中にあります。


大きな地図で見る

 ここは名前のとおり「中ノ池」という溜め池の周囲に整備された公園で、けっこう大きい池のまわりに遊具ゾーンや雑木林ゾーンがあり、一周歩くと20分くらいかかりそう。財政豊かな東海市は、公園のレベルがけっこう高い。ただ、早くに整備されたところが多いので、遊具や園内設備に一昔前の風情があるのも特徴(大池公園とか→●□)。ここも同様の中規模公園ですが、緑が多くて水が近いので、雰囲気はいいです。
 園内には、昭和末期の公園らしいブツがいくつかありました。

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 溜め池の入り江(?)にはナゾの魚が!昔は乗れたのか?乗れたとしてもどうやって前に進む?3歳児の頭にもクエスチョンマークが浮かんでいた。

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 「動物の広場」にはリアルな動物たちが一列に!大きさ、質感とも本物と見まごうばかりで、実にレベルの高い造形職人の仕事である。安易なデフォルメで子供に擦り寄らない業者の姿勢に好感が持てます…という話ではなく、キリンとゾウは跨ることができる高さではないし、何のために置いたんだ?

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 乗りたくても乗れないのでムリヤリくぐろうとする3歳児であった…。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ハザ小屋のブルース

2014年05月19日
 千葉の農村はいいかげん終わりにしまして、地元の農村風景など…。一週間ほど前、ちょっとした取材で豊根に行った帰りの夕方、四谷千枚田に寄ってみました。昨秋、ボウズと一緒に行って以来。

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 何人かカメラマンの方がおられ、皆さん夕日に水田が光り輝くタイミングを狙っておられたようですが、通りすがりのわたくしはテキトーにシャッター切ったのみです。シャッターチャンスを待てないせっかちな性格なので。カメラマンになろうと思わなくてよかった。
 ウチの3才児は何十段分かの棚田をダーッと駆け下りて、はるか下のほうに見える鯉のぼりのところまで行ってしまった。戻りの登り道「だっこしてー」「歩けないー」とほざきやがった。このドボウズめ!

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 で、叱り宥めすかしてなんとか歩かせたのだが…。
 写真の右に、ハザ(稲を干すための木組み)用の木の棒を収納しておく小さい小屋があった。表は杉皮、背は棚田の石積みという、実に味わい深い一品。ハザの棒の小屋は好きな農村アイテムなのだが、なんて呼ぶのだろうか?知っている人がいたら教えてください。
 そういえば20年ほど前にINAX出版から、全国の小屋の写真と考察を収録した「小屋」という本が出版され、非常に感銘を受けたことを思い出した。よくまあそんなもんで一冊にまとめたなあと。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

もと野村

2014年05月18日
 落語に「元犬」というのがあります。白犬が八幡様に願掛けしたら人間になったという噺。「もと野村」はそれをベースにした改作で、野村カントクがサッチーから逃がれたいと八幡様に願掛けしたら犬になり、自由を謳歌しているところイケヤマというチンピラにつかまってペット屋に売り飛ばされ、ペットショップでサッチーに見初められて結局飼われることになってしまうというストーリー。
 何の話かというと千葉ネタの続きで、前々回にアップした旧印旛村のタヌキのいる無名寺あたりから坂を下ってゆくと、広大な田園地帯に出ました。印旛村とともに印西市に合併された旧本埜村です。「もとのむら」です。
 ここがまた実に美しいところだった。

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 あまりに美しいもんで、千葉滞在の最終日に早起きして、もう一度行ってしまったくらい。

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 うーむ、美しさが僕の写真では伝わらないのが惜しいところ。これだけの農村景観なら「日本の美田風景百選」に選ばれていてもおかしくない(そんな百選はありません)。
 旧本埜村は大雑把にいうと、丘に近いところには民家が集まる普通の集落があり、印旛沼を干拓した平地には散居村状の集落があるという二層構造になっています。散居村といえば砺波平野(富山)や出雲平野(島根)が有名ですが、本埜はそれらほどの面積はないものの、なかなか見事です。関東ではもしかしたら知られた存在なのかもしれないけれど、本埜なんて今までぜんぜん名前を聞いたことがなかった。

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 本埜の散居村エリアで驚いたのが、水田の中に浮かぶ島のような墓地。これなんか畦道を通ってお参りに行くしかない。

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 こちらの墓には水田の中に「参道」が作られていました。三河でいえば蒲郡の竹島橋みたいなもんですね。その背後に見える島みたいな森も、水田の中に点々とあります。ジブリアニメのようにタヌキが住んでいそうだ。
 それにしても、沼に雑木林に水田と、印西市の農村は侮れない!稲穂が実る時期にまた来たいものです。
 なお、冒頭の「もと野村」という落語はわたくしのデッチあげです。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ボウズの成長

2014年05月16日
 先週、豊川市一宮町で乗馬体験が行われました。この地域には子どもたちが馬に乗る、流鏑馬神事という祭事があり、馬を飼っている人が比較的多いことから、この乗馬体験も恒例イベントになってます。近隣の子どもたち、おとうさん&おかあさんたちに混じって、家族全員で参加してきました。
 取材でお世話になっている馬主さんが「座ることができれば乗れるよ」と言っていたので連れてきたのだけど、果たしてチキンハートの3歳児が乗れるかどうか。怖いと言ったら、ハハと一緒に二人で乗ろうと思っていたら、この勇姿を見よ~!

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 そう、小さな騎手はうちのボウズです。泣くか喚くか顔をしかめるだろうなぁという親の期待を見事に裏切った。自分の番をずっと待っていたボウズは、名前を呼ばれると馬に駆け寄り、喜々として馬にまたがり、にっこにこの笑顔で馬場をぐるっと回り、爽快な笑顔で帰ってきた。
 こんな展開になるとは思いもしなかった私とダンナは、感動と驚きで慌ててしまい、カメラチャンスを逃してばかり。いや、もうびっくり。手綱から右手を放して手を振るし、戻ってきたときにはピースサインまで!
 後から私も乗ってみたが、サラブレッドだから高さは結構ある。しかも、歩くたびに揺れるし。大人でもちょっと怖いと思うのに、乗馬をめちゃくちゃ楽しんでいた。
 
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 慌ててシャッターを切ったため、ボウズの顔にピントが合わず…。 

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 カメラを向けると得意気にピースサイン。ピースサイン、いつ覚えたんだ?
 
 一年半前のボウズが1歳4ヶ月の時、「蓮の葉っぱに乗ろう」体験に取材で参加したときは大変だった。葉っぱが怖いのか、池に落とされそうで怖いのか、頑なに座ることを拒否し、担当のお兄さんたちを困らせていたっけ。結局、一度目は葉っぱに乗れず、二度目に三人がかりで座らせたものの、「助けて~」と無言のSOSを送るので、葉っぱに乗った時間は数秒。あのチキンハートぶりが懐かしい~。

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 体をのけぞらせて葉に乗るのを嫌がるボウズ。 

 3歳の誕生日を迎えてから、ボウズは急にたくましくなった気がする。「3歳になったら〇〇する」が口癖で、その約束も一つずつ果たしている。
 おっぱいも誕生日から一週間後には卒業することができた。しばらくは「なんで飲めないの~」と大粒の涙を流していたけど、「飲みたい」が、「さわりたい」「見たい」に代わり、飲むかわりにパイを枕代わりにして寝たり、パイを両手で掴んだまま寝たりと、自分なりに飲みたい欲求を抑えていた。あまりの可愛さに、「ちょっととだけなら飲んでもいいぞ」と言いそうになったけど、ぐっとこらえた。今でもパイに顔を近づけることはあるけれど、飲んじゃいけないと分かっているようで、飲むことはしない。大人になったなぁ。強くなったなぁ。
 ボウズが母乳を飲まなくなって約一ヶ月。ハハのパイは穴の空いた風船のようにしぼんでしまい、いろんな意味でさみしくて仕方ない。  
 
 おまけの写真。
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 誕生日はピザ屋さんで。かわいいお姉さんたちが歌を歌ってくれたので、ボウズは大喜び!
そのほか | Comments(0) | Trackback(0)

ババンバ印旛

2014年05月15日
 その旧印旛村の地形は二層構造になっており、中央部の高台を、印旛沼ほとりの低地の干拓地が取り囲んでいます。前回の写真は低地エリア。いっぽう高台エリアは、雑木林の中に小集落が散らばっており、北総線の印旛日本医大駅の周辺だけ宅地開発がなされて「十円禿」のようになっています。
 印旛を知るなら沼と低地だでは全貌を捉えきれないと思い、雑木林方面にも分け入ってみました。

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 ここがちょうど、新興住宅地と雑木林の境目。奥に見えるのは印旛日本医大駅前の高層マンション。

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 雑木林エリアに一歩入ると、この落差!とてもすぐ近くに新興住宅地がある雰囲気ではない。これが土地にゆとりのない東海地方の新興住宅地だと、旧来の町や集落と新興住宅地が入り混じって「ダラダラ感」が漂うものだが。
 この先には森閑とした神社や無住の寺なんかもあったりして、UFO駅舎(→●□) から1kmくらいしか離れていないのに、千とルイスの神隠しのような別世界に迷い込んだ感じで、楽しすぎる。特に寺はすごかった。

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 お堂の前に巨大な信楽焼のタヌキが!怖い、怖すぎる!しかし何故?

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 あと、境内(というか脇の草むら)には「印西大師第七十八番」のプレートが掲げられた弘法堂もあった。愛知県では、弘法さんはもうすこし大きい御堂に祀られているのが一般的(たぶん)なので、ちょっと驚き。
 その横にあるのは誰かのお墓と思ったら「南無大師遍照金剛」と刻まれており、これも弘法さんの何からしい。これも愛知県では見かけないものです。近くで同様の祠と石塔をもうひとつ見つけたので、千葉もしくは関東の典型かもしれない。今後、千葉を訪問するときの研究課題だ…って、千葉まで行ってなにをマニアックなことを。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0047

2014年05月14日
 北総線はかなりの区間が掘割で、車窓風景はイマイチです。乗っただけではあまり面白くないので、別の日に車で沿線の印西市あたりを徘徊してみました。各駅の周辺はまだ開発されきっていない新興住宅地がどばーっと広がっているのですが、駅から少し外れるとなかなかの田舎っぷりです。
 たとえばこちらは印旛日本医大駅から2、3kmのあたり、旧印旛村の吉高というところ。

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 おお、整然とした新興住宅地とは真逆の別世界。一瞬、海津か立田あたりか?と思ってしまうが、印旛です。このあたりは、印旛沼のほとりにどばーっと水田が広がっており、爽快このうえない。

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 その、東海地方の人間にはあまり馴染みのない印旛沼。「沼」ってんでもっとこう、どよーんとした雰囲気かと思っていたけれど、なんのなんの、なかなか爽快じゃないですか。碧南の油ヶ渕を少し大きくした感じと勝手に想像していたので、どうもスイマセン、おみそれしました。漁も盛んなようで、沼畔(?)には淡水魚を扱う店も点在しています。
 で、そんな旧印旛村のマスコットがこちら。

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 沼の帝王、ナマズだ!
 今どきの自治体キャラとは一線を画すリアルな造形、だけどちょっと微笑んでいるというコイツが、旧村内の街灯に取り付けられています。夜、道路沿いに点々と大ナマズが灯かりの中に浮かびあがっていたら、ちょっと怖いのではないか。あ、防犯対策か(そんなことはないか)。
(まさ)
千葉雑 | Comments(0) | Trackback(0)

5分間300円のあやまち

2014年05月12日
 まだGWの千葉ばなし。
 滞在中のヒマつぶしに3歳児対策&自分の趣味として、ちょっと足を伸ばして北総線に乗りに行ってみました。大雑把にいうと、浅草方面から「北総台地」と呼ばれる千葉県北部の新興住宅地へと通じる路線です。4年前に延長して成田空港に通じるようになりました。

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見慣れない電車に喜ぶ3歳児

 この鉄道。乗ってびっくり、アホほど運賃が高い!印旛日本医大前から印西牧の原まで、わずか1駅・5分くらいの距離がなんと300円!どう計算したらそんな額になるんだ!?これが一年後にはさらに値上がりするとかで、地元でもかなり問題になっている模様。

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 印旛日本医大前駅は、駅舎が宇宙船でした。こんな凝った駅舎を建てとる場合か。
 それにしても展望台がある駅舎なんて、斬新というかバブリーだなあと思ったら、登れなかった。なんじゃそら。そもそも尖塔部分は隣接するマンションよりも低いのである。

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 印西牧の原駅でも下りてみました。くるりの「トレイン・ロック・フェスティバル」という曲で「印西牧の原行きの急行、俺はいつでも趣味で乗っている」と唄われた駅として(なんちゅう歌詞だ)、一部音楽ファンに知られています。当時は北総線がこの駅までしか開業していなかったのだが、延長した今は普通列車しか止まりません。
 電車に乗るだけでは飽きるので、写真の奥に見える観覧車に乗ってみることに。BIGHOPというショッピングモールの中にあるもので、東海地方でいうと、潰れた本巣市の「リバーサイドモール」みたいなもんですね。

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 乗ってびっくり、なんだこの日本離れした風景は!層を成すマンション群、その向こうにはカナダの原生林を彷彿させる雑木林(オオゲサ)が延々広がっている。千葉県すごい。東海地方にはこういうスケール感が味わえる場所はありません。

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 少し離れると、このように住宅予定地が造成中であった。何年かけて埋まっていくのだろうか。
(まさ)
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タウンアーチの先へ0045

2014年05月10日
 その亀戸の香取神宮にはちょっとした門前町商店街が形成されており、入口と出口にいっぷう変わったタウンアーチが設置されていました。

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 香取神社は平将門の乱を平定した俵藤太秀郷が戦勝祈願し、討伐後に弓と矢を奉納したことから弓矢がシンボルとなっており、それをモチーフにしたらしい。シンプルすぎてアーチ本来の役割を果たしているのかよくわからないが…。
 ぼちぼち人通りもあってそれなりに賑わってるふうなのはさすが東京。しかし、風景にちょっと違和感が。

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 どうやら昭和レトロ風に店みせのファサードを改装したようです。うーむ、鉄道模型の町並みたいだなあ。個人的には正直、景観的評価は「微妙」ですが、よく商店街組織内で意思統一が図れたものです。こういう大胆さはさすが東京…とか?

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 このあと、近所の亀戸天神にも行ってみました。ちょうどフジが真っ盛りで、観光客に加えて近所の幼稚園児の団体で大混雑。東京のお子様方はスカイツリーには全く興味を示さず(見慣れているから当然か)、池の亀を見て盛り上がっておりました。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0272

2014年05月08日
 千葉滞在中は二日、取材と称して東京に出まして、香取市つながりのものに遭遇しました。

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 江東区深川の富岡八幡宮。2月に行ったばかりなのにまた参拝。江戸の神社はなんかいいねェ(何がいいのかと聞かれると困る)。この境内に伊能忠敬の像があった。

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 伊能忠敬は50代で隠居したのち深川に移り住み、測量法を学んで地図製作を始めたんだそうな。測量旅行の前には富岡八幡宮で安全祈願するのが通例だったという。いわば佐原と並ぶ地図マニアの聖地である。
 伊能忠敬といえば、井上ひさしが忠敬を主人公にした「四千万歩の男」という大長編小説を書いているのだが、講談社文庫で一冊500ページ超を第五巻まで引っ張った挙げ句に20年以上ほったらかして未完のまま作者死亡という、なんじゃそら!という話を思い出した。

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 同じく江東区で、亀戸にある香取神社にも参拝。いやー、江戸の神社はなんかいいねェ、ってせっかく東京に行ったのになんで神社ばかり行くのか。

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 境内には絶滅した特産品、亀戸大根のモニュメンと説明板が。裏面を見ると製造元が記されていた。

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 なんと文化財説明板や由緒板の専門業者が手掛けたものだった!さすが東京。
(まさ)
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下総トヨハシ

2014年05月07日
 香取神宮のあとは佐原市街を観光。ここは12年ぶりで、たしか利根川の舟運で栄えた古い町並みが残っていた記憶があるけれど、12年もたてば「渋くていい町だった」というキーワードしか頭に残っておらず、ほぼ初めてみたいなもんです。
 行ってみたら、やはり古い町並みが残っていました。

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 もう、見事というほかない。写真以外にも極渋物件が密集しており、町並マニアは一度は行く価値アリ。
 正面に見えるドーム屋根の赤レンガ建築は旧三菱銀行佐原支店。こういう洋風建築のある風景、どこかで見たなあと考えたら、前に「知多半島の昭和」(→●□●□)を作ったとき、半田の古写真で見たのだった。

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 半田もこの風景のまんまなら、佐原と並ぶ超A級観光地だったろうに。でも、古いものや景観にはあまり頓着しないのが知多半島人気質なので…。
 佐原は伊能忠敬の出身地としても知られ、伊能忠敬記念館にも12年ぶりに再訪。その記念館の前を流れる小野川に、驚くべき名前の橋が架かっていた。

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 その名も「とよはし」である!

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 しかし漢字で書くと「樋橋」なのであった。う~ん、惜しい。というかどうでもいい。
 そして、とよはしの下流に架かる忠敬橋のたもとには、例によってHINOMIが!

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 う~ん、惜しい、惜しすぎる!これがスタンダードな形状の火の見櫓ならば佐原もパーフェクトだったのだが…。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0271

2014年05月06日
 GWは初日から一週間、嫁の両親が転居した千葉に滞在しておりました。車で行ったのですが、心配していた渋滞には一度も引っ掛かることなく往復とも快適。時間帯さえ見極めればGWの東名も怖くないことが分かった。けど、トシだし6時間近く走るのはしんどいのう。
 で、千葉滞在中もいつもどおりちょこまか動き回っておりまして、30日には県北部の香取市(旧佐原市)にある香取神宮に行ってみました。

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 東海地方の人間にはまったく馴染みがありませんが、関東圏にはここを総本社とする「香取神社」がけっこうあるようです。この日は雨の平日だったせいか参拝客はまばらで、森閑な空間はたいへんよろしゅうござったです。

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 参道の土産物店街は小規模ながらもなかなかの味わい深さ。建物にも道幅の広さが、繁忙期に参拝者が多いことを物語っております。閑散としていたけどほとんどの店は開いており、その中でもっとも店構えのシブい「岩立本店」でわらび餅を食べたらうまかった。
 そんな参道の片隅で広域観光案内版を発見。

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 利根川のほとりにある香取(佐原)は古くから「水郷」と称された景勝地だったらしい。そういえばむかし、総武本線に「すいごう」という特急があったような覚えがあるが、どうなったのかしら。
 よく見るとこの案内図には見事なイラストが満載。「昭和の文化財」級逸品だった!

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 テキトーに描かれた観光客たち。母子連れはいるが父らしき人は見当たらない。

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 テキトーに描かれた釣り人たち。「母子は観光、父は釣り」ということか!?
(まさ)
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