彼岸花と2歳児

2013年09月30日
 先週の半ば、久しぶりに新城市市川へ行ってみました。彼岸花の自生地として一部マニアには知られているところで、彼岸花シーズンに行くのは9年ぶり(前回→●□)。愛知県内で彼岸花といえば今や半田市岩滑の矢勝川(→●□)が有名ですが、東三河フリークのわたくしとしてはこちらを推したいところ。

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「すごいよおとうさん!」「なにが?」

 豊川支流の源流にある市川は急傾斜に人家が点在しており、彼岸花がなくても見事な集落景観を見せてくれます。なお、2歳児が指差しているのは、彼岸花なのか雁峯山中腹の新東名工事なのかは不明。

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 神社に通じる踏み分け道が、見事な彼岸花ロードに!

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 でもって親の趣味で、2歳児にそこを歩かせてみました。こうして見ると彼岸花はけっこうデカいものだ。
 ちなみに、なぜ彼がじっと手を見つめているかというと、先ほどガードレールにもたれかかって眺望を楽しんでいたところ白いのがベッタリ手について「なんじゃこりゃー」。
(まさ)
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タウンサインの研究0045

2013年09月29日
 東北旅行の最後は石巻。東三河にどっぷり浸かっていると「いしまき」と読んでしまいますが、「いしのまき」です。女川と同様18年ぶり。例によって特に何も覚えておりません。
 石巻は、石ノ森章太郎の出身地である登米市(旧中田町)の最寄り都市で馴染み深い、ということで「石ノ森萬画館」があり、市街地には石ノ森キャラのモニュメントが点在し「マンガロード」と銘打たれております。館もモニュメントも津波被害に遭ったものの、いずれも復旧している模様。

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 サイボーグ009とか。

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 仮面ライダーとか。

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 でんがらがったでんがらがった~。
 考えてみると、僕は藤子不二雄と手塚治虫が大好きでずいぶん読んできたけれど、石ノ森作品には全くといっていいほど触れていない。009はリアルタイムでないし、仮面ライダーやロボコンはテレビの印象しかなくて石ノ森と結びつかないし。だいたい、石ノ森章太郎といってまずイメージするのが、藤子不二雄の「まんが道」というほど。あとは晩年の「マンガ日本経済入門」と「HOTEL」くらいか。正直なところ、石ノ森漫画が世間に与えたインパクトがどれほどのもんか、よくわからないのです。
 そんなわけであまり思い入れもないので、石ノ森萬画館は見ずに帰ったのでした。まあ、市街地の郵便局2つに行ったら、風景印に石ノ森キャラがデザインされていたから、石ノ森グッズはこれでよしとする。
 で、そんな石巻の中心市街地、立町商店街のサインがこちら。

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 仮面ライダーの胸の部分をデザインしたもの…というわけではないらしい。

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 他にことぶき町商店街も歩いたら、このような書き込みがあった。ここまで水が来たとは…。津波の影響か商店街はけっこう歯抜けの土地が多く、立町の一角には復興商店街もありました。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0252

2013年09月28日
 あまちゃんが終わってしまいましたね~。朝の通勤がないという職業柄、NHKの連ドラは割と見ているほうだけど(須藤理彩の「天うらら」以降)、全話ほぼ欠かさず見たのは初めて。
 袖ヶ浜のモデルとなった久慈市小袖には、大学時代に東北を旅行した折、JRバスの久慈市内循環線に乗って行ってみたことがあります。放送開始のころ小袖が出てきて「おおーっ!」と思ったけど、例によって20年ほど前の話なんで特に何も覚えていないのであった。
 あまちゃんの舞台は北三陸でしたが、先の東北行きでは南三陸に行ってみました。震災から2年半にして被災地へ行くのは初めて。仙台から朝イチでレンタカーを飛ばして南三陸町志津川(解体が決まった旧庁舎のある町)まで行き、そこから海岸沿いを南下して旧北上町、旧雄勝町、女川、石巻と駆け足でひとまわり。
 最初に訪れた志津川の風景を目の当たりにした瞬間は、唖然。2年半後でこれだから、直後はいったいどうだったのか…。被害の大きかったところは志津川、女川、石巻など割と名の知られた町だけでなく、全戸流失したと思しき小さな漁村も沿岸に点々とある。漁村の数だけ仮設住宅もある。

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 思っていた以上の状態に絶句するのみでしたが、絶句してばかりもいれらないので、各地の復興商店街等で買い物し、メシを食い、震災とは全く関係ない話を地元の人に聞いたりして(「このあたりでも紫蘇巻って食べますか?」「このあたりのコンニャクって白いんですか?」等)、帰ってきました。
 そんな南三陸地方の各所で見かけたカンバンなど。上の「南三陸さんさん商店街」のロゴもそうですが、洗練されたデザインワークがけっこう見られます。

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 志津川では、この地方の習慣という神棚飾り「きりこ」をメッセージボードに仕立てたイベント(南三陸 福幸きりこ祭)が実施されたようです。奥三河でいうところの花祭りの「ざぜち」ですね。

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 女川の震災復興事業関連のカンバン。この町は18年ぶりなのですが、海岸沿いを南下して女川の町に入っても、そこが女川だということが分からなかった。

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 その女川の復興商店街「きぼうのかね商店街」。女川駅前にあったからくり時計の鐘のひとつがのちに発見され、それをモチーフにしているとのこと。
(まさ)
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THE 盆地

2013年09月27日
 楽天が優勝しましたね~。東北旅行中に宮城球場へ楽天-ソフトバンク戦を見に行き、地元の盛り上がりを目の当たりにしたところだったので、よかったよかった。日本シリーズは楽天-広島の、史上初の赤だらけ最終決戦を見たいものだ。

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 東北ばなしで山形のことにふれていなかったので、小ネタをいくつか。山形の目的地は、最上町と新庄市。最上町は完全に初めて。手頃なサイズの小盆地で、実に美しい町です。上の写真が最上町の典型的な風景…って、僕の写真では美しさが伝わりにくいですが。同じく美しい小盆地の町、島根県六日市を思い出します。わがるヤツだけわがりゃエエ(by花巻さん@あまちゃん)。
 そんな最上町における、スタンダードタイプの駐在所。

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 かわいい、かわいすぎる!山小屋か!豪雪地帯ならではの構造でしょうか。

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 新庄では飲み屋街「あけぼの町」ではシブいタウンアーチを発見!と思ったら、道路をまたぐのでなく、建物と並行に建っていた。斬新である。

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 そして新庄市内のスーパー「郷野目ストア」では、アケビが果物コーナーに並んでいて驚いた。栽培農家がいるってこと!?山形はサクランボだけではないらしい。
 最上地方はけっこう自分の感性にフィットする地形や空気感で大変好もしく、もう少し時間をかけて回りたかったところ。またいつか再訪しよう、といいつつ再訪するのはまあ60を過ぎてからでしょう…。
(まさ)
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栗鉄クリッパーズ

2013年09月25日
 まだ続く東北ばなし。
 取材先のひとつ、栗原市栗駒地区の食品メーカーのすぐ近くにくりはら田園鉄道の廃線跡があったので、その西半分を駆け足で回ってみました。クリデンには大学時代の92年夏にわざわざ乗りにきておりまして、当時の写真で今昔対比できます。
 まずは栗駒駅のホーム。左にちょろっと見える植木は健在!?

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(1992.07.29撮影、古写真は以下同じ)
 
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 栗駒駅の駅舎(現在写真は少し引いて撮ってます)。当時のメモを読むと、栗駒岳へ登山に向かう人がぞろぞろ降りたらしい。それにしても見事なアーチだ。

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 旧細倉駅。現在写真の手前に見えるのは細倉マインパーク前駅跡で、ホームと駅舎が残存。細倉マインパークも行ってみたかったけど、次の取材予定があったので断念。いつか再訪…はたぶんしないだろう。

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 いやー懐かしい…とはちっとも思わなくて、21年前のことなどまるっきり覚えていないのであった。
 今年の2月に同和鉱業片上鉄道跡を回ったときも(→●□)、実際に乗った22年前の記憶がちっとも蘇ってこなったけど、年を取るというのは恐ろしい。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0251

2013年09月23日
 そんな宮城県北部の米どころ各所で見かけたカンバン。

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 この書体だと昭和40~50年代の特撮やヒーローアニメのようだ。シルバーゾーン、参上!ってな感じで。
 ついでにもう一枚。東北本線、陸羽東線、石巻線が集まる小牛田(こごた)駅の駅前広場にある駐車についての注意書きカンバン。

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 なぜキリよく30分にしないんだ!しかしその1分が、コゴタっ子にとっては重要なのである。

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 その小牛田町、いつの間にか合併して「美里町」というなんとも没個性な町名に変わっておりました。一帯は栗原市と同じくひたすら田んぼで、美しいのは間違いないけどね。取材したある野菜農家さんは「美里じゃどこか分からんから、出荷品の包装には小牛田の名も書く」と言ってました。
 しかしこうして写真で見ると、宮城だか安城だかわからんなあ。
(まさ)
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ミスター栗っ子

2013年09月22日
 取材なんだか遊びなんだか分からない東北行きは、まあいちおう2日間は取材です。三河・遠州と関係の深いあるモノを追って、山形県新庄・最上地方から宮城県北中部を回ってきました。いずれも僕には馴染みの薄い地域でして、新庄は2回ほど乗り継ぎで通過しだことがあるだけ、宮城の県北地方は20年ほど前に栗原電鉄沿線を回った程度。前の旅行のことはあまり覚えておらず、ほとんど初めてみたいなもんです。
 取材先のひとつ栗原市は、日本屈指の米産地の一角を占めており、刈り入れを間近に控えた広大な田園風景は見事の一言でした。

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 黄金色の田んぼが北上川の河口あたりから栗原市、陸羽東線沿線の大崎市に至るまでひたすら広がっており、圧巻。どの集落も雰囲気がいいし、山並みも秀麗だし、気分がせいせいします(見慣れない景色だからだろうけど)。写真は栗原市の稲屋敷というところ(旧栗駒町)。

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 面白かったのが稲の干し方で、田んぼに突き刺した棒に、穂が重ならないよう交互に掛けてゆくというもの。ナマハゲの鬼が並んでいるかのようだ。最上方面でも見かけたので、東北の広範囲でやってる干し方でしょうか。
 で、そんな栗原市をエリアとする農協の名前がこちら。

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 豊川周辺の農協が合併して「JAひまわり」が誕生した時も度肝を抜かれたけど(JAこまわり君?)、これもなかなか…。この名前だと栗が特産品っぽいが、特にそういうことはないらしい。
(まさ)
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海で昼食

2013年09月21日
 取材なんだか遊びなんだか分からないが、ダンナは東北へ出張中。何もなければ実家か義父母のいる岐阜へ泊まりに行きたいんだけど、合い間に仕事が入ってしまい、そうもいかない。で、一昨日はボウズを連れて浜松へ取材に出かけた。
 取材は午後からで、場所は街中。近くに託児所があればと探してみたら、ザザシティ西館の6、7階にある「浜松こども館」で託児サービスがあった。1時間600円で最大3時間まで。登録料や会員になる必要もなく、前日予約でもOK。ここなら利用できる!
 午後はボウズに協力してもらうので、午前中はいっぱい遊ぼうと思い、早めに家を出た。浜松方面に行くんだから、公園よりも海で遊びたい。で、高速は使わず、バイパスを通って浜松へ。途中、道の駅潮見坂で休憩したら、売店でヤキソバを食べたいとせがまれ、1つ買う。昼にはまだ早いけど、テラスで食べよっかというと、「海で食べたい」と粋なことを言うじゃないか。どっちみち海に行く予定だったから、バイパスを降りて浜へ向かった。

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 陽太郎、大興奮!
  
 目の前に広がる海を見て、「海は広いな大きいな~」と口ずさむ。ボウズよ、よく分かってるじゃないか。ハハはそんなボウズを見て、凄いと思ってしまう。ズボンの裾をまくって裸足で駆け回り、波打ち際で遊ぶ。かなり楽しい。 

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 ご満悦の陽太郎。

 ヤキソバはちょっと油っこくて、私はイマイチだったが、ボウズはお気に召したみたい。箸を使って食べようとしていたが、途中から一本ずつ手でつかみ、ふざけながら食べる。ヤキソバと、好物の米粉パンやゼリーなどを食べた後、再び浜へ。本当は撤収したかったんだけど、もう一回遊びたいと聞かないので、仕方なくリクエストにこたえる。ズボンもTシャツもずぶ濡れ。着替えをさせにゃならんし、トイレにも行きたいし。砂浜に足跡が残るのも楽しいみたいだったので、追いかけっこしながら戻る作戦を立て、まんまとそのワナにかかってくれた。

 誤算だったのが、もう少しで「浜松こども館」に到着という時に寝てしまったこと。遊び過ぎた…。今日は仕事だよと伝えたけど、このまま預けたら目覚めた時に大泣きするだろうなぁ。ベビーカーで寝かせて連れて行こうか。う~む、気持ちが揺らぐ。でも、ここはやっぱり預けることにした。取材先で目覚めて泣かれたら、もっと困ってしまう。
 が、ザザシティの駐車場に止めたとたん、目を覚ました。自分が置いて行かれる気配を感じたに違いない。託児室に入ったとたん大泣きし、手足を絡ませて離れない。心苦しいけれど、「行ってくるね」と伝えて預けられたのはよかった。
 一件目の取材を終えて迎えに行くと、うわぁ~んと泣きながら駆けてくると思いきや、先生やお友達と楽しそうに遊んでいる。私がいることにも気づかない。いやぁ、びっくりだ。保育園で一時預かりを利用した時は大泣きして駆けてきたのに。名前を呼ぶと「あ、来てたの」というような顔でやってきて、「積み木したの」「プラレールしたの」と報告してくれる。先生に様子を聞くと、15分ほどで泣きやみ、いろいろお喋りしたら落ち着いたらしい。先生との相性もよかったんだろう。ぎゅっと抱きしめ、「すごいなぁ、大人になったなぁ」と頭をなでなですると、ちょっと得意気な顔して「積み木したの」とリピートするところがかわいい。この1日でぐっと成長してしまったような気がして少しさみしいけど、こうやって頼もしくなっていくんだなぁ。

遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

仙のダイダイ

2013年09月20日
 今、仙台におります。というか今から夜行バスで帰るんですが。水曜朝に着きまして、水は山形北部、木は宮城中北部でいちおう取材、今日は三陸海岸南部を取材とは関係なく回っておりました。
 詳しくはまた今度にしまして、とりあえず所感を箇条書き。
○山形県最上町はナイスな盆地で気に入った。
○陸羽東線は好ロケーションの駅が多いのに古い駅舎は壊滅状態
○宮城県の広大な田園風景は感動的だが広すぎてどこ走ってんのかわからなくなる。
○被災地各所の想像以上の光景に唖然。

 写真はきのうの楽天×ソフトバンク戦。外野と三塁側の観客席の一部が仮設だったのには驚いた。NPBの日本シリーズ開催球場の規定席数に足りないという報道があったが…。
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

この踏切を飛び越えて

2013年09月17日
 踏切といえば先の土曜日、久しぶりに新城の有海集落(鳥居駅のあたり)を通ったら、「鳥居強右衛門磔死之趾碑(→□)」の近くにある篠原踏切の上を新東名が通ってて驚いた。

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 前に見た時はまだこんなんだった。

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(2011.03.17撮影)

 牛渕橋から有海の集落に続くこの一直線の道。けっこう好きだったんだけどなあ…。とかいいながら、新東名が影も形もなくまだ周囲が田んぼだったころの篠原踏切の写真は撮っておらず、踏切マニアとしてはまだまだあまちゃんですが。
 このほか国道151号と交差する場所にできる新城インターもかなり工事が進んでおり、様相がかなり変わりました。

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 あとオマケ。新城の土曜日の彼岸花開花状況。牛渕橋の向こう側にある乗本・本久集落にて。もうちょいかな。
 そういえば、彼岸花の大量自生地として一部マニアに知られている新城市市川では、昨日の台風で土砂崩れがあったと新聞に載っていたが、大丈夫だろうか。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

魅惑の野踏切

2013年09月16日
 春夏秋冬叢書「そう40号」の連動ネタ。
 小学校と同様、創刊号から毎回やらせてもらっている「地名探訪」の記事では、今号のキーワードが「秋」なので、旧千秋村を取り上げました。どこかと言いますと、新城市の千郷校区の半分で、現在の野田・豊島・稲木・川田・石田にあたる地域。存在したのは明治22年から39年までのわずか17年。我ながらマイナーすぎて呆れますが、これ以外だと三河遠州では「秋葉」ぐらいしかないもんですから仕方なく…。

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 現在では全く通用しない地名ですが、唯一、野田にある天理教の分教会が「千秋」を名乗っています。これは、千秋村時代の明治33年に開かれたから。
 それはさておき、この村域を飯田線が縦貫しておりまして、いい感じの踏切がいくつか見られます。下のふたつは踏切へ通じる道が両方とも未舗装で、車では通れません。

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 東上-野田城間の湧清水踏切。遮断機なし。

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 野田城-新城間の道目記踏切。シブい、シブすぎる!
 こういうナイスな雰囲気の踏切を僕は「野踏切(のふみきり)」と呼んで偏愛しておりまして、見つけると意味もなく何度も横切るという奇行に及びます。だって渡りたくなるじゃないのさ。
 そういえば二年前、飯田線の全踏切チェックをしようと思って豊橋から東上まで二回に分けて歩いたなあ。不毛に思えて途中でやめたけど、再開してみようかな。まあ、再開したらきっとまた途中で不毛に感じて挫折するだろう。制覇するには奇特な同行者が必要か…。

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 道目記踏切を通過する普通列車。シブいねどうも。なお、昨年の9月末に撮影したものですので、彼岸花を入れて野踏切や飯田線を撮りたい方は、2週間ほどのちにお出かけくださいませ。
(まさ)

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◎飯田線の踏切の話題
火の見踏切(小坂井-牛久保)→●□
長篠踏切(大海)→●□
墓地踏切(三河川合-池場)→●□
東三河雑 | Comments(5) | Trackback(0)

懐かしの学び舎

2013年09月15日
 春夏秋冬叢書「そう40号」の連動ネタ。
 そうはこの号で丸10年になります。僕が担当している「わが町の小学校」というページは創刊号からやっており、訪れた三遠南信の小学校もちょうど40校。いろんなところへ行ったもんです。
 そもそもなぜ小学校の連載企画をやることになったのかというと、急に雑誌を作ることになって「会議をやるから」と呼ばれた席で、なんかやりたいことない?と聞かれて提案して即採用されたからなのでした。
 少し前まで勤務していたK出版社で僕はあちこちの地域の古写真集を製作しており、ほうぼうの小学校で「古い写真ありませんか?」と尋ねて回っていました。小学校はかなりの確率で古い写真を持っているうえ、取材趣旨を伝えるとほぼ100%快く協力してくれたので(都会ではなく四国や九州の田舎の取材が多かったというのもある)、小学校の取材は大好物。そんなわけで、この機会にもう一度小学校めぐりをやろう!と思い立っての企画提案でした。
 で、一回目に取材先として選んだのが、三河大野にある鳳来町立(当時)東陽小学校。ただし東陽小じたいのことではなく、前年に統合した旧七郷一色小学校を最後の在校生だった2人の児童と一緒に見に行く、という内容でした。

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(2003.10.17撮影、以下同じ)

 下校する子供たちと一緒に町営バスへ乗り込み、

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 終点にある旧七郷一色小で子供たちと一緒に当時を懐かしむ…って、企画・取材した本人すらなんだかよくわからない!子供たちも困惑したことでしょう。どうもスイマセン。
 いったいなんでまたそんな記事になったのかと振り返ると、たしか最初は「廃校舎めぐり」をやるつもりだったのが、編集部から「いくらなんでもそりゃないわ」と突っ込まれて、次号以降は「地域性のある学校行事や活動」「古い校舎や校内資料館など特色ある施設」という方向になったのでした。

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 このとき取材させもらった子供たちも、大学生ならもう卒業する年齢だ。月日の経つのは早く、僕も年を取った。当時と比べて自分の進歩のなさに呆れる次第である。
 参考までに、これまで取材した小学校。このうち4校が廃校になってしまった…。

1号・鳳来町立東陽小学校/2号・飯田市立追手町小学校/3号・浜松市立元城小学校/4号・豊橋市立豊南小学校/5号・泰阜村立泰阜北小学校/6号・細江町立伊目小学校/7号・設楽町立田峯小学校/8号・渥美町立伊良湖小学校/9号・一色町立佐久島小学校/10号・浜松市立光明小学校/11号・豊橋市立前芝小学校/12号・新城市立連谷小学校/13号・岡崎市立大樹寺小学校/14号・音羽町立萩小学校/15号・新城市立新城小学校/16号・豊橋市立新川小学校/17号・新城市立舟着小学校/18号・高森町立高森南小学校/19号・岡崎市立恵田小学校→●□/20号・蒲郡市立竹島小学校/21号・田原市立野田小学校/22号・浜松市立田沢小学校/23号・岡崎市立鳥川小学校→●□●□●□/24号・小坂井町立小坂井東小学校/25号・豊橋市立老津小学校/26号・東栄町立東部小学校→●□/27号・浜松市立西気賀小学校→●□/28号・豊橋市立二川小学校/29号・豊橋市立野依小学校/30号・豊川市立三蔵子小学校/31号・田原市立赤羽根小学校→●□/32号・設楽町立名倉小学校→●□/33号・蒲郡市立塩津小学校/34号・豊橋市立石巻小学校/35号・豊橋市立下地小学校/36号・浜松市立都田小学校/37号・飯田市立千栄小学校/38号・新城市立協和小学校→●□/39号・西尾市立西野町小学校→●□/40号・豊橋市立大崎小学校

(まさ)

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東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

巨大プラレールに大興奮

2013年09月14日
 先週の日曜日、予定していた取材が雨で延期になり、どこに行こうかなぁと考えていたら、朝刊の文化欄で巨大プラレールの記事を発見。これは行かねば!と、県立刈谷高校の文化祭に2歳児を連れて行ってきた。
 
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 じゃじゃん! 2年5組「プラレールTHE1000ECO」。武道場の床を段ボールで作ったレールが埋め尽くす。2歳児より、私のほうが興奮してしまう。聞けば夏休みの初日から作りはじめ、文化祭前日に組み立てたそう。すごいぞ、2年5組。

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 持参のトーマスを走らせる。トーマスシリーズの“どきどきマウンテン”よりも傾斜がきつく、長い。

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 やっほ~い!坂道をくだるトーマス。

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 まだかな、まだかなと長いトンネルをのぞく。

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 高校生のお兄さん、お姉さんたちを困らせる2歳児。


 人が少ないように見えるかもしれないが、実は午前中は電車好きお父さんや子どもたちであふれていた。みんな、電車を持参して。2歳児はトーマスを持参したのに、はじめは他の子が持っている電車や新幹線がうらやましく、高校生の男の子たちが持ってきた電車を貸してもらって遊んでいた。お兄さんやお姉さんたちが、2歳児の「これ、使ってもいいですか?」「これ動かないよ」などの注文にこたえてくれ、上手に相手もしてくれるんで、おまかせすることに。2歳児は昼ごはんも食べずに夢中で遊び続け、気が付いた時には数組の親子のみ。翌朝も、「プラレール、行きたい」とせがまれ、困った。文化祭は一日限りなんだよね~。

 しかしながら、高校の文化祭なんて久しぶりだった。私の文化祭の思い出といえば、たこ焼き。近所のたこやき屋で、たこ焼きを焼く練習をして、機械も借りたんだっけ。なぜ、そんなにたこ焼きに力を入れたんだろ。わからんなぁ。
 
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

近場の戦争遺跡

2013年09月13日
 昨日の続きで戦争遺跡といえば、豊橋にもいくつかあります。下の写真は、豊橋南西部の埋め立て工場エリア、明海町に残る戦争遺跡。奥に見えるのはトピー工業です。

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 明海町の一帯は、太平洋戦争が始まるまでは砂州のような島がいくつかあったのですが、戦時中「大津島」などを土台にし八角形の土地を造成し、豊橋海軍航空隊が設置されました。このずらっと並んだ縁石は、海辺の大崎集落と海軍の人工島を結ぶ「海軍橋」の名残です(橋というより海上道路のようなものか)。
 この写真は、ただいま発売中、豊橋の春夏秋冬叢書の季刊誌「そう40号」の取材で、大崎小学校の「干潟再生実験プロジェクト」を見に行ったときに撮影したもの…というわけで話を強引に「そう」のほうに持っていきまして、最初にネタを仕入れたとき、明海のような工場地帯でネイチャー系の学校行事なんてできるのか訝しく思ったのですが、この縁石の下が意外な穴場だった。

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 満潮時には普通の海。

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 ところが干潮時には、このように広々とした干潟が出現するのだ。生物も意外なほどたくさんうごめいており、少ないながらもアサリまで発見された(小学生が)のには驚いた。明海なんぞに!
 もっともわたくし、生き物についてはとんと無知なので、詳しい人にとっては意外でもなんでもないかもしれません。

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 昨年9月と今年5月の2回取材に行き、5月の取材には2歳児にもレアな体験をさせてやろうと、連れて行ってみました。仕事なのになにをやっとんじゃと思われる向きもありましょうが、前々号の新城市立協和小学校(→●□)、前号の西尾市立西野町小学校にも連れて行っております。いい体験をさせてもらいまして、各小学校に感謝申し上げる次第です、ってなんの話だ。
(まさ)

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東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

うしろの戦争遺跡

2013年09月12日
 小松に行った日は小松空港が取材先でした。仕事の前に空港最寄りの小松浮柳郵便局に立ち寄ってみたところ、局舎の背後にすごい廃墟がどーんと鎮座していて驚いた。

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 何かと思ったら戦争遺跡なのでした。ネットで調べたところ、小松空港の前身である海軍小松飛行場の発電所跡らしい。

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 郵便局の裏に回ると全体が拝めた。それにしても奇妙なフォルムである。
 近隣にはほかにも掩体壕(えんたいごう=飛行機の格納庫)跡なども点在しているらしく、時間があってもう少し涼しい季節なら見て回りたいところだが…。
 それにしても、畑に戦争遺跡はよく似合う。旧渥美町小中山の陸軍伊良湖試験場跡の塔とか。

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 仕事のあと、空港のすぐ北にある安宅関や安宅の町並(廻船で栄えた町)もついでに徘徊してきましたが、実にシブくて暑かった。
(まさ)
北信越 | Comments(2) | Trackback(0)

恋のアーケード0022

2013年09月11日
 小松には総延長約600mにおよぶ三本の全覆型アーケードがあります。県庁所在地でない地方の中小都市でこれだけの規模が残っているのは珍しいのではないか。まさしくアーケードシティ。
 ただ、クソ暑い平日の午後なんで閑散としてましたが。

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 日時によっては人がたくさん歩いていることでしょう…たぶん。
 正式名称は「八日市商店街」「三日市商店街」「中央通り商店街」で、4年前に来たときはこういうフラッグや暖簾みたいな飾りはなかったように思うが、この4月にそれぞれ「八の市 曳山通り」「三の市 朱門通り」「猫橋飴屋通り」という愛称が付いたらしい。いずれもマニア好みの見ものが多くて、実に素晴らしいアーケードでした。小松に行ったら必見!

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 予讃線の伊予小松!?

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 心を捉えて離さない何かを持った勧進帳ドラえもんなのである。

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 曳山通りアーケードのの北入口にはホオズキの化け物が!
 いつになるか分からんけど北陸新幹線の小松延伸まで現状をキープしてほしいものです。
(まさ)
北信越 | Comments(0) | Trackback(0)

猫に小松

2013年09月09日
 金沢の一週間後には小松市で取材。小松空港とか安宅関とか尾小屋鉄道廃線跡等のある町ですね。石川県では金沢、七尾に次ぐ第三の町で、いちおうコマツ(農機具メーカー)の企業城下町ということになっていますが、パッと見は「中堅中の中堅の町」「地味ではないが派手でもない町」という印象。
 この町は過去に二度ほど徘徊したことがあり、今回で三度目になります。市役所に車を停め、南北に長く伸びる町を汗ダラダラで歩いていたところ(この季節にはほぼ奇行)、市街地南部で猫町に遭遇!

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 信号より手前は「猫の御坊通り」、アーケードは「猫ばし飴屋通り」こと中央通り商店街。

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 そしてアーケードから小枝のようにチョロっと伸びる飲み屋街「猫橋銀座通り」。猫好きにはたまらない通りのオンパレードだ!まあ、わたしゃ猫は特に好きでも嫌いでもありませんが…。

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 この伽藍が名称の由来になった「猫の御坊」こと正雲寺。アーケードの柱に貼ってあった案内によると、正雲寺は元和年間(1615~24)の開創当初「神子(みこ)の御坊」と呼ばれて親しまれ、近くに架かる橋も「神子橋」と呼んでいたが、いつしか神子が猫に転じた、とのこと。
 また、猫の御坊商店街にある越田醤油店の親父さんによると、かつての住職がたいそう猫好きなことから「猫の御坊様」と呼ばれるようになったらしい。名前は、以前は映画館があったことから「東映通り」だったのを、2008年に改称したそうにゃ。

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 界隈の店みせにはこういう猫を描いた置き石がシンボルとして置かれているけれど、宣伝をガンガンやるとかいうふうでもなく、控えめな石川県民らしいといえばらしい。
(まさ)
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石垣に見る金沢

2013年09月08日
 更新しないうちにいつの間にか秋ですなあ。今さら夏の思い出を書くのもなんですが、書きそびれていた夏のネタを。
 7月の前半は仕事と遊びが重なって月に3度も石川県に行きました。毎年2~3回は行く石川県に、今年は2週間のうちにまとめて行った形です。
 で、仕事で金沢に行ったついでに、市内の未訪地帯を徘徊してみました。ついでというか、取材予定時間よりだいぶ早めに行ったのだが。観光名所の西茶屋街を歩いた後(平日の昼前に行っても特に面白くなかった)、旧鶴来街道沿いの寺町へ。

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 市内に著名観光が目白押しのせいか「観光地化したい気持ちはないこともないけどそこまで気合入れるほどでもないし…」みたいな空気が漂っていて、まあまあの味わいです。
 ここでは、寺の石垣が目を引いた。

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 なんでこんなに石がカラフルなんだ?しかも石を割って丁寧に平たくしている。石垣といえば、丸い石をそのまんま積み上げたタイプを見慣れている岐阜・愛知が地元の人間にとって、これはなかなか新鮮だ。

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 こういう大きい石垣もあった。なんとなく触り心地もよさそうである。ここで金沢の石や石垣についての薀蓄でも語ることができれば地域系ライターの面目躍如ですが、このあとの取材は初めての依頼者の仕事ということで多少緊張しており、そんなことを調べている余裕はないのである(その割に2時間近くもフラフラ散策しているのはどういう神経か)。

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 鶴来街道を出て犀川に出たら、護岸に見事な丸石積みがなされてて、これも見事でありました。
 石は景観の重要なファクターということで前から興味があるし、全国の石をめぐる旅をしてみたいものだ…って、年寄くさいねどうも。
(まさ)
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