夜の盛り場視察団

2012年02月29日
 その日は旧可美村をうろついたあと市立中央図書館へ行き、3時間ほどいたあと市街地徘徊&アクト楽器博物館、夕方また図書館に戻って19時の閉館までいました。ちょうど浜松オートでGⅠを開催していたので行きたかったのだけど、ぐっと堪えて資料調査と取材でございました。おっとそういえば今年はまだ1レースも打っていないではないか。
 館を出て浜松駅へと歩いて帰る道すがら、夜の繁華街を通ってみました。通っただけです。

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 浜松の夜のメインストリート「第一通り」。金曜の晩とはいえ、浜松の夜ってこんなににぎわってたっけ?少なくとも豊橋の夜よりはにぎわしい雰囲気。大政令指定都市とたかが東三河県庁所在地(近日開庁!)とを比べるのもなんですが。

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 奥の光が妖しい通りである。浜松にはいわゆる「都会的」なこういう通りが数本あります。区画整理がほぼ行き届いている豊橋では、こういう雰囲気はちょっと思い当たりません(なくても別にいいけど)。

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 どどーんと静岡銀行。この切り取り方だと浜松とは思えない。

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 そして浜松駅界隈、遠鉄百貨店の本館と新館を結ぶ通路を撮ってみたら、ニセ「TOKYO異形」(東京新聞写真部が2009年に出した写真集)のようでした。
(まさ)
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遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

キヨスク健在

2012年02月28日
 金曜日は久々に取材および取材の下調査のため電車で浜松、しかも高塚へ。高塚は浜松からひとつ豊橋寄りの駅で、旧可美村の玄関駅にしてスズキ浜松工場の最寄り駅になります。ここで下車するのはいったいいつ以来か(もしかしたら可美村時代以来かも)全然覚えがないほど。
 で、久し振りに来てみたら、キヨスクが健在でびっくり。

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 駅舎外の独立店舗です。近隣のキヨスクがことごとく閉店したなか(→●□)、なぜまだ生き残っているのか逆に疑問だが。スズキ通勤客の利用が多いんでしょうか。三角の建物は丸い駅舎と対照させる意図でしょうか。なんにせよ、今や貴重だ。

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 駅前通りもチョー久々。何の気なしに商店群を撮ってみたのだが、あとで浜松市中央図書館に行って地域誌を読んでいたら、この建物(群)に関する記述があった。

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 一方、高塚駅前にも、いくつかの船造(せがいづくり)の住宅がある。これらの建物は、昭和四年(1929)の高塚駅開業以降に建てられたもので、出桁の船造の二階建て住宅で町家的風情を残している建物もある。商店等に使われている建物もあるが、現在は住宅となっているものが多い。これらも可美地区としての文化遺産と考えられる。
(「わが町文化誌 美しかる可き里」より・平成17年・浜松市立可美公民館発行)
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 「考えられる」じゃなくて、文化遺産であると断定してほしかったですが、取り上げているだけでも地域の人の意識の高さがうかがえます。
(まさ)
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

飯田線と赤ちゃん

2012年02月26日
 水曜日の伊那谷取材の目的は、飯田線に乗ってちょっとした写真を撮ることでした。誰かに会ったりする取材というわけではないので、母子も同行です。もっとも、誰かに会う取材にも場合によっては連れて行くこともあります(たいていギョっとされる)。

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 そんなわけで、生まれて初めて飯田線に乗った陽太郎。飯田駅前に車を置いて、飯田と平岡を往復しました。行きは特急伊那路、帰りは鈍行です。
 僕が初めて飯田線に乗ってから25年、まさかわが子と飯田線に乗る日がこようとは、実に感慨深い…というほどのもんではないです。最初のうちは車窓風景に興味津々。なんか電車に乗ってるときの自分の姿を客観的に見ているようだ。
 前に嫁が書きましたが、電車じたいは初めてではありません(→●□)。

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 平岡で1時間弱の待ち時間があったので、町をうろついてみました。0歳児にはまだ平岡の渋い味わいは早すぎるね。ちなみに嫁が背負っているでかいリュックは、陽太郎の着替え、オムツ、食料、母子手帳などを詰め込んだ「陽太郎専用バッグ」。

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 話の流れとはまったく関係ないけど、平岡を歩いていたらこのような野球のポスターを見つけた。なんでまたこんなところに広島カープが?と思ってよく見たら、BCリーグの信濃グランセローズのものだった。長野県の最南端では見る機会なんてほとんどないだろうに、ファンがいるんだなあ。
 どうでもいいけど独立リーグと言えば、二度も見に行った三重スリーアローズがあんなことになあ…。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

恋のアーケード0016

2012年02月25日
 水曜日は取材で伊那谷の飯田線沿線をうろうろ。夕方、久々に駒ヶ根まで足を伸ばしてみたら、駅の近くにあった銀座通りのアーケードがなくなってて驚いた。

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 以前はこんな感じでした。

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(2007.02.22撮影。奇しくも5年前の同じ日)

 場所は駒ヶ根駅から西へ100メートルばかりのところにある「玉屋書店」の脇の通り。アーケードがなくなると、なんだか道が狭くなったように錯覚します。

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(2007.02.22撮影)

 マニアとしては残念ですが、維持費がかさむといわれればそれまでで、仕方がないです。伊那谷の全覆型アーケードは他に伊那市に短いのがあったが、あちらはまだあるだろうか。
 これだけでは寂しいので、田切駅から見た爽快な山の写真でも。

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 爽快というか、寒い~。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0194

2012年02月24日
 そんな音戸には、電柱にこんなカンバンがたくさん取り付けられています。

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 シブい、シブすぎる!凄いねどうも。電柱は木製だし。
 観光文化館でもらった今年1月発行の「音戸渡船で行く 音戸旧道ぶらぶらマップ」というのを見たら、「木製電柱とソデ看板」としてイラストでこれが紹介されていました。いやはや、シブい時代になったもんです。
 オマケにもう一発、凄いところを。

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 当分のあいだ家に帰らずに瀬戸内海沿岸を回っていたくなった…。
(まさ)
西日本 | Comments(0) | Trackback(0)

渡し船の旅

2012年02月23日
 でもって日曜には、呉からバスで20分ほどのところにある音戸へ。平清盛が開削した「音戸の瀬戸」があるところです。
 呉には3年半前に行きましたが、音戸は初めて。完全に未訪の地へ行くのも久し振りで、それだけでテンションがあがるのに、音戸へのアクセスで乗った音戸の瀬戸で運航されている「音戸渡船」というのがまた凄いシロモノで、アガりまくりでしたわ。

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 ジャーン!

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 ジャジャーン!

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 ジャジャジャジャーン!
 いやー、平成も24年になるというのにまだこういうモノが生き残っているとは、素晴らしすぎる。音戸高校へ通学する生徒など、けっこう利用客はあるそうです。ちなみに料金は70円。
 実はわたくし渡船マニアで、けっこうあちこちで乗っております。名古屋の某編プロに勤務していた頃、某大手J出版社より書籍の企画をいくつか出してほしいという依頼があり、「渡し船の旅」という企画書を作って提出したんですがレスポンス皆無であっさりボツにされてしまったこともあります。
 音戸渡船に乗っててそれを思い出して、自力で作ってみようか(とりあえず経費のことは考えずに)と一瞬火が付きかけたけど、よく考えたら渡し船なんて乗船時間は3分がいいとこ。文章引っ張るのがつらいか…。
 あ、でも、もしやりたいという出版社がありましたら、頑張って形にできる方法を考えるので、ぜひお声掛けください。

 そういえば、僕が小学生の頃には地元の揖斐川町に「島の渡し」という現役渡船がありました。一度乗ってみたいと思いながら(シブい小学生だね)、船はいつも置いてあるのに操船する人がいつも見当たらず、一度も乗れないまま三町大橋が開通して廃止されてしまったのでした。あの渡し船は本当に存在していたのだろうか?僕の中で「幻の渡船」です。
(まさ)
西日本 | Comments(2) | Trackback(0)

清盛VS義朝、のぼり対決

2012年02月20日
 土・日はとある取材で広島へ。平清盛がらみで、20年ぶりの宮島と初めての音戸へ行ってきた。

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 春の企画なのに雪とは!午後遅くから回復してきたのでよかったけど…。

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 同じ清盛ゆかりの地とはいえ、宮島と音戸は好対照。世界的観光地の宮島には義経とは関係なく人がどかどかやって来て大にぎわい(写真は夕方なので人が少ないけど)。いっぽう呉市街からバスで20分ほどのところに位置する音戸は、これからガンガン売り出すけんの!と地元民と関係者が意気込んでいるものの、本当に「これから」というところでした。
 さて、宮島ではこんなのぼりがお出迎え。

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 県の観光協会あたりが作ったとのことだが、なぜこうイラストにしちゃうのかね…。取材したとある職人さんも「宮島ほどの格がある名所にこんなもの目障りなだけだ」と憤慨しておられた。ごもっとも。
 ちなみに、清盛のライバル源義朝が死んだ地である美浜町野間も、大河にあわせて売り出しをかけておるのですが、美浜町ののぼりがこちら。

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 大御堂寺に飾るのぼりに大御堂寺の写真なんぞ入れてどうする!まあ「知多娘。」を使わないだけマシか…。
(まさ)
西日本 | Comments(3) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0193

2012年02月17日
 書きたいネタがいろいろあるのですが、とりあえず例によってお手軽にカンバンネタを。知多市岡田で発見した、爆発予告の家具屋のカンバン。

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 いや~、店名部分が消えててよかった。もしバクダンが爆発したら、ここから放水だ!

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 市内でよく見かける、知多町時代(昭和30~45年)のブツです。「多」の字がヨタってていいよね。
 う~ん、どうでもいい。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

二つの跡地のブルース

2012年02月15日
 樹林舎から3月上旬に発刊される予定の「知多半島の昭和」を作るため、いろんなところから古写真を集めていたら、半田競艇場の写真が数点出てきました。常滑の競艇事業部からもいい写真が出てきたので、本書では二つまとめて競艇のコラムを作っております。僕の趣味で。
 ギャンブル関係のネタは、こういう歴史本を買うような層の心にはヒットしないと思うけど、競艇ファンの方は本が出たらご覧くださいませ。
 その半田競艇は、昭和28年に開場したものの、昭和34年の伊勢湾台風で施設が破壊され、そのまま廃止されてしまったという悲運の場です。同じく被害に遭った常滑は復活したというのに!
 どこにあったかというと、半田市港町2・3丁目地先の海面。今は埋め立てられて「港町4丁目」となっているところです。先日、気になるので行ってみました。

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 港湾エリアで、まあ、特にどうということもないところですが…。正面の橋は、東成岩と半田埠頭を結ぶ衣浦臨海鉄道の鉄橋。
 古い写真を見ると周辺にはまったく何もなく、広大な衣浦湾をバックにしたレース風景は実に爽快だったのだろうなあと、年寄りじみた「昔はよかった」的な感想を思わず呟いてしまう。

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 そして振り返ると、杉治商会(新美南吉も勤務したことがあるという飼料会社)のサイロ群が。これはなかなか渋い。昔はここまで武豊線の引込線が伸びていました。
 今、ふとネットで杉治商会を検索してみたら、年末に「破産手続きの開始が決定」だって。

 このあとついでに、対岸の東洋町に去年まであった「半田市青年の家」という施設の跡地にも行ってみました。本書に現役時代の写真を載せるので、いちおう現況を確認に。

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 跡地は更地になってて、地元ライオンズクラブが開館の年に設置した銅像のみがポツーン。廃校に残るニノキンや卒業記念モニュメントのようです。ちなみにタイトルは「若人」。下から見上げるとウルトラセブンの登場シーンぽいというか、なかなかどうも「ジュワッ!」てな感じで。

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 う~ん、忙しすぎて心身ともにくたびれきっている…。ていうか、編集リミットがギリなのにこんなどうでもいいことをダラダラと書いている場合ではない。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

HINOMI再生工場

2012年02月14日
 川合尋常小学校のあとは、久し振りに浦川の町を軽くチェック。旧佐久間町の南部に位置する浦川は、飯田線沿線あるいは三遠エリアの町場ではいまひとつ地味な感が否めませんが(どこも似たようなもんか)、けっこう大きな町です。街道筋には宿場町ぽいの家並、今は少なくなったけど以前は商店もけっこうな数、書店や磐田信金の支店まで現存してます。10数年前には静銀の支店までありました。

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 シブい、シブすぎる!
 こんな町並みの中に、未見の「半鐘台」を二つも見つけました。以前に見落としたのではないような気がするが…。

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 左は消防団の車庫前。もとからあったポールに取り付けた感じ。右は浦川交番の前。こちらは明らかに新しいモノ。
 このあと浦川小学校校庭の火の見櫓(→●□)をチェックに行ったところ、どうやら撤去されてしまったようでした。推察するに、小学校校庭のHINOMIの半鐘は消防団車庫前の、そして町中にあって07年8月に撤去された大型HINOMI(→●□)の半鐘は交番前の「半鐘台」に転用されたのではなかろうか。
 朝早くてあたりに歩いている人が誰もいなかったので真偽は確認していないけど、事実としたら旧佐久間町民の意識の高さに脱帽するばかりです。ビバ北遠。

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 オマケ。飯田線南部の木造駅舎の最後の砦、浦川駅の駅舎は健在。佐久間人の高い意識でもってぜひとも登録文化財に!
(まさ)

◎今さらですが…
 発刊後に鬼籍に入ってしまった三遠のHINOMIもけっこう載ってます
 2008年刊行の拙著「火の見櫓暮情」春夏秋冬叢書のページ

 西三河編の途中でほったらかしにしてあるウチのHP
 「三河遠州火の見櫓集成」→●□
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

アイ門柱ベイビー

2012年02月10日
 こういう場合、妻への反論を書いてブログ上でガチ夫婦喧嘩したりすると、ウケますかね。

 そういうマジで面倒なことはやめておきまして、先日、東栄と津具に行った際、ついでに佐久間町の浦川あたりにも久々に寄ってみました。
 とりあえず某企画の現地調査で、以前「花の舞」を見に行った川合へ(→●□)。飯田線下川合駅の対岸にある集落で、10年ぐらいのちには三遠南信道の佐久間インターがこのあたりにできるらしいです。どんなところかと言うと、こんなところ。

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 シブい、シブすぎる!
 大千瀬川沿いの街道筋の家並は数軒の商店&廃商店がある極小町場になっており、この右手の山の斜面上に民家が点在するという、北遠の典型的な集落形態になっております。
 で、その山の斜面にある川合院(せんごういん)という寺に行ったところ、本堂脇の墓地の入口に、こんなモノを見つけた。

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 だ、誰やねん!
 台座を見ると建造は1977年と意外に新しい。むかし死んでしまった友達を懐かしみ、霊を慰めるために建てたんでしょうか。
 そして、ふと像の後ろに目をやると、こんな銘板が!

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 なんと川合尋常小学校の門柱とは。戦前の学校の門柱は前に旧下山村で見つけたことがあるので(→●□)、これで二例目となります。

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 これが「川合尋常小学校」の跡地。下は運動場。高台に門柱があり、墓地のところが校舎の跡 !? だとしたら凄い土地の転用だ。
 今度この寺をちゃんと取材する予定なので、詳細はその時に聞いてきます。
(まさ)

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(2015.02.22追記)
 2週間ほど前に聞いたところ、卒業生が建立した記念碑的な像ということでした。廃村となった東栄町(旧下川村)の大入集落の子供も、山越え越県通学していたらしい。
遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)

風邪引き

2012年02月09日
 ブログにも自分で書いているけれど、最近のダンナは風邪を引いてばかり。原因は寝不足と疲労だけど、ちょっと弱り過ぎだ。しかも、どこで拾ってきたのか、昨晩から胃腸風邪になっている。夕方、家に帰ってくるやいなや、急にお腹が痛くて気持ちが悪いという。こりゃ胃腸風邪だなと思ったので、病院へ行ってきなよというと、あろうことか「うるせぇ」ときた。
 時刻は19時前。今行けば、ぎりぎり病院に間に合う。陽太郎もワタシもうつされちゃかなわんので、病院へ行ってよと声をあげて言うと、それが気に食わないのか、頑なに行こうとしない。が、その後も何度もトイレへ駆け込み、自分でもやばいと思ったのか、ダンナは服を着込んで近くの病院へ走った。しかし、すでに遅し。もう閉まっていたようですぐに戻ってきた。アホウだ。
 夕飯は食べれず、風呂も入れず、そのままぐったりと横になる。夜中、何度もトイレへ行き、「きもちわりい~きもちわりい~」とうめいている。ダンナが理想とする“綿のような女性”なら、あなた大丈夫?と優しくいたわるだろうが、トゲトゲしくなっているワタシは、なんでもっとはやく病院へ行かないのか、と腹ただしいったらありゃしない。
 今朝、病院で胃腸風邪と診断されたダンナは、固形物は食べないようにといわれたからと、グラタンスープ的なものを買ってきて食べていた。グラタンスープ? そんなこってりしたもん、かえって胃に負担がかかるだろうが。冷蔵庫に陽太郎用のお粥があるんだから、それを食べればいいのに。しかも、ちょっと早めにあげたバレンタインのチョコも食べている。そんなんじゃ、治りませんよって。ほんと、もう少し体調を整えてほしいもんだ。
そのほか | Comments(2) | Trackback(0)

9ヶ月が過ぎた

2012年02月07日
 9ヶ月が過ぎた1月末頃から、坊ちゃんは急にご飯を欲するようになった。とくに大根が大好き! 大根を見せると小鳥のように口を開け、もっとくれ、はやくくれいと全身で意思表示する。いやぁ、今まで食べなかったのがウソのよう。塩抜きしたシラスや茹でた鶏ササミ、ほうれん草や菜の花といった菜っ葉類も食べてくれる。
 思い返せば母乳もそうだった。最初は保健センターに相談の電話をかけてしまうほど飲めなかったのに、一ヶ月経つとグイグイ飲むようになった。その子なりにゆっくりと成長し、生きる術を身に付けていく。ほんとに心配する必要なんてないんだなぁ。

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↑赤ちゃん煎餅、大好き!  大根を食べる陽太郎。↑
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さつまいもは口に合わないみたい。

 そうそう、先日、予防接種以外の理由ではじめて病院へ行った。熱はないけれど咳の仕方が気になり、母乳を飲むのが苦しそうだったから。ただの風邪と診断されたけど、軽い気管支炎では?というワタシの心配を汲んでくれたのか、計5種類の粉薬が処方された。もちろん、飲みやすいようにまとめてくれたんだけど、それでも薬袋は2つ。これを食後に水に溶かして飲ませてくださいという。離乳食もまともに食べないのに、食後ってか?(その時はまだ離乳食をほとんど食べなかった) 。病院の受付で薬を受け取った時に聞けばよかったのだが、咄嗟のことで聞けなかった。
 家に帰ってから薬剤師の友人に聞き、5時間ほどの間隔を置けばいつでも飲ませてよいこと。水でなくとも温度低めの白湯に溶かしてもいいことなどを教えてもらう。赤ん坊でも薬はまずいと分かるのか、半分くらい吐かれたが、数日のうちに鼻水も咳もおさまった。
 しかしながら、乳幼児に粉薬。あれは何とかならんのか。そして、診察時間が限られているかもしれないが、もう少し、薬の飲ませ方などのアドバイスが欲しい。いつだったか、新聞のコラムに“産後こそ母親学級を”というドクターの話が紹介されていたが、本当にそう思う。薬はどうやって飲ませたらいいの?、そんなことが新米ハハにとっては気がかりで、ハラハラするのだ。

 もうひとつ、個人的に知りたいこと。着物を着ている時、授乳はどうやるのか。あるサイトで身八つ口から授乳する方法が載っていたけど、かなりの巨乳じゃないとこれはムリ。着物での授乳方法、教えてほしい。


おまけの写真。柔肌の陽太郎と比べるとダンナは・・・。
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そのほか | Comments(0) | Trackback(0)

雪の奥三河

2012年02月05日
 本日は来年冬用の先取り取材で奥三河へ。今年初めてです。今年はもうちょい「三遠回帰」したいと思っていたのだが、始動が遅くなってしまいました。
 奥三河は雪景色でござんした。

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 東栄町の東のほうにある大千瀬川のポットホール「煮淵」。雪の煮淵は初めて見ました。

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 途中で立ち寄って久し振りにここの酒を買った。東栄町本郷にある「蜂龍盃」の森山酒造場(→●□)。新酒は今月半ばに発売だそうです。

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 津具支所付近から見た上津具の雪景色。そういえば雪の津具も初めて。寒いよォ~。
 資料を見るため、支所に隣接する公民館内の「図書室」(と言ってもけっこう立派)に寄ったら、誰一人利用者がいなかった。人がいない図書館ってのも滅多にない経験で、あまりに静かで快適だったもんで「ああ播磨灘」を読んで無駄に時間を費やしてしまった。
 そんな次第で奥三河の雪景色を満喫したのだが、このあと揖斐川町の実家へ行ったら、津具より雪があった。

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 岐阜の山間部なので、当たり前と言えば当たり前なんだけど…。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0038

2012年02月04日
 今日、取材でセントレアに行ったら、ハワイフェアか何かでフラダンスをやってたので、ちょっとだけ見物してきた。いろんなチームの人が入れ替わり立ち代わり出てきて、最初は割と若めの子がフワフワ躍ってて癒された。しかし、途中からどうしたことか50以上の人ばかりの踊りになって、楽しんでやってる皆様方には申し訳ないんだけど、だんだんキツい心持ちになってきました。う~ん。
 そして夕方に近所の歯医者に行って、今日は金歯を被せてもらうはずだったのだが、嵌めてみたら「どうもセンセイが納得いなかいみたいでして…」と女医さん(奥さん?)に言われて中断・来週に再来院のハメに。しかも異様に沁みて痛くて、隣の椅子に子供がいるってのに半泣き状態。なんじゃこの歯医者は!けど、文句つけたら来週も痛い目に遭わされそうだし、そもそも痛すぎて文句を言う気にもなれない。う~ん。

 そんなこんなで厳しい毎日ですが、今日もお手軽にアーチのネタでも。
 先日、取材で久々に布袋の町へ。布袋といえば最近、名鉄最後の「名駅舎」が取り壊されてがっかりしましたが、このタウンアーチは残ってた。

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 駅前に一番近い「ホテイ本六商店街」のアーチだ!ていうか、完全にお肉屋さんのアーチですねこりゃ。
 布袋は最近、有志が渋い町並みで売り出そうといろいろ活動しているようですので、これも渋いアイテムとしてぜひ残していただきたいものです。

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(2005.02.06撮影)

 前は江南駅のすぐそばにこういうアーチもあったんですが、撤去されて現存しません。もったいない…。
(まさ)
尾張雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0192

2012年02月03日
 引き続き仕事的にも肉体的もキビシイ日々が続いており、またもブログの間隔が空いてしまいました。今朝なんぞは風邪が悪化しそうだったので近所の病院に行ったのだが、今年に入って眼医者・歯医者・皮膚科・耳鼻科と、ほぼ毎週一回病院に行っています。あー。
 今日は節分ってことで、嫁と陽太郎坊ちゃんは僕の仕事の邪魔にならないようにと遍照院(知立)へ豆まきを見に行き、みやげに境内で売っていた恵方巻を買ってきてくれた。僕が初めて恵方巻の存在を知ったのは今から15年ほど前。当時勤務していた編プロで、この日には伏見の東鮓本店に注文した恵方巻が社員に配られたのだった。ウチの社長が関西出身で、これは関西の風習なんだなと思っていたら、コンビニか寿司業界かはたまた関西人の陰謀かしらんが、いつのまにか全国的なイベントに…。
 太巻は好きだけどそういうのってどうやろと思うんで、僕は今年の方角向かへんし、喋くりながら食べんねんで(関西弁)。

 そんなことはどうでもよくて、またお手軽にカンバンネタを。常滑市樽水の旧道沿いでみつけた、カンバンというかポスターの掲示板。枠に書かれたフレーズが時代を感じさせる一品です。

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上 行楽は名鉄沿線へ
左 名古屋市栄町柳橋シキシマパンで御休憩を
右 御買物は松阪屋へ 演劇は御園座で!
下 旅行は笹市の案内所へ

 名古屋のビッグネームが揃い踏み!柳橋にシキシマパンの休憩所があったんだなあ。
 ところで「笹市の案内所」って何?知ってる人がいたら教えてください。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)
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