たけとヨン様、みゆキング

2013年10月27日
 昨日は某ローカル媒体の取材で、武豊の「みゆき通り」で開催されたハロウィンまつりへ。台風順延もしくは中止になるかと思いきや台風一過の見事な秋晴れとなり、予定通り開催されて一安心でした。中止になってたら某媒体の企画が危うかった。
 みゆき通りは、JR武豊駅から名鉄知多武豊駅までの県道で、数十軒の商店が点在する武豊のメインストリート。イベントはこの県道を3時間通行止めにして行われました。

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 普段から車通りが非常に多いこの道が人であふれかえるとは!なかなか感動的な光景だ。
 子供に手作りハロウィン衣裳を着せられるブースもあったのでぜひ2歳児を連れてきたかったのだが(仕事なのに)、今日はハハと2人、伊勢神宮付近で開催中の「日本太鼓祭」に行ってしまったので、来年連れてくる所存です。

131026-2.jpg「お待ちしとります」
(みゆき通りの衣料品店で撮らせてもらった人形)

081206-2.jpg「ほうでっか」
(ひさびさ登場、知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

 なお、タイトルは例によって特に意味はござんせん。
(まさ)
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懐かしの旧重原駅

2013年10月26日
 昨日の続き。
 最初は知立駅と牛田駅の間あたりのアパートに住んだのですが、半年後には結婚したのですぐに引き払ってしまいました。フリー&契約社員の二足のワラジに、半年で二度の引っ越しに、そして結婚と、あの頃は「ここが人生の転換点!」みたいに思ってて、われながら勢いが感じられます。単にバタバタなだけか。
 新居探しにあたっては刈谷、安城、岡崎あたりの物件も見て回ったけれどいずれも家賃面で折り合えず、結局は引き続き知立市内に住まうことに。場所は、これまでの人生でほとんど気に留まったことのない重原。われながらあまりにシブいチョイス!嫁は最初この場所に「なんでやねん」的な反応だったのだが、住んでみたら意外と便利で「まあよしとしよう」と。
 引っ越してきた頃は、最寄りの重原駅もいい駅だったなあ。

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(2004.07.17撮影)

 小ぶりな木造駅舎が実にシブい。ベンチもあって居心地はよく、最終電車のあとにはホームレスらしき方が一夜の宿にする光景も時折見られたものです。

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 いかにも名鉄チックなホームの木製長椅子も味があった。これらの旧施設は、自動改札の工事に伴い2006年の春だったかにいきなり取り壊されてしまい、がっかりしたものです。
 知立に住んでから10年しか経っていないのに、風景がじわじわと変わっています。書店が3つもなくなり、アピタにスタバができ、知立駅周辺の工事はガンガン進み、最近では新地通り(旧国1から弘法さん方面への道)の拡幅工事が始まった。まあ、純地元民ではないのでノスタルジーはないけれど。
 エセ三河人として、これからもわが町の変化を淡々と見守ってゆく所存でございます…って、いつまで知立に住むんだろうか。
(まさ)

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淡々と変化を記録する当ブログの知立ネタの一部
◎さらば知立の昭和遺産シリーズ
さらば麗人街→●□
さらばいとう温泉→●□
さらば第一劇場→●□
さらば知立庵→●□
さらば日出屋酒店→●□
さらば三河線連絡線→●□
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知立在住10周年

2013年10月25日
 わたくしが知立に住んでちょうど10年となりました。揖斐から知立にやってきたのは、忘れもしない平成15年の10月…って何日か完全に忘れてますが。たしか10年前の今日前後だったと思います。

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(2003.10.25撮影。最初住んだアパートの前の名鉄本線)

 当時は、前に務めていたK出版社を辞めて1年ちょっとで、いちおうフリーのライター・編集業を標榜しているものの岐阜の田舎にいてはいかんともしがたく、悶々としていた頃。かといって、地元の消防団に入っていた手前、出てゆくに出て行けず、にんともかんともな状態でした。
 そこへ、古巣の編プロから「契約社員ででもどう?」との打診が。これは願ったり。地元を出るにあたり消防団に説明する理由がほしかったのと(揖斐から名古屋都心の会社まではドアツードアで2時間かかる)、今さらながら定収入に惹かれ、それにホイホイと乗っかることに。そんなわけで、知立市内にアパートを借りることにしたのです。
 なんでまた知立なんぞを選んだかといいますと、ひとつはその編プロのある名古屋と、出入りしていた春夏秋冬叢書のある豊橋の、中間に位置しているから。週4日は名古屋に通い、あとの3日は三遠南信の取材に充てるのに好都合な場所かなと(その時は春夏で国道151号の本を作っていた)。
 そしてもうひとつは、三河マニアとしてどうしても三河に住みたかったから。できればもっと東がよかったけれど、知立もギリ三河なのでまあよかろうと。

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(2003.10.24撮影。最初住んだアパートの前を疾走するパノラマカー)

 今となってはそこまで三河に執着しているわけでもないですが。いや、本当は執着したいけど、そんなに三河の仕事があるわけではない。当時は「純粋三河人でない人間でこれほど三河を好きなヤツもいない!」とかなんとか思ってて、若気の至りっつーかなんつうか…。
 しかし実際に住んでみると、知立は交通の面でこれ以上ないほど便利。名鉄があるしJRも近い。知多半島にも近いし、名古屋高速までさほど遠くないので岐阜や尾張北部方面にも行きやすしい。おまけに住みはじめて数年後には伊勢湾岸道と東海環状道が開通し、東濃や南信や飛騨方面もぐんと近くなった。われながら慧眼であったといえましょう。
 ただ、そのおかげで取材先が多方面に拡散し、いったい自分の地元がどこなのかわからなくなってしまった。どこにいても異邦人な感じが拭えない、エセ三河人と化しております。う~ん。
(まさ)
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さらば武豊駅の駅員さん

2013年10月23日
 昨日は武豊市街で取材があり、車の都合でJR武豊線に乗って武豊へ。宮脇俊三が名著「時刻表2万キロ」でたった2行しか触れなかったこの路線(→●□)、ここ2年ほどはやたらと利用しています。沿線に小ネタは豊富なのですが、車窓風景で盛り上がるところはほぼ皆無で、宮脇先生が何も書かなくても仕方がない。
 武豊で下車したところ、自動改札機が設置され、駅員さんがいなくなっていた。

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 うーん、ただでさえ味気ない武豊線なのに、これではますます味気なくなるではないか。

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 駅員が不在になるとともに、待合室に置かれていたパンフ類も撤去され、さらに寂しい雰囲気に。もっとも、武豊駅が寂しくなかった時代のことなど知らないのだが。以前、駅近くの八百屋さんに取材したところ、最盛期には貨物の職員だけで常時20人以上もおり、商店街のいいお客さんだったそうな。
 駅に貼ってあった告知によると、10月1日から利用方法が変わり緒川、東浦、亀崎、乙川、東成岩、武豊に自動改札機が導入されたとのこと。ということは緒川・東浦・亀崎も無人化されたのか?確認に行かねば。
(まさ)

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◎武豊線小ネタ
半田駅→●□
東成岩駅→●□
武豊駅→●□
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豊橋のトヨ問題

2013年10月19日
 前回の続きでもう一発、異体字ネタ。
 小池和夫著「異体字の世界 旧字・俗字・略字の漢字百科」(河出文庫)に、豊の異体字(旧字)として「豐」が出てきます。

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 豊の地名といえばわたくしの場合「豊橋」が真っ先に思い浮かびます。愛知県第二の都市であり東三河県庁所在地である豊橋の名が生まれたのはけっこう新しく、明治2年、版籍奉還に際してもとの「吉田藩」を「豊橋藩」に改めさせられたことによります。
 歴史ある吉田を豊橋に変えた理由として「伊予に吉田藩があるので混同しないよう…」という説がありますが、なんでまた四国の田舎のちっぽけな藩(宇和島藩の支藩だった)なんぞに遠慮しなくなちゃならないのか理由がまったくわからないので、おそらくデマ。豊川も元は吉田川なので、川の名前が由来でもない。郷土史家の豊田珍比古(うずひこ)は昭和36年に発刊した「東三河郷土雑話」という郷土史本の中で「二、三の人の思いつきで名づけられたのではあるまいか」と書いています。要はテキトー!?

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テキトーシティのロボット面した市役所

 まあテキトーとはいえ、字面はどっしりしてるしなかなかいい命名じゃないか、というのが東三河フリークであるわたくしの見解でございます。もっともひらがなにしてしまうと「よしだっ子」よりも「とよはしっ子」のほうがなんか笑えるが…。
 大正時代の地図などを見ると、豐橋市を筆頭に豐川町、豐川稲荷、高豐村(豊橋市南部にあった村)と豊の字はことごとく旧字の「豐」になっています。旧字だとなんとなく格調高いというか典雅というか、吾輩は豐橋である(漱石ではなくデーモンのほう)という感じがするのは僕だけ?
 旧字表記のカンバン等はほとんど見た記憶がありませんが、大手通にある豊橋市道路元標は旧字を使っております。

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 拡大すると下のように。

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 画数が多くて彫る人も大変だったのか、上の「山」部分の右側が若干テキトーっぽい。道路元標については当サイトの「ブログ内検索」で検索して、過去記事をご覧ください。
 ところで前述の豊田珍比古は、昭和26年に発刊した「郷土随筆三河百話」の中で、トヨハシのトヨの字について「豊と豐どちらが正しいか」という考察をやっています。長いので要点を箇条書きにしますと、

・市長公印は「豊」なのに署名には「豐」を用いる
・豊橋で「豐」の字を使った文書は過去に見当たらない
・大口(喜六)氏の市長時代に「『豐』が正しいから」と使い始められたと推察
・明治11年の県令の告示では「豊」を使っているので豊が正しい
・今なお(昭和26年当時か)無批判に混用されているが戸籍課では「豊」を使うことにした

 そして「他の課や市民も堅苦しい『豐』を捨て『豊』を使うべきだ」と結論しています。戸籍課で「豊」を使うことにしたのは、昭和21年に当用漢字が制定されたとき、「豊(豐)」と公示に記載することで正字と旧字をはっきり示したからではないかと思われますが…。
 いずれにせよ、市民の間では特に問題にされなかったであろうポイントにツッコミを入れる珍比古翁の姿勢は、郷土史をネタに仕事をしてるマニアライターとしては見習いたいところです。

131019-5.jpg「どうでもいいですよ、おとうさん」

 う~ん、どうもでいい。
 なお豊田珍比古の「東三河郷土雑話」と「郷土随筆三河百話」は、春夏秋冬叢書が2009年に発刊した「東三河郷土雑話」に復刻・併録されてますので、興味のある方や地元が大好きなとよはしっ子の皆さんは、書店や図書館で探してみてネ!(←硬いネタなので軽く終わってみました)
(まさ)

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(2014.01.14追記)
 県営名古屋空港の近くにある豊山村道路元標のトヨは、普通の「豊」でした。

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東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

鯖江のサバ問題

2013年10月18日
 最近読んだ本で「異体字の世界 旧字・俗字・略字の漢字百科」(小池和夫・河出文庫)が面白かった。異体字とは、例を挙げるとワタナベさんのナベの基本漢字「辺」に対する「邊」「邉」などや、チベン学園のベンの基本漢字「弁」に対する「辯」「辨」などのこと。筆者は文字の規格「JIS X 0213」づくりに携わった人で、本書ではJISや当用漢字や常用漢字の歴史をつらつら説明しつつ、マニアックな異体字がバシバシ紹介されています。
 この本を読んで思い出したのが、福井県のサバエ。

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(2009.04.04撮影)

 漢字で書くと駅名のとおり「鯖江」ですが、むかし買った5万分の1地形図にはたしか異体字で記載されており、衝撃を受けた覚えがあります。で、実家に帰って探してみたら、その地図が出てきた。

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 上が一般的なサバエ。下が異体字バージョンのサバエ。魚偏の下が「大」で、右の青が「月」になっています。鯖はなんとなくこそばゆい字面だが、異体字だと余計にもそもそするぞ!というのは僕だけ?なお、いずれも地形図の名称は「鯖江」です。
 2枚の発行年を見て、さらに驚いた。上は昭和56年5月30日発行、下は平成4年2月1日発行。ということは、もともと現在使われている字体で表記していたものを、わざわざ異体字にしたのか!
 鯖江市公式HPによると、漢字表記について下のように書かれている。

鯖江の「鯖」の表記については、「うおへん」に青の下が「円」とする文字が正字であることなどを考慮し、鯖江市では、平成5年4月からその文字で統一し、公文書などに使用しています。

 となると、平成5年以前の公文書では異体字を使っていたということか。国土地理院が平成4年版でわざわざ字体を直したのは、そうでないと説明がつかない。ところが、異体字で刷ったわずか1年後に「鯖」で統一宣言!国土地理院の担当者のボヤキが聞こえてきそうだ。
 ちなみに、発行年違いとはいえなぜ2枚も「鯖江」の地形図を持っているかというと、よくわからないのである。

 この話でさらに思い出したのが、高速道路の米原JCTと米原IC。たしか昔は標識のローマ字表記が「Maibara」で、道路情報ラジオでも「マイラ」と濁っていたのだが、いつのまにか「Maihara」「マイラ」と濁らなくなった。たぶんネクスコになってから正式な町名に合わせたんだろうなと思っていたのだが、米原市に市制施行した際、なんと正式な読みが「マイバラ」になってしまった。ネクスコはどうもカチンときたようで、「Maihara」「マイハラ」を使い続けております。
 う~ん、どうでもいい。
(まさ)

追記
スマホでブログを確認したところ、「鯖」が正字で表示されていなかった!う~ん、スマホの文字は別規格に準拠しているのか…。

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北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0254

2013年10月12日
 先月末、とある取材で能登半島の穴水(のと鉄道の終点)あたりに行きまして、仕事までの時間潰しで半島西部の門前というところをウロウロしました。現在は合併して輪島市の一部になってますが、もとは鳳至郡門前町。門前というのは曹洞宗の古刹、総持寺祖院の所在地であることに由来します。

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 門前へは中学時代の27年前、家族旅行で能登半島を一周したときに立ち寄って以来。輪島で一泊した翌日、「北陸鉄道能登線の廃線跡が見たい」という理由でR249を南下するルートを走らせたため、通ったのでした。
 ストレートな町名が子供心にも印象強く、鉄道の通らない僻地感あるエリアということと相まって、長らく記憶に残る町だった…のだが、27年ぶりに来てみても、例によって何も思い出さないのであった…。

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 当時、総持寺に参拝したかどうかも覚えていない。山門の前まで来たのは確かなのだが。なので新鮮な気持ちで参拝しました。
 そんな門前町で発見した、廃業した食料品店のカンバン。

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 一休さんは臨済宗じゃん!そしてキャラは坊さんとなんの関係もない…。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

半鐘を鳴らして火事の発生を住民に知らせたHINOMI。

2013年10月10日
 火の見櫓とはなんの関係もなくまたまた本がらみですが、先日、NHKの取材班が書いた本を2冊続けて読みました。「里山資本主義-日本経済は『安心の原理』で動く」(藻谷浩介、NHK広島取材班/角川ONEテーマ21)と、「沖縄返還の代償 核と基地 密使・若泉敬の苦悩」(「NHKスペシャル」取材班/光文社)です。

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 たいへん結構な内容で面白く読みましたが(「里山資本主義」のほうで地方の若者の欲求という変数を抜いて理想論を展開している点に少し違和感を感じたけど、わざと考慮していないのかな?)、その中身はさておき、文体に共通点があることに気が付きました。それは、以下のような書き方が頻出すること。

東京電力・福島第一原発の事故のあと、誰もが関心を持つようになった「エネルギー」。
(里山資本主義)
二〇〇九年一〇月、ギリシャで巨額の財政赤字が発覚したことが引き金となって始まったユーロ危機。
(里山資本主義)
毎日うきうきと小型のバンに乗り込み、耕作放棄地を切り拓いて作った畑に向かう数人の若い女性たち。
(里山資本主義)
2009年秋に始まった日米外交交渉における、政府による密約調査。
(沖縄返還の代償)
国家の意を受けて、秘密の外交交渉に臨んだ若泉。
(沖縄返還の代償)
最後まで残していたという繊維問題の資料。
(沖縄返還の代償)

 これらはすべて1・見出し直後の文章冒頭にあり、2・体言止めで、3・「○○○○の××××」という文章構造になっています。
 このようなパターン化した文体は、いつ頃からか気が付かないうちにやたらと目にするようになりました。もう少しわかりやすい例だと、こんな感じ。

1000年以上の歴史を誇り、名旅館が多いことで知られる下呂温泉。
草津、有馬と並んで「三名泉」のひとつに数えられる下呂温泉。
傷付いた白鷺が飛来したことで発見されたといわれる下呂温泉。


 あー、あるある!と膝を打つ人も多いのでは。紙媒体の関係者だけかな。
 とりわけ頻出しているのが雑誌で、何かの概説、タウンガイド、店や施設の紹介、旅モノ、テキストがメインの記事広告などに多く使われているように感じます。新聞ではあまり見ませんが、女性記者が書く記事でときどき見受けられます。あと、中央・地方の区別もない。中央の媒体で使われ始めて、地方にも波及したと見るのが妥当ではありますが。

 僕個人の感覚ですが、この文体が嫌いでしょうがない。というのは、冒頭に書かれたこういう文章は、読み手の誰もが知っているという前提条件がないと成立しないからです。なんか、書き手の押しつけがましさが滲み出ている感じがして。書き手はよく知っているのかもしれないけれど、読み手はそんなこと知らんだろう、と。
 この文体がどこ発祥で、どうして流行したのかずっと気になっていたのですが、最近はたと気が付いた。これって、テレビのナレーションの冒頭部分ではないか?と。そして、NHKの人が書いたこの2冊を読んで、たぶんそれで合っている気がしてきた。きっと、テレビを見過ぎの人が始めた文体なのだろう。
 いつから広まったのかはわからないけれど、昔はそんなになかったような印象だし、なんとなく90年代後半のような気がするが、どうだろうか。
 ただし、テレビのナレーションにおいては、この文体はアリだと思います。なぜなら映像とセットなので、まず一目見て理解してからそれを聞くことになるから。なので、映像ありきの原稿に慣れているNHKの人なら、こういう書き方になるのは理解できる。

 実はこの文体、わたくしら本業のライターからするとけっこう簡単で便利なのです。書き出しに困ったとき、パターンにあてはめて「○○○○として広く知られる××××。」などと書けば、たいてい文章が流れてゆく。嫌いでしょうがないとか言いながら、何かの紹介原稿なんかだと急場しのぎで使ったりすることも、まあ、ないとは言い切れません。
 でも、正しい日本語文章ではないような気がするので、できうる限り使わない所存でございます。皆様もそういう原稿を見かけられたら「抜いたな」「書くのに難儀したな」「何も考えてないな」等を見抜いて、楽しんでいただけたらと思います。

131010-2.jpg「どうでもいいですよ、おとうさん」

 文体についてエラソーなことが言えるほど、普段立派な文章など書いていないのである。
 なお、文章技法についての本は、本多勝一「日本語の作文技術」(朝日文庫)、林望「文章術の千本ノック-どうすれば品格ある日本語が書けるか」(小学館)などをむかし読みましたが、それなりに面白かった覚えがあります。
(まさ)
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TMの時代~M編

2013年10月09日
 昨日の続き。
 整理した義父の蔵書には他に、宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」(河出文庫版)がありました。これは宮脇先生のデビュー作で、国鉄全線完乗の記録。僕も小学生のころに読んでおり、同じく著書の「汽車旅12ヶ月」(新潮文庫版)ともにバイブル的存在でした。
 ただ御大はたまに、いかがなものかという文章を書いておられます。なんの本だったか忘れたが、新幹線で浜名湖付近を通過した時、車窓に廃養鰻場がたくさんあるのを見つけて「膨大な新幹線のゴミ処理施設にすればいいのでは」って、遠州を何だと思っているんだ!あと、名鉄谷汲線に乗ったらあまりの客の少なさに驚き「やはりバスに客を取られているのだろうか」って、谷汲行きの名阪近鉄バスもガラガラだわ!
 あれだけ田舎に行きまくっているのに、地方蔑視や地方への認識不足が顔をのぞかせるというのが、御大のすごいところというか、正直すぎるというか…。
 まあでも、この「時刻表2万キロ」は名著と思います。

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 マニアのおっさんがただローカル線を乗り倒すだけという内容なのに、このポップなカバー!最高だ。
 懐かしくて久しぶりにパラパラ読んでみると、ここ数年よく利用している武豊線のことが書いてある箇所を発見。

 岡崎に戻り、東海道本線に二〇分ほど乗って大府下車、武豊線で武豊までの一九・三キロを国電型座席のディーゼルカーで往復し、大府から快速電車で大垣に着いたのは16時30分であった。

 これだけかい!僕が純地元民だったら怒るぞ。でも、そうではないので笑った。
 ところで、本書のラストにはボーナストラックのように、完乗後に開通した気仙沼線の乗車記が掲載されています。気仙沼線といえば、ついこのあいだ見てきた南三陸町の志津川駅が沿線最大の駅。開業当日のにぎわいっぷりが描かれており、志津川駅の現状や「あまちゃん」の北三陸鉄道開業シーンなどが重なって、何とも言えない気持ちになります。
 その章にはこんな一文も。

 気仙沼線、特に志津川町民による鉄道敷設の陳情は明治三〇年ごろから始まっており、悲願八十年と言われる。なにしろ三陸地方は津浪が多く、とくに湾口がラッパ状に開いている志津川町では津浪の度に交通が途絶えて食料が不足し、鉄道への願いは一層切実だったという。

 宮脇先生も、まさか30数年後に志津川駅が津波で流されるとは思ってもみなかっただろう。
 なお、気仙沼線の被災区間はバス専用道として整備され、列車の代わりにバスが運行されています。

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 陸前戸倉駅付近をゆく気仙沼線のバス。
(まさ)
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TMの時代~T編

2013年10月08日
 日曜日、頼まれて義父の蔵書を整理していたら、書棚から昭和40年代のガイドブックがたくさん出てきた。編プロに勤務していた一時期、飛騨の観光ガイドを何冊か編集したこともあって、業界の「先輩」が各所の見どころをどういうふうに捉え、扱っているのか、実に興味深いので貰ってきました。
 観光ガイドは言うまでもなく最新情報が肝なので、発行から数年でゴミみたいな存在に成り下がってしまうのが宿命ですが、30年もたてば資料価値も出てくるってもんです。いつかこういう資料を駆使して、観光ガイドブックの歴史みたいなものをまとめたいなあと思っておる次第。まあでも、興味ある人はほとんどいないでしょう(なのできっとやらないでしょう)。

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 蔵書には実業之日本社の「ブルー・ガイドブックス」というシリーズが何冊かあり(今も同社のガイド本のシリーズ名として継続)、その中に一部のマニアに有名なレイルウェイ・ライター種村直樹氏の「旅のABC」を発見!おお、これは一部のマニアにとっては伝説の書ではないか!
 種村氏が新聞記者を辞めてフリーのレイルウェイ・ライターを標榜し始めた最初期の一冊…というようなことが、中学か高校時代に読んだ氏の自伝本、たしか「きしゃ記者汽車」に書いてあったような覚えがあります。
 内容は、旅にまつわる項目をピックアップして50音順に並べたもので、どことなく「現代用語の基礎知識」を思わせる。もちろん基本情報や役に立つ豆知識が中心なのがだ、随所にオタネムラ氏ならではのオヤジ的主観、テキトーな見解、ページを埋めるためと思しきどうでもいいネタが挿入され、なんというか、昭和40年代らしい紙媒体ギャグの香りも…。
 いくつか拾ってみるとこんな感じ。

お座敷列車/…団体で貸切れば、芸者を乗せて、どんちゃん騒ぎをやってかまわない。(マジで!?)

女/…すべて旅先の女性は情こまやかなるものと知るべしという教えかもしれないが、一方ではきわめてビジネスライクなのが今日の女性の特徴ともいえよう。(超偏見!?)

ガイドブック/…名の通った出版社のガイドブックを数冊拾い読みしたら、あまりまちがいが多いのに驚き、サインペンで訂正してみると、たちまち、まっ赤になったページもあった。(同業者なのにヤラシイね!)

キセル/…あなたも一度や二度は経験済みかな。(自分と一緒にするか!?)

ゴールデンウィーク/…あるいは人の少なくなった都会を歩いたり、とくにこれといった名所のない郊外を目指すのも穴である。(テキトー)

自動販売機/…温泉街に300円くらい入れると「ぞくぞくする夢のプレゼント」などが出てくる自動販売機があるが、あけてみて腹が立つだけなので念のため。(買ったんかい)

新聞/…読み終えた新聞は捨ててしまわないで、バッグの片隅に入れておくと、乗り物の中で敷物代わりに使える。植物採集をすれば包み紙になるし、雨が降れば、しばらくカサの役も果たす。(どうでもいい)

東海道五十三次/…まだ小学校へあがらないころ、わが家に〈ヤジキタすごろく〉があった。(中略)この、すごろくをお持ちの方があったら、お知らせいただきたい。(なに聞いてんだ)

ひとり旅/…あちこちで、ひとり旅の娘さんを見かけるのだが、追いかけて行って声をかけたくなるようなチャーミングな人に、なかなか出くわさないのは残念だ。(知るか!)

 いやー、イケイケの頃の種村先生は面白いなあ。ガイドブックなのに書きたい放題。活字に勢いがあった古き良き時代の名著といえましょう。
(まさ)

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2013.11.17追記
 先ほど『旅と鉄道 増刊12月号~種村直樹の鉄道旅行術』(朝日新聞出版)というのが発売されたので、おおセンセイ復活か!?と思って買ったところ、いまだ病床におられるようで本人の現在写真も最新原稿も未掲載。これじゃ追悼刊行だよ…。
そのほか | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0254

2013年10月07日
 先月上旬、仕事で福井に行きまして、その時に見つけたカンバンをいくつか。
 まずは、仕事まで時間があったので、福井インター近くの集落に入り込んで見つけた一品。

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 おもちゃ屋さんのブリキカンバン。「孫渡し用品」とは初めて聞いた。ウチの場合、祖父から2歳児への「孫渡し用品」は、もっぱらプラレールです。

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 ちなみにこのカンバンがあるのは荒木新保町というところ。北陸の農村集落の典型という感じで、実にシブい。

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 福井駅東口に行ってみたら新幹線の高架橋が出現しており、工事促進を呼びかけるカンバンが。右のほうには、新幹線ができると各地までの所要時間がこれだけ短縮されるという図が載っており、それによると福井-東京は36分の短縮になるらしい。意外にもそれほどの大幅短縮というわけではないのね。
 いっぽう福井-長野間は、なんと168分の短縮!すごいけど、長野が近くなったところで福井にとってはそうメリットないような…あ、野球のBCリーグにはすごく便利になるか。

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 国道8号沿いにある国交省の工事事務所の駐車場にて。「々」の用法が間違っているのでは…。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0253

2013年10月05日
 ただ今発売中の「芸術新潮」がスヌーピー特集だったので、つい買ってしまった(内容は期待したほどでもなかった)。マンガとして読んだことはないけれどキャラクターとしては大好きでして、15年ほど前だったかペプシのオマケのボトルキャップがスヌーピーシリーズだったときは、どんだけペプシを飲んだことか。
 そして小学校高学年の頃だったか、任天堂のゲームウオッチで「スヌーピーテニス」が出たときは即座に買ってもらった。確か先に「ミッキーマウス」が出てケッと思ったのに、紫色の枠でスヌーピーテニスが出ると「さすが任天堂!」と手のひら返し。得点稼いでスピードアップするときのサウンドが、今でも耳によみがえる。
 考えてみるとゲームウオッチはクールなデザインでほんとかっこよかった。もう一回やりたいなあってなんの話だ。
 そんな話はどうでもよくて、昨日の続きで尾張旭の西大道町界隈で発見したカンバンあれこれ(この話もどうでもいいか)。

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 先の「タバコ陳列棚の残骸」の廃商店に掲げられている、行灯型タバコ取扱店カンバン。「旭町」は市制施行前の旧旭町のことでしょう。税金の関係だろうが、こういのって市町村が制作していた…のかな?

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 前に紹介した名草線カンバンに続く道路通称シリーズ第二弾(→●□)。住所のところに「瀬港線(せこうせん)」の文字が入っております。引山から尾張旭南部を経て瀬戸に至る国道363号をの別名で、瀬戸と名古屋港を結ぶという意味らしい。この呼称が流布していたことの貴重な証明である。

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 犬に追われて飛び出すのって、飼い主のせいもしくは野犬放置する役所のせいでは。それにしても「子供の飛び出しが多い」って、注意喚起カンバンなのになぜこんなに淡々としたコピー?

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 この団体の何をNHKが取り上げるというんだ!
(まさ)
尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ザ・ストーン

2013年10月04日
 前回「田舎の商店によくあるタバコ陳列棚」の見本として出したものは、尾張旭の西大道町の廃商店です。夏に嫁の実家周辺をうろついた際に見つけました。尾張旭駅の南西あたりに残る瀬戸街道(県道61号)の旧道沿いにあるのですが、この界隈が意外と味わい深い。

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 尾張旭にもこういう雰囲気のところがあったとは。この道のくねった感じだけでぞくぞくしますね。あ、オオゲサでした。
 ところで、尾張旭といえば昔から「つんぼ石」というのが気になっていました。戦前の地図を見ると瀬戸電の旭前-尾張旭間に「聾石駅」があり、なんじゃそれはと。聾=つんぼ、すなわち耳が聞こえないことで、子供のころは話を聞いていなくて返答できないと「お前は耳つんぼか」などと大人によく言われたもんですが、放送禁止用語ということで今では滅多に耳にしません。語感はいいのだが。
 上の写真近くにある市立図書館で郷土誌等を調べたところ、以下のような伝説があるそうな。

「名古屋城築城の際に定光寺方面から石を切り出して運搬したある大名が、重いのでひとつ放置し、村人には『役人が来ても喋んじゃねえぞ。喋ったら殺すぞコラ』と釘を刺して去った。翌日村人は調べに来た役人につんぼのふりで応対したところ、役人は呆れ返って『つんぼの多い村だがね』と帰って行った。以来、この石をつんぼ石と呼ぶように…」

 また「耳病の患者が小石を供えて祈願すれば快癒するという伝承が残っていて、昭和初年までは、付近に小石の奉納が見られたという」という記述もあります。
 当の石は「新居八瀬之木の瀬戸街道と定光寺道(御成街道)の分岐点あたり」にあるというので、行ってみました。

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 ここがその分岐点にあたる砂川交差点。だけど「定光寺道」が見当たらない!どうも区画整理事業で定光寺道は完全に消滅してしまったらしい。
 あたりを不審者のように探し回り、最後はネットで調べたらやっと所在地が判明。砂川交差点北東裏の道の、民家の庭先でした。

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 おお、これか。正面には「南無阿弥陀仏」の名号の一部、かたわらには「定光寺道」の道標が…って、ただそれだけのものですが。
 どこのヒマ人が投稿したのか、wikiに「つんぼ石」の項目があるけど、載せるほどのもんかいな。
(まさ)
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TOBACCO陳列棚の残骸

2013年10月03日
 昨晩、イオン大高へ「風立ちぬ」を見に行ってきました。何の予備知識もなかったので、名古屋が主要な舞台だったのには驚いた。村上春樹の「色彩を持たない…」に続いて、一年のうちに二度もウルトラメジャー作品で名古屋が扱われるのは凄いことではないか。
 感想はともかく、マニア的視点で見た時の注目ポイント。
・初めのほうで、上野へ向かう汽車の車窓風景に木製HINOMIが!
・名古屋の風景の中に、半田の中埜家が経営していた「カブトビール」のカンバンが!
・二郎の上司、黒川の家の所在地が安城っぽい。しかもピンポイントで今村(新安城)か!?

 それはさておきまた新城のネタですが、先月半ば鳳来西小学校の校区(布里のあたり)をうろうろしていたら、小島という集落でタバコ用ショーウインドーの残骸に遭遇しました。田舎の商店でよく見かける、このようなものです。

131003-2.jpg (尾張旭にて。2013.08.14撮影)

 小島で見たものは、上半分のガラスケースが取り外され、下の土台部分だけが残っていました。

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 この内側を覗くと、このような状態に。

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 煉瓦で形を作りタイルを貼るわけか、なるほど…ってただそれだけの話ですが。

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 これが小島の風景。寒狭川と巴川の合流点にあるのが地名の由来と思われます。わずかながら商店が連なり「超ミニ町場」の様相。鳳来西部地区の商業の中心といったところでしょうか。
(まさ)
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HINOMIの残骸

2013年10月02日
 市川、栗衣に行った別の日ですが、同じ新城市内の滝川というところを通った際、これまで見落としていた半鐘台(火の見櫓のミニタイプ)の残骸を発見しましたので、HINOMISTの皆さんにお知らせします。滝川がどこかというと、ここです。

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 これでわかった人はよほどの東三河マニアか、あるいは地元の人。正式な住所は新城市横川で、花の木公園釣堀センターや花の木ダム(別名新城のナイアガラ!?)のすこし上流になります。奥に見える鉄橋は寒狭橋。左岸にバイパスができるまではこの道が国道257号でした。
 そもそも横川という地名は、この「滝川」と対岸の「横山」の合成で、明治11年に両村が合併して成立、明治22年には長篠村の一部になりました。ところが昭和の大合併の際にモメたらしく、滝川は新城市に、横山は鳳来町に分離。このとき大字名をそのまま残したため、新城市横川と鳳来町横川とふたつの横川ができるというなんともややこしい事態になってしまいました。旧に復して新城市滝川、鳳来町横山にすればよさそうなもんだが…。
 ところがところが、先の平成の大合併で新城市と鳳来町が合併したため、住所はどちらも「新城市横川」になりました。なんと50年ぶりに統合を果たしたわけです!ゆえに横川は「新城のベルリン」とも呼ばれております(ウソ)。
 まあ、両集落は寒狭川を挟んで離れているので、地区運営上は別個のままと思いますが、詳しく調べていないのでこれ以上のことは知りません。

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 旧国道から細い道を上がると高台に数軒の民家があり、その中ほどに秋葉山常夜燈があります。ここから畑の中へ少し入ると、例によってHINOMIが!

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 残念ながら半鐘は撤去されております。このあたりでは珍しいコンクリート製。
(まさ)

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◎新たに見つけても長らく更新してませんが…
三河遠州火の見櫓集成●□
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墓地と2歳児

2013年10月01日
 市川のあともう一か所、新城市乗本の栗衣(くりぎぬ)という集落にも行ってみました。ここには2週間前に春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」次号の取材で来ており、そのとき地元の人に「ウチも彼岸花がけっこうすごいよ。誰も見に来ないけど」と聞いていたので、どんなもんかいなと。
 ちなみにどこかというと、このへんです。栗衣は通称地名なので、ネット地図で検索しても引っ掛かりません。国土地理院の25000、50000の地形図には載ってます。


大きな地図で見る

 行ってみると、市川より量は少ないもののけっこう咲いていた。この日はまだ五分咲きといったところだったので、もうそろそろ満開なのでは。

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 車道が通じる前に使われていた古道沿いの風景。実に味わい深い。こういう道に彼岸花はよく似合う。
 集落の要部は、下の写真に見える墓の向こう。急斜面に民家が連なり、市川と同じく彼岸花がなくても見事な集落景観を見せてくれます。

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 2歳児は、ここでは彼岸花より墓のほうに興奮。他人の墓に手を合わせ、墓石の間をきゃっきゃと駆け回った挙句「もっとやろー!」。帰るよというと「いやんのいやんの(嫌なの嫌なの)」。不審者の資質があるような気がして怖い。
 これで墓前に彼岸花を供えれば見事でしたが、さすがにそこまでできすぎた話はありません。
(まさ)
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