さらば遠江西川駅/カンバンの手帖ブログ版0180

2011年06月28日
 またまた昨日の続きで、またまたバスネタ。
 熊から東海自然歩道を歩き、一本杉、三舞坂峠、市之瀬を経て、この日の終点の天竜区西川(さいがわ)へ。旧龍山村の役場があった集落ですね。

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   ↑竜山郵便局の旧局舎

 こうして見ると「商店がちょっとだけある山村のミニ町場」の典型なのだが、秋葉ダムのすぐ下に位置しているため、集落全体が巨大な堤防で防護されており、他にはない独特の雰囲気をたたえております。もっとも、一自治体でなくなってから、よりキビシイ感も漂っているけど。だいたい、旧役場(現自治センター)が秋葉ダムの補償で建設された昭和30年代のオールドコンクリ建築だもんで、かなり薄汚れててあんまりよろしくない。いや、個人的にはもちろんOKの建築物なんだけど、地域イメージからするとどうかなあと…。でも、建て替え予算は浜松市にはなかろう。
 それはさておき、西川の町角にはこんなカンバンが立っています。

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 西川駅(正確には遠江西川駅)への誘導カンバンだ!駅といってもこれは鉄道駅ではなく、旧国鉄バスの遠江西川駅(バス停)のこと。カンバンに従い左手に折れ、階段を登ると、バス駅の駅舎があるのだが…

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 おお、取り壊されている!以前ここには、こんな建物がありました。

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(2003.09.13撮影、以下同じ)

 見事な二階建ての国鉄バス駅舎だったんですが、うーむ残念。
 遠江西川バス停は、旧国鉄バス天竜本線では遠江横山、西渡と並ぶ拠点で、この3つには鉄道駅と同じ機能を有する「駅」があったのです。西渡駅舎は健在ですが(→●□)、遠江横山駅舎は昭和末期に取り壊されたと聞きました(あと、水窪町に旧駅舎、瀬尻に旧乗務員休憩所あり)。
 僕が初めてここを訪れたのJR化後の平成4年の秋。あの時は、北遠から伊那谷を徒歩&バスで探索する4泊5日の旅。当時住んでいた豊橋を夜遅くに出て、二俣本町駅で駅ネして、翌朝、遠江二俣発白倉峡行きの朝イチの便に乗り、白倉峡まで行って、遠江西川まで戻って、次のバスを掴まえて北上して…ってキリがない。さいきん思い出話が多くて我ながら年寄りくせえ。
 なお、その時点では既に駅員は無配置状態でした。

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 内部はまさしく国鉄の駅そのもの。この木製長椅子が、どこかで再利用されていることを祈る。

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 こちらは駅事務室内。なぜかこの時は侵入できたのであった。取り壊されたので、時効ですな。
 国鉄バスのバス駅を網羅した本なんてどうかな、って某出版社に勤務していたとき考えたこともあったけど…いや、もう、どうでもいいです。
(まさ)

◎北遠の国鉄バスの話題
2007.10.02峰之沢口→●□
2009.07.03青谷→●□
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待合室直結

2011年06月27日
 昨日の続き。
 熊の一本杉バス停から県道をそのまま進むと、横山川に沿って旧天竜市横山へと出ますが、東海自然歩道は三舞坂峠というチョー地味な峠を越えて、旧龍山村の白倉川沿いに出ます。

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出産1ヶ月半前の女性取材記者(身重でも軽快!)

 峠を下りたところの市之瀬集落では、このような茶畑の中の道が東海自然歩道。ムリヤリ感あふれるコースです。
 ここを下ってゆくと旧ジェイアール東海バス白倉峡線(現市営バス)が走る白倉川沿いの県道。盛り上がりのない退屈な区間なのだが、途中にあった中日向バス停が面白かった。

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 待合室をくぐるとそのまま橋に直結!まるで有料橋の料金徴収所の趣。おお、これは凄ぇ~!とテンションが上がったけど、同行者の嫁と編集兼カメラマンのAさんはこれっぽっちも興味を示さず。
 なぜこういうモノの面白さが誰もわからねえんだ、と昔は憤慨したもんだけど、最近は誰にも同調されないのも当然と受け流して、もういろいろどうでもいいっす…。

110626-3.jpg 「そうですか、おとうさん」
(みのチックな陽太郎)

 わが子には僕と同じ轍(マニアの轍)を踏まないでほしいと、やたら考える今日このごろ。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0179

2011年06月26日
 春夏秋冬叢書刊「そう」31号連動ネタで昨日の続き。
 3月に東海自然歩道を熊から龍山まで歩いたとき、熊地区の高平という集落で見つけたブツ。

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 国鉄バスの遺構「ワンマンバスの運行にご協力をお願いします」カンバンだ!すれ違い困難な狭い道での運行を告知するもので、山間部の国鉄バス運行エリアによく残っています。白く消された部分には「国鉄バス」と書いてありました。
 北遠エリアは、昔は遠鉄バスではなく国鉄バスの縄張りでしたが、天竜本線・佐久間線・白倉線を除いて昭和末期にすべて沿線の各市町村営に移管されました。これは遠江横山-熊を結んでいた路線のなごり。その頃はすごい国鉄バス路線網がとんでもない山の中にまで張り巡らされてて、古い時刻表を見てるとヨダレが出そうになります。
 こういうのも保存しておいてほしいもの…と言わなくても、まだ当分はこのまま残るでしょうな。道路拡幅もされないだろうし。

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 コレの最寄り、一本杉バス停。「右みて左みて手をあげて!」ってのもなんか微笑ましい。

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 高平地区はこういう景観です。こういう風景の中を走る国鉄バスの写真なんて、誰か撮ってないかなあ。
「そう」ではカメラマンの山本さんが、「漫遊路線バス」という連載コーナーで渋い風景の中を行くバスを撮ってますが、本人いわく「本数少なすぎて撮るの大変すぎ」だって。
(まさ)
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タウンサインの研究0034

2011年06月24日
 今日も春夏秋冬叢書刊「そう」31号連動ネタ。
 今号では、嫁による「東海自然歩道」の散策記が6ぺージにわたって掲載されております(写真は僕と編集Aさん)。遠州、東三河、西三河から、面白そうなコースを3つ選び、季節を変えてそれぞれを歩きました。

1回目/2010.09.18 新城市四谷~鞍掛山~岩古谷山~設楽町和市
2回目/2010.11.23 豊田市大島町~千鳥町~東広瀬町
3回目/2011.03.12 天竜区熊~天竜区龍山西川

 1回目は妊娠発覚前(ただし疑い極めて強い時期)だったものの、2回目と3回目は妊婦状態で、よくまああの距離を歩いたもんですが、逆に体調さえ悪くなければ歩いても大丈夫ということを証明したわけで、さすが女性記者。もっとも、誰にでもオススメするわけではないので、行くなら自己責任でお願いします(妊婦でこの道を歩こうと思う人はいないだろうけど)。

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ついに岩古谷山を征服した女性取材記者(本誌ではボツに…)

 この中で、3回目に行った天竜区のネタ。
 スタート地点の旧天竜市熊(くんま/くま)は、北遠のなかでもっとも好きな地区のひとつです。鳳来寺と秋葉山を結ぶ街道の宿場町として発展したところで、山奥に忽然と現れる町場的な雰囲気が、実にいい。
 昨日の海老といい、だいたい僕はこういう山の中の「町」に、異常に惹かれる傾向があります。遠州ではほかに、渋川(→●□)とか西渡(→●□●□)とか浦川とかetc。

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 う~ん、シブい、シブすぎるぞ熊!
 だいたい村の名前が潔くていいじゃないですか。熊がたくさん出没したからこの地名になったとも言われているが、それにしてもこの名をチョイスした先人のセンスがすごい。

「あそこ、また熊が出ただよ~」
「そうそう、あそこには熊がバカ多いら~」
「今度からあそこを、熊と呼ぶに~」
「そうするに~」

 こんな感じで村の名前が決定?超テキトー遠州弁ですが…。

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 シブいところをもう一枚。むかし旅籠だった建物。今も玄関のすりガラスに「旅館志野屋」の文字が残っています。
 マイナー度は高いけれど、熊には道の駅「くんま水車の里」があるので、ツーリングする人やドライブ好きな人にはそこそこ知られているんじゃないでしょうか。東海自然歩道取材では、その道の駅に車を停めておいたのですが、施設の裏でこんなものを発見。

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 「これはなんだ?むこうがわにいって見てね」って、向こう側に行くと池に逆さまに映って何か分かる仕掛けなんですが、別にそんなことしなくても、誰がどう見たって熊でしょう。耳は道の駅のシンボルである水車ですか。
 そんな謎かけはどうでもよくて、もとはといえばコレ、下の写真の状態だったものです。

110623-1.jpg (2008.01.06撮影)

 かつて町の南入口に立つ時計台に取り付けられていた、タウンサインだったのでした。時計台自体は健在で、デザイン変更のため旧サインが取り外されたらしいのだが、再利用の仕方がなんかアバウトでいいなあ。
 ちなみにこの時計台の台座は大正13年建立という年代モノで、「標準」「時間尊重」の標語?が刻印されています。
(まさ)
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エビちゃん&坂本ちゃん

2011年06月23日
 Yahoo!ニュースにも出ていましたが、競輪選手の坂本勉(青森・57期)が、昨日のいわき平競輪でのレースで引退しましたね~。誰かというと、ロス五輪で日本人初のメダルを取ったあと、競輪選手になってトップクラスまでに登り詰めた往年の名選手です。
 実は、僕が初めて生観戦&購入したレースに出走していた一人が坂本勉。忘れもしない平成5年2月、豊橋競輪でのダービートライアル決勝戦。その頃ボチボチ陰りが見え始めていた坂本と、若手先行屋として売り出し中だった山田裕仁(岐阜・61期)で人気を二分したレースだったのだが、確か両者の叩き合いを案浦攻(65期・福岡)がまくって、マークの伊藤公人(埼玉・40期)が差して優勝したのだった。地元贔屓で山田から買っていたのにあっさりイカれ、こりゃ次の開催でリベンジせんといかん、とかいってるうちにズルズルと競輪にハマってしまったという、なんとも因縁深い選手が坂本なのであります。ええい、どうしてくれよう(どうもされません)。
 そんな彼の22歳の息子(坂本貴史・青森・94期)が、今やトップクラスに一歩手前の活躍ぶり。いやはや、時の経つのは恐ろしく早い。わが息子、陽太郎は僕が引退する頃どんな活躍をしているのだろう。

110622-5.jpg 「そんなこと知らんわい」

 ていうか、僕が何から引退するっちゅうねんという話で…。

 そんなことはどうでもよくて、春夏秋冬叢書刊「そう」31号連動ネタ。
 「地名探訪」では、海の付く地名として新城市有海をネタにしましたが、最初は旧鳳来町の海老を取り上げようと思ってました。だけど、いつも話のとっかかりにしている地名の由来は「海老のように町並みが曲がっているから」とか「川海老が取れたから」とか、そりゃないだろうというもの。好きな町のひとつなんだけれど、どうにも話が広がらなかったんで、あえなくボツにした次第。

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 海老は設楽町との境界に近くに位置し、格でいったら集落というより「町」。古くは伊那街道の宿場町として栄え、明治27年というかなり早い時期に町制を敷いています。鳳来町成立時には、役場の位置を巡って大野町とバトルがあったとか。
 僕が海老を初めて訪れたのは平成2年。以後、20年近くにわたってこの町をチェックしているのだが、年々少しずつ少しずつ、古い建物やら商店やらがなくなっていってます(火の見櫓もひとつなくなった→●□)。
 ここに限ったことではないけれど、行政機関も鉄道駅もこれといった名物もない海老タイプの町は、存在感を出すのがなかなか難しい時代です。自然はいっぱいあるし、新城や豊川にもそう遠くないし、住みやすい土地だと思うんですけどね。なにか再興のきっかけでもあれば…。
 海老は、大雑把にいうと3地区に分かれています。

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 海老川の東~南に連なる中町地区。シブい。

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 海老川の北に連なる丁塚地区。シブい。

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 海老川の西に連なる旧三河海老駅前地区。シブい、シブすぎるぞ海老!初めて訪れた20年前は、ここにまだ駅舎が残っていたっけなあ…。ちなみに20年前何しに来たかというと、大学のサークルのメンバー6人を引き連れて、田口線の廃線跡を徒歩&バスで探索に来たのでした。20年たってもやってることは同じ。
 立地上、スルーされがちな町だけど、町歩き好きをそそる何かがあるのは間違いないので、ヒマな人はぜひ一度行ってみてください。
(まさ)
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大海駅裏の今昔

2011年06月21日
 引き続き、春夏秋冬叢書刊「そう」31号連動ネタ。
 昨日の記事で出した新城市有海・新昌寺の「鳥居権現碑」が、昭和49年まで建ってたのが大海駅。

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 平たい鉄筋駅舎がいかんともしがたい地味さ。あまり撮影意欲が掻き立てられず、過去2回ぐらいしか撮った記憶がない。いや、2回も撮ればじゅうぶんか。
 大海は豊川鉄道の終点として開業した駅で、開通3年後の明治36年から国有化される昭和18年までは「長篠駅」を名乗っていました。対岸の長篠村、というか長篠古戦場の玄関駅と位置づけられていたわけで、乗客誘致にチョー熱心だった豊川鉄道らしい命名。おかげで本来の長篠村の中心駅は、私鉄時代は「鳳来寺口駅」、国有化後は「本長篠駅」と名乗らせられ、なんともややこしい。

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(2003.08.28撮影)

 そんなわけで、大海駅の豊橋方にある踏切の名称も「長篠踏切」という名です。このような旧駅名に即した踏切名称の例に、東海道本線愛知御津駅(旧名・御油駅)の蒲郡方の「御油踏切」があります。いやはや、実にどうでもいい。踏切名称を探る本など作ってみたいけど、どうっすかね?どうでもいいっすね。
 で、大海駅のホームに久々に行ってみたら、あれ?なんか殺風景になっている。

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 以前はこんな感じでした。

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(2003.08.15撮影)

 右にあった「アサノセメント」と書かれたセメントサイロがいつの間にかなくなっているではないか!う~む、地味さに拍車がかかっとるがね。

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(2003.08.28撮影)

 最終的には「太平洋セメント大海サービスセンター」という名称で、トラックの出入りも多かったようですが、あまり気に留めたこともないし、施設の歴史もよく知らんです。以上、広げてみたけどイマイチまとまらないネタでした。
 ちなみに大海という集落名は、西尾の巨海(こみ)から移住した人が開いたというのが由来らしい。ホンマかいな。
(まさ)
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骨川スネ右衛門

2011年06月20日
 前回に引き続き、春夏秋冬叢書刊「そう」31号連動ネタ。
 毎回担当している「地名探訪」では新城市の有海(あるみ)集落を取り上げました。そのキャッチコピーを「飯田線鳥居駅はなぜ有海駅ではないのか」なんてしておきながら、なぜか鳥居駅の写真は一枚も使われておりません。

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 まあ、載せるまでもない地味な駅か。僕が大学生だった頃までは小ぶりな木造駅舎が健在だったんだけど…。
 この駅舎を取り壊した頃からJR東海のボロ駅舎駆逐大作戦が始まったわけで、20年近くを経て、いまや飯田線も駅舎に関しては惨憺たる有様です。一刻も早く牛久保駅、新城駅、浦川駅の文化財化を…というような妄言はいつものことなので、スルーしていただいてけっこうです。
 駅から徒歩1分のところに、鳥居強右衛門の墓を有する新昌寺があります。

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 田舎の小さなフツーのお寺。ここには強右衛門の墓のほか、強右衛門を大権現として祀る「鳥居閣」というのがあって、戦前は大賑わいだったといいます。なぜ当時、強右衛門が崇敬されたのかというと、忠君烈士のシンボルという軍国主義的史観によるもの。詳しくは羽賀祥二「史蹟論」(名古屋大学出版会)に書かれているので、興味のある人は愛知県立図書館にでも行って読んでください。
 右に見える「鳥居権現」の石柱は、もともと大正3年に長篠駅前に建てられたもの。長篠駅は現在の大海駅。鳥居駅の開業(大正12年)以前は、大海が強右衛門関連史跡の下車駅として機能していたことを示しています。なおここへ移設されたのは昭和49年。なぜそのタイミングで移設を?

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 でもって境内の奥には強右衛門の墓が。なんか殺風景だなあと思ったら、寺の裏が新東名の工事用地になっているのだった。

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 あと、新昌寺から牛渕橋(長篠古戦場を望む飯田線の撮影名所)のほうへ5分ほど歩くと、有海集落の外れに「鳥居強右衛門磔死之趾碑」が建っています。
 建立は大正2年。この建碑を企画したのは豊川鉄道の技師であった宇野梅吉ほか2名、寄附は豊川鉄道社員有志だった、というようなことが「長篠戦後四百年史」というマニアックな資料に書いてあります。豊川鉄道が強右衛門の神格化に一役買った、というか、見どころまで作って乗客誘致に懸命だった、というほうが正しいかも。豊川鉄道とそれに接続する鳳来寺鉄道は乗客の呼び込みにやたらと熱心な会社で(豊川駅ビル、長山遊園地、湯谷温泉ホテルetc)、これもそのひとつ。
 以上、鳥居駅周辺の石造物案内でした。
(まさ)
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道路元標の迷宮0005

2011年06月17日
 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書(豊橋市)の季刊誌「そう」31号が発売中です。

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 今号のキーワードは「海」。わたくし(まさ)は毎号同じで地名&小学校、嫁(まり)は、妊婦にも関わらずガンガン歩いた東海自然歩道の記事を書いています。興味のある方は書店でお買い求めください。三遠南信エリア以外でも、ちくさ正文館本支店、名古屋タカシマヤ三省堂、カルコス各店などで販売しております。

 さて、今回の「地名探訪」で取り上げた「海」のつく地名は、新城市の有海(あるみ)。長篠城址の対岸に位置する小さい集落ですが、現在、新東名の建設工事が進んでいるため、騒々しいことになっている地域です。

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 有海と聞いても地元以外では知らない人がほとんどでしょうが、飯田線の鳥居駅がある集落、と言えばピンと来る鉄道マニア、歴史マニアも多いのではないでしょうか。長篠の合戦で鳥居強右衛門が、包囲された城から抜け出して援軍を要請に行った帰り、とっつかまって磔にされて死んだのがここ。強右衛門の墓も当地にあります。
 鳥居駅は一般的に「鳥居強右衛門史跡の最寄り駅であることが由来」とされていますが、実はそんなに単純な話ではなく、軍国主義国家の形成過程という時代背景が下敷きになっている…ということを記事にしています。これ以上書くとネタバレになるので、買って読んでくださいませ。

 軍国主義といえば、有海や設楽原古戦場を含む「旧東郷村」も実は軍国的な名称だということを、今回の記事のために資料を漁ってて初めて知りました。
 もともとは、新城の北西に連なる雁峰山(がんぽうさん)の入会権を持つ村を東西に大別して称した「東郷」「西郷」という広域通称名です(西郷は新城駅の北西部あたり)。明治39年の村政施行に際してこれを村名に採用したのですが、本来は「ひがしごう」「にしごう」の読みが正。しかし時代は日露戦争の直後。日本海海戦で活躍した東郷平八郎にあやかって「とうごう」の読みにしたんだそうな。
 その東郷村の道路元標が、鳥居駅のひとつ手前の大海にあります。道路元標については、2009.12.17の記事を参照してください→●□

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 場所は、国道151号旧道の北を並走する大海の裏通りで、大海公民館の前。ここにあることは、少し前にネット情報で知りました。
 が、僕の記憶では、平成1ケタの前半には、確か国道151号旧道沿いの駐在所前にあったような…。

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 この写真の左角あたりに立ってた覚えがあります。元標にサビの筋みたいな汚れが見えるが、それは角を曲がる車がこすった跡ではないかと。
 いつしか消えてて「ああ、もったいない」と思っていたのだが、安全な場所に移設されていたようで、とりあえずはよかった。消息不明だった古い友人に再会した気分だよ。
 大学時代に写真も撮っているはずなので(20年も前からマニアックなことを)、実家から発掘されたらそのうちここで紹介します。まあ、そんなものの今昔対比にほとんど意味はありませんが…。
(まさ)

◎道路元標の迷宮シリーズ
0001南設楽郡山吉田村→●□
0002北設楽郡下川村→●□
0003浜名郡中ノ町村→●□
0004西加茂郡保見村→●□
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)

テラへ…

2011年06月15日
 先の土日、陽太郎は初めて県境を越えて、実家のある揖斐川町の土を踏みました(歩いてないけど)。

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 どうだ、息子よ。君の故郷は美しいだろう(まだ見えてないけど)。
 ウチの村の名は「瑞岩寺」といいまして、地名の由来である瑞巌寺へもお参りに行きました。上の写真で奥に見える伽藍がそれです。出産前にいろんな社寺へお参りしたけど、やはり最初は地元でしたかったのだ。大変ありがたいことに、突然行ったにも関わらず近所のよしみで御住職にお経まであげていただきました。そして陽太郎は心地良さそうに、そのお経を聞いていた。

110615-1.jpg 小島小学校の校歌にも出てくる瑞巌寺山門

 瑞巌寺へは小学生の頃、夏休みにラジオ体操が終わってから子供みんなで毎朝お経を習いに行ったものです。我が子も読めるようにしたいですな。
 ウチの村は20軒しかないのに、臨済宗(瑞巌寺の宗派)と浄土真宗が半々で、お寺さんでも般若心経と正信偈の両方を教えてくれました(なのでたいていの村人はどちらも読めます)。陽太郎も、目指すは般若心経と正信偈のバイリンガルだ!

110615-2.jpg 「ぎゃーていぎゃーてい」
(瑞巌寺にいた親子ガエル)

081206-2.jpg 「はらぎゃーてい」
(知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

(まさ)
岐阜中部・西濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0178

2011年06月09日
 今回の山梨徘徊では、大月から北斗市まで県内を横断したのだが、こんなカンバンが県内全域に立ちまくってた。

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 ハッピードリンクショップだ!ハッピー?ショップ?どこに店があるのかと探すが店舗らしき建物は見当たらず、代わりにどこも自販機がズラっと並んでいるのみ。

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 いずれのショップにも激安、安心価格のチープなカンバンを掲げた自販機が5~6台。どうせマイナーブランドばかりだろうと思ったら、よく見るとBOSSやPOMジュースなんかもあったりして、ラインナップはかなり豊富。車が横付けできるスペースが必ず設けられてて、これは意外となかなかいいのでは…。
 何より、すべてに「日野春店」のような地名の店名が入っているのがそそられます。徳島のパチンコチェーン「ミリオン」が、店名にすべて地名を冠していたのを思い出した(→●□)。

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 そんなわけで高根五町田2号店に立ち寄ってみました。なぜかここには「ハッピードリンクショップ」に登録商標のRマークが付いています。その必要性は?
 この店、フォント以外は良いです。飲み物だけ買いにコンビに寄って、つい余計なものまで買ってしまう自分のような人間にはありがたい。ネット情報では山梨を中心に長野・静岡に分布しているようですが、東海地方にも進出してほしい。

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 山梨まで行ってこれだけではあんまりなんで、オマケ。HDS高根五町田2号店からずんずん登ったところを走る小海線の列車。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

恋のリニアモーター

2011年06月08日
 リニア中央新幹線の中間駅計画案が発表されましたね~。岐阜県内は中津川市内(美乃坂本駅付近)だそうで、東濃住民でないわたくしにはけっこうどうでもいいんですが、心配なのは駅名。「岐阜東濃駅」とか「美濃高原駅」とかとか、いかにも団塊世代の保守的行政マンあたりがセレクトしそうな駅名は避けていただきたいところ。そんなもんシンプルに「新中津川駅」でええわい。
 ところで先週の金曜日、郵人いや友人O君と闇雲に山梨県へ遊びに行きまして、タイミングのいいことに都留市のリニア実験線にある「見学センター」の近くをたまたま通りました。せっかくなので寄ってみることに。

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 そんなわけでやって来ました見学センター。正式名称は「山梨県立リニア見学センター」。えっ、県立なの!?最先端技術の紹介施設の割に、この地味さ加減がいかにも山梨県な感じです。外壁の新幹線カラーの帯がまたなんとも…。向こうに見える背広の人々は役人とおぼしき団体。あんたらもヒマだね。

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 1階は、県立だけあって山梨名物を集めた物産センター。2階は、リニアの開発史や技術を紹介する展示室だったけど、完全文系の我々には難しくて理解拒否状態に陥り、サラッとスルー。
 そして3階は、眼前をリニアが通過する展望フロア。左には中央道を跨ぐ有名な鉄橋、右にはトンネルが見えます。

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 さすがリニアモーターカー、速すぎて僕の腕では撮影できない!というわけでは当然なく、単に試運転が行われない日だったのでした。
 ていうか、試運転もないのにここへ来ても、はっきり言ってまったく面白くありません。

081206-2.jpg 「調べてから来い!」
(知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

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 さ、とっとと次の場所へ行こまい(三河弁)、と撤収しようとしたら、階段にいまや幻の諏訪ルートが記載された古いポスターが展示されてるのを発見。まあ、山梨県立だから長野のことなんかどうでもいいんでしょうね…。
(まさ)
東日本 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0177

2011年06月07日
 嫁の実家が尾張旭ということもあり、その北に位置する守山区志段味を、結婚してからやたらと通るようになりました。志段味といえば「名古屋の辺境」だの「奥名古屋」だの「裏尾張旭」だのと揶揄されますが(そこまで言わないか)、ここ数年の開けっぷりは凄まじい。そんな志段味で発見したカンバン、というか告知。

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 道路廃止て!
 山奥に行くと、新道の開通にともなって廃道になってしまった国道や県道の廃道をよく見かけるけど、ここの場合は区画整理で道ごと消えるのでしょう。

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 廃止になるのはこんな道。三河や知多でいうところの「郷中の道」というヤツ。廃道宣言されててもまだ普通に通れるようだが。

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 この廃道と交わる県道名古屋多治見線の名古屋志段味郵便局付近では、こんな具合に拡幅工事が進行中。

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 さらに東へ進むと、こんな具合に大造成工事も進行中。やがて県道が直線の新道に付け替えられ、ここにアピタが出店するようです。この東にバロー、西にイオンがあるので、完成の暁には志段味で三つ巴の争いに!民放の企業ネタ番組ふうにキャッチをつければ「志段味ヶ原戦争勃発」というところでしょうか。

110607-5.jpg「誰が志段味を制するのか?」
(キャスター気取りの陽太郎)

081206-2.jpg「どうでもいい!」
(知多四国72番慈雲寺のソフトバンク犬)

(まさ)
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0176

2011年06月05日
 前橋競輪場で開催されていた高松宮記念杯で、安城生まれ、豊橋桜丘高校卒、ホームバンクが豊橋競輪場の深谷知広(96期・21歳)が、競輪史上デビュー最速GⅠ優勝を達成しましたね~。彼こそまさしく三河の星!三河じゅうがもっと沸いてもいいはず!このまま勝ちまくって伝説を作ってほしいものです。問題は、深谷が吉岡稔真(65期・現解説者)のような伝説的存在になるまで競輪が存続しているかどうかだが。
 そんなわけで深谷GⅠ初優勝を記念して、豊橋競輪のカンバンなど。カンバンと言うか、開催日の告知塔です。

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(2009.06.07撮影)

 市電の競輪場前停留所から競輪場へ向かう道沿いの畑の中にあったもの。競輪に手を染めた20年弱前から、東田のランドマークとして馴染み深い存在だったのだが、いつの間にか撤去されてしまった。中途半端な造りが微妙な味わいを醸し出していました。

110605-2.jpg 将来の「三河の星」候補

 ゴール後の深谷を真似てガッツポーズする陽太郎(生まれて40日目)。できれば、三河でなくて岐阜の星に育てたいけど…。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0175

2011年06月01日
 東三河でやたらと見かけるカンバンに、こんなのがあります。

110601-1.jpg

 豊川にある「赤ちゃん筆センター」だ!
 ここは3年ほど前に春夏秋冬叢書「そう」で取材させてもらったことがあります。もともと床屋さんだった社長さんが、特産の豊橋筆をヒントに赤ちゃんの毛で誕生記念の筆を作ることを思いつき、昭和42年に設立したもの。
 今はこのようにゆるキャラ(?)入りの派手なカンバンになってますが、昔はこんなのでした。

110601-2.jpg
(2008.02.02撮影)

 豊川の野口町で発見したレアな一品。まさにカンバンに歴史あり。コレから上になるまでの企業努力に、頭の下がる思いであります。
(まさ)
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