アウトオブ絶景本0015

2011年12月31日
 そんなこんなで今年も残すところあと数時間ですが、それにしても昨日の競輪グランプリ、本線で買ってた豊橋の星・深谷が死ぬつもりで駆けてBS番手捲りとは…。GPだけは全員が1着取る気で走らんかい、と言ったところでこの心の叫びはあのヤローにゃ届くまい…。

 そんな心と懐の傷はさておき、ここ数年、仕事面で知多半島への依存度がどんどん高くなっていったのですが、今年はまさにマックス。レギュラー仕事に加えて単発モノもいくつかあって、実は今も実家のPCで「知多半島の昭和」という本の編集作業をやっております。ひ~ん。
 この本は名古屋の樹林舎という出版社の企画になります。もし、知多半島5市5町で撮影された昭和の写真(モノクロでもカラーでも、プリントでもネガでもOK)を持っている方がいらっしゃいましたら、まだ間に合いますので、コメント欄にでも御一報くださいませ。

 そんなわけで今年の最後も知多半島ネタ。
 美浜町時志というところに、知多四国の番外札所/南知多三十三観音の1番札所になっている、時志観音影現寺という寺があります。尾張徳川家に庇護された由緒ある寺院で、高台にあるので眺めがいいことで有名です。

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(2008.05.22撮影)

 これは3年前の早朝に撮影したもの。こんな具合に境内から三河湾が一望できます。以前作った拙著「鉄道で行く絶景の旅」(→●□)にも取り上げました。
 で、この9月、地元媒体の取材で久しぶりに時志観音に行ったところ、住職から「この裏の山頂に展望台があるよ」という情報を教えてもらった。え、そうだったの?樹林舎の「知多巡礼紀行」(→●□)のときはそんな話出なかったけど…。
 その日は他に予定があったので話を聞いただけで帰り、11月に再訪した際、寺の裏へ行ってみました。
 墓場の脇を抜け、木立の中を1分も登ると、すぐに山頂に到達。そこには廃墟チックな展望台が!

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 おお、なんというか…地味?設置年を記したと思われる鉄製の銘板が付いていましたが、肝心の部分が腐食して読み取れません。住職もいつ作ったか知らないとのこと。戦後とは思いますが…。

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 登ってみようと背後に回ると、なぜか滑り台が!

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 そして展望台からは、絶景というにはちょいと微妙な景観が!見えるのは河和南部の海岸線で、煙を上げているのは加藤化学(水飴の製造会社)の工場。木が生い茂っていなければ、もう少し眺めがよかっただろう。

 この展望台のルーツをさぐると、昭和10年代に寺が愛知電鉄(今の名鉄)と共同で行った、観光開発に行き当たります。
 今の河和線が河和まで延伸された際、乗客誘致と参拝客誘致の目論見が一致して、ここに奈良の信貴山より毘沙門天を勧請して「名古屋信貴山」を開き、名所として大きくPRしました。境内の山一帯は白山公園として整備され、東屋も設置。また、名鉄発行のパンフには、犬山や聚楽園大仏などと並んで時志観音も紹介されています。さらに最寄駅として、河和口から南へ数百メートルのところに時志駅も設置されました(→●□)。
 ところが名古屋信貴山の毘沙門堂は、昭和19年の東南海地震で倒壊してしまいます。戦後、これが再建されることはなく、遠方からの毘沙門さん目当ての参拝客は少なくなったようです。
 ちなみに時志駅は昭和19年に休止されていますが、ウィキの記述にあるように「河和口駅に近いため、戦時中の休止後、廃止されている。」という単純な話ではなく、戦時下で観光客誘致どころでなくなったうえ、地震による倒壊で追い打ちをかけられて人が来なくなり、存在意義がなくなった、というところでしょう。

 そうして「東海信貴山」の名はほとんど使われることがなくなりましたが、その後も時志観音と白山公園は、地元の遠足スポットとして定着しました。「知多半島の昭和」の取材では、この展望台の下で弁当を食べたり遊んだりしている昭和30~40年代の古写真を2枚ほど見つけています。

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 森の中には昭和初期に建てられた東屋の残骸も。住職によると、わりと最近まで旧状を保っていたそうな。

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 でもって、時志観音影現寺の境内。左に立つ大きな観音像のところに、東海信貴山毘沙門堂が建っていたそうです。
 そんなこんなで、知多半島のマニアックなネタで2011年を締めくくってみました。来年は、知多半島もマニアックに追究しつつ、ちっとは三河回帰・岐阜回帰もしたいものです。
 そして、陽太郎が生まれた良き一年でした。来年もなにかこう、どか~んと一発、がんばりたいです。
(まさ)

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(2013.05.30付記)
 知多半島の無料雑誌「Step」13年6月号の「知多遺産」という連載企画で、時志観音と時志駅について書きましたので(無署名原稿ですが)興味のある方はご覧ください。
 なお、上記の「名古屋信貴山」勧請にあたり、名鉄の初代社長、藍川清成が尽力しました。自ら信徒総代となって名古屋の財界人から寄付金を募り、その浄財で本堂の横に信貴山本殿を建設。単なる乗客誘致ではなく、本尊の毘沙門天は商売繁盛の神なので信仰心も篤かったと思われます。

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 河和線全通間もないころに発行された名鉄のパンフ。

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 裏面には豊川稲荷、聚楽園大仏、熱田神宮、岡崎公園、鳴海球場など沿線の名だたる名所とともに「時志観音と名古屋信貴山」も紹介されています。
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知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

餅つき

2011年12月29日
 今日はダンナの実家で、恒例の餅つき。庭には雪がどかっと積もり、辺り一面銀世界。年が明ける前に、こんなに雪が積もるのは久しぶりです。義父母の友人に加え、ワタシの両親も毎度のことながら参加し、つきたての餅に、義父母が用意してくれたちらし寿司、のっぺい汁、ごま豆腐、サラダ、漬物などをたっぷりいただきました。
 餅つきはほとんど義父母に任せきりで、手伝ったのはちょっとだけ。ここのところ気持ちのすれ違いが多いせいか、ワタシとダンナは息がまったく合わず、如実に表れてしまう。来年はもっと仲良くしなくちゃなぁ。

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初めての雪を満喫する陽太郎

(まり)
そのほか | Comments(3) | Trackback(0)

島のサンタクロース

2011年12月26日
 クリスマスイブはフグを食べに日間賀島へ行ってきた。今回は名鉄の日帰りプランを利用し、名鉄線で河和駅まで行き、河和港から高速船に乗って日間賀島西港へ。今年になって三度目の訪問です。
 お値打ちプランということもあり、食べきれないほどの量ではなかったけど、テッサ、テッチリ、唐揚げ、フグ雑炊と順に食べていたらお腹が膨れ、動くのが面倒になるほど。お風呂に入ったら眠くなり、の~んびり過ごしていたらあっという間に三時近くになっていた。何度も来ているのに土産を買い、帰りの船の時間に間に合うよう、海岸沿いを歩く。すると、前方に赤い服を着た人を発見!! 

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 まさか、サンタさんじゃあるまいと思っていたら、サンタクロースだった!!
今日ってクリスマスイブか?と疑うほど、クリスマスらしい雰囲気をつゆとも感じさせなかった日間賀島で、まさかサンタさんに遭遇するとは。よく見ると白い袋を入れた箱を持っている。これはあれだな。サンタに扮した観光協会か店の人が、子どもたちにプレゼントを渡しているに違いない。そう思った私は、これみよがしに陽太郎の存在をアピールしながら、「こんにちは!」と声をかけた。
 サンタさんは少し恐縮しながら、「ケーキの配達にいくんです」という。聞くと、サンタさんは生協の方だったのです。するとサンタさん、何やらごそごそと袋の中を探し、「どうぞ~」と手渡してくれるではないですか。それは試供品らしいクッキーとティッシュだったけど、めちゃくちゃ嬉しい。クッキーが少ししかなかったところをみると、ここまで来る間に何度も声を掛けられ、その度に渡していたんじゃないかなぁ。しかし、予想していなかったサンタさんからのプレゼントは本当に嬉しかった。生協のサンタさん、ありがとう!

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配達先を探すサンタさん。



そうそう、陽太郎は8ヶ月になりました。
ハイハイをはじめ、ちょっとの段差なら這い上がってくる。
いよいよ部屋の中をクリアにしなくては!

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左より、カメラを触る陽太郎。台所を覗きこむ陽太郎。

(まり)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

旧渥美郡杉山村天津公民館

2011年12月23日
 前回の一番上の写真に見える国道259号天津交差点の角には、こんなシブい建物があります。

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 天津公民館だ!くどいようですが「テンシンこうみんかん」ではなく「アマヅこうみんかん」です。形からして、どこかの学校校舎の払い下げだと思いますが、詳しいことは調べておりません。

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 渋い玄関には、伊勢湾台風時の水位を示す案内板が。そして敷地内には電話ボックス&郵便ポストという以心電信(YMO)なセットが。
 えー、特に話は広がりませんで…。
(まさ)

◎旧××郡××村建造物シリーズ
旧西加茂郡小原村役場→●□
旧渥美郡福江町役場→●□
旧額田郡宮崎村役場→●□
旧知多郡三和村小倉公会堂&旭村金沢公民館→●□
旧知多郡鬼崎村役場→●□
旧知多郡鬼崎村多屋公民館→●□
旧安倍郡井川村公民館→●□
旧額田郡本宿村役場→●□
旧愛知郡長久手村長湫公民館→●□
旧碧海郡高岡村中田農協倉庫→●□
旧碧海郡高岡村若林公会堂→●□
旧碧海郡高岡村吉原区民館→●□
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

天津杉山

2011年12月22日
 ネタはふたたび三河に戻りまして、ただいま発売中春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」33号の連動ネタ。

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 担当している「地名探訪」のページでは、三河を代表する天地名ってことで豊橋市の天伯を取り上げましたが、豊橋にはもうひとつ、天の付く地名があります。それは、田原市との境に位置する杉山町の小集落、天津。脚注で少し触れました。

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 天神というと天津甘栗しか思い浮かびませんが、読みは「テンシン」ではなく「アマヅ」です。国道259号沿いで、ちょっと走るともう田原というところ。このあたり、国道を走っているとダラーっと広がる田畑の印象しかありませんが、国道を外れて集落の中に入るとこんな感じ。

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 いかにも渥美半島の農村らしい風情でいいですね。いや、僕はいいと思うんですけどね…。
 天津ってくらいだから昔は湊があったんでしょうが、今はさすがに湊っぽいところはなく、せいぜいこんな程度。

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 僕はいいと思うんですけどね…。



 マイナーすぎるので念のために地図を。この年末、ヒマで何もすることがない人や東三河が好きでしょうがないという人は、行ってみてくださいませ。杉山はたぶん冬がいちばん味わいがあります。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

恋のセンチメンタルシティ0005

2011年12月21日
 名古屋の天白区はけっこう起伏に富んでいて、眺めのいい場所が多いのが特徴と言えましょう。「叙情都市名古屋」の取材では天白区のマイナー眺望スポットのひとつ、稲葉山公園に行ってみました。

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(2010.12.17撮影。以下同じ)

 地下鉄植田駅の北西にある小山で、地域住民の散策コースになっている模様。山の南から西の麓は「プチ寺町」の様相を呈しており、植田の元集落といった風情です。宅地化される以前は日進的な風情だったんでしょうなあ。

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 北東にはどどーんと御岳。

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 北西にはびよーんと東山スカイタワー&名古屋高速の換気塔(だったっけ?)。
 例によって、本書にはこの界隈の写真は載ってませんが…。叙情とはチョイと違うかもしれないが、爽快な場所ではあります。そのうち、名古屋のマニアックな景観ポイントだけを集めた写真集として日の目を見る…日が来るかもしれません(来ないかもしれません)。
 この界隈の取材記録はこちらにも→歴遊舎HPより
(まさ)

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叙情都市名古屋 木村一成写真集
A5判変形・100ページ・オールカラー/2,480円
写真 木村一成
発行 歴遊舎
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恋のセンチメンタルシティ0004

2011年12月20日
 前回までのテンパクつながりで、名古屋の天白のことでも…。
 日本でもっとも有名なテンパク地名といえば、名古屋の天白区でしょう。天白区の由来は、区内を貫流する天白川です。では、天白川は何由来かというと、例によって山田宗睦の連載「天白紀行」(に送られてきた読者投稿)によると、天白区でない下流にあったらしい天白社ではないか、という説が一般的らしい。ややこしいというか、いいかげんというか、まあ地名由来なんてそんなもんです。
 歴遊舎「叙情都市名古屋 木村一成写真集」の取材では、なんだかんだでこの天白川の流域をほぼ辿ってみました。流域を制覇しようと思ったわけではなく、終わってみたらだいたい押さえていた。

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(2010.12.04撮影)

 最下流の港区船見町、名古屋臨海鉄道の鉄橋付近。

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(2010.12.04撮影)

 南区上浜町、天白川と扇川の合流地点。左の隅には沈む夕陽を狙う木村氏が見えます。

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(2010.05.13撮影)

 南区赤坪町。このあたりは河床が宅地よりも高い「天井川」だそうです。

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(2011.04.09撮影)

 天白区植田南、天白小橋という小粋な名前の歩道橋から望む。桜と菜の花の取り合わせは、豊川の佐奈川のほうに軍配…かな?

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(2010.11.01撮影)

 そして最後は天白区平針、国道302号の天白川大橋から望む。川の右は天白区、左は日進市になります。
 これだけ回ったのに、天白川の水面が写った写真は本書に1枚も使っていないという潔さ!叙情がないわけではないと思うのですが、結果的にそういうことに。流域のみなさんどうもすいません。
(まさ)

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叙情都市名古屋 木村一成写真集
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写真 木村一成
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西三河のチチブ

2011年12月17日
 今回も季刊誌「そう」33号(春夏秋冬叢書)の連動ネタ。

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 前回は豊橋の天伯のことを書きましたが、岡崎にもテンパク=天白があります。それは、JR東海道線矢作川橋梁の左岸側あたりにある、天白町。

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 ほぼ新興住宅地。幹線道路が通じているのでちょくちょく通りかかるけど、まあ、あまり気に留まらない町です。
 この町名の由来は天白神社が鎮座していること。東海道線の築堤の下にある「丸八岡崎青果地方卸売市場」の北側に、ひっそりたたずむ社です。

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 シブい、シブすぎる!以上!
 特になんとも書きようのない神社ですが、前回触れた中日新聞の連載「天白紀行」(文・山田宗睦)では、なんとここだけで1回分を費やしています。よくそんなに書くことがあったな、と敬服の至り。興味のある奇特な方は、縮刷版で昭和52年1月28日の連載第15回を探してみてください。
 ここでは天白神社よりも、隣りにあった寺のほうがすごかった。

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 雑木におおわれ、入口を廃車(?)がふさぐこの寺は、標柱を見ると「三河秩父二十四番 田植観音 天白山慈雲寺」とありました。「三河秩父」は埼玉県の札所霊場「秩父34観音」の写しなんだろうけど、なぜ三河で秩父なんぞを?あと「田植観音」てなんなんだ!

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 山門をくぐると密林が!上記の「天白紀行」ではこの寺のことも触れられており、当時は住職もいたようですが、いまは無住の廃寺…だと思う。
(まさ)
西三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)

テンのパクパクパク

2011年12月16日
 前回に引き続き、ただいま発売中の季刊誌「そう」33号(春夏秋冬叢書)の連動ネタ。

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 「地名探訪」で取り上げた豊橋市の天伯(てんぱく)ですが、さる研究によると、「テンパク=天伯/天白」は三重・愛知・長野・静岡を中心にけっこうあちこちにある地名のようです。どうでもいいけど、テンパクってカタカナで書くと、森政権時代に開催された「インパク」というしょうもないイベントを思い出しますね。
 天伯/天白の由来は、天白神という神だそうです。ただ、これが何の神様なのかはよくわかっていないらしい。民俗学者ではないので、あまり深くは突っ込みません。
 もし、詳しく知りたいという人がおられましたら、中日新聞で昭和52年1月6日から3月19日まで50回にわたって連載された「天白紀行」(文・山田宗睦)を、図書館で縮刷版から探し出してお読みくださいませ。これがまたとんでもなくマニアックな連載企画で、あまりにシブすぎて今だったら決して新聞なんぞに載らないでしょう。いい時代だったんだなあ…。

 さて、天伯原には「天伯」の付く神社が3つありまして、何かネタが拾えないものかと、とりあえず回ってみました。では、創建の新しい順に…

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 天白町字豊受にある天伯山神社。昭和25年に創建された開拓入植者の心のよりどころ、ですね。境内には開拓資料館や記念碑があります。

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 天白町の通称「元天伯」にある天伯神社。天伯原に最初に人が住んだのが明治末期で、その人たちが大正時代に創建したもの。

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 畑ヶ田町にある天伯神社。正和元年(1312)の創建。
 3社を比較して分かったことは、これらを並べてどうする、ってことですね…。

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 ちなみに畑ヶ田(はたけだ)というのは天伯原の北西端に位置する集落。もとは「仏餉(ぶっしょう)」という地名だったのだが、豊橋市に合併した昭和7年に、なぜか現名に改称してます。理由は不明。確かに畑と田んぼしかないけど、それにしてもなぜこのネーミング?一部マニアの間では「トヨハシの地味な7不思議」のひとつとも言われています(ウソ)。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

テンのパクパク

2011年12月14日
 ただいま発売中、春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」33号の連動ネタ。

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 すでに8年もやっている「地名探訪」、今回は三遠南信で「天」のつく地名ってことで、代表格ともいえる豊橋の天伯(てんぱく)を取り上げました。

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元天伯バス停付近より北を望む

 豊橋市の南部一帯に広がる丘陵地を地元では「天伯原」と呼んでいます。地形図に載ってないので東三河以外ではマイナーと思いますが、だいたい梅田川より南、野依街道より東、端っこは表浜海岸の断崖まで。その中心には豊橋技術科学大学があります。
 戦前は陸軍の演習地、戦後は引揚者の開拓地、現在は農業都市トヨハシの中心地のひとつ、という歴史を辿りました。なのでひたすら畑ばっかり。

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 どばーっ。

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 どざーっ。

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 畑、以上!てな感じで。とりあえず今日は「叙情台地天伯」写真集でオシマイ。
 初めて天伯原に足を踏み入れたのは20年も前の愛大生時代で、あまりの雄大な風景に感動したものだが、この風景の爽快さがなかなか豊橋っ子にはわからないらしく、「天伯原、いいよね」「そうかのん?」という会話を地元民と何度かしたものだった…。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

金網のあっち側

2011年12月13日
 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」33号が発売中です。

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 今号のキーワードは「天」。わたくし(まさ)は毎号と同じく地名探訪&小学校連載に、アマチュア自転車チーム「天狗党」を担当。嫁(まり)は、「天日干」のタイトルで岡崎のワタナベ鯉のぼり店、「天恵の泉」のタイトルで引佐の竜ヶ岩洞について書いております。ぜひ書店でお買い求めください。三遠南信エリア以外でも、ちくさ正文館本支店、名古屋タカシマヤ三省堂、カルコス各店などで販売しております。

 今回取材させてもらった「天狗党」は、30年の歴史を持つ豊橋の自転車チームです。ロードとトラックの両方をやってて、競輪の松井英幸選手(S2・愛知・52期)らプロのレーサーも参加しています。
 ロードの取材は8月に行い(→●□)、トラックの取材は9月某日の朝、豊橋競輪場で練習をするというので行ってきました。
 豊橋競輪場、それはわたくしの社会人生活の原点。大学卒業直前、ひょんなことで豊橋競輪で発行している予想紙の制作会社に入社したのが、文章書き仕事の始まりだったのでした。「④青木が捲れば①白井の出番。②黒木の伸び脚は要注。」とかそんなので。

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 金網の外側では、22歳の時から膨大な時間を過ごしてきたというのに、内側に入るのは初めて。いや~、新鮮だ。競輪ではなく天狗党の皆さんの練習だけど、間近でレーサーが走っているのを見るのは実にいい。いわき平競輪場ではバンクの内側にも観覧席を設けているが、豊橋でもそうすればいいのに。

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 初めて来たときから気になっていた、豊橋市章(ちぎり)の形をした池にも近づいてみました。感想は…特にナシ。

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 「叙情都市名古屋」の表紙写真ではないが、こんなふうに競輪場のイメージをくつがえす爽やかな写真も撮れたりしました。
 そんなわけで年末の競輪グランプリは、豊橋の星・深谷知広(96期)からスジ違いで勝負!
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

恋のセンチメンタルシティ0003

2011年12月11日
 昨日は文化のみち橦木館にて、「叙情都市名古屋 木村一成写真集」の出版記念パーティーが盛大に催されました。

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          祝辞を述べるテンカラ大王こと石垣先生↑  ↑アマゴンスキーこと木村氏

 橦木館の座敷に、媒体関係者、カメラマン、写真教室の生徒さん、釣り師、被写体の方、0歳児など50人が集結。木村氏×わたくしによる制作裏話スライドトークや、歴遊舎岩月氏による本書の印刷・製本解説などもあり、たいへん盛況でございました。個人的には「この本作りにおける僕の位置づけは、ネプチューンのホリケンみたいなものです」と発言してスベったのが心残りでございます。
 そんなことはどうでもよくて、スライドトークではボツ写真の数々と撮影中の姿を捉えた写真を紹介したのですが、一番客席がどよめいた写真がこちら。

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(2010.08.08撮影。以下同じ)

 いったいこのカメラマンは何をやってるのか?というと…

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 チラシと表紙に使い、3月の写真展でもタタミ一畳分ぐらいにまで引き伸ばした、この写真を撮っているのです。名港西大橋が水面に反射しているのですが、まさかこれが小さな水たまりとは、お釈迦様でもわかるまい。
 この撮影方法と出来上がりの写真を見たとき、僕はこの人にはかなわないな、と思いました。
 その間わたくしは、木村さんの背後からこんな写真を撮ってました。

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 公団カラーと公団フォント(公団ゴシック)の高速道路電光表示板って、夕陽の中で電気がついていると味わい深いなあ~、って。名二環以後、高速道路の書体が独特の「公団フォント」から「ヒラギノ」に変わってしまって残念きわまりない…とか言ってる場合ではない。

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 ちなみにこれを撮影したのは、金城埠頭の「南京大路」。南京ってなんじゃいと思って検索したら、名古屋の姉妹都市の名前を付けたらしく、ロサンゼルス大通りとメキシコ大通りもあるそうな。行政もテキトーな…。
 そんなこんなで「叙情都市名古屋」、書店で絶賛発売中なのでよろしくお願いします。
(まさ)

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叙情都市名古屋 木村一成写真集
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写真 木村一成
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のぎやん0006/道路元標の迷宮0006

2011年12月10日
 先日、常滑市古場にある「白老」の蔵元・澤田酒造へ、樹林舎「知多半島の昭和」の取材に行ったところ、昭和9年に撮影された忠魂碑建立式の写真を見せてもらいました。蔵の奥さんいわく、西浦南小学校の裏山のてっぺんにまだありますよ、ってんで、取材後、さっそく行ってみた。

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 おお、みごとな忠魂碑。古写真となにも変わってない!って、当たり前か。
 傍らにあった石碑によると、日清戦争から満州事変までの戦死者を慰霊するもので、もとは100m東にあったのを、昭和61年の耕地整理に際して現在地に移転したとのこと。
 揮毫はなんと東郷平八郎。両脇には、2体の像が碑を守っております。

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 右はまさしく乃木希典。石造は各所で見ているけど、陶像は初めて。さすが常滑。陶像作家も大勢いたので、図書館で調べれば誰の作かわかりそう。
 で、左は…誰?(※東郷平八郎だそうです)
 でもってこの忠魂碑パークの入口には、このブツまで!

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 西浦町道路元標だ!樽水から古場までを含む自治体で、昭和29年の常滑市合併まで存続していました。まさかこんなところに移されていようとは。
 文字サイズが標準よりでかく、半田市道路元標を彷彿させます。半田市道路元標については…画像がすぐ出てこないので、道路元標を集めたサイトでもご覧下さいませ。

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 木が生い茂って見晴らしはイマイチですが、だいたいこんなところ。澤田酒造角の四つ角を山側の細い道に入り、坂を登ったてっぺんにある西浦南保育園の隣りになります。帰りには「白老」を買いに立ち寄ればパーフェクト。
(まさ)

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◎のぎやんシリーズ 
0001豊田市林添町→●□
0002豊田市(旧旭町)杉本→●□
0003東栄町中設楽→●□
0004蒲郡市三谷→●□
0005名古屋市中村区名駅5→●□

◎道路元標の迷宮シリーズ
0001南設楽郡山吉田村→●□
0002北設楽郡下川村→●□
0003浜名郡中ノ町村→●□
0004西加茂郡保見村→●□
0005南設楽郡東郷村→●□
知多雑 | Comments(3) | Trackback(0)

このイチョウがすごい!

2011年12月09日
 三河山間部のイチョウはとっくに終わってますすが、温暖な知多半島は今が盛りです。僕が知る限り知多で一番のイチョウは、阿久比町板山の知多四国13番安楽寺のイチョウ。

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 山門の下にどかーんと聳える、安楽寺の大イチョウ。知多四国の境内にある樹木では屈指の名木と言っても過言ではありませんが、県とか町の天然記念物に指定されているわけではない模様。寺の人にチラッと聞いた話では、少なくとも昭和初期からあるとか。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

県境の晩秋

2011年12月08日
 今年は秋をいまひとつ味わわないままに、冬に突入してしまった感があります。先の日曜日、取材半分遊び半分で設楽~津具~根羽~稲武~旭と回ったのだが、津具と根羽は完全に冬でした。寒いヨォ~。
 旭は、まさしく秋が終わろうとしているところ。矢作川を挟んで岐阜県の串原と接している時瀬という集落では、イチョウの巨木が3分の1ほど散っていて、来るのが少し遅すぎた。温暖な知多や碧海を拠点にしていると、山の気候を忘れてしまってどうもいけません。

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 どかーんと時瀬のイチョウ。これから5日たってるので、たぶんもう行っても無駄です。

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 矢作川ごしに見た時瀬のイチョウ。うーん、盛りのときに見たかった。
 ちなみに、この写真の撮影場所は昭和30年に編入された旧岐阜県の地域、イチョウが見えるのは愛知県、その奥の山の斜面は岐阜県という、大変マニアックな一枚です。う~ん、どうでもいい。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

草食動物のシワザ

2011年12月07日
 やられた。静かにしているなぁと様子を見に行ったら、陽太郎坊主が文庫本にしゃぶりついていた。口の中にカバーの切れ端があったので慌てて取ったけど、すでに一部、食い荒らされていた。本を大切に保管するダンナは苦い顔をしていたけれど、陽太郎なら許すと甘い。ワタシが帯を放っておいたらブウブウ言うのに。
 ここ最近の陽太郎は新聞、チラシ、雑誌、文庫などの紙類に、異様に興味を示す。新聞をめくる音がすると、耳をピンと立てて(これはウソ)、こっちに向かってくる。紙に突進するヤギそのものだ。卓袱台に置いても、手を伸ばしてつかみ取ろうとする。ほんと、気をつけねばなりません。
 
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 カバーの一部は陽太郎のシリから出てきた。とてもセロテープでくっつける気になれない。
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霧&HINOMI

2011年12月06日
 先の土日は久し振りにハードな動きをしてしまった。

12/3 午前・浜名湖競艇(取材。舟券は買う時間がなかった)→午後・天竜区春野町の山奥をぐるり&図書館(いちおう取材)→自宅、20時就寝

12/4 午前3時起床、仕事の原稿を一本→午前前半・設楽~津具~根羽(いちおう取材)→午前後半・豊田市時瀬(いちおう取材)→午後・大垣競輪(取材ではありません)→夕方・揖斐の実家→夜・嫁の実家

 大垣では競輪祭の決勝戦を元茨城県知事候補から買ったら、読みズバリで取ったんだけど最安目のドスジで入っちゃって、儲けが薄すぎてガクっ。これが抜けてれば疲れも飛んだんだけどねぇ…。

 それはさておき、ひさびさの春野町。拙著「火の見櫓暮情」の取材以来、約3年ぶりです。

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 旧春野町東南部の砂川、大時、花島という、浜松市民でも知ってる人はほとんどいないであろう集落をいちおう取材で回ってきたのだけど、疲れきった身体に北遠の空気は、実にこう、けっこうなもんで。天気はよくないが、気分はいい。
 上の写真は20年ぶりの砂川集落。こんな見晴らしのいい集落にも、例によってHINOMIが!

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 いまコイツを思いっきり鳴らしたら、疲れきった身体に染み入るだろうなあ。
 さらに奥へと進み花島集落へ行くと、みごとな小学校の廃校舎が残ってました。旧春野町は昭和の廃校がやたらと多くて、20年前に廃校マニアの友人とともに歩いていくつか回ったもんだが、ここは初めて。

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 田口線三河田口駅跡ではないが、いつ倒壊してもおかしくない状態。

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 階段と校門、表札もしっかり健在。校庭に建てられていた記念碑によると、閉校は昭和44年。僕の生まれる前とは。
 でもってこの廃校舎の近くにも、例によってHINOMIが!

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 疲れておりますので、本日は薄暗い写真を並べただけでオシマイ。次回の春野町訪問は、来年4月の予定です(いちおう取材)。
(まさ)

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(2012.05.13追記)
 半年後の5月上旬に再訪したら、旧校舎は取り壊されていました。

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遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

7ヶ月が過ぎた

2011年12月01日
 陽太郎はどんどん可愛くなっている。日中、起きている時間が長くなるにつれ、かまってくれと要求するようになり、仕事や家事がなかなか進まなくて困るけれど、この笑顔を見ると無視はできない。きっと、今が一番かわいい時期なんだろうなぁ。パピプペポ~と言えば笑ってくれるし、余計なことは言わないし。周囲の話では歩くようになると大変らしいので、ハハの勝手だが、なるべくゆっくり成長してほしい。

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 さてさて、7ヶ月も過ぎると、不安定だがお座りもできるようになった。まだハイハイはできないが、手が届きそうな位置にモノを置くと、必死になって取りにくる。その様子はネコそっくり! 最近は盛りの付いた犬みたいに腰を動かすようになり、「ジョイ(愛犬)!」と呼んでしまうことも。陽太郎を見ていると、人間はやはり動物なんだなぁと思う。これがあと数ヶ月か半年くらいすると、二本足で立ってヒョコヒョコ歩くのか。何にも教えてないのに、勝手に習得していくんだから、凄いもんだ。

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