九州で年越し

2010年12月30日
 今年もいよいよ大詰めを迎え、残すところ競輪グランプリだけになってしまいましたが、なぜか今、長崎に来ております。完全に遊びです。一昨日は佐世保。昨日は長崎。今日は久留米に寄りつつ(久留米競輪場で車券を買うため)別府に移動して、そのまま別府で年越しをします。
 長崎県は9年ぶり。K土出版社というところに勤めていたとき「佐世保の100年」という古写真集を作るため3ヶ月半くらい通っていました。
 久々の佐世保は、高速道路が延伸してたり、新しいホールができていたり、マンションがドカドカ建っていたりとボチボチ変化があって、なんか昔好きだった女の子の老けた姿を見るようなちょっと寂しい気持ち…ということは特になく、市街地には相変わらずアッパーな風情で、なんとなく浮き足立つ感じ。
 佐世保はハウステンボスを除いて意外と名所的なスポットが少なく、観光で来てもそう楽しいところでもないんですが、「軍隊の町」という特殊なアイデンティティを持っており、東海地方の町ではあまり感じない独特の空気感があります。
 対して長崎は、過去2回来たときははぜんぜん観光しておらず、初めてしっかり町を歩いてみました。市電が走りまくってて、商店街も観光スポットも賑わってて、実に活気があります。「超メジャーな観光の町」というだけでは収まらない地域力を秘めているのが、町を歩いているだけでなんとなくわかる。
 詳しくはまた後日。

 えー、今年はいろいろ動いていた割になんかチマチマした一年だったので、来年は何かこう、ドカーンとがんばります。何がドカーンかわからないけど、とにかくドカーン。
(まさ)
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フトコロにモチをしのばせて

2010年12月27日
 知多半島でよく見かける菓子に「ふところもち」というのがあります。

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(南知多町内海・知多四国47番持宝院門前売店にて、2009.04.03撮影)

 米粉に砂糖を混ぜて練り、それを棒状に伸ばして蒸篭で蒸し、輪切りにしてできあがり。サイズは親指大、味はほんのり甘くて、適度なやわらかさ。基本は白で、緑・桃・黒糖色などのカラーバリエーションあり。素朴としか表現しようのないシンプルさで、あまりに素朴すぎて名物になる気もない、そんな感じの菓子です。
 昔は各家庭で作り、農作業の間食や子供のおやつとして食べていたそうな。古名は「ほとくれもち」。乾燥させたコイツを懐にしのばせておくと、そのうち体温で食べやすい固さになるので、いつしか今の名が定着した…知多西岸の市誌や町誌の民俗編を見ると、だいたいそんなことが書いてあります。

 でもって先月、常滑の本町通りにある「井桁屋」という老舗のモチ屋に行ったら、その「ほとくれもち」が売られていたので驚いた。

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 太長ぇ!だいたい50センチくらいでしょうか。これを買って持ち帰る図を想像するだけで、なんか笑えるぞ。

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 ほとくれに限らず、こちらで製造販売している餅菓子はぜんぶ素朴。左は「御衣(おんぞ)」。餅を粒餡でくるんだもの。右は「二軒茶屋」。餅をきな粉をくるんだもの。どちらも伊勢に関係するネーミングというのが、伊勢湾の海上交通の要地だった常滑らしい。シンプルでうまいです。

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 井桁屋さんでは餅の取材をした後日、再訪して昔の常滑の話を2時間くらい聞かせてもらったりしました。味といい話の内容といい、こちらの取材が今年一番面白かったなあ。
 ここ最近、G-SAN話、BARSAN話を脳が求めているのう。
(まさ)
知多雑 | Comments(3) | Trackback(0)

椿散る佐布里

2010年12月24日
 クリスマスイブの本日はお寒うございました。フトコロ、お寒うございました(意味なし)。
 午前中は取材で知多市の佐布里(梅で有名なところ)にいたのだが、知多西岸らしく冷たい風に吹きさらされていた。う~ん、寒い。う~ん、暑いとか言ってたあの季節はどこに行っちゃったんでしょうか。

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 先月末に下呂方面に行ったとき、東海市から飛騨小坂へ移住したという方と話す機会があったのですが、「暖かい知多に比べると、飛騨の山の中は寒くてたまらないんじゃないですか」と聞くと、「いやいや、風が強いぶん知多のほうが寒いでかんわ~(尾張弁)」と、意外な返答が帰ってきて驚きました。
 それはそうかもしれんけど、日照時間を考えると、僕は知多のほうがマシだと思う…。

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 風が強いせいかしらんが、佐布里の知多四国76番如意寺の椿はバラバラ散っておりました。
(まさ)
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0028/カンバンの手帖ブログ版0159

2010年12月22日
 2週間ほど前、取材で岐阜のほうの関へ行った途上、久しぶりに富加町を通ってみました。あいかわらず「のどかにも程がある!」って感じの町です。いや、静かでいいところですよ。岐阜県最新の道の駅「半布里の郷 とみか」も今年の4月にできたし。
 中心部というほどの密集地でもないけどいちおう町の中心部である長良川鉄道の富加駅前を通りがかったところ、以前その地味さに驚いたタウンアーチは健在で、なにより。

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 シンプルすぎるこのアーチが、まさに富加という町を象徴しているようだなあ…。
 でもって、富加駅も古い木造駅舎が健在で、こちらもなにより。

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 「加茂野」と名乗っていた国鉄越美南線時代に一度だけ下車して、委託販売の硬券乗車券を購入した覚えがあります。
 下りホームには、こんなカンバンも健在。ここ中濃だけど。

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 県民にはおなじみ、平成初期の妄言カンバン!もう、いいんじゃないですかね、この目標。

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◎「新首都は東京から東濃へ」シリーズ
2008.02.20→●□
2010.06.21→●□
中濃・東濃雑 | Comments(0) | Trackback(0)

タウンアーチの先へ0027

2010年12月21日
 昨日の続き。昼神温泉に行ったついでに、阿智村の中心地区・駒場で前から気になっていたアーチをじっくり観察してきた。

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(旧三州街道)                                       (国道153号)
 アーチといっても下をくぐるものではないんですが…。新道と旧道の分岐点にあります。むかし道を跨いでいたアーチを移設した…んでしょうか。40年代ふうの書体がいい味出しています。
 アップしてみたもののこれ以上書くことがないので、オマケで阿智村内の眺望ポイントなど…。駒場から南へ約1キロ、伍和地区から眺めた伊那谷の絶景。美しい。

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 駒場から国道153号を3キロほど豊田方面に向かった、智里東地区から眺めた南アルプスの絶景。いや~美しい。

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 ナントカと煙は高いところが好き、などと申します…。
(まさ)

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(2013.08.23追記)
 7月にR153を通ったら、撤去されていた。う~ん…。
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ALPS & HINOMI

2010年12月20日
 地味な写真が続いたので、少しは爽快な風景でも…。
 今月アタマ、とある取材で昼神温泉へ。今年最初で最後の伊那谷です。その際、時間が空いたので久しぶりに飯田市南端の伊豆木という集落へ特に目的もなく行ってみました。
 伊豆木は、天竜峡の西側、低い山を越えたところにある盆地の集落。重文の旧小笠原家書院と、SAANAという有名な建築家がデザインし、少し前のカーサブルータスに載っていた小笠原資料館という、鄙には稀なメジャー名所もあります。が、それらを見物しているほどの時間はなく、美しい農村風景と山並み、そして火の見櫓を眺めに行っただけ。

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 県道234号・田中乱橋線から眺める南アルプスの山並み(頭しか見えてないけど)。美しい。

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 民家の小屋には吊るし柿がずらり。美しい。

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 そして集落の中央には、例によってHINOMIが!ああ、美しいねぇ~。
 しかし、美しいだけで終わらないのがマニアの性。さらにフラフラと集落をうろつき、県道沿いの薮のなかに、三穂郵便局の旧局舎がいまだ健在なのを確認して、喜んだりしました。

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 見方によってはこの建物も、美しいと思えなくもないが…。僕が初めてこれを見たのは1996年のこと。よくもまあ朽ち果てることなく残っているものだ。玄関には移転告知もそのままになっています。

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 昭和62年4月6日って…。
(まさ)
伊那谷雑 | Comments(0) | Trackback(0)

南区NO NO NO

2010年12月19日
 発売中の春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」29号連動ネタ。またまた「野地名」がらみの話。

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 野の付く地名が三遠南信に(というか全国的に)あまりに多すぎるので、今回は東三河にしぼって書きましたが、いちおう遠州も2月ごろいくつか回ってみました。
 とりあえず訪れたのは浜松市南区。芳川(ほうがわ)の下流に3つ、野地名が集まっています。もともと荒れた野が広がっていたんでしょう。

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 ひとつめ、参野町(さんじのちょう)。「あの町この町」(加藤鎮毅・ひくまの出版・S56)によると、3つの海神を祀ったので、三神野→参野となったとか。写真は町内で唯一の絵になるポイント、津毛利神社。

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 ふたつめ、立野町(たてのちょう)。同じく「あの町この町」によると「野を開墾して立派な田畑としたことから立野という地名が付けられたのである」。意味がよくわかんないけど、そうらしいのである。特に撮りたくなるような風景もなく、国道150号の立野バス停付近を漫然と撮るしかない。

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 みっつめ、鼠野町(ねずみのちょう)。またまた「あの町この町」によると、荒地だったころネズミがわんさか出た説、巨木の根本に住み着いた「根住」説、と二つあるそうな。写真は、いかにも遠州的な農村集落景観。どこらへんが遠州っぽいかというと、槙の生垣と集落内の道幅の広さです(三河は集落内の道がもう少し狭い。知多はさらに狭い)。

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 いずれも浜松だかなんだかよくわからないので、鼠野町から見たアクトタワーの写真など。ここ、ネズミかモグラが大量発生しそうだ。
 かように絵にもならんしネタもないしで、早々に浜松の野地名には見切りをつけた次第です。
 今年は僕の中でテンションが下がる出来事が浜松であり、僕と遠州の20年の蜜月がついに終わったような感じでした。岸田繁は「ワンダーフォーゲル」でこう唄った。ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって、こんなにもすれ違ってそれぞれに歩いてゆく、と…。
(まさ)

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浜松市南区の話題→●□
浜松市東区の話題→●□
遠州雑 | Comments(0) | Trackback(0)

ツゲの世界

2010年12月18日
 発売中の春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」29号連動ネタ。しつこく「野地名」がらみの話。

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 新城市(旧鳳来町)の静岡県寄りの山あいに、黄柳野(つげの)という難読集落があります。90年代の始めごろ、不登校児を受け入れる「黄柳野高校」が設立されたことで、一時ニュースになったことのある地域です。

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 この地名は、黄柳と多利野という二つの集落名を合成したもの。黄柳は植物のツゲのこと。♪草の実つぶしてお化粧したり/もみじのかんざしつげの櫛、のツゲですね。辞書をひくと「黄楊」「柘植」と表記されるのが一般的ですが、柳と楊は同義です。
 黄柳野に自生するツゲは国の天然記念物(昭和19年指定)というハイグレードなもので、古くは伊勢神宮に奉納されていたという由緒があります。
 今回は大きく取り上げませんでしたが、4年前、春夏秋冬叢書の単行本「豊川物語」の取材で行ったことがあります。

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 上の写真のあたりから山へと突入し、生い茂るゼンマイ的な植物を掻き分けてゆくと、やがて森の中に立派な標柱がどどんと現れて驚いた。

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 「昭和御大典記念黄楊樹林」と書かれた2メートル超級のもの。建立は昭和7年。昭和の御大典(天皇の即位式)は昭和3年だが、この4年のブランクはなんなのだ?裏面には由緒がびっしり。

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 肝心のツゲは、これです。地味だ…。希少種かと思いきや、けっこうそこらへんに生えている。
 特に気分が盛り上がるようなスポットでもないですが、この正月休みヒマで何もすることがない人や、東三河が好きでしょうがないという奇特な人は、一度訪れてみてはいかがでしょう(なげやり)。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

虫供養の入仏式

2010年12月16日
 今日、新城市立図書館で東日新聞を読んでいたら、数日前の一面に大村県知事候補&河村名古屋市長の記事が2Lサイズぐらいのツーショットとともにドカーンと掲載されており、あまりにあからさまなんで驚いた。東日は一般の新聞より一回り小さいタブロイド版なので、一面ドカーンということは一面ほぼ全部がその記事ということです。「東三河マニフェスト」に対してレスポンス早ぇ!なんか笑えるぞ豊橋。

 ということはどうでもよくて、昨日の午後、大野谷虫供養の入仏式が常滑市西之口で行われると聞いたので、行ってきました。

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 大野谷(知多市南部~常滑市北部の通称)で毎年冬に行われている虫供養の行事は、田畑で殺した虫を供養し、五穀豊穣を祈るもの。13地区が持ち回りで「道場」と呼ぶ小屋を1ヶ月間設け、その中に各種掛け軸を並べ、毎日村人が集まって念仏を唱えます。
 昨年度の道場は知多市大興寺(→●□●□)、今年は西之口が当番。次に番が回ってくるのは13年後になります。昨日行われた入仏式は、言ってみれば「道場開き」。開設期間はこの日より1/15まで。場所は西用寺(直伝弘法66番札所)の横。

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 期間が一ヶ月と長いうえ、なんというかなかなか「まったり系」なので、山車祭りみたいに見物客がわんさか詰めかけるというものではないのですが、今年は地元もけっこう鼻息が荒い。というのも大野谷虫供養の起源伝説が、今度のNHK大河ドラマ「お江」と深く関わっているから。
 戦国時代に大野城が落城したとき、城主佐治与九郎の妻であるお江が、佐治家の守り本尊である阿弥陀如来の掛け軸を持って城を脱出、その途中「つぼけ」(刈り取った藁を積み上げたもの)に掛け軸を隠し、それを大興寺地区の土井という人が発見して祀ったのが、虫供養の始まり…というのが当地に残る伝説。
 なので虫を供養するといいながら、大野谷の場合は没落した佐治氏の供養も兼ねています。歴史マニアもこれは仏ん、いや、ほっとけんでしょう。

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 入仏式では、集まった村の衆が30分ほどかけて念仏を唱える。般若心経、和賛、軸に描かれたそれぞれの仏に対する経文など、さまざまな念仏が混じっています。この行事に寺院関係者はまったく関わらず、唱えるのはすべて地元の人。本職のお経も気持ちよくて好きだけど、プロのいない地元の人たちだけというのが、これがまたいいんです。まったり系で。
 ウチの村(揖斐川町瑞岩寺区)では、通夜の前に村人が「おとりもち」の役割分担をしたあと、僧侶抜きで村人だけでお経を唱えるという習慣がありまして、それを思い出した。2年前、爺さんが死んだときに聞いたのう…。
 ところで念仏の節回しでは、ひとつ気が付いたことが。各念仏の最後には

願以此功徳 (がんにしくどく)
平等施一切 (びょうどうせいっさい)
同発菩提心 (どうほつぼだいしん)
往生安楽国 (おうじょうあんらくこく)

というのを唱えます。僕が耳馴染んでいる浄土真宗のお経では、フェードアウトしてゆくように全部をゆっくり唱えるのだが、虫供養では「願以此功徳 平等施一切」まではゆっくり、しかし最後の「同発菩提心 往生安楽国」は一転、ムニャムニャゴニョゴニョと早口・小声になり、なんか有耶無耶な感じで終わってゆく。なぜ?っていわれても、地元の人も困るか。

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 あと、アクセント?的にチ~ンとかポォ~ンとか鳴らすやつが、虫供養の場合はコレ。一般的には「双盤」と呼ばれる仏教道具で、キンキンと音が甲高く、特に3つ揃って連打すると鼓膜がビキビキ。最後は擬音語連発で締めてみました。
 僕はこの行事こそ、知多の真髄だと思います。

 蛇足ですが、「双盤」は浜松市天竜区あたりの火の見櫓の鐘としてよく使われております(→●□)。
(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0158

2010年12月14日
 大村秀章・県知事候補が、「中京都」構想に続いて「東三河マニフェスト」「東三河県庁」構想をブチ上げましたね~。現段階では東三河人へのヨイショでしょうが、東三河フリークの僕としては、早い段階で東三河のことに突っ込んで言及した点において好感が持てます。ただ「三遠南信連携を推進させたい」と言っているけど、僕は三遠南信の連携って、とっくに絵に描いた餅になってると思うけどなー。飯田も浜松も、たぶん連携にはほとんど興味ない。
 それはさておき、昨日に続いて、発売中の春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」29号連動ネタ。「野地名」がらみ。

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 豊橋で町探訪をすると、自分が今どこにいるか大変わかりやすくなっております。なぜなら、豊橋の電柱にはどこに行ってもこれが取り付けられているから。

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 統一規格の住居・番地表示板!
 わたくし、愛知大学の学生だった20年ぐらい前からこの表示板が大好きで、いつか記載されている町名をコンプリートしたいと思っていたのですが、不毛にもほどがあるので着手しておりません。
 でも、これ、全国にほしい。
 上の3つは豊橋の中でもマイナー度はそうとう高く、当ブログですら取り上げたことがない。せっかくなので写真でも…。

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 豊橋駅西口の東部に位置する野黒町。黒土の野原だったのだろうか。

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 豊鉄渥美線高師駅の東方に位置する上野町。「高師原の上手にある土地」の意味でしょう。この町内に「朝倉商店」という豆腐屋さんがあり、知立のドミーでも買えるのだが、なかなか美味くて気に入ってます。

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 豊鉄市内線赤岩口電停の北方に位置する小鷹野。藩主の鷹狩場が由来とか。
 う~ん、これ以上書くことがない…。
(まさ)
東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

豊橋に一番近い廃集落

2010年12月13日
 毎号制作に参加している春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」29号が発売中です。

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 今号のキーワードは「野」。わたくし(まさ)は毎号同じで地名&小学校、嫁(まり)は、2月に体験取材した新城(旧鳳来町)でのトレイルランニング(→●□)と、体験取材ではないけど早朝の演習に従軍(?)した豊川の陸上自衛隊の記事を書いてております。興味のある方は書店で。三遠南信エリア以外でも、ちくさ正文館本支店、名古屋タカシマヤ三省堂、カルコス各店などで販売しております。
 え~、「野」の付く地名はアホほどありまして、三河・遠州の野地名を全部挙げていったら、このブログが2ヶ月くらいそれで持ってしまうほど。今号では4ページもらったので、前半は東三河に三つある「野田」を、後半はネタのあるところ、もしくは気に入った写真が撮れたところから幾つかピックアップして紹介しました。
 そんな数ある東三河の野地名には、廃集落になってしまったところもあります。それは豊川市御津町金野(かねの)にあった、灰野(はいの)集落。
 灰野の前に金野じたいがマイナーでどこにあるのか知ってる人は少ないと思われるので、地図を貼っておきます。


大きな地図で見る

 金野は御津川上流部の山あいに、東西に長く伸びる農村集落。端と端の民家はかなり離れており、地元では「西金野」「東金野」と通称されます。でもって、それぞれに火の見櫓が現存しています(→●□●□)。昭和末期までは、金野簡易郵便局があり、豊鉄バスも走ってました。

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 こんな感じで、のどかな山村です。写真は西金野を走る「御津地区福祉乗合タクシー」。
 もともとの村名は、西金野が「金割」、東金野が「灰野」。つまり金野は、両村から一字づつ取った合成地名。ただ、旧金割は西金野とイコールなのだが、旧灰野の本集落は現在の東金野とは違う位置になります。昭和30年代に全戸移転してしまいました。
 灰野はまったくの未訪。ここで行かなきゃいつ行くんだってんで、クソ暑かった九月のアタマに行くことに。
 東金野のHINOMIのあたりから県道をはずれ、少し行くと車が通行禁止というので途中に放置しておいて10分ほど歩き、やって来ました灰野集落跡。

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 集落の入口には八柱神社の鳥居がお出迎え。肝心の集落跡は、門前の道を右手に入っていったところ。この道はすぐ木立に覆われて薄暗くなり、いささか気味の悪い雰囲気に。お構いなしに突入すると、やがて住居の土台だった石積みが!

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 家があったとは思えないこの有様。雑木や竹が勝手気ままに伸びまくり、荒れた里山ジャングルの様相を呈しております。奥三河や北遠ではこういう家の跡にちょくちょく遭遇するけど、豊橋からわずか10kmほどのところにこんなところがあろうとは…。

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 集落跡の真ん中にはヤブニッケイの巨木が。なんで名前がわかったかと言うと、根本に旧御津町教育委員が建てた標柱があったから。こんなところに建てて、誰が見に来るというのか。
 来た道を引き返して、今度は鳥居をくぐって神社のほうへ。と思ったら神社の手前に脇へそれる階段があり、登ってみたら今度は朽ち果てる寸前の寺が!

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 これで住職がいたら怖いけど、さすがに無住です。この寺は円蔵寺といい、ヨッ橘家!てなもんでエバラ焼肉のタレのCMを思い出す(古すぎ)。隣接する墓地には意外と新しい墓石が多く、もと住民は今も頻繁にお参りに来ているものと思われます。話を聞きたかったけど、この日は誰にも遭遇しなかった。
 なお、旧町が平成12年に作った「みと歴史散歩」によると、宝飯新四国71番札所だそうな。ほかの札所はどこやねん。
 あと、八柱神社じたいはけっこう普通でした。
(まさ)
東三河雑 | Comments(1) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0157

2010年12月12日
 わたくしブルーチーズが大好きで、よく知立や刈谷のアピタで買っては(ドミーやミマツでは売ってない)酒やコーラとともに食べるんですが、あれ、どうしてどれも三角形なんでしょうね。後のほうになると均等に切れなくてなんか気持ち悪い。どうしてプロセスチーズのようなブロック型や、カマンベールみたいに円形にしないんだ。

 というようなことは全然どうでもよくて、晩秋の飛騨シリーズ、最後は先の月曜日に行った旧宮川村のこと。合併以前は岐阜県最北端の自治体。現在は飛騨市の一部になっております。
 東海の南の方にいるとなかなか話題にものぼらないマイナーな村で、さすがの僕も高山本線で数回通過したほかは、まともに村内をうろついたことは一回しかありません。最近では、村内の高山本線が土砂災害で2004~2007年の3年間も不通になっていたのがニュースになりましたね。

 宮川は、村政晩期の90年代前半から「飛騨まんが王国」と銘打ってアピールしています。県内のゆるキャラのはしりといえるようなマンガチックなキャラを作ったり、まんが図書館宿泊施設と銘打った「まんがサミットハウス」を建ててみたりと、先駆的なのか無茶なのか、なんとも評価が難しい。著名なマンガ家を輩出したわけでもないし、村の風土や文化とは何の関係もないし…。当時の村民も、なぜウチの村にマンガ?と首をかしげる人も多かったとか。

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 この子が早すぎたゆるキャラ。行政が発行しているパンフのどこを見ても、名前も由来も書かれておらず、自治体キャラ全盛期のゼロ年代には考えられない。
 地元の人に聞いたら万波大根という特産品がモデルだそうな(しかしパンフには万波大根のことすらほとんど書かれていない)。そこ、押すべきでしょう!岐南町なんか「ねぎっちょ」と徳田ネギしかないから、その2つだけでガンガン行ってますぜ。

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 さて、今回行ったのは坂上駅のあたり。ブルブルしちゃうくらいの底冷えが楽しめて、さすが飛騨の奥地といったところ。風景は、岐阜のスタンダードな山村景観とはやや趣を異にしており、越中っぽさを感じられたりするのが面白い。一度「まんがサミットハウス」に一、二泊ぐらいしてマンガをタダ読みしつつ、合間に奥までじっくり回ってみたいと思わせる魅力を秘めています。
 坂上駅前には、宮川振興事務所(旧役場)があります。いつ建てられたのかチェックしそびれましたが、いかにも昭和40年代に建てられた岐阜県の役所建築らしい、鉄筋コンクリート製。地味だけど、年代を経て徐々に味わいを醸しつつあって、僕は好き。

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 2階が庁舎の入口になっているのだが、驚いたのは、玄関前に急傾斜の車寄せがあること。角度は40度くらいあるんじゃないのか!?こんな豪雪の村で、冬は危なくて使いにくいっちゅうねん。何を考えて設計したんだろうか。
 この庁舎は公民館も兼用してて、公民館サイドの入口にはこんなカンバンも。

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 「汽車」という美しい日本語が生きてますね~。
 でもって、ふと屋上を見上げてみると、例によってHINOMIが!

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 おお~。去年行った、静岡市井川の旧井川村公民館を思い出した(→●□)。

(追記)
 ネットで探してみたらこんな文章を発見した。行政としてちょっとマズい発言が含まれております。
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GHO

2010年12月11日
 またまた飛騨ばなし。今回の取材の空き時間には、初めて下呂の本町・塚田町を歩いてみました。市街地の南のほうです。
 下呂というと、一般的にはホテルや旅館が建ち並ぶ大字「湯之島」のイメージが強いと思われますが、行政機関や金融機関は、通称本町を含む大字「森」に集まっています。

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 この筋は、国道41号の旧道の旧道、すなわちもともとの「飛騨街道」にあたります。狭い通りに商店がそこそこ集まっていて、まったくもって岐阜的な田舎町で、実に味わい深い。益田信組本店をはじめ、奥田家下呂膏、古屋醤油店、マルナカ製麺所などレアな店が目白押し。なかなか楽しいぞ。
 下呂温泉は、正直なところ温泉街らしい情緒がもう一味ほしいと常々思っているのですが、本町界隈と比べると、あの温泉街もそれなりに「異世界」に見えます。

 そして下呂の北隣、旧萩原町の中心市街地もゆっくり歩いてみました。

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 こっちもそれなりの町場です。メインストリートの飛騨街道に加え、並行する旧役場の通り、飛騨萩原駅前通りがあって、町の規模の割に多層的。町並みのポイントは風格ある店構えが実にいい天領酒造。酒も旨いっす。
 今でこそ益田郡全域が「下呂市」となり、市役所も旧下呂町に置かれていますが、もともと益田郡の中心は萩原でした。明治・大正期の益田郡役所は萩原に置かれていたし、その流れか、県の総合庁舎(昔の県事務所)は今も萩原にある。下呂警察署(旧名は萩原警察署)があるのも萩原。
 住民気質についてインタビューしたことないんだけど、下呂と萩原、絶対にライバル意識がありそうだ。今回出会ったパブリック系の人に「下呂市の合併は、失敗した揖斐郡や大垣と違って、割とスムーズに話がまとまったんじゃないですか?」と水を向けてみたら、「いやいやいや、いろいろありましてね…」だって。ちなみに新市名案には「南飛騨市」というのもあったそうな。

 さらに北上して、旧小坂町の中心街もひと歩き(某編集部もどんだけ空き時間があるスケジュール組んでるんだ。嬉しいけどさー)。

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 上の二つに比べるとちょい格下感は否めませんが、山岳地帯らしくてよいですね。
 三者三様なんだけど、こうやって町並み中心部の写真だけを並べると「何が違うんだ」と言われても、まあ仕方ない気もする。
(まさ)
飛騨雑 | Comments(0) | Trackback(0)

益田にも弘法

2010年12月09日
 旧下呂町ではほかに、乗政という集落にも初めて行ってみた。御厩野と同じく、山麓の傾斜地に広がる農業が盛んな集落で、トマトのほか、ブルーベリーをやってる農家もあります。こんな感じのところ。

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 昨日の写真と似たようなもんですが。
 乗政のなかで「西村」という地区に行くと、西村薬師堂というシブいお堂があった。

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 うーむ、これはシブい建物。本来のお堂は右部分で、横に建て増ししていったんでしょうかね。
 不審者と間違われないよう細心の注意を払いつつ、つまり人に見られていないかキョロキョロあたりを見回しているわけで逆に不審者っぽいのだが、ガラス越しに中を覗いてみると、どこかで見たような木像が鎮座ましましてた。

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 なんと、知多四国や三河新四国でおなじみの、弘法大師の座像ではないか。
 たまたま隣の家のG-SANが出てきたので(犬が吠えやがった)聞いてみると、大正時代に高野山の坊さんが売りにきたものだそうで、このあたりの集落のお堂には同じものがあちこちに安置されているらしい。
 大正時代は、あちこちに八十八ヶ所(新四国)や二十一大師が創設された、いわば霊場ブームの時代。その片棒を担いでいたのが高野山だったとは…。しかもこんな山の中にまで!
 しかし考えてみると、高野山のほうがもっと山奥だから、坊さんにとってみりゃ屁でもないか。仕事の後は下呂温泉にでも浸かってくか、てなもんで。そういえば今回泊まった宿に、静岡方面からの坊さん団体が泊まってござった。

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 あとオマケ。乗政を含む旧益田郡竹原村の中心部、宮地のメインストリート。極渋物件「益田信組竹原支店」なんかもあって、ちょっとした町場になっています。
(まさ)

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◎知られざる弘法霊場シリーズ
大府市大日寺→●□
知多半島・本四国写しなど→●□
碧海郡新四国→●□
美濃市上河和八十八箇所→●□
高山二十一大師→●□

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2010年版地図ガイド 知多四国巡礼」(歴遊舎/1500円)。
執筆・撮影・地図ディレクションを担当。知多四国八十八ヶ所めぐりに好適の一冊。ぜひ書店や札所寺院でお求めください。
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BARSAN & HINOMI 0005

2010年12月08日
 わが地元の愛知13区選出の大村秀章衆院議員が、愛知県知事選への出馬を正式発表しましたね~。碧南市出身で、現在は三河安城駅前に事務所を構える純碧海人。僕は美濃の人なんでなんのシンパシーもありませんが、男大村、このまま中途半端な立ち位置で国会議員を続けていてもアレだし、人生一発逆転に賭けてやる!という心意気ならヨシ。
 しかし、碧海人というのは本来そういう勝負師気質ではないような…。大村先生、心意気を見せてみい!

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(左から、竹中良則刈谷市長、大村秀章議員、民主党大西健介議員/
 野田雨乞い笠踊り会場にて。2010.08.29撮影)

 しかし、注目を集めている割にどの候補者もパッとしないのが、いかにも愛知県らしい。河村たかし市長のキャラだけが際立っている。

 そんなことはどうでもよくて昨日の続き。下呂に泊まった翌朝、次の予定まで時間がかなり空いていたので、これまでまったく行ったことのない旧下呂町東部の御厩野(みまやの)という集落に行ってみました。

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 国道257号の舞台峠(濃飛国境)のすぐ下あたりで、三国山麓の傾斜地の広範囲に家が点在する、なかなかの田舎です。特産はトマト、シイタケなど。名所は「鳳凰座」という農村芝居小屋。立ち寄りどころは昔のドライブイン風情が懐かしくもある「舞台峠観光センター」。
 不審者に間違われないよう細心の注意を払いつつウロウロしていたら、けっこう高所にある民家の片隅に、こんなものが残っているのを発見した。

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 なんと、米搗き用の水車!
 これほどまでに状態がよいものは滅多にお目にかかったことがないので、一瞬現役かと思ったが、もちろんそんなことはない。庭先で豆干しに精を出していたBARSANによると、30年ほど前に土地改良によって、川を埋めて右側の道が拡幅され、水量が激減したので使わなくなったとのこと。昔は多くの家にあったけど、しっかりした形で残っているのはこちらの家だけだそうな。
 これほどの傾斜地、けっこう勢いよく水車は回転したことでしょう。
 ところで分かりにくいですが、写真の右後方には、例によってHINOMIが!

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 あ、水車と農作物の話に夢中になって、HINOMI話を聞いてこなかった。
 なお旧益田郡では火の見櫓がほとんど撤去されたようで、まともなものは今のところ、これしか発見しておりません。
(まさ)
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タウンアーチの先へ0026

2010年12月07日
 先月下旬から立て続けに3回も飛騨へ行っている。11月中旬は高山市街の紅葉が見頃だったのに(→●□)、昨日は東海北陸道の濃飛国境あたりは路肩に雪があったりして、季節の変化は瞬く間であります。
 先週の月・火は下呂。日帰りで月曜だけだと思って出発したのに、夕方、某編集部から連絡があって、突然泊まることになった。着替えも何も用意してきてないのに!
 しかし、中途半端に近いこともあって、これまで一度も下呂温泉に泊まったことがない。それどころか、足湯以外で湯に浸かったこともない。いい機会なのでじっくり夜の下呂を楽しんでみました。と言っても、宿の風呂に夜の街を歩いただけだけど。

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 ライトが点灯したタウンアーチも初めて見た。温泉街ぽくていいですね。「歓迎」の間に見えるのは、温泉を発見したと伝わる白鷺。
 なお、このほかにも同型のアーチがあと2基あるけど、点灯していたのはこれだけ。
 あと、久しぶりに下呂を歩いたらこんなものたちができてた。どこを目指しているのか下呂温泉よ!?
 
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 「さるぼぼ七福神社」の「黄金の足湯」。
 
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 「かえる神社」の御祭神。祭神っつうか。
 かつて佐野元春は「誰かが君のドアを叩いている」でこう歌った。♪街角から街角に神がいると…。
(まさ)

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(2013.08.22追記)
 昨日久しぶりに下呂に行ったら、このアーチが撤去されていた。う~ん…。
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ガーリー公民館

2010年12月05日
 今日の午後、阿久比で催されている「ココカラマーケットvol.2」という催しに行って来ました。地元の手仕事作家が25店ほど出店するもので、ナチュラル系の20~30代女子が好きそうなイベントですね。何を隠そう、僕もその手のものは案外嫌いではない。まあなんだ、場違い感は否めませんが。
 そんなわけでやって来ました、会場の「阿久比町立中央公民館南館」。

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 おお~、昭和40年代のモダン建築っぽく見えなくもない、意外と味わい深い建物…ってそういうことではなく、こんなところでそんなガーリーなイベントをやるのか?

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 書体はガーリーだけど、この黒板!たいていは「阿久比町民カラオケ大会」とか「阿久比町菊花展」とか、そういう文字が書かれそうなシロモノだ。
 本当にこんなところでやってんのかいな、と半信半疑で中に入ると…

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 シブい!シブすぎる会場のチョイス!緞帳の上部には、阿久比町章の刺繍が金色に輝いているではないか!
 一瞬婦人会のバザーかと思ような光景だけど、並べられているのはカワイイ雑貨とかオーガニックな食べ物などで、けっこう楽しめました。
(まさ)
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サウンド・オブ・浚渫船

2010年12月02日
 でもって、この日最大の目的地だった旧水窪町夏焼(なつやけ)集落。いちおう来年秋の「そう」(春夏秋冬叢書の季刊誌)に原稿を書くつもりなので、さわりだけ。

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 飯田線大嵐駅から南へ進み、旧線の長いトンネルを抜けて、行き止まりの道に車を停めておいて、山道を歩いて、このような階段を登って、やっとこさ夏焼集落に辿り着きます。現在は2世帯4人が住むのみ。

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 家が山肌にへばりつきながら身を寄せ合う、まるで秘境のような、というか完全に秘境の集落です。地形的に外界から遮断されているので、まったくもって静か…かと思いきや、この日はそうでなかった。

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 巨大な浚渫船が韓国の通貨のようにウォンウォン唸りながら、天竜川に堆積した砂をさらっているのでした。時折、船上から拡声器で何かを指示するような声も響いてきます。この浚渫船、富山方面へ来るたびに見かける。ダムがある限り永遠に浚渫が必要なのだろう。
 住人の一人であるおばあさん(先日、NHKの自転車で中部地方を縦断する番組に出演したそうな)によると、少し前に業者の人が「音がうるさくなるけどすまんね」と挨拶に来たとか。
 やかましくないかと聞くと、「いつも静かすぎるからこれくらいほうが賑やかでいいわい」だって。愛読していた「MASTERキートン」というマンガで、独居老人が住むアパートでパンクバンドが演奏して婆さんノリノリ、というシーンがあったのを思い出した。

 なお、この日は僕とカメラマン兼編集Aさんと2人で行ったのだが、飯田線でやって来た青年や、配達に来た水窪郵便局の局員さんとも遭遇し、集落は結構にぎやかでした。しかし郵政ネットワークは凄い。まさしく日本の過疎地を支えるライフライン。ご苦労様です。
(まさ)
遠州雑 | Comments(4) | Trackback(0)

さらば旧古戸小学校校舎

2010年12月01日
 旧富山村への途上、久しぶりに東栄町古戸(ふっと=花祭りで有名な集落)に立ち寄ってみたら、平成19年3月に統合で廃校になった旧古戸小学校の校舎が取り壊されてて愕然。

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 旧校舎を取り壊して、多目的集会所が建設中でした。

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(2003.08.22撮影)

 こうして見ると外観はきれいで、まだ使えそうなもんだがなあ…。部外者が安易に口を出すのは憚られますが、実に惜しい。
 集会所建設にあわせて県道80号・東栄設楽線も改修され、上の写真のように旧運動場を横切ってゆくかたちになります。このため(かどうかわからないけど)、下の「きらや酒店」も消えていた。

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(2003.08.22撮影)

 うーん。奥に見えている貴重な「蜂龍盃」(本郷の森山酒造場→●□)の行灯カンバンはいずこへ?
(まさ)
東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
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