ソフトクリーム屋さん

2013年11月29日
 ソフトクリームは陽太郎の大好物。いつだったか、同じ年頃のお友達と一緒に食べてから、あの形と味が大好きになってしまった。コンビニやスーパー、サービスエリアなど、町の至るところにソフトクリーム看板があるので、「ソフトクリーム食べたい!」とうるさい。毎日は食べさせられないけど、たまのご褒美に買うと大喜び。好きなものは上手に食べる。
 
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 一心不乱に食べる陽太郎。

 旭の婆ちゃんが作ったお茶屋さんの模型。婆ちゃんは器用な人で、細々としたものを作るのが趣味だった。陽太郎はずっと目を付けていたみたいで、引っ越しの際に「これが欲しい」とねだる。そんなわけで、今は知立の家に飾ってあるというか、陽太郎の遊び道具に。
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 欲しかったものが手に入り、大喜びの陽太郎。

 
 陽太郎はソフトクリーム屋さんごっこをして遊んでおります。
陽 「何の味がいいですか?」
ハハ「バニラください」
陽 「う~う(ソフトクリームをくるくる回す真似をする)、はいどうぞ」
ハハ「いくらですか」
陽 「50円!」お金を渡すと「ガチャン」といってレジを閉める真似をする。
ハハ「スプーンください」
陽 「こぼさないでね」と注意してくれる。

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 ソフトクリームを食べる真似をする陽太郎。

 今、気が付いたけど抹茶ソフトと幟にあるのに、看板はバニラソフト。あれ?
以上、親バカブログでした。
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OMIYAGEセンセーション

2013年11月29日
 前回の最後に大阪万博みやげを載せましたが、嫁方のじいさんの遺品にはおみやげの類もけっこうあって、北海道みやげの木彫りの熊の置物なんかは、重いし邪魔だしどうしようもないので、捨ててしまいました。ウチの実家にも同じようなものがあり、昭和40年代に北海道へ行った人は必ず買ったんでしょうなあ。
 同じく北海道みやげらしいコレは2歳児も気に入り、ちょっとかわいいのでもらってきた。

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 アイヌ…か?今、こういう木彫り系のみやげって売れるんだろうか。木彫りの熊もあと50年くらいたったら貴重になるかもしれません。
 そういえば自分がもらったおみやげでは、僕の方のじいさんが沖縄旅行で買ってきてくれたものが印象深かった。

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 戦跡で買ったものか、小銃の弾を10個ほどくっつけて作られた置物。真ん中の大きい弾は上部分が取り外せるようになっており、筒の中に秘密文書、ヘソクリ、むかしもらったラブレター等を入れることができます。
 爺さんはシベリア抑留から生還した人で、何か思うところがあって買ってきたのだと思うが、子供心に「コレもらってもなあ…」と戸惑ったものです。しかし我ながらよくとっておいたね。 
 いっぽう自分が選んだおみやげでよく覚えているのは、小学校の修学旅行のとき法隆寺門前で購入した「太子餅」。つぶ餡を求肥でくるみ、皮に「太子」の焼き印が押されただけという極めてありがちなもの(手抜きともいう)なのだが、何が自分の心にヒットしたのか、翌年修学旅行に行った妹に「同じものを買ってきてくれ」と頼んだのであった。うまかった記憶があるけど、たぶん今食べたら「チョー普通」と思うだろう。

 おみやげに関しては、鈴木勇一郎著「おみやげと鉄道」(講談社)という本が面白いので、興味のある方はご一読を。おみやげの歴史、その発展と変遷について詳細に書かれた初めての本と思います。本書によると、日本のようなおみやげの発展の仕方は世界的にも稀有だそうです。あとおみやげの発展には軍隊や戦争も一役買ったそうな。へえ~。
(まさ)
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マニア商会変奇郎

2013年11月27日
 嫁の実家の引っ越しにあたり一か月くらいかけて家中をひっくり返して整理していたら、珍品がわんさか出てきて楽しかった。特に、5年前に亡くなった爺さんの遺品のレベルの高さには驚愕。といってもマニア的観点からのレベルですが。その中から一部をご紹介します。

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※クリックで拡大します

 こちらは戦時中の「臨時資金調整法」に基づき戦争遂行資金を集めるため発行された宝くじ。じいさんの母が購入したものらしい。一番上の日本勧業銀行が発行した「勝札」なんて昭和20年7月に発行されているが、終戦間際だというのに日本は何をやってんのか…。
 ほかにも「戦時貯蓄債権」なるもののありました。

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 こちらは、富山県による北陸新幹線の着工促進をPRするパンフレット(じいさんは富山出身)。このカラーリングの0系が走っているところを見たかった!中面に上越新幹線が載っているので、昭和50年代終盤の発行と思われます。

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 熱狂的な中日ファンだったじいさんらしく、創刊号を含む昭和58年の「月刊ドラゴンズ」もあった。平野、ナウい、ナウすぎる!あと牛島、なんでトランペット持ってんだ?
 本誌では創刊号から「竜太の町」というマンガが連載されています。犬山の中日新聞専売所の中学生が、新聞少年をしながら成瀬家家老筋の爺さんが主宰する草野球チーム「犬山ドラゴンズ」で活躍するという物語。実にこう、味わい深い作品なので、「ほのぼのくん(ちびっこ紳士)」「焼け跡の元気くん」と並ぶ中日の三大マンガに認定!ぜひ復刻してほしいです。
 特にすごいのが、12球団のファンチームを集めた大会の回。河内タイガースについて「ところがどっこい、根性がないんだよやつら(=阪神ファン)は。精神がマイナーなのよ」「大阪はヤクザの産地だもの!」、調布ジャイアンツのエース江原に向かって「だけど耳まで江川そっくりていうの気に入らないわね」「それにあの唇をペロペロなめるとこ原辰徳そっくりだぜ」、広島のチーム名は「広島アトミック」と、危険なフキダシの連発。こりゃ復刻は無理だ。

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 大阪万博みやげ。あまりに味わい深いので、トイレに飾りました。
(まさ)

(2013.11.27追記)
6月号の表紙はナウイ平野じゃなくて、都でした。ナウイ平野はピンナップになってた…。
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尾張旭とわたくし

2013年11月26日
 そんなわけで義父母と祖母が引っ越してしまいました。嫁と出会い、尾張旭の家に出入りするようになって約10年。自分の家ではないがさすがに寂しい。
 結婚するまで、尾張旭に興味を覚えたことはただの一度もありませんでした。「愛知県でいちばんそそらない市」だったといっても過言ではない。あ、日進市もそそらんわ。これといった名所も売りもない典型的なベッドタウンに面白味なんぞありましょうか、てなもんで、実際嫁と出会う前に尾張旭市の土を踏んだことは1回しかなかったと思います。瀬戸線で通過したことは何回かあったが。
 縁あって尾張旭が準地元的な存在になり、頻繁に行くようになったら、それなりに面白さを見出せました。やはりこの町は、いかにもベッドタウンなたたずまいを味わうのが一番。なにしろわたくし「ザ・新興住宅地」的な土地に住んだことが一度もなく、そういう場所に身を置くのはけっこう新鮮でした。

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 家があったのは市北部の丘陵地の「旭ヶ丘」。大統領がいたんですな(古い)。詳しく調べていないのでわからないけど、おそらく昭和40年代後半くらいからガンガン開発されたエリアだと思います。特徴は、とにかく坂が多いこと。坂マニアにはたまらない…というほどワイルドな坂はないけれど、適度な起伏は散歩が楽しいです。
 自然が意外と残っているのもポイントが高い。最近の分譲地みたいに計画的に緑地を作ったとかではなく、地形等の関係で里山を開発しつくすことができず、なんとなく緑が残っちゃった、というような感じ。開発時期が中途半端なせいか道がけっこう狭いうえ、迷路みたいに入り組んでいるのも面白い。
 建物は、新旧住宅の見本市みたいな感じで、住宅マニアにも興味深いのではないかと思います。とにかくいろんなタイプの、その時々の流行の家が和洋混在している。ここ10年の間にも周りに10軒近くの家が建ち、かと思えば目と鼻の先に廃墟があったりして、オケラだってアメンボだって新興住宅地だって生きているんだ!友達なんだ!何を言ってるんだ。

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 近所にはシンボリックなクスノキもそびえており、家からもよく見えました。瀬戸街道と定光寺を結ぶ「御成街道」ぞいです。見事な巨木なのに、地元民から崇められている感じはあまりしなかった。土地への愛着が希薄な新興住宅地ゆえでしょうか。真下がゴミ出し場所になってるし。
 そんなこんなでさらば尾張旭!墓があるのでまた来るけど。
(まさ)
尾張雑 | Comments(2) | Trackback(0)

実家の引っ越し

2013年11月24日
 先週の木曜、実家の父母、婆ちゃんが弟家族のいる関東圏へ引っ越しました。私が高校2年の秋に市内のマンションから引っ越してきたので、実際に住んだのは大学卒業までの5年余り。住んだ期間は短いけれど、愛犬ジョイフルと過ごした日々、友達を呼んでのクリスマスパーティー、盆や正月には親戚やイトコたちが集まり、婆ちゃん特製のにしめや黒豆、母手製の豚の角煮やケーキを食べたことなど、たくさんの思い出が詰まっています。

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 引っ越しのトラックを見て、興奮する陽太郎。
 
 引っ越し直前まで荷物の梱包や整理に追われ、本当に引っ越しするんだろうかと心配だったけど、サクサクと荷物を運んでいくプロの兄さんたちに急かされながら、無事に終了。家具や荷物をすべて出したら、なんて広い家だったのかとしみじみ思った。子どもっていっても高校生だったが、家を建てるにのどれくらいの費用がかかるもんなのか考えたこともなかった。今さらですが、お父さんお母さん爺ちゃん婆ちゃんありがとう!
 家具や荷物がなくなり、がらんとした部屋を見ると淋しくなってきて、ちょっとでも気を緩めると涙が出そうになる。そんなハハの気持ちを察してか、陽太郎が広々とした部屋を元気よく走り回ってくれた。

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 ぐるぐる走り回ったり、スリッパを飛ばして遊ぶ陽太郎。いとこのお姉ちゃんが大好き。

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 引っ越し前夜、疲れ果てた陽太郎は父母のベッドでお昼寝。いつもは和室で寝るんだけど荷物があふれて布団が敷けないから、このベッドで寝る。陽太郎に聞くと、ずっとこのベッドで寝てみたかったらしく、「陽太郎、うれしい!」と言って、すとんと眠りに落ちていった。
 
 この家での最後の夜は寿司を食べる。照れくさいのもあって、父母たちとこの家で過ごしたあれやこれやを語ることはなかったけど、そういう話は父母も苦手なはずだから、まぁいいや。
 ご飯を食べている間、早めに食事を終えた(というか、ほとんど食べなかったが)陽太郎は、父母に買ってもらった山手線と新幹線に夢中。ボタンを押すと「発車します~」「新橋~、新橋~」などの音声が鳴り響き、うるさいったらありゃしない。でも、しんみりしなくて良かったかな。
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 少しだけこの家の思い出を語ると、一番の特徴は2階のリビングの斜めにカットされた天井だった。ダンナいわくダンスホールのように天井が高いと思ったとか。照明はダウンライトとスポットライトが付いていて、ソファーに座ってブランデーなんかを飲むのにぴったり。でも、父母は酒がほとんど飲めないから、一度もそんなことはしていなかったはず。この照明の厄介なところは、明るさが微調整できること。「もっと暗く、もう少し明るく」と父のリクエストにイライラすることが多々あった。 
 もう一つは坂道が多かったこと。家に行くには坂を上って下らないと行けず、無謀にもマニュアルで免許をとった私はこの坂道に悪戦苦闘。半クラッチのコツがなかなかつかめず、ズズズッと下がってしまったり、エンストしそうになったり。この坂道のおかげで今では勾配のきつい坂道が怖くなくなり、バックで上がっていけるようになった。
 
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約20年父母たちが住んだ家には、間取りを見ただけで気に入ってくださった方が住んでくれる。ありがたいことです。これからは今までのように夕ご飯を食べにいったり(食べさせてもらったり)、頻繁に泊まりにいったりはできないけれど、旅行がてら顔を見に行こうと思う。
 しばらくは尾張旭に行くと、ついつい実家に寄ってしまいそうだなぁ。 
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小町屋うな

2013年11月23日
 HINOMIを撮ったあと駒ヶ根の町のほうへ下りてきて、たまたま市街地南端に位置する飯田線の小町屋駅前を通りかかったら、駅前広場が出現していて驚いた。

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 片面ホームのしょぼい無人駅だったのに、えらい出世をしたもんだ。何年か前に界隈で大規模な区画整理が完成したので、それに伴っての整備でしょう。
 以前はどんな感じだったかしらと思って写真ファイルを見返しておどろいた。

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 なんと、以前はホームが西側にあったのか!小町屋駅を撮ったのはこのとき一回きりで非常に印象が薄く、ほとんど覚えていない。

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(2007.02.22撮影)

 駅の西には古びた駐輪場もあったのだが、これがどうなっていたかは見落とした。またチェックに行こうと思い…ませんねさすがに。
 この写真をよく見ると、踏切が通行止めになって線路の向こう側は工事中ではないか。もう少しよく観察しておけばよかった。駅全体の写真も、どうしたことかタテ位置しか撮っていないし。なぜかというとこの写真は、春夏秋冬叢書がこの年の初夏に出したムック「そう別冊 飯田線」の取材で撮りに行ったもので、駅写真をタテ位置で並べるのでそう撮影するよう指示があったから。
 そうであってもたいていはタテもヨコも押さえるのが常なのに、この駅ばかりは面白みがなさすぎてそんなにシャッターを切る気にならなかったものと思われます。痛恨の極み。今後は初心に帰り記録性を第一義として撮影に取り組む所存です・・・というほどたいした話でもないですが。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

RINGO&ALPS&HINOMI

2013年11月22日
 週のアタマにとある取材で駒ヶ根へ。伊那谷は今年、三回目です。去年は月イチペースで行っていたのに…。やはり折々に、せめて2か月に一回は名古屋都市圏を抜け出して伊那谷に行かないと気持ちが引き締まりませんな、てなことを言ってると、今年は東北に二回も自腹で行ってるじゃないかと嫁に怒られそうだが。
 駒ヶ根インターを下り、市の西部を縦貫する広域農道を南下して目的地に向かう途上、駒ヶ岳側の田んぼの中に例によってHINOMIが!

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 駒ヶ岳は雪で見えませんが、なかなかのロケーション。中央アルプスから吹き下ろす冷たい風にさらされながらも凛として立つHINOMIに心打たれるのである。風に立つライオンの如しなのである。何を言ってるんだ。

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 この火の見櫓の脇にはリンゴ畑があったので、リンゴの木の隙間からも撮ってみました。柿と火の見櫓のセットはよくあるけど、リンゴと火の見櫓のセットは珍しい(たぶん)。信州らしいですね。なお場所はというと、駒ヶ根市は大字の範囲が広大でかつ集落が散居村状なのでピンポイントでどこと言いづらいですが、Mapionでいうと「塩田」というバス停の近くです。
 やはり折々に火の見櫓を撮らないと気持ちが引き締まりませんな。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(2) | Trackback(0)

豆の大地0003

2013年11月17日
 昨日の午前中は2歳児と二人で近所の公園へ。けっこう遊んだあと家へと帰る道すがら、このあたりの住民にはお馴染みの声が空から降ってきました。

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 セスナ機の「おおぶし、きょうわえきまえ、ほうせきの、はっしん」号です。ブロロロとプロペラ音を響かせて知立・刈谷・安城上空を旋回し、それに見とれる2歳児。実にこう、碧海的な風景である。
 でもって、遊びまくったので午後はストンと寝てくれて仕事ができるかな、と思いきや、ハハと添い寝しつつも落ちそうでなかなか落ちてくれない。しかたないので車に乗せて寝かせようと、知立市内をテキトーに徘徊しつつ、ついでに碧海的な秋景観を堪能してきました。

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 大豆畑です。場所は知立市南部の八ツ田町、正文館書店の東あたりから三河安城駅方面を見ています。
 大豆っつーのはもう少し時期が早いと葉がキレイなのだが(→●□)、この時期は枯れ具合がもうツウ好みの進行具合というか、なかなか写真など撮ろうという気にならない。でも、やっとこさ2歳児が寝てしまったことだし、ちょっと渋好みの風景を味わってみました。まあ、味わっただけで特に書くことはない。
 以上、碧海的な風景二題でした。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

大井が大混雑

2013年11月16日
 12日(火)の夜、南知多町大井にある宝乗院の「金毘羅祭」に行ってきました。いちおう取材です。宝乗院は知多四国の札所寺院で、ちょくちょくお世話になっております。
 境内に船の神様・金毘羅さんを祀る御堂があり、毎年旧暦10月10日の夜に漁業関係者が列席して護摩修養が執り行われるもので、参道には屋台も並び、地元の老若男女が多数詰めかけると御住職から聞いてました。しかし、平日の夜の小さな漁村のささやかな行事にいったいどれほどの人出があるものだろうか、と思いつつ行ってみると、えらい人で驚いた。

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 現場に到着した6時少し前は、気の早い小学生たちがウロウロしている程度だったのだが、6時半ごろ祈祷が始まってしばらくすると、参道には身動きできないほどの人が!
 参道と言っても屋台が並ぶのは50mちょっとくらいなのだが、大井の住民が全員やって来たんじゃないかという人波。さすが漁師町、金毘羅さんの信仰が篤い。

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 参拝者は、山門をくぐってまずは弘法堂にお参りします。祈祷用の護摩木に願い事を書くブースも設けられており(200円)、わたくしは「家内安全」をお願いさせていただきました。今から考えると「家庭円満」と書いておくべきだったか…。

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 続いて金比羅さんが祀られている御堂に進み、お参り。堂内では火が炊かれ、1時間ほどかけて護摩修養が行われます。厨子の前、竹の棒にぶら下がっているのは漁業関係者が奉納した鮮魚。一般的に供え物は台に載せて奉納するものだが、こういうのは初めて見た。基本的にその日獲れたものとのこと。
 左端にはタコが奉納されており、あとで御住職に聞いたら「護摩やってる最中はまだ生きてたよ」。まさにレアである。

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 そして、山門前で甘酒と「おへげ」(鏡餅を薄く切って焼いた煎餅的なもの)の接待を受け、締めは隣接する医王寺(大井の中心寺院としてかつて栄えたが、今は無住で地区の4寺で共同管理している)へも参拝し、ついでに鐘を撞いてくる。この日は誰でも撞いていいという風習(?)になっているようで、一瞬、大晦日かと錯覚してしまいます。
 この行事の模様は1年後に知多半島南部のローカル媒体にまとめる予定。来年は弘法大師が知多半島に上陸して1200年の記念イヤーなので、久しぶりに知多四国取材を何本かやるつもりでおります。
(まさ)

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◎大井の話題
2010.01.06恵比須・大黒祈願祭→●□
2010.03.11歩いて巡拝→●□
2010.04.16上陸大師御身拭い→●□
2012.05.22鳶ヶ崎と長谷崎→●□
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

尾張大野におけるストリート名称の件

2013年11月14日
 武豊、大垣、安城とストリート系の話題が続きましたが(なんて書くと若者カルチャーの話みたいだけとあくまでマニアカルチャー)、われわれ町並みマニアはどこに行っても通りの名前が気になるものです。
 夏に、知多半島南部のローカル媒体の取材で常滑市の大野をかなりきめ細かく歩いたとき、町の中でこのようなものを発見。

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 軒下のガラスに「木ノ下通」と書かれた廃商店です。おお、大野にもストリート名が存在したのか!
 この廃商店があるのは、大野町駅前を起点に西へと伸びる道沿い。駅から大野海水浴場へ通じる道であり、昔は夏ともなると豊川のB1グランプリ会場なみに大混雑したそうな(オオゲサ)。地元の高齢者に聞くと、昔は確かに木ノ下通りと行っていたが、今ではこの名が使われることはまずないとのこと。人名由来らしいです。
 木ノ下通りはこんな感じの道。

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 シブい、シブすぎる!
 のちに地元の人から古地図を見せてもらったところ、木ノ下通り以外にもこまかい町名やストリート名がけっこうあったことが判明しました。明治と昭和初期の地図では表記に若干の違いが見られるのですが、だいたい下の図のような様相です。

131113-9.jpg ※クリックで拡大します。

 現在は、大野橋を境に北を「橋北」、南を「橋南」と呼んで大雑把に区別し、さらに細かく分けると橋北に橋詰町・高須賀町・権現町が、橋南に十王町・上砂子町・下砂子町・鍛治町があります。これらは大野祭り(→●□)において山車・舟・獅子・神輿などの分担区域に相当し、今でも「生きている」町名といえますが、それ以外はほぼ「消えた地名」ということ…だと思われます。

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 木ノ下通りの裏通りにあたる「後小路」。右は廃銭湯。

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 鍛治町の南に並行する「エゲヤマ」。

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 エゲヤマと鍛治町を結ぶ「寺町」を、斉年寺の脇門から望む。いやもう、実にシブい。
 名前が与えられると、今では単なる裏通りにしか感じられないこのような道も、何か自己主張を始めるなあ、ビバ地名!と思って一人盛り上がったのだが、同行のカメラマン氏にはほとんど理解してもらえなかった。あくまでマニアカルチャーということである。

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 ちなみに上砂子町から十王町にかけてが大野の中心部。なぜ中心かというと、道路元標があるから。ちょうど旧常滑街道と旧黒鍬街道が交わるあたりで、中央左に見える「十王堂」の前に大野町道路元標があります。
 右に看板が見えるように、旧東海銀行の支店があったのもポイントが高い。ただ、支店は無人の出張所に格下げになり、先週大野に行ったら建物も取り壊されちゃってましたが。
(まさ) 
知多雑 | Comments(4) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0043

2013年11月09日
 今日、久しぶりに安城市街を通ったら、花ノ木商店街のアーチが撤去されていた。

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 以前は、上の写真の奥の方(市役所の近く)にこういうアーチがありました。

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(2013.03.02撮影)

 特に興をそそる形状・デザインでもなかったのでじっくり観察したことはないのだが、時計付きという珍しいもの。安城市の中心部に位置する花ノ木町・御幸本町・末広町にかけて大規模な区画整理事業が進行中で(安城南明治第一土地区画整理事業)、その絡みでの撤去と思われます。この写真を撮った3月と、南吉イベントがあった夏に界隈を少し歩いたところ、工事はかなり進んでいました。
 このアーチが建てられていた道は、市役所・市民会館と花ノ木通りを結ぶアクセス道路的な存在で、街灯には「花ノ木スズラン通り」と表示されています。アーチは要するに市役所・市民会館の利用者を花ノ木商店街へ誘導する役割を果たしていたのでしょう。

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 花ノ木商店街のメインストリートは、碧信本店の脇から斜めに伸びる道になります。狭い通りに沿って古い店みせが建ち並ぶ、安城随一のシブい商店街。ちなみにウチら夫婦は地元の友人に勧められて、この通りにある鍼灸院にたびたびお世話になっております。この通り、今は碧信のところで切れていますが、昔は「朝日町西交差点」まで伸びていたとのこと。
 区画整理で今後どう風景が変わるのか、マニアは要注目!
(まさ)
西三河雑 | Comments(6) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0042

2013年11月07日
 大垣市街のタウンアーチといえば、本町にオーソドックスなやつが2つあります。

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 本町は、大垣駅から南に伸びる駅前通り~郭町通りの東を並行する通り。「本町」というからにはもともとこの道が大垣のメインストリートで、旧美濃路にあたります。今はなんとなく裏通り的なポジションになっちゃってる感があるけど、店もけっこうあってそれなりの風情は保っています。
 ただ、このタウンアーチの位置が解せない。本町の核である南北の道ではなく、郭町との連結路にあたる東西の道に建てられているのである…ということをかなり前に書きました(→●□)。久しぶりにこの界隈を歩いてみて、この場所にアーチが建つ意味がようやく分かった。
 このアーチ、郭町通りからよく見える。つまり、郭町の歩行者を本町へ誘導するために建っているのである!って、大垣を知らない人が読んでもなんのこっちゃかよくわからんと思いますので、概念図を描いてみました。

131106-5.jpg ※クリックで拡大します

 ご理解いただけましたでしょうか…。
 しかし、もうひとつややこしい点が。地図に示したとおり「本町通り」は、商店街の組合でいうと北の「大垣本町商店街」と南の「本町一番街商店街」に二分されるのである!上の写真のアーチは、北側の「大垣本町商店街」のものなのです。

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 いわゆる「本町通り」でもっとも存在感を放っているのは、写真左に写っている味噌せんべいの製造元「田中屋せんべい総本家」。このあたりは本町一番街になります。
 こから南へ50m行くと大きい通りにぶつかり、そこにはアーチではなく奇妙な円柱が6本立っています。タウンアーチならぬタウンポール。

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 いったい何なのか前から疑問だったのですが、近くの商店主に聞いて謎が解けた。かつて夜には、空に向かって6本の柱からサーチライト(?)が放たれたんだそうな。電気代の問題でもう光が出ることはないとのこと。バブル時代の遺物だったとは。
 そういえば90年代はサーチライトを放つパチンコ屋がけっこうあったものだが、今は見ないなあ。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0041

2013年11月01日
 ここ数日、とある仕事で大垣市街をうろついております。地元の「最寄り都市」なので割と馴染み深いとのですが、近くて遠いというか、小学生~高校生の頃の行動範囲というと、ヤナゲン(駅前の百貨店)、東映、アピオ(駅ビル)、東文堂書店ぐらい、成人後は大垣競輪くらいにしか用がない。なので、新鮮といえば新鮮です。
 連日日没までいるおかげで、商店街アーチの夜の姿も初めて拝むことができました。



 守屋多々志美術館の脇の通り、ブラツキ街です。路地の飲み屋街みたいな名前だが、道は広い。そんなに店が連なってるわけでもないのに、なかなか気合いの入ったアーチだ。



 歩道の両サイドには電飾ポールも。なかなかのもんだが、なぜこんなに気合いが入っているのか?
 地元の飲食店主に聞いたところ、ブラツキ街の名は昭和30年代前半にはすでに正式な商店街組合名として使われていたらしい。元は「大手通り」だったそうで、昔から気合い入っとるのう。この通りの伝統か。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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