カンバンの手帖ブログ版0247

2013年06月30日
 一昨日、新美南吉がらみの取材で半田の住吉神社の宮池を見に行った(童話の舞台になっている)際、神社境内にある住吉福祉文化会館の玄関でこのようなカンバンに遭遇。

130630-1.jpg

 なんかイイらしい…。
 役所や大きめの公民館の館内や敷地内で、たまにこの手の味わい深そうな喫茶店を見かけますが、名古屋の喫茶店本を出したライターさんとか、一宮モーニングを仕掛けたライターさんあたりが、こういう系統の喫茶店本とか調べて出してくれんかね。売れないだろうけど。
(まさ)
スポンサーサイト
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

滑り台と2歳児0002

2013年06月28日
 2歳児とさまよう公園シリーズ。
 先日、用事があって豊橋に行った帰り、御油の住宅地の裏山にある県立の「東三河ふるさと公園」に行ってみました。オープンは2006年。どうしてこういう名前を付けちゃうんでしょうか。名称はアレですが、まあ子供が遊べればなんでもいいか。
 入口の地図を見たらメチャクチャ広いようで、御油から裏側の旧御津町金野にまで達しているのには驚いた。さすがに全部まわっている時間も体力もないので、御油側をうろちょろ。管理棟の一角になぜか木のおもちゃ(間伐材?)が置かれた畳敷きスペースがあり、そこで軽く遊んでから、公園の核とおぼしき「修景庭園」を周回。庭園を見下ろす高台の展望台に登ると、眼下には絶景が!

130628-1.jpg

 公式サイトによると「三河湾の広がり、竹島や白砂青松の風景、豊川の流れ、三河の山並みなどを表現しています」。なんというか、ノーコメントです。
 向こうは御油から国府にかけてびっしりの住宅街。家並の間を駆け抜ける名鉄もチラチラ見えるけど、ほとんど「ウォーリーをさがせ」状態で、2歳児は発見できなかったらしい。
 微妙な絶景を満喫したあとは、庭園の下にある遊具スペースでもうひと遊び。さらに、300mほど奥にある「東三河あそび宿」へ、せっかくだからと足を伸ばしてみました。ネーミングからして期待大!

130628-2.jpg

 そこには期待どおり、石に広重の絵がはめ込ま絵れた飛び石の通路が。何かと思えば、すごろく的に遊べという事らしいです。宿に止まったら一回休みだって。
 奥に見える櫓状のものは滑り台。これはでかくてなかなか面白そうではないか。すごろくは思い切り無視して、親子そろって直行だ!

130628-3.jpg

 階段ではなく、このような網の上を登っていくという斬新さ。網やロープは東三河(おもに蒲郡)の特産品なので採用されたのでしょう。いや知らんけど。

130628-4.jpg

 トンネル好きの2歳児も興奮気味である。滑り終わったあと「おちり、いたい」と言ってました。

130628-5.jpg

 そして下には桑名宿が。って、すごろくのあがりがここ!?櫓の登り口に宮宿があり、どうやらこの滑り台は七里の渡しという設定らしい。斬新というかなんというか…。
 また時間があったら滑りに来たいと思います。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

旧道と楠と公民館

2013年06月27日
 春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」39号の連動ネタで、しつこく旧額田町夏山の話題。
 ほうぼう回っているとまれに「パーフェクト!」と思える集落に出会う事があります。夏山のうち、国道473号沿いにある寺野集落がそうでした。僕の中では西三河のナンバーワン集落。

130627-1.jpg

 南向きの斜面に民家が点在しており、要の位置に「寺野の大クス」として市天然記念物に指定されている楠の巨木がそびえております。

130627-2.jpg

 楠ごしに眺める集落。夏山の夏、日本の夏、てなもんで。←もう最後

130627-3.jpg

 このような見事な屋根を持つ公民館も。田舎でよく見る愛知県食糧事務所による「国内産農産物検査場所」のプラ製プレートがあり、かつては倉庫兼用だったようです。
 行っただけで特に取材はしておりませんので、話は広がらず以上です。
(まさ)

130620-1.jpg
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

県道に架ける橋

2013年06月25日
 またまた春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」39号の連動ネタで、旧額田町夏山の話題。
 夏山地内には、県道333号(切山夏山線)というゾロ目ナンバーの道が走っております。

130625-3.jpg

 国道301号の旧作手・額田の境あたりから、千万町、木下を経て夏山鬼沢で国道473号に合流するマイナールート。沿道の3地区(千万町・木下・夏山)にはHINOMIがあるので、火の見櫓マニアの皆さんにのみ、お馴染みの道でしょう。
 この写真は夏山小学校の500メートルほど北で撮影したもの。中ほどに小さい橋が写りこんでおりますが、銘板をチェックして驚いた。なんと名前が「仙丸橋」!

130624-3.jpg ※「昭和三年三月改築」の銘板もあり

 仙丸は人の名前でして、戦国時代にこの地域に勢力を張っていた奥平貞能の次男坊。三河の覇権ををめぐって武田VS徳川のバトルが繰り広げられていた際、奥平氏は武田方について、息子の仙丸ほか二名を人質に差し出しました。
 ところがいろいろあって、奥平氏はやがて徳川方に寝返ります。これを知って激怒した武田勝頼は天正元年(1573)、見せしめに仙丸たちを殺害し、鳳来寺山麓の門谷に首を晒します。仙丸はその時13歳。戦国時代のこととはいえ、なんとまあ気の毒な…。

130624-2.jpg

 これに対して奥平氏は、闇夜に乗じて仙丸の首を奪還。門谷から山越えして、分家が治めていた夏山へと運びます。仙丸の首の埋葬場所は、この橋のすぐそば。墓は奥平氏配下の黒屋家が代々守り、今も道路際に静かに佇んでおります。

130624-1.jpg

 誰が名付けたのか、そんな仙丸を橋の名前にしたという、なんともマニアックな一席でございました。
 ついでなのでもう一枚。仙丸橋のすぐ南に、昭和2年架橋の「八幡橋」というのもあって、こちらは欄干が少し凝っている。

130625-5.jpg

 夏山の夏、日本の夏、てなもんで。←くどい
(まさ)

130620-1.jpg
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0246

2013年06月24日
 今日も春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」39号の連動ネタ。
 昨夏、取材と称して旧額田町夏山地内を当てもなく徘徊した際、夏山小学校の近くで久しぶりに自衛隊の勧誘カンバンを発見しました。

130625-1.jpg

 けっこう細かい金額が書かれているもんだなあ。かすれて見えづらい部分の「実質給与」は105,700円(衣食住等経費+73,700円)などと書かれています。
 どうでもいいですが、9条の賛否はさておいて「自衛隊」という名称は「国防軍」に比べて語感的に断然いいと思うんだけど、どうか。

130624-4.jpg

 あとオマケ。夏山小学校前の廃商店前に置かれた自販機の横に、古い洗濯バサミにビニール袋が留められているのを目撃。一種のミステリー!?と思ったが、どうやらジュース類をたくさん買った人向けのサービルらしい。最初、使い捨てビニール手袋に見えたぞ。

130625-2.jpg

 夏山の夏、日本の夏、てなもんで。そういえばこのシンプルだけど味わい深い標識風集落名称カンバン、旧額田町独自のものですね。近隣では見た記憶がないが…。幸田にもあったっけ?
 ウチの実家のある揖斐川町では、僕が中学生ぐらいのとき(昭和50年代末期)にこの横書きバージョンが全集落に設置されました。これもだいたいその頃のものっぽい。
(まさ)

130620-1.jpg
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0245

2013年06月23日
 前々回につづき春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」39号の連動ネタ。
 毎号やってる地名探訪のコーナー、今回は夏の付く地名というとこで、旧額田町の夏山を取り上げてみました。大字としては面積がかなり広く、6つの小集落が点在している地域です。

130623-1.jpg

 夏山の入口に位置する鬼沢集落にて。夏山の夏、日本の夏、てなもんで。←2012.08.28のテキストをコピペ。
 この取材のため、夏山で一番奥にある平針集落に初めて行ってみたところ、集会所兼農業倉庫の壁にこのようなカンバンが貼ってあるのを発見。

130623-2.jpg

 市制施行前の「知立町」の住所表記が!知立町と書かれたカンバンなんて久しぶりに見た。ちなみにこの農機具店というかヤンマーの代理店は、弘法さんの近くにまだあるようです。
 機の略し方もすごいね。

130620-1.jpg

 どうでもいいけど、わが知立では夕方6時になると町じゅうの防災無線からトランペットの音楽が流れ「知立市のよい子のみなさん、おうちに帰る時間です。市民のみなさん、子どもたちが健やかに育つよう、声をかけてください」というナレーションが響き渡るのですが、この6月から音楽が「夕やけ小やけ」に替わって驚いた。
 先日回ってきた回覧板にその告知が載ってまして「青少年健全育成事業の一環として昭和57年12月26日から放送しています“愛のチャイム”の曲を、平成25年6月1日から変更します」とあった。あの放送「愛のチャイム」っていうのか!知立に来て10年目にして初めて知ったぞ。
 従来の曲名は「夜空のトランペット」。そして変更理由は「30年の節目となること」「防災無線の新設や住宅環境の変化により、多くの市民から意見をいただいたため」とのこと。要は、トランペットの金管音がうるさいってことかね。たしかに来た頃はドギモを抜かれたものですが(なにせウチの目の前に防災無線があり、音量がデカい)、慣れると味わいが感じられてけっこう好きだったのに。なんというか、THE碧海な感じで。
 毎年12/26の「愛のチャイム」記念日には、プロ野球で流行の復刻ユニフォームのように、限定復活させるってのはどうかな?
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

伊奈バウアー

2013年06月21日
 我ながらレベルの低い駄洒落でお恥ずかしい限りですが(でも書きたかった)、少し前のコメントに伊奈駅のことがちょこっと出てきたので、実家の資料小屋(別名:無価値の館)から橋上化前の伊奈駅の写真を探し出してみました。
 たしか大学4年生の、留年が決まった後のヒマでしょうがない時期で、豊橋のアパートから自転車でわざわざ伊奈駅を見物しに行ったのだった。愚かにもほどがありますね!

130621-2.jpg
(1994.02.18撮影、以下同じ)

 おお、感涙ものの木造駅舎!それにこの見事な枝ぶりの駅前桜!これぞ古き良き時代の駅である。

130621-3.jpg

 いただいたコメントにあった、スロープと遮断機。通路の石畳も名鉄らしくて実にいい。このあたりに現存する鉄道施設の石畳というと、豊鉄市内線前畑-東田坂上間の路面ぐらいしか思い浮かばないけど、他にあるだろうか(けっこうあるかも)。

130621-1.jpg

 これは撮ったのに全然覚えていないのだが、改札も通路もないのに、線路を渡って北側に出ることができたらしい。今では考えられない鷹揚さ。名鉄が輝いていた最後の時代だったといえましょう。
(まさ)
東三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

資源としての秘境駅0006

2013年06月20日
 飯田線の話が出たところで、先日発売された春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」39号の連動ネタ。
 今号のキーワードは「夏」ってことで、37号の飯田線の冬旅(→●□●□)、38号の春旅(→●□●□)に続いて、夏の飯田線の旅の楽しみ方を紹介しました。夏といえば肝だめしということで、夏の夜の秘境駅へ「大人の肝だめし」に行こう!という記事です。マニアックにもほどがありますね!
 肝だめし会場に選んだのは小和田駅。周囲に人家は一軒もなく、駅の真下に製茶工場の廃屋があるだけという、ご存じキングオブ秘境駅ですね。昨年の8月上旬、平岡発上り最終で小和田に行き、下り最終で戻るという約1時間の滞在取材を敢行しました。

130620-2.jpg

 暗い、暗すぎる!
 駅を包み込む深い闇は実に味わい深く、一人で人生について考えるにはまことにいい環境です。ただ、虫が多くて気持ち悪いのが難点。
 前にも書いたけど20年前の春、ここで友人二人と駅ネしたことがあります。まさに若気の至りである。

130620-4.jpg
(1992.05.05撮影)

 そんな至らない若者たちの図。ついでに書くと、飯田線では東栄、相月、水窪、小和田、鶯巣、平岡、温田、伊那大島でもやりました。もう大人なのでやらない…ということはなく、機会があればまたぜひに…。

130620-3.jpg

 さらに小和田からの下り最終でクイーンオブ秘境駅の田本まで行き、こちらにも1時間弱滞在。山肌にへばりつくようにホームがあるここは、平地が狭いぶん小和田よりも少し怖い。愚かな我が人生を一人振り返ってみるには最適の場所でありました。
 で、田本から平岡に戻り、車に乗ってさあ家に帰ろう…と思ったら、スマホがない!どうやら小和田駅に忘れてきてしまったようである。う~ん、愚か…。
 しかたないので車中泊して、朝イチの上りで小和田へ。下車しようとした瞬間、同じ扉から二人組が乗り込んできた。中部天竜発の始発列車でわざわざ小和田へやって来たらしい。彼らの手には僕のスマホが!「あ!」と声を上げると向こうも「あ、これですか、よかった!」。こうして奇跡的なタイミングで受け取ることができたのであった。駅マニアの神のおかげでありましょう。
 以上、ちょっとした人情話でした(どこが)。
(まさ)

130620-1.jpg
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

新城の飯田線ばなし二題

2013年06月18日
 うーむ、暑い…。
 少し前、調査等の名目で久しぶりに新城へ。車が使えなかったので飯田線で行ってみました。昨今は飯田線の原稿を書くにも車で回るばかりで、久々に乗ったらなかなか新鮮でよかった。

130617-1.jpg

 新城駅の階段から見た駅舎。相変わらずシブい。
 駅舎はいいのだが、この中途半端な造りの跨線橋、前から気になっていました。何がって、屋根がないことに!雨の多いシーズンは困るじゃないか。飯田線特有のタイプで、小坂井、牛久保、三河一宮にも同じものがあります。
 足腰の弱いお年寄りなんかとりわけ大変だし、屋根ぐらい付けりゃいいのにと思うのだが、J社には全くその気がないという話。困った会社です。

130617-2.jpg

 新城市街で用事を済ませた後、上り列車の待ち時間がかなりあったので、隣の野田城まで歩いてみた。その途上、国道151号旧道の飯田線オーバークロス地点にある銘板を10年ぶりに撮影(前に撮ったときはまだフィルムカメラだった)。意外なところに残る国鉄の遺構です。しかし、車でしょちゅう通るけどわざわざ停めて撮るほどのものでもない。
 正式名称は「睦橋」。地名ではないようなので「鉄道と車が睦まじく」という意味…か!?
(まさ)

----------------------
(2013.06.23追記)
 よく考えたらこの橋は旧新城町と旧千郷村のほぼ境界にあるので、「両町村が睦まじく」という意味ですね、たぶん。
東三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)

HINOMISTは二度死ぬ

2013年06月17日
 かつて自分がどんだけ火の見櫓に興味なかったかというと、残された古い写真からも明らかです。

130516-1_20130617222958.jpg (1991.08.01撮影)

 僕が初めて撮った火の見櫓(半鐘台)の写真。旧作手村白鳥・川合集落のHINOMIで、豊鉄バス川合バス停のすぐ近くにあったもの。今なら脚元まで入れて撮るところだが、早朝の月を一緒に収めて「それっぽい」写真にしたかったらしい。
 なお、この半鐘台は、半鐘が取り外されて鉄骨だけで現存しています。

130516-2_20130617223003.jpg
(1992.05.01撮影。以下同じ)

 旧津具村下津具地区の、下津具小学校跡付近にあったHINOMI。これも全景は撮っておらず、「下津具村」の名前が入った銘板だけ狙ったという一枚。地名マニアなので…。

130516-3_20130617223008.jpg

 そして、現在の津具郵便局の少し東あたりから上津具地区の町並を見たもの(当時、津具局は下町交差点近くの県道10号沿いにあった)。ヒノミーをさがせ!「ウォーリーをさがせ」が流行したのって確か92年ごろだったなあ。

130516-4_20130617223012.jpg

 わからんわ。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

THE LAST HINOMI梯子

2013年06月15日
 一昨日の記事で、岐阜市下西郷公民館の半鐘を「火の見梯子の一種?」とか書きましたが、実家の資料小屋(別名ゴミため)で昔の写真を漁っていたら、火の見梯子の写真が一枚出てきたのでご紹介します。

130615-01.jpg (1993.12.03撮影)

 メモによると、豊橋市石巻小野田町で撮影したらしい。だけど全然覚えていない!当時は火の見櫓にはほとんど興味なくて、見かけても滅多にシャッターは切らなかったのだ。これにはよほど衝撃を受けたと見えます。
 それにしても、20年前にはまだこういうものが豊橋にも残っていたのはすごい。

130615-02.jpg
(1997.06.08撮影)

 HINOMIついでにもう一枚。旧鳳来町細川の火の見櫓(→●□)の昔の姿。というか当時は火の見櫓にはほとんど興味なくて、傍らにある「細川衆議場」というすごい名前の公民館を狙ったのだった。HINOMIは一年前にはまだありましたが、この衆議場はずいぶん前に撤去されております。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

丸CUE

2013年06月14日
 昨日の記事のコメントに「知多市の金沢公会堂(→●□)が消滅」という情報をいただき、軽くショックを受けております。いつか地元媒体で取り上げようと思っていたのに…。
 知多半島の貴重な木造建築物といえば、常滑駅前に「丸久旅館」という木造三階建ての見事な建物が現存しています。創業は大正時代という常滑きっての老舗旅館で(ただし現在は宿泊できず宴会のみの営業)、地元のみならず町並散策や古建築が好きな人には結構知られている存在じゃないでしょうか。

130611-5.jpg

 実はこちら、縁あってこれまで三回も取材させてもらっており、少し前に地元ケーブルテレビの情報誌で丸久旅館の特集を企画・掲載することができました。正面の外観だけでなく館内にも凝った意匠が満載で、実に面白かった。
 その情報誌は加入者のみの配布なので地元民でないと現物の入手が難しいでしょうが、「CCNC」のサイト内の「COCONUTS CLUB」のタブをクリックすると読めるようになっているので、興味のある方はご覧ください(あと、常滑駅のパブリックスペースに少量設置しているらしい)。

130611-3.jpg

 昔は宿のすぐ西側には入り江が広がっていたといい、週末になると釣り客がわんさと押し寄せたとか。今では窓を開けると常滑駅があって、往時の光景は想像もつかない。もっとも、埋め立て前のりんくうエリアの風景もわたしゃ知らないけど。
(まさ) 
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

公民館附属HINOMI

2013年06月13日
 先日、仕事で岐阜郊外に行った際、市域の西端に位置する下西郷という集落で木造公民館を発見。

130611-8.jpg

 シブい!けど、まあこのくらいの建物ならまだけっこうあちこちに残っています。見どころは、左の軒下にぶら下がっている半鐘。それもよくあることだけれど、近くで見てみたらすごい代物だった。

130611-7.jpg

 なんと木製の梯子付き!東海地方ではまず見られなくなった「火の見梯子」の一種とみなしていい珍品だ!公民館が建て替えられると同時に消滅してしまう物件なので、ぜひに登録文化財化を…(←久々のフレーズ)。
(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(2) | Trackback(0)

その町どの町

2013年06月11日
 昨日の続きでもうひとつ、町を表現した文章を。「フェイスブック 子どもじみた王国」(キャサリン・ロッシ/河出書房新社)では、フェイスブックの全本社所在地であるカリフォルニア州パロアルト市について、こう書かれている。

--------------------------
2006年のパロアルトは、まばゆい光を放つ「テクノロジーのディズニー・ランド」とでも言うべき街だった。回路基板のように綺麗に整理された区画、緑の芝生。あらける種類のデジタルデバイスがそこに存在しし、ほとんど音を立てることなく動き続けている。
--------------------------
ところが2009年になると、街の様相はすっかり変っていた。そこはもはや、ベンチャーキャビタリストのショッピングモールである。皆が次のフェイスブックをそこで探している。増え続けるビジネスランチの需要を満たすべく、派手なレストランが次々とできたし、ユニバーシティ・アベニューと101号線の交差点には、フォーシーズンズホテルも建った。今よりもっと戦闘的だったブーム前の時代の痕跡はすべて消え去って、街は温和になった。今や、中庸、ミニマリズムといった言葉を使って表現されるような場所になっている。
--------------------------

 さすがシリコンバレー、テクノロジーだけでなく町が変化する速度も尋常でないらしい。どんな町なのか一度見てみたいものだ。しかしそれ以前に、わたしゃフェイスブックの活用方法がいまひとつ理解できなくて、やってもいないのですが…。そんな人なので当然ながらツイッターも同様。
 筆者はもとフェイスブック社員で、退職後にパロアルトを離れてテキサス州マーファに引っ越している。そのマーファという町については、このように書いている。

--------------------------
マーファは、サンフランシスコやパロアルトとは違い、インターネットやスマートフォンを使って人とつながる必要性をあまり感じない土地だったからだ。そこでは、大きく広がるのは人間の作ったソーシャルメディアなどではなく、大地と空である。よく見えないほど遠くまで広がっていて、日暮れの風景はこの世のものとは思えないほど美しい。
--------------------------

 グーグルマップで検索してみると、砂漠の真ん中のすごく小さな町で、どうやって行っていいのかよくわからないようなとんでもなく辺鄙な場所。行ってみてえ!
 最近、こんなふうに闇雲にグーグルマップでアメリカの田舎町を検索しては思いを募らせ、時間を浪費することが多い。批評眼を働かせずにすむような“無名”のアメリカの田舎町にどうしようもなく魅かれる、とか言いたいところだが、ただの現実逃避なのでしょう…。

130611-4.jpg
(常滑市久米)

 二日続けて写真がないのもなんなので、最近の画像フォルダからテキトーに一枚。知多半島の人家が見えない丘陵部では、けっこう心の平穏がもたらされるのである。
(まさ)
そのほか | Comments(2) | Trackback(0)

あの町この町

2013年06月10日
 最近、B級グルメ、自治体キャラからナチュラル女子系マーケットに至るまで「町おこし的」なものにどうも食傷気味である。仕事柄、接する機会が多いのも飽きている原因かもしれないけど、そういうものの勃興期に感じていた地方への期待感(僕の)は確実に薄まっており、どの町のどんな動きを見ても「またか」という感じ。
 NHK連ドラの「あまちゃん」は面白いので毎日見ているけど、その面白さは「町おこし的」なものが醸し出す独特の滑稽さと不可分で、地方在住者として笑って見ている場合だろうかと考えさせられつつ、どうしても笑ってしまう。今日のユイちゃんのセリフ「町おこしってそんなに大事なんですか」には笑った…じゃない、考えさせられた。
 最近ここに書く内容がどうもアイロニカルすぎていかんなと思っているのですが、仕事の文章では地域のいいところ、面白い部分をどうやって引き出すか(時に無理矢理)ということを普段考えすぎており、その反動かもしれません。

 ところで最近、外国のマイナーな町を描写した箇所が多い本を立て続けに4冊読んだ。そのうちの1冊「世界しあわせ紀行」(エリック・ワイナー/早川書房)は、アメリカ人の筆者が幸せな国を探し求めて世界中をめぐるという珍紀行文で、オススメ。
 ここに登場するロンドン郊外のスラウという町の表現が面白かった。

-------------------------------
スラウはヒースロー空港の数キロ西に位置する。ワンントン・ペルトウェイのロンドン版であるM25モーターウェイのすぐ外側にある。そのためスラウの町は、人が少なく閑散としている。ロンドンの一部でもなければ、そこから完全に離れているわけでもない。あまり住みたいと思うような町ではない。離婚手続き中の人が元の住まいについて語るときのような、不幸な印象を与える町だ。
-------------------------------

 すごい言い草だねどうも。名古屋近郊のいくつかの町が思わず頭に浮かんでくるなあ。例えば…うーむ、いかん。
(まさ) 
そのほか | Comments(1) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0244

2013年06月06日
 岡崎といえば、松坂屋(→●□)とセルビ(→●□)の建物が消滅しました。今日の夕方も重機が唸ってた。

130606-1.jpg

 うーむ、地元民じゃないのでそんなに思い入れはないけれど、なんとなくさびしいもんだ。松坂屋跡地には商業施設も入る予定のタワーマンションが建つらしい。
 ところで西康生通りには、界隈の商業ビル群や名鉄ホテルを記した御影石製の道路案内図があります。

130606-2.jpg

 拡大するとこのとおり。

130606-3.jpg

 かつての岡崎の繁栄を語る遺物になってしまいました。地元の人にとってはより寂しさが募るでしょうが、立派すぎて簡単に撤去もできないという…。
 そういえばりぶらのあった場所にはむかし岡崎郵便局があったっけなあ。一回だけ行ったけど、どんな局舎だったか覚えていない。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

三河発テキサス行

2013年06月05日
 さきほど、電気グルーヴのピエール瀧が出演しているBS朝日の「歴史発見 城下町へ行こう!」という番組を見ていたら、何年か前に取材でお世話になった岡崎の歴史研究者、市橋先生が出てきて驚いた。ピエール瀧が真面目な顔して歴史紀行番組に出ているという状況だけでもヘンなのに、あのピエール瀧と知ってる人が絡んでるなんて、不思議すぎて笑った。いや、内容じたいは興味深くて面白かったんですけど。
 そんなお二人が関ヶ原や岡崎城を回って歴史談義をしておられたのですが、岡崎城といえば以前、城内の一隅にこんな碑を見つけて頭に?が浮かんだことを思い出した。

130605-1.jpg (2009.10.22撮影)

 その名も「アラモの碑」だ!アラモ??
 案内板によると、これは岡崎出身の地理学者、志賀重昂(しがしげたか)が大正時代に建立したもの。志賀重昂は「日本ライン」や「恵那峡」の命名者として知られる人物で、りぶらB1Fの郷土の偉人コーナーでも紹介されています。
 で、何の碑かというと、案内文の説明は以下のとおり。

-------------------------------------------
志賀重昂氏は、テキサス独立戦争アラモの戦いと日本の三州長篠城の戦いがよく似ていることに深い関心を寄せられました。アラモの砦から援兵を求め友軍の下に走った青年ボナムと長篠城を脱出し、岡崎城の家康公に危急を知らせた鳥居強右衛門の両者の「深い使命感に東西の別はない」と感動し建碑を思い立ち、岡崎の石と長篠の石を使って、自作の漢詩を彫刻し、大正3年(1914)にサンアントニオ州アラモ砦史跡の一角に記念碑を建立されました。また、岡崎に、ここ岡崎公園の地にもアラモの碑を建立されたものです。
(原文ママ)
-------------------------------------------

 両者が似ているのはいいとして、テンション上がってアメリカにも碑を作った!?名古屋の石造物寄進王、伊藤萬蔵(→●□)を彷彿させますなあ。
 いちおう背景として、海外情勢の視察・研究歴も豊富な志賀重昂は国粋主義者ながら外国の見習うべき点も評価し論じていたこと、世界各国でで排日の動きが激しい時期だったので在住邦人への友好アシストの意味もあった(かもしれない)ということがありますが、しかし「長篠の石」でアメリカに建碑て、突飛にもほどがある。

130605-2.jpg

 以前、春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」で飯田線鳥居駅の由来を調べていたとき(→●□●□)、これに関する志賀重昂の講演が「鳳来町誌 長篠の戦い編」に掲載されているのを見つけました。大正14年に鳥居駅近くで開催された「鳥居強右衛門350年祭」にゲストとして招かれ、「米国の鳥居強右衛門 附・日本人は何故世界到る所に排斥せらるゝや」というタイトルで喋ったものです。
 そこでは、「日本人は自己をあまりに卑下しすぎ」「私は米国人はきらいだ」などと、現代日本でも聞くようなフレーズで聴衆の溜飲を下げつつ、建碑に際してはアメリカ側がいろいろ便宜を図ってくれたので関税も輸送費もかからなかったとか、日本人が彼の地へいくと地元の米国人は必ずそこへ案内してくれるとか、友好的な面もあることを強調しています。「そうなると排日運動というのは、される側(日本人)の問題ではないか。一番よくないのは日本の教育だ!忠孝だけを教えて人類に貢献することは少しも教えとらん!」というふうに持論を展開しており、なかなか痛快。
 近頃、ヘイトスピーチが東京の一部地域で問題になっているようですが、そういう事をやってる恥ずかしい人は、国粋主義の先人である志賀重昂を学んではいかがか。
 それはさておき、この碑はまだアラモ砦史跡にあるらしいので、右の人ではないけど三河マニアである私としてはいつか見に行ってみたいものです。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

滑り台と2歳児

2013年06月04日
 2歳児とさまよう公園シリーズ。
 今日の夕方、東浦の於大公園に行ってみました。知多随一の名刹、乾坤院に隣接するデカい公園です。なかなかよく整備されており「町民いこいの場」から「市民憩いの場」に格上げになっても遜色ない…って余計なことを。
 ここの滑り台がなかなかすごかった。

130604-2.jpg

 長い、長すぎる!
 ひーひー言いながら上まで登り、見下ろすとけっこうな角度で白馬のジャンプ台か!しかし2歳児は物怖じせず斜面へ。いざやってみると滑りがむちゃくちゃ悪く、スリルも何もなくて尻すぼみ、じゃない肩透かしであった。
 それでも2歳児は大興奮で、4回も滑りました。もう1回せがまれたけど、中年には登るのが大変なので丁重にお断りした次第です。
 滑り台といえば、先週行った大府の「あいち健康の森公園」にあった滑り台もなかなかのもの。

130604-1.jpg

 なんと木々の中を滑り下りてゆくのである!嫁から「ここはおすすめ」と聞いていたが、確かに大人でも面白い。しかもよく滑る。だいたいステンレス製って意外と滑らないうえ夏は熱くなるのでよくない。あと、ローラー状のタイプもよく見かけるけど、尻が痛くなるのであれもよくない。
 健康の森公園に納品したのがどこのメーカーか知りませんが(たまにメーカー名が記されているものもあるのでマニアは要チェック!)、こういうタイプが増えてほしいです。

130604-3.jpg

 あとオマケ、JR武豊線石浜駅付近の水田。近日中にやっておくべき屋外取材は終わっちゃったので、雨が降ってほしいわ(←勝手)。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

職人技 on the 屋根0022

2013年06月02日
 昨日、師崎の神護寺で「本堂修復(屋根瓦葺替)記念法要」が執り行われるという情報を得たので行ってみました。神護寺は師崎のやや奥まったところにある天台宗寺院で、南知多三十三観音と知多西国三十三観音などの札所になっています。

130602-1.jpg
 
 地元の檀家や善男善女が多数参集するなか、比叡山より招いた阿闍梨(あじゃり)という位の高僧による加持祈祷が行われ、なかなかの味わいでありました。加持祈祷を「味わう」ってのもなんかアレですが、わたしゃ檀家でも地元民でもないし、取材というわけでもないので…。
 予想以上に煙がもうもうと立ち込め、一時は阿闍梨が完全に煙の中に消えてしまったのには驚いた。しかし、さすがはとんでもなく厳しい修行を積んできた阿闍梨、煙が晴れて姿を現しても、まったく何事もなかったように読経を続けておられた。
 護摩が燃え尽きる頃、阿闍梨がすべての参列者を回って「加持」(数珠を頭に押し当てる)をしてくださり、僕もしっかりやってもらってありがたや。今日は2歳児がいなかったのは残念。

130602-3.jpg

 終わって本堂を参拝したら、古い瓦が展示されていた。元禄11年(1698)に岡崎藩の御用瓦師が造ったものとのこと。名品である。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)
 | HOME |