赤い屋根

2011年07月30日
 「この廃校舎がスゴい!」というどこかの本のタイトルみたいなコメントをいただいたので、もう一発、廃校舎の話題を。取材で設楽町の名倉地区に行った際の時間調整で、旧足助町の最奥部に位置する大多賀というところへ行ってみました。たしか4、5年ぶりかと思います。

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 大多賀は、足助市街と設楽町の田口市街を結ぶ県道33号沿いにある集落。どっちから行っても人家が極端に少なくて寂しい県道をひた走って行くと、忽然とこのような集落が出現し、ほっとします。
 ここに、昭和62年まで大多賀小学校があり、いまだに木造2階建ての校舎が残っています。

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 この壁と屋根瓦の色の味わい深さ!石州瓦か!一瞬、島根県の廃校舎かと思ったぞ。
 何年か前の新聞か雑誌で、碧南にある白溜の蔵元「日東醸造」(→●□)が仕込み蔵としてこの校舎を借り受けたという記事を読んだのだが、日東醸造の表札は出ていない。撤退したのかな?と思って校舎の中を覗き込んだら、木の仕込み樽がずらっと並んでて、まだしっかり使っているようです。

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 門柱はなかった(ような気がする)けど、入口には閉校記念碑と校歌碑が。

♪大和田の峠から眺めてごらん/美しいさと大多賀を
 ほら、小学校の赤い屋根/みんなで楽しく学ぼうよ

 校舎の屋根の色を校歌に詠み込むとはすごい。すごいなあ、と感心してさあ帰ろうと思った矢先、後方不注意でこの角に車のバンパーをぶっつけてしまった。う~ん…。
(まさ)
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チャット門柱

2011年07月29日
 一回ハマるとついつい続けてしまうのが僕の悪い癖ですが、もうひとつ門柱ネタ。
 5月末に設楽町の名倉地区に行った際、名倉小学校の清水分校跡を見に行ったら、門柱が残ってた。国道257号と茶臼山高原道路の合流点にある「道の駅アグリステーションなぐら」のすぐ近くにあります(どうでもいいけど、ここほど農産物販売所を前面に打ち出した道の駅名も珍しい)。

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 かなり狭い敷地で、門柱なんかなくてもよさそうなもんだが…。コンクリートに自然石をくっつけてアバタのようになっているのが、いかにも山の分校っぽい。学校ではあまり見たことないけど、上高地とか高原の老舗ホテルなんかに、よくこういうのがある気がする。山仕様? 

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 門柱の部分だけなぜか変な柵があるけど、サイドに回ればこのように、校舎の全景が望めます。よくまあ朽ちずに残っていたもんだ。なお、閉校は昭和39年。

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 名倉へは季刊誌「そう」(春夏秋冬叢書)の次号用に、5月から6月にかけて3回も取材に行ったのだが、3回とも天気が悪くてまいった。本来ここは爽やかな高原地帯なのですが、このようにどよ~ん。

 チャットモンチーのドラムの人が脱退ですか…。
(まさ)

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(2011.08.07追記)
8/4に再訪したら、門柱の背後を塞いでいたトタンの壁が取っ払われてて、全貌が見えるようになってた。

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 映画のロケにでも使えそうな風情になってます。
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

門柱マジック

2011年07月28日
 前回の続き。文化財級の門柱といえば、豊橋南部の老津にこういのがあります。

110727-1.jpg (2009.09.25撮影。以下同じ)

 老津村会議事堂!老津村は昭和30年に豊橋市に合併、役場と議事堂は小学校の向かいにありました。門柱のもういっぽうに「老津村役場」と記されていれば完璧だが、残念ながら別の銘板がはめ込まれていて惜しい。

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 ところで老津には「町以上村未満」とでもいうような、小規模な町場があります。国道259号沿いにある老津郵便局から、老津町交差点を経て、老津小学校の手前あたりにまで連なる町並みで、通称「今下通り」。ご覧のように微妙な風情で、興をそそるようなそそらないような…。
 ただ、ここと似たような雰囲気の町並みは意外と存在しなくて、特異といえば特異。町並みを抜けて坂を登るとダラーっとした渥美半島的農村風景が広がるのも、面白いといえば面白い(どうでもいいといえばどうでもいいけど)。僕にとってはなんかこう、ドキドキはしないけどなんだか気になるあの娘みたいな存在が、老津だ。あの娘って誰だ。

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 こちらは国道259号の老津町交差点。正面が田原方面、左へ曲がると老津駅、右へ曲がると上の写真の通りへ。老津には書店が現存し、昭和57年までは鈴木新兵衛商店という酒蔵があったりしました(→●□)。
 写真右下には、老津村道路元標が見えます。僕が道路元標というものに気を留めるようになったのは、20年前にこれを見つけたのがきっかけ。気になるのはこいつのせいか?
 あと、豊橋・田原の人にしかわからない話ですが、R23大崎インターから老津までのバイパスはいったいいつになったら開通するんだ。
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

奇跡の門柱

2011年07月26日
 二ヶ月ほど前、奥三河へ行った帰りに旧下山村を通りかかり、ふと気になったので平成18年に廃校になった旧阿蔵小学校を見に行ってみました。奥三河帰りに下山を通るのも、旧阿蔵小がふと気になるのも、我ながらおかしいといえばおかしい。

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 阿蔵は旧下山村の最奥に位置する集落で、国道420号と国道473号という、どちらもドマイナーな道が合流する地点にあります。上の写真だとぜんぜん人家がないように見えますが、そこそこ人が住んでいて、簡易郵便局もあります。昔は東岡崎から阿蔵まで直通の名鉄バスが通じてました。確か一日4本ぐらいしかなく、上りの最終が15時台だった覚えがあります。そんなどうでもいいことを覚えているのもおかしいが…。

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 で、旧阿蔵小の門柱を見たら、凄い銘板が嵌め込まれたままだった。

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 左は「実業補習学校」、右は「尋常高等小学校」の文字が!どちらも戦前の教育制度のシロモノ。ここの児童は平成になっても、こんな凄い門柱を通って校内に入っていたのか。
 門柱の後ろに刻まれた文字を見ると、昭和8年に松田菊次郎という人が寄附したらしい。完全に文化財ですね(ただし村指定レベルの)。豊田市教委はすぐさま保存に乗り出してほしい。

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 なお、旧校舎は現存。「エコキッズ学校」なる団体の表札が掲げてありました。日常的に使われてる感じはしなかったけど。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

漁民たちの破壊衝動

2011年07月25日
 昨日は3年ぶりに豊浜鯛祭りを取材。取材と言っても一年後に某ローカル媒体に載せる用で、先の長い話ですが。

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 豊浜鯛祭りは南知多町豊浜にある津島神社の祭礼で、巨大な鯛のハリボテが見もの。3年前(→●□)は、土曜日に漁港前の広場でドカドカ引き回す光景だけしか見ることができませんでしたが、今回は「本番」ともいえる日曜日の部です。
 リアルな巨鯛だけでもじゅうぶん奇妙な祭りだけど、今回目撃した「打ち込み」というシーンは、まさしく「奇祭」と呼ばれるにふさわしい一幕で、ぶったまげた。
 それは「御仮屋」(他地区でいう御旅所ですね)の前に設置された鳥居のようなものに、鯛が勢いよくぶつかっていくというもの。

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「やめてやめてやめて~」←鯛の叫び

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「ひでぶっ」(リアルタイム世代だけど読んでなかった)

110725-4.jpg「とほほほほ」(大山のぶ代のドラえもん口調で)

 マンガだよこりゃ。
 しかしこれは、まさしく豊浜漁民気質のなせる業。せっかく作ったものを一息でぶち壊そうとするこの潔さ!そして荒っぽさでは知多半島の他の祭りの追随を許さない!
 このあと中洲地区に行って、巨鯛の海中遊泳(海中徒御?)も見物。こちらもなかなかのもので、まるで鯛をいじめるかのようにわっさわっさ揺らすのには唖然とした。

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「やめてやめてやめて~」←鯛の叫び

081206-2.jpg 「耐えてみよ!」
(知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

(まさ) 
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

海の見える丘公園

2011年07月24日
 昨日は車が使えかなったので、武豊線で半田へ仕事に行きました。悪く言えば地味、よく言えば「ユルイ」路線で(よい言い方か?)、これといって盛り上がる車窓風景もないですが、個人的には大府を出てすぐ右手前方に見える森岡団地の感じ(丘の上から下までドバーっと民家で埋めつくされている)と、石浜-東浦-亀崎間の新田地帯がわりと好き。武豊線乗車の機会がありましたら、注目してみてください。
 で、半田駅で下車したときに観光案内板をふと見たら、こんな記載があった。

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「雁宿公園 知多半島海岸のちょう望がよい」

 雁宿公園は、明治23年の陸軍大演習のとき明治天皇が演習を統覧した山に整備された公園で、知多半田駅の西側にあります。少し前たまたまここに行ったのだが、展望台から見える風景はこんなだったぞ!

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 衣浦湾がかろうじて!埋め立て前はもっと近かっただろうけど、いったいいつの話かと。まあ、これはこれで味わい深い風景と思えなくもないけれど。

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 ちなみに雁宿公園には展望台が二つあり、西側の展望台から見えるのは、このように東側の展望台だけという有様。なんというか、この中途半端な造りの展望台自体が味わい深い…と言えなくもない。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンサインの研究0035

2011年07月22日
 昨日の続きでもういっちょ、飛騨でお手軽ネタ。
 高山も少しだけ歩いてみたら、「本町通り」にこんなフラッグがずらっと掲げられていた。本町通りは宮川の左岸にあり、観光的な店もいくつかあるけど、純粋に地元民向けの商店街です。

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 がんばろう飛騨高山。高山は、震災の影響で外国人観光客が著しく減ったとのことで、「がんばろう」と言いたくなる気持ちもわかる。

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 確かにこの日(6月14日)は、外国人を一組ぐらいしか見なかったような気がする。頑張ってください。

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 オマケ。さいきん牛乳づいてたので、下二之町で見つけた飛騨牛乳の牛乳箱を。ウルトラハイ!?飲みすぎちゃうの?アルプスバター!?もうないだろうけど、使ってみたい!
(まさ)
飛騨雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0181

2011年07月21日
 最近、書かないグセがついてきてどうもいけません。いけませんので、とりあえず手っ取り早くカンバンでも。
 一か月ほど前、とある仕事で高山に行きまして、空いた時間に旧国府町を少しウロウロしてみました。旧国府町は吉城郡に属していたので、本来ならば飛騨市に参加するのが歴史的に正しかったと思うのだが、強いほうにつきましたね、ここは。「国府」が加わっていさえすれば「飛騨市」なんぞという苦しいネーミングにも多少は説得力があったのにねえ。
 そんなことはどうでもよくて、旧国府町の外れのほうで、見事な木枠カンバン&ブリキカンバン群を発見しました。

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 なんだゴム車って!

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 なんだ「んどう」って!
 「こ」か「し」が風雨や日光で消えてしまったのか、と思ったら、右から「うどん」と読むのだった。かすれた文字を頑張って読むと、高山市街の「北平製麺所」というメーカーのものらしい。戦前のブツだとしたら文化財級です(町指定レベルの)。

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 掲示場所は内緒にしておくので、国府町の外れのイメージ写真でも…。
(まさ)
飛騨雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0034

2011年07月16日
 水曜日、とある取材で東区の車道界隈へ。最近知ったのだが、車道には東海地方の超メジャーチェーンの本社があるのですね。

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 コメダの本社です。木の色というか、レンガ色というか、本社ビルの外壁はコメダの内装に似たカラー。一階は本社直営店ですが、本店ではなく「葵店」。本店は八事方面にあるけど正式には「上山店」というそうで、ややこしい。
 コメダは、僕は仕事の打ち合わせなんかでよく使います。あの硬さ・傾斜・肌触りが絶妙のソファと、けっこう広めのテーブルは、実に使い勝手がよろしい。そして注文するのはたいていコーヒーシェイク。あの蓋付ボトルのポップさはたまんないっすね。
 そんなことはどうでもよくて、コメダ本社ビルから西へ少し行くと車道商店街があって、通りの南北入口にタウンアーチがドンと構えております。

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 北口のアーチ。いささかチープな感じ。

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 いっぽう南口のアーチは、文字周りはさびしいけど、70年代の雑誌のタイトルロゴみたいな書体でなかなか力が入った印象です。
 しかしなぜ、同じ商店街でこんなに違う?
(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

畜魂&HINOMI

2011年07月15日
 ここ2週間ほど異様に忙しくて、仕事でない文章を書く気がまったく起きません。嫁が出産・育児についてドカンと書いたあとにマニアな話をボソボソ書くのもなんだし…。
 少し前、久しぶりに未撮の火の見櫓を求めて1時間ほど豊田の東外れあたりをウロウロしました。ほとんど通ったことのない志賀町の旧道に入っていくと、例によってHINOMIが!

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 見張り台の柵の下部がややふくらんでいる、豊田によくある形状のものですね。下にある常夜燈がいい味出しています。
 横で草取りしていたのおじさんによると、当初は左に見える公民館の敷地内にあったのを、公民館の改築に伴って移設したとのこと。

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 脚もとにはもうひとつ「畜魂碑」と書かれた昭和4年築の石碑もあります。刻まれた文字を読むと、大正時代以降このあたりは一家に一頭以上の牛を飼うほど畜産が盛んで、これは牛の霊に感謝するために建てられたらしい。
 今の風景からはちょっと想像がしがたいですが、補足してくれたおじさんによれば、昭和40年代まで志賀ではどの家でも乳牛を飼っていたとのこと。おっ、豊田にもローカル牛乳メーカーがあったのか!と思ったら、集乳していたのは安城の森永だそうな。

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(上重原にて。2008.03.18撮影)

 なるほど、西三河で森永の牛乳箱を見かけることが多いのは、安城に森永の工場があるからか。今は森永製菓中京工場となって、乳業はやってないようですが。
(まさ)
西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

二ヶ月が過ぎた

2011年07月12日
 陽太郎が産まれて、あっという間に二ヶ月が過ぎた。赤ん坊らしい真っ赤な肌は白くなり、蚊の鳴くような声はうるさいなぁと感じるくらい大きくなり、袖や裾が余るほどぶかぶかだった服がちょうどよくなった。すでに産まれたばかりの頃を忘れるくらい、陽太郎はどんどん成長している。
 
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裾を折り曲げていたのに、今は足が出るように!(撮影日:左/5月1日 右/7月11日)

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いつのまにかデベソに!(撮影日:左/5月14日 右/6月22日)

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最初の一ヶ月はミルクと母乳の混合。おっぱいを絞って与える搾乳もやりました。
おっぱいにかんして、どんどん羞恥心がなくなっているのが怖い。


 母親としての実感もやっと湧いてきた。正直、この子が私の腹からツルンと出てきた時は、嬉しいとか可愛いとか、産まれてきてありがとうとか、そんなドラマチックな感情は湧いてこなかった。冷たいと思われるかもしれないけど、やっと痛みから解放される、お産がやっと終わった、無事に産まれてよかった、ただそれに尽き、涙だけが溢れた。
 でも、今は可愛くて仕方ない。一番好きな仕草というか姿は、オッパイにしがみついて一心不乱に飲んでいる時。おしりを拭かれている時に時折見せるスッキリ~という顔も、シャワーを頭にかけると決まってアクビをする無防備な顔も可愛いなぁ。いろいろお世話をするうちに、母性ってもんは芽生えてくるんだろうか。

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おっぱいにしがみついている姿がたまらん!

 さて、出産時のことを改めて記しておくと、私の場合、おしるし→破水→陣痛→出産という順序で陽太郎は産まれてきた。
 破水した日の日中は仕事で日間賀島に行っていて、浜辺で砂遊びをしたり、撮影した料理をガツガツ食べたり、いつもと何ら変わらなかった。帰りにベビざラスでチャイルドシートを購入し、夕飯を作り、夜はせっせと床掃除。ゴキブリ団子をそろそろ仕掛けなくちゃと片付けをしていた。夜10時頃だったか、ちょっとお腹が張るなぁとトイレへ。おしるし(産兆)があった。
 ドキリとしたけれど、今すぐ産まれるわけじゃないと言い聞かせ、そのままトイレに入っていたら、何かが勢いよく流れ落ちた。破水だ。それは出産が初めての私でも分かるくらい確実なものだった。病院へ電話しようと手帳をめくるも、指先が震えて思うようにめくれない。完全にパニックに陥っていた。ダンナも慌てていた。まさかの破水で、破水したら入院、そしてまもなく出産とは思っていなかったようだった。
 その時点では陣痛はなく、頻繁に痛みがやってきたのは入院した翌日の夕方から。妊娠中、食欲が失せることは一度もなかったのに、その日の夕飯だけは気持ちが悪くて食べられなかった。僅かな痛みも我慢できなくなり、ヒーヒーうめき声を上げていると、助産師さんに「今はそんなに痛くないはずだよ」と窘められる。すると、確かにそうかもしれないと冷静になれ、痛みがすっと引いていく。気のせいかもしれないが、甘えが出てしまう私には、お産のプロによる叱咤激励は効果抜群で、何度もナースコールで呼びたくなった。
 陣痛の間隔が短くなると、もはや何も考えられない状態。今何時で、どれくらい時間が経っているのかも分からなかった。車椅子に乗せられて分娩室に移動する時、鳥のさえずりが聞こえ、明け方だと知る。太陽が出ている時間帯に産まれてくるといいなぁと思っていたから、嬉しかった。
 
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 左より出産前、出産直後

 分娩室に入れば、いよいよ出産も大詰め。マラソンでいえばラストスパートを駆け抜ける感じで、エネルギーが湧いてくる。それでも何度もいきんでいると意識が朦朧としてきて、助産師さんに「目を閉じない!」といわれても自然に目が閉じてしまう。陽太郎が出てきたところも見たような見ていなかったような。出産に立ち会ったダンナが、私の代わりにメモを取りつつしっかり見てくれ、すげぇ~!!と興奮しながら後から身振り手振りを交えて説明してくれたが、失神するか大泣きするだろうと思っていたので、これは意外だった。
 一週間、一ヶ月は瞬く間に過ぎていき、私の体力も戻ってきた。三時間置きに起きることにも慣れ、短時間で深く眠れるようになった。母体も赤ん坊のサイクルに合わせて順応していく。人間の体って、すごいもんだ。

 私のお腹の中で波打つように動いていた子が、今は大声で乳を求めて泣き、手足をばたつかせている。この子がお腹の中にいたなんて、今でも信じられない。産んだ私がそう思うんだから、ダンナはもっとミラクルに感じるだろうなぁ。
 先日はお宮参りに行ってきた。安産祈願に出かけたときは6人だったのに、今は7人。当たり前のことだけど、不思議だ。体は小さいけれど、誰よりも生きることに無我夢中で、すべてのエネルギーが生きることへ向かっている。授かった大切な命、守っていかなくちゃ。陽太郎、産まれてきてくれてありがとう。(まり)

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 みんなに愛されている陽太郎。



そのほか | Comments(3) | Trackback(0)

郷土の英雄0002

2011年07月08日
 ホームバンクが豊橋競輪場の深谷知広(96期・21歳)が、6月に前橋競輪場で開催された高松宮記念杯で競輪史上デビュー最速GⅠ優勝を達成したのは、競輪ファンと一部豊橋市民にのみ記憶に新しいところですが、少し前に豊橋駅に行ったら、東西連絡通路に深谷を讃えるフラッグがずらっと掲げられてて驚いた。

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 さすが広告には力を入れている豊橋競輪。盛り上げようという気合が伝わってきます。考えてみると、豊橋からG1の優勝者が出たのって、深谷が初めてではないか。豊橋市民はもっと盛り上がってもいいはずだ。
 3年前に永井清史(岐阜・88期)がオリンピックで銅メダルを取ったときは、岐阜市役所と美濃市役所にドーンと横断幕が掲示されてましたが(→●□)、豊橋市役所ではやらなかったのかな?あと、競輪場が広告を出している豊橋市電とかに。
(まさ)

(2011.07.12追記)
 先日、嫁に内緒で立ち寄った豊橋競輪場に展示されていたパネル写真によると、豊橋市役所のロビーにドカンと深谷の祝勝横断幕が掲げられたようです。あと、これと同じフラッグが場内にもありました。もっと盛り上がらないかなあ…。
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

刈谷にも牛乳メーカーがあったの件

2011年07月06日
 牛乳箱はマニアの一分野として確立されており、僕は後発なのでこれ以上深追いはしませんが…なんて書いたそばからまた牛乳箱ですが、刈谷の銀座5丁目で発見した「刈谷牛乳」の牛乳箱など。

110705-1.jpg (2010.02.27撮影)

 昨日も参考にした「みどり牛乳50年記念誌」(S62発行)によると、昭和47年に「東浦酪農組合及び刈谷牛乳と合併し刈谷市にある処理工場は学校給食の関係もあり暫定的に刈谷分工場として運営」(原文ママ)とあります。てことは、それ以前のモノということになる。くっきりした黒文字が銘柄をアピールしてます。サイドにはなぜか「森永ヨーグルト」の名が。安城に森永の工場があるので、その関係?(そのってどの?)
 なお、みどり乳業で聞いた話では、刈谷牛乳を合併した関係で、西三河の一部の学校給食にみどり牛乳が入っているとのこと。
 「漂流乳業」という素晴らしいサイトに刈谷牛乳の瓶が掲載されてますが、いったいどこで入手したんだろう…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

二つのみどり

2011年07月04日
 常滑牛乳を取材した某誌では、半田拠点の「みどり牛乳」にも取材に行きました。知多半島は日本有数の酪農地帯であり、みどり乳業は産地直結の牛乳メーカー。ローカルブランドとしてはかなりの規模を誇っています。
 取材させてもらったからヨイショするわけではないですが、地産地省推進派の我が家では、知多半島のスーパーに寄ったらたいてい「みどり牛乳」の1リットルパックを買ってます(そして東三河では中央牛乳を買う)。碧海エリアのスーパーには大手モノしかなくてつまらんし。

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 「みどり牛乳50年記念誌」(S62発行)によると、やじろべえみたいな「m」を図案化したマークは昭和52年の登場。ファンシーな牛のイラストの登場については記載がなく、昭和最末期か平成初期のものと思われます。他メーカーでもこの系統のイラストが見られますが、牛乳だから子供ウケ狙いですかね。

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 かつて使われていた宅配用牛乳の木箱は、乳牛そのまんまのシブいデザイン。こいつをもとにしたパッケージの商品を作ってほしいなあ。

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 ちなみに常滑牛乳はこんな感じ。見づらいけど、先の赤ちゃんが描かれています。牛乳箱はマニアの一分野として確立されており、僕は後発なのでこれ以上深追いはしませんが…。

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 ところで、今年の暮れに九州旅行をした際、別府のスーパーでまったく同じ名前の「みどり牛乳」(九州乳業/大分市)を発見しました。
 どちらが先かと思ったら、知多のみどり牛乳の旧ブランド名は「知多牛乳」で、昭和48年に公募でみどり牛乳のブランド名が決定。ところが、すでに九州で「みどり牛乳」が売られており、「九州乳業㈱に了解を得、同社のご好意により決定された」(みどり牛乳50年記念誌)とのこと。時代がよかったのかもしらんけど、鷹揚だなあ。
 聞いたところ、知多と九州のみどり牛乳は販売提携等で今も協力関係があるそうです。ウィキの「みどり乳業」の項目に「九州乳業との関係はない」と記載されているけど、それは誤りということになる。われわれライターや編集者がウィキを信頼してはいけないというのは業界の常識ですが、これなどその典型例ですな。
(まさ)


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(11.07.25追記)
 先日、南知多町豊浜を歩いていたら、知多牛乳時代の牛乳箱を発見。「ウルトラ殺菌」の謳い文句やレイアウトは基本的に同じです。

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牛乳と赤ちゃん

2011年07月01日
 先月、某誌の取材で「常滑牛乳」に行きました。知多半島の牛乳というと「みどり牛乳」のイメージですが、こちらは常滑市および半島の一部でのみ流通している超ローカルブランド。取材の話があるまで存在を全く知らなかった。常滑市北部の矢田という集落に工場があります。

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 こちらがラインナップ。大多数の牛乳は「120~130℃・2秒」の超高温殺菌で作られていますが、常滑牛乳は85℃・15分間という殺菌方法。ゆえに香りがよくてコクがあり、なかなかうまい。このほか市販用の1リットル紙パックもあり、JAの常滑北部(尾張三和郵便局の前にある)や鬼崎などの店で販売していますので(瓶は給食用)、ぜひ買って飲んでみてください。
 それにしても実に味わい深いデザイン。特にマークは絶品!

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 アップにすると、三つの輪の中に赤ちゃんが!かわいい、かわいすぎるぞ。
 三つの輪は、常滑市に合併する前の住所である旧知多郡三和村の村章とのことで、創業時は「三和牛乳」という名前だったそうです。
 赤ちゃんといえば、ウチにも赤ちゃんがいるので、一緒に撮ってみた。

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 ようたろうくん、こういう商品撮影のときは笑っていただかないと。まだまだモデルとしての修業が足りませんな。
(まさ)

知多雑 | Comments(4) | Trackback(0)
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