佐久間に縁側カフェブーム到来

2012年06月30日
 昨日の続き。
 相月の「縁側カフェ 結」を辞したあと、国道152号に戻って南下し、途中でまた国道を外れて山へと分け入って福沢という集落へ。ここは火の見櫓のチェックをしていなかったので。

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 これだけ三遠南信をうろついていながらまだ行ってない集落も少しだけあって、福沢はそのひとつ。天竜川支流の水窪川支流の福沢川に沿って家が点在する集落で、例によって茶畑に包まれています。
 上の写真のあたりが、公民館もある集落の中心部。HINOMI見当たらなねえなあ、と思いながら車を走らせると、代わりにこのようなカンバンを掲げた民家を発見しました。

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 なぬ、ここにも縁側カフェ!?さっき一服したばかりだけど、これは行かなきゃなるめえ。
 相月と同じで完全なる民家で、建物はけっこう旧家っぽい風情。一見したところ、カンバンはあるもののやっているのかどうかよくわからない。嫁が玄関ですいませ~んと声をかけると、奥のほうからおばちゃんが登場。

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 こちらも相月と同様、一服500円で、お茶請けがいろいろいただけます。まずはイチジクの甘露煮。うめぇ~。

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 つづいて柚子ジャムにきゃらぶき。うめぇ~。特にきゃらぶきはひんやり冷えてて、たいへん美味。
 ところで、相月の縁側カフェと何か関係があるのかと嫁が聞いたところ、あちらのおばさんに勧められて始めたとのこと。その際、「ウチはケーキとか作らないし、自家製のこういうものしかいないけんど」と言うと、「それだけあれば十分!」と太鼓判?を押されたらしい。
  これで町内にもう2軒ぐらいあれば、佐久間の新しいキャッチコピー「縁側カフェの町」が成り立つというもの。母方のルーツが佐久間というカメラマンNさんに、ぜひとも移住して開店していただきたいものです。
 カンバンには「えんがわカフェ」としか書かれていませんが、正式名称は「えんがわカフェ 入家(にゅうや)」。入家はこちらの屋号。本業は製茶業なのでとりあえず第1・3日曜のみ営業だそうな。まあでも、偶然家におばさんがいれば、一服させてくれそうですが。

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ご満悦の女性取材記者と、親の趣味に付き合わされ疲れて寝ちゃった1歳児

 このあとおじさんも登場し、地元の面白い話をいろいろ聞かせてもらったあと本命の質問を。「ところで福沢に火の見櫓ってありますか?」「あるよ」。イェイ!
 そんなわけで教えてもらった場所(文章では説明しづらいですが、写真の家並の斜面の上にもうひとかたまり家並があり、その端)に行ってみると、例によってHINOMIが!

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 墓&ヤシ&HINOMI。北遠には誰が普及させたかヤシがやたらと多い。しかし、わらびもち、つぶ食、縁側カフェ×2、火の見櫓と、実に収穫の多い一日であった。
(まさ)
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相月で一服

2012年06月29日
 いつもはユニークアクセスが60~90台をウロウロしているこのブログですが、今日に限ってなんと300に迫る勢いで、その3分の2が14~15時。いったいナゼ!?逆スパム?(←意味わかんないけど)すごい気持ち悪いぞ。

 そんなことはどうでもよくて、昨日の続き。水窪へ何しに行ったかというと、春夏秋冬叢書の有志ツアーで、飯田線向市場駅の近くにある雑穀料理の店「つぶ食いしもと」へ昼飯を食いに行ったのだ。この店の読み方は「つぶくい・しもと」ではなく「つぶしょく・いしもと」ですんで念のため。

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 うめぇ~。詳しくは豊橋のライターTさんが9月10日発売の「そう」に書くので、そちらを読んでくださいませ。
 腹いっぱい食べて現地解散になったので、うちら夫婦と1歳児は飯田線相月駅から1キロほど山の中にはいったところにある「縁側カフェ 結(ゆい)」に行ってみました。この店へは、春に一人で北遠を回った際、国道152号沿いのカンバンに誘われて立ち寄り、あまりの素晴らしいロケーションとメニューに感動してその場で取材させてもらい、「そう35号」の1/2記事コーナーに載せさせてもらいました。テレビに登場したことはあるけど紙媒体は初めてだそうです。
 そんなわけで3ヶ月ぶりにやってきました、佐久間町相月集落。

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 この集落についてはたびたび触れているので、過去の記事をご参照くださいませ(→●□●□●□)。

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 件のカフェは集落の最奥部にあります。北遠らしく家が高台にあるので、女性取材記者はこのように1歳児をかかえて急坂を登り、店へ。

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 これが店…というか、普通の民家の軒先!なんせ縁側カフェなので。真下は茶畑、向こうは険しい山並み、聞こえるのはどうどうと谷川の流れる音のみ。北遠マニアにはたまらないロケーション。素晴らしすぎる。

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 メニューは「一服500円」のみ。自家製のお茶、自家製ケーキ、自家製牛乳寒天(たぶん)、自家製きゃらぶき(あとオマケのサクランボ)。うめぇ~。女性取材記者もご満悦であった。1歳児はカフェのオーナーのおばちゃんにやたらとなつくし。
 ガイドブック的にデータを載せておきます。土日・祝日のみ営業、10~16時、浜松市天竜区佐久間町相月515。北遠に行ったら立ち寄るべし!
 そしてこの話はまだ続くのであった。
(まさ)
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二俣の夏、わらびもちの夏

2012年06月28日
 先の日曜日に北遠の水窪へ出掛けた際(今年はほんとよく浜松エリアに行くね)、天竜区二俣を通りがかったら、鐘を鳴らしながら町を流して歩く屋台のわらびもち屋さんに遭遇して、驚いた。

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 う~む、このような素晴らしい売り子がまだいるとは。東京の下町あたりならいてもおかしくないけど、小さな田舎町では奇跡的ではないか。
 20年ほど前、真夏に二俣の町をウロウロ徘徊していたとき、確か同じようなスタイルでわらびもちを売り歩くおばあさんがいたのを、不意に思い出しました。いや、見たような記憶があるんだけど、暑さが見せた幻だったかも…と思って、わらびもちを買いがてら話を聞いてみたところ、どうやらこの方のおばあさん、もしくはおばあさんの友人だったらしい。真夏の幻影ではなく実在したのだ!今度しっかり取材させてもらって、もっと詳しく話をきいてこようと思います。
 二俣の人たちは、チリンチリンとわらびもち売りの鐘の音が聞こえると、誰もが「夏が来たなあ~」と実感するらしい。二俣限定の夏の風物詩。営業は6~9月の日曜のみだそうで、二俣に出掛けて見かけたら即ゲットだ!
(まさ)
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知多半島の東南アジア

2012年06月27日
 とある媒体で「愛知用水を起点から終点までたどってみる」という企画があり、先月その取材に出掛けたところ、用水沿いの常滑市金山あたりの田園風景がなかなか味わい深かった。

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 なんだか日本じゃない雰囲気。なぜだろうかと考えたら、ヤシの木(みたいな南国風の樹木。正式名称知らん)が中国か東南アジアか、暑い国っぽさを醸し出しているのであった。
 このヤシの木みたいなヤツ、気をつけて見ていると平野部、山間部、住宅地、農山村集落、あらゆるところで見つかります。特に多いのは40年代に建てられたと思しき民家の庭。山の集落に行くと、草が絡みついてなんの木だかよくわからない状態になっているものも多い。
 少なくとも中部地方の景観にはこの木がしっくりくる場所はあまりないように思うのですが、これほど分布しているのは、植樹を推進した園芸業者か住宅業者がいて、奇妙な南国ブームが起きたのでしょうか。これって突っ込んで調べていくと、高度成長期における日本人の、どちらかというと間違った景観意識が浮き彫りになるかもしれません(ならないかもしれません)。

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 右の木の根元には肥溜めなのか、素焼きの甕もあったりして、これは常滑っぽい。そういえば、うちの実家の畑の柿の木の根元にも埋めてありました。

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 オマケ。愛知用水のトンネルのプレート。今は使われない昭和30年代チックな明朝が使われております。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0211

2012年06月23日
 昨日のネタのからみで、3年前に豊橋の南栄駅裏あたりで発見したカンバン(現存かどうかは不明)。眺めていると董啓章(トンカイチョン)の「地図集」のようなフィクションが生まれてきそうな「作品」…というか、すでにフィクションのようだ。

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 栄商店街シール会の商店案内図で、下のほうには「ニューファッションから食品まで破格の値段で勢ぞろい」というパンチの効いたコピーが。
 あの頃、ってどの頃に作られたのか分からないけど、あの頃は商店街に夢がある時代だった、と未来の考古学者はこれを見て慨嘆するであろう。

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 このような名品はもう作られまい。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0210

2012年06月22日
 今、董啓章(トンカイチョン)という香港の作家が書いた「地図集」(藤井省三・中島京子訳/河出書房新社)を読んでいる。「未来の考古学者が、古地図と古文書を紐解いて、今は亡き英国領香港を掘り起こしたという体裁になっていて、一読するとまるで学術書のよう」な小説(中島)。どれも本当のような話なのに「ほぼすべてが、嘘八百、大ぼら」だって。面白すぎる。
 いつもは僕も資料あさりとフィールドワークをこなして真面目に地域ネタを書いている(つもり)だけど、最近どうも真面目に書くことに飽きてきているので、こういう地域のホラ話を書きたいなあ。
 刈谷市の一ツ木駅前にある「三河三弘法」のひとつ西福寺門前にどーんと立っている三河新四国の案内カンバンは、眺めていると「地図集」のようなフィクションが生まれてきそうな「作品」です。

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 素晴らしいデフォルメっぷり!とりわけ三河湾東部はすごすぎる。

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 渥美半島と西浦半島がほぼ同じ大きさとは…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

梅田川¥可

2012年06月19日
 ただいま襲来中の台風4号により、豊橋の梅田川が氾濫危険水位に達しているというNHKの報道が、ヤフーニュースにアップされています。この川は三遠国境が源流で、天伯原(→●□●□)と高師原(→●□●□)の間を流れて船渡町で三河湾に注ぐ(けど埋立地帯なのでどこが河口なのかよくわからない)というマイナー二級河川。豊橋市民なら8割ぐらいの人は知っているだろうけど、全国的知名度はほぼゼロでしょう。
 いい機会ですので、どんな川なのかご紹介しましょう。こんな時でもないと撮った写真が活かせませんので。

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(2011.01.09撮影)

 野依町のあたりの朝景。味わい深いのである。

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(2011.01.09撮影)

 豊鉄渥美線、芦原-植田間の橋梁。トヨテツ最長の橋である。

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(2005.01.30撮影)
 
 もっとも下流に架かる大崎橋。右岸は大山町、左岸は船渡町。大崎校区の皆様方のライフラインなのである。

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(2005.01.30撮影)

 河口の船渡町から港大橋を望む。漁村風情も漂っているのである。
 うーむ、特に書くことがない…。とりあえず、あふれないことを祈っております。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

恋のアーケード0017

2012年06月18日
 1週間ほど前、親子3人に母、妹と連れ立ってひさびさに京都へ。揖斐からだと高速で2時間弱と、けっこう近いのです。
 目的は最近嫁がお気に入りの、SOU・SOUという和系衣料品ブランドのお店。

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 この近くに知名度が全国区の超メジャーなアーケード商店街「錦市場」がありまして、うろついてきました。

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 撮影した時間がちょっと早いのでまだ人出はボチボチですが、このあとから次第に混雑しはじめ、ベビーカー押して歩くのは困難な状態に。さすが全国区。
 驚いたのは屋根。なぜか緑・黄・赤のカラー屋根になっている。ギニアの国旗か!
 アーケードの屋根の色にはさすがに注目したことがないので「珍しい」と言ってしまっていいかどうかわからないけど、普通は下の写真のようなイメージではなかろうか。

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 こちらは錦市場のアーケードと交わる「寺町通り」。こうして比べると、錦市場の個性派っぷりが際立ちます。錦市場は、狭さと適度な薄暗さが相まって不思議な雰囲気を作り出しており、もしかするとこのカラーリングは、歩行者の購買意欲を刺激する効果があるのかもしれない。事実、嫁は老舗で高価な鍋を、僕は漬物を2千円分も買っちゃうし…って、別に屋根の色は関係ない。
 風景における色彩の役割はなんなのか、今後はアーケードの屋根にも注目して研究を進める所存です。

120618-1.jpg「どうでもいいですよ、おとうさん」

 初めての京都でアーケードを堪能する1歳児であった。
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

共に楽に

2012年06月17日
 またまた春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」35号の連動ネタ。

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 楽地名のコーナーでは、欄外脚注(その他の「楽」地名)で蒲郡東端の山のふもとにある相楽町について触れました。
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相楽町【さがらちょう】/蒲郡市東端の山あいにある。明治9年に丹野村と山神村が合併した際、二村が融和して「ともに相い楽な暮らし」を営めるよう命名。
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 こんだけですけどね。
 みかん畑につつまれ、高台なので眺めがよく、マイナーだけど史跡もぼちぼちあって、個人的には好きな集落です。だけど、本文1000文字を費やすほど話が広がらない。
 いちおう写真も撮ってありまして、死蔵はもったいないのでここに載せておきます。

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(2010.09.17撮影。以下同じ)

みかん畑につつまれているのである。

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 眺めがよいのである。左奥のビル群は豊橋市街、右奥にチョコンと飛び出ているのは日航豊橋、このサイズと画質ではわかりづらいが新幹線も写っています。

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 史跡(というか名木ですが)もぼちぼちあるのである。養円寺の境内にそびえる「夫婦ヒノキ」。夫婦か…。どうでもいいけどこの写真を撮ったころに、ウチの坊ちゃんが宿ったのだった。
 というわけで特に話は広がりませんでしたが、とても心地のよい集落なので、ヒマな人や東三河が好きで好きでしょうがないという奇特な人は、一度行ってみてはいかがでしょう。

 あと、田原市大久保町にある小字「極楽」も脚注で小さく載せようと思ったのだけれど、画像を保存したDVDがぶっ壊れて画像を取り出すことができず、あえなくボツに…。ここは、寛文13年(1673)に田原の渥美善左衛門という人が開拓し、極楽新田と名付けたのがルーツのようです。パラダイス新田。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

浜松市政に風穴をあける

2012年06月16日
 浜松の話題ばかり続きますが、先日、とある取材でまたまた浜松市の都田(フルーツパークのある地区)に行った折、近くにある鷲沢風穴へ時間つぶしで寄ってみました。400円で見物できる洞窟です。
 浜松の僻地にあるのですが、新東名の浜松SAのスマートインターから10分チョイと、飛躍的にアクセスがよくなりました。一部マニアしか知らない存在だったのが、これで一躍全国区!というわけはなく、相変わらず渋いたたずまいで皆様をお待ちしております。

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 そんなわけで20年ぶりにやって来ました鷲沢風穴。近くにある竜ヶ岩洞のほどの規模はなく、小ぢんまりした風情。ゲートの上についている飾りは鷲のようです。
 川口浩探検隊のテーマを頭の中でリピートしながら突入だ。

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 岩だ。

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 池だ。
 洞窟の類は中に入ってナンボというか、写真ではその迫力がまったく伝わりません。ここのよさはなんといっても狭いこと。天井に頭がガシガシぶつかるほど、ワイルドで面白い。なので、ヘルメットを装着して中に入ることが義務付けられています。このヘルメットがまたレアアイテム。

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 浜松市章に風穴の文字入り!市役所のいち部署のようだ。
(まさ)

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◎遠州の洞窟シリーズ
小堀谷鍾乳洞(天竜)→●□
平山祥月洞(三ヶ日)→●□
竜ヶ岩洞(引佐)→●□
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンサインの研究0039

2012年06月15日
 今日も春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」35号の連動ネタ。

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 そんなわけで「楽器生産の町」の中核、ヤマハ本社界隈と河合楽器本社界隈を久しぶりに歩いてみました。
 まずはヤマハ。ヤマハといえば学生の頃、若気の至りで小室(等じゃないほう)に憧れて、彼がプロデュースした「EOS B500」というシンセを弾けもしないのに買ったことがあります。スピーカー内臓でアンプ不要なのと、本体だけで打ち込みができるというのが売りだったのだけれど、当然ながら使いこなすことはできず。それでミュージシャンになるのをあきらめて、マニアの世界に走ることになったのだった…って、ミュージシャンとはどの口が言うか。
 その10年後、僕のPC関係の師匠である郵人いや友人O君に「音楽ツクール」という安い楽曲制作ソフトを教えてもらい使ってみたら、意外と簡単に曲(らしきもの)がいくつも作れてしまって我ながらびっくり。おっと、こりゃマジで音楽的才能ある!?どのくらいの才能かというと、自分の結婚式で「新妻に捧げる歌」を作詞作曲編曲して熱唱し、列席者の失笑を買ったという才能です。なんというか、人生とは若気の至りの積み重ねなのである。
 
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 何を書いているのかよくわかりませんが、ヤマハの話だ。本社は中心市街地の北部に位置する中沢町で、旧二俣街道と遠州鉄道に挟まれて敷地が広がっています。旧二俣街道沿いでは今も、味わい深いノコギリ屋根が見られます。ここを歩いてたのはちょうど午後3時頃だったのだが、休憩時間の合図か、社内からいきなり音楽が流れてきて驚いた。実に「音楽の町」らしい。

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 ただ、生産拠点は天竜川より東に移転してしまい、本社工場の一部は取り壊されていました。奥に見える高架橋は遠鉄。

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 ヤマハとはなんの関係もないけど、敷地に沿って流れる小さい川に地味な橋が架かってて、親柱の銘坂を見たら手前が「朝日橋」、奥が「光橋」という名前でした。いや、別にどうでもいいけど。
 続いて河合楽器。

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 浜松駅の南からカワイ本社まで伸びる寺島町内の道は、地味ながら「工場前商店街」の様相を呈しており、なかなかに浜松チックな風情。この通りは「河合楽器通り」という名が付いています。

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 街灯の行灯もこのように河合楽器のオフィシャル書体を使用。この書体は味わい深くて好き。三河の某自動車会社やその系列企業がこういうことやったら「ケッ」と思うけどね…。
 ところでカワイといえば、30数年前から実家にある妹のピアノがカワイ製です。

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 ミュージシャンという父の夢(というか妄想)は息子に託すのである。
(まさ)
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ザ・ミュージックシティ

2012年06月14日
 今日も春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」35号の連動ネタ。

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 今回のテーマは「楽」ってことで、「音楽の町」を標榜する浜松の、割とオーソドックスな紹介記事(6ページ)を僕が担当しました。
 なぜ浜松が音楽の町なのかというと、次のような理由が挙げられます。

1、楽器生産が盛ん…3大メーカーをはじめ多くの小メーカーが立地
2、ハコ&施設が充実…アクトホール、楽器博物館、各種ライブハウスなど多数
3、フェスやコンテストが多い…国際ピアノコンクール、ジャズフェス、やらフェスなど

 では、いったいいつから「音楽の町」と言い出したのか。気になったので、本格的な取材に入る前に中央図書館で広報のバックナンバーを徹底的に調べたところ(我ながらヒマだね)、どうやら昭和58年ということが判明しました。

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(駅南の砂山町から見たアクトタワー)

 音楽の町を目指したのは栗原勝市長(S54~H11)の時代。市の職員時代にはずっと建築畑を歩き、ハコモノ大好き首長として知られる人です。アクトをはじめ、浜松の主だったハコモノはだいたいこの人の時代に作られています。
 先代の平山博三市政のときは、音楽に限らずカルチャー系のことは重要視されていなかったようですが、まあ、高度成長期でノリノリの地方工業都市だし、当たり前といえば当たり前。栗原市政のときには市民生活にゆとりも出て、町おこしなんかもボチボチ芽生え始めていた頃なので、「いっちょ前の市長とは違うところを見せるだよ」てな感じだったのではないか、と。
 広報を追ってみると、栗原市政が「音楽の町」を打ち出そうとする流れが見えてきます。

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S54.5.20号
栗原新市長インタビューで「文化振興のための、例えば音楽堂の建設」と発言

S55.1発行の'80冬総合版
市民による80年代の夢を語ろうという特集で、法枝町のMさんが「楽器の町といわれるよりは、音楽の町といわれるような浜松にしたいですね」「国際音楽祭を開くというプランはどうですか」と発言

S57.4.5号
浜松市民吹奏楽団の紹介記事で「楽器のまち浜松を、自分たちの手で音楽のまちに…と大きな夢を抱いた若者が、昭和50年に小さな市民バンドを結成しました」の文章

S57.11.30号
中学生と市長の座談会で、丸塚中学校のK君が「浜松音楽祭が成長して、日本音楽祭・世界音楽祭になれば最高!」と発言
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 ここらへんまでは、主に市民に「音楽の町」への希望を語らせることで、市長の漠然とした構想と市民意識が一致していることをさりげなくアピールし、徐々に盛り上げています。戦略的ですなあ。
 そして、昭和58年(1983)の広報はままつ春の号(年度あたまの特別号)では、予算の使い方を示した特集において「音楽のまちづくりの推進」という項目が登場。行政がオフィシャルな発言として「音楽のまち」というフレーズを使ったのはこれが初出のようで、以後、広報にはバンバン「音楽のまち」が出てきて、現在に至るわけです。

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(鍛冶町から見たアクトタワー)

…というようなことは、本誌には書いておりませんので念のため。せっかく調べたのに書かないのはもったいないので、ここで紹介しました。
 まあ、キレイごとだけではないんだけど、浜松はいろいろな意味で「上手いこと持ちネタを活かしている地方都市」といえましょう。上手いこと持ちネタを活かしきれていない地方都市のほうが多いから。例えば(以下自粛)
(まさ)
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可美村オクトパス

2012年06月13日
 昨日に引き続き、春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」35号の連動ネタ。

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 旧可美村の増楽(浜松市南区)という地名は、大昔に生えていた超巨大な「叟蘿(ぞうら)の松」に由来しているそうな。可美地区の郷土誌に参考図版が載っていますが、とんでもないオバケ松だったらしい。
 樹齢がどれだけで、いつ枯死したのかは不明。しかし、叟蘿の松があったとされる場所(かどうか怪しいけど)には今、若い松の木が植えられています。東海道本線北側の、威徳寺という寺の門前の児童広場です。

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 うーむ、特に感想ないなあ。
 しかしその背後に、なにかみょうちきりんなものが写りこんでいる…。

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 巨大タコだ!でかいぞ!「のび太の海底鬼岩城」だったらバギーで逃げるところだ!
 その昔はこのあたりまで海が広がっており、沖に住み着いていた巨大なタコが漁船をたびたび襲ったらしい。その伝説を表現したモニュメントだそうです(ウソ)。

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 この松ではインパクトに欠けるので、メインカット用に、旧国1沿いの熊野神社に生い茂る松の巨木を撮影しました。なんというか、ザ・浜松、って感じですね。新東名の浜松SAも、植えるならヤシじゃなくてやっぱり松でしょ(→●□)。
 しかし松林の中にに、なにかみょうちきりんなものが写りこんでいる…。

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 巨大タコだ!でかいぞ!日間賀島のモニュメントよりでかいぞ!

120613-5.jpg (2011.12.24年賀状用に撮影)

 う~ん、どうでもいい。
(まさ)
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可美村探検隊

2012年06月12日
 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」35号が発売中です。

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 今号のキーワードは「楽」。わたくし(まさ)は毎号と同じく地名探訪&小学校連載に「音楽の町浜松」を担当、嫁(まり)は、西尾市下矢田町の養寿寺を拠点の「雅楽」愛好グループをレポートしました。われわれの担当ではないですが、以前このブログに書いたナイルパン(→●□)の製造元、八楽製パン(新城市)の記事も載っております。ぜひ書店でお買い求めください。三遠南信エリア以外でも、ちくさ正文館本支店、名古屋タカシマヤ三省堂、カルコス各店などで販売されています。

 今回の地名探訪は「楽」の付く地名ということで、浜松市南区の増楽を取り上げてみました。ゾウラと読みます。日本語に訳すと「すんごい楽チン」。別に訳さなくてもいいです。

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 増楽で思い出すのが、昔あった浜名郡可美村。現在の南区増楽町、高塚町、若林町、東若林町から成り、浜松市の中にポツンと島のようにあった村です。その地理的状況から「遠州のサンマリノ」とも呼ばれていました(ウソ)。
 浜松市に合併したのは平成3年(1991)5月1日という中途半端な時期。合併話は戦前からあったものの、合併しなくても特に困らないという理由で、ずっと独立を保ってきました。スズキとエンシュウという大企業のおかげで、財政的に豊かだったのです。
 当時大学2年生だった僕は、可美村最後の日に村内を歩き回りました。そのとき役場で入手したグッズ(?)がこちら。

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 上は可美村村政要覧。発行はこの年の3月、つまり合併のたった2か月前。村の77年の歩みを振り返る記念誌という体裁ではなく、村の政治・経済・教育・環境・防災などを網羅的に紹介した、当時の要覧としてはごく一般的な内容のもの。意味ねえ!しかも当時の行政で流行していたチープなマンガまで散りばめて…。財政の余裕っぷりがうかがえます。
 下は「広報かみ」の最終号。それまで2色刷りだったのが、最後は奮発して一部カラー。記念すべき最終号の最終ページに編集担当者のつぶやきコーナーがあるのだが、その締めくくりの文面がすごい。

今月号で締め切りからも解放され、やっと本来の明るい自分に戻れます。みなさん、今までありがとうございました。

 広報担当に向いてなさすぎでは…。この企画課職員が合併後の新部署でどのような気持ちで仕事に臨まれたか、聞いてみたいものです。
 さて、村政要覧のマンガのフキダシには「私たちは可美村探検隊。どんなまちかすみずみまで見てまわろうね。(原文ママ)」と書かれています。若干19歳だった僕もそのセリフにならって、「村」をすみずみまで見て回りました。

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(1991.4.30撮影。以下同じ)

 現在は「可美市民サービスセンター」と改称した「可美役場」バス停。なぜ「村」を付けなかったのだろうか。

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 村のオフィシャルバンは当然ながらスズキ製だった。

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 可美村の文字が入った標識類。
 ほかにもいろいろ撮ったけど、しょうもないものばかりなのでこれくらいにしておきます。増楽および可美地区は、カメラのシャッターを切りたくなる風景が少なすぎて今回非常に困りましたが、当時のアルバムにもろくな写真がないところをみると、21年前も同じ心境だったようです。
 その中で唯一、これは貴重だと思える写真がこちら。

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 増楽郵便局の旧局舎だ!確か現局舎の道路を挟んだ向かい側あたりにあった覚えがあります。現存していりゃ国の登録文化財級でしょう。(←昨日と同じ文章)
(まさ)
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18年前の三河知立

2012年06月11日
 先日、三河知立駅のことを書きましたが、実家の倉庫からまともな駅舎があった頃の写真が発掘されましたので、ご紹介します。

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(1994.07.15撮影。以下同じ)

 駅舎を囲うようにして設えられた庇と柱が、昔の駅らしくて実にいい。現存していりゃ国の登録文化財級でしょう。

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 ホーム側から見た駅舎。改札脇には、昔の墨書タイプや細字タイプでもなく、CI導入後バージョンでもない、中途半端なデザインの駅名標が。なんとも気合の入っていない感じだ。
 駅舎の向こうに伸びている道は、先に載せた「劇場通り発展会」のカンバンがある道で、かつては駅前通りだったことがわかります。そういえば駅舎取り壊し後、改札口が知立寄りに移動したのだった。

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 オマケ。知立駅の時計と乗り換え案内。すべてのアイテムが味わい深かった…。
(まさ)
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昔の新しい駅のブルース

2012年06月10日

※クリックで拡大します

 実家の倉庫のゴミの山を整理していたら発掘されたものシリーズ。
 先日、開業間もない相見駅のことを書きましたが、上の写真は、昭和63年3月31に開業した逢妻駅と西岡崎駅の記念グッズです。工夫のないテキトーなデザインの記念切符、硬券入場券を模したメタリックなキーホルダー、余った予算で作ったとしか思えないミニはっぴの三点セット。記念切符は購入したもの、他の二点は駅の利用者にタダで配られてました。気前がいいというか、バブリーな時代だったなあ。野田新町や相見の初日は何か貰えたんだろうか。
 ちなみにこの日は三河安城も開業したんですが、さすがに逢妻、西岡崎とは違って注目度が高く、行ったらもう配布が終わってた覚えがあります。
そのほか | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0209

2012年06月09日
 知立でもうひとネタ。同じく内幸町で発見した街灯の商店街表示。

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 「新駅通り」とは、昭和34年に知立駅が旧駅(今の三河知立)から現在地に移転したとき、知立駅と新地通り(旧東海道と弘法さん遍照院を結ぶかつての知立のメインストリート)をつなぐために開かれた道です。当時は商店がダーッと連なって栄えに栄えたようで、タウンアーチもあった当時の写真を昨日と同じく「西三河今昔写真集」(樹林舎)に載せてますので、興味のある方は図書館にでも行ってご覧くださいませ。

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 この道が「新駅通り」。新地通りとの交差点から知立駅方面を望む。この魚屋さん、新婚当初に一度しか買ったことないけど、いつ見てもシブい。

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 そして知立駅。宣伝アーチには、ミスかきつばた写真コンテストの入賞写真(たぶん)のパネルがどーん!単体で見ると特にどうということはない写真だけど、このような形で掲げられると、なんかこう、妙なインパクトがあります(もやもや感?)。
 だいたい似たような年齢層が毎年似たような写真を出品するこの手の観光写真、入賞の決め手ってなんなのだろうか…。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0208

2012年06月08日
 ここ1ヶ月ほど毎晩、30分から1時間ほどウォーキングにいそしんでいます。嫁の「痩せろ!」との声に応えてのことです。
 数年前から「痩せろ」といわれてて、ちょうど1年前には誕生日プレゼントに「マサイ族の歩き方を参考に開発された靴」という謳い文句のMBTというトレーニングシューズを貰ったものの、これまでなんやかんやで断続的使用で済ませてきました。とにかくこの靴、靴底が弓なりになってて不安定なうえ重いので、慣れない状態で少し歩くとハンパでないほど疲れる。そして、暑かったり、寒かったり、忙しかったりで、なかなか歩こうという気が起きなかったのです。
 ですが1か月ほど前、気候もよくなってきたことだし歩きを再開するか、と不意に思い立ちました。始めてしまうと自分でも意外に長続きして、ついに連続1ヶ月越えに成功。おととい体重計に乗ってみたら、2キロも減ってました。おお。
 もっとも僕には痩せたいという欲求はそんなになくて、高価なMBTを減価償却しなきゃというのと、考え事をするのに夜のウォーキングは最適というのが、歩き続けている理由です。
 コースは毎回完全に変えているのですが、自宅起点だとさすがにバリエーションがなくなってくるので、最近は車で夜でも使える駐車場のある施設(アピタ知立、刈谷市総合運動公園等)へ移動し、そこを起点に歩いています。夜とはいえ、見知らぬ住宅街や馴染みの薄い田園地帯を歩くのは実に新鮮で面白い。ただ、そのうち警察に職質されるんじゃないかと心配ですが…。

 で、前置きが長くなったけど、ここからが本題。深夜徘徊で知立中心部の内幸町をを歩いていたとき、このような街灯の商店街表示板を発見しました。次の昼間に再訪して撮影したものです。

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 劇場通り発展会だ!
 劇場通りとは、知立駅北東の旧国1「中町交差点」から東(山町方面)に伸びる旧東海道を中心とした商店街のことで、中山町に知立劇場という映画館があったことが由来だそうです。2006年に作った「西三河今昔写真集」(樹林舎)では、昭和40年頃の劇場通りの写真が出てきたので、地元で聞き取り調査をして掲載しました。興味のある方は図書館にでも行って本書のP30をご覧くださいませ。

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 この表示板を発見したのは旧東海道ではなく、旧東海道と三河知立駅を結ぶ通り。この道はかつて内幸町内にあった「第一劇場」(→●□)の裏手を通っています。劇場通りの名は第一劇場にも掛けていたようです。
 う~む、これだけ書くとなんだか昔からの住民みたいだ。しかし、8年住んでもそんなに馴染んでるふうにもならなくて、微妙な心持ちであります。

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 でもって、この道の奥にある三河知立駅。こういうマニアックなヒマつぶしに付き合わされる1歳児であった…。
(まさ)
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作りかけの鯛&HINOMI

2012年06月07日
 昨日、地元媒体用に書いた「豊浜鯛まつり」(→●□)の原稿を見せに豊浜商工会に行ったら、豊浜漁港でその鯛を作っているところに遭遇した。

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 ホネである。

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 でもってホネの向こうには、例によってHINOMIが!

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 こちらは頭を切り落としたホネなのであった…。
 てなわけで、豊浜鯛まつりは須佐4地区が7/21(土)・22(日)、中洲地区が7/22(日)の開催です。面白いのでぜひ。
(まさ)
知多雑 | Comments(6) | Trackback(0)

新しい駅のブルース

2012年06月05日
 先週なかば、ヒマつぶしに1歳児を連れて刈谷から電車に乗り、3月に開業した幸田町の相見駅に行ってみました。
 新駅なのでもちろん橋上駅舎で、改札を抜けてコンコースに立つと、東西両側の景色が眺められます。

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 西側。なにもない。一瞬、惨憺たる有様のりんくう常滑駅を思い出しますが、区画整理の向こうは美しい田園が広がっております。

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 東側。まさしく開発途上の風景。画面中央やや右に見える「おわら風の盆」で躍る人がかぶる笠みたいな建物、なにかと思って行ってみたらトイレでした。斬新じゃのう。

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 で、下りて駅舎を眺めてみると、なんともJR東海的な感じというか…。ただ、分厚い板状のハコを東西に置いている点は、最近の他駅の形状とはちょっと異なっております。
 ちなみに駅舎の前に見えるウェーブ状のモニュメントは、タイトルが「絆」だそうです。ブームに乗ってますね。

 ところで、相見とは聞き覚えがないなあと思ったら、幸田町北部を流れる川の名前で、さらには明治時代に一時期だけ存在した自治体の名前だったのですね。幸田町史によると、大草・高力・菱池・横落が村域で、明治22年から17年間存在。明治39年に坂崎、深溝と合併して広田村になり(これも川の名前)、明治41年に幸田村に改称されました。
 幸田駅は、もともとは相見村が単独で「相見駅」を設置しようとしたのが、合併を機に「広田駅」設置運動に変わった結果、設置されたんだそうな。つまり、相見駅誕生は地元にとっては100年の悲願達成…ということになるのかな?
 この件に関して、「岡崎・西尾の昭和」(樹林舎)のP194のコラムによると「駅名は、既に福島県に広田駅があることから、「広」を「幸」に変え、幸田駅と名付けられ…」とあり、さらに角川地名辞典によると「明治41年、『鉄道停車場駅名ヲ其ノママ本村名ニ応用スル』として、幸田に変更された。(広田村村会議事録)」とのことです。いろいろややこしい明治時代の幸田である。

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 まあ、この駅名に相見を採用したのは、歴史的バックボーンがあったからというよりも、「あいみ」の語感のよさや字面のよさが新興開発地にはうってつけだとの、開発業者と役場の思惑でしょうな。
 そんな相見駅界隈がこれからどのように発展してゆくか楽しみです…ということは幸田町民じゃないので思いませんけれど、ただひとつ、50年後には幸田町内の東海道線の車窓から田んぼまったく見えなくなっているだろうな、と。
(まさ)
西三河雑 | Comments(3) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0207

2012年06月03日
 伊那谷がらみで、4月下旬に行った時の出し忘れネタ。
 南箕輪村の木ノ下駅前で、このような広告塔を発見。

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 台座の銘板によると、防犯モデル地区に指定されたのを記念して昭和39年に「長野県警察本部指定 長野県防犯協力連合会 木下防犯協力会」が設置したもののようです。
 キャッチコピーは4面に書かれており、「誘惑に負けない勇気強い意思/犯罪を出すな吾等の仲間から」だけ見ると別になんてことはないが、あとの2面はこれだった。

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 禁煙は明るい未来のパスポート/禁煙は自分のための愛言葉。禁煙isラブワード!?
 設置者の記載はないが、長野県のいたるところに立ちまくってる禁煙原理主義カンバンでマニアにはおなじみ、禁煙友愛会(→blog●□/hp●□)のものと思われます。うーむ、友愛会には強いバックがいたらしい。もしくは逆に、ここから先鋭化したのが友愛会なのだろうか。

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 あとオマケ。伊那市の沢渡駅にある国鉄の遺物。急行かあ。「アルプス」とか「伊那」とかあったなあ。時刻表でしか知らないけれど。子供の時に憧れたものだった。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0206

2012年06月02日
 昨日の続き。
 嫁とカメラマンAさんは取材で「天竜ライン下り」乗ってしまったので、僕と1歳児は暇潰しにふらふらと飯田の奥地へ。天竜峡から15分ほど山に分け入ったところで、こんなカンバンに遭遇。

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 死んだウチのばあさんの名前じゃん!しかし千代子とは今どき古風な…というわけではもちろんなくて、飯田市の南東端に位置する千代地区にある、千代小学校の子供たちすなわち「千代っ子」を応援するカンバンです。
 小学生がデザインしたらしいカエルのキャラが描かれ、地元の小企業が総出でスポンサード。しかし、子供たちに何を頑張れというのだろうか。まあ、過疎地なんで言わんとすることはなんとなくわかりますが…。なんでもいいからとにかく頑張れ。

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 千代地区中心部の米川は、山の中に忽然と現れる小さな町場です。幹線ルートから離れているのでこれまで3回くらいしか行ったことないですが、なかなか味わい深い町並み。時又から泰阜村に至る道筋(街道というほどの大きい道ではない)の途上にあります。玄関口は、いちおう飯田線千代駅(→●□)。

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 宿場町っぽいメインストリート。最初に訪れた20年前に比べると減っているものの、まだまだ現役の商店が何軒か。泰阜村には町場とよべるほど家並が密集しているところはないので、千代・泰阜両村にまたがる広いエリアの中心地区とみなしていいかと思います。

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 むかしはテーラーもあったという。
 この日は何人かの村人とすれ違ったのだが、こちらは1歳児を前に抱えて歩いていたので、皆さんたぶん頭にクエスチョンマークが3つぐらい浮かんだことでしょう。一人だったら不審者っぽいから。子供連れは有利だ。

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 千代校区の名所、よこね田んぼにも1年ぶりに再訪してみました。棚田の似合うボウズである。

 どうでもいいけど、小学校で多用される「××っ子」という表記。いつから使われるようになったかはわからないけれど、僕の母校の揖斐川町立小島小学校では、僕が小学校6年生のとき(昭和57年)が初出だったと、はっきり覚えています。
 使い始めたのは隣のクラスの担任だった女の先生。卒業文集のタイトルをその先生が勝手に「小島っ子」と決めてしまったのだった。それまで卒業文集は文集委員の合議か児童の投票で決まっていたはずで、文集委員だった僕は何になるかとても楽しみにしていたのだが、先生のベタなセンスにがっかりを通り越して憤りすら覚えたものです。たしかこの先生、前の年に池田町か神戸町から転勤してきてて、なんでよその学校の流儀をウチに持ち込むんじゃい、と。いやはや、うっとおしいこと考える小学生だね。
 しかしその後「××っ子」は全国的にスタンダードになっていきました。当然ながら今では特になんとも思っていおらず、千代っ子に含むところもないので念のため。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0038

2012年06月01日
 火曜日は伊那谷へ。今年はほぼ月1ペースで行っております。こんなに頻繁に行くのは何年ぶりだろうか。この日の目的地は天竜峡ですが、取材というか、取材だったのは嫁&女性カメラマンで、僕はドライバー兼子守りですが。
 で、1歳児を抱えながら天竜峡駅前界隈をウロウロしていたら、こんな幟が各店の前に掲げられていました。

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 おお、昔のガーリー!なにかというと、土産物店、飲食店、りんご農園などの看板娘の名前が書いてあるのでした。カンバン娘というか、「昭和乙女」の文字が示しているとおり昭和生まれの女将の名前、すなわち看板母さんなわけですが。そうきたか天竜峡。
 ここは、なんか知らないけど肩入れしたくなる雰囲気が漂っているので、頑張ってほしいところです。もらったチラシによると、15日には各店で何かの企画が用意されているとか。

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 肩入れしたくなるのでPRネタを。
 天竜峡みやげに「檜笠煎餅」というのがあります。舟下りの船頭がかぶる笠をモチーフにした小麦粉原料のせんべいです。パッケージのデザインも実に味わい深く、まったくもってザ・昭和な土産。
 天竜峡遊歩道を歩いていたところ、その製造元である天龍堂という小さな製菓所に出くわした(遊歩道といっても一部区間は一般道です)。おお、と思って中を覗いたら、昭和乙女の「やっちゃん」と思しき方が中に招いてくださり、プチ見学&焼きたてを試食させてくれました。3年ぶりに食べたが、これがまた素朴でうまい。

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 オモテ。シブい、シブすぎる!

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 ウラ。顎に掛けるヒモ付きとは芸が細かい。

120601-2.jpg ローマ法王が被る帽子みたい

 1歳児も喜んで食べておりました。天竜峡に行ったらレッツ・ゲット!
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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