ハザ&HINOMI

2011年08月31日
 8月最終日ですか…。
 今日、とあるローカル媒体の取材で南知多方面に行ったら、山海地区の田んぼではもう大半の稲刈りが終わってた。早っ。

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 海水浴場のイメージが強い南知多町の山海も、集落中心部の裏には田んぼが広がっております。稲を架けて干すのを「ハザ」ということが多いですが、知多ではなんと呼ぶのだろうか。ハザはなんか知らんけど好きで、見かけると撮らずにはいられない。

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 こちらは干した稲の脱穀が終わって、早くもハザを撤去作業中。でもって、稲刈りの終わった田んぼの向こうには、例によってHINOMIが!

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 火の見櫓はなんか知らんけど好きで、見かけると撮らずにはいられない…って何を今さら。
(まさ)

◎ハザシリーズ
2010.09.19四谷千枚田→●□
2008.09.28田原市野田→●□
2008.02.23豊根村大菅→●□
2007.10.10浜北区灰木→●□
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カンバンの手帖ブログ版0186

2011年08月29日
 大豊田市のことはいいかげん飽きたんで、久し振りに平地に戻ってきまして、豊明のことなど。
 伊勢湾岸道の豊明インターのすぐ南に、豊明と大府にまたがる広大な水田地帯があって、前から見事な景観だと思っていたのですが、きょう仕事の合間の気分転換に、ちょっと見てきました。ここ、田んぼもすごいが、上空を行き交う送電線がまたすごい。

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 びよーん。

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 びょびょーん。新興住宅地ばかりの豊明と大府だけど、さすがにこんなところは宅地開発できねえ。
 で、この水田地帯に、こんなカンバンを発見。

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 地下鉄6号線の豊明延伸を早期実現しよう!って、こんなところに立ててなんの意味があるんだ。
(まさ)
尾張雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0185

2011年08月28日
 夏の在庫一掃大豊田市小ネタシリーズ(もうなんでもええわ)、足助に続いて稲武の巻ぃ~。
 稲武で思い出すのが、手塚治虫の短編「 時計仕掛けのりんご」。山奥に開かれた新興IT産業都市で自衛隊のクーデターが起きた、という話ですが、この舞台となった架空の都市名が「稲武市」(読みは「いなたけし」)。天竜川流域にある町とリード文に書かれていたものの、矢作川を天竜川に置き換えただけで、たぶん稲武がモデルだと思われます。
 手塚治虫が稲武へ来たことがあるとは考えづらいけど、大きな町から遠く離れた山深い地にあり、地図で見てもどこか独立地帯のような趣があって、漫画の舞台にはうってつけと考えたのではないか。天竜川沿いの平岡や田本あたりでもいいけど、三河人としては稲武説を採りたい。

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(市街地の北東あたり。2007.12.08撮影)

 そんなことはどうでもよくて、稲武というと豊田市に合併するちょっと前に、北設楽郡から東加茂郡へ「郡替え」をしました。東三河の裏切り者め!というつもりはまったくなくて別にどっちでもいいんだけど、東加茂郡時代は03~05年のわずか2年で、いったいなんの意味があったのかよくわからん。別に郡替えしなくても、豊田市への編入は難しくなかったろうに…。この意図を知っている地元の人や行政関係者がいたら教えてください。
 別にどっちでもいいというのは、稲武というのはもともと「加茂郡」に属していたのが、江戸時代初期に「設楽郡」に編入されたという歴史があり、ここと設楽町名倉地区は地理的・文化的に西三河系と言ってもいいから。稲武と田口を結ぶバスは名鉄バスだったし、確かナンバープレートも昔から「豊橋」ではなく「三河」じゃなかったっけ?(違ったらスイマセン)
 中心部は稲橋+武節=「稲武」。飯田街道と名倉道・岩村道の合流点にあり、宿場町の風情が実によいです。

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(市街地の西入口あたり。2007.12.08撮影)

 で、小ネタですが、国道153号を走っていると、奥矢作第一発電所や関谷醸造「吟醸工房」あたりの道端に、こんな案内板があります。

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 稲武資料館への誘導案内板です。昔から気になっていたんだけど、なぜ高速道路の標識と同じカラーリングなのか?まさか払い下げ品?
 いや、もう、どうでもいいんですけどね…。

110828-3.jpg (2005.09.08撮影)

 これが資料館の建物。ここに移転する前は、旧小田木小学校の校舎を資料館にしてました(小田木の火の見櫓がある場所→●□)。校舎時代に一回行ったのだが、使われなくなった人形浄瑠璃の首がズラーっと展示してあって、なかなか気持ち悪かったのを覚えています。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

消防の想い出がいっぱいいっぱい

2011年08月27日
 夏の大豊田市周遊紀行シリーズ(最初と趣旨が違ってきてる)、藤岡、小原、旭ときたんで、じゃあ足助もついでに。
 先の3つは明治以来、町村域を変えずに平成までやってきましたが、旧足助町は昭和30年に足助町・盛岡村・阿摺村・賀茂村が合併してできた町で、町域はやたらと広い。集配局は旧自治体ごとにあったし、小学校も多かった。ただ、足助以外の3村にこれといったインパクトは正直なところなくて、それぞれの特徴を述べよといわれると難しい。どこも、中山間地に小集落をマキビシのようにばらまいたふうな…ってなんだその表現。
 とりあえず一昨日に引き続き、消防倉庫でお茶を濁します。国道153号を足助から10キロ弱稲武方面に進んだ、北小田宮前バス停の脇にあるもの。あ、北小田は旧賀茂村になります。

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(2004.06.12撮影。以下同じ)

 木造、赤瓦屋根、観音開き扉の乙な一品。「乙」というのはどこにでも使える都合のいい言葉ですね。もちろん今は使われてるようではなかったけれど、扉の下のほうが破れて覗けるようになってたので、もと消防団員(3年間、揖斐川町消防団に在籍)のよしみで視察させてもらった…けど、別に撮るほどのものではなかった。
 それよりも軒下に掲げられた、寺社仏閣の扁額のようなブツが気になる。

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 賀茂村消防組北小田分団とでも書いてあるのかと思いきや、これは絵?

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 よく見ると、消防団員が消火活動をしている!右の人が持ってるのは纏(まとい)、黄色は燃えさかる炎か。左の黒いのは地蔵堂かなにか?奥には寺の本堂のような建物も見える?うーむ、乙どころか逸品なり。
 おそらくこの地区で、こういう絵を描き残すような火事でもあったのでしょう。豊田市教委は早急に調査を行い、建物も含めて文化財にすべし。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0184

2011年08月26日
 好評をいただいている(とは思えない)夏の大豊田市めぐりシリーズ、昨日は消防倉庫でお茶を濁したので、今日こそは旭町の概説を…と思ったけど暑くて面倒なので、カンバンでお茶を濁します。
 旧旭町の中心部は矢作川のほとりにある小渡(おど)という集落で、そこそこの町場になっています。近年は風鈴で有名ですね(→●□)。
 矢作川沿いの道と足助方面、明智方面の道が交わる交通の要衝として発展し、町には旅館があり、町の真ん中にあるサークルKでは岩村の地酒「女城主」も販売されてて、国境エリアの独立地帯みたいな風情。この感じが味わえるのは、三遠南信の町場ではここと阿南町新野ぐらいでしょう。

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(2005.02.13撮影。以下同じ)

 奥に見えるのが小渡の町。この橋は「両国橋」といい、東京・隅田川に架かる橋をモデルに建造された…というのはウソで、三河と美濃の国境に架かることからこの名が付きました。手前は美濃ですが、昭和30年に越県合併して愛知県東加茂郡旭町の一部になりました。20年近く前の中日新聞岐阜版に越県合併をネタにした連載記事に、「馬籠を要した神坂村は村を二分して大モメしたのに対し、こちらはスムーズに話がまとまった」と書いてあったのを覚えています。小渡という町に吸引力があったことも一因でしょう。
 そんな小渡に残る、ガラス製のカンバン。

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 ずどーん、と森下商店。

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 ばぼーん、と福岡靴店。えー、存在しているというだけで、特にコメントすることはないですが…。
 久しく行ってないので、まだ残っているかどうかは不明。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

消防の想い出がいっぱい

2011年08月25日
 夏の在庫一掃セールというか「旧東西加茂郡の町村の概説シリーズ」みたいになってきたので、じゃあ旭町も…と思ったけど、今日は面倒なのでお手軽に、前に撮った写真でお茶を濁します。あ、旧旭町は、自治体単位で見るなら旧東西加茂郡で一番好き。なんかこう、景観に独特の雰囲気があって。具体的に何が独特なのかと聞かれると困るが、なんか、こう、あれですよ…また考えておきます。
 旧旭町南部に位置する惣田という集落で、古い消防倉庫を発見しました。火の見櫓の著書もあるわたくしですが、もとはというとHINOMIよりも消防倉庫のほうが好きでして。

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(2008.01.05撮影。以下同じ)

 木造、セメント瓦の乙な一品。「乙」というのはどこにでも使える都合のいい言葉ですね。もちろん今は使われてるようではなかったけれど、なぜか扉が開いていたので、もと消防団員(3年間、揖斐川町消防団に在籍)のよしみで視察させてもらいました。

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 おお、大正末期~昭和初期のものと思われる古写真が!この時期のものだけなぜ残っているのかよくわかりませんが、時は無限のつながりで、終わりを思いもしませんね(意味不明)。小さな山間部にむかしはこれだけ団員がいたというのがすごい。

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 さらに、古い木製のサイレン信号表示板まで!踊り場で足を止めて、サイレンの音気にしますね(意味不明)。
 農村舞台もいいけれど、こういうのも豊田市有形文化財にすべきだ。豊田市ならできる!やったれ、豊田市教委!期待してます!なんのエールだ。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

旧西加茂郡小原村役場

2011年08月24日
 ちょっと前に書いた三好、藤岡、豊田市名論に続いて、夏の豊田市ネタ在庫一掃シリーズ。今回はクワバタオハラ村。いや、読みはオバラ村です。
 小原村は、三河北部にダラーっと横たわる低い山の中に広がる村です。中学生のときに使っていた帝国書院の地図帳には、東西加茂郡から岐阜県東濃にかけて「美濃三河高原」と表記されていましたが、地元や行政がこの呼び方をしているのを聞いたことがありません。その美濃三河高原の一角を占めているわけです。
 現地へ行っても、一般にイメージされるような高原の爽やかな感じはありませんが、のどかにすぎる山村風情は、どの集落へ行ってもイイ感じ。こことか。

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小原というか西三河山間部の典型的な風景、大平集落(2008.08.11撮影)

 地味といえば地味だけど…。しかし、旧西加茂郡3町村のなかでは、小原和紙の里と四季桜というメジャーな観光資源があって、それだけでもう知名度的には「勝ち」ですね(財政的には「負け」だったのかもしれませんが)。あと、うまい豆腐屋とか、うまいラーメン屋とか、うまい卵屋とか、食系の小ネタが意外と豊富なのも好感度高い。
 小原村の役場があったのは国道419号沿いの大草集落で、合併を機に旧大字大草を「豊田市小原町」に改称するという、わけがわからないというか意味のないことをしでかしました。大草には、三好や藤岡の中心部同様、市街地というほどの規模ではありませんが、ちょっとした町場が旧道沿いにあります。

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 いや、あるというか「あった」と過去形にすべきですね。
 こう見えても全盛期はそこそこの数の商店が並び、玉突き場もあったりしたようです。06年に「西三河今昔写真集」(樹林舎)を作ったとき、今もやってる店で昔の町並みの写真を見せてもらったら、タウンアーチまであって驚いた。どんな風景か知りたい人は、図書館にでも行って本書のP48をご覧下さい。
 で、この通り沿いに、旧役場が残っています。

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 昭和初期の建築で、50年ほど役場として使われ、現在は小原郷土館&商工会事務所になっています。展示は、まあ、よくある町村レベルの民俗資料館ですが、公共建築マニアは一度ぐらいは見ておいてもいいかも。
(まさ)

◎旧××郡××村建造物シリーズ
旧渥美郡福江町役場→●□
旧額田郡宮崎村役場→●□
旧知多郡三和村小倉公会堂&旭村金沢公民館→●□
旧知多郡鬼崎村役場→●□
旧知多郡鬼崎村多屋公民館→●□
旧安倍郡井川村公民館→●□
旧額田郡本宿村役場→●□
旧愛知郡長久手村長湫公民館→●□
旧碧海郡高岡村中田農協倉庫→●□
旧碧海郡高岡村若林公会堂→●□
旧碧海郡高岡村吉原区民館→●□
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

アウトオブ絶景本0014

2011年08月21日
 金曜日、とある取材で静岡県東部の長泉町にある「ヴァンジ彫刻庭園美術館」へ。富士山麓はついこの間、御殿場の「富士山太鼓まつり」(→●□)ですが、続く時は続くもんです。

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 急な依頼でなんの予備知識もなく行ったのですが、かなりよかった。天気は御殿場に引き続きまたも悪かったのですが…。
 で、終わってから三島で名物のウナギを食い、その後ふらっと沼津へ。昨年出した拙著「鉄道でゆく東海絶景の旅」(風媒社/1575円/詳細→●□)のネタ拾いで、千本浜を撮影に行って以来1年半ぶりです。
 沼津は、むかし青春18きっぷで関東方面に行く際に乗り継ぎや時間調整などで何度も下車しており、そこそこデカイ町という印象。結婚してからは、嫁方の婆さんの在所が沼津なので「親戚のある町」という身近な存在(?)になりました。親戚宅に伺ったことはないけど。
 本では、海岸線のカーブと背後に数十キロも続く松原が美しい千本浜を取り上げましたが、沼津にはもうひとつ、展望台マニアなら押さえておきたいビュースポットがあります。それは「沼津港大型展望水門 びゅうお」だ!

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(2010.01.10撮影。以下同じ)

 これは、沼津港から駿河湾への出口に設けられた水門を、展望台にしちゃったという施設。ある程度高けりゃなんでも展望台にしてしまえ、という発想ですかね。

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 真下には沼津港が。うん、まあ、確かにこういう角度から漁港を見下ろすってのはあまりないかも。

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 北を見ると、画面中ほどからゆるく左にカーブしてゆくのが千本浜。右奥が沼津市街。うん、まあ、絶景つーかシブい。町に立っていたカンバンによると、今年の暮れに、沼津港に深海魚水族館ができるらしい。びゅうおのオススメ度は微妙だが、深海魚水族館はちょっと見てみたいぞ。真っ暗なところに棲む魚なんぞを、どうやって見せるのかと。
 三島や富士山麓の町々に比べると、どうしても経済都市のイメージが強い沼津ですが、地道に観光施設を増やしているというところでしょうか。ひとつ難点は、豊橋と同じでインターまでやたらと遠いことだ。
(まさ)
東日本 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0035

2011年08月20日
 先日、空いた時間にフラフラと港区の港陽~港楽あたりを徘徊してみました。いつだったか夜にこの界隈を通りがかったときタウンアーチを見つけ、昼間にじっくり見たかったので。

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 国道23号の港陽インターすぐ南に、ひょろんと構える「港新世界商店街」のタウンアーチ。おお、新世界!どんな世界が待ってんだろうか。ナゴヤでナニワが楽しめるというのか!
 と期待したら、新世界もなにも、そもそも商店すら数えるほどしか残っていない。マンションと一般住宅が交じり合う、名古屋の典型ともいえる碁盤目状に区切られた地味な住宅街で、もはや商店街とは言いがたい状態です。なお、同形のアーチがもう一基あります。

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 地区の奥へと進むと不自然に広い一角があり、そこにも「新世界商店街」と文字のかすれた大きなカンバンが立っていた。この有様で、アーチもカンバンもよくぞ残っていたものだ。
 角川の地名辞典によると、港陽は終戦直後から遊廓「港陽園」が置かれ、赤線廃止後に「港新世界商店街」の名が付きました。写真の左に見える建物はどうやら旧置屋で、現在もアパートとして使用されている模様。

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 し、しぶい。
 名港一帯は、景観的にはいささか殺風景な感じは否めませんが、なんというか、ひとときの情愛を求めて徘徊した“海の男”が残り香がそこかしこに漂っており、なんとも捨て難い魅力がある、ようなないような…。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(2) | Trackback(0)

道祖狸

2011年08月19日
 先日、空いた時間にフラフラと北区の杉村~志賀本通あたりを徘徊してみました。杉村のメインストリート(杉栄町)は、地味ながらも小さな店や市場が連なるイイ感じの下町的商店街。そして一歩奥へ入ると、昔の規格らしい細い道が碁盤目状に走る古びた住宅地で、なかなか味わい深い。このあたりは「名古屋の盲点」的なエリアです…って、名古屋は盲点ばっかりだけどね。

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 これとか。

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 これは「閑所」かな?進入してみたくなるこの感じ!そしてこれとか。

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 叙情都市名古屋のカメラマン木村さんが「男は、子供ができると女性の感覚がわかるようになってきて、これまで何も思わなかったものでも『かわいい』と思えるようになる」と言っていたが、なるほどかわいい…とかそういうことではなく、こんなものが見守る町は、とてもあたたかく、そしてやさしい。

081206-2.jpg 「ども、ご苦労さんっす!」
(知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

 最近てきとうなことばかり書いている…。
(まさ)
名古屋雑 | Comments(4) | Trackback(0)

ソーリーベイビー

2011年08月17日
 先日、とある用事があり子連れで南知多町に行った際、前から気になっていた寺に参拝してみた。

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 豊浜の国道247号沿いにある光明寺です。寄ろうと思えばいつでも寄れる便利な立地なのだが、いつでも寄れると思うといつもついついスルーしてしまう。何が気になるって、カンバンに書かれている「ごめんなさい地蔵」。地蔵が謝るのか、それとも地蔵に謝るのか!?

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 山門をくぐって境内に入ると、本堂の前に件の地蔵がおられました。なんでまたこんな円筒の中に…。
 案内板によると、子供が悪いことをした時、手を合わせて「ごめんなさい」とこのお地蔵さんに謝るのだそうです。「手を合わせる子供はきっと、すばらしい大人になるでしょう」。ほう、そうですか。ではさっそく。

110817-3.jpg 「どうしましたか、おぼっちゃん」
(光明寺のごめんなさい地蔵)

110817-4.jpg 「ううう、ごめんな…ムニャムニャ」
(まだ何も悪いことをしていない陽太郎)

081206-2.jpg 「おきんか!」
(知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

 叙情都市名古屋のカメラマン木村さんが「男は、子供ができると女性の感覚がわかるようになってきて、これまで何も思わなかったものでも『かわいい』と思えるようになる」と言っていたが、なるほどかわいいなあ、ごめんなさい地蔵。
 ソーリーベイビーといえば、福山のカバーよりSIONの原曲ですなやっぱ(古い…)。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

落ちるぞ注意

2011年08月16日
 日曜日の午前中は死にそうな猛暑のなか、豊橋の神野埠頭へ自転車チームの取材に行ってきました。昨年は「叙情都市名古屋」シリーズ(→●□)の取材で数回、名古屋の金城埠頭に行きましたが、神野埠頭もなかなかの味わいがあります。

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 もわ~ん。

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 どわ~ん。いやー、叙情っつーかなんつーか。
 こういう非日常の風景が見られるところは、たまに行くと面白い。で、ウロチョロしてたら、海に面して設置された厳重な柵の向こうに、このようなぶっ飛んだデザインの警戒標識を発見。ネットで調べても出てこないので、法律で定められたものではないと思いますが。

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 極めて非日常な状態のアクシデントですなあ…。
(まさ) 
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

豊田市の市名は何が正解か

2011年08月15日
 豊田市の話題が出たついでに、ここでひとつ豊田市の市名について、余計なお世話ですが考えてみます。なお今日は実家の揖斐川町に帰省しているので、写真なしで字ばっか。
 豊田市の市名は今更いうまでもなく、トヨタ自動車に由来しています。旧挙母町が昭和26年に単独で「挙母市」として市制施行し、昭和34年に豊田市に改称。市域は、昭和20年代から40年代にかけて周辺の町村を合併して拡大しました。
 平成以前に豊田市に組み入れられたのは、挙母町、高橋村、上郷町、高岡町、猿投町(+保見村&石野村)、松平町になります。挙母・高橋・猿投は旧西加茂郡、上郷と高岡は旧碧海郡、松平は旧東加茂郡です。経済圏・文化圏でいえば、高岡は知立、上郷と松平はどちらかというと岡崎の印象。松平は、役場のあった九久平に町場が形成されており、独自性が高かったと言えるかもしれません。
 この中では、高岡町のうち最南部の駒場地区が豊田市への編入に対して強硬に反対し、分離して知立にくっつこうと猛烈に運動したものの実現せず。結局、強いほうについた格好になりましたね。なので、知立市民としては駒場地区に強烈なシンパシーを感じております。高岡と一緒になってたら知立はまた違った町になってたことでしょう。少なくとも「豊田南インター」は「知立インター」だった。って、どうでもいいけど。
 以上の歴史をまずは踏まえまして…。 

 週刊金曜日あたりのアンチトヨタの媒体で「企業名を市名にしたのはトヨタが傲慢だからだ」的な文章を読んだことがあります。トヨタが傲慢な企業体質であるかどうかは言及を避けますが(笑)、市名のセレクトは、公平に見てこれがベターだったかもしれない、残念ながら…というのが、僕の見解です。
 理由は、この3郡にまたがる市域に適当な総称がない、というのがひとつ。上郷と高岡がなければ挙母市でもよかったけど…。
 総称がない場合、「瑞祥地名」といって縁起のいい名称を新たに創出する例が多いですが、もともと大農村地帯であったこの地域を「豊田=豊かな田園(南部は畑のほうが多いが)」とみなすのはあながち間違いではない、かも…というのがもうひとつ。これが、三菱とか日産では地名にならない。
 愛知県というのは、どういうわけか「豊」のつく瑞祥地名がやたらとあります。現行の自治体では、豊橋を筆頭に、豊根、豊川(自然地名だけど)、豊明、豊山があり、合併でなくなったところでは、豊浜、豊富、豊坂、大字単位でも豊丘、豊岡、豊邦…ありすぎだ!そういう「豊」地名がはびこる愛知県だから、企業由来の「豊田」が一個ぐらい混じっててもええんちゃう?(どうでもええんちゃう?)
 あと、このような企業優先という「珍例」があるのは、後世への(好ましくない)見本を示すうえでもよかろう、と。
 ところで企業由来といってよく例に挙がるのが、新日鉄の前身である東海製鉄が由来と思われがちの東海市。僕もそうかと思っていたら、3年ほど前の中日新聞知多版に「市名は公募で決まった」という記事が載ってて、応募した人が登場し「明るいイメージから考え付いた」と発言してました。いくらそういっても、応募者も選定者も「東海製鉄」が頭になかったわけないが…。

 そういうわけでテキトーな肯定論をぶってみましたが、平成の大合併で事情が少し変わってきた。というのも、三好を除く東西加茂郡が一緒になってしまったからです。
 厳密にいうと、稲武は旧北設楽郡だし(合併直前に東加茂郡に編入)、下山の一部は旧額田郡だし、旭の一部は旧岐阜県恵那郡だけど、市域の80%は東西加茂郡になった現状をかんがみると、これは「三河加茂市」が妥当なんではないか。
 その論でいくと、新「西尾市」は「幡豆市」にしたほうがいいということになるので、それも現状では受け入れられにくいか(僕は幡豆市でもいいと思うけど)。
 結論としては、昭和の合併も平成の合併もしなけりゃよかった、ということです。合併せざるえない状況を生じさせた政治が悪い。

 ところで豊田市合併に際して、旧稲武町稲橋が「豊田市稲武町」に、旧小原村大草が「豊田市小原町」に改称されたのだが、これの意味がわからない。いずれも旧自治体名を住所表記に残したいということだろうけど、本当に住民の意思による改称なのだろうか。議員とか行政リーダーあたりのセンチメタリズムにすぎない発想なんじゃないの?
 だいたい稲武というのは「稲橋」と「武節町」の合成地名だし。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

茅葺き屋根のブルース

2011年08月12日
 真夏の在庫一掃セールの様相を呈してきましたが、もう一発、三河で一度も書いていないシリーズで藤岡のことでも。
 藤岡というと、南はトヨタ従業員のための住宅地、北のほうは「山あいの小さな村々が点々とある」という印象。役場のあった飯野あたりが、かろうじて中心部の様相を呈しているくらいでしょうか。全域を見渡すと、のどかで雰囲気のいい集落が散らばっていて好感度は高い。けど、これといった見どころはない。藤岡はそんなところです。
 何もないかと思いきや、そういえば豊田市に合併する直前に「若年層の人口増加率が日本一の町」とかいうタイトルを持ってて町が宣伝してたなあ。どこの社会学者が言ったか知らんが、それを算出することになんか意味があるんかいな。
 藤岡でこれといったトピックも聞いた覚えがないし、町全体が盛り上がるような取り組みをやってるとも聞いた覚えがない(あったらすいません)。でも藤岡は、こういう「あるがまま」とか「てらいのなさ」みたいな風土気質が魅力といえましょう(そうか?)。
 景観的には、町全体が起伏に富んでいるおかげで、けっこう楽しい。町を貫く国道419号から、ちょっと山のほうへ入っていくと、けっこう眺めがいいのです。こことか。

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北曽木から望む(2008.08.10撮影)

 こことか。

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迫から望む(2011.04.10撮影。以下同じ)

 いい眺めだけど微妙に地味で、これがいわく言いがたい藤岡の魅力といえましょう(そうか?)。
 そういえば、2006年に「西三河今昔写真集」(樹林舎)を作ったとき郷土資料館で「藤岡は茅葺き屋根の民家がやたらと多く、それを集中的に調査している」てなことを聞きました。

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迫にて

 いわれてから気にして見るようになったが、確かに多い。これを地域おこしに結び付けるとかできないのかな…と部外者は考えるのだが、それをやらないのが藤岡の魅力といえましょう(そうか?)。残るものは残る、朽ちるものは朽ちる。それでいいのである。そんな侘び寂びめいた世界観が藤岡の人々に脈々と受け継がれているのである…かどうかはしらん。

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迫・磯崎神社の農村舞台

 そういえば、豊田市の市制60周年を記念して「農村舞台アートプロジェクト」なる企画を今年やってるみたいです。イベント自体は見ていないので良否はなんともいえませんが、「豊田市」の60周年事業に、あとから合併した地域の資源を使うってのは、なんか腑に落ちない…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)

巨大池のブルース

2011年08月11日
 昨日の一色に続きまして、このブログでまだ一度も書いたことのない三好について。三好なあ…。「みよし」というと、広島県の三次や徳島県の三好のほうが印象強いなあ…。
 僕の中で三好の一番古い記憶というと、昭和50年代にやたらと流れていたCMソングでしょうか。♪楽しい夏が来た、三好流水プールぅ~、というヤツですね。冬バージョンは♪楽しい冬が来た、三好スケートリンクぅ~、になってましたが。その頃から鉄道路線図や地図のマニアだったわたくしは「なんで広島のCMを東海地方でやるんだろう?」と疑問に思ったものです。自分の誤解に気付いたあとも「なんで三好なんて中途半端な場所にそんなレジャー施設があるんだろう?」と疑問でしたが。
 高校2年生の時に催された大学見学では、三好町北部の黒笹にある愛知大学名古屋校舎に行きました。感想は一言「この場所で名古屋校舎はねえだろう」。僕が入ったのは同じ愛大の豊橋校舎のほうですが、豊橋の誰もがあちらさんを「三好校舎」と呼んでいました。
 2005年には「西三河今昔写真集」(樹林舎)の取材で町内をウロウロ古写真探しに奔走しましたが、たいしていい写真が見つからず困りました。

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(2010.12.18撮影)
 
 直近の思い出としては去年の暮れ、町のほぼ真ん中にある三好池を妊婦だった女性取材記者と運動のために歩いたことがありました。歩き始めはこんな風景に「三好、意外とイケるじゃん」とか言ってたのだが、予想以上に池がでかくて一周するのに一時間ぐらいかかり、最後はとっぷり日も暮れていたのだった。
 思い出としてはこんなところです。う~ん、どうでもいい。

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特に意味もなく、三好新屋の火の見櫓(2008.08.03撮影)

 とはいえ三好はなかなか頑張った町ではあります。明治39年に制定されたけっこう広い村域が今に至るまで維持され、昭和33年に町制施行、平成22年に市制施行と、よくぞここまで成長したもんだ。徳島県のほうに「三好市」を持ってかれて「みよし市」になってしまったのはお気の毒ですが…。

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(2004.12.05撮影)

 今ではどこが市の中心部かわからなくなってますが、もともとの三好の中心は市役所の西にある交差点(原田屋書店が目印)の西側一帯になります。「農村地帯に成立したささやかな町場」としか言いようがなく、近隣だと長久手町岩作なんかとよく似ています(あまりにもたとえがマニアック)。
 えー、特に膨らませようがなく、三好については以上です。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0183

2011年08月10日
 このブログで初めて津具をネタにしたのを機に、今までの記事の市町村別内訳を調べてみたら(ヒマだね)、こんな結果になりました。

(西三河)
知立37 刈谷16 安城14 碧南14 高浜2
豊田14 三好0 藤岡0 小原1 足助5 旭5 下山6 稲武2
岡崎21 額田6 幸田2 西尾5 吉良3 幡豆3 一色0
(東三河)
豊橋40 田原7 赤羽根2 渥美9
豊川8 蒲郡17 小坂井1 御津4 音羽1 一宮4
新城8.5 鳳来16 作手7.5 設楽9 津具2 東栄7 豊根1 富山3

 津具は初かと思ったら、実は前に一回書いていたことに気がついた。何かと思ったら、根羽と鳳来で見つけた「津具スケート場」のカンバンネタでした→●□
 それはともかく、一色だけでなく三好と藤岡も書いてないことが判明。う~ん。
 写真ファイルを漁ってみると、僕が最後に旧一色町で写真を撮ったのは、2006年8月の一色大提灯まつり。考えてみると、その後旧一色町内を車で通ったのも2回しか思い出せない。幹線ルートから外れているのでしょうがないといえばしょうがないけど、三河フリークとしてこれはよろしくない。いや、別にいいんですけどね。
 04~06年には、取材でちょこちょこ行ってたんだけど。海老せんべい屋とか、和菓子屋とか、海苔の養殖とか、廃線跡とか。廃線跡は取材じゃないが。
 
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(2006.08.25撮影)

 最後に撮った大提灯まつり。予想以上に提灯が巨大で、圧倒された。こういうのは、大きけりゃいいってものである。
 これだけではなんなので、何かないかと探したらこんな写真を撮ってた。

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(2006.06.05撮影)

 市街中心部にある時計屋さんのブリキカンバン。時計屋だけど、時計が描かれていない!
 う~ん、どうでもいい。
(まさ)
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津具の夏

2011年08月09日
 話は奥三河に戻りますが、先週の名倉取材のあとは津具にも行きました。4年以上やってるこのブログでは、どうしたことか一度も津具について書いたことがない(そういえば近場だと旧一色町についても書いたことないぞ)。
 151も257も通じていないし、取材対象にもあまり引っ掛からないので、ここ10年で足を踏み入れたのは2年に一度くらい。

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 旧津具村は、名倉と同じく高原の盆地。大雑把にいうと上津具と下津具に分かれています。見た目の印象は、もう、ひたすらのどか。初めて足を踏み入れたのはちょうど20年まですが、それから基本的に変化がないように見えます。細かいこというと、役場と津具郵便局が移転したとか、見出の県道が改修されたとか、火の見櫓がなくなったとか…いやはや細かくてどうでもいい。
 津具では深い取材をしたことがないということもありますが、あまりにのどかすぎて、ここへ来るたびになんかしらんが思考停止に陥ってしまう。20年前からそんな感じの村。

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 というような終わり方ではアレなんで、今回仕入れたネタをひとつ。津具では盆踊りが村の目玉のひとつになっており、その由来を地元の人に聞いた。なんでもその昔、7人の侍ならぬ7人の盲人が、下津具の某所で道を誤って死んでしまい、その慰霊として盆踊りが始められたんだそうな。これがその7人の盲人の墓とのこと。地元以外の人はまず来ないような村はずれの淋しい林の中にあり、案内板等が建っていないので、教えてもらわないとわからない。
 現在は旧役場の広場で開催されてますが(8/14~16)、以前は下津具地内で行われ、そこの字は今も「踊場」というそうです。

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 あとオマケ。地元の人によると、この写真奥の道路右に見える消防団車庫に、10何年前まで火の見櫓があったとのこと。下津具地区の東端に位置し、字は溜淵。このほか下津具には、旧下津具小学校の南にHINOMIがありました。いずれも証拠写真を入手したので、そのうち日の目を見るときが来るでしょう…来るか?
(まさ)
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踊る重原リン

2011年08月08日
 昨晩は近くの上重原町公民館で、毎年恒例の「大盆踊り大会」が催されました。

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   ↑上重原町民の女性取材記者

 毎年のことながら、重原にこんなに人がおったのか!と感嘆せざるをえない人出です。この日を前に、公民館では連日のように踊りの練習が催されてました。地区の祭りに練習がいるのかしらん、と思ったが、どうやらこの盆踊りは「知立よいとこ祭り」の前哨戦みたいなもんで、本命は「よいとこ」のようです。なので昨晩も「知立よいとこばやし」「知立音頭」「わが町知立」と、ローカル音頭を何度もやってた。FM愛知でいうところのパワープレイですね。ていうか、なんで知立の踊りがこんなにあるんだ?
 そういえばどれかの曲の歌詞で「三河の真ん中」とか出てきたが、知立は三河の端っこじゃん。あと「三河で一番」という歌詞もあって、なんかスケール小さいぞ。わたくし、ネイティブの知立っ子でないんで、自由に突っ込まさせていただきます。
 あともうひとつ言わせていただくと、なぜ「おどるポンポコリン」をあんなにたくさんの重原住民が踊れるのか、ものすごく不思議だ。

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 見よう見まねで「わが町知立」を踊る女性取材記者と、曲と太鼓が大音量で流れるなかスヤスヤ眠る陽太郎。
 この盆踊り大会、カキ氷や綿菓子、ドリンク類、ガリガリ君が無料で振舞われるという太っ腹。自治会費を払っててよかった。
 インターバルには林市長の挨拶もありました。「皆さんにお願いがあります!」と絶叫するので何事かと思って注目すると「知立市は一昨年、犯罪発生率が県内ワースト1でした!昨年はワースト10でした!今年はワーストランクから脱するよう、上重原町の皆さんも一致団結して…」。あぶねえなあ!
 それはともかく、この盆踊り大会のたびに、重原はいいところだなあと感じる次第です。 
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0182

2011年08月07日
 近頃、フジテレビとか東海テレビとかが話題を振りまいているみたいですが、ウチではアナログ放送終了と同時にテレビが廃止されたので、遠い世界のことのようです。
 それはさておき、木曜日にまたまた設楽町の名倉地区へ、取材で行ってきました。今年4回目にしてようやく晴れて、爽快な高原の夏を楽しめてよかった。その名倉にある「道の駅アグリステーションなぐら」に寄ったら、大量のカカシが敷地を取り巻いてて唖然。

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 こんな並べ方をすると、反TTPの農民らによる「人間の鎖」かなにかに見えてしまいますが、そんな政治的なもんではもちろんなく、夏休期間中に奥三河で開催されている「山里のアート巡り」というイベントの一環である「かかしフェスティバル2011」だそうです。道の駅の2階では「かかしミュージアム」も設置されてました。

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 道の駅の裏に回ると、名倉高原の広大な田んぼを背にカカシが整列。普通カカシはこのイメージですね。カカシがアートかどうかについては言及を避けさせていただきますが、これだけあると異形ではある。
 で、そんな名倉を貫く国道257号沿いの西納庫字貝津田では、イベント協賛かしらんが、とある有名カンバンのこんなドレスアップバージョンに遭遇。

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 三河フリークと酒好きにはおなじみ、関谷醸造(→●□)の巨大ビン型カンバンだ!関谷さんもお茶目だね。こういうの僕、けっこう好き。
 関谷醸造のビン型カンバンは、ゼロ年代の初めごろから現れたんだったと思います。一時期、コンプリートしてみようと思ったこともあったけど、途中で不毛に思えてきてやめた。今どれくらいあるのか、誰か知ってたら教えて下さい。

 あと、名倉小清水分校跡も再訪しました→●□
(まさ)
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重原田圃

2011年08月06日
 最近、近所の重原界隈の写真をまったく撮っていなかったので、久し振りに撮ってみた。

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 名鉄三河線の知立-重原間で見られる田園風景。何年か前に町名整理で「東上重原×丁目」となった地区です。友人のネイティブ知立っ子によると、このあたりなんて昔は一面の田んぼで、人家なんてぜんぜんなかったといいます。僕が知立に来て7年たちますが、その間もどんどん家やアパートが増えており、そのうち三河線沿いで田んぼは見られなくなるんじゃなかろうか。その頃、まだ僕が知立にいるかどうかわからないけど。
(まさ)
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和太鼓と赤ちゃん

2011年08月01日
 昨日は御殿場で開催された野外フェス「第26回富士山太鼓まつり」の取材へ。あいにくの曇天で富士山はまったく見えなかったけど、さすが山麓だけあってとても涼しく、しかもギリギリのところで雨も持ちこたえ、実に快適でございました。

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 会場は「樹空の森」という、今年オープンしたばかりの施設。内容は、太鼓甲子園(高校生部活動のコンテスト)+大太鼓の一人打ちコンテスト+地元和太鼓チームの演奏と、一日じゅう和太鼓が鳴り響くイベントです。
 太鼓甲子園の部には被災地の福島県立相馬高校が出場してました。あの状況でよく頑張って出場したものだと、感動。高校生チームの中では演奏中の笑顔が一番で、また感動。会場からも盛んに拍手が送られておりました。
 あと駐屯地の町らしく、現役陸自隊員によるチーム「滝ヶ原雲海太鼓」も登場。さすが自衛隊だけあって、日常的に身に付いた見事な規律による「突撃!」的な演奏がよかった。

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 そして撤収も自衛隊らしく、ひょいと太鼓を担いでステージの下へザッザッザッ。さすが土嚢を担ぎ慣れているだけのことはある。いくつも和太鼓演奏を見てきたけど、こんなスムーズな転換見たことないぞ! 
 さてさて、ウチの陽太郎(3ヶ月)も、乳幼児の部に最年少出場…ってそんな部はない。

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 間近で聴く迫力の演奏にもまったく怯えることなく、ノリノリで手足をバタつかせる陽太郎。和太鼓は赤ちゃんをも躍らせる音楽であることがここに証明された。

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 そしてしばらくのち、大音量と大振動にもまったく動じることなく、スヤスヤと眠りこける陽太郎。和太鼓は赤ちゃんにとって催眠効果もあることがここに証明された(テキトー)。
 ウチの子も将来、太鼓を打つようになるのかしらん…。
(まさ)
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