恋のアーケード0002-0002/カンバンの手帖ブログ版0270

2014年04月30日
 旧刈谷街道をさらに進みまして、愛知製鋼と豊田紡織の「門前町」である東陽町まで来ると、いつの間にか名店街ビルのアーケードがなくなっていた。

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 うーむ、なんかハゲちゃった感じだなあ…。そしてビル1階部分に連なっていた店みせも完全撤去。どうしたことかと思ったら廃店舗のひとつに貼り紙があり、ビル自体を取り壊すため年度末までに退去したらしい。

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 いかにも高度成長期の建物のといった感じで、刈谷市街の景観には欠くことのできない存在だったんですが、まあ仕方がない。これがなくなると刈谷の「さっぱり化」計画もだいたい完了でしょうか。刈谷のここ15年は本当に凄まじいです。さすが金持ってますネ!

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 定礎石も初めてチェック。昭和35年の築で、ビルの種類は「耐火構造併存住宅」というらしい。ビルが防火壁となって住宅地へ延焼を防ぐというもの…だったかな?。蒲郡の本町(→●□)や三谷でも同じビルがあってどちらも商店街になってますが、刈谷同様なかなかどうも寂しい状態。

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 寛永通宝チックなこのカンバンはどうなるんだろうか。ぜひ、定礎石ともども刈谷市郷土資料館で保管してほしいところです。
 ちなみに、北側にもアーケードがあったころの記事はこちら→●□
(まさ)
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恋の銀座ロード

2014年04月29日
 尾三国境の「極渋二連橋」から県道246号を刈谷方面へ進むと、八幡町~寺横町を斜めに横断して、かつて刈谷最大の繁華街だった銀座本町に至ります。本来の終点は、知立と刈谷を結ぶ「刈谷街道」の旧道とぶつかるところで、刈谷町道路元標のある交差点。その界隈には20年ほど前までアーケード商店街があったのですが、今やかつての繁華街の面影はまるでありません。
 で、ついでに旧刈谷街道=旧銀座商店街も久しぶりに通ってみたら、狭くて味わいのあった道が拡幅工事の真っ最中で驚いた。

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 うーん、やられた!(何を?)左の壁の松秀寺と、隣接する秋葉神社はさすがにそのままですが、右に連なっていた商店群は一層されています。
 旧街道の拡幅工事は「新栄町北交差点」より西側で行われており、知立寄りの東側はとりあえず変化ナシ。

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 変化がないとはいえすでに商店街の体を成していないので、味わい的には微妙ですが…。ところで、新栄町北交差点を挟んで西と東では、ある点が異なっています。

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 西側の街灯。

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 東側の街灯。そう、街頭の電球の数が違うのである!たぶん、西は「銀座」、東は「銀座新町」と商店街組織が異なっていたことが理由と思われます。「銀座」のほうが栄えていたので、数で優位性をアピールしたかったのでしょう…か?
 う~ん、どうでもいい。

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 なお、街道沿いの新栄町6丁目にあった銭湯「刈谷浴場」の建物は、今のところ残ってます。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

おやおや親柱0002

2014年04月28日
 第1師崎街道踏切のあたりから刈谷市街に直行する県道246号が分岐していますが、大府・刈谷市境に架かる二つの橋がたいへん素晴らしい。マニアは一見の価値あり!

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 逢妻川の刈谷橋。

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 境川の境橋。いずれも昭和9年の架橋で、東浦の師崎街道の改修と同じタイミングです。詳しく調べてませんが、大浜街道(大高~大府~緒川~碧南)のバイパスという位置付けではないかと思います。
 境橋から西は石ヶ瀬川の堤防道路。沿道はどこか荒涼としており、何となく国境風情が漂ってて実にいい。なお、この二連橋の南に、森岡のR366バイパス「森岡工業団地西交差点」から伸びる新道の橋が建設中です。

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 親柱はともに同じ形状。ランプか白熱灯が入っていたのだろうか。真っ暗闇の国境の湿地に橋のあかりだけが浮かび上がったら、さぞ不気味…いや幻想的だっただろう。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0269

2014年04月27日
 もう一回、師崎街道。有松から東浦町藤江までgoogleマップで作ってみました→●□。ベースは昭和3年発行の5万分の1地形図「名古屋南部」、昭和4年・同「半田」です。
 蛇行、狭隘区間がダラダラ続いていた東浦町内は、国道366号に今も旧道がダラダラ並走しています。そんなに絵になるところがないので参考写真は割愛しますが、暇な方は一度くらいは辿ってみてもいいんではないでしょうか。
 大府と東浦の境界付近には、師崎街道だったことが一目瞭然のブツがあります。

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 武豊線の第1師崎街道踏切だ!旧国鉄の踏切はナイスな命名が多いことはたびたび書いてきましたが、ここなど武豊線の代表例です。「第2」は確か半田駅の先だったかな?いずれ武豊線全踏切名称をチェックしようと思います…と五年くらい前から考えているけど、不毛な気がして手をつけておりません。
 その師崎第1街道踏切にある注意カンバン。

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 かまぼこ型踏切というらしい。派手さはないがしみじみと味わい深い一品(しみじみ?)。
(まさ)
知多雑 | Comments(3) | Trackback(0)

道標パルピテーション

2014年04月26日
 師崎街道の続き(なんだパルピテーションって)。とりあえずGoogleマップに古布~師崎間のルートを引いてみました→●□。大正12年発行の5万分の1地形図「師崎」をベースにしています。一部、圃場整備によりトレースできていない区間あり。
 この地図のとおり、師崎街道の南部区間は三か所でで国道247号から大きく外れています。これといったアレはないので一般向きではないですが、一部マニアの皆さんなら歩いて楽しいんではないかと。
 たとえばこんな感じ。大井小学校の北あたりです。

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 うーん…。この写真の豊丘(山田)~大井間は峠越え道で、大正12年に海側に道が開かれるまでの「街道」でした。
 あとこんな感じ。「新師崎地区」の上です。

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 うーん。この師崎の手前の丘越え道「乙坂」は、昭和40年代に師崎漁港の大規模な埋立工事が行われるまでのルート。この工事は道が開かれただけでなく地形も大きく変え、師崎市街の東にあった「林崎」が消滅しています(→●□)。
 この区間の道路遺産としては、道標二つと道路元標があります。

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 地図上のひとつめのピンの標識と道標。日本の道路標識は全方向が一枚に収められているのが一般的なのに、これはどうしたわけか地名ごとにプレートが違う。外国の標識みたいだ。
 道標は、この写真ではわかりにくいですが「花ひろば」のカンバンの左にあります。矢梨青年会がのちの昭和天皇の立太子礼(大正5年)を記念して建立したもの。「師崎道」「豊浜道」の文字が刻まれています。

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 ふたつめのピンの道標。右は「河和半田」で、車道として開かれた道を示す。左は「山田新屋敷道/河和半田ちかみち」で、車道が開かれる以前のルートですが、圃場整備で消滅しています。他の面は「片名水門橋へ十八丁/師崎千賀橋へ三十五丁」「海岸渡船場へ五丁」。渡船場というのは、戦前まで大井にも日間賀島・篠島行きの船が発着していたことのなごり。

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 でもって終点の師崎町道路元標。埋もれてしまっているのを役場が掘り起こしてくれないものか、と前から思っているのですが…。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

おやおや親柱

2014年04月25日
 先日、知多半島の某ローカル媒体に「師崎街道」の原稿を書きまして、この機会に辿り直してみました。世間的には、漠然と「師崎へ向かう国道247号の通称」ぐらいにしか思われてないでしょうが、明治9年に国によって国道・県道・里道が定められた際、半島東岸の縦貫道路(通称東浦街道)に対して命名された「官名」です。
 今ではオフィシャルには使用されていませんが、どういうわけか昭文社の愛知県道路地図には国道247号筋にカッコ書きで記載があります。律儀ですネ!

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(師崎街道で海辺を走る数少ない区間のひとつ、美浜町豊丘・矢梨区)

 起点は名古屋有松郵便局角の交差点で、終点は師崎公民館の少し北に立つ師崎町道路元標。ルートは漠然と、県道243号旧道~県道253号~県道50号旧道~国道366号旧道~国道247号旧道になります。Googleマップに線を引いてここにアップしようと思ったのだけど、面倒になって途中でやめた。
 で、旧道筋以外に、なにかそれらしい遺物でもないかと思ってうろついてみたところ、かろうじて戦前製の橋の親柱&欄干を二つ発見。というか、存在は前から知っていたけどわざわざ撮るほどのもんでないとスルーしていたものです。

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 ひとつは武豊町冨貴の昭和6年製「笠松橋」。河和線旧四海波駅跡(→●□)の近くです。上に乗っかった老僧の禿げ頭のような球体、思わず撫でさすりたくなりますネ!((C)へうげもの)

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 もうひとつは半田市銀座本町の昭和9年製「思案橋」。改築工事中のミツカンの南です。半田の昔話を集めた本によると、この界隈は色街で遊びに来た男が行こか戻ろか思案した場所だった…とかなんとか。
 撮ってはみたもののどちらもあまりに地味すぎて、写真は掲載せず本文にも一切触れなかった次第。そもそも片側にしか残ってないし。

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 なお、思案橋付近の半田市街では、ミツカンの大改修工事以外にも撤去されている建物がちょこちょこあり、このあと数年で景観が急変するかもしれませんし、しないかもしれません(テキトー情報)。
(まさ)
知多雑 | Comments(6) | Trackback(0)

荷車のナンバープレート

2014年04月24日
 先週末、取材ではなくちょいと所用があり、2年ぶりに鳳来寺山へ。霧が晴れそうで晴れない、光が射しそうで射さないという何とももどかしい日でした。

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 うーむ、空気は清浄で心地いいけれど、眺めは微妙。写真を撮りに行ったわけではないので、まあこれはこれでいいかな、と。
 鳳来寺山パークウェイ駐車場はさすがに閑散としており、駐車場脇の売店もすべて閉まっていたのですが、店の片隅に貴重なブツが置かれているのを発見。

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 民俗資料館に収蔵されていてもおかしくないような、いわゆる「大八車」だ。まだ現役っぽいぞ。

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 側面には旧鳳来町が交付したナンバープレートが!さすが東三河の仙境、残っているもののレベルが違う。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0268

2014年04月23日
 のこぎり屋根工場と同じ媒体の取材で稲沢市内も回った途上、稲沢市役所のすぐ南にある小さな建物の波型トタン壁に、このような宣伝文句を発見。

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 皆様の農協理容室だ!低料金だ!いくらなんだ?

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 シブいねどうも。僕の地元の西濃でも碧海でも農協系は強いけど、直営床屋は見たことがない(あったら教えてください)。いつかウチの2歳児の髪をここで切ってもらいたいものです。
 僕が学生だったころ愛大豊橋校舎の駅前門の脇にこのような床屋さんがあったのを思い出した。まだあるのだろうか?
(まさ)
尾張雑 | Comments(4) | Trackback(0)

鋸&HINOMI

2014年04月22日
 話は寒い時期にさかのぼりますが1月下旬、木曽川沿川の某ローカル媒体の取材で、久しぶりに一宮(旧木曽川町)の玉ノ井あたりを徘徊してきてました。玉ノ井から奥町、起にかけては「のこぎり屋根の織物工場」の密集地帯で、その見物です。
 地元の研究グループが調査したところ、繊維の町として栄えた一宮にはのこぎり屋根の工場が3千以上残っており、市町村別ではおそらく日本一の数だとか。数も凄いけど、それを全部調査するのも凄い。
 2年前に尾西歴史民俗資料館で開催された企画展のパンフによると、この地域では大正初期ぐらいから建設され始めたという。減少しているとはいえまだ3千もあるのは、貴重なのかどうなのか…。でも、今後どんどん減ってゆくのは間違いなので、普通に存在する状況を押さえておくなら今がベストでしょう。

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 玉ノ井の「のこぎり屋根のある代表的な風景」はおそらくここ。木曽川玉井郵便局脇から北に続く小道。右に木造工場、左に銭湯、そして奥には例よってHINOMIが!マニアにはたまらない強力3点セットだ。

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 このすぐ東には、手前の建物が撤去されて更地になったおかげで側面からキレイに撮れるようになった工場もあります。鋸の歯の数も手ごろ(?)で、実に美しい。

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 玉ノ井駅のすぐ西側にもこんな細道が。シブい、シブすぎる!

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 ところで、のこぎり屋根工場の窓がいまひとつ美しく撮れないなあ、と前から思っていたのだが、同行してもらった研究者の解説でその理由がわかった。ほぼすべての工場の窓は北を向いているため、逆光状態でしか撮れないのである。これは、変化の少ない光を工場内に入れて布の色などを見るためと、直射日光による製品の色焼けを防ぐため、とのこと。
(まさ)
尾張雑 | Comments(2) | Trackback(0)

武豊線、山車、2歳児

2014年04月21日
 すでに一週間たってしまいましたが、先週の日曜は2歳児と二人で武豊町の「長尾部祭礼」へ。長尾は武豊町北部(旧武豊町)の北の地区名で、武雄神社の例大祭になります。5年ぶりですが(前回→●□)、前回は6台のうち2台の山車の巡行をちょこっと見ただけなので、ほぼ初めてのようなもの。

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 宮脇俊三が名著「時刻表2万キロ」でたった2行しか触れなかったほど(→●□)の地味な車窓風景を2歳児も存分に堪能して、やって来ました武豊駅。駅前には半田の「国盛」の菰樽がピラミッド状に積まれておりました。

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 歩いて2分の武雄神社は大混雑。こんな状況なので、2歳児が迷子にならないようホールドしながらまともな撮影はできません。
 だいたいよそから見物に来た幼児が動いていない山車に興味を示すわけがない。スーパーボールすくいをさせろだの(4個しか取れず)、キュウリの1本漬けを食わせろだの(一口でもういらないと言いやがった)、最後はすぐそばの武豊小学校で1時間も遊び、祭りどころではありません。
 それでもなんとか、いくつかの彫刻をチェック。

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「お前なんかに恵んでやる金は1円もない!」「ギャフン」

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「もう食べ物は底をついているんですよ」「しょうがないじゃん…」
 他にも十二支とか雅楽の演奏風景とか、逸品ばかりでありました。

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 オマケ。神社付近の踏切で線路を挟んで群衆と対峙する2歳児。遮断機があがると、不良マンガのように1対100の決闘が繰り広げられるのである。
(まさ)
知多雑 | Comments(3) | Trackback(0)

SHO-BU、OL、2歳児

2014年04月18日
 2歳児とさまよう公園シリーズ。というか、賀茂神社の葵祭の待ち時間に、神社の入口にある「賀茂しょうぶ園」で本人のリクエストにこたえて好きなように遊ばせてみました。

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 シーズン中は混雑する(と言っても一度もシーズン中に来たことがないのでよく知らないが)園内もこの時期はさすがに閑散としており、2歳児は馬のようにひたすら駆け回っていました。

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 しょうぶ園の上には東屋やベンチが設けられ、シーズン中は混雑する…と思います。
 それにしてもこのコンクリート製のベンチ、なかなか味わい深い。座ったときのザラツキ感がたまらないですね!そしてデザインは、病院のレントゲン室の「放射能標識」のようだ。

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 園内にはオリエンテーリングのポストもあった(「コントロール」という名称らしい)。ううむ、懐かしいぞ。中学生のとき、厳寒期に「関ヶ原青少年自然の家」でやったことを思い出します。
 マイナーな観光スポットに行くとたまに見かけるけど、今、やる人なんかいるのだろうか。2歳児がもうちょっと大きくなったらやってみたいものですが、そもそもエリアも起点もわからない。

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 ポストの下部にはこんな注意書きが!もみほぐして、吹き散らす!?それ以前に、タバコ吸いながらオリエンテーリングやるかね普通?
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

馬場に立つ2歳児

2014年04月17日
 小坂井の風祭に続いて、午後遅くには豊橋北部の賀茂町にある賀茂神社の葵祭へ。地元以外ではあまり知られていない神社と思いますが、「賀茂しょうぶ園」のところにある神社といえば東三河人以外でもわかるでしょうか。わからんか。豊川ICから東へ3キロほどのところです。
 ここの見ものは、境内の約100mの直線コースで行われる競馬。「けいば」ではなく「きそいうま」で、少年を騎手に1頭で走ります。出走馬の6頭が、各3往復ぐらいします(仕事の取材じゃないのでうろ覚え)。

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 迫力のレース…じゃない馬の疾走に興奮する2歳児と女性取材記者(今回はいちおう嫁の取材)。観戦する姿は笠松競馬場でのそれと変わりありませんが…。
 走りながら縁起物(?)の五色の帯を垂らすので、なかなか派手でかっこいい。その間、少年騎手は片手で馬を操っている。

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 乗り慣れた子になると、なんと両手離し!すごい技だ。

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 祭りが終わったあと、女性記者がいちおう取材なので神社から担当地区へ帰る馬(賀茂町内の6地区がそれぞれ1頭を受け持ち、騎手を出す)を追いかけてみました。平成とは思えない味わい深い光景。息子よ、ごらん、これが東三河だ!と思ったら、2歳児は祭礼終了と同時に爆睡なのであった。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

風に立つ2歳児

2014年04月16日
 土曜日は家族で豊橋近郊の祭礼をハシゴ。
 まずは昼ごろ、小坂井・菟足神社の風祭へ。10年前に夜の花火を少し見た程度で、日中に行くのは初めて。手筒花火がボカボカ炸裂し、2歳児は心底怯え玉垣の影にずっと隠れていました。そこを見ないで東三河の祭りを見たことにはならんぞ!と幼児に突っ込んでもしょうがないんで、とりあえず山車の太鼓を堪能させた次第。

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 その山車がなかなかの代物で驚いた。尾張方面の山車だとついつい見惚れる華美な装飾が特徴ですが、小坂井はそうしたものを一切排し、全体を巨大な幕で覆ったシンプルなスタイル。境内から旧東海道を進む様は、まるで重戦車の進軍のようである。

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 鳥居の前でぼんやりしていたらあわや巨大な車輪に踏み潰されそうになり、2歳児をホールドしつつ尻込みしながらあわてシャッターを切りました。まるで戦場カメラマンである。

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 祭礼の日に境内で売り出される縁起物の風車を2歳児に買い与えご機嫌をうかがうも、手筒花火から逃げる間に、ものの10分で壊しやがった。

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 2歳児としては、山車よりも電車のほうが気になるのであった。左は、飯田線の踏切をどのタイミングで山車を通そうか協議するJR東海の皆さん。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

麦の大地0008

2014年04月14日
 碧海台地の麦畑の緑が美しい季節になってきました。先週末、2歳児とともに豊田市若林方面へフラフラしに行った際、麦畑の中を疾走する三河線を撮ってみた。

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 三河知立-三河八橋間、衣浦豊田道路のやや東にて撮影。背後は八橋町の住宅地、奥を横切るのは伊勢湾岸道。こうしてみると、地味な三河線の沿線風景もそれなりに爽快です。
 ところで、ひと月ほど前に配布された「広報ちりゅう」綴じ込みの「まちづくりだより」によると、三河知立駅が現在地より900mほど豊田市寄り(衣浦豊田道路のちょい西あたり)に移設する計画が進んでいるらしい。計画の理由は
・高架化工事に伴うコスト縮減(高架区間に駅を建設するより安上がりということか?)
・現駅が知立駅から至近なので、利用地域をより広げるため
だそうな。

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 新駅の予定地はこのあたり。竜北中学校の真南に、中学校の敷地を削って駅および駅前広場を造る計画らしい。
 三河知立駅の存在意義があんまりないので、移転はマニア的には惜しいけど市民としては賛成。しかし駅名はどうなるのか?三河知立のまんまってことはないだろうし、所在地の大字「山町」や小字「茶碓山」が採用されることも考えづらい。
 中学校名の「竜北」もちょっとなんだかなあ。そもそも竜北中の校名の由来はなんなんだ。知立市の北部にできた新設校だから「立北」とすべきこところを、それじゃ字面が悪いので竜に変えたのだろうか?駅名にするとわかりづらすぎる。
 そうなると「東知立」あたりか…。そもそも三河知立駅は、昭和34年に知立駅が現在地にできるまでの「旧」知立駅で、名鉄本線と三河線が接続するターミナルでした。移転後に分離し、三河線の駅は「三河知立」に、本線の駅は「東知立」になったものの、東知立駅は9年後に廃止。つまり「東知立」だと別路線の廃止駅名の復活になるわけで、ああややこしい。
 まあ、「竜北中学校前駅」がむかしの田舎鉄道の駅名っぽくていいかな。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

職人技 on the 壁0004

2014年04月12日
 昨日の続き。
 カメラマンAさんが向市場駅を発車する電車を水窪川の対岸から撮るというので、国道152号水窪橋交差点のちょい南で待ち構えていたところ、道路際に見事な鏝絵(こてえ)が施された庚申堂を発見。
 鏝絵というのは漆喰で作ったレリーフのことで、田舎の土蔵なんかによく見られます。三河では足助にあたりに多い印象。

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 数えきれないほど通ってきた道なのでお堂の存在は知っていましたが、市街地手前のこんな場所で立ち止まることはまずないので、じっくり眺めたこともなかった。正面と左右に計5枚の絵が掲げられており、褪色しているもののなかなか味わい深い作品です。

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 なかなか味わい深い。

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 ううむ、風雅である。
 案内板によると、大正~昭和中期の地元の左官職人、平出宇蔵なる人物の作品。晩年は「遠水堂喜楽逸民」という雅号を名乗っていたそうな。上の写真の左隅に銘が入っています。また、お堂の屋根の下に昭和27年の年号が入った「屋根改築寄附者芳名」が掲示され、鏝盛師として雅号とともに「八十六歳にて手入れす」と記されています。結局いつの作品かよくわからないが…。
 そして、東京駅副駅長室にも左官仲間と合作した作品が展示されていたらしい。「永い間の汚れで内装工事が施され現在は壁の中です」ってどういうこったい。そもそもなぜ東京駅に?だいたいこの人、何年生まれなんだ?疑問が疑問を呼ぶ案内板でもやもやしますが、調べている時間はないのでまたいずれ…。

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 オマケ。庚申堂のあたりから眺める飯田線と水窪本町。

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 もうひとつオマケ。向市場駅近くのHINOMI(→●□)。佐久間、水窪の火の見櫓はまだ大丈夫のようです。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0267

2014年04月11日
 北遠の取材先は水窪にある雑穀料理の店「つぶ食 いしもと」で(→●□)、取材後、カメラマンAさんが周辺写真を撮るべく周辺をウロウロ。水窪駅の「駅前通り」の桜並木が咲いているところを、初めて拝むことができました。

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 国道152号に通じる橋を渡って50mほどは道の両側に木があり、坂の傾斜がきつくなると川沿いの一列だけになるという、変則桜並木。水窪駅は昭和30年の開業で、詳しく調べてないけれどそのとき植樹したんじゃないかと思います(もっと後かも)。
 この並木の中にかつて街灯だったポールがあり、そこに掲げられていた商店のカンバン。

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 婦人洋品・寝装品店の「ゆとり」という店のものです。昭和50年ごろのブツと見ましたが「ゆとり」という言葉がそのころから使われていたことの証明…かな?
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

桜吹雪にハラハラすがり

2014年04月10日
 昨日、カメラマンAさんの運転で北遠方面に取材に行く途中、東栄町下田にある旧東部小学校に寄ってもらったところ、にわかに雪が降ってきて驚いた。

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 さすが奥三河、寒すぎるぞ!というわけはなく、桜吹雪なのでした。

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 広い校庭の縁に桜の巨木がたくさんあり、ふわっと風が吹くとものすごい量の桜の花びらが舞い、それはもう見事。これで校庭に小学生が走りまわってりゃいうことないが、4年前に廃校になっているのである。

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 御影石の閉校記念碑にも桜の花びらが貼りついておりました。これで金次郎が桜の花びらまみれになってりゃいうことないが、そうそう都合よくはいかないのである。
 この学校へは、最後の年に春夏秋冬叢書の「そう」の取材で行っております。(→●□)、現役を知らない廃校ならばただのマニア視点で楽しめるけど、人がいる風景を見ている学校が廃校になった姿を見るのはなかなか悲しいものがある。奥三河はそんなところばっかりだが…。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

片面ホーム無人駅桜

2014年04月06日
 少しは春を味わわねばってんで、先日2歳児とともに武豊線尾張森岡駅の桜を見物してきました。2年前、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」用に飯田線の全駅前桜・駅構内桜を撮影して回りましたが(→●□●□●□)、武豊線では尾張森岡、亀崎、乙川で見られます。ぜんぜん撮ってませんが。

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 シブい、シブすぎる!
 いささか貧弱ではありますが、ホームから生えている感じがしてなかなかいいです。味気ないフェンスが使われているのが惜しい。ここは廃枕木で柵を作ってほしかったけど、JR東海じゃ無理か(ていうかどこの鉄道会社でも無理か)。

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 ひび割れたホームを闊歩しつつ、シブい桜や地味な春の田園風景を2歳児も満喫しておられます。相変わらず無人駅の似合う子である。

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 でもってホームの先端まで行くと、線路でJRの方々が架線工事を行っていた。去年までにほぼ全区間でポールが建てられ、いつの間にか架線も張られているけれど、電化は来年の春らしい。長くかかるもんだね。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

揖斐川BADBOYS

2014年04月04日
 すでに桜もハラハラ散っておりますが、今年はなんだか頭が開花に追いついていないというか、まだ冬から抜けていない感覚で今ひとつ楽しめていません。気持ちはまだ2月下旬あたりにある感じだ。
 とりあえず、ウチの実家近くの桜でも…。揖斐川町市場の市場橋から眺める粕川河畔の桜。

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 僕が子供のころはこんな桜はなく、バブル末期ごろに河川敷をレクリエーションゾーンに改修した際、植樹されたんだったと思います。20年ばかりでけっこう育つものなのだなあ。
 むかし、母校の小島小学校の校区で桜の見どころというと、上野の旦鳥公園か、この上流にあった「日東あられ」工場敷地内の桜でした。

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 写真を撮って振り返ると、橋桁には何を主張したいのかよくわからない落書きが!わが地元の程度が知れる。
(まさ)

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(2014.04.06追記)
 上の写真じゃちょっと地味すぎるんで、上流側の実家近くから撮り直してみました。奥のほうで粕川を横切るのが市場橋。彼方の山は金華山。

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岐阜中部・西濃雑 | Comments(4) | Trackback(0)
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